このスープを飲むと前世を忘れてしまい、飲まなければ前世を覚えていられるという言い伝えです。このスープの伝説があることで、生まれ変わりの村には前世の記憶を持つ人が多いらしいのです。(2)

 『完全アセンション(次元移動・昇天)・マニュアル』 (上・下) (ジョシュア・D・ストーン博士)(ナチュラル・スピリット)2000/11/11 <地上に存在するエーテル体のアセンション(次元移動・昇天)したマスター> <アセンション(次元移動・昇天)> ・ 「まずヴァイワマスからの情報によれば、地上で肉体をもつアセンション(次元移動・昇天)したマスターは800人おり、うち約20~30%が女性の、約70%が男性の肉体を有しているという。さらにヴァイワマスは、地上に存在するエーテル体のアセンション(次元移動・昇天)したマスターに至っては、総勢1800人から2500人を数えると述べている。その多くは、アシュター司令部のメンバーである」 ・ 「我々の銀河における異星人文明で、何累代も前から地球を訪れているものには、即座に思いつくだけでも、琴座星(リラ)系、ヴェガ星系、アルクトゥールス、シリウス、オリオン、プレアデス、そして言うまでもなくアシュター司令部がある。さらに将来には、異星人文明との自由な交流がごく日常になる」 <第7イニシエーション> ・第7イニシエーションは、地球での生が関わる七界層の現象的生の支配から自由になることである。これは実際には宇宙レベルの物質界から、その上に引き上げられることであり、神的すなわちロゴス的意識界層との融合をいう。当のマスターの意志は、惑星ロゴスのそれと完全なる融合をみる。そして、神の息子ないし娘はみずからの源である父へと続く通路を見出すのであるが、このときの状態を「シャンバラ」という。マスターは息づく光の集中点となり、シャンバラの議事堂への出入りが許され、その視界は太陽系の「越えられざる環」をも透徹することができる。 <高次の進化へと続く七つの道> ・ 我々は、アセンションの時点で、高次の進化へと続く七つの道から、どれか一つを選ぶことになる。我々の選択肢となる七つの道は、以下の通りである。 1、地球での奉仕の道 2、磁気に取り組む道 3、惑星ロゴスとなるための修練の道 4、シリウスへの道 5、光線の道 6、ロゴス自身が在る道 7、絶対的な神の子の道 ・人類の大半はシリウスへの道を選択するが、それはシリウスが、その一部にシャンバラを含む大学だからである。そこは訓練の場としての役割を持ち、宇宙レベルの進化における後々の時間に<人格>はそこからより高度な道へと移ることができる。 ・私自身はシリウスへの道を選択しており、後にシリウスでの基礎訓練を終えた時点で、できれば絶対的な神の子の道へ移行したいと考えている。私は、シリウスに行く前に、今後約20年は地球に留まり、ジュワル・クールのアシュラムで働くと告げられている。私は、たいてい毎晩、睡眠中に魂体でシリウスを訪れている。 <都市> ・中位および上位アストラル界の都市は、車やその他の交通網もなければ、産業や汚染も存在しないため、地上界の都市よりもはるかに美しい。都市建築は車輪のように、たいがい中心から放射状に外に向けて広がるように計画されている。そうした都市の中心には、全ての信仰の聖堂である「七天球の寺院」が置かれている。 ・そうした都市には、高次の次元からマスターたちも訪れる。芸術活動に捧げられた建物や学びのための集会場もある。高い次元に進めば進むほど、都市やその周辺部も美しさを増す。近郊に建つ家並みも最終的には筆舌に尽くし難いほど見事な見晴らしを呈する美しい邸宅街にある。そうした高次の意識階層にある魂の延長が抱く目標は、物的達成ではなく、霊的達成である。 <下位アストラル界での生活> ・煉獄と地獄の上位には、ある種どっちつかずの領域とも言える一帯があり、実際そこは地上界に重なるようにして存在する。ここにいるのは自分たちにとって心の安らぐ場所を地球の近くに見出した善人たちである。そこはアストラル界に属する領域ではあるが、地上の生活がそのまま行われているというアストラル版地球といったところである。あまりに地球の生活とそっくりなので、しばしば自分が地上界を去っていることさえ自覚するのが難しいこともある。そんな<魂の延長>も、あるところまで来ると、今より好状況に憧れるようになるのである。 <電気生命体との戦争> ・プレ・レムリア時代は、地球が他の惑星から来た「電気生命体」の集団に侵略戦争が仕掛けられた時代でもあった。地球人類は自己防衛を試み500年も続いたこの戦争において、最終的に勝利を収めている。その電気的存在にしても、芯からの悪者ではなく、移住のための新天地を求める科学者集団にすぎず、彼らは、実に気の遠くなるような距離を旅してやって来たのである。 <地上生と死後生とを比較> ・「さて、死後生が地上生とそれほど違わないということは、理解してしかるべきだろう。アストラル界、メンタル界、そしてそれらより高次の諸階層でも、地上と同じような都市、海岸、山々、住居、道路、演奏会場、図書館、社交場、クラブ、教会、寺院などを有する生活があまねく繰り広げられているのである。 ・ 多くの“魂の延長”が、死とそれにともなう移行を迎えた後にも、死んでいることに気づかないことさえあるのだ。彼らは生前の肉体とそっくりのアストラル界をまとっている。死後生に特有な点といえば、アストラル体がマインド(心識)に従って動くということである。海岸に行きたいときには、ただ『海岸』を念じるだけで、当人はすでにその場所にいることになる。旅をするのにも車や電車や飛行機を使う必要はない。 ・そういう状態で死後へ移行した“魂の延長”の場合、往々にしてあとに残してきた家族に思いを馳せるため、たちまちその家族のもとに現れることになる。しかし、自分が異なる次元にいることや、そのため家族には自分の姿が見えたり声が聞こえたりしないことは、まだ自覚していない。「自分が死んだことがわからない人」にとっては、このことが大きな困惑を引き起こす。 <アストラル界とメンタル界の住居> ・「アストラル界」では、魂の延長、全員に住まいが与えられる。このプロセスの素晴らしいところは、住居が住人の性質を反映したものになるという点である。霊性に乏しい人は、その性質をそのまま反映した家なり環境なりに住まうことになる。 住居は、“魂の延長”が獲得するに至った霊的性質から何らかの神秘的方法で創られる。進化すれば、したぶんだけ家や環境が美しさを増す。優しさから生まれる行為、愛、周囲への奉仕活動などは、そうした作為の念が即座に当事者の環境や住居の何かしらの向上という形で具現化する。 ・霊的世界にある家は、時間の影響を受けることがないため、腐食や瓦解の心配がない。そして、住人が必要とする間、家は、永遠に存在する。住人がそこを去り、もはや住処としての目的がなくなると家は姿を消すのである。“内にあるがごとく、外にかくあり。上にあるがごとく、下にかくあり”という概念の働きを、ここアストラル界では、如実に目にすることができる。 ・既述の家に関するプロセスは、アストラル界での人々の服装についても同様である。アストラル界でも人は、衣服をまとっているが、その服装に関しては、地球で着ていたものであれ、アストラル界の町や地域に似つかわしいものであれ、好きに選ぶことができる」。 <ジョシュア・D・ストーン博士は、たいてい毎晩、睡眠中に魂体でシリウスに行っている> <アセンションの座> 1、 宇宙の核にあるメルキゼデクの黄金の室の「アセンション(次元移動・昇天)の座」 2、 銀河レベルにあるレンデュースのアシュラムの「アセンション(次元移動・昇天)の座」 3、 銀河の核にあるメルキオールのアシュラムの「アセンション(次元移動・昇天)の座」 4、 太陽の核にあるヘリオスの室の「アセンション(次元移動・昇天)の座」 5、 サナート・クマラにの原郷であるシャンバラの「アセンション(次元移動・昇天)の座」 6、 「光の統合室」と呼ばれるアルクトゥールス人の宇宙船にある「アセンション(次元移動・昇天)の座」 7、 「原子加速器」と呼ばれるワイオミング州のテーブル・マウンテンにある「アセンション(次元移動・昇天)の座」 8、 ギザの大ピラミッド内部の王の間にある「アセンション(次元移動・昇天)の座」 9、 シャスタ山にある「アセンション(次元移動・昇天)の座」 10、 シャスタ山の地下1.6キロのところにある地下都市テロスの「アセンション(次元移動・昇天)の座」 11、 アシュター司令部の宇宙船にある「アセンション(次元移動・昇天)の座」 12、 アフリカにある地下に格納された異星人の宇宙船にある「アセンション(次元移動・昇天)の座」 13、 地球内部の空間の中心にある「アセンション(次元移動・昇天)の座」 14、 ルクソールにあるセラピス・ベイのアセンション(次元移動・昇天)静修地の「アセンション(次元移動・昇天)の座」 『もっとヘンな論文』 サンキュータツオ  角川書店   2017/5/29 <論文は、笑えるものほど素晴らしい!> ・論文、という言葉を聞くと、なにかものすごく難しくて、自分では理解できないものだと思っている人がいるかもしれない。  しかし、決してそんなことはない。とくに私がこの本で紹介する論文たちは、「人を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」を表彰する「イグノーベル賞」などにも入選しない、それでいて書いた人たちの膨大な時間と情報が詰まった、「残念な論文」かもしれないが、一度目を通してもらえれば、だれでも理解できる書き方と内容で、最終的には研究者ってすごい人たちなのだと再認識してもらえる内容だと思っている。  自分の研究領域の論文を読むのに疲れて、図書館でほかの人たちはどんな研究をしているんだろうとふと思って読み始めたら止まらなくなった趣味「ヘンな論文収集」。 <前世の記憶をもつ子ども> <「前世の記憶」はオカルト?> ・前世の記憶がある方はいらっしゃるだろうか。あるいは、自分の子どものころに前世のことをしゃべっていたらしいとか、自分の子どもに前世のことを聞いたらしゃべったという経験をした人はいるのだろうか。  今回の論文は、そんな前世、これは学術的には「過去生」というらしいのだが、その過去生を持つ子どもを学術的に調査してみた、という論文だ。 ・いきなりオカルトかよと思う人もいるかもしれない。しかし、極言すれば研究とはすべてオカルトである。「よくわからないもの」をわかろうとするいとなみだ。その対象が、宇宙であっても人体であっても、わからないことはこの世に山ほどある。  考えてみてほしい。UFOも幽霊も、前世も来世も、「ある」ということが証明されているわけでもないし、「ない」ということも証明されていない、「よくわからないもの」なのだ。そんなバカなと思われていたことが、学問の成果によって覆されてきた例は山ほどある。天体が動いていると思われていた時代に地球が動いているなんていう人はオカルト信仰者だったし、重力なんていう力が私たちの体に常に働いているなんて考える必要がなかった時代に生まれていたら重力の存在なんてオカルトだろう。そもそもオカルトが「目に見えないもの」という意味だったので、目に見えないものが「ある」か「ない」かの研究は、人類の歴史にとってみたらまだ歴史の浅い研究なのである。だから、これから書くことはひとまず「常識」という名の眼鏡を置いて、フラットな感覚で読んでいただきたい。スピリチュアルを支持せよというものではない。信じるか信じないかを決める前に、検討材料を整理せよということ。それが研究する人たちの姿勢だからだ。善悪や常識的にどうかということはひとまず横に置いて、目の前の「現象」を追う。 ・掲載されている雑誌は『人体科学』。おなじ号に掲載されている論文は『脳梗塞後遺症によるシビレを主訴とした患者に対する始原東洋医学に基づく鍼灸治療の有効性の検討』とかである。マトモそうでしょ? 一方で「人体近傍のヒーリングパワーのポテンシャル分布」とか「非人称的視点――スピリチュアリティを記述するためのメタ方法論――」とか「おや?」というものもあるのがすごいんだけど、この玉石混交感が常識という名の固定観念を脇に置いている感じをよりリアルに伝えてくれるではないか。 <日本の意外な先人たち> ・筆者の大門先生の論文によると、そもそも、生まれ変わりの研究に関しては、イギリスをはじめ世界中の子どもたちを調査対象として研究されてきたらしい。しかし、日本がこの一連の研究にとって重要な研究の発信地であったことをみなさんはご存じだろうか。平田篤胤という江戸時代の学者が、勝五郎さんという人の生まれ変わり体験記を、『勝五郎再生記聞』としてまとめています。この勝五郎の話をラフカディオ・ハーンが海外に紹介したのが、世界で学術的に過去生を研究することになった端緒といってもいいそうなのだ。この平田篤胤、調べてみると、没後の本居宣長が自分の夢に出てきて師弟関係を結んだ、と宣長の息子の春庭に手紙を出しているくらい当時からそっち系の大学者。そうか、だとしたら、平田の蒔いた種はこの日本でも実を結ばせたいよね。 ・が、この論文が単なるオカルト雑誌の噂話と違うのは、親たちや大人の作り話ではない、という点が確かなところにある。もともと、調査対象になった子どもの親が、自分の子どもがよくわからないことをいうのを心配して医者に相談に行き、その医者が雑誌論文として報告したり、その後この子どもの発言を詳細に記録したところからはじまっているからだ。つまり、まわりの大人は「子どものいうことを信じたい」というところから入っているのではなくて、「病気なんじゃないのか」とむしろ疑っちゃう側だったというところに信用がおけるのだ。 <Tomoくんの話> ・さて、この論文で取り上げられているのは、ひとりの男の子。多くの「過去生」を持つ子どもを集めたわけではなく、ひとりの子の調査結果の報告なので、データの分母というよりは「質」を重視した論文である。  彼は2000年1月生まれ、関西在住の通称「Tomo」くん。で、この大門先生が、2010年6月にTomoくんとその母親、7月にTomoくんとその父親と面談したところから、過去の医者の記録や発言記録、ビデオなどの記録メディアをたどっていくんだけど、先生と面会した時点では、すでに本人は幼少時に語っていた過去生の記憶はほとんど覚えていなかったということである。  この手の研究は、本人が大人になると忘れていってしまうため、困難だし信憑性も疑われるところになってしまうのだが、それにしてもこの論文は面白い! 先生がたどった情報を読者のみなさんにも一緒にたどってもらおう。 ・このTomoくん、1歳ころから過去生に関するふるまいを示すようになった。テレビCMに出てきた「AJINOMOTO」や「COSMO」といったアルファベットに大変な興味を示したそうである。左から右に読めてよかったね。  2歳頃から、お母さんの胎内にいたときの記憶を語りだし、2歳9ヶ月のとき、 ・Tomoくんはこうもいった。「Tomoくんって呼ばれる前はイギリスのお料理屋さんの子供やった」「1988年8月9日に生まれて、ゲイリースって呼ばれてた。7階建ての建物に住んでた」「45度くらいの熱が出て死んでしまった」  おいおいおい。妙に具体的じゃないか。あまりに衝撃を受けた両親が、試しにTomoくんの要望を叶えようとTomoくんに、にんにくを見せた。すると剥き方などを教えたこともないのにおもむろに剥き始めたそうだ。そのときの様子の映像が残っているのであるが、なぜか普段右利きのTomoくんが、にんにくを剥いたときに左利きになっていたのである。 ・こうして、Tomoくんの話を信じるとしたら、彼の前世は、どうやらイギリス人らしい、ということがわかったのであった。これイギリスでよかったよね。アフリカの少数民族とか、マレー語とかで話されても全然わからないし、行けないし確認しようがない。 ・だが、空想壁のある子どもの空想とは違って、とにかくTomoくんの発言は一貫していて、いつ聞いても記憶にブレがなく、また何度もおなじことをいうので、両親はついにTomoくんが病気なのではないかと思って医者につれていった。つまり、両親がひくほどTomoくんのしゃべることは具体的で、およそ4歳児の空想で片づけてしまうのは無理があるほど信憑性があったということである。そして、Tomoくんが決まって口にする希望は、「イギリスのお母さんに会いたい」だった。この発言を聞いたときのお母さんの心境を察するとやりきれないのであるが、その後Tomoくんの発言はお医者さんの手によって記録されていくことになる。  そんなTomoくんの発言集がこの論文では25エピソードほど紹介されているのだが、いくつかの衝撃のものを紹介したい。 <まだ続く驚愕の出来事> ・3歳11ヶ月の時の発言。ホームセンターに出かけた際、地球儀を見つけると、「Tomoくん、この辺に住んでいた」と語り、イギリスの上方を指していた。そこで、イギリスの地図を見せたところ、スコットランドのエジンバラを指しながら、「エディンビア」と発音した。 ・4歳になったばかりの時の発言。イギリスのTomoくんが死んだ日について語っている。「1997年10月24~25日の間」「イギリスのお母さんが困った顔をしてた。5人になってしまったねぇとか言ってた。」「Tomoくん、土に埋めてはった」  悲しい顔を「困った顔」と表現しているのは子どもらしい。土に埋められた、ということのようだ。イギリスにはまだ土葬の文化が残っている。なくはない。88年に生まれて97年に亡くなったということは、9歳で亡くなっている、ということなのだろうか。 ・一方で、なんでこんなことを知ってるの? という発言もある。「2階建てバスに乗ったことある。お金は「円」ではなく「ポンド」やった。」すでにイギリスの通貨単位を知っているのである。2階建てバスの存在も当たり前のように口にしている衝撃。4歳6ヶ月のときには、「イギリスの家の向かいに「特別商店街」があり、日本の「醤油」を売ってた。」といった。醤油が日本だけのものとは4歳と半年のTomoくんは知らないはずなので、イギリスのTomoくんとしての発言かもしれない。とにかく前世の人格と現在のTomoくんが同居しているかのような発言なのだ。 「イギリスでミルク風呂に入ってた」という謎の発言や、「washbasin」 (洗面器)という語を連発。「pleasure」(プレジャー)と発音したりと、もうこれはアタリ! って発言ばかりが続くようになる。  もっともびっくりしたのは、先述の土葬発言のあとに、Tomoくんがまさに死んだときの「感覚」を言語化している部分である。 母「それからTomoくん、どうしたんだ?」  Tomo「滑り台みたいな25階のエレベーターに乗ってるみたいな感じの事してた」 え⁉ 死ぬときってそういう感じなの⁉ なにか肉体から魂が抜け落ちる的な⁉  4歳6ヶ月のときの発言は入院していたときの記憶がすごく鮮明に語られている。「イギリスのTomoくんは、ムギンバパレス病院に入院してた。最初、部屋が空いてなくって13階の4号室が空いたから、お父さんとお母さんとお兄ちゃんと3人で、車に乗って行った。家から北へ115キロかかった。普通の道だと遠いし、高速で行った。お兄ちゃんは5才上だし、14才だった。病院では、お風呂みたいな所で粉のお薬を溶かし、マッサージしてくれる先生が居た。それでも治らなくて手術したけど、40度以上の高い熱が出て死んだ。」  こわいこわい! 「北」とか「115キロ」という距離感が(前世の人格である)9歳児にあるのだろうか? 40歳児の私にはいまだにないのだが、こんなことが4歳のTomo少年の口から出てきたらこれはもう確定って思っちゃうんじゃないだろうか。 ・決定打は4歳7ヶ月のときの発言である。Tomoくんが(JRの列車事故を見て、)「イギリスでもサウスウォールで、列車事故があった。TVで「事故です、事故ですと言って、列車同士がぶつかって、火も出た。8名が死んだ。」  時系列と関西在住のことを照らし合わせる。おそらくJRの列車事故とはJR福知山線の脱線事故である。その報道を見て、イギリスでも事故があったといっているのだ。この発言、ニュースキャスターだったら調べられると思って父親が調べたところ、実際に1997年9月19日にイギリスで起こった列車事故のことを指しているものだった(サウスオール事故、というらしい。衝突事故で実際には死者は7名だった模様)。Tomoくんの証言を信じるとするならば、イギリスのTomoくんが亡くなる1ヶ月前の出来事であった。このニュースを、イギリスのTomoくんは病院のベッドで見ていたのだろうか。  そのほかには、友達の名前をいったり、お兄さんが5歳差で存在するといったり、製薬会社の名前を答えたり、当時イギリスのその場所にいないと言えないであろうことを次々にいった。 「イギリスのTomoくんはB型やった。弱くて運動とかできひんかって、やりたい事がいっぱいあった」「イギリスのお母さんにあいたい」(涙ぐむ) <発言は信頼できるのか?> ・こういう証言ばかりを集めたのならこれはレポートであって論文ではない。  この論文が学術論文であるポイントは、このように集めた当時のTomoくんの発言集を、「記憶の強さを測る尺度」で測ろうじゃないかという試みをしているところだ。  約800例ある、世界中の子どもの「過去生の記憶」データというものが存在し、それらの真実性が数値化されている。このデータでの分析を通して、どれくらい信頼に足るデータなのかを測る22の項目でTomoくんの発言をチェックしたのである。たとえば、死亡した人物と現在の人物の母斑・先天性欠損だとか(Tomoくんの場合は死亡した人物は見つかっていないのでわからないが)、過去生に関する言及、過去生と関係するふるまいの有無、死亡した人物との共通点や関係など。  全体平均10.4のところ、Tomoくんの数値は「12」というやや高い数字を示したので、信頼に足るデータだそうだ。そんなことってあるのだろうか。こうなれば、いよいよ裏を取るしかあるまい。こうして、家族はついにイギリスに行くことになる。 ・Tomoくんの希望は「イギリスのお母さんに会いたい」ということであった。そして、Tomoくんに記憶が残っているのはこの一念ゆえであろうということで、父親は調査も兼ねてイギリスにTomoくんを連れて、イギリスのTomoくんの家を探しにいった!  すると、本人の名前は実在するものの。エジンバラにはその名前での死亡記録はなかった。  また、名前と子どもがにんにくをむくのを手伝っていたということから、実家はメキシコ系か、メキシコ料理屋だろうということで、何軒かあるメキシコ料理屋は見つかったが、どれかに特定することはできなかった。飲んでいた薬(EMD)などはあったが、「ムギンバパレス病院」という病院は確認できなかった。   ・しかも、もっともびっくりすることに、このTomoくん、エジンバラに到着した翌日に「お母さんに会いたい」という気持ちに一区切りつき、過去生の記憶をなくしていったのであった。直接会うとかそういう物理的なことの前に、存在を感じちゃったのである。  かくしてTomoくんの前世を確認する動機もなくなり、またTomoくんも発言しなくなっていく。こうして彼のいってきたことは真実だったのかどうなのか、世間的には「子どもの空想」と片づけられてしまうかもしれないものになっていく。 ・しかし、だからといってこの一連の出来事を、このような論文という形で報告しなかったならば、将来的に解明されるかもしれない真実を導き出すヒントも世に出ないことになる。真偽はともかく、検討材料を提供するのも論文の価値である。  執筆者の大門先生によると、現在、自閉症やアスペルガー症候群として診断されている子たちのなかには、こうした「過去生」で達成できなかった願望を口にすることで「空想癖」と診断されてしまう子たちもいるそうだ。しかし、このTomoくんのように過去の記憶をひきずる要因がわかれば、なんらかの方法で症状を緩和することなどができるかもしれない。 ・3歳くらいから、胎内の記憶のことを語りだす子がいるというのは、よく聞いたことがあるが、前世=過去生の記憶も、聞きだすとあるかもしれないのでお年頃のお子さんがいる方は聞いてみてはいかがでしょう。  研究にタブーはない。「現象」を記述し、それがなぜ起きているのかという理由を、さまざまな角度から偏見なしで検討する。検討するのは、材料となるデータが必要である。  それから善悪や真偽を議論すればよい。まさに、ここまでやってはじめて「信じるか信じないかはあなた次第です」といえるのだ。  それにしても不思議な気持ちになる。高校生になったTomoくん、いまは左手でにんにくをむくのだろうか。 <偉大な街の研究者> <誰でも研究者> ・研究は、なにも大学院に進学し、修士論文や博士論文を書いてどこかの組織に所属しなければできない、というものではない。  雑誌に掲載されるのは、所属がどうであれどこかの学会には所属しないと書く資格は得られないが、それだけが研究発表の場ではない。自分で世に問うために、いまはネットや、同人誌即売会に出店してみたほうが、研究論文よりも多くの人の目にとまる可能性が高い。 <「追いかけてくるもの」研究> <「追いかけてくるもの」とは> ・この研究、現代の「世間話」のなかから「追いかけてくるもの」に関するものについて考えたということが書いてありましたよね、最初に。「世間話」というのは、実はこの『ヘンな論文』の1作目にも『世間話研究』というしびれるタイトルの雑誌があることをご紹介しましたが、文学の一ジャンルなのです。口承文芸「民話」のひとつで、基本的には語り手が実際に見聞きしたことをしゃべるというスタイルのもので、目撃談みたいなものです。  そしてこの論文は、「現代伝説」とか「都市伝説」のなかから、とにかく後ろから「追いかけてくるもの」についての話を集めて、分析したという研究なのであった。この論文の存在自体が都市伝説になっちゃうよというタイトルだけに、惹きつけられるパワーがハンパない。果たしてそんな論文が本当にあるのか⁉ 信じるか信じないかは、あなた次第です。  たとえばどんな話が後ろから「追いかけてくるもの」なのか。採集した話にはこんなものがあったので紹介しよう。 ・北海道の摩周湖で、夜の12時すぎに車で走っていると、うしろから年老いた女の人が走って追いかけてくるという話がある。その老女は人間なのに、車より早いスピ―ドで追いついてくるという。これをふりきるには、時速百キロ以上ださないと逃げきれない。これが俗にいう、「百キロババァ」。もし追いつかれると、事故ってしまうとか。ウワサでは、摩周湖のマリモを投げつけると逃げるらしい。 ・しかし、北海道に限らず、全国各地でこの「百キロババァ」のようにうしろから「追いかけてくるもの」が出てくるという似たような話がたくさんある、という。 ・そういった話を集めまくって、類型を調べる。パターンを分析する、というヒマとしか言いようのないこの論文を追いかけたのは、日本でも私しかいないかもしれない。でも、ちょっとおもしろそうでしょう? <追いかけてくるものを6つに分類> ・こういう「追いかけてくるもの」の話を日本全国から書籍などを参考に、拾ってくるのである。  話の内容は単純なもので、展開はどれも大同小異であることがわかる。車やバイクの運転手が、後方から信じがたい速度で接近してくる異形の存在に気付く。どの話もここまでは同様だが、追い越されると事故に遭うとか、追い越す際にニヤッと笑うといった事例も多い。 と、最大公約数の話の展開はこんな感じだそうだ。つまり、怪談みたいなちょっと怖い話のなかで「追いかけてくるもの」がけっこう出てくるのだそうだ。 この三柴先生は、こういった話を分析した結果、「追いかけてくるもの」には、6種類の類型があることがわかった、という。 では、6種類がどんなものかというと、 A 老人型  これは、ほぼババアなんだけども。おばあさんなのに速いのかよ! というパターン。「おばあさま」ではなく「ババァ」っていうところが、愛されていない漢字のネーミングで切ない。 B 脚部欠如型  足がない。すんごい速いのに足がないというパターン。  三柴先生によると、いわゆる「学校の怪談」に出てくる「テケテケ」「パタパタ」「ァシマレイコ」などと呼ばれるものに出てくる「追いかけてくる」連中も脚部欠如型らしい。 C よつんばい型  よつんばいなのに速いのかよ! というパターン。 D 獣+人型  「よつんばい」になった人間がどこか獣をイメージした格好をしたものだとすると、それと連続的に牛と女とか、人面犬とか、人面猫とか。 E 乗り物型  カブに乗ったそば屋の出前とかがここに分類されるようだ。なにそれ、もはやこわくない。 F 首なしライダー型  バイクに人が乗っているけど、首がない、というパターン。 ・出現場所を、多かった順に並べると、「トンネル」「山道」「高速道路」「峠」「カーブ」だそうだ。 ・分析によると、「現実的に危険な場所が妖怪の出現場所として採択される場合があるのでではないか」ということである。わざわざ細心の注意を払わなければいけない危険な場所に、「追いかけてくるもの」は出る、というのである。 <妖怪にもトレンドがあった> ・ここからである。なぜこうした現代に伝わる「追いかけてくるもの」の話を集めて分析してきたのか。  先生は、昔の「追いかけてくるもの」と現代のそれが少し趣がちがうことに目をつけていたのだ。  たとえば、柳田國男の『妖怪名彙』で「追いかけてくるもの」の性格の妖怪は、「オクリスズメ」「オクリイヌ」「オクリイタチ」「ベトベトサン」「ビシャガツク」など、夜道で追いかけてきて、気配や鳴き声はするが、姿が見えないものが主流だったという。  しかし、こうしてみると、三柴先生は古来の妖怪が、現代では現代風にアレンジされて「追いかけてくるもの」が、音や気配から「すごく速いおばあさん」「首なしライダー」のように、「視覚的なもの」になってきている、ということを述べている。おもしろい考察である。ただ、これを知ったからなにか得になるのかというと、ぐうの音もでないのであるが、それでもこういうことがわかるのって楽しいことである。妖怪にもトレンドがあるのだ。時代に対応して姿を変えている。妖怪2.0みたいな。 ・「追いかけてくるもの」の形体が主として女性形であることも指摘しておく必要がある。これを「追いかけてくるもの」が「口裂け女」などと同様に「『イザナミ』や『山姥』などが現代にふさわしいように「衣がえして再生してきたもの」とみなすべきなのか、あるいはもう少し心理的なアプローチを試みるべきなのか、予断を許さない。 ・こんな時間の使い方している人がいると思うと、最高にたまらない。  三柴先生はこのあと、2012年に、「身体伝承の研究:「路傍の怪」にみる足元・背後」という論文をお書きになっていて、「背後」というテーマに挑んでいるので、さらなる進化をした模様だ。  こういたったことに時間を費やしている人がいる。大変勇気づけられた論文だ。     

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