タルタリアではエーテルから電気を抽出する技術が確立されており、文明はフリーエネルギーで動いていました。(1)
(2023/1/20)
<●●インターネット情報から●●>
『マッドフラッド』 はてなのブログ『笹原シュン☆これ今、旬!!』
から引用しました。
なお、『マッドフラッド』笹原俊 ヒカルランド 2022/8/25
が出版されています。
<マッドフラッド1 人類の文明は、19世紀初頭に核戦争で一度滅んでいた? 史上最高の栄華を誇ったフリーエネルギー文明の運命とは!?>
偉大なるタルタリア帝国 13世紀から19世紀初頭まで、タルタリア帝国という国が存在していました。 タルタリア帝国 上の地図をご覧ください。緑色の「GREAT TARTARIA」と書かれている範囲が、タルタリア帝国の領土です。
<マッドフラッド2 大聖堂はフリーエネルギー文明のエンジンだった? 文化圏によるエネルギープラントの形態の違いとは!?>
玉ねぎ型の秘密 前記事で述べたように、玉ねぎ型のドームを持つ大聖堂タイプの建物は、タルタリア様式のフリーエネルギー発電所です。 これらの建物はどのようにして、エーテルエネルギーを電気エネルギーとして取り出していたのでしょうか?
<マッドフラッド3 配電は水によって行われていた? 活きた水の持つ様々な効能とは!?>
水による配電システム 前記事でタルタリア文明において、大聖堂がフリーエネルギー発電所の機能を果たしていたということを述べました。 それでは、大聖堂で発電された電気は、どのようにして、各家庭や施設に配電されていたのでしょうか?
<マッドフラッド4 タルタリア人は巨人と共存していた!? タルタリアの科学は現代科学を上回っていた?>
巨人の痕跡 タルタリア文明の大きな特徴は、人間と巨人が共存共栄していたことです。 5メートルはあろうかという巨人と、通常の人間が普通にお話ししていますね。 こちらは3メートルぐらいの巨人と一緒に撮った写真の数々です。
<マッドフラッド5 ナポレオンは被爆していた? フランス革命とナポレオン戦争の真実とは!?>
18世紀後半の国際情勢 公式の記録では、18世紀後半までの国際情勢はどうなっていたでしょうか。高校の世界史の時間に習いましたね。もう一度教科書を引っ張り出してみましょう。
<マッドフラッド6 マッドフラッドによる文明のリセット!? 世界中に残るその痕跡とは?>
米英戦争の真実 モスクワからナポレオン軍を撤退させた、DSローマは、再び北アメリカ大陸へ侵攻します。それが米英戦争(1812-15)です。 ナポレオン戦争が一段落したイギリスは、その戦力をアメリカに向けます。
<マッドフラッド7 地球上にそもそも冬は存在しなかった? 地球温暖化の真実とは!?>
地球は一年中温暖な星だった? さてここで、あらためて1816年に起きた全面核戦争&マッドフラッドの影響について考察していきましょう。 まずは全面核戦争がもたらした、全地球的影響について考察してみたいと思います。
<マッドフラッド8 黙示録後の世界。過去の偉大な文明は、完全に隠蔽された!? ロシア編>
核戦争後の世界 1816年の核戦争は、タルタリア帝国全域、特にタルタリアの本拠地であったロシア・シベリア地域に、壊滅的な打撃をもたらしました。 その核爆発の威力は実に800メガトン、広島型原爆の4万発分です。
<マッドフラッド9 黙示録後の世界。過去の偉大な文明は、完全に隠蔽された!? ヨーロッパ・アジア編>
土砂に埋まった建物 それでは、ロシア以外の地はどうなったのでしょうか。核戦争後のマッドフラッド(泥の洪水)は、ほぼ世界全域を埋め尽くしました。 ヨーロッパ、アジア、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリアも泥に埋まりました。
<マッドフラッド10 アメリカは孤児たちが作った国だった? 黙示録後の世界。過去の偉大な文明は、完全に隠蔽された!? アメリカ編>
アメリカ大陸の形状変化 マッドフラッド後の真の歴史についての考察を続けていきましょう。次はアメリカです。 アメリカ大陸、特に北米大陸に関する最大の謎は、時がたつにつれて、その形状が大きく変化しているということです。
< マッドフラッド11 江戸時代は存在しなかった? 黙示録後の世界。過去の偉大な文明は、完全に隠蔽された!? 日本編。>
19世紀以前の日本の様子 さて、次は日本です。マッドフラッドが発生したと思われる1816年には、日本は江戸時代で、11代将軍、徳川家斉の時代です。 この時代の日本は、時代劇でよく描かれています。
<マッドフラッド12 われわれは黙示録後の世界に生きている!?過去の偉大な文明は、なぜ完全に破壊され、隠蔽されたのか?>
タルタリア文明の消滅 以上の記事で述べたように、今からほんの200年前、世界中にまたがるタルタリア帝国という国が存在していました。 それはフリーエネルギーを用いて、無限・無料の電力を供給し、現文明よりも進んだ科学力を持ち、巨人と共存する国家でした。
<マッドフラッド1 人類の文明は、19世紀初頭に核戦争で一度滅んでいた? 史上最高の栄華を誇ったフリーエネルギー文明の運命とは!?>
<偉大なるタルタリア帝国>
13世紀から19世紀初頭まで、タルタリア帝国という国が存在していました。
<タルタリア帝国>
上の地図をご覧ください。緑色の「GREAT TARTARIA」と書かれている範囲が、タルタリア帝国の領土です。
ユーラシア大陸の北側全体、シベリア、中央アジア全域をカバーしています。東は千島列島から満州、朝鮮半島まで、南はインドの一部、西はウラル山脈から小アジア半島までカバーしていますね。
これだけではなく、北アメリカ大陸の大半と、ブラジル・ペルーなどの南アメリカ大陸の一部まで、版図にしていたようです。まさに史上最大の帝国です。
タルタリア帝国は、イギリスを中心とするDSヨーロッパと激しい戦闘を繰り広げ、1816年、大量の核兵器による攻撃で、国民もろとも、この世界から姿を消してしまったからです。
その後、DSは、あらゆる手段を講じて歴史を改ざんし、この帝国の存在そのものを、人類の記憶から消し去りました。
<各地に残るタルタリアの痕跡>
もちろんDSの歴史改ざんによって、その本来の用途は隠されていますが、よくみると、それが本来何に使われていたのかわかってきます。またタルタリア文明がどのようにして滅ぼされたのかも、その痕跡を見ることによって、十分予測することができるのです。
<玉ねぎ頭の大聖堂>
ヨーロッパの大聖堂や、中国、日本の建物の中にもこの様式の建物はいっぱいあります。これこそが「タルタリア様式」の建物なのです。
ちなみにこのタルタリア式大聖堂の本来の用途は何だったのでしょうか?これは宗教施設でも、墓でも何でもありません。
これこそが、タルタリア文明の根幹をなす、エーテルエネルギーを電気に変換する、フリーエネルギー発電所なのです。
<星形の城塞>
次の写真をご覧ください。これは星形要塞(スターフォート)と呼ばれるものです。このような独特の形をした要塞(?)が、現在世界中に500か所以上残っています。
これはタルタリア文明におけるエーテルエネルギーの増幅装置です。独特な形の城壁の周りに水を巡らせ、音波によって水の結晶構造を変えて、水にエーテルエネルギーを吸収させて増幅し、そのまま水流の形で各地にエーテルエネルギーを運ぶ、エネルギー中継センターなのです。
<赤レンガ倉庫>
次はおなじみ赤レンガ倉庫です。 これも世界各地にたくさん見られます。
<横浜 赤レンガ倉庫>
赤レンガは酸化鉄を含み、電気を通します。タルタリア文明においては、赤レンガ倉庫は、電気エネルギーを蓄積する蓄電池として使われていました。大聖堂で発電した電気を、建物自体に大量に蓄電して、そこから町の各所に無線で送っていたのです。
<タルタリアでの生活>
このタルタリア帝国内では、国民はどのような生活を送っていたのでしょうか。タルタリアの主流をなしていたのは、ロシア系のアーリア人(白人)、モンゴル系のタタール人(黄色)及び、ネイティブアメリカン(黄色)だったようです。
人々は互いに助け合い、穏やかで文化的な文明が形成されていたようです。エネルギーが無料なので、農作物も豊かで、食料の心配などもなかったようです。
タルタリアではエーテルから電気を抽出する技術が確立されており、文明はフリーエネルギーで動いていました。ふんだんな電気を無料で大量に使うことができたため、電気技術が発達し、技術水準は現代文明をはるかに凌駕していたようです。
自動車、鉄道、航空機、モノレールなどは全部あります。ほかにも動く歩道や、丸い一人乗りの自転車、ロボットなどもあり、すべて電気で動いているようです。
照明はすべて電気で、冷暖房は電気によるセントラルヒーティングが各建物に完備されていたようです。
<巨人との共生>
タルタリア帝国のもう一つの大きな特徴は、人間と巨人が仲良く手を取り合って共存していたということです。
巨人と普通の大きさの人間が協力していた様子がよくわかりますね。
<タルタリアの滅亡>
このタルタリア帝国は、DSによって、一夜にして滅亡を迎えることになりました。それは1816年2月のことです。
この1816年は一般には「夏のない年」と呼ばれています。
何らかの物質が空を覆い、太陽の光が差さなかったために起きた現象と思われます。
さらには、シベリアのタイガの針葉樹はすべて樹齢が200年以下の若い木からなっています。杉は通常1000年程度生きるにもかかわらずです。
これらのことから、ロシアを中心にタルタリア帝国の版図に大量の核兵器が撃ち込まれ、帝国は壊滅的打撃をこうむり、シベリアの植物は全滅したと考えられています。また核の灰が地球を覆いつくし、3年間にわたる異常低温を迎えたのではないかといわれています。
しかし、人類の災厄はこれだけにとどまらなかったのです。
<マッドフラッドによる文明のリセット>
現在においても、石づくりやレンガ造りの建物で、一階部分が地中に埋まった建物がよく見られます。これらはロシアやアメリカで特によく見られます。
これらの記録が意味するものはただ一つです。
核戦争後に、地球的規模の大洪水が世界を襲い、人々は死に絶え、都市が泥に埋まってしまったということです。
しかしタルタリアの建物は頑丈だったため、洪水に耐えきり、住民がすべて死に絶えた後も、一階部分が泥に埋まった状態で、存在し続けたというわけです。
この世界中の都市が大量の土砂によって埋め尽くされた現象は、泥の洪水(マッドフラッド)と呼ばれています。
人類の文明は、19世紀初頭、核戦争とそれに続くマッドフラッドによって、一度リセットされているのです。
その後DSは、何食わぬ顔で都市を掘り出し、タルタリア帝国の遺跡を破壊しながら、生き残った人たちを無人の都市へと移住させ、歴史を改ざんして帝国とそのフリーエネルギー文明の存在そのものを、歴史の彼方へと葬り去ったということなのです。
<マッドフラッド2 大聖堂はフリーエネルギー文明のエンジンだった? 文化圏によるエネルギープラントの形態の違いとは!?>
<玉ねぎ型の秘密>
前記事で述べたように、玉ねぎ型のドームを持つ大聖堂タイプの建物は、タルタリア様式のフリーエネルギー発電所です。
最上部の金属製の突起はアンテナです。ここからエーテルエネルギーを取り入れ、建物の下部に送り込みます。
場所によって屋根の装飾は様々ですが、どの建造物にも、必ずアンテナが設置されているのがわかります。
こんな感じです。このような模様は、大聖堂の屋根や側面の窓の部分に頻繁に使用されていますね。
ちなみに共振器の中心にある棒はカソードと呼ばれています。共振によって集められたエネルギーはこのカソードを伝って取り出されます。
カソード(cathode)のたくさんある建物が、カセドラル(cathedral)です。
屋根の下にある、円形もしくは8角形の柱付きの構造物は、エーテルエネルギーの増幅器です。
エーテルエンジンはDSによってすべての大聖堂から除去されてしまっているので、現在ではその姿を見ることはできません。
巨大な原子炉のような機械構造のエンジンであるという説もあり、紅く輝くクリスタルの結晶だったという説もあります。
さらにエーテルエンジンは大聖堂の外部の施設に設置されていることもあります。
<フリーエネルギーの取り出し方>
この世界にはすべての空間にエーテルが充満しています。これが電磁気の媒体となり光を伝達しているわけです。
このエーテル中の電磁エネルギーを電流として取り出すことができれば、どんな場所でも無尽蔵の電力を獲得できるというわけです。まさにフリーエネルギーですね。
タルタリア文明では、大聖堂型の建物が、この空間に充満するエーテルエネルギーを取り出す役割を果たしていました。
屋根の先端のアンテナでエーテルエネルギーをとらえ、屋根の共振器で一定の振動数のエネルギー波にして、アーチ形の柱でそれを増幅し、最後に8角形の台座に据え付けられたエーテルエンジンで、増幅されたエネルギー波を電流に変換していたというわけです。
DSは、旧文明の痕跡を消すため、大聖堂の機能を徹底的に封印しました。しかしこの時代にはまだ、封印し忘れたエーテル発電所が残っていたようです。
<DSによるすり替え>
マッドフラッド後のDSは、タルタリア文明の痕跡を徹底的に消し去りました。しかしタルタリアの建造物は頑丈で、マッドフラッド後も各地にそのまま残っていました。
残っていたエーテルエネルギー発電所は、その機能を封印され、まったく別の用途の建造物として使われることとなりました。
最終的にエーテル発電所は、DS支配下の宗教団体に占領され、各地の宗教の神殿や、教会として使用されることになったのです。
<文化によるエーテル発電所の形状の違い>
エーテルから電流を取り出すフリーエネルギー文明は、世界全体に広まっていました。
しかし世界は大きく3つの文化圏に分かれ、各文化圏によって、発電所、エネルギー中継基地、蓄電所、工場などの形態が異なっていたようです。
3つの文化圏とは、以下の3つです。
1.タルタリア文化圏
2.ローマ文化圏
3.アジア文化圏
のちの記事で詳しく述べますが、19世紀初頭のマッドフラッドは、DSに支配されたローマ文化圏と、光の勢力が統治していたタルタリア帝国との抗争の末に発生したと考えられます。
<マッドフラッド3 配電は水によって行われていた? 活きた水の持つ様々な効能とは!?>
<水による配電システム>
前記事でタルタリア文明において、大聖堂がフリーエネルギー発電所の機能を果たしていたということを述べました。
それでは、大聖堂で発電された電気は、どのようにして、各家庭や施設に配電されていたのでしょうか?
もちろん無線による配電システムもあったようです。しかしそれは近距離及び小電力の場合です。家庭内における配電などに使われていたものと思われます。
タルタリア文明において、大電力を各都市および農園や工場へと配電していたのはなんと「水」なのです。
<水の結晶構造の変化>
タルタリア文明においては、このような水の性質が詳しく解明されており、特定の音色の音や音楽を奏でることで、水の結晶構造を変化させ、水に様々な特性を付加することに成功していました。
このような、音楽によって結晶構造を整えられ、特性を付与された水は、「活きた水」と呼ばれていました。
<変電所として使われていたスターフォート >
タルタリア帝国の版図は、あらゆる地域が川や湖、運河などの水路でつながれていました。これは水利や水運に加えて、あらゆる場所へと電力を供給するエネルギーネットワークでもあったのです。
また、要所要所に建設されたスターフォート(星形城塞)は、電力の中継基地、今でいうところの変電所の役割を果たしていたようです。
スターフォートの周りには、必ず水路があります。
<塔、オベリスク、赤煉瓦の建物は蓄電のためのコンデンサー>
各地に立っている塔や赤レンガ倉庫は、電力を蓄積するコンデンサーの役割を果たしていたと思われます。
こちらは必ずと言っていいほど、上部にアンテナが立っていますので、蓄電した電気を、無線によって周りの建造物に配電する役割を果たしていたものと思われます。
<活きた水の活用法>
音波によって結晶構造を整えられた「活きた水」には、電力を伝える以外にも、様々な利用法がありました。これらうちのいくつかをご紹介したいと思います。
<植物の育成>
活きた水を用いると、通常の水に比べて極めて効果的に植物を育成することができました。活きた水を用いた農場は、タルタリア国内の随所に設置されていました。
<活きた水を用いた病気やけがの治療>
活きた水は、病気やけがの治療にも用いられていました。
この時代はマッドフラッドの後の時代なので、この水治療院は本来の能力をすべて発揮しているとはいいがたい状態のものです。
<フリーエネルギーで稼働する大工場>
ヨーロッパ各国でお城として使われているものは、当時はフリーエネルギーで稼働する工場だったようです。
<DSによる旧文明の施設の封印>
以上のような旧文明の優れた技術は、タルタリア文明を滅ぼしたDS(ディープステート)にとっては、何としてでも封印したい技術となっています。
特にフリーエネルギーとその利用法、活きた水とその使用法については、トップシークレットとなっているようです。
フリーエネルギー発電所は、エーテルエンジンを抜かれ、共振器をステンドグラスで埋められ、鐘を外されて、大聖堂として使用されていることは前記事でのべました。
<マッドフラッド4 タルタリア人は巨人と共存していた!? タルタリアの科学は現代科学を上回っていた?>
<巨人の痕跡>
タルタリア文明の大きな特徴は、人間と巨人が共存共栄していたことです。5メートルはあろうかという巨人と、通常の人間が普通にお話ししていますね。こちらは3メートルぐらいの巨人と一緒に撮った写真の数々です。いっしょに仲良くくつろいでいるのがよくわかりますね。
巨人の骨は世界中のあちこちで発掘されています。
DSが、巨人の存在を隠そうとしているのがよくわかりますね。
巨人の痕跡は、タルタリア様式の建物にも残っています。
これらの巨人は、タルタリア文明滅亡後、表舞台から姿を消しました。といっても完全に滅びたわけではなく、地下世界、アガルタに引き上げ、今でもそこで平和に暮らしているようです。
<タルタリア科学は現代科学を凌駕していた?>
次に、フリーエネルギーを駆使した、タルタリア文明の科学技術をご紹介しましょう。こちらはタルタリアの工場内部の写真です。きわめて発展した工業技術がうかがえます。現代の工場とはちょっと違う発想の原理で動いているようですね。
交通機関は、現在のような鉄道やモノレール、航空機や船舶は普通にあったようです。自動車はすべて電気自動車でした。
特筆すべきはタルタリアのオートバイ、及び自転車です。
乗ったまま水上や空中を移動するカプセルもあったようです。美しい景色が堪能できそうですね。
<飛行船>
タルタリアには、プロヘラ機や、一人乗りの、頭にプロペラをつけて飛ぶ装置もあったようです。
しかし、タルタリアの空中輸送の主力を担っていたのは、なんといっても飛行船です。
<地下鉄>
タルタリアの都市の地下には地下鉄が走り、都市近郊の人員輸送に大きな役割を果たしていました。
<マッドフラッド5 ナポレオンは被爆していた? フランス革命とナポレオン戦争の真実とは!?>
<18世紀後半の国際情勢>
<世界における3大勢力>
以前述べたように、17世紀以前の世界は3つの勢力に区分されていたと考えられます。タルタリア帝国、DSローマ、アジアです。
どれもフリーエネルギー文明を擁していましたが、建物の様式が異なっていたのは以前述べたとおりです。
本シリーズでは、1816年のマッドフラッドに焦点を当てていますが、気候変動の記録などから、そのさらに200年前の1601年にも同じような大変動があったと考えられています。
この17世紀初頭、1601年の大変動によって、アジアは滅亡し、実質的な力を失ったようです。アジアの文化、文明はその後も残りましたが、国家としての力は失ってしまったということです。
この1601年の大変動についてはここでは詳しく述べません。またの機会に詳しくお知らせしたいと思います。
アジア滅亡後、DSローマは、旧アジア諸国を植民地とし、その地を支配していきました。
こうして18世紀には、世界は大きく、タルタリア帝国、DSローマに2分されていたと思われます。旧アジア諸国は、その多くがDSローマの植民地となっていましたが、日本のように独立を守り続け、2つの勢力のどちらにも与しない国もあったようです。
<DSローマの侵攻>
時間を元に戻しましょう。大変動直前の16世紀末の時点で、太平洋北部からシベリア、中央アジアを経由して、モスクワ、さらにはバルト海沿岸のペテルブルグまで、ユーラシア大陸北部はすべてタルタリア帝国の版図だったと思われます。
これに加えて、タルタリア帝国は北アメリカ全土と、南アメリカの大半をも領土としていました。
DSローマの内部はイギリス、フランス、ドイツ、オランダ、オーストリアなど、様々な小国家に分かれていました。
光側のタルタリアは一つの帝国としてまとまっているのに対して、闇側のDSローマは、内部抗争を繰り返しているところが、いかにもそれらしいですね。
1601年の大変動の直後、まずはDSローマがタルタリアの領土に対し、侵攻を開始しました。大変動の犯人はもちろんDSローマだったので、大変動が起こることがあらかじめわかっていたため、事前に準備して、速やかに侵攻を開始できたということです。
DSローマ各国は、まずは崩壊したアジア諸国に上陸し、そこを占領して植民地化しました。
さらに、タルタリアの統治下で平和に暮らしていたアメリカ大陸に侵攻し、北アメリカの東海岸一帯を占領、南アメリカにも侵攻してそこで暮らしていた人々を殲滅したと思われます。
さらには東ヨーロッパからモスクワに侵攻し、そこにDSローマに所属するロシア帝国を建国し、バルト海沿岸まで進出して、ペテルブルグを占領しました。
この事件がオフィシャル歴史では、ロシア帝国の建国とペテルブルグ建設として、描かれているというわけです。
タルタリア帝国は、ペテルブルグ、モスクワを含む、ウラル山脈の西までDSローマに占領されてしまった状態です。
<光の勢力の反撃>
しかし、大変動から復興し、国力を回復したタルタリア帝国は、18世紀後半からDSローマに対して反撃を行います。
その第一弾が、アメリカ独立戦争です。これはおそらく史実とは微妙に異なり、タルタリア領に侵攻して東海岸の領土をかすめ取ったDSローマの主要国、イギリスに対し、現地のタルタリアの住民が反旗を翻し、これを追い出した戦いであると考えることができます。
史実ではアメリカ合衆国初代大統領となっているワシントンは、おそらくタルタリア帝国の北アメリカ総督を務めていたのではないでしょうか。
<フランス革命の真実>
そしてついに、DSローマ加盟国内の反乱が勃発しました。それが、1789年に起きた、フランス革命です。
これはフランスの民衆が、フランス支配階層に巣くう闇に気づき、闇の勢力を一掃した革命であると思われます。
他のDSローマ諸国は、徹底的にフランス革命をつぶそうとし、集団でフランスに攻め込みました。革命は風前の灯火かと思われたその時、現れたのは、英雄ナポレオン・ボナパルトです。
ヨーロッパのDSローマ諸国がほぼ一掃されていますね。
ナポレオンのフランスは、もちろんタルタリア帝国と同盟を結んでいました。
1804年、フランス皇帝の座に就いたナポレオンは、1812年、ついにヨーロッパ大陸に残った、最後のDSローマ加盟国であるロシア帝国に攻め込みます。
この侵攻は、おそらく東から攻め込むタルタリア軍と共同で行われたと思われます。ナポレオン軍は破竹の勢いで進撃し、9月14日、ついにモスクワを制圧しました。そして悲劇はこの直後に起こったのです。
<モスクワを襲う核の炎>
その夜、多くの兵士が、モスクワ上空に飛んできた巨大な火球を目撃しています。その火球はモスクワ上空に近づくとともに、まばゆい閃光を発し、それからすさまじい爆風と劫火がモスクワ市街を襲いました。
DSは、モスクワに核ミサイルを撃ち込み、核爆発でモスクワを吹き飛ばしたのです。
<モスクワのフランス軍>
DSローマとしては、ここでモスクワが陥落し、ペテルブルグまで占領されてしまえば、ヨーロッパ大陸がタルタリアとその同盟国のものとなり、イギリスだけが孤軍奮闘する状態になってしまいます。
イギリスのロンドン、シティの奥深くに巣くうDS ロスチャイルドと、そのバックのレプティリアンたちは、この状況を恐れ、当時人々にまだ知られていなかった、禁断の果実、核兵器を使用したと思われます。
モスクワを占領していたフランス軍の半分以上は最初の爆発で消滅し、その後の大火と放射線障害とみられる症状で、フランス軍兵士は次々と倒れていきました。
さすがのナポレオンといえども、核ミサイルの直撃を食らって、無傷で済むことはできなかったようですね。
<マッドフラッド6 マッドフラッドによる文明のリセット!? 世界中に残るその痕跡とは?>
<米英戦争の真実>
モスクワからナポレオン軍を撤退させた、DSローマは、再び北アメリカ大陸へ侵攻します。それが米英戦争(1812-15)です。
<1814年 ワシントン焼き討ち>
ナポレオンのモスクワと同じように、大きな火球が襲来後、閃光と爆風が起こり、ワシントンは火の海となります。レンガや石造りの頑丈な建物も、吹き飛んでいます。
これはDSローマの2度目の核兵器使用と思われます。
しかし、その後もアメリカのタルタリア軍は戦い続け、わずか26日でイギリス軍をワシントンから追い出してしまいます。
モスクワとワシントンを核ミサイルで吹き飛ばしても、タルタリア軍の勢いは止まらず、DSローマは風前の灯火、闇の駆逐までほんのあと一歩となったわけです。
追い詰められたDS は、最後の手段を行使します。そして運命の日がやってきました。
<全面核戦争の開始!!>
1816年2月某日、タルタリアの本拠地、ロシアの地に、大量の核ミサイルが降り注ぎました。
大量の核兵器によってロシアは焼き払われ、タルタリア帝国は一夜にして消滅しました。
ちなみにこのような現象は、1816年以前に、1601年や1453年にも起きており、だいたい200年おきに同じような文明のリセットが起きているようです。
これは大規模核戦争に伴う「核の冬」の現象が起きたと考えられます。
このときロシアを襲った大量の核兵器による爆発が、全地球的な急激な低温化を引き起こしたのです。
1816年は夏にも雪が降り、平年の冬と同じような気候でした。冬になると寒さはより厳しさを増し、アメリカでは-32℃を記録した地域もあったようです。
<マッドフラッド襲来!!>
全面核戦争の直後、全世界は大洪水に襲われました。
洪水によって世界中の町が水没し、洪水がもたらした大量の泥が街を埋め尽くしました。
町にいる人々は泥に埋まり、木造の建物は流され、タルタリア様式の頑丈な石造建物だけが残りました。
洪水が引いた後そこに現れたのは、5~8メートルにわたって泥に埋まった、無人の町でした。
これがマッドフラッド(泥の洪水)です。
イギリスでは今でも一階を Ground froor 、2階を First floor と呼ぶ風習が残っていますね。これは建物の一階部分が地面(Ground)に埋まってしまい、2階に階段をつけて入り口としたことから、生じた風習であると考えることができます。
<マッドフラッド7 地球上にそもそも冬は存在しなかった? 地球温暖化の真実とは!?>
<地球は一年中温暖な星だった?>
さてここで、あらためて1816年に起きた全面核戦争&マッドフラッドの影響について考察していきましょう。
まずは全面核戦争がもたらした、全地球的影響について考察してみたいと思います。
核戦争&マッドフラッドのもたらした最大の影響は、もちろん洪水による大量死と文明のリセットです。それはまた全地球的な、気候の変動をもたらしました。
結論から言うと、マッドフラッド以前にこの地球には、「冬」という季節が存在していなかったのです。
<彫刻、絵画に残された当時の気候>
建物以外にも、冬が存在しなかった証拠は多数残されています。昔の彫刻や絵画を見てみましょう。
ヨーロッパを中心に残されている彫刻は、ほとんどの人物が半裸体です。来ている服は一枚の布を体に巻き付けた様式になっており、肌の多くが露出しています。
こんな格好で、もしも冬が存在していたとしたら、寒くてしかたがなかったでしょう。
これらは当時、そもそも雪は降ることがなく、コートを必要とする気候は存在していなかった、すなわち冬がなかったことを物語っています。
<核の冬の始まり>
この状況は、1816年以降、一変します。1816年はすでに述べたとおり、「夏のない年」と呼ばれています。真夏でも雪が降り、真冬は氷点下38度まで下がった年ですね。
この年、1816年に、大量の核兵器の爆発によって太陽光が遮られ、史上初めて「冬」という季節が出現したのです。世界中に雪が降るようになったのです。
この気候変動は、現在まで延々と続き、現在でも世界中で冬が到来し、雪が降るようになっているというわけです。
これはいわゆる「核の冬」そのものです。
専門家は、核戦争の後、核の冬が来る、なんて言っていますが、なぜそれがわかったのでしょうか。
われわれは、黙示録以降の世界に住んでいるのです。200年前に起きた核戦争によって、人類は一度滅亡し、その後の核の冬が、現在でもなお、続いているというわけです。
<地球温暖化の真実>
地球は本来温暖な気候であり、DSが行った核戦争による核の冬によって、200年にわたり、寒冷化してしまっていたにすぎません。
しかし核の冬がついに終わり、地球は元の温暖な気候を取り戻そうとしているのです。
<DSの隠蔽工作にだまされるな>
地球温暖化に警鐘を鳴らし、二酸化炭素の排出量を規制したり、SDGsを推進したりする勢力と、かつて核戦争を引き起こし、核の冬をもたらした勢力は、まったく同一の勢力です。
DSは自分たちがもたらした核の冬を隠蔽するために、全く関係のない原因をでっちあげ、我々の活動を阻害しようとしているのです。
現在、気温上昇によって海面下に沈むとされている土地は、そもそも200年前までは海の下にあった土地なのです。
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