こうして日銀は「過去の間違い」を正当化するために、その後もずっと間違いを犯し続け、デフレを引き起こし放置し、どんどん悪化させました。(1)
(2023/3/5)
『理系思考入門』
経済ニュース、増税、政治家の無策………基礎がわかればもう騙されない!
高橋洋一 PHP 2022/3/31
<「バブル経済」を引き起こした主犯は誰だ?>
<バブル経済になったのは、プラザ合意対策のせい?>
・1985年のプラザ合意から時を経ずして、日本は「バブル景気」に突入していきます。一般にバブル期とは、1986年12月から1991年2月までの51カ月だとされます。プラザ合意によって「ダーティ・フロート」をやめた日本国内では、むしろ「円高不況」が心配されていました。プラザ合意の前には1ドル=235円前後だったものが、1年後には1ドル=150円前後になったのですから、その心配はもっともです。
では、それなのになぜ、日本はバブル経済に突入したのでしょうか。
・円高不況は1987年には回復基調に入っていたものの、このルーブル合意によって、日本はドルを支えるために利上げをしにくくなりました。結局、1989年5月に3.25%に引き上げられるまで、公定歩合は低いまま据え置かれることとなり、この「金融の超緩和」が不動産や株式に対する過剰な投機を促し、バブル景気をもたらした――というのです。
この見方は、果たして正しいでしょうか。
<バブル期は、株と土地以外は「超フツーの経済」だった>
・1980年代後半の「バブル期」ほど誤解されているものはないと思います。バブル期には何でも価格が上がり、激しいインフレが起こっていたかのように思っている人がたくさんいます。
しかし、現実は違います。価格が上がっていたのは土地や株式など一部の資産価格だけです。一般物価はそれほど上がっていませんでした。
「バブル期はものすごく経済の調子がよく、経済成長率は非常に高かった」という認識も誤りです。当時の経済成長率は、先進国水準ではごく平均的なものでした。
・今から振り返って見ると、とても健全な経済であり、いわば「フツーの経済です。バブル期はネガティブに見られることが多いのですが、マクロ経済指標では異常な要素は見当たりません。
一般物価を見る限り、狂乱物価でもなくバブルでもありませんでした。では、何が「バブル」だったのか。異常に高騰していたのは、株価と不動産価格です。
・バブルがはじけて以降は、土地の価格が下落して土地は担保価値を失いました。金融機関は融資の回収を急いだものの、回収しきれずに多額の不良債権を抱えることになりました。
このように株と不動産に関しては、異常な状態でした。その一方で、GDP成長率、物価上昇率、失業率などマクロ経済のほうは至って健全でした。
片方はきわめて異常で、もう一方は健全な状態です。この状況を当時の日銀は正しく分析することができませんでした。両者を分けずにまとめて一つの経済状態と考えてしまったのです。そのため、インフレではないにもかかわらず不要な引き締めをすることになり、以後、それを正当化するための施策が続くことになるのです。
<「バブルかどうか」は当時は誰にもわからなかった>
・しかし、当時は誰も「今はバブルだ」とは思っていませんでした。バブルは、あとになってからでないと気づかないのです。
FRBのグリーンスパン元議長は、「バブルは、崩壊して初めてバブルとわかる」と述べています。まさにその通りで、崩壊してからでないとバブルには気づけないものです。
バブルはめったに起こらない現象のようにいわれていますが、実は世界ではよく見られる現象です。不良債権問題が生じたかどうかでバブルの有無を判断するのなら、先進国に限らず世界のほとんどの国で頻繁に起こっています。
<法律の不備をついて証券会社はデタラメなことをやっていた>
・私は、証券局の業務課に在籍していました。そこで目の当たりにしたのは、ほぼ違法ともいえる証券会社の営業の実態でした。
証券会社の営業担当者は、顧客に対して事実上の損失補填を約束しながら株式の購入を勧めていたのです。しかも、株式購入資金を顧客の自己資金でまかなうのではなく、銀行が融資するパターンも横行していました。株式の購入に限らず土地の購入でも、銀行が融資するパターンはよく見られました。
・売買一任は禁止されていましたが、法令の不備があり、営業特金は野放しの状態でした。また、法令上、事前の損失補填は禁止されていましたが、事後の補填を禁止する明文上の規定がなかったため、その点でも法令の不備がありました。
・おいしい仕組みですから、財テクをしたい企業からの注文が次から次へと証券会社に入っていました。営業特金とファントラ(ファンド・トラスト)が異常に高い株式売買回転率を示していたのは、このようなカラクリがあったためとわかりました。
株価が急騰していたのは、マネーがあふれていたからではなく、異常な回転率の高さからでした。それにつれられて、一般投資家も「もっと値上がりする」と思って株に手を出していました。
<あと少し通達が遅れていたら、証券会社は大クラッシュしていた>
・実は、この仕事は時間との闘いでした。株価が上がり続けていたために問題が起こっていなかっただけで、もし株価が下がり始めたら、本当に証券会社が保証をせざるをえなくなります。一気に証券会社がクラッシュしてしまうかもしれません。証券会社にとっては切迫した状態だったと思います。
<日銀の「会計な引き締め」で、それから20年の悲劇が始まった>
・つまり、1980年代のバブルは株価と不動産の価格が過熱した資産インフレであり、その主因は法律や規制の不備という穴だったのです。のちに法律を改正しましたが、まずは通達を出すことで穴をふさぎましたので資産インフレは収まっていきました。1989年12月の証券局の営業特金禁止通達で「株バブル」が終わり、1990年3月の銀行局の不動産融資総量規制通達で「不動産バブル」が終了したのです。
前述したように一般物価のほうは、まったく問題はありませんでした。
・つまり、バブルといわれていた当時の物価は安定していたのです。
にもかかわらず日銀は、そこで金融引き締めを行ってしまいました。
当時の日銀総裁は三重野康氏でした。三重野氏は、1989年12月から1994年12月まで5年間、日銀総裁を務めましたが、バブル退治をしたとしてマスコミは「平成の鬼平」とさかんにもてはやしました。このとき、不必要な金融引き締め政策をマスコミが高く評価してしまったことで、それ以降の日本経済はどん底に叩き込まれることになります。
当時の日銀には、公定歩合の上げは「勝ち」、下げは「負け」と呼ぶ風土がありました。「勝ち」「負け」という呼び方を私も幾度もなく聞いています。
これは大蔵省と日銀の微妙な関係を反映したものです。日銀総裁には大蔵省出身者と日銀プロパーとが交互に就任するという不文律がありました。大蔵省は財政支出を抑え税収を増やせる景気刺激策として金利引き下げを求める傾向があります。日銀とすれば、大蔵省への対抗意識もあるのか、公定歩合の上げを「勝ち」と見ている雰囲気がありました。
・1989年5月に2.50%から3.25%に引き上げて、ようやく日銀は「11連敗」を食い止めました。当時、三重野氏は日銀副総裁でした。
同年12月に三重野氏が総裁に就任してからは三連勝して、1990年8月には公定歩合は6.00%に達しました。三重野氏が「平成の鬼平」と呼ばれるようになったのは、このころです。
しかしながら、1989年に最高値をつけた株価は、1990年に入ってからどんどん落ちていて、8月の時点ではバブル崩壊は誰の目にも明らかでした。
・利下げのタイミングが遅れると、その後の引き下げは後手後手となって、景気回復ができなくなります。ここからまさに、悲劇ともいうべき「失われた20年」が始まっていくのです。
<日銀の自己正当化が悲劇を長引かせた>
・バブル当時、さかんに「金余り」だといわれていました。しかし私は、証券行政を担当しながら「何か違うのではないか」と感じていました。
通貨供給量が多すぎるのであれば物価は上がるはずです。ところが物価は上がっていませんでした。一般物価は安定していて、インフレは起こっていません。
そんな状況下、日銀はインフレになっていないのに金融引き締めをしたのです。私は通貨供給量が原因で株や土地の値段が上がっているわけではないと見ていましたので、日銀の金融引き締めの意味がわかりませんでした。
・営業特金の規制をしたことで取引規制の抜け穴が一つふさがれましたので、売買回転率が落ちて株価が下がることは予測できました。
・私は株価を注視していましたが、予測値の2万5000円を割り込んでいきました。なぜ予測値を割り込んでしまったのか。どう考えても、日銀による金融引き締め以外の理由は見当たりませんでした。
資産価格だけが上がっていて、一般物価は上がっていませんでしたから、バブルの原因が通貨供給量とは考えられません。しかも、市場を歪める法の不備はすべて解消されています。この局面で、なぜ日銀は重ねて金融引き締めを行ったのか。
・「インフレ目標」というものを知ったので、バーナンキ教授に「資産価格が上がったときに、インフレ目標をするのですか」と聞いてみたのです。
すると「いや、資産価格はインフレ目標の定義に入っていない。関係ない」と教えてくれました。金融政策は一般物価だけを見て判断すればよいのであって、資産価格がいずれ一般物価にも波及するような場合を除いて、資産価格は見る必要がないというのがセオリーだと知りました。
一般物価が上がっておらず、資産価格だけが上がっているときに金融引き締めをした当時の日銀の政策は、やはりセオリーに反するものだったのです。
・しかし、日銀はバブルの原因が回転率の高さにあったことを見抜くことができず、マネーが原因だと考えたため、金融引き締めで市場からマネーを引き揚げてしまいました。それが、のちの不況やデフレに大きな影響を与えることになりました。
ところが、日銀の官僚たちは金融引き締めが間違いだったとは決して認めません。「官僚の無謬性」という言葉がありますが、「金融を引き締めたことは正しかった」という考え方が受け継がれていきました。
・こうして日銀は、「過去の間違い」を正当化するために、その後もずっと間違いを犯し続け、デフレを引き起こし、放置し、どんどん悪化させました。バブル後の20年間を見てみると、日本のマネーの伸び率は先進国で最低です。最下位を20年間も続けるのは、どう考えても正常な姿とはいえません。間違いを認めないから、同じ過ちが繰り返されてきたのです。
<バブル処理の仕方は確立されているから、バブルを過度に恐れる必要はない>
・一般物価と資産価格の動向をチェックすれば、バブルを分析できます。先ほど紹介したバーナンキ教授の話からもわかる通り、このうち金融政策にとって重要なのは一般物価のほうです。
金融政策のセオリーでは、資産価格は見ないで、一般物価だけを見て判断できます。一般物価が上がれば「引き締め」、一般物価が下がれば「緩和」。それだけです。
・残念ながらバブルの事前の回避策はありません。しかし、事後策ならあります。セオリー通りに対応すればリカバリーはできるのです。
・私がここまで述べてきたバブルの分析も、もちろん後語りであり、後知恵です。「今にして思えばこうだった」という分析です。本章で書いてきたように、その渦中では、必ずしも状況や原因を、すべて適切に把握できていたわけではなりません。
<不純な「日銀法改正」と、痛恨の「失われた20年」>
<「失われた20年」の原因は何か?>
・前章で見たように、日本銀行が「『資産価格』と『一般物価』を分けて考える」という金融政策のセオリーに反して、「一般物価」が問題ある水準ではなかったのに金融引き締めを行った結果、日本経済はどん底に叩き込まれることになりました。そして、それが間違いだったことを認めたくないとばかりに引き締めに固執したために、「失われた20年」といわれるデフレの泥沼にはまってしまったのです。
・これまで幾度も述べた通り、私は「失われた20年」の原因は、日銀の金融政策の失敗(不必要、かつ過度の金融引き締め)にあると考えています。
しかし世の中には、様々な理由を並べる人たちがいます。たとえば、ざっと次のようなものが挙げられるでしょう。
・不良債権が足枷になった。
・バランスシート不況になった
・IT投資、デジタル化に出遅れ、生産性が上がらなかった
・ゾンビ企業が生き残り、イノベーションに後れをとった
・岩盤規制を打ち崩す構造改革が不十分だった
それぞれ至極もっともな意見ですが、結論を先にいってしまえば、いずれの見方も、経済の「原因」と「結果」を見誤っていると私は思います。
<「不良債権が足枷になった」はまったくのウソ>
・「バブル崩壊後に日本経済の足を引っ張ったのは、不良債権だ」と思っている人はたくさんいます。しかし、不良債権というのは金融機関の経営の問題であり、経済全体に大きな影響を及ぼすほどのものではありません。「不良債権の先送りが経済低迷の原因だ」などといわれましたが、不良債権の先送りはいつでも起こっている現象です。
ミクロのことだけを見ていえば、不良債権の先送りはしないほうがいいに決まっています。しかし、マクロ側から見ると、マクロ経済を良くすれば不良債権は自然に減少していきます。
・「原因」と「結果」でいえば、不良債権問題の「根本原因」は、主として金融政策の失敗であり、不良債権というのは単なる「結果」にすぎません。
おそらくバブル崩壊後に日銀がきちんと金融緩和して経済成長を促していれば、不良債権問題は5年くらいで問題のないレベルにまで解消したのでしょう。それが10年も20年も長引いてしまったのは、低成長、マイナス成長で経済が伸びなかったからです。
・不良債権もバランスシートも、個別企業の経営の問題であり、「ミクロ」の世界です。それが日本経済全体と言う「マクロ」の原因になることはほぼないと思っていいでしょう。
その反対に、「マクロ」経済は「ミクロ」に必ず影響を与えます。金融政策と財政政策でマクロ経済を良くすることが、個別企業にとって一番恩恵がある道なのです。
・不良債権もバランスシートも、個別企業の経営の問題であり、「ミクロ」の世界です。それが日本経済全体という「マクロ」の原因になることはほぼないと思っていいでしょう。
その反対に、「マクロ」経済は「ミクロ」に必ず影響を与えます。金融政策と財政政策でマクロ経済を良くすることが、個別企業にとって一番恩恵がある道なのです。
<経済が収縮するデフレ不況下で、できるはずがないこと>
・次に、「IT投資、デジタル化に出遅れ、生産性が上がらなかった」「ゾンビ企業が生き残り、イノベーションに後れをとった」「岩盤規制を打ち崩せなかった」という議論について見ていくことにしますが、これらも結論は「ひと言」で終わりです。
「経済が収縮するデフレ不況下で、そんなことができるはずがない」――それだけです。
たしかに事実関係を見れば、「失われた20年」の期間を諸外国と比べると、日本のIT分野をはじめとする投資額が低かったことは否定できません。
<「デフレ勝者」が金融機関の経営者になってしまった>
・デフレというのは、物の価値が下がることであり、金利が下がっていきます。金融機関の中で、金利が下がって儲かる部署は債券部門です。金利が下がると債券価格が上がりますから評価益が出ます。一方、貸出部門は儲からなくなります。貸出しの回収もうまくいかず利益がなかなか出せません。
・しかし、金融機関経営というのは「ミクロ」の話です。日銀の仕事はミクロではなく、「マクロ金融政策」です。金融機関経営のことなど考えずに、まさに「独立した金融政策」をしなければいけません。「金融機関経営は金融庁の仕事」と割り切って、任せてしまえばいいのです。
・「金利が上がると、国債の利払いが増えるから国家財政が大変になる」という意見も耳にします。しかし、これも一方だけを見ているにすぎません。
経済学的にいえば、金利と経済成長率はほぼ一致します。金利が上がれば経済成長率も上がりますので、税収は自然に増えていきます。
・実際、歴史を振り返ると、様々な悲劇が「経済失政」によって起きていることがわかります。
<TPPも雇用法制も、世間でいわれていることはウソだらけ>
<自由貿易は戦争を「抑止」するものであり、止めるべきではない>
・私がときに不思議に思うのは、我が国でよく「自由貿易」に対する反対意見が声高に叫ばれることです。最近のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)反対の議論の中にも、ずいぶんと理解に苦しむ論調を見かけました。
もちろん、「自由貿易」で自分たちの利益・権益が侵されるおそれを感じている人々は反対するのでしょう。また、「プラザ合意はアメリカの仕組んだ罠だ」などということを真面目に信じている人も、そういう陣営に与するかもしれません。どの国にも自由化反対論者はたくさんいて、グローバリズムに対する根強い反対意見はあります。
しかし、そういう人たちは、自由貿易の歴史的背景や理論に触れたことがあるのでしょうか? ことに日本人は、戦後、自由貿易の恩恵を大いに享受してきています。その日本人の一人として、歴史や理論を知ったうえで本当に「自由化反対」などといえるのか、どうにも不可思議に思えるのです。
・私は「国際平和五角形(ペンタゴン)」と呼んでいるのですが、戦争を防ぐ国際平和の五要件というものが示されています。
(1) 同盟関係を持つこと
(2) 相対的な軍事力
(3) 民主主義の程度
(4) 経済的依存関係
(5) 国際的組織加入
これらの五要件は、いずれも戦争を起こすリスクと関係があります。この中の(4)に、経済的依存関係という要件が含まれています。
・貿易を進めることは(4)に該当します。経済的依存関係が増えると戦争リスクが43%減少するというのです。
このようなことを知れば、どんなに反対意見が強くても、貿易自由化は止めるべきではないことが、よくわかります。自由化は戦争を抑止する方向に働くからです。
<関税率を下げるとWin-Winになるのが経済学の常識>
・また、二国間の自由貿易が増えると、両国に利益をもたらし、Win-Winの関係になる、ということは、経済学の中でも最も確度の高い命題でもあります。摩擦が生じることはありますが、全体として見ればWin-Winですから、経済学者で自由貿易に反対している人はいません。
もちろん、Winの大きさは違います。日米貿易でアメリカのWinのほうが大きくて、日本のWinのほうが小さいケースも、その逆も出てきます。しかし、日本がマイナスになることはありません。両者がWinになるというのは、自由貿易の定理のようなものです。
・関税を引き下げれば、デッドウェイトロスの分を取り戻せます。誰の利益になるかはわかりませんが、全体では利益が増えます。
マクロで見ると関税引き下げが必ず得をするというのは、この理論が根拠になっています。
・関税を引き下げれば、得をする人もいますし、損をする人もいます。農業従事者にとっては大きな損失が出るかもしれません。しかし、国全体で見ると、関税引き下げはデッドウェイトロスがなくなる分だけ必ず得をするのです。
個々の利害関係者が集まって「私は得をする」「私は損をする」という議論を繰り返していても、実りのある結論にはなりません。国全体のトータルで取り分を大きくしましょう、というのが関税を引き下げていく自由貿易の考え方です。
あとは、関税引き下げによって利益を失ったり、失業したりする人に対して、どう手当てをするかです。
・TPPについていえば、内閣官房は、政府統一試算としてマクロ経済効果を3.2兆円としています。おそらく内閣府は「デッドウェイトロス」の計算をしているのだと思います。そうでなければ、数値など出すことはできません。関税をかけることによって発生するデッドウェイトロスがなくなることが、TPPのマクロ経済効果です。
自由貿易の公理のようなものですから、どんな反対論者でも、この理論を論破することは無理です。
<TPPで海外から安いものが入ってきてもトータルでは利益になる>
・貿易自由化によって、利益を受けるのは国内消費者と海外生産者であり、一方、打撃を受けるのは国内生産者です。現実的には、国内消費者はメリットをあまり実感できない一方で、国内生産者はデメリットを大きく実感しますので、政治問題が起こります。
・さらに、前述した「デッドウェイトロス」の要素を加味すれば、貿易自由化を進めて関税を引き下げたほうがトータルでの利益は大きくなるのです。
国内消費者、国内生産者、それに海外生産者のすべてのメリットを合算すれば、日本にとってメリットになり、そのメリットを国内で再分配することによって、誰も損しない状況をつくることができます。
<「毒素条項」は、TPP以前の貿易協定でもだいたい入っていた>
・TPPの反対論者の中には、日本にばかり不利なルールを押しつけられるので加盟すべきではない、という人もいます。これは、マクロ経済の話ではなく、国際間のルールの話です。おそらく、ISD条項のような毒素条項を懸念しているのだろうと思います。
ISD条項は、投資家が不利益を受けた場合に、相手国に損害賠償を求める訴えを起こすことができるという条項です。TPP交渉で初めてISD条項なる恐ろしい毒素条項が組み入れられたかのように報じられていますが、マスコミの人はおそらく過去の貿易・投資協定のことを知らないのだろうと思います。
毒素条項はこれまでの貿易・投資協定にも何度も入っていました。日本でも20件以上、毒素条項が入った貿易・投資協定が結ばれています。
それらの毒素条項をこれまで日本が行使されたことは一度もありません。
<「終身雇用は日本型の雇用制度」は大きなウソ>
・たとえば、終身雇用を「日本型雇用制度」や「日本的経営」と見るのは間違いです。戦前の状況から振り返ってみるとよくわかります。戦前の日本には、終身雇用などというものはありませんでした。労働者は月給取りどころか、大半の人は日給で働いていました。戦前は「裸の資本主義」に近い世界でしたから、終身雇用といった概念はほぼ存在しない世界でした。
終身雇用の慣行ができたのは、戦後の高度成長期のころです。「1ドル=360円」という、とびきり有利な為替レートの恩恵もあって、日本企業は非常に大きな利益を出すことができました。
・もっと端的にいえば、終身雇用は為替レートに連動しているといっても過言ではありません。1960年代は「1ドル=360円」という有利な為替レートであったため、終身雇用が成り立ちました。しかし、1971年からは円高が進み、日本の輸出企業の為替の恩恵は減っていきました。プラザ合意後の1985年からは為替レートの恩恵はまったくなくなっています。そのころから、徐々に終身雇用を維持するのが難しい状況が生まれてきました。1990年代には大規模なリストラも行われるようになっています。
<終身雇用は「慣行」であって「制度」ではない>
・終身雇用について議論されるときに、「終身雇用制度」と呼ばれることがあります。しかし、間違えてはいけませんが、終身雇用は「制度」ではなく「慣行」です。
雇用契約書を見ていただいても、どこにも「終身雇用する」とは書いてないはずです。契約書に雇用期間が書かれていないことから、「期間の定めがない」という解釈をして、ずっと雇用契約が続くとみなしているにすぎません。
・労働環境は、企業ごとに異なるものなので、政府が一律に決めるわけにはいかない領域です。政府は最低限の労働者の権利を保護して、あとは「労使ともにいい関係をつくって下さい」というしかありません。終身雇用するかどうかは、あくまでも企業が決めることであって、それぞれの企業の「慣行」なのです。
<雇用慣行は政府が口出しすべきでない分野の一つ>
・要するに、個人の価値観によって有期が良いのか、無期限が良いのかは違ってきます。政府が一律に決められるような問題ではありません。
私は、雇用慣行とは経済活動の結果として起こる「自然現象」だと見ています。いわば、仕事の性質や業績に付随する副産物です。業績が好調でゆとりのある会社では、労働者にとって有利な慣行がつくられるでしょう。終身雇用型慣行になるのかもしれません。あるいは終身雇用とは別の労働者が魅力を感じる慣行になるのかもしれません。人材囲い込みのために企業は知恵を絞るはずです。
「終身雇用をしなくなったから、日本の企業は成長できなくなった」と主張する人もいますが、本質的な原因と結果を見誤っています。終身雇用によって日本企業が成功したわけではなく、高度成長期の日本企業が成功した結果の「副産物」が終身雇用なのです。
・政府の仕事は個々の企業の雇用慣行に口出しすることではなく、経済全体を成長させて、より多くの企業が儲かるようにすることです。ミクロのことは企業に任せて、マクロ経済をより良くしていくのが政府の役割です。
<「普通にやっていればうまくいく経済環境」をつくり出すために>
・間違いなくいえることがあります。それは、ひと言でいうなら、「『失業者を最少化すること』こそが、マクロ経済政策の目的だ」ということです。
失業者が減っているのなら、その経済政策はおおむね正しい政策といえます。しかし、失業者が増えているのなら、経済政策としてはどこかに不満があります。
私がいつも考えているのは、「全体のパイを増やすこと」です。経済成長と言い換えてもいいのですが、経済成長して全体のパイが増えれば、分配できる物が多くなります。パイが小さくなると、取り分をめぐって争いごとが絶えなくなります。パイを大きくしてみんなで分け合うことが一番いいのです。パイが大きくなれば失業者も減ります。
・多くの人は、為替レートは天から降ってくるようなものと思っているようですが、実際のところ、為替レートは金融政策で決まります。つまり、人間の意図で決まるものです。人間の意図で決まるのであれば、それをきちんと利用してマクロ経済政策を打つべきです。
・本書に書いたように、高度成長期の原動力も為替でした。1985年9月のプラザ合意以前は、実際の為替レートは大幅な円安です。日本の技術水準は高かったけれども、それを生かすも殺すも為替レートであり、価格競争力がなければ、技術をアピールすることもできなくなります。
・その一方、カネを刷れば円安にできるのに、円高を放置した日銀の責任は大きいのです。このエピソードは、日本を代表する電機メーカーや自動車産業などでも共通している政策の失敗例です。
マクロ経済政策においては「失業者を減らすこと」が一番重要な目的です。そのほかのミクロのことに関しては、政府は民間の邪魔をせず、余計なことはしないで、民間の人に知恵を絞ってもらえばいいのです。
<「選挙結果は民意でない」という驚愕コメント>
・死票が多いのが小選挙区制度の特徴ですから、得票率と議席獲得に差が出ることは仕方のないことです。すべてを比例代表にすれば、得票率に応じて議席が獲得できますが、全議席比例代表にするとヨーロッパのように小政党が増えて、連立政権が多くなります。連立政権というのは、寄せ集めですから実効性がうまくとれない、つまり「決められない政治になりやすい」というデメリットがあります。
日本の場合は、完全な小選挙区ではなく、比例代表も入れて、小選挙区と比例の両方の側面を持った選挙制度です。
<マスコミの「知識不足」はフェイクニュースの温床>
<「伝える」役割なのだから最低レベルはクリアしてほしい>
・マスコミの人たちがトンチンカンな記事を書いてしまうのは、勉強不足で、根本的なことがわかっていないから、という場合も多々あります。いや、むしろそんなことばかりかもしれません。
安全保障の専門家に聞けば、「マスコミの外交論や軍事論は、お花畑でお話にならない」という評価を下すことも多いでしょう。また、科学者が「マスコミの科学記事は噴飯ものだ」といっているのを聞いたこともあります。
<実は経済運営というのはこれだけで終わり>
・NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemployment)
に達すると、人出不足になりますから、賃金が上がります。ただし、すぐに上がるわけではなく、少しタイムラグがあり、NAIRUに達した半年後ぐらいから賃金が上がり始めます。
各国の経済運営で目指しているのは、グラフの黒丸のところ、すなわちNAIRUです。実は、経済運営というのは、これだけ。これで終わりです。
黒丸よりも左にあるときには、積極財政、金融緩和をすると、グラフの右の方向に動きます。黒丸よりも右にあるときには、緊縮財政、金融引き締めをすると、左の方向に動きます。いまどこにいるかで、やる政策が決まってきます。ある意味で、ほとんど自動運転できるような仕組みです。
民主党政権のときには、デフレが続いて、グラフの左のほうにいました。金融緩和すべきでしたが、しなかったため、ずっと左上のところにいました。安倍政権は、金融緩和をしたため、グラフが右のほうに動いていきました。2018年初頭の段階では、デフレを脱して少しインフレになった状況のところにいます。失業率は2.7%にまで下がりましたが、まだ黒丸の地点には行っていません。
<アメリカの記者は金融政策と失業率の連動を知っている>
・「フィリップス曲線」で示されているように、金融緩和をすると失業率は下がっていきます。ところが、日本のマスコミは、「金融政策」と「失業率」が関係があるということをまったく理解できていません。
<雇用の増えはじめで「平均賃金」が下がるのは当り前>
・左派系のマスコミや野党などは、アベノミクスを批判するときに、「賃金が下がっている」という言い方をします。
雇用が増えていく過程で、平均賃金が下がるのは当然のことです。新規に雇用される人はあまり給料をもらえませんので、平均賃金は下がっていきます。いままで働いていなかった人は、働けるのであれば、安い賃金でもいいから働いて所得を得ようとします。
・経済がよくなると、まず雇用が増えて、そのプロセスでは平均賃金が一時的に下がり、やがて全体の賃金が上がり始めます。時間差はありますが、最終的に非正規も正規も賃金が上がりますので、「雇用を増やすこと」が何よりも重要なのです。
・アベノミクス批判をする人たちは、雇用が増えても正社員の賃金が上がっていないといいますが、正社員の賃金が上がるのは一番最後です。最初にアルバイトの賃金が上がり、最後に正社員の給料が上がります。
アルバイトや非正規の人は、給料が上がりやすく、下がりやすいという特徴があり、正規の人は、給料が上がりにくく、下がりにくいという特徴があります。正規の人の賃金上昇は、一番遅れて現れる現象です。そのかわりに、正規の人は不景気になってもデメリットを受けるのは最後の最後です。
・雇用が増えているというのは、企業が採用を増やしているということであり、経済活動が活発になっている証拠です。雇用さえ見ていれば、他の経済指標を見なくても、経済活動が活発になっているかどうか、わかるのです。
左派系の人は、「雇用が増えている」というアベノミクスの成果を認めたくないために、一時的に起こるわずかな賃金減少を持ち出して、アベノミクスの失敗だと言い張ります。おそらくマクロ経済の仕組みがわかっていないのでしょう。
安倍総理は、そういう批判に動じることなく、経済について話をするときにはいつも雇用の話を最初に持ってきます。雇用がよくなれば、いずれ賃金は上がっていくという仕組みをよく知っているからです。
<大学生の就職率は金融政策から簡単に予想できる>
・雇用情勢がよくなっていることは、大学生の就職率を見るとよくわかります。大学生の就職は雇用情勢の影響を露骨に受けます。
私の勤めている大学でも、民主党政権のときには、就職が本当に大変でした。就職できる人は3分の2くらいで、3分の1は、新卒時点で正規の職に就けませんでした。
・安倍政権になって政策が変わり、金融緩和が行なわれましたから、失業率が下がっていきました。失業率が下がると、翌年の就職率が確実に上がります。私は、5年間、失業率と就職率を予想してきましたが、毎年ほとんど当たりました。
<「株価が上がって儲かるのは資本家だけ」は大間違い>
・「雇用」は、「株価」とも密接にリンクしています。「株価」が上がると、「半年後の就業者数」が増加します。株価のグラフと、半年間ずらした、半年後の就業者数のグラフを比べると、ほとんど重なり合い、見事に相関しています。
・左派系の人の場合は、「株価が上がると資本家が儲かって、労働者が損をする」と思い込んでいます。彼らの頭のなかは、「資本家が得をすると、労働者が損をする」という強烈な信念のようなものがあります。それがある限り、経済を理解することはまず無理です。
実施には、彼らの思い込みとはまったく逆で、「株価が上がると、資本家が儲かって、労働者も得をする」のです。
民主党政権が経済オンチといわれたのは、イデオロギーで経済を見ようとしたところに原因があったと思います。
<「財政破綻論」こそホラー小説的なフェイクニュース>
・ひところ「財政が破綻する」「日本経済が破綻する」「国債が暴落する」「ハイパーインフレになる」という類の本がよく売れました。ホラー小説のようなものですが、各出版社が競って出していました。多くの本のネタ元は財務省で、財務省のいうことをそのまま書いている本もありました。しかし、現実には、破綻は起こりませんでした。
財政破綻を20年間ぐらいずっと主張している方もいます。
・「財政破綻があるはず」という前提に立ち、「自分たちは正しいのに、世間の現実が間違っている」というのが彼らの本音なのでしょう。学者というのはどこか浮き世離れしているものですから、そこ存在意義があるともいえますが、自分の説ありきで、現実を受け止めない学者が多いようです。
・世の中には、破綻論がたくさんありますが、現実には破綻の予兆もなく、破綻論はフェイクニュースに近い状態です。
<経済分野は予想が当たることがとても大事>
・ところが、経済の専門家とされる破綻論者の人たちは、予想がまったく外れていても謝ることすらしません。
それどころか、極端なことをいう人の本や、当たらない予想をしている人の本が、いまでも次々と出ているのかを出版社の人に聞いてみると、一定の読者がいるからだそうです。
安倍政権に批判的な人は、「安倍政権が続くと破綻する」という論調が大好きで、政権を批判してくれるなら、経済予想の信憑性はどうでもいいようです。
出版社としては、一定の読者層がいれば利益は出るので、出版するとのことです。予想の信憑性が疑わしいものは、流通しなくなるという仕組みが働かないため、経済分野においても、トンデモ本や、センセーショナルな本が出版されます。
マスコミには「フェイクニュースを流さない」という強い姿勢はなく、「ビジネスになるならなんでもいい」という人もいて、それがフェイクニュースを助長している面があります。
<国家財政は「家計」でなく「企業会計」でたとえるべき>
<日本の財政状況は先進国最悪どころか、アメリカよりもいい>
・見てもらえばわかるように、日本のほうがアメリカよりもネット負債(資産負債差)の割合が少ない状態です。ネット負債額は、日本では465兆円(2016年3月末)でGDP比87%、アメリカは19.3兆ドル(2016年9月末)でGDP比104%です。
日本のマスコミは、バランスシートの右側の数字だけを使って、それをGDPで割った「債務残高対GDP比」の数字しか伝えません。
<財務省の「海外への説明」と「日本国民への説明」は“真逆”>
・財務省は、国民に知られたくないことについては、記者レク(記者に対するレクチャー)をしません。そのため、どの報道機関も報じません。
「ネット負債残高対GDP比」は、2000年の時点では40%弱でしたが、リーマンショック以降悪くなって87%くらいです。それでも、アメリカのほうが日本より常に比率が上です。アメリカのほうが財務状況が悪いのです。悪いといっても、このくらいの数字ならどうということはありません。
・財務省は、海外では英訳した日本国家の財務諸表を配っています。それを見せて、「日本は大丈夫です」といって、国債を売っています。
・海外の人には、財務諸表を見せて「日本は大丈夫です」といいながら、国民に対しては財務諸表を伏せて「財政が危ない」といっているわけです。
<「イデオロギー」でなく「数字」で見るだけ>
・私は、国のバランスシートをつくったときに日銀を含めたバランスシートもつくりました。中央銀行の資産を含めるのはおかしなことではありません。スティグリッツ教授も「普通のこと」としています。企業でいえば、連結決算です。政府単体ではなく、政府子会社(日銀は政府子会社)も含めた連結ベースです。経済学者の好きな言葉でいえば、統合政府といってもいいでしょう。
・中央銀行のバランスシートを加えると、ネット負債残高の比率は下がります。中央銀行が発行する銀行券は債務ではありませんから、資産が増えます。安倍政権になって量的緩和をしましたので、日本のネット負債残高のGDP比は大幅に下がりました。
・このグラフからわかるように、日本の財政は、まったく問題のない安全レベルです。
私は、イデオロギーで「日本の財政が安全だ」といっているわけではありません。「数字を見る限り、いまは安全だ」といっているだけです。
・現時点においては、図18のように統合政府のネット負債残高のGDP比は非常に低い状況ですから、「財政が危ない」などということに意味はありません。もっといえば、アメリカ並みに借金を増やしても日本は大丈夫です。日米でもGDP比50%くらいの差があります。つまり、250兆円くらい借金を増やしても、日本はへこたれません。減税余地もありますし、財政出動の余地もあります。
政府単体で見ても、アメリカとはネット負債残高がGDP比17%くらいの差があります。あと100兆円くらいの国債を発行しても、それほど大きな財政問題にはなりません。
<「公共事業は悪」キャンペーンの理論的な誤り>
・マンデル=フレミング理論では、変動相場制のときには、公共投資をすると、為替が円高になってしまって、輸出減という形で効果が相殺されるために、公共投資が効かないとされています。
しかし、マンデル=フレミング効果には前提条件があります。
・学者たちは、財務省の振り付けどおり、マンデル=フレミング理論を持ち出して、「変動相場制の下では、財政出動は効かない」と平気で話します。肩書きのある学者がいうと、マスコミの人はすぐに信じますから、財務省の思惑どおり、学者とマスコミが「財政出動は効かない」と吹聴してくれました。
<B/Cが1より大きければ「公共事業は善」>
・本来公共事業は理論的にやるべきものです。
公共事業の理論は簡単です。B/Cが一より大きいかどうかで決められます。B/Cは、ベネフィット(B)をコスト(C)で割ったもの。B/Cが一より大きければ、その公共事業はやる意味があります。コストをかけた以上にベネフィットがあるからです。
<増税するなら「全部を使う」>
・安倍総理は、消費税率10%への増税を予定どおり2019年10月から実施すると明言しています。
これまで何度も増税が見送られてきましたので、増税派の学者たちは「ようやく増税できる」と思って、溜飲を下げているのではないかと思います。
・しかし安倍政権は賢いので、「増税するけれど、財政再建は先送り」といっています。増税した分は国債償還には回さず、支出されます。
増税派の人たちは「増税」「財政再建」の二つを目指しており、私は真逆で「増税しない」「財政再建する必要がない」という考えです。
安倍政権は、増税してそれを全部使うという方針ですから、マクロ経済的には、増税しないのと同じです。私はエコノミストですから、「それならば増税しないほうがいい」と思いますが、政治家は「増税して全部を使う」ことを選びたくなるものです。そちらのほうが、予算の配分枠が増すことで、政治的な力も増すからです。
・「増税して全部を使う」ときに、一番簡単なのは、取ったところに、戻すこと。10%に増税して、直ちに8%に減税すれば、影響はありません。10%に増税して、増収分を他のところに財政支出すれば、取ったところと、出すところが違いますから、少し影響が出ます。それでも、増税してまったく出さないことに比べれば、増税の影響は少なくて済みます。
・「経済オンチ」の新聞から、一斉にダメといわれるのは、けっこういいことなのかもしれません。新聞各社は、国家のバランスシートを読めないので、財務省に丸め込まれて、財政出動をすれば、財政が破綻すると信じているのでしょう。日本のマスコミは、そのレベルです。
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