コロナ禍がなくても、日本経済は、いわば「アベノミクス恐慌」ともいうべき不況局面に入りつつあった。(1)
(2023/1/26)
『「人新世」と唯物史観』
友寄英隆 本の泉社 2022/4/11
<人新世(ひとしんせい)>
・21世紀に入り、地球環境・気象変動への対応は、ようやく人類共通の喫緊の課題として認識されつつある。しかし、21世紀も20年が経過したが、危機的な状況は加速度的に進行しつつあるにもかかわらず、具体的な対策となると、各国の思惑が重い壁となり、いまだ前途多難の感がする。最近では、人類の活動によって地球環境が破壊的な影響を受けつつあるという意味で、「人新世」などと言う耳慣れない地質学上の新しい時代区分が議論されるほどになっている。
・本書は、こうした今日の世界史的状況を念頭に置いて、あらためてマルクスとエンゲルスが示した唯物史観の今日的意義を確認し、そうした歴史観にもとづいて21世紀的な課題について創造的解明をめざしたものである。
・マルクスが『資本論』を執筆したころは、まだラジオやテレビはなかったし、電話もなかった。自動車や飛行機もなかった。もちろんコンピュータやインタ―ネットもなかった。多くの国民がスマホを操り、社会のさまざまな分野にAIが出現するなどは、マルクス、エンゲルスの時代には想像もできなかった思われる。
こうした21世紀の世界史状況のもとで、今あらためて科学的社会主義の理論的意義、マルクスの唯物史観や『資本論』の有効性を巡ってさまざまな議論が起こっている。そのなかには、地球環境危機やコロナ危機の対応で、マルクスの『資本論』や唯物史観の従来の解釈にたいする根本的疑義、異論も生まれている。たとえばベストセラーとなっている斎藤幸平氏の『「人新世」と資本論』などは、その象徴的事例といえるだろう。
しかし、マルクス、エンゲルスが創始した科学的社会主義の世界観とその理論体系の骨格は、21世紀の現代でも生きている。マルクス、エンゲルスは、人類史的な視野に立って、資本主義という歴史時代の意味を探求し、科学的な方法によって、科学的社会主義の理論的体系を構築したからである。
<「人新世」と唯物史観>
<「人新世」とは何か>
<「人新世」の読み方――「じんしんせい」、「ひとしんせい」、アントロポセン>
<地質学の年代区分としての「人新世」>
・クルッツェンは、地質学上の最新の「完新世」の時代は終って、人類が地質学上の影響を地球にもたらしているという意味で、今や「人新世の時代」に入っていると主張したのである。
<人類の活動による地質学的な変化――「二つの科学的仮説」>
・クルッツェンの「人新世」の提起は、人類の活動による影響が地質学的な意味、つまり地層の変化をもたらすほどの意味を持っているということである。言い換えるなら、46億年にわたる超長期の地球史の一部に人類の歴史を組み入れようという提起である。
<地質学上の「人新世」は、いつから始まったのか>
・もっとも有力な説は、20世紀の後半、第2次大戦後に急激な温暖化と気候変動が進行し始めた時期を「人新世」の起点とすべきという意見である。
<宇宙生物学、惑星科学からみた「知生代」の提起>
■人類の影響が世界の変化を引き起こす主力となった「人新世」は始まったばかりだが、人類が存続しないと人新世も続かないだろう。
■人類が絶滅を避けるには、人口増や資源の枯渇、小惑星衝突、気候変動、長期的には太陽の老化など、「存在にかかわる脅威」を克服する必要がある。
■人新世が永続的なものになれば、地球は根本的に新しい状態に移行する可能性がある。「知生代」ともいうべき10億年スケールで続く新時代だ。そこでは人類文明が知恵を結集して地球の自然を安定させ、生物圏を新たな宇宙領域へ広げることになるだろう。
<「人新世」という概念の自己矛盾――中村桂子氏の指摘>
・地質学の「人新世」という概念は、人類史の視点から言えば、本来的に矛盾をはらんだ性格を持っている。人類が地球に取り返しのつかないほどのダメージを与え続けて、その結果として最終的に人類が絶滅したとすれば、地質学の時代区分そのものが無意味なものとなるだろうし、逆に人類が自然と調和ある物質代謝の道へ立ち戻って、地球環境を回復したとすれば、その場合もやはり「人新世」という悲劇的な時代区分の必要はなくなってしまうだろうからである。
<「搾取」の意味――人間労働と自然の両方を徹底的に利用(開発)し尽くすこと>
・ちなみに、内田氏は、1966年の著書では、「原子爆弾による人間と地球そのものの徹底的な破壊」を例示しているだけであるが、ここには、地球環境の危機、大気の汚染、異常気象などなど、「人新世」で議論されている地層変化のすべての要因があげられるであろう。
『資本論』は、まさに「人新世」、人類史の「前史」の本質的な矛盾を解明し、その「進化と発展」の基本的契機を解明している経済学なのである。
<「土地(自然)」への資本の支配――人間と自然との物質代謝の撹乱>
・人類史の「前史」とりわけ資本主義のもとで、「人間と自然との物質代謝の撹乱」は地球環境の危機をもたらすまでになっているが、その重要な契機をなすのは、資本主義的搾取の二重性とともに、土地(自然)にたいする資本の支配の増大である。
<人間と自然の「物質代謝の撹乱」――「資本の生産力の3重の危険性>
・資本主義的生産様式の発展は、資本による搾取と土地支配の際限なき増大によって、「人間と自然の物質代謝の撹乱」を拡大再生産する課程でもあった。その過程は、人類社会において、「資本の生産力」の危険性を満面開花させることになった。
<唯物史観の基本命題(「生産力と生産関係の相互関係」)の有効性――「資本の生産力」の危険性と人類社会の「進化と発展」の法則>
<人類社会の「本史」の扉を開く社会革命――人類史を「変革する立場」からとらえる>
・人類社会の「本史」の扉を開くためには、なによりもまず資本主義的搾取制度を廃止する社会革命が必要である。
<むすびにかえて>
・地質学における「人新世」の議論をすすめるために求められることは、結局、何であろうか。それは、一言で言うなら、人類史の「進化と発展」の基本課題を、「人新世」という地質学的な時代認識に埋没させてはならないということである。人類史を解明するための唯物史観の命題を、地質学的な超長期の自然史のための時代区分に埋没させてはならないのである。
地質学界において地質の変化まで議論せざるを得なくなっている現代資本主義の矛盾は、マルクスが唯物史観の定式で述べた結論的な命題――人類史の「前史」から「本史」への進化・発展の命題――が、もはや避けて通れない人類社会の歴史的課題になっていることを示している。こうした歴史的課題に取り組むためにも、現代における唯物史観の意義を再確認する必要がある。
<パンデミックと社会発展の法則――唯物史観の新たな課題>
<パンデミックと歴史の発展法則>
・パンデミックの探究は、歴史の発展法則についての唯物史観の理解について、新しい視点を提起している。
《パンデミックは、歴史の発展を促進したり、撹乱したりする》
歴史上のパンデミックは、その時々の社会制度や医療体制の弱点をあぶりだし、社会変革に拍車をかけて、社会進歩の歴史的な流れに大きな影響を与えてきた。
《パンデミックは歴史発展の法則を変えることはできない》
・しかし、パンデミックは、一時的に歴史発展を速めたり、遅らせたりする作用をもたらすとしても、それは歴史発展の法則自体を変えるものではない。
<コロナ・パンデミックと現代世界――社会進歩のための新しい胎動>
<パンデミックは、現代資本主義の矛盾をあぶりだす>
・コロナ・パンデミックが始まった直後、2020年前半は、世界的な規模で再生産活動の撹乱がもたらされ、世界恐慌的な様相を呈しつつあった。
<社会進歩の胎動に注目する>
・筆者は、「人類の歴史をふりかえってみると、パンデミックは、社会制度自体の弱点をあぶりだし、社会変革の契機となってきた」と述べた。
<むすびにかえて――21世紀資本主義をどう変革するか>
・以上の7点を総じて注目すべきことは、支配体制の内部からも、これまでの「新自由主義」型資本主義を変えていく必要があるという体制内的な改良的路線の模索が始まっているかのように見えることである。これらの胎動は、まだ萌芽的なものである。決して過大視することはできない。
<コロナ禍と日本資本主義の課題――コロナ禍による経済危機の性格と関連して>
<コロナ経済危機の性格を分析する意義――従来の恐慌からの回復過程との違い>
・コロナ・パンデミックが起こった直後の2020年4月に執筆した雑誌論文のなかで、パンデミックによる「再生産の突然の撹乱」は「再生産過程内部の矛盾の爆発として起こる全般的過剰生産恐慌」とも、「自然災害などがもたらす急激な再生産の撹乱」とも異なると指摘したうえで、「それを『世界恐慌』というカテゴリーでとらえるかどうかについては、いろいろな議論がありうるだろう」と述べるにとどめておいた。
<コロナ経済危機の特徴――特殊な性格の『再生産の撹乱』>
<落ち込みの烈しさ(恐慌的な再生産の収縮)>
・第1に、2020年度の落ち込みの激しさである。日本の法人企業全体(2020年度:約291万社)の営業利益の動向をみると、コロナ禍のもとで、2018年度の67兆7300億円から、2020年度には41兆6300億円と急激に落ち込んだ。
<産業部門間で格差ある落ち込み>
・第2に、産業によって営業利益の落ち込みに、大きな格差が生まれたことである。とりわけ観光業、運輸業、サービス業の打撃は大きく、製造業も大幅に落ち込んだが、逆に情報通信業は利益をふやした。
<信用破綻をともなわない再生産の収縮>
・第3に、コロナ経済危機は、信用破綻(金融恐慌)をともなわなかったという意味でも通常の恐慌とは異なる特殊な経済危機であった。その象徴的な現われは、コロナ禍のもとでも、世界的に株価は上昇し続けてきたことである。日経平均株価の場合、コロナ・パンデミックが勃発した最初はかなり下落したが、その後は一貫して上昇し続けてきている。
<「アベノミクス恐慌」の初期局面と重なる>
・第4に、コロナ禍の以前から、すでに日本経済のかなり急速な減速、不況が始まっていたことである。コロナ禍がなくても、日本経済は、いわば「アベノミクス恐慌」ともいうべき不況局面に入りつつあった。
<グローバリゼーションの矛盾の露呈>
・第5に、グローバリゼーションのもとで過度に進行した貿易依存のサプライチェーンの矛盾が露呈したことである。とりわけ世界的な半導体不足は、自動車産業などの「部品不足」という意味での世界的な経済危機を加速させた。
<コロナ経済危機からの回復過程の特徴>
・コロナ禍による再生産の収縮は、経済外的な要因による経済危機であったから、その経済外的な要因が取り除かれたなら、今後の再生産の回復も急速であると予測される。2020年後半からは落ち込みからの回復が始まった。以下、今回の回復過程を規定する要因を挙げておこう。
<急速な回復:「K字型回復」、長期停滞の兆し>
・第1に、結果的にコロナ禍は、それまで累積していた過剰要因を解消するという役割も果たした。そのために消費の回復もかなり急速に進んだ。
・回復の水準の低さとともに、「K字型回復」と言われるような格差の拡大も特徴である。コロナ禍の影響も格差があったが、その格差が回復過程でさらに拡大しつつある。それは、再生産の不均衡を拡大して経済活性化の足かせとなり、長期停滞傾向に拍車をかけることになる。
98<投資の低迷:デジタル化、グリーン・ニューディールの動向>
・第2に、設備投資の動向としては、デジタル社会へ向けてのDX投資、グリーン・ニューディール投資などが喧伝されている。
コロナ・パンデミックによる社会的危機が、狭い意味の経済過程だけでなく人間の社会的諸関係の全体にかかわるものであるだけに、経済危機からの回復過程でも、様々な分野で最新のデジタル技術が利用されて
いく可能性がある。しかし、日本大企業については、「新自由主義」型経営からの脱却の兆しは見えていない。いわゆる「デジタル後進国」としての立ち遅れが続くものと予想される。
<国家の経済政策:再分配政策>
・第3に、コロナ禍は、資本主義各国で、それまでの「新自由主義」路線のかかげた「市場万能」主義から、「国家の経済的役割」を重視する政策への転換を余儀なくさせ、各種の給付金などによって国家財政を膨張させた。
<国際環境――世界的な長期停滞への移行>
・第4に、日本経済の国際環境がコロナ禍の前と後では変化しつつあり、それが回復過程にも大きな影響をもたらしつつある。米国は、長期的に続けてきた金融緩和政策からインフレ警戒の政策基調に転換した。2010年代の「アベノミクス」を支えてきた国際金融の条件は変化した。
<2020年代の日本資本主義――ファンダメンタルズの条件>
<歴史的な矛盾の累積>
・戦前から戦後にかけて170年の間に累積してきた日本資本主義のさまざまな矛盾は、各時期の経済発展のなかで、なし崩しで解消されてきたものであるが、解決されないまま、長期にわたって層をなして重なっているものがある。
・たとえば、「選択的夫婦別姓」を自民党などがかたくなに拒否するのは、明治以来の家父長制家族制度を保守政治が引き継ぎ、政治的基盤にしているからである。
<2020年代のフファンダメンタルズの危機――それを示す指標>
<国債発行の限界>
・コロナ禍への国家的対策によって国家財政の赤字は現在の自公政権のもとでは、とうてい再建不可能な域にまで達してしまった。
<異常な金融政策の限界(アベノミクスの「悪しき遺産」>
・2010年代は、安倍内閣のもとで、日銀の異常な金融緩和政策が強行されてきた。異次元の量的緩和によりマネタリーベースを急増させるために投資信託や国債を大量に買い入れて、マイナス金利政策を長期にわたって続けてきた。しかし、異常なアベノミクス金融政策の「悪しき遺産」の破綻の時期が迫りつつある。
<国際収支の不安>
・2010年代の日本の経常収支は、大企業の多国籍企業化による海外投資・利子配当所得によって貿易赤字を補い、黒字基調を維持してきた。しかし、発展途上国の急速な成長、世界経済の長期停滞傾向によって、2020年代には、そうした国際収支の条件が変わる可能性もある。
<人口減少社会、超高齢化社会の加速化>
・コロナ禍のもとで2020年の出生率はいちだんと低下し、人口減少は、社会保障・人口問題研究所の「将来推計人口」よりも、はるかに速いスピードで進行しつつある。2020年代には、いわゆる「2025年問題」(「団塊の世代」が後期高齢期に入る)、「2030年問題」(単身高齢者が25%になる)などなど、困難な条件が重なってくる。2020年代には、労働力人口の減少によって「日本経済の潜在成長率」は低下し続けるだろう。
<自然災害、環境・気候変動、感染症、原発問題>
・さらに忘れてならないのは、コロナ禍の収束のあとでも感染症・パンデミックの危険は続いていくことである。また、気候変動による自然災害の影響も年々増大している。これらのパンデミックや自然災害は、日本だけのことではないが、21世紀の資本主義諸国の共通の課題となっている。
<2020年代日本の二つの道>
・コロナ後、2020年代を展望するとき、日本資本主義のファンダメンタルズの危機は、日本の針路と国家の新たな役割をめぐって、二つの道のどの道を進むか、激しい闘いが予想される。
<政治反動化と憲法改悪の道――国民にとって苦難の道>
・コロナ後の一つの道は、日本社会の新たな発展をめざすなどという旗印をかかげながら、政治の反動化によって経済的生き詰まりを打開しようという道である。自民党と公明党、財界・大企業の支配層による、反動的な日本改革の道である。
この反動的な社会改革の目標は、憲法9条を改悪して、名実ともに、アメリカと一体になって戦争をする国に日本を改造する道である。
<日本社会の民主的再生をめざす道>
・コロナ後、2020年代のもう一つの道は、「劣化する政治」、「劣化する資本主義」の道から根本的に脱却するための反転攻勢の道、日本社会の新しい民主的な再生へ踏み出す道である。
今回のコロナ・パンデミックによって、「新自由主義」イデオロギー、たとえば、「市場万能論」、「小さな政府論」、「自己責任論」などが破綻した。パンデミックは、「新自由主義」の「市場万能論」とは真逆に、国家の役割を大きくクローズアップすることとなった。
<むすびにかえて――科学的社会主義の理論的課題について>
・最後に、2020年代の日本資本主義を展望し、政治の民主的な改革をめざす国民的なたたかいの発展のために、科学的社会主義の立場から求められる理論的な課題について提起しておきたい。
一つは、長期的な視点から日本資本主義の再生産・蓄積過程の諸条件について分析し、2020年代のファンダメンタルズの危機について深く理論的に解明することである。
・二つは、日本経済再生のための長期計画の検討である。この長期計画には、たとえばグリーン・ニューディールを具体化するための国内産業の復興計画、デジタル化社会のあり方についての民主的ルール、労働条件と国民の暮らしの発展のための制度改革、中国を含むアジア地域共同体などの国際的条件の構想、などなどが検討課題となるだろう。
・三つは、2020年代の日本資本主義を展望するためにも、世界資本主義の長期的な視点からの分析が必要である。コロナ・パンデミックの世界的な意味、資本主義諸国の長期停滞の兆し、中国や発展途上国の動向など、21世紀という時代の歴史的意味を解明する分析が求められている。
四つは、「新自由主義」型の資本主義を民主的に変革する方向についての理論的な検討である。現代資本主義が陥っている深刻な矛盾を解決するためには、踏み込んだ社会変革をおこなうことが必要になっている。
<21世紀資本主義の研究のために――科学的社会主義の理論的課題>
<21世紀資本主義の歴史的位置――「移行期の資本主義」としての特徴>
・最初に、唯物史観の視点から、21世紀資本主義の歴史的位置をめぐる問題について述べてみます。
レーニンは、「よその旗をかかげて」のなかで、資本主義の歴史的過程を、「ブルジョワジーの興隆の時代」「進歩的ブルジョワジーから反動的金融資本への移行の時代」「帝国主義的激動の時代」の三つの時代に区分して、それぞれの時代の特徴をつかむ重要性を指摘しています。このレーニンの時代区分は、今日の時点ではそのままでは適用できないでしょう。しかし、資本主義の時代的な特徴を長期的な視点でとらえるという指摘自体は重要です。
<「劣化する資本主義」の諸現象>
・一つは、資本主義的生産関係の「劣化現象」がさまざまな分野で現われつつあるという問題です。21世紀の資本主義については、さまざまな矛盾の激化、行き詰まりの実態があり、それを捉えて資本主義の危機とか限界とか終焉とか、いろいろな分析がおこなわれています。
・そうした現在の資本主義を特徴づけるとらえ方として、私は「劣化する資本主義」という規定を使っています。資本主義の矛盾が激化して、限界がきているのだけれども、それでもなお資本主義が延命している状態、いろいろな矛盾を解決できないまま延命しつつある現状を「劣化する資本主義」と規定しているわけです。
<社会変革のための、さまざまな試行錯誤的な動き>
・二つめは、「劣化する資本主義」の時代を変革主体の視点からとらえると、さまざまな試行錯誤的な動きが活発になります。政治的には、これまでの時代の流れからの類推を超えた想定外の現象が現われる特徴があります。
<生産力の発展と欺瞞的なイデオロギー>
・三つめは、労働の社会的生産力の発展にもかかわらず生産関係が変わらず、むしろ劣化し、反動的形態で長期化しているために、きわめて欺瞞的なイデオロギーが発生するという問題です。たとえば、生産力の発展を利用した欺瞞的イデオロギーの典型的な表われが「新自由主義」イデオロギーとみることができます。
<体制移行の「助産婦」としての国家の役割>
・四つめは、移行期における国家の役割の問題です。経済的な土台の研究のためにも国家の役割についての研究が必要です。その場合、社会変革による体制の移行を阻止する立場からの国家の反動的利用と、社会変革を促進する立場からの進歩的利用の両方があります。
<「資本論」を土台にした「広義の経済学」の必要性>
・五つめは、21世紀の移行期の資本主義を分析するためには、『資本論』を土台にした「広義の経済学」が必要であり、そのためには『資本論』の「理論の拡張」が求められるということです。
<移行期の経済分析、マルクス経済学の課題>
<21世紀の資本主義の生産力基盤の分析と「理論の拡張」>
・詳しい解説は省きますが、一言で言えば、現代資本主義の生産力基盤は、機械製大工業にICT革命が付け加わって構成されています。そのもとで、近年は、さらにAIが急速に進化し、さまざまな産業・社会分野に応用されつつあるが、これはまだ社会全体の生産基盤にまではなっていません。しかし、AIは、おそらく21世紀後半には生産力基盤の重要な役割を果たすようになると思われます。
<AIの進化と労働過程論、剰余価値論の「理論の拡張」>
・コンピュータやAI、ビッグデータやIoTなどによって、労働過程の内と外がつながるようになり、介護や医療などの対人関係の労働、サービス労働、ケア労働の労働過程も変化しています。『資本論』の労働過程論の「理論の拡張」が求められています。
<資本蓄積のグローバル化と再生産論の「理論の拡張」>
・現代の支配的資本は、ICT革命などの巨大な生産力を掌握することによって、「生産と資本の集積・集中」を新たな段階におしすすめてきました。独占『資本論』の「生産と資本の集積・集中」は、言うまでもなくレーニンが『資本論』の資本蓄積論を基礎にして、20世紀初頭の資本主義の研究によって理論的に発展させたものです。
<労働力の再生産過程の「理論の拡張」(人口問題)>
・労働力の再生産、雇用・失業問題などの分野では、『資本論』で解明された相対的過剰人口の法則は、現代の資本主義のもとでも基本的に貫いているのですが、それと同時に労働市場や労働過程の外でのさまざまな問題も重要になってきています。『資本論』で解明された人口法則(相対的過剰人口論)の「理論の拡張」が必要です。たとえば、人口減少時代のもとでの相対的過剰人口の法則の貫徹の特徴など、新しい解明が必要です。
<21世紀資本主義の矛盾の複合的な発現をめぐる「理論の拡張」>
・20世紀後半の急速な情報通信技術の発展と経済のグローバル化の進展のもとで、世界的に通貨・金融の分野でも新しい特徴が生み出されてきました。金融の肥大化と投機的なマネーがグローバルに運動するようになったことです。
現代の金融の肥大化・投機的マネー増大の背景には、それ自体は価値を持たない架空資本(擬制資本ともいう)が異常に膨張していることがあります。
<地球環境問題、エネルギーと地域経済、人間と自然の物質代謝の回復の理論>
・20世紀末から21世紀はじめの時代の特徴の一つは、科学・技術と生産力の発展によって、自然や地球環境を守る課題があらためてクローズアップされてきたことです。これは「理論の拡張」というよりも、新しい歴史的課題です。
<価値。価格論、サービス労働論における「理論の拡張」>
・マルクス経済学の基礎に据えられる労働価値説についても、新たな「理論の拡張」が必要になっています。
マルクスの『資本論』の労働価値説は、言うまでもなく物質的生産労働による価値形成を前提にしています。マルクスが『資本論』を書いた当時はサービス労働が市場で取引される量的な割合は小さかったのですが、現在では非常に増大しています。そこからサービス労働の価値論における扱いをめぐってさまざまな議論が生まれています。
<現代の帝国主義の検討>
・現代の帝国主義では、もちろんアメリカ帝国主義の研究が中心になります。その世界支配の軍事力、軍事国家の機構の分析は言うまでもありませんが、ここでは、「国際独占体」の発展が「現代帝国主義」の変化の土台になっていることだけを指摘しておきます。
<現代中国の政治・経済体制の研究>
・アメリカ帝国主義とともに米中対決の相手である中国の政治・経済体制の研究は、21世紀の世界史的な重要課題です。中国の問題は、本章の表題にかかげた「21世紀資本主義の研究のために」というよりも、さらに視野を広げて、「21世紀社会主義」の研究も含んできます。
<ブルジョア経済学(社会科学)の批判的検討>
・ブルジョワ経済学の批判的研究も必要です。ちょうどマルクスが、封建制から資本主義への移行期と資本主義確立期のブルジョワ経済学の研究に全力を傾けたように、資本主義の没落期と社会主義への移行期のブルジョワ経済学の動向を体系的に研究することが求められています。
<移行期の変革主体の形成をめぐる課題>
・私は、21世紀の資本主義は、劣化しながら延命しているとみているわけですが、そのおおきな要因は、社会変革の主体形成が立ち後れていることです。
<経済的土台・国家・イデオロギーを含む総合的な研究が必要>
・第1に、社会変革の主体形成の研究は経済的な分析だけではできないということです。国家、政治的な法制度、イデオロギー、文化、メディア、教育、などなどの上部構造を含む全体的な体系の中で変革主体が形成されるわけですから、総合的な分析が必要になります。
<ハードとソフトの両面からの研究が必要>
・第2にコンピュータ用語にはハードウェアとソフトウエアという分け方がありますが、変革の主体形成の理論の場合にも、ハードとソフトとの両面があると思います。ハードというのは客観的な社会科学的な分析による主体形成の戦略的な理論であり、ソフトというのは実際に実践的に運動をしながらつかみ出してくる変革主体の理論的な問題です。
<ジェンダー平等社会の実現の戦略的意義>
・第3に、男女差別を是正する課題の戦略的な位置づけの問題です。従来の19世紀以来の通説的理解からすれば、男女差別の根本的な解決は、資本主義の枠内ではできない、それは搾取制度を廃止する社会主義になってからだ、とされてきました。
私は、現代では「新しい民主主義革命」の段階で、ジェンダー平等の実現へ向けての社会的経済的な条件がすでに形成されつつある、戦略的にそう位置づけて「理論の拡張」をはかるべきだと考えています。それは、現代の生産力と経済社会の発展段階が19世紀のマルクス・エンゲルスの時代とは比べられないほど飛躍的に発展してきているからです。またジェンダー平等へ向けての社会的運動の飛躍的な前進があるからです。
<労働者階級論の「理論の拡張」>
・第4に、労働者階級論の「理論の拡張」という課題です。マルクスとエンゲルスが19世紀に達成した機械制大工業を土台とする労働者階級論をあらためて研究し直しながら、21世紀資本主義のもとで生産力体系がさらに発展してきている土台の上で、労働者階級論を深く研究する必要があります。
<21世紀の未来社会論の課題>
・第5に、移行期の社会変革の主体形成にとっては、新しい社会がどのような社会になるか、未来社会についての研究も大事です。その場合、マルクスが19世紀に構想した未来社会論を研究することは、もちろん重要な意義がありますが、それにとどまらずに、21世紀の現代資本主義の生産力的到達点を基盤にすえた未来社会論を創造的に研究する必要があります。
<21世紀資本主義から未来社会への「移行過程」の理論的探究>
・21世紀資本主義から未来社会への「移行過程」の理論的探究については、とりわけ高度に発達した資本主義における「新しい民主主義革命」の理論的探究の問題が重要です。
<移行期の唯物史観、唯物論をめぐる課題>
・最後に、移行期の歴史理論、唯物論、という哲学的な課題についても、簡潔に触れておきます。これらは私の専門外の領域ですが、歴史理論や認識論、論理学、方法論などの問題は、経済学の研究にとっても前提になりますから、たえず考えている問題ではあります。
<エマニュエル・トッドの家族人類史観>
・トッドは、家族の研究を土台に据えて人類史を再構成し、家族の類型によって世界史の大きな流れは良く説明できると主張しています。世界史は唯物史観だけでは説明できない、階級闘争史観だけでは駄目なのだ、家族の在り方、家族の類型的分類を基礎に据えた歴史の研究が必要だと強調しています。
<Y・N・ハラリの『サピエンス全史』、『ホモ・デウス』など3部作の批判的検討>
・マルクス主義を、宗教やナチズムと同列視する乱暴な世界史論については、しっかり批判的な検討が必要です。
<グローバリゼーションと人類史観、世界史論の新しい潮流の検討>
・21世紀に入り、「グローバル・ヒストリー」という新しい人類史の構想を展開する動きが起こっています。「非ヨーロッパ世界の歴史やそこでの歴史発展のあり方の重視」、「異なる諸地域間の相互連関、相互の影響の重視」などの特徴があり、従来の唯物史観による世界史理解への異論が主張されています。
<AIの進化にともなう人間論、唯物論的世界観の展開>
・20世紀初頭にレーニンは、『経験批判論と唯物論』を執筆しました。それから100年後の21世紀の今、唯物史観や唯物論について、あらためて哲学的な理論的考察が求められています。すでに述べたように、21世紀の資本主義のもとでは、ICT革命やAIの進化とともに、認知科学、情報科学、量子物理学、生命科学などなど、自然科学も急速に発展しています。人間論、唯物論的歴史理論、認識論などの哲学的研究が必要になっています。
<『資本論』の最終章>
・私は、はじめて『資本論』を読むという方がたの学習会、読書会に、チューターとして参加する機会が増えていますが、そうした場合には、学習会の第1回で参加者が顔合わせをするガイダンスのときに、最初に『資本論』第Ⅲ巻の最終章、すなわち第7篇第52章を読む、声に出して読み上げることにしています。第Ⅲ巻の最終章ですから、『資本論』体系全体の最終章でもあるわけです。
・『資本論』は、全3巻で98章、新刊書で3700頁を超える分厚い本ですから、推理小説や恋愛小説のように、一晩徹夜すれば読めるというものではありません。
<マルクスは、生涯にわたって「土地(自然)」「土地所有」問題を探求した>
・もともとマルクスとエンゲルスは、初期の「ドイツ・イデオロギー」のなかで、原始共同体や古代社会における土地所有のあり方について、さまざまな面から論じていました。
このように、マルクスとエンゲルスは、理論活動の出発点から最晩年にいたるまで、土地所有問題に関心を持ち続け、その歴史的、理論的な探求を続けていたのです。
<経済学体系における「土地(自然)」「土地所有」の現代的意義>
・さて、これまで述べてきたことをもとに、現代の資本主義を分析するときに、「土地」の問題や「土地所有」の問題をどのように考えるべきか、現代の経済学体系における「土地」「土地所有」範疇の位置づけについて考えておきたいと思います。
すでに述べてきたことのまとめとして、具体的に6点をあげておきます。
① 資本主義的生産関係(搾取関係)の前提としての「土地」の問題
② 地球環境危機、自然災害の問題
③ 原発ゼロ・自然エネルギーへの転換の問題
④ 自然科学・技術の発展と労働者階級の問題
⑤ 農業・食糧問題
⑥ 生命の維持・再生産(人口問題――長寿・生殖・家族・社会保障)の問題
・現代の資本主義社会では、「少子化」と「人口減少」が大きな問題となっています。「資本」は、人間にとっての外的な自然、地球環境を破壊するだけでなく、自然の一環としての人間そのものの存在をも、脅かし始めているかのように見えます。そうした視点から、経済学のなかでの人口問題の位置づけも検討してみる必要があります。
<むすびにかえて>
・マルクスも述べているように、資本主義生産の発展とともに、土地所有のあり方は大きく変貌し、それとともにかつての大土地所有者階級はしだいに分化・解体し、土地所有形態も多様化します。そして、社会階級としては《資本―労働》への二極化が進んでいきます。しかし、すべての土地が国有化されない限り、資本主義のもとでは、土地の私的所有の問題が消滅することはありません。いずれにせよ、土地の所有形態がどのようなものになろうと、その根源にある「土地(自然)」そのものの意義がなくなることはありません。
資本主義的生産様式は、近代社会の三大経済範疇(資本・土地所有・賃労働)を前提として成り立っているということを、あらためて明確につかんでおくことが必要です。
・しかし範疇としての「土地所有」は、その根源には「土地」を前提としており、それは社会主義のあらゆる経済活動の根本的な自然現象をなすものです。さらに「土地」「土地所有」は、資本主義社会だけでなく、人類発生以来の全歴史にかかわる「広義の経済学」の最も基底的な範疇です。科学的経済学は、そのことをつねに念頭に置いておく必要があります。
<あとがきにかえて――21世紀資本主義と「新しい民主主義革命」>
・「新しい民主主義革命」の「新しい」とは、かつての資本主義生成期の土地改革を戦略的課題とする「ブルジョア民主主義革命」が旧い民主主義革命だったとすれば、21世紀の高度に発展した資本主義のもとでの新しい民主主義革命という意味である。
・よく知られているように、日本の科学的社会主義の政党である日本共産党の場合は、第2次大戦前から民主主義革命をへて社会主義革命へすすむという二段階革命の戦略をとってきた。
・20世紀末から今日にかけて、旧ソ連・東欧諸国の「社会主義体制」が崩壊することで、欧米諸国の共産党が軒並み危機的な状態に陥ったのにたいして、日本共産党が国内で確固とした地位を維持してきたのは、同党の綱領的礎がしっかりしていたからである。それは国際的に見ても、その理論的水準の高さを証明していると言ってよいだろう。
・こうした21世紀世界で実現すべき「新しい民主主義革命」の戦略的課題は何か。たとえば、次のような課題がある。
① 核戦争の阻止・核兵器の廃棄
② 地球環境・気象変動、感染症対策などを含め、人間と自然の物質代謝の合理的管理
③ ジェンダー平等社会の実現、LGBTなどを含め、より発展した人権の制度的確立
④ 国際独占の支配を民主的に規制する経済改革と民主的労働改革
⑤ デジタル社会のための民主的ルール、人間の成長のための教育・文化改革
⑥ 民主主義的な選挙制度による民意を正確に反映する議会政治の実現――などなど
こうした課題は、まだ資本主義的生産様式を社会主義的生産様式に変革することをめざすものではない。労働者階級だけではなく圧倒的国民多数派の要求を実現する「民主主義的な課題」である。しかし、かつての「ブルジョア民主主義革命」が土地制度の改革を中心的課題としていたこととは、その性格が質的に発展している新しい性格の民主主義的変革である。
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