エイリアンのリーダーは自らクアズガと名乗った。小さな爬虫類のエイリアンがまわりにいて、水晶の都市の上に浮かんでいた。ベティは「神の声」を聞いたとも言っている。(1)

(2022/10/9)

『UFO百科事典』

ジョン・スペンサー  原書房 1998/7/1

<アイゼンハワー大統領>

・大統領になってまもないうちのドワイト・アイゼンハワーは、墜落した円盤の回収に興味を示していた。大統領であっても、また元陸軍大将であっても、そうした情報を手に入れるために必要な機密情報の使用許可がないと知って、アイゼンハワーは驚いたと言われている。

 だが結局アイゼンハワーはそうした許可を手に入れたと思われる。ある日なんとか記者団と側近から逃げ出したアイゼンハワーは、エドワーズ空軍基地に行って墜落した円盤と回収されたエイリアンの死体に関して調べたと言われている。

<アシュター>

・全銀河連邦および宇宙友愛連合評議会の高官である異星人。コンタクティーが接触した数人の異星人のうちの一人である。アシュターは人々の社会的意識を高め、この世界があまねく住みやすい場所になるよう、頻繁に助言を繰り返した。

35<アンジェルッチ、オーフェイオ・マシュー>

・ジョージ・アダムスキーが宇宙人とのコンタクトを本に著してたいへんな人気を博すと、それに続いて似たような内容の本が相次いで出版された。1955年に出たそのなかの一冊、オーフェイオ・アンジェルッチ著『円盤の秘密』は、米カリフォルニア州で宇宙人とコンタクトした時のことを書いたものである。

・多くの例と同様、アンジェルッチは何回か宇宙人と会って精神的に啓発され、空飛ぶ円盤に乗せてもらって太陽系をめぐり、さまざまな啓示を受ける。アンジェルッチはカフェやグレイハウンドのバス発着場など、公の場で異星人に会い、また、ある時はキリストと会い彼が宇宙人であることを告げられたという。異星人の故郷である惑星に行った時にアンジェルッチは、リラという魅力的な女性とその夫オリオンに出会った。オリオンの話によると彼――アンジェルッチ――にはかつてネプチューンという宇宙人としての名前があったという。

<アンドレアソン、ベティ>

・1974年、ベティ・アンドレアソンはUFOに拉致された自らの体験を『ナショナル・エンクワイアラー』に投書した。

・ベティ・アンドレアソンは、両親と7人の子供たちとともにマサチューセッツ州アシュバーンハムの自宅にいた。暮れかかる頃、キッチンの窓から光が見えた。ベティの父親は家の外に何かいたと報告しており、ベティは何人かの人間の姿をした者たちが「壁を通り抜けて」入ってくるのを見たと証言している。ベティは催眠術によるまでは他には何も思い出すことができなかった。

・催眠によって驚くべき事実が明らかとなった。ベティとエイリアンのリーダーは本を交換したのである。べティは聖書を与え、エイリアンからは薄い宗教の本をもらったのだが、その後なくしてしまったのだった! エイリアンのリーダーは自らクアズガと名乗った(エイリアンが名乗ったことから、この事件は非常に珍しい例となった)。ベティはUFOへと連れ去られて医学的な検査を施され、鼻に探針を埋め込まれた。また臍から埋め込まれた探針もあるという。

 検査も終盤にさしかかると、ある部屋に連れて来られ、呼吸ができるようにチューブを口に液体の中に入れられた。小さな爬虫類のエイリアンがまわりにいて、水晶の都市の上に浮かんでいた。ベティは「神の声」を聞いたとも言っている。

・この事件は大変複雑であるが、レイモンド・ファウラーは二冊の本『アンドレアソン事件』『アンドレアソン事件第2段階』のなかで、見事にまとめてみせている。ベティの話には特に、誕生と性に関わるイメージを象徴するものが多々あるというのだ。

・アンドレアソン事件は複雑であるため、拉致事件の記録のなかでも重要度においては最大級の出来事である。この件の研究は続けられており、ごく最近、3冊目の『見守るもの』という本が出版されて、より突っ込んだ分析がなされている。

<イセリアス協会>

・科学知識では説明のつかない現象を主に研究する調査機関であるが、一般には研究グループというよりも宗教的なカルトとみなされている。1954年に設立、ロンドンのタクシー運転手のジョージ・キングが宇宙の霊的な存在から、惑星間議会の代弁者になる心づもりをするよう啓示を受けた時に始まる。こうして宇宙の主と地球との間のコミュニケーションをはかるためにイセリアス協会は設立された。キングは「大主教」や「サー」などの多くの称号を持ち(1990年にシェフィールドでの公開の席で「サー」の称号をどこで授けられたかと問われたのに対して、キングの支持者の一人が要点を暈した答弁を行なった「女王よりも権力のある別の権威から授かった」)。キングの偉業の一つは、異星人に宇宙へ連れていってもらい、地球に向かって飛んでくる知性を持った流星を破壊したことである。異星人のUFOは流星を阻止できなかったので、キングが「世界を救うために」必要だったわけである。

・イセリアス協会が行なっていることの中でも一番有名なのが、祈りの力を「バッテリー」に蓄えて充電させ、地球上の問題を抱えている地域に向けて発射し、緊迫した状況や苦難を取り除くことである。筆者が個人的に聞いたところによると、このようなバッテリーのおかげで幸運にも大地震やロシアのポートランド侵略が阻止されたのだという。

(1960年頃、元外交官の故・仁宮武夫によって日本支部が設立されたこともある)

<ヴァンデルカ、ヨーゼフ>

・おそらく最も奇怪な遭遇は1955年9月、オーストリアでヨーゼフ・ヴァンデルカによって報告されたものである。

 彼はオートバイで道を走っている時、よく注意していなかったので、まっすぐUFOに突っ込んで、背の高いエイリアンの腕の中に飛び込んでしまった。ヨゼフが謝ると、エイリアンはドイツ語でカシオペア座からやってきたと言い、オートバイのエンジンがどうやって動くのか彼に説明させた。ヨーゼフは反ナチの話をしたが、飽きられて、UFOから放り出されてしまった。彼らはヨーゼフが世界の平等のための運動を始めるだろうとほのめかした。

<ヴィタル博士夫妻、ジェラルド>

・1968年、南米で目撃が集中していた頃、アルゼンチンの弁護士ジェラルド・ヴィダル博士と彼の妻がチャスコウムスからブエノスアイレス近くのマイブーへ車を走らせていた時、忽然と姿を消した。

 親戚や友人がその地域を探したが、二人の行方はしれなかった。二日後、ヴィダル博士から家族に電話があり、6400キロメートル強も離れたメキシコ・シティのアルゼンチン領事館にいるというのだ!

 二人がチャスコウムスを出発すると、車は道路を横切ってきた濃い霧に包まれたという。次に意識がもどった時、二人は見知らぬ道で停まった車の中にいるのに気がついた。二人ともしばらく眠っていたようで、首に同じような痛みを感じた。ふたりの時計は止まっており、車の表面は明らかに炎で焦げたようになっていた。

 逆行催眠療法や、他の検査を施しても、空白の48時間を解明できず、このケースは謎のまま未解決になっている。

 拉致の一貫としての濃い霧は、世界中のさまざまなケースで報告されている。

<ウィリアムズ、フランク>

・1957年11月2日夜、米テキサス州レヴェランドの116号線で目撃が相次いだ頃。フランク・ウィリアムズはテキサス州ホイットハラル近くの電話ボックスから、巨大なUFOに遭遇して、車が動かなくなったと報告した。UFOが脈動すると、それに合わせるようにウィリアムズの車のヘッドライトも点滅した。彼が車をそのままにしておくと、その物体は上昇して姿を消し、車はまたもとにもどった。これはほぼ同じ時間と場所で、やはりUFOに遭遇したジム・ホイーラーの話ととてもよく似ている。

<ヴィルヴォルデ(ベルギー)のヒューマノイド>

・1973年12月19日、目撃者(匿名)が朝早く台所に行くと、物音が聞こえ、壁に囲まれた狭い庭の方から緑の光が射しているのを見た。

 カーテンの陰からのぞいてみると、庭の隅に背丈が90センチほどで、きらきらしたワンピースのようなスーツを着た、緑に光るヒューマノイドがいた。それはガイガー計数機か電気掃除機のようなもので、庭の隅を掃除しているように見えた。

・この時、目撃者はそれが尖った耳、大きく黄色い卵型の目をしているのに気がついた。さらにこの世のものとは思えず、異様だったのは、それが二本の指をVサインの形にして上に突き出し、向きを変えて裏庭の壁の方へ歩いていったしぐさだ。

 奇妙な方法でそれは壁を上り、乗り越えていった。まるで壁が水平であるかのように、人間が道をふつうに歩く要領で壁を垂直に歩いたのだ。その動きは固く、ぎこちなかった。

 すぐそのあとで、目撃者は壁の向こうから小さな丸い物体が離陸するのを見た。

<ウィルコックス、ゲーリー>

・ロニー・ザモラ巡査によって目撃された注目すべきソロコの着陸事件の前の日、朝10時に農夫のゲーリー・ウィルコックスは畑である物体を目撃した。

・近づいてみて初めて、6メートル強ほど卵型をした物体であることがわかった。

 二つの生き物が彼の前に現われたが、その物体から出てきたのにはまったく気がつかなかった。彼らは1.2メートル強ほどの背丈で、外見は人間の姿をしていた。前にも人間と話したことがあるので心配することはない、自分たちは火星から来たと英語で言った。

 ウィルコックスは化学肥料がほしいと要求されたので、取りに行くと、飛行船は離陸して、たちまち姿を消した。

<エイリアンの概念>

・UFOの説明のなかで最も一般的なものは、地球外あるいは太陽系外の世界から地球にやってきた宇宙船であるとするものである。よって、パイロットは地球にとって異邦人であり、この場合をふつう異星人と呼んでいる。

・アメリカのバイト橋で遭遇したエイリアンは、目撃者の欲する通りの形になることができると言った。アヒルの姿になって欲しいのであればアヒルのようになるし、怪物であれば怪物になる、なんでもお望み次第、というのである。エイリアンにはさまざまな外見があるという問題を説明するのにこれはたいへん有効である。

 さまざまな姿形が報告されていると強調してきたが、米国やヨーロッパのある国々では、一つの「タイプ」のエイリアンが頻繁に報告されている事実を挙げておいた方がよいだろう。それは、こびとのような生き物で、大きな禿げた頭があり、目は傾いて突き出している。

<エヴァンズ=ウェンツ。ウォルター>

・『ケルト諸国の妖精信仰』の著者である。そしてこの著書の中で人間と妖精との交流の伝説を数多く記している。多くのUFO研究者がそうした伝説と現代のUFO遭遇事件、特に拉致事件との共通性を指摘している。おそらくその問題に関して一冊の本も出ていないのは、この比較が示唆に富むものだからだろう。

<エドウィン>

・エドウィンというのは、宇宙生物ヴァルダーと何度も通信したコンタクティーの名前である。もともと双方が出逢ったのは、ヴァルダーがエドウィンの働いていた工場の工場長をしていたからだった。その頃ヴァルダーはジョージと呼ばれており、二人はよく一緒に釣りに行っていた。ヴァルダーは実は自分は異星人なのだということをエドウィンに告白して、その直後に故郷の星に戻っていったようだ。ヴァルダーが南アフリカ、ナタールのリチャーズ湾から空飛ぶ円盤に乗って飛び立つのを、エドウィンは目撃した。

 ヴァルダーは今でもエドウィンに無線でメッセージを送ってきて、今までのやり方を改善しない限り地球は滅亡の危機に直面するだろうと警告している。

<エードル、アーサー>

・物理学者であり天文学者であるアーサー・エードルはこう発言したと言われている。「現代のすべてのUFO現象の背後に隠されている基本的な目的は、反キリストが登場し、世界を悪魔の支配下におくための準備である」

<オネガ湖>

・1961年4月27日、ソ連のエンティノ村近くにあるオネガ湖で、25名のきこりが地面に近づいてくるUFOを見ている。UFOは湖の岸に衝突してかなりの損傷を受け、それから上昇して飛び去った。巨大な楕円形のUFOで、青緑色に輝いていたと言われている。

<オーベルト博士、ヘルマン・ユーリウス>

・ヘルマン・オーベルト博士は世界で最も有名なロケット専門家の一人であり、第ニ次大戦で使用されたV1、V2の生みの親である。

・「きわめてすぐれた知能をもつ者によって作りだされたものである。たぶん太陽系から来た者ではない。おそらく、この銀河系でもないだろう」と述べている。

・「科学のある分野だけを考えても、人類は、これまでの進歩を自分たちの手柄にすることはできない。われわれはずっと助けてもらってきたのだ」と、驚くような告白をした。誰のことを指しているのか説明を迫られると、「別の世界の人たちだ」と答えた。

<オーラ・レインズ>

・コンタクティーであるトルーマン・ベスラムは、米カリフォルニア州の砂漠で空飛ぶ円盤に遭遇した。円盤の指揮官は女の異星人でオーラ・レインズといい、ベスラムによると「容姿端麗、トップクラスの美女」だったという。オーラ・レインズは惑星クラリオンからやってきたらしい。クラリオンは月の陰に隠れて姿を見せることがなく、病も危険もない惑星である。レインズ夫人はおばあさんらしく、地球で詮索されないために完全に人間の姿になっていた。『現象』でコンタクティーの事件を分析したデニス・ステーシーによると、ベスラムは後年、レストランでオレンジ・ジュースを飲んでいるオーラ・レインズと出くわしたが、無視されたという。

<火星>

・いかなるUFO事典にもエイリアンの伝統的な本拠地、火星に対する言及が完備されていると言えるだろう。

・火星の衛星の一つ、ファボスは通常の自然の法則を破るような、独特の軌道をもっている。火星が地軸を中心に回るよりも速く、ファボスは火星の周囲を軌道を描いて回る。このことが他の要因とともに、ファボスは幅16キロ強の空洞の人工宇宙船、あるいは、火星に戻るためまたはどこかへ移住するために待機している火星人を載せている、軌道を描いて回る避難所、という考えを導いたのである。

・火星の赤道には不自然な隆起があるという説があり、そこからさらに想像力を膨らませて、秘密の植民地を覆い隠す人工的なドームがあるとする説もある。

・火星の衛星、ファボスとデイモスは1877年、米国人天文学者、アサフ・ホールによって発見された。ところが、これより150年前に英国の作家、ジョナサン・スウィフトは、火星の二つの衛星発見を題材にした小説を書いていた。150年後に実際に発見された時、この小説は異常なほど正確であることがわかった。

・そして当然のことながら、地球外生物はたびたび、自分たちの本拠地は火星だと主張している。

<カーター大統領、ジミー(ジェイムズ・アール)>

・目撃者の肩書きのせいで最も有名になった目撃報告の一つとして、1969年にジミー・カターが報告したUFOがある。

・カーターはこの目撃を経験したことで、自分が大統領になったあかつきには「この国にあるUFO目撃についての全情報を、一般大衆および科学者に公開するため、最大限の努力をする」という主張をするようになった。彼はこの公約を果たそうと試みてはいたようだが、政府の諸機関における頑固な官僚主義は大統領にとっても障害となるということを思い知らされたらしい。

<カーツ、シェーン>

・1968年の初めの数ヶ月間、シェーン・カーツの住む米ニューヨーク州付近で複数のUFOが目撃された。うちいくつかはシェーン・カーツと彼女の母親が目撃し、報告を提出したものである。

・彼女はどういうわけかUFOの中へ引き入れられた(UFOによる拉致に最も共通して見られる要素は、どうやってUFOに乗ったかという点に関して目撃者に情報がないことである)。連れて行かれたのは病院のような手術用の階段教室で、そこで医学的な検査が行なわれた。なかには何年にもわたって他のアブダクティーが記録してきた手続きが含まれていた。

・多くのアブダクティーは人工授精の目的で利用されたことを記憶しているが、この場合は、エイリアンのリーダーから肉体的に犯されている。彼女はエイリアンをヒューマノイドとして描写したが、エイリアンたちはふつうの人間より概して痩せている。この遭遇に関する最悪の恐怖は、事件から9ヶ月後に終わった。妊娠との関わりが匂わされている。その他の米国のケース、中でもバド・ホプキンズが調査した例が、この謎の解明に役立つかもしれない。暗示されているのは、おそらくもう一度拉致があり、混血のエイリアンの子孫は連れて行かれたということである。

<カリフォルニアーコンタクティーの“本場”>

・これは偶然かもしれないが、コンタクティーの主張の大多数は米国のカリフォルニア州から生まれており、また、コンタクティーだけでなく他の地域で設立されたカルト集団の一部も、長年にわたってこの州に移住しつづけているという事実さえ存在する。

<カルヴァー・シティー(米カリフォルニア州)>

・1952年7月、最も劇的な「母船」の目撃が報告されたのは、カリフォルニア州カルヴァー・シティーだった。

・その物体は2つの小さなUFOを送り出したようで、その小さなUFOはあたりを旋回してから母船に戻った。そして母船は驚異的なスピードで上昇して姿を消した。

<カルト>

・UFO現象に関連のあるカルトは1950年代前半から現われはじめた。そしておそらくそうした集団が流行したピークは1950年代前半だったが、なかには今でも活動している集団もある。一般的に言ってカルトのメンバーが他の熱狂的なUFO愛好家と違っているのは、立証するのではなくただひたすらに信じている点である。一般的にはチャネルが存在する場合がカルトと分類されている。要するにエイリアンとコンタクトできる人間は、カルトの他のメンバーの尊敬の対象となるのだ。当然カルトのリーダーは賞賛の的であり、多くの場合はかなりの富を手にしている。カルトは、ここ30年ほどで各地に急速に発した「ニュー・エイジ」宗教の一形態である。

<甘粛省、中国>

・1985年6月11日、北京発パリ行きのボーイング747の機長が、中国の甘粛省上空でUFOを目撃した。UFOが定期旅客機の航路を驚異的なスピ―ドで横切ったので、機長は緊急着陸を考えたほどだった。この目撃報告の一番の特徴はUFOの大きさである。なんと幅6マイル(10キロ弱)もあったのだ!

<基地(UFOの)>

・UFO調査が始まって40年以上たつが、UFOが地球上か地球に近い宇宙の基地から発進しているという主張が下火になることはなかった。多くの人々が月の基地から発進していると推測しているが、エイリアンはもっと身近にいるという考え方もある。

 一説によると極地に大穴があり、UFOは地球の内側から出てきているのだという。

 別の説では、ヒトラーのナチスは南極大陸の秘密の基地に逃げ込み、そこで第ニ次世界大戦以来武器を開発しており、それらの目撃例が現代のUFOの話に結びついているのだと言われている。

・他の場所としてはバミューダ・トライアングルの中や、さまざまな砂漠やジャングル、そして南ウェールズでの多数の報告により、ウェールズの海岸沖の岩だらけの島が挙げられる。

<キーチ夫人、マリアン>

・マリアン・キーチ夫人はコンタクティーで、ガーディアンとして知られる宇宙生命体からメッセージを受け取った。

・ガーディアンは例えば彼方の世界の生命といった概念について彼女に説明した。ガーディアンの「兄たち」の一人がキーチ夫人の個人的な保護者で、コンタクトの相手であった。

 キーチ夫人を取り巻くセクトが生まれ、彼女をチャネルとして受け取ったメッセージに従った。

 ガーディアンの成功の伝説的なディティールは、厳密に正しいと証明されないものも、おそらく重要な価値があると考えられている。例えばある時など、このグループは空飛ぶ円盤が軍の基地に着陸すると予言して、その場所にこれを見に行った。彼らのところに一人の不気味な男が近づいてきて、不気味な感じを与えて突然姿を消したというが、誰も彼が出て行くのを見ていない。

 案の定、このグループは宗教団体的性格をおび、社会から孤立するようになった。

 <逆行催眠>

・逆行催眠とは、多くのUFO研究家によって使用されるテクニックであり、事件についてさらに情報を引き出すために、あるいはトラウマもしくは地球外生物の故意の妨害によってブロックされている記憶を開放するために、遭遇した時の心の状態に戻すことを指す。

<空軍通達200-2(米国軍規)>

・1953年1月に開かれたロバートソン査問会の会合から数ヶ月で、米国空軍軍規200-2は施行された。これは「未確認の比率を最低限度まで減らさなければならない」と規定したものである。200-2は軍規JANAP146と連動しており、軍人が未確認の情報を漏らした場合、1万ドルの罰金と10年の禁固刑が科せられる。

 空軍がこのような罰則を設けているからには、UFOの報告を受けているのは公にされているプロジェクト・ブルー・ブックだけではなく、一般人の手の届かないところに別な組織があることをほのめかすものであろう。

<クック、ジェイムズ>

・1957年9月、ジェイムズ・クックは異星人からのメッセージを受け、英チェシャー州のランコーンの丘の上で宇宙人と会うよう命じられたようだ。言われた通りにするとクックは空飛ぶ円盤に乗せられ、異星人の惑星ゾンディックに連れて行かれた。

 そしてクックは、おそらく原子爆弾の開発と生態系を破壊したことが原因だと思われるが、人類が自然界のバランスを破壊したことを警告され、その後地球に返された。

 この出来事から何年ものあいだ、クックは宇宙人とテレパシーで連絡をとっていたようだ。そして急に教会に行くようになり、その後姿を消した。

<クック中佐、チャールズ>

・チャールズ・クック中佐は米空軍においてUFOに関する指折りの権威だった。第ニ次世界大戦中から戦後にかけて、空軍の士官から提出される大量の報告書を分析していたのはクック中佐だった。

 1966年8月7日に論文を発表した時は、UFOは惑星間の生物のものであり、もみ消し工作を中止するような空軍にかなりのプレッシャーになっているという説を強く支持した。

<クラーク、エヴェリット>

・1957年11月6日の早朝、米テネシー州ダンティに住んでいた少年エヴェリット・クラークは犬の散歩をしていた。家に戻ると、90メートル強ほど離れた畑のそばに物体が見えた。その物体の横には2人の男性と2人の女性がいて、目撃者の証言によると4人は物体の硬い壁を通り抜けて中へ入っていった。そしてその物体は音もなく飛び去って行った。

<クラリオン(惑星)>

・惑星クラリオンはトルーマン・ベスラムがコンタクトした、異星人たちとその女性機長オーラ・レインズの故郷である。この惑星は月の向こう側に隠れているので地球からは見えないそうだ。このことがコンタクティーに説明された時は、人類はまだ宇宙に飛んでいなかったのでその意見に反証することは不可能であったし、当時は宇宙飛行など現実に不可能に思えた。だがその後宇宙飛行が実現しても、なぜか不思議なことにこの惑星を発見することはできない。クラリオンには病気も政治も徴税もないようだから残念なことである。

 惑星クラリオンはマリアン・キーチ夫人のコンタクト報告にも登場するが、これはまた別の惑星クラリオンのようだ。

<クレアラー、エリザベス・マージェリー>

・エリザベス・クレアラーが最初の近接遭遇を経験したのは1954年12月27日だったが、彼女はそれに先立って二度、UFOと関わっていた。

・1954年12月27日の朝、午前10時、エリザベス・クレアラーは、作男たちが騒いでいるので、南アフリカのドラケンスバーグ山脈の丘陵地帯ににある農家から表に出た。エリザベスが1917年に目撃した丘まで走っていくと、上空の雲の中に明るい閃光が見えた。巨大な皿の形をした、幅が約15メートル強ある飛行物体が彼女に向かって降下してきた。

 物体は地面から約3メートル半ほどのところで止まり、近くを行ったり来たりした。彼女は恐ろしかったが、逃げだしたい気持ちを抑えた。宇宙船の全容は平たく、低位置で回転していた。三つの窓が彼女に向けられ、その一つからヒューマノイドが覗いているのが見えた。それは彼女を平然と見つめていたが、彼女の方は相手のハンサムな顔立ちに惹かれた。対話は何もなく、飛行物体は飛び立っていった。

・1956年4月、エリザベスは無性に農場へ、そし「空飛ぶ円盤の丘」へ帰りたくなった。彼女が丘に着くと、まるで待ち受けていたかのように、宇宙船が天辺に停まっていた、今度はヒューマノイドは表に出ていた。彼は背が高く、深くしわの刻まれた顔をしており、目は澄んだグレイ、頬骨が突き出て、髪の毛は白かった。服装は上下続きの揃いでクリーム色だった。

・彼はエリザベスの手をとると「今度は怖くないのかい?」と言い、彼女は信頼できると感じた。エリザベスが連れられるまま円盤に乗り込むと、円盤が離陸したので、1600キロ強上空から地球を眺めることができた。円盤はエリザベスを母船まで運んだ。母船には、エイコンに似たヒューマノイドが大勢いた。エイコンは彼女のコンタクトの名前である。彼女は、エイリアンの故郷であるメトンという惑星の写真も見せられた。そこの人々はベジタリアンであるらしく、政治もお金も、議論も戦争も病気もない。銀河系のどこにでも旅することができるが、銀河間を移動することはできない。

 エイコンが人間に接触した主な理由は、受精実験のためにエリザベスをリクルートすることだったが、彼のアプローチには愛情と哀れみがこもっており、こうしたコンタクトのほとんどにつきものの、臨床的あるいは攻撃的なアプローチとは違っていた。このケースでは、エリザベスはエイコンと恋に落ち、彼の子を身ごもって、妊娠の最期の4ヶ月――息子の誕生を含む――をエイコンの生まれた惑星で過ごした。子供は今は父親と一緒にその惑星に住んでいる。

 エリザベス・クレアラーは自分の物語を『光速の彼方』という本に書いている。

<ケルト伝説>

・ヨーロッパ、特にスコットランド、アイルランド、ウェールズ、イングランドの一部、フランス北部のブリタニーなどのケルト文化の国々の妖精信仰の中には、示唆に富んだ物語がたくさんある。そしてその中には、UFOによる拉致と非常によく似た、驚くべき拉致の物語が存在するのだ。これらの物語の多くにおいて、妖精による拉致の被害者は、かなり長い時間の記憶を失い、連れて行かれた妖精の世界で奇妙に歪んだ現実を経験する。また、人間でない何者かが自分たちの子供を人間の子供とすりかえるという「取り替え子(チェンジリング)」の要素も含まれており、これは現代の最新のUFOによる拉致事件の中で見られるようになってきている。

<黒衣の男たち(MIB)>

・「黒衣の男たち」は、北米での初期のUFO話に見られる、奇妙な現象である。彼らは二人組あるいは三人組で現われ、いつもダークスーツで決めており、いかにもFBIの諜報員といったいでたちをしている。その正体はUFOの話を隠蔽するための政府の職員だという声もある。

・もっと面白い説になると、「黒衣の男たち」自身がエイリアンで、自分たちの秘密活動を続行するために目撃者の証言を封じてまわっているというものがある。そうした主張では、「黒衣の男たち」は異様なメイキャップを施し、あたかも地球上の性別間の相違をあまり歓迎していないとでもいうように、男性が口紅を塗っていることがよくあるそうだ。

<コリンズ、ポール・T>

・1942年2月、日本が真珠湾のハワイ基地を攻撃した少しあと、米国本土のカリフォルニア州、特にロサンジェルス市付近の上空を飛んでいる正体不明の飛行機が目撃されている。

 ポール・T・コリンズはその代表的な目撃者で、「奇妙なそぶり」で動く光を見たと報告した。巨大なUFOを多くの目撃者が見たという報告もある。

<シャーマー巡査、ハーバート>

・米ネブラスカ州アシュランドのハーバート・シャーマー巡査は、1967年12月3日に前代未聞ともいえるUFOとの近接遭遇を経験し、そのためのちに警察官を辞職せざるを得なくなった。

・UFOの生命体たちは、ジッパーや縫い目のないひとつづきのシルバーグレイのツナギ姿で、腰に武器を入れたベルトをしていた。興味深いことにシャーマーは、彼らの吐く息が「寒さで白かった」のが見えたことから、生命体はわれわれ地球の大気を呼吸していたと断定することができたのだった。またシャーマーは、UFOは地球上の、バミューダ・トライアングル、アルゼンチン沿岸沖の海底、そして米国内数ヶ所に基地を持っていると教えられた。

<シャーマニズム>

・シャーマンとして知られる部族文化の「呪医(メディシン・マン)」は、その知識の取得の過程で、アブダクティーとよく似た体験をする。

 シャーマンの体験の始まりはまず初めに光が彼らの頭の中まで届き、第二の視野が得られるようになるとよく言われる。拉致の証言も光に関することが多い。光に貫かれて空飛ぶ円盤へとさらわれた。円盤からまばゆい光が発していた、円盤の内部に奇妙な光が見え、それは特に光源があるわけではなく、円盤そのものが光っているように見えたなど。

 多くのアブダクティーが宇宙に連れていかれて、上空から地球を見たように、シャーマンもまた同じような旅をしている。高みから地球を

見下ろすと、何も遮るものもなく、シャーマンにはすべての大地、あらゆる人間の魂がみえるという。これが彼が得た知識のすべてである。

<集合的無意識>

・ユングは人間の心の中には今まで育まれてきたUFOに対する共通の認識があると推論し、その認識を元型と定義している。そしてUFOの場合は、元型は同一の丸いシンボルだと言っている。

<ジュリアーナ・エレーン>

・1976年6月、エレーン・ジュリアーナはある晩遅くに映画を観たあとに車で家に向かっていた。フランスのロマンで橋を渡ろうとした時だった。空には巨大なオレンジ色の光が見えるのに気づいたが、すぐに消えたのでそのまま運転を続けた。

 家に着いた時になって、知らないうちにかなりの時間がたっていることに気づいた。その後の逆行催眠によって、小さな生命体に拉致され、テーブルに結びつけられ、腹部のあたりを検査されたことが明らかになった。米国以外の国では拉致報告はほとんど報告されていないのだが、失われた時間や目撃報告によく見受けられる症状などの「古典的な」詳細が、逆行催眠によって明らかになった珍しい事件だった。

<情報公開法(FOIA)>

・米国の情報公開法が制定されたのは1974年7月4日で、それ以来多くのUFO研究家や研究団体に利用されている。特にCAUS(UFO秘密制作に反対する市民の会)は従来米政府機関によって機密とされていた文書を大量に公開させている。

 しかし国家安全保障に関わる問題は、情報公開法に基づいて要求しても公開は差し控えられている。だがそもそも検閲制度は国家の安全という目的のためにあるはずだが、その時にはほとんどの検閲の対象となっていたUFO事件に関係ある文書の多くは公開されているという事実もある。

<スヴェーデンボリ、エマニュエル(1688-1772)>

・スウェーデンの哲学者、神学者、神秘化のエマニュエル・スヴェーデンボリ(スウェデンボルグ)は、18世紀初頭にまるで自分がコンタクティーであるかのように、太陽系のさまざまな惑星の住人の生活を事細かに描いた。水星人をその魂が太陽系を超えて他へいってしまう放浪者とし、木星人は子供たちの教育者で、優しく心暖まる人々、土星人は非常に謙虚という具合に、金星人は二つのタイプに分けられ、一つは穏やかで人間的、もう一つは野蛮で残忍だとしている。月の住人は7歳の子供ほどの小さい人たちだという。

 スヴェーデンボリは続けて、広大な宇宙には別の太陽系、別の地球があると付け加えている。

<W・A、1896年、火星人の手紙>

・1896年11月24日、地元紙『サクラメント・ビー』は、W・Aとだけ知られる火星人の手紙を公開した。これは飛行船の襲来が世間に知られる必要があることを語っている。

「火星の支配者は確かにもっと若く、大きな世界を探検するために電気飛行船を送ってきた。飛行船は軽く、強い構造になっており、電気系統の装置も完璧である。アルミニウムとガラスも私たちと同じダイヤモンド構造という化学プロセスによって強化されていて、これは彼らの完璧な飛行船の主な材料となっている。遠くでこの飛行船を見ると、飛行船自体から発生する電流の作用によって火の玉のように見える。火星人の飛行船のスピ―ドはものすごく速く、平均秒速1600キロ強という速度を出すことができる。火星人の発明をもってすれば、宇宙はほとんど破壊されてしまう。この飛行船は進路に順応できるので、いつでもある特定の緯度で静止して地球の自転を待つことができる。つまり行きたい特定の地域の方から近づいてきてくれるので航海術の必要もないというわけだ」

 著者は「私たちの」火星人の宇宙船と言っているので、その惑星からやってきたものだと決めこんでいるのだ。

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