エイリアンのリーダーは自らクアズガと名乗った。小さな爬虫類のエイリアンがまわりにいて、水晶の都市の上に浮かんでいた。ベティは「神の声」を聞いたとも言っている。(2)
< タマロアの停電(米イリノイ州)>
・米国で最初に報告されたUFOによって引き起こされた停電は、1957年11月14日、イリノイ州タマロアで起ったものである。6.4キロほどの地域が10分にわたって真っ黒になり、その間、町の上空にUFOがいたと目撃者は証言している。8年後の、北東部大停電は最も大規模なものの一つである。
これ以降にも停電は数多く起こっているのに、どうしてこういったことが起こるのか、意図的なものかどうか、何かの副産物なのか、誰もはっきりと説明できない。
<地球空洞仮説>
・UFOの起源に関する仮説の中には、UFOは地球内にあって、北極と南極の大穴から行動圏へ出入りしているとするばかばかしい説がある。この奇想天外な考えの少なくとも一部は、米国の人工衛星が撮影した北極の写真に原因がある。写真のちょうど中央には、大きな黒い円が鮮明に写っていたのだ。
<チドロー将軍、ベンジャミン>
・1950年代前半、元米防空司令部司令官ベンジャミン・チドロー将軍が「空飛ぶ円盤に関する報告書は数多く存在する。円盤を迎撃しようとした人間や飛行機の多くが行方不明になっていることを考えると、この問題は真剣に受け止めなくてはいけない」と発言したと記録されている。
<ディ・サルヴァトーレ、アティーロ>
・1978年7月イタリアのエトナ山の近く。
・彼らは現場に駆け寄り、地面に約40フィート(12メートル強)の円盤形の物体があるのを目撃した。物体には赤や青に光るドームがあった。
なかには6人の背の高い搭乗者がおり、人間に似ていて美しかったと報告されている。2人の搭乗者が近づいてくると体が麻痺したが、特にコンタクトはなかったようだ。
<停電>
・UFOは全国的な高圧送電線網の故障を引き起こすことが可能なはずだと言われているが、これはUFOの目的というよりも単なる副次的作用にすぎないということは、指摘しておくべきかと思われる。
<寺内謙寿機長>
・1986年11月、アラスカ上空を飛んでいた日本航空の寺内謙寿機長の報告は少なくとも大きさに関して、驚くべきものであった。アンカレッジ空港への最終着陸準備に入っていた時、寺内氏と貨物輸送のフライト乗務員は、彼らのボーイング747ジャンボジェット機に光がついてくるのに気がついた。
寺内はすぐにその物体の影の大きさから、円盤型だが、やや球体で、少なくともその大きさは航空母艦の2倍はあると見積もった。
レーダーで追い、パイロットは飛行制御で旋回して、物体を回避した。この物体は30分以上ものあいだ、同じペースを保ちそれから姿を消した。
<電磁効果(EM効果)>
・UFOとの近接遭遇の報告の多くは、電気機械が電磁効果を強く受けていると指摘している。一番多い例は車への影響で、UFOが「近くを飛ぶ」とたいていは動かなくなり、UFOがその地域を離れるまでエンジンはかからない。
・電磁効果は、指令を受けたUFOによる意図的な攻撃ではなく、一種のUFOのエネルギー源の現われではないかと考えられている。だからUFOが実は自然界の物であるなら、人類がまだ理解できない未知の強力な自然現象があるということになる。またUFOが実際には地球外生物の宇宙船であるなら、動力システムの余波の一種である可能性がある。
<ナカムラ・トシオ>
・1974年6月、ナカムラ・トシオ二等空佐とクボタ・シロウ三等空佐が、ソ連の爆撃機を阻止するためだと聞いていた任務でF-4EJファントム機を操縦していた。離陸すると、実は目視とレーダーによって確認された明るい色のUFOに関する報告を調査するために送り出されたことを知らされた。
二人は、高度3万フィート(9000メートル強)で赤い円盤状の物体に遭遇した。クボタ三等空佐は一目見ただけで「知的な存在によって作られ、飛ばされたものだ」と感じている。
UFOは二人に気づいたらしく、飛行機の周囲で威嚇し、ナカムラはやむなく激しい降下や旋回を行なった。その後、惨劇が起こった。UFOに体当たりされて、ジェット機は破壊されたのだ。ナカムラもクボタも脱出したが、不幸にもナカムラの方はパラシュートに火がついてしまい、落下して死亡した。
(この事件は米国の雑誌に載った話で、日本での調査では確認できなかった)
<南極基地>
・ナチスは南極に秘密基地を準備して、空飛ぶ円盤を開発、今日のUFOはこの研究の成果であるという噂がある。実際のところこの説は思慮を欠き、確証のあるものだとはいえない。
<バミューダ・トライアングルとUFO>
・バミューダ・トライアングルとは、長年にわたって何百もの船や飛行機が謎の消失を遂げているフロリダ海岸沖合の地帯を、俗に呼ぶ名前である。
・バミューダ・トライアングルの研究者は、しばしば消失の説明としてUFOの介入を持ち出すことがある。
・バミューダ・トライアングルとUFOが結びつけられたのは、両方とも常識からかけ離れたミステリーであり、大衆の間ではミステリーはお互いに密接な関係にあると信じられているからであろう。
<メンジャー、ハワード>
・米ニューヨーク州ブルックリンのハワード・メンジャーは、1950年代の米国における有名なコンタクティーの一人である。
・メンジャーは1932年、兄のアルトンと一緒にニュージャージー州で初めて空飛ぶ円盤を見たそうである。彼は家の近くの林の空き地で、透明なスキーウェアに身を包んで、愛を発散している長髪の美しい女性に出会い、肉体的な魅力を感じた。
それから10年後、陸軍に入隊した時も、米国南部の砂漠で円盤を目撃している。ある時には、ブロンドの長髪の日に灼けた男性に出会い、一緒に来るように求められたという。メンジャーは断ったが、あとでその男が宇宙人だったのだと気がついた。
メンジャーのコンタクトによると、宇宙人はアステカ文明やそれ以前の地球の文明の発展に関係があるらしい。
<モスクワ(ロシア)、1961年の目撃>
・有名なモスクワ空中防衛網の構築中、巨大なUFO「母船」とそれに続く「巣立ちする」UFOから成る艦隊の報告があった。砲台の指揮官は、UFOに向けてミサイルの一斉射撃を命じたが、全部、物体のかなり手前で爆発してしまった。二度目の攻撃も同様に終わった。
三度目のミサイル攻撃が命じられたが、結局は発射されなかった。基地の電気系統が、突然すべて止まってしまったのだ。
<モスマン(蛾男)>
・1960年代、特に米国のウェストヴァージニア州では、モスマンに関する報告が数多くなされた。さまざまな人が、頭がないとか、赤く輝く眼をもつといった、異様な外見の生命体を見たと主張している。小さな飛行機ほどもある大きさのものに脅かされたという目撃者もいる。
・英国でも、モスマン・タイプの目撃例がある。1963年11月16日に、人気のない恋人たちの小道でいちゃついていたカップルが、足に水掻きがあり、コウモリノのような翼の生えた、顔のないグロテスクな黒い生き物に乱暴に邪魔された。二人はすぐにその場を立ち去ったので、それ以上の情報は得られていない。
<夢とUFO>
・夢の映像とUFO証言との関係に関しては多くの意見がある。一つの結論としては、UFOによる拉致や接近した風変わりな目撃を信じているような場合は、実際には彼ら自身のただの夢である場合が多い。この結論によると、起きているあいだでも一瞬夢を見ている状態、いわゆる「白昼夢」の状態になっていると思われる。
<夢の喪失(断夢)>
・夢の喪失とは、眠れても夢を見ることがなくなったことをいう。
<妖精と民話の登場人物>
・ケルト民族に伝わっている妖精などの存在と拉致事件の報告との類似性はかねてから指摘されている。
。特に、奇妙な食べ物や失われた時間などの要素も含む、妖精の世界へと連れ去られた話は、すべてUFOによる拉致事件との共通性が見受けられる。
この共通性の原因の一つに、それぞれの時代の言葉で同じ出来事を表現しているという可能性が考えられる。要するに過去においては地球外生物だと思われる存在のことを妖精と表現していたか、反対に現代においては実は妖精のことを地球外生物と表現しているのかもしれないということだ。
<ヨハニス教授、ラプッツィ・ルイージ>
・1947年8月、イタリアの画家、ラプッツィ・ヨハニスは、イタリアとユーゴスラヴィアの間の山地を歩いていた。すると前方に、幅約9メートル強の輝く赤い円盤状の物体が見え、その側には小人のような何者かが二人立っていた。その小人たちは、背は低いが頭は大きく、顔は緑色で、魚に似ていた。この印象は、両目のまわりを囲む輪によって強められていた。
そのうちの一人が、ヨハニスに向かって一筋の電気を放射して攻撃したようで、彼は麻痺とまではいかないまでも身体に力が入らなくなった。この後、小人たちは彼のことを無視した様子でそこを去っていった。
<頼経将軍>
・1235年9月24日、日本の将軍、頼経は軍勢とともに陣を張っている時、異常現象を目撃した。LITS(上空の発光体)が夜から朝にかけて、揺れ動き、回ったり円を描いたりするのが見られた。
頼経に仕える天文方が参上してこの現象について説明したというが、これはおそらくUFOに関する最初の報告であろう。その説明は、「将軍、なにも不思議なことではありません。風で星が揺れたのでしょう」というものだった。
(鎌倉幕府第四代将軍九条頼経=藤原頼経のこと)
<ラエリアン・ムーヴメント>
・ラエリアン・ムーブメントにはさまざまな目的があるが、地球外生命体が人類の発展に対して好意的に協力してくれるよう、地球の政治的紛争とは関わりのない大使館を地球上に設立することが、主な狙いである。
この運動は、1973年12月13日にクレルモン・フェランで起った事件が発端となっている。クロード・ヴォリロンが山中を運転していると、近くでUFOが上昇していった。UFOは幅約6メートル強で、上部がドーム状になっており、下側に赤い光が、上側にまばゆい白い光が見えた。
停止飛行中、生命体が出てきた。身長90センチ強で長い黒髪に鬚をたくわえ、緑のツナギを着ていた。
生命体はヴォリロンにフランス語で話しかけ、自分の種族が彼をしばらく前から観察していたことを伝えた。さらに、自分たちのメッセージを人類に流布するための密使としてヴォリロンを選んだと付け加えた。
・(ヴォリロンが異星人からもらったという名前「ラエル」にちなむ名称。時々“フリー・セックス宗教”としてマスコミで話題になることがある)
<ラシェルウィルツ>
・ラシェルウィルツ公は、紀元前16世紀頃のトトメス3世時代のエジプト王朝について書かれた第18王朝の文書を翻訳したところ、次のようなUFOに関するはっきりとしない記述があった。「22年、冬の第3の月、1日の第6番目の時刻………火の球が空からやって来るという発見あり。何日かすると、火の球はおびただしい数となる。その輝きは太陽よりも激しく、天を支える4つの要素の限界まで広がっていった………夕食後、火の球は上昇し、南の空へ飛んでいった………」
<ラス・パルデナス・レイアーレス(スペイン)>
・1975年1月、サラゴサ空軍基地郊外ラス・パルデナス・レイアーレスの爆撃練習区域で、2つのUFOが宙を舞っておりやがて着陸したという軍関係者による報告があった。目撃したのは午後の遅い時間で、およそ30分ほどであったという。白とオレンジ色の光を発し、うち一つはトラックほどの大きさであった。UFOは地上間近をゆっくりと進むと、突然加速し、飛び去っていった。
<拉致
・拉致されたという多数の証言によって、現代のUFO事件は複雑さを増した。拉致事件は、夜、寂しい道で車を走らせている場合に起こることが多く、ある程度孤立した状況下でUFOに捕まり、車外へ連れ出されると円盤に乗せられて、身体を調べられたり尋問されたりするというのが典型的な例である。最近の報告は、こうした拉致事件がどのような状況下でも起こりえることを物語っている。
寝室から連れ出される――こうしたケースでは、家の壁を通り抜けて連れ出される――こともあれば、昼日中に高層ビル街で拉致されることさえあるという。ある女性の事例は、パーティーの最中に拉致されたもので、まわりにはたくさんの人々がいたのだが、邪魔されないようにだれもが「スイッチを切られた」あるいは「その場に凍り付いてしまった」かのようであったという。
数時間もすると、車の中や家などに戻され、たいていは何が起こったのか思い出せないように記憶が消されてしまっているという。もちろん、目にした出来事によって精神的外傷を受け、記憶が失われたとも考えられる。記憶の途絶は逆行催眠によって思い起こすことができるといわれており、このようにして真実は研究者の知るところとなるのである。
・ホプキンズが長期にわたって見てきた証言者――キャシー・デーヴィス――は、1990年、わたしのインタヴューに答えて次のように語った。ホプキンズがいなければおそらく自殺していたでしょう。体験した事実を一人で処理することはたいへん難しいことです。
<ラボックライト>
・V字形の発光体のパターンは、米テキサス州ラボック周辺で頻繁に目撃されているが、具体的な解釈は与えられていない。自然現象ととらえる他に、鳥の群れに下から光が当たったとする説、空飛ぶ円盤の編隊とする説も必然的に出ている。
1951年8月に撮影された写真は、世界中に知れ渡り、あらゆる可能性をもつ証拠として引き合いに出されている。
米国人同僚の話によると、観光客誘致の一環として、ラボックの町は「UFO見学ツアー」を始めたらしい。
<ラーマーヤナ>
・インドの写本ラーマーヤナには、現在ではわれわれがUFOと呼んでいるものとシータという名の少女との遭遇を描いた話がある。
見知らぬ林の住人は恐ろしくも恥ずかしい行ないを見た。
強力な武器を持つラークシャサ(ヒンドゥー教の鬼の神)が貧しくかよわい女を抱き上げた。
速さの翼を持ち、ロバにくびきをかけた天界の車に女を乗せた。車は黄金に光り輝き、インドラ(ヴェーダの雨と雷の神)の神馬のように速く…………そして天界の車は駆け昇り、丘を越え、木の生い茂る谷を越えていった。
世界中で書かれた古代の本には、当時存在した実物のUFOか、少なくとも「目撃者」の心のなかのUFO像を表わしているような、示唆に富んだ話が多くみられるが、これはその一例である。
<レティクル座ゼータⅠ・Ⅱ星>
・ヒル夫妻の遭遇事件の際、ベティは彼女を拉致した空飛ぶ円盤の機長から星図を見せられたことを覚えていた。アメリカでは星図についてさまざまな人々に報告されており、マージュリー・フィッシュは、この星図の中に含まれる星になぞらえたものを作り直した。ヒル夫妻を拉致したエイリアンは、北米大陸で何度も報告されているエイリアンと特に似ているといわれており、レティクル座ゼータⅠ・Ⅱ両星周辺の惑星から来たらしいことが、これを基に推測された。
・レティクル座ゼータ星系は、太陽から約30光年のところにある。
<レーリヒ、ニコラス(1874-1947)>
・1925年、ニコラス・レーリヒはインド、チベット、中国を回った旅の日記を出版した。そのなかで、同年8月に見たものについて「大きくて、太陽の光できらきらしている巨大な楕円のようなものが、ものすごいスピ―ドで北から南へと飛んでいた。その物体は私たちのキャンプを横切ると進路を変え、南ではなく南西へと向かいだした。私たちは、濃い青空のなかでその物体が消えてしまう様子を目にした。双眼鏡を取り出して、かなりはっきりと見る時間さえあった。物体の形は楕円で表面には光沢があり、片側は太陽で光り輝いていた」と語っている。
<すべてをこの一冊に!>
・言うまでもなく本書は、日本最初のUFO百科事典である。
<ジョン・スペンサー>
・世界に名だたる英国UFO研究協会(BUFORA)の会長であり、UFO研究国際委員会(ICUR)の幹事にして、世界最大のUFO研究ネットワークである相互UFOネットワーク(MUFON)の専門研究員でもある。
『オメガ・プロジェクト』
(ケネス・リング)(春秋社)1997/9/1
<変性意識状態>
・誰もが、あんな気持ちを味わえるなら、あれは、この世の楽園だと思う・・・。まるで、この惑星から霊的に何万光年も離れた異次元の世界にいるかのようだった。だからここに戻ってからは、まるで異星人のような気がするのだ。
・臨死体験とUFO誘拐の世界は確かに色々と違っているが、結局のところ別の宇宙ではなく、同じ宇宙の一部ではないか?臨死体験とUFO体験を持つ人が<変性意識状態>にとりわけ陥りやすく、その結果として、非日常的現実と呼ばれるものに接触しやすいのではないかという疑問もある。
<臨死体験やUFO遭遇のような異常遭遇の真の意味が人類の進化と関係しているのかもしれないという見方>
・UFO体験があちこちでさかんに起きるのは「種」としての規模で意識の進化を促進しようと言う人知を超えた大きな計画の一部であると思う。
・私達は、すでに新時代の入り口に来ている。
・進化の推進力はすでに働いており、人類全体がより深い自己認識とより高い霊性をそなえた種へと変貌を遂げようとしている。
・人類は地球外生命体によって生物学的実験の実験台にされている可能性があると思う。
・この先、異星生物が人間社会への支配力をますます強めていくと思う。
<オズの国を目指して>
・最近出版された事実に基づいた著作でグロッソ流の解釈がそのままあてはまるものといえば、レイモンド・E・ファウラーの『見守る者』(The Watchers)だろう。主としてベティ・アンドレアソン・ルーカの連続誘拐事件と彼女のこの世のものならぬ体験とを記した本である。
・現に異星人たちはベティに尋ねられて、自分たちが太古からのまた本当の地球の守り手だと告げている。
・自分たちは自然と自然がとる形態との管理人だと彼は言いました。地球を『見守る者』だと。彼らは、人間を愛しています。惑星地球を愛し、そして地球と人間とを、人間が誕生したとき以来ずっと世話しているのです・・・。それなのに、人間は自然を著しく破壊しています。
・誘拐者はくり返し彼女に自分たちは生命が地球上でとる形態を管理する者だと告げる。そして男や女を誘拐するのには理由がある。環境が人体に与える影響を監視し、人間と言う形態を再生させたいからだと主張する。おそらく最後通告として、地球の自然とバランスが危うくなっていることを強調する。
(2019/3/30)
『日本UFO研究史』
UFO問題の検証と究明、情報公開
天宮清 ナチュラルスピリット 2019/1/20
• 日本最古参のUFO研究家で、元CBA(宇宙友好協会)会員が、
60年以上に及ぶ空飛ぶ円盤・宇宙人研究の成果を集大成!
生涯をかけて追ったUFOや宇宙人の正体を明かす!
<松村雄亮(まつむら・ゆうすけ)自らがコンタクトし、「緊急事態」を告げられる>
・1959年7月10日、松村雄亮は東京における打ち合わせを済ませ、午後11時半頃、横浜桜木町に着いた。車を拾おうと思ったが、なかなか来ないので、人通りの少ない道を野毛の方へ歩いて行った。
「日の出町の交差点を左折し、しばらく行くと行く手の交差点から1台の車が曲って来て、その前照灯で3人の女性がこちらに向かって歩いてくるのに気づいた。すれ違う時に見るともなく見ると一番左にいた女性が微笑みかけたように思われた、10メートルほど行き過ぎてから何となく気になってふり返ってみると、すでに3人の姿はかき消すごとくにそこにはいなかった。そして上空には、フットボール大の大きな円盤が横浜松竹の屋根をすれすれにかすめるごとく右から、左へゆっくりと街路を横切ったではないか。全身が凍りつく思いであった。では今の女性は宇宙人だったのだろうか。まさか!すぐ後を追った。そこはビル街で横へそれる道はない。1分とたたぬ間の出来事である。しかし彼女らの姿はない」
・まず最初は1959年1月16日午前10時ごろ、松村宅上空でゆっくり旋回する「スカウト・シップとおぼしき円盤」を撮影した事件である。当時まだ松村は、アダムスキーなどのコンタクト・ストーリーを信用していなかった。したがって、当然この円盤写真は幸運な偶然によって撮影されたものと考えていたという。しかしそのあと、同誌(『宇宙友好協会の歩み』)では「今から考えれば宇宙人が意識的に文字通りスカウトに来ていたものと思われる」という記述が続く。
・その後、家族と共に目撃すること数10回、1958年7月28日には再び自宅の庭で「スカウト・シップ」をカメラで撮影したという。そして最初のテレパシーらしきものを受信して以後は、相次いで不思議な出来事が起ったという。
<宇宙人の女性・男性と会見する>
・1959年7月17日、松村雄亮は東京における打ち合わせの後、夕方7時頃に横浜桜木町駅に着いた。駅前から市電に乗ろうとして、雨の中を停留所に向かう途中、7月10日の夜、謎の微笑を残して消えた女性と再会する。茫然と立ちつくす松村に対し、彼女は誘導するごとく先に歩き出した。2人は野毛の喫茶店で相対して座った。
年の頃は21、2才であろうか、ワンピースの上に首から下げた直径5センチメートルほどの装飾品が絶えず七色に光り輝いていた。
ここで彼女は、自分は最近日本へ配属された宇宙人であること、現在横浜に3人、東京に4人の宇宙人が来ていること、キャップは東京にいること等を打ち明け、あなたは東京のキャップに会うようになるだろうと言った。この時2人はコーヒーを注文したが、彼女はコーヒーに入れるべきミルクをコップの水に注いで飲み、コーヒーには手をつけなかった」
・何か証拠が欲しいと思った松村は、目の前の美しい「宇宙人」に「今日の記念にあなたの胸にある装飾品をいただきたい」と申し入れたという。すると彼女はにっこり笑って「いずれ差し上げることもあるかもしれません」と答えた。
・1959年7月20日、夕方6時から東京・渋谷でCBAの理事会が開かれることになっていたので、4時頃、松村雄亮は渋谷・道玄坂を歩いていた。すると何者かに左肩をたたかれた。振り返ると品のよい外国人紳士が立っている。「一目見ただけでそれが宇宙人であることが諒解できた」。
このときも「宇宙人」は松村を喫茶店へ連れて行く。この男性は「日本における宇宙人達のキャップであった」。このとき「宇宙人」から一つの約束が与えられた。それは、「来る25日高尾山頂に円盤が飛んだら、松村を円盤に同乗させる。もしその日に飛ばなかったら都合が悪いのだから後日を待って欲しい」というものであった。
<松村雄亮(まつむらゆうすけ)ついに円盤に乗る>
・翌26日の午前5時頃、山頂で解散。松村雄亮と丹下芳之は横浜まで同道し、午前8時頃そこで別れた。横浜線の車内ですでにテレパシーによって行くべき場所を指定されていた松村雄亮は、横浜駅から直ちに現場に向かったという。
指定された場所では渋谷で会ったキャップを含めて3人の「宇宙人」が出迎えてくれた。街並みを外れて歩いていると、真っ黒な前方に薄く光る円盤が、浮かび出るように着陸していたという。
近づいてみると、円盤の直径は30メートルぐらいで、上部のドームに窓はなく、下部は全体に丸みを帯びてギアは見当らなかった。側面の一部が開くとスルスルと梯子が伸びてきて、内部に入る。内部はいくつかの部屋に分かれているらしく、5坪ほどの部屋に招き入れられた。乗員は12名で、うち1人だけが日本語を上手に話し、他は皆英語しか話せなかったという。
円盤が着陸してから15、6分たった頃、母船に到着した。母船内部の円盤発着場から降り、廊下へ出ると、再び地上に降りたのではないかと錯覚するほどであった。渋谷か新宿の大通りのようであったという。しばらくして、ある一室に案内された。
この部屋はかなり広く百畳はあったようだった。通路もそうだったが、照明が見当たらないが、かなりの明るさであったという。入った部屋の半分ほどを占める半円形にテーブルが並べられ、そこにずらりと宇宙人が腰を下ろしていた。中央に長老と思われる宇宙人が座っていた。その正面にテーブルと椅子が一つ置かれていた。
松村は緊張してその椅子に座った。宇宙人はみな首から裾まで垂れたガウンをまとっていた。右端の宇宙人が英語で話しかけた。問答はすべて英語で行われたという。
この問答は三つの要点に絞られる。
<緊急事態を新聞に発表しようとするも、宇宙人に止められる>
1. 地球の大変動が極めて近い将来に迫っている。そのため常時地球の観測を行なっているが、その正確な期日は宇宙人にもわからない。あなたはその準備のために選ばれたのである。
2. われわれとしては、将来の地球再建のために1人でも多くの人を他の遊星に避難させたい。
3. 決して混乱をまねかないよう慎重にやりなさい。
・あらかじめ用意していた質問や円盤の中古品の話を出すどころではなかった。いきなりこのような話が始まり、その話題で終始したという。
・話し合いの間に果物と飲み物が出された。果物は刺身に似ており、赤、黄、緑、紫などの色のものが皿の上にきれいに並べられていたという。コップは上に向かって階段状に広がっている珍しい形であった。グレープジュース色の液体が入っていた。
残念なことに果物には手をつける余裕がなかった。飲み物はいい香りがしたという。出発した地点に送り返されるまで、約7時間地球を離れていた。
・1959年8月18日の打ち合わせに参加したのは松村雄亮、久保田八郎、丹下芳之、小川定時、桑田力であった。「嘲笑されようとヤユされようと、新聞を通じなければ多くの人に知らせることはできない。とにかく事実を事実として新聞に発表しよう」と決めた。
ところがこの日、松村雄亮が新橋駅に到着するや、宇宙人が姿を現し、「新聞を使ってはいけません」と言われてしまう。
<「トクナガ文書」と「1960年大変動」騒動>
<1960年大変動」騒動>
<1960年1月、産経新聞の記事から始まった>
・まず、1960年1月29日、産経新聞「話題パトロール」欄が、「CBAの情報」の記事を掲載した。前掲の『宇宙友好協会(CBA)の歩み』によると、
「『196X年、地軸が132度傾く。このため海と陸とが相互に入り乱れて、地球上の生物は93%が死滅する。ノアの洪水より数十倍もの大規模な“地球最後の日”がやってくる』という情報をCBAが流したというのである。しかもこれは松村雄亮が直接宇宙人から聞いた情報であると書かれていた」という。この記事は、当時福島県でCBA地方連絡員であった徳永光男がCBAから伝えられた情報と、レイ・スタンフォード、アダム・バーバーという学者の見解などを総合的に取りまとめ、徳永個人の見解を交えて作成されたと見られる。
松村が宇宙人から受けた通告の第一項は前述のとおり、「地球の大変動がきわめて近い将来に迫っている。宇宙連合はそのため常時地球の観測を行っているが、その正確な時期は今のところ宇宙人にもわからない。あなたはその準備のために選ばれたのである」であった。
<1959年の「トクナガ文書」を公開!>
・CBAの特別情報をお知らせします。(CBAのある人が数カ月前から宇宙の兄弟たちとコンタクトを持つようになりました。以下述べるのは、宇宙の兄弟たちが知らせてくれた情報です。)
1. 地球の軸が急激に傾くのは、1960年~62年です(ゼロの可能性がかなり大きいと見られています。)
【注】3百機の宇宙船円盤が地球をめぐり、地軸の変動を常に測定しています。
1. 宇宙の兄弟がわれわれを救いに来てくれます。円盤に乗る場所は、日本では2カ所になる予定です。東日本と西日本の2つのグループに分けられます。この場所はCの少し前(時期を知らせる通知のわずか前)に知らされます。
【注】C――Catastrophe(大災害)の頭文字で、地軸大変動の略記号または暗号として使われます。
(以下省略(当ブログ))
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