第三次世界大戦=「(中東で)シオニスト(イスラエル)とアラブ人との間にイルミナティのエージェントによって引き起こされる」ここでのイルミナティとは「フリーメイソンの中枢を支配する秘密組織」を指す。(3)

<東大法学部は「デュープスの総本山」か>

・(江崎) 現在の上皇陛下が、天皇に即位された時の話です。高位継承に関しまして、最も重要な儀式が大嘗祭です。即位の大嘗祭はセットになっていまして、昭和50年代に内閣法制局は、大嘗祭は政教分離の疑いがあるから国費ではできないと主張していたのです。

・(江崎) 平成から令和にかけて元号の公表を即位の礼より早く公表しました。なんでこうなったのか。

 理由は簡単でして、天皇陛下の即位と一緒に元号の公表を行うことは、国民主権に馴染まないというのが内閣法制局の見解でした。だから、新たな元号発表と天皇の即位を1ヵ月、ズラしたのです。それはおかしいだろうと、総理補佐官が異議を唱えたのですが、このときは残念ながら内閣法制局が勝ってしまった。

(百田) そういう事だったのですか。前もって印刷物とか、民間の混乱を抑えるために、公表を早めたという理由をつけていましたが、内閣法制局が皇室の権限を削ぐためにやった事なのですね。

(江崎) 国民主権に違反する懸念があるためというのが、横畠祐介内閣法制局長官の見解でした。私からすれば、一官僚の如きが思い上がるなと言いたいですね。なぜ内閣法制局がこのような唯我独尊的な考え方になってしまうのか。

 それは、内閣法制局の官僚が東京大学法学部卒業のエリートたちばかりだからです。憲法解釈で戦後、もっとも影響を与えた人物が存在するわけですが、その人物の意思が内閣法制局に色濃く影響を与えています。それは、この本で何回か登場した憲法学者・東大法学部の宮澤俊儀さんです。宮澤さんは、国政と皇室を限りなく切り離す憲法解釈を打ち出した「デュープスの総本山」です。

<エリート官僚と共産主義の思考は底辺でつながっている>

・(百田) これは結局、繰り返しになりますが、東大卒がダメなんです。その原因は、実は、東大に入学する以前にあります。

 現在、中学高校生が習っている教科書が日本の自虐史観に基づいた思想で出来ているのはよく知られていることですが、中でも「学び舎」の教科書が特にひどいのです。

・つまり東大に進学する子供たちの多くは、そんな教科書で学んでいるのです。東大を目指すような丸暗記型の優等生は十代に教科書の中身をすべて覚えてしまって、洗脳されてしまいます。そういう生徒は性格が素直な事もあって、リベラル的な思考が出来上がってしまうわけです。

 そして、この若者が東大に入学して、さらに左翼系の学者、教授に教えられ、国家公務員の上級試験に合格して高級官僚になっていきます。ですから、どうしても東大を卒業した官僚、あるいは司法試験に合格した司法関係の人間は左翼系が多くなるのです。

(江崎) 厄介なのは、エリート官僚たちと共産主義というのは親和性が高いという点です。なぜ親和性が高いかというと、共産主義の一党独裁は、党が決めたことに庶民は黙って付いてくればいいという考えに基づくからです。そしてエリート官僚たちも自分たちが決めたことに庶民は黙って従えばいいと内心思っている。

(江崎) だから、これから日本が注目すべきなのは、トランプ大統領が演説などで繰り返し主張している事です。「アメリカは庶民の国であって、官僚の国ではない」と。庶民の国なのだから、庶民が活躍できるような税制にする。だから減税第一なのです。

 官僚たちに無駄なおカネを使わせるようなことをしたら、官僚たちは統制主義経済を始めてしまう。だから、そうならないように庶民からできるだけ税金を取らないようにする。民間の活動に政府はできるだけ邪魔をしないようにする。それがアメリカの保守派の基本的な考え方です。その点、安倍政権はどっちを向いているのか。

――安倍首相は社会主義経済を推進しているといわれていますね。朝日現役記者の鯨岡仁氏の『安倍晋三と社旗阿修羅儀 アベノミクスは日本に何をもたらしたか』(朝日新書)という本が最近話題になりました。

・その経済政策を見る限り、世界的視野から見れば、それは「新自由主義」経済ではなく、民主社会主義の福祉国家路線に似通ったものであるということを詳細に論じています。

(江崎) 世界標準から判断するとアベノミクスはそうなります。増税を繰り返すというのは官僚主導の社会主義路線ですからね。

 減税によって国民の自由な経済活動をできるだけ尊重しようとするトランプ流の経済政策とアベノミクスとはかなり違います。

(百田) 年度末になると、我が家の近所では道路を何回も掘り返すのです。水道、ガス工事で、カネ(予算)を消化するために慌ててやっています。これって、前述したように「ゼロ戦」を生産するときの無駄と一緒です。日本は変わっていないのかな(苦笑)。

(江崎) 税金を取りまくっていたら、日本は本当に滅びますよね。渡辺昇一先生はいつも言っていました、「税金高くして国は滅びる」と。だって税金が高ければ国民は働く気をなくします。

・「中国肺炎」による企業などの苦境を救うために、政府は補助金や助成金など、政府による介入を強める政策ばかりが打ち出されていて、消費税減税や社会保険料の負担軽減といった「国民の自由拡大」政策が見えてこないことが気がかりです。

<日米が連携すれば「歴史戦」でも負けない>

・(百田) いやあ、それにしても「中国肺炎」をめぐっても、いろんな言説がありましたが、発生元の中国に忖度するばかりで、中国人の訪日も封じ込めることを主張するのは私たちぐらい。安倍叩きができるとなると、サクラからコロナに乗り換える人も「後出しジャンケン」で続出。こういった「デュープス」が日本の将来を悪くする元凶ですね。

・(江崎) 真珠湾攻撃はルーズベルト大統領が日本に仕掛けたことを保守派の人たちは知っている。だけど、「アメリカメディアは自分たち保守派の意見を、聞こうともしないし、記事にも載せてくれない」と嘆いていました。

・(百田) CNNとかアメリカの報道を見ていると、アメリカにもデュープスがいっぱいいますね。いや、これは世界的な傾向かもしれませんね。

(江崎) 日米の戦前の対立はコミンテルンが仕掛けたもの。それに惑わされて日米は不幸な戦争をしてしまったけれども、いまや日米両国は最良の友好関係を維持しています。しかし、その友好関係を破壊し、日米分断をしたいと考えている国がある。いうまでもなく中国、北朝鮮、そしてロシアです。

 その中国の利害のために日本国内(沖縄など)でさまざまな形で蠢いているのが「デュープス」です。コミンテルンの亡霊に怯える必要はありません。しかしこのデュープスをのさばらせないようにするために対外インテリジェンス機関が活動をしているのですが、その活動を支える学問的な基盤が必要です。

 そこで欧米諸国では1980年代から、インテリジェンス・ヒステリー(情報史学)という新しい学問が導入されています。

<インテリジェンスの重要性を知ってください>

・インテリジェンスに対する国民的理解を広げたいと願ってきた私にとって、これほど嬉しいことはありませんでした。というのも、政治も

そうですが、軍事(自衛隊)やインテリジェンスもまた国民の理解があってこそ成り立つものだからです。その国民的理解を広げるうえで、百田さんと「虎ノ門ニュース」が果たされた役割は本当に大きいと思っております

・本書では、今回の「中国肺炎」をめぐる危機管理から憲法改正、安全保障とトランプ政権、先の戦争の反省と教訓、皇室と内閣法制局、インテリジェンス、そして「ヴェノナ文書」と、現代日本の政治的な課題について具体的なエピソードを紹介しながら多角的に取り上げています。

・何よりも政治とは、言葉の芸術の世界でもあるのです。そして官僚の言葉は面白みに欠け、政治に対する国民の関心を損なわせることが多いのが現実です。逆に国民の心に届く言葉を政治の側が発することができれば、政治と国民との間はぐっと近づき、その政策の実現性は高まります。

『逃げる力』 日本人には「逃げる力」が足りない!

つまらないストレスを安心して捨て去るための1冊。

百田尚樹   PHP    2018/3/17

<最も大切なのは「負けを素直に認めること」>

<逃げる>

・実は逃げることは戦うことと同じくらい積極的な行動である。戦う時に分泌されるホルモン「アドレナリン」は、逃げる時にも分泌されるのだ。本当に大切なものを守るために、戦っても勝ち目がない、得るものがないと判断したら、さっさと逃げるべきである。

・魏晋南北朝時代に編まれた有名な兵法書『兵法三十六計』の最後にあるのが、「走為上(走るを上と為す)」というものです。これは「逃げるのが最善の策」という意味で、「三十六計、逃げるにしかず」という語源となった言葉です。

・つまり、「逃げる」ということは、実は「戦う」ことでもあるのです。退却は「捲土重来を期して」のものなのです。「捲土重来」とは、一度戦いに負けた者が、勢いを盛り返して、ふたたび攻め上がることです。

<逃げるは恥だが役に立つ>

・2016年、「逃げるは恥だが役に立つ(逃げ恥)」というテレビドラマが人気を博しましたが、この言葉は実はハンガリーのことわざだそうです。原文を直訳すると、「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切」という言葉になります。これは素晴らしい名言だと思います。

・悲しいことに現代社会では、会社のために自らを追い込んで、最終的に死を選んでしまう人は少なくありません。最近でも、大手広告代理店に勤めていた若い女性社員が過労によって自殺したという事件がありました。そのニュースを見た多くの人は、「なぜ、会社を辞めなかったのか」と考えたのではないでしょうか。

 東京大学を卒業して大手広告代理店に勤務していたTさんは、2015年12月25日に投身自殺しました。

 Tさんの総労働時間は、同年の10月25日から31日までの1週間で87時間26分、11月1日から7日までの1週間で77時間18分に上っていました。

さらに上司から「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」「会議中に眠そうな顔をするのは管理ができていない」「今の業務量では辛いのはキャパがなさすぎる」「女子力がない」といった暴言を浴びせられ、Tさんは11月上旬にうつ病を発症し、その後悪化していったとみられています。

・Tさんのツイッターを見ると、「10月14日 眠りたい以外の感情を失いました」「11月10日 毎日次の日が来るのが怖くてねむられない」「12月16日 死にたいと思いながらこんなにストレスフルな毎日を乗り越えた先に何が残るんだろうか」

・Tさんの悲劇から我々が学ぶべきことは、自分の判断力が低下してしまう前に、「自分にとって最も大事なものは自分の命」ということをしっかり見定め、戦うか逃げるかを決めなければならないということです。

<それまでの投資を「もったいない」と思うな>

・「逃げること」が求められるのは、理不尽な環境に置かれたときに限りません。人生、どんなことでも、「逃げなければいけない」局面があります。その見極めを間違えると、多大なダメージを食らい、再起不能になることがあります。

 経済学の分野で、「サンクコスト」という言葉があります。何らかの投資について、成果が得られる見通しが立たないときに、それまで投入した時間、労力、金銭のことを指します。そして経済学者の研究では、「どうもこのプロジェクトは成果が出そうにない」と判断した時点ですぱっと投資を諦めれば、損害を最も少なく抑えることができる、と結論づけられています。

・生き残る企業は、躍進力が凄いのはもちろんですが、実は撤退力が素晴らしいのです。このまま続けても業績が向上しないと判断したときは、素早く撤退します。飲食チェーン店などは、1年も経たずに店をたたむことが珍しくありませんが、長い目で見れば、そうしたほうが、儲けられると知っているからでしょう。

<逃げることにも、戦うことと同じくらいエネルギーがいる>

・自らの大切なものを守るための「積極的逃走」は、何かと戦うときと同じくらいエネルギーや精神力が要ります。

 たとえば、長年勤めた会社に見切りをつけて、新天地に行くことは、「積極的逃走」ですが、そのときに消費するエネルギーや精神力は相当なものです。

・また、離婚も「積極的逃走」の一つですが、離婚は結婚よりもエネルギーが要るというのは、よくいわれる話です。逆上するパートナーと話し合ったり、親権や財産を巡って戦ったりするのは、確かにエネルギーと精神力を必要とするでしょう。

・でも本当は、そのような中途半端な状態がいちばんよくないのです。積極的に戦うか逃げるかを決めなければ、ただやられるだけ、消耗するだけになってしまいます。

<生き物が持つ根源的な判断力を失っている>

・人間に限らず、動物には、生存本能が備わっています。その中の1つが、敵と対峙したときに、「戦うか、逃げるか」を瞬時に判断し、自己にとって最もいい決定をすることです。動物の世界は弱肉強食であり、相手が自分より強いとわかったら、一刻も早く確実な方法で逃げなければなりません。この能力がなければ、簡単に絶滅してしまいますから、どの生き物もその判断力は非常に発達しています。

・このような生存本能は、当然、人間も持っています。本来は、「逃げなければ命を落とす」と判断したら、瞬時に逃げる能力を持っているはずです。

 たとえば学校でいじめられたときには、そのいじめてくる人たちと戦うか、転校などをしてそこから逃げるか。仕事でいえば、パワハラなどにあったら、その上司と戦うか、会社を辞めるか。

<人生の判断をしてこなかった人たち>

・生き物が持つ根源的な判断力を失ってしまった理由には、いろいろな原因があると思いますが、一つは、そもそも人生における判断自体をする機会が少なかったことがあるでしょう。

・そんなとき、本当ならば「逃げる」という判断を下すべきなのに、それまでの人生でそうした判断をしてこなかったばかりに、決断できないということはよくあります。

 それに加えてもう一つ、生き物が持つ根源的な判断力を失ってしまった理由があると私は考えています。それは、「自分で自分の心を縛っている」ことです。

・世の中で、「勝利者」と呼ばれる人を見ていると、例外なく「逃げる力」に優れていることがわかります。彼らの人生戦績表は白星ばかりではありません。実は結構黒星もあるのです。ただ、その黒星は決定的な敗北にはなっていません。つまり「上手に負けている」のです。言い換えれば「逃げる達人」なのです。

<最も大切なのは「負けを素直に認めること」>

・しかし、負けたことを素直に認めないと、負けの原因と真正面から向き合って、反省することができません。だから、次も負けてしまうのです。しかも、何度も同じパターンで負けていることが少なくありません。

<モハメド・アリは、同じ相手に二度負けることはなかった>

・世の中の強者は、失敗を素直に認めます。

 たとえば、ボクシングの元ヘビー級世界チャンピオンであるモハメド・アリは、同じ相手に二度負けることはありませんでした。彼は生涯に5回負けていますが、最晩年の2つの敗戦以外は、すべて2度目の対戦で雪辱しています。アリが彼らと戦った試合は、1戦目と2戦目では、明らかに戦法を変えています。相手のスタイルを研究して、その弱点をつくようなスタイルで戦っています。

・そのためには、自分の失敗や欠点、能力の不足をしっかり認めることが大前提になります。

<大東亜戦争、死者の大半は最後の1945年に亡くなった>

・仕事などでも大きなダメージを負わないためには、傷口が小さいうちに負けを認めて、「逃げる」ことが重要です。

・このように、負けるときに大切なことは、壊滅的なダメージを負わないことです。負けたとしても、ダメージを最小限に食い止めれば、何度でも巻き返すチャンスはあります。しかし、ダメージが甚大だと、回復に大きな時間を費やすことになります。

・タラレバの話になりますが、もっと早く降伏し、1944年の秋ぐらいに終戦にしていれば、約200万人もの人が命を落とさずに済んだと言われています。1945年に入る頃には、すでに石油がほとんどなく、戦争の継続は不可能でしたから、そのときに負けを認めるべきでした。

<形勢不利のとき、強い碁打ちはどうするか>

・私は碁が好きなのですが、本当に強い碁打ちは、形勢が悪くなったら辛抱して、チャンスを待ちます。形勢が不利であることを認めて、その上でいったん我慢するのです。

・これは麻雀や競馬といったギャンブルでも同様です。負けが込んでくると、半ば自暴自棄になり、乾坤一擲の勝負に出る人がいます。

<織田信長の思い切った逃亡>

・戦国時代に覇を唱えた織田信長も、絶対絶命のピンチに見舞われています。信長の負け戦に、有名な「金ヶ崎の戦い」があります。

・織田信長・徳川家康連合軍は金ヶ崎城を攻略し、義景の本拠地に迫りました。しかしそのとき、信長は義弟の浅井長政が朝倉救援のために信長の背後を衝いたことを知ります。織田・徳川連合軍は挟み撃ちにされる形になり、窮地に陥りました。このとき、信長は周囲が驚く行動に出ます。浅井裏切りの報せに接すると、たった10人ほどの家来とともに陣を脱出し、京に逃げ帰ったのです。この決断は見事です。ピンチに際し、プライドも見栄もかなぐり捨てて逃げるというのは、なかなかできることではありません。

・秀吉はこのときのことが記憶に残っていたのでしょうか、のちに家来と議論していたとき、「信長の偉いところはどこか?」という質問に対し、「どんな負け戦になっても必ず生き残ってきたことが、あの方の一番偉いところだ」と答えたといいます。

<罠にはまった徳川家康>

・徳川家康も、逃亡することでピンチを脱した経験をいくつか持っています。その代表的な例が、武田信玄との「三方ヶ原の戦い」です。

・家康の逃亡といえば、1582年の「神君伊賀越え」も有名です。「本能寺の変」で信長が討たれたときのことです。当時、家康は信長に招かれて、30名程度の従者とともに幾内を見物してたそうで、明智光秀に命を狙われてしまいます。家康たちは、険しいが人目につきにくい伊賀の山を越えて、光秀の追手や、落ち武者狩りの民衆などの襲撃から逃げ切り、三河への帰還を果たしました。

 この神君伊賀越えと、さきほどの三方ヶ原の戦い、さらに家臣団の裏切りにあった三河の国一向一揆の三つを「神君三大危難」と呼ぶそうです。

<世界で最も逃げるのが得意な華僑とユダヤ人>

・少し変わったことを言えば、世界のビジネス業界や金融業界で活躍する華僑やユダヤ人たちは、皆、逃げながら、たくましく生き抜いてきた人たちです。

・そしてそんな彼らが最も自由に羽ばたける国はアメリカ合衆国です。しかしそれはある意味、当然です。なぜなら、敢えて極論すれば、アメリカ合衆国は、逃げてきた者たちが作った国だからです。

・その反対に、昔から農耕民族として土地に縛られてきた日本人は、逃げることがDNA的に苦手な民族かもしれません。しかし現代は江戸時代ではありません。もはやそんな古いDNAは捨て去ってもいいのです。

<一流の探検家が備える「退却する勇気」>

・「逃げる」能力が生死を分けるということでいえば、登山家や探検家も同じです。一流の登山家であればあるほど、「逃げること」の大切さを熟知し、常に生きて帰って来ます。

<敗北に慣れることも大切>

・これまで述べてきたように、人生のピンチに陥ったとき、致命傷を負わない判断を下すことが大変重要です。どんな人でも、人生一度ぐらいは「負け戦」があるものです。そのときの身の処し方でその後の人生が変わってきます。

<失いたくないものの価値を考える>

・よくよく考えてみると、失いたくないと考えているモノは、意外とたいしたことはないモノが多いものです。

<レールから外れた私の人生>

・ちなみに、私自身はどうだったかというと、学生時代から、まるっきりレールから外れた人生を送ってきました。

 高校の時点から県内でも最も偏差値の低い高校に行っていましたし、浪人中に中学の勉強からやり直して、なんとか合格した大学も、5年間も通ったあげく、単位が半分ぐらいしか取れなくて、中退してしまいました。そのとき、学生時代に何度も出演した視聴者参加のテレビ番組のディレクターが、「することがないなら、放送作家をやらないか?」と声をかけてくれたのです。

 放送作家といっても、週に一回企画会議に出て、アイデアを出せばいいというだけのものでした。

・私が真剣に働くようになったのは、妻が子供を産んで仕事を休職してからです。家族を養うためにようやく真面目に放送作家の仕事に取り組むようになったのです。35歳くらいから10年間は自分で言うのもなんですが、一所懸命に仕事をしました。

・人生の設計図を持たないという考えは、もしかすると、父に似たのかもしれません。家が貧しかった父は高等小学校を卒業して14歳で働きにいきました。そして働きながら夜間中学を出ましたが、20歳で徴兵されて戦争に行きました。運よく命を長らえて戻ってきましたが、戦前に働いていた会社はとっくになく、戦後はいろんな仕事を転々としていました。私が生まれたときは、大阪市の水道局の臨時職員でした。

<夢が大きすぎると、夢に食い殺される>

・「人生のレールから外れると、絶望を感じてしまう」のは、もしかすると、夢の持ち方にも問題があるということも考えられます。

「夢を持て」とよくいわれますが、そのことは、私も大いに賛成です。夢がないと生きるエネルギーは生まれません。

・しかし、場合によっては、夢は、「諸刃の剣」にもなります。夢が大きすぎると、その夢に食い殺されることがあるのです。

・そう考えると、私は、夢や目標は適度な大きさにしたほうが良いと思います。

<「責任感が強いから逃げなかった」は言い訳>

・ハードな職場から逃げ出せずに、心身を病んでしまったのは、「仕事に対する責任感が強かったから」という話もよく聞かれます。

「ここで自分が抜けたら、残った人たちに迷惑がかかる」とか、「やりかけた仕事を、途中で投げ出すわけにはいかない」などと考えた結果、心身が壊れるまで、頑張って働いてしまったというわけです。

 日本人はマジメですから、こういうタイプの人は多いのではないかと思います。

・このような「嫌われたくない」という気質は、日本人が強く持っている気質なのだと思います。何年か前に『嫌われる勇気』という本がベストセラーになりましたが、やはり「嫌われたくない」人が多いからでしょう。

<ブラック企業を辞められない理由>

・さまざまな事情があるでしょうから、「ここは責任感を発揮して踏みとどまるべきか、わが身を守るべきか」という判断は難しいものですが、少なくとも、判断すらしようとせず、されるがままになるのは危険なことだといえます。

<Jアラートや防災情報を軽視する日本人>

・どうも現代の日本人は、この「正常性バイアス」が強くなっているような気がします。

 その典型的な例が、Jアラート(全国瞬時警報システム)に対する感覚です。日本人はJアラートが鳴っても「まあ大したことはないだろう」と妙に甘く考えてしまうことが多いように思えます。しかし、本当に命を左右するピンチが訪れたとき、正常性バイアスにどっぷり浸かっていては逃げ延びることはできません。

・日本人は永らく続いた平和のせいで、どうも危機意識が麻痺しているようです。天災、人災はいきなり遭遇するより、事前に情報を得ていたほうが危険度は大きく減少します。本来なら少しでも多く情報が欲しいと思わなくてはならないはずです。

 繰り返して言います。命は一つです。最後の最後まで生き延びる努力をしなければならないのです。

<守るべきものがあれば、逃げられる>

<幸せの絶対基準を持っているか>

・自分の人生にとって、何さえあれば幸せなのか。

 その絶対的基準を持っていると、そこから外れることは二の次でよい、場合によっては逃げてもいいし、捨ててもいいという判断が下せるようになります。

 たとえば、自分にとって幸せの絶対的基準は、「家族の幸せ」であるとします。すると、「この会社の仕事は、家族の幸せを犠牲にしてまで取り組むべきことなのか」「この人間関係は、家族につらい思いを味わわせてまで維持すべきものなのか」といったように、判断の基準ができるようになります。

・この「幸せの絶対的基準」が確立していないと、自分の生き方に対する判断がはっきりと下せません。そういう人は何を基準に生き方を決めるかというと、「相対的な基準」で決めます。つまり、「他人と比べて、給料や家の広さ、社会的地位が勝っているかどうか」で判断してしまうのです。他人よりも恵まれているかどうかが、幸せを感じる基準になっているのですね。

・もちろん、幸せの絶対的基準が、「社会的ステータスを得ること」と確立している人なら、そのような事態に陥っても、選択に悔いはないかもしれません。

・果たして、皆さんは、幸せの絶対的な基準を持っていないと、他人との比較によって、相対的に幸せを測るということになります。そうなると本当に幸せになることは難しくなってしまうのではと思います。

<「逃げの小五郎」>

・「幸せの絶対基準」を持つことで、人は、自分自身の生き方が定まり、迷いがなくなります。すると、人の目を気にすることなく、自分の信じる道を進めるようになります。逃げるべきときには躊躇なく逃げられるようになるのです。

 一人、その見本となる例をあげましょう。桂小五郎、のちの木戸孝允です。

・西郷隆盛、大久保利通とともに「維新三傑」と称されるような人物ですが、歴史ファンからの評価は大きく二分しています。坂本龍馬や高杉晋作などのような勇敢な志士たちと異なり、戦いに参加することなく逃げ出すことで生き延びた男だったとされているからです。彼の渾名はそのものずばり「逃げの小五郎」です。

・たとえば、長州藩兵と幕府側の会津藩兵とが武力衝突した「蛤御門の変」では、藩の京都代表であったにもかかわらず、武装入洛に反対し、長州藩が京を包囲したときも、長州の遠征部隊に加わろうとはしませんでした。そして、幕府側が反撃し、京都の長州屋敷を包囲し、小五郎を捕まえようとしたときには、戦うことなくさまざまな藩邸に身を潜めるなどして逃げ回り、やがて京を離れ、但馬出石城下で荒物屋の店主になって潜伏生活を送りました。

 桂小五郎の逃走のエピソードは他にもたくさんあります。

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