「このとき、大部分の人は、中間世で行ったソウルメイトとのやりとりや計画などを忘れます。そのため、このときに通る光のトンネルの集合体を『忘却の膜』とも呼びます」(1)
( 2023/7/12)
『辛酸なめ子と寺井広樹の「あの世の歩き方」 裏道マップ』
辛酸なめ子、寺井広樹 マキノ出版 2018/2/17
<まえがき>
<誰もがあの世から来て、あの世に帰っていく>
・いま、この世に生きている人は、何か刺激的な体験がしたくてこの世に自発的にやってきたのだと思います。あの世と比べると、不便でわずらわしいことが多い世の中ですが、それでも楽しんで生きている様子を、あの世から見ている人にアピールしていきましょう。そして、またあの世に帰ったときには、この世の積もる話や試練を乗り越えた武勇伝を語りたいのです。
その前に、あの世を体験した人の話をいっしょに楽しんでいただけたら幸いです。
・あの世は、魂の純度によって階層が分かれているといわれます。このまま毎日インタ―ネットばかりを見ていると、ネット霊界みたいな、ゴシップやまとめサイトに延々と囲まれるところに行ってしまいかねません。生きているうちに心を浄化しなければ、と思いました。
<私たち死んだことあります 生還者たちの「あの世滞在記」>
<3度死んで行き返った臨死体験の達人が語る「死後の時空間旅行」のコツと私たちが地球にいる意味 木内鶴彦 先生>
・最初は22歳のとき、航空自衛隊の運航管理者として激務状態だったとか。急に腸閉塞を発症し、ポックリいってしまいました。
・魂が出たり入ったりしていたみたいで、抜けると気分がよくなって戻ると具合悪い、のくり返しでした。いっそ死んだほうが元気になるんですね。
・そしていよいよ死んでいったそうです。死ぬときは目の前が真っ暗になるんです。
・気づいたらぬかるみをはい回っていました。(ホラーな展開)
・遠くにぼんやりと光が見えます。足の下には芝生感が……。
途中まで整備されてなかったんでしょうか。
・気づいたら目の前に大河が流れていました。船頭がいないし自力で舟をこぐしかないか。川の向こうの光に近づきたくなったそうです。
・両手で水をかいて向こう岸へ………。このとき力尽きたら、もう一度死ぬのでしょうか………・
・岸には5人の人がいて、そのうちの中年女性に連れられ丘の上に歩いていきました。
・光源からいきなり人の顔が!
・気づいたら女性もいなくなって、ふわっと意識が戻りました。よかったですね。
・というのはよくある臨死体験ですが、木内先生のすごいところは臨死中タイムトラベルができたこと。
<重い腸閉塞になり1週間後に意識を失って闇の中へ>
・宇宙を観察して新しい彗星を発見する「彗星捜索家(コメット・ハンター)」の木内鶴彦先生。これまでに三つの彗星を発見なさっており、うち二つは彗星の名前に「木内」が入っています。また、長年、行方不明だった彗星を再発見し、その功績が認められて、小惑星にも「KIUCHI」と命名されたものがあります。
同時に木内先生は、3度に及ぶ臨死を体験した人として有名です。
・また、死後に蘇生したことが医師のカルテに記録されている例としては、国内で唯一とされています。
木内先生の臨死体験ですごいのは、肉体から抜け出している間、過去や未来のあちこちにワープされていることです。
<着ぐるみの自分を残し意識の自分は自由に移動>
・「ふと気づくと私は、真っ暗な中で、なぜかはいつくばって前に進んでいました。体の下は泥のぬかるみで、手を振ると、指の間からグニュッと泥が出ます。その感触は、いまでもリアルに覚えています」
遠くにポツンと光が見え、進むにつれて光が大きくなっていくことから、自分がトンネルにいるのがわかったといいます。
・トンネルから出てしばらく歩くと、左から右に流れるやや大きな川があり、向こう岸がぼんやり明るく見えます。岸にあった木造の小さな舟に乗り、オールがなかったので手でこぎながら、木内先生は向こう岸をめざしました。疲れ果てて岸にたどり着くと、5人の人がたき火を囲んでいました。
「そのなかの一人、喪服を着た女性が近づいてきて、『鶴彦、おまえ、何しに来た』というのです。そういわれても、好きで来たわけじゃなし………と思いましたよ。よく見ると、その女性は若くして亡くなった伯母でした。たき火のそばには、昔、ブルドーザーにはさまれて亡くなった同時代のいとこもいて、私たちは再会を喜び、ひとしきり昔話をしました」
やがて、伯母様に連れられてなだらかな丘を登ると、きれいなお花畑が現れました。伯母様がいなくなったので、周囲を見回していると、夢から覚めるように、意識が病室のベッドに戻ったそうです。
ところが、ここからが、木内先生の本当の臨死体験の始まりでした。
・混乱しながらも、茫然と立ちすくんでいるお父様に「大丈夫だよ」と声をかけましたが、反応はありません。
<過去の川遊びの現場に行って自分と姉を救う>
・そこからが木内先生の常人とは違うところで、「これはおもしろい。ならば行きたいところがある」と、過去へのワープを試みます。幼いころ、お姉様と川遊びをしていて、大きな石が落ちてきたとき、寸前に「危ない!」と声がして助けられた場面へのワープです。
・「ものすごいスピ―ドで多くのときと場所に行き、自覚的には永遠に続くかとも思えるほどの長い時間、時空間の旅を続けました」
そのすべては記憶していないものの、ふとしたときにリアルな場面がよみがえるといいます。
・時空間の旅をしながら、ふと気づくと、膨大な意識に飲み込まれそうな感覚があったという木内先生。そこで、元の自分の体を意識すると、体のそばに瞬間移動でき、近づいたらストンと意識がなくなったとか。次に気がつくと意識が自分の体の中にあり、「生き返りそうだ」と病院では大騒ぎに。こうして、無事にこの世への生還を遂げたのです。
<パニックに陥らず未来や過去を考えるのは死後旅行のコツ>
・その後、木内先生は55歳のときにも、中国で臨死体験をします。
・そのときは、ごく短い時空旅行のあと、木内先生は自分の体に戻りました。病院で行われた電気ショック治療が功を奏したからです。さらに、とりあえずの止血がうまく行き、静脈の穴が塞がれました。
とはいえ、危篤状態は続き、2週間後に大学病院に移って、中国のエリート医師たちが血管の手術をしてくれることになりました。ところが、手術前の検査のとき、再び静脈が破裂し、大量の吐血と下血が起こります。その瞬間、またも意識が肉体から離れて、天井近くから自分を見下ろしてしたそうです。3度めの臨死体験です。
・3度の臨死体験のお話は、とてつもないスケールの冒険旅行のようで、すっかり聞き入ってしまいました。なかでも、「1万5000年前まで月はなかった」というお話には驚きました。
1万5000年前、氷のかたまりのような巨大彗星が地球に近づいてきて、太陽熱で溶けた水が地球に降りそそぎ、小さくなった彗星の残りが月になったといいます。そのときの大洪水で地球の質量は前より大きくなり、標高0メートルの位置や気圧も変化したとのこと。それまでの人類は身長が3メートルほどあり、寿命も300歳くらいだったそうです。
・「みなさん、普通は、亡くなった瞬間にあせると思います。すると、すぐに膨大な意識に吸い寄せられてしまいますから、まずはパニックに陥らないことです。自分の意識が肉体から抜けるのがわかるので、信念を持って、そのときに生きたい過去や未来をイメージしてください。イメージすれば、移動できるので、落ち着いてさえいれば簡単ですよ」とのこと。
・私たちは、本来、時空間を自由に行き来できる5次元の存在なのに、不自由な3次元世界だからこそ味わえる楽しみを経験するためにここにいることがわかったといいます。
<過去生両方で救われた自らの感動体験をきっかけに各種のヒーリング患者も霊も救う「魂科医」 越智啓子 先生>
<3000年前にエジプトの舞台女優だった過去>
・啓子メンタルクリニック院長で精神科医の越智啓子先生。薬を使わずに、笑い療法、過去生療法、アロマセラピー、クリスタルヒーリング、ヴォイスヒーリング、ハンドヒーリングなどをとり入れた独自の診療を行っていらっしゃいます。潜在意識にたまっている感情を解放しながら行う治療で、「魂科医」とも自称されています。
・「その過去生療法を、私はアメリカ人のヒプノセラピスト(催眠療法士)から受けたんですが、その人はサイキック(霊能力者)でもあって、私が思い出す映像は全部同時並行で見ているんですよ。『ほら、右から来た男の人は?』などといわれると、『えっ、見えているんだ』という感じで、とても自然に、安心して過去生への旅ができました」
そのとき出てきたのは、3000年前のエジプトで舞台女優だったときの越智先生でした。美しく背の高い彼女は、ゴールドに輝くドレスをまとって堂々と舞台に立っていたといいます。
<スピリチュアルなお産で自分の魂を解き放った>
・さらに、別の過去生療法では、ネイティブアメリカンだった過去生が出てきたそうです。
<5歳のとき何度も宇宙船に乗り臨死体験でシャンバラへ>
・もともと5歳のころから、天使や霊が見えたという越智先生。そのころ、先生のところには宇宙船がよく来て、その中でたくさんのレクチャーを受けたといいます。
・5歳のとき、越智先生は疫痢で死んだあと、生き返るという臨死体験もされています。亡くなって棺桶に入れられたあと、肉体から抜け出し、若い青年僧の導きでシャンバラ(地球空洞説に基づき、地球の内部にあるとされる世界)に行ったといいます。
・さらに、現在のクリニックでシャンバラの本を見ていたら、突如、シャンバラで図書館係をしているミコスさんという人が現れたそうです。シャンバラの人は大きくて、身長が4メートルくらいあるそうですが、先生のご自宅にある和室は吹き抜けの天井が高くて5メートル以上あるので、「わっ、ここは立てる」と喜んでいたとか。
・越智先生のお話は、エネルギー世界と現実世界とが交差・合致するのがすごいところだと思います。
<愛のタックル・ハグ・投げキッスで霊ちゃんを光に帰す>
・「あの世は、本来、私たちがいる光の世界です。亡くなったら、そこに帰るのが自然ですけど、やり残したことや果たせない想念があると、霊として残ってしまいますね」
<手術中に2分30秒死んで地獄を見たが白いハトに救われて生還!天使と会って大腸ガンも完治 保江 邦夫(やすえくにお)先生>
<必ず戻ってこられますからね>
・世界的な理論物理学者でいらっしゃる保江邦夫先生、日本人で最初にノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士の最後のお弟子さんとして、その晩年の研究を引き継いでいらっしゃいます。
また、「ヤスエ方程式」と呼ばれる数式の発見という世界的業績をお持ちです。
・そんな保江先生が、思いもよらない臨死体験をされたのは2003年10月、大腸ガンの手術の途中に、2分30秒間、心停止状態になったそうです。非常にきわどいところでこの世に戻ってこられたわけです。
保江先生は、この臨死体験をはさんで、数々の不思議な体験をされています。そのお話は、まるで長編映画のようにドラマチックでした。
・2時間の予定だった手術は、病巣の広がりが予想をはるかに超えていて6時間の大手術に。その途中、保江先生は2分30秒の間、あの世を体験することになりました。
<心肺停止の間に見えた「地獄とハト」>
・見たのは、表現しがたいほどおどろおどろしいものでした。何百匹ものヘビのように、黒いものがうごめき、まがまがしい気を発していて、先生は「これが地獄か」と怖くてたまらなかったといいます。
<ルルドとファティマで続けざまに起こった奇跡>
・そして、保江先生は「そうだ、その分の治療費でルルドの泉に行こう!」と思い立ちます。
・ホテルのレストランでは、隣に座っていたギリシャ彫刻のような若い男性から、いきなりフランス語で「勇気を出せ!」といわれます。日中にルルドの泉に行くと、この男性にそっくりな大天使ミカエルの像があり、「あれはミカエルだったんだ」とわかりました。
・奇跡の地めぐりの旅から帰国し、病院に検査を受けに行くと、高かった腫瘍マーカー値が正常になっていました。
<「バランスと成長」のために人は生まれ変わる。大事なポイントは恐れずに「経験」すること サイキック・チャネラー ウィリアム・レーネン>
<いつまでも死を嘆き悲しむと魂の成長を妨げる>
・ウィリアム・レーネンさんは、ハワイ在住の著名なサイキック・チャネラーで、世界中で活躍されており、日本でも大人気です。あの世からの通信を受け取ったり、あの世やこの世にいるスピリット(魂)たちと話したり、人々の過去生を見たり、その見方を指導したりされています。
・そのお話は驚きの連続でした。レーネンさんは2000年に、手術中の感染がもとで、一度亡くなられました。そのとき、スピリット・ガイドたちから、「このままこっちにいてもいいし、あっち(この世)に戻ってもいいよ。戻ったらまだ、たくさんの仕事はあるから」といわれたそうです。
戻ることを選択して行き返ったら、シートをあけられ、血液を抜く作業などが始まる寸前だったとか。亡くなっていた時間は、状況から考えて数十分だろうとのこと。なんともきわどい生還です。
<自分の過去世は自分で見つけることができる>
・私は、2016年初頭から、「笑顔葬」のプロデュースをしています。名前のとおり、明るく笑って見送る葬儀で、にぎやかな音楽を流し、まさにクレオ人の葬儀と同じです。台湾で、明るい葬儀を見たのをきっかけに企画したのですが、この発想は間違っていなかったのだと自信を持てました。
・レーネンさんは、あの世のことを「スピリット・ワールド(霊界)」と表現します。そこは、大きく10の階層に分かれており、下に行くほど暗く邪悪で、ネガティブなエネルギーを持つスピリットがいるといいます。上に行くほど明るくピュアで、ポジティブなエネルギーを持つスピリットがいるそうです。スピリットは、いろいろな方法で私たちをサポートしてくれますが、4から下のスピリットは、間違った方向に導くことも多いとか。
どちらを引き寄せるかは、「単純なこと」とレーネンさんはいいます。日本のことわざにある「類は友を呼ぶ」。これに尽きるというのです。
<なんでも経験することがカルマの解消につながる>
・カルマとは、「バランスに欠けていること」で、バランスよくできたら解消でき、魂の成長につながるそうです。
・レーネンさんは、集合カルマの解消のため、イヌに生まれた過去生があるといいます。
・「すべては、経験に基づく選択です。だから、いろいろな機会がやってきたら、さけないで、まず経験してみることです。その経験は、必要があってやってくるのですから」
・「自分のエネルギーを生きてください。自分がしたいことや、自分のフィーリングを尊ぶことです。周囲の人と摩擦をつくりだす必要はありません。お互いの意見を尊重しながら、自分自身を生きることはできるはずです。それが、カルマの解消と魂の成長につながるのです」
<ちょっとあの世まで行ってきます 時空の旅人たちの「あの世トリップ」>
<死はもといた光の世界に変えるうれしいイベント亡くなる瞬間のビジョン次第でさらに楽しみが増す 稲葉耶季(やすえ) 先生>
<過去生の壮絶な経験は今生に必要なものだった>
・キリスト教会の家にお生まれになり、裁判官や弁護士、大学教授としてご活躍され、現在は僧侶という異色の経歴をお持ちの稲葉耶季先生。
・稲葉先生は、過去、さまざまな宗教・宗派にふれ、ヘミシンク(左右の耳で異なる周波数の音を聴くことで意識を変容させ、死後世界や異次元を体験する技術)も深く体験して、いまでは瞑想によって光輝く世界を日常的に体感されているそうです。
<私たちは亡くなると生まれる前にいた光の世界に帰る>
・「この過去生の話もそうですが、私たちは、いろいろな経験をするために、この3次元世界に生まれてきています」と稲葉先生。
・死後、私たちは「すべてのすべて」であり、「あらゆるものの根源」の世界に帰っていくといいます。そこは私たちが生まれる前にいた故郷であり、最高にきれいな光輝く世界だそうです。稲葉先生は瞑想によって幾度となくそこに行っているとか。
「言葉では表せない美しい光の世界です。私たちの概念ではとらえきれない愛、美、調和の極地。それが、私たちの故郷です」
<光の存在からメッセージを受け取ることもできる>
・ヘミシンクを極めたのち、瞑想で自由に光の世界に行き、そこにいる存在ともコンタクトがとれるようになったという稲葉先生。
主催している瞑想会では、誘導瞑想で光の世界に行き、そういった存在に会い、その存在からアドバイスを受けとるというセッションも行っていらっしゃいます。
<亡くなるときに俗っぽい「あの世」を思い浮かべてもOK>
・ところで、亡くなる直前の想念が死後の世界を決めるのなら、地獄を信じている人は地獄に行くのでしょうか。
「そうです。自分でつくりだす世界ですから、そうならないために、『自分は光の世界の住人で、そこに帰る』と、常に思っておくといいですよ。
・実際に、ヘミシンクの考案者であるロバート・モンロー氏は、死後に好きな趣味を延々と楽しむ人たちの領域があるといっていますね。
<人は死ぬと中間世という「あの世」でソウルメイトと情報交換して生まれ変わりその魂は成長し続ける 高江洲薫>
<動物の気功治療をきっかけに膨大な記憶がよみがえった>
・動物たちと話ができる獣医師として有名な高江洲先生。その不思議なパワーを使ってできることは、動物たちとの自由自在な会話にとどまりません。すべての人間や動物に、会った瞬間、相手の過去世(過去生)が見えるというすごい能力をお持ちです。
・一方で、ある時期から、動物たちの気持ちが声として聞こえるようになり、会話が可能になりました。動物たちの言葉や過去世を飼い主に伝えることで、問題行動の解消や病の癒やしができるようになったといいます。
・「インドに向かう飛行機の中で、突然、光が頭上を照らし、高次の存在がこういったのです。『おまえの使命は過去を解き明かし、未来を語り、癒すことだ』と。その瞬間、273回に上る人間としての自分の過去世、さらに、それ以前のさまざまな動物などであった過去世を含めた1億4110年の記憶がよみがえったのです」
<中間世でソウルメイトに再会して体験をシェア>
・過去世記憶とともに、亡くなったあとから生まれ変わりまでを過ごす
「中間世(中間生)」の記憶まで詳細によみがえったという高江洲先生。「『亡くなった人の魂が行くところ』という意味では、一般的にいう『あの世』は中間世と位置づけられます」とのこと。
・「魂と体とは、しばらくの間、シルバーコードと呼ばれるエネルギーの『ひも』でつながっています。父が亡くなるとき、私は実際にその様子を見ました」
・「魂は『光のトンネル』を通って中間世に向かいます。トンネルといっても、真っすぐなものではなく、上に行くほど広がってじょうご状になっています。このトンネルは光り輝いていて、ここを通りながら、人々は過去世や中間世の記憶を取り戻し、中間世に帰っていくのです」
・中間世に帰った魂は、5人の「ソウルメイト」と会う(再会する)ことになります。「ここでいうソウルメイトは、厳密には『シェアリングソウルメイト』です。中間世では、自分を含めて6人のソウルメイトがいて、人生のあらゆる経験を分かち合うのです」
・「この基本的なしくみは、人間も動物も同じ。ただし、動物の場合は、体験をシェアして写し取ることはせず、6体のグループで話し合って、次の生の参考にするだけで、ソウルグループと呼ばれています。そこが人間との大きな違いです」
・と聞くと、「自分のソウルメイトはどんな人たちかな」と気になりますが、現世では決して会わないのが鉄則とのこと。この3次元世界で体験を共有すると、それだけ中間世でシェアする体験が重なってムダになるからだといいます。
<過去世は女を泣かせるイタリアのイケメンだった!>
・さて、人の魂は、ソウルメイトのシェアリングや来世の計画や選択を終えると、光のトンネルを逆に通ってこの世に生まれてくるといいます。
「このとき、大部分の人は、中間世で行ったソウルメイトとのやりとりや計画などを忘れます。そのため、このときに通る光のトンネルの集合体を『忘却の膜』とも呼びます」
・中間世で行った作業の記憶は、肉体としての脳に入れ込むには膨大すぎるので、いったん光のトンネルを「情報の貸金庫」として預け、忘却してこの世に生まれてきます。そして、自分が選んだ環境で一生を過ごし、亡くなったらまた光のトンネルを通って過去世と中間世記憶を思い出し、ソウルメイトと再会してシェア………ということをくり返しながら、私たちの魂は成長を続けているといいます。
・すると、辛酸なめ子さんから、「それで今生でも、涙活(るいかつ)をしていらっしゃるのでしょうか。今回も違う意味で女性の涙を欲しているとか?」と、鋭い突っ込みがありました。涙活とは、私がやっている「積極的に涙を流して心身をデトックス(解毒)する」という活動のことです。
<死は終わりではなく、未来は必ずまたある>
・常人には想像もできない273回の過去世と1億4000年あまりの記憶が高江洲先生の中によみがえったのは、19歳のときから「自分は何者で、どこから来てどこへ行くのか。自分の使命は何か」と、30年間問い続けたのちの出来事だったそうです。その経験のもとに、現在は各種のリーディングを行ったり、指導されたりして、クライアントさんや動物たちを救っていらっしゃいます。
・「天国や地獄は、場所ではなく、私たちの意識の中にある」と高江洲先生。中間世で決めてきた自分の目標や課題を、クリアして戻れば天国の心持ちですが、まったく達成できていなければ地獄の心持ちになるといいます。それは、現世の価値観や人との比較ではなく、ただ「自分で定めた目標に向き合って生きたか」だけが問われるそうです。
<天使との遭遇をきっかけに数々の不思議体験で受け取った神様のメッセージを人々に伝える気功家 古屋ネネ 先生>
<2000年の北極で起こった天使との奇跡的な出会い>
・九州気功協会会長で、気功のほか、創作ダンスの指導や、気功を取り入れた奉納神舞の指導と実演などもされている古屋ネネ先生。2001年以降、毎年、『エンジェルカレンダー』の制作もなさっています。エンジェルカレンダーとは、各ページに美しい天使の絵が描かれ、古屋先生の詩が添えられているカレンダーです。
・気功教室の生徒さんから誘われて参加したツアーで北極に行ったところ、突如、夜空にたくさんの天使が現れたそうです。
・天使との遭遇は、それだけではありませんでした。約5ヵ月後、スピリチュアルの聖地として知られるアメリカ・ロッキー山脈のシャスタ山でも、古屋先生は、同じようにたくさんの天使と会っています。そのときは、北極のときとは別の生徒さんたちといっしょに目撃したそうです。
・その存在を信じようが信じまいが、天使は、見るべき人には見えるように予定されているのかもしれません。
<誘導瞑想でわかった「あの世~この世」のしくみと神様の愛>
・天使との遭遇を皮切りに、古屋先生はさまざまな不思議現象に見舞われるようになります。
<神代に自分はアマノウズメだったと気づく>
・そのころ、ある宮司さんから、「あなたは誠のアマノウズメと思われます」といわれたという古屋先生。アマノウズメは、古事記や日本書紀に出てくる神様です。アマテラスが岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、おもしろおかしく踊って神々を笑わせ、アマテラスが岩戸から出るきっかけをつくったとされています。
<20センチの巨大ガンが被膜に包まれていてツルンと取れた>
・そして2016年、古屋先生にある病気が見つかります。それは20センチに及ぶ巨大な大腸ガンでした。
・ところが、開腹してみると、20センチの巨大なガンは、なぜか全体に膜が張られてひとかたまりになっており、破れも散らばりもしておらず、ツルンと取れたそうです。
その様子を医師から見せられたご家族は、「守られている」と感じたといいます。
<ここまでわかりました エキスパートが案内する「あの世の裏道」>
<中間生・過去生を記憶する子供たちの話から「あの世」の様子や生まれる意味が見えてきた 池川明 先生>
<おなかの中の記憶を持つ子供は6歳以下なら約3割>
・「胎内記憶」の研究者として有名な池川クリニック院長で産婦人科医の池川明先生。胎内記憶とは、生まれる前、お母さんのおなかの中にいたときの記憶のことです。
ところが、調査を進めるうち、対象は胎内記憶にとどまらなくなりました。お母さんのおなかに入る前、つまり、生まれ変わりを待つ「中間生」と呼ばれる時期の記憶や、さらにさかのぼって前世の記憶まで、研究範囲が広がっていったというのです。
・以後、池川先生は、おおぜいのお母さんと子供、胎内記憶を持つ大人に聞き取り調査やアンケート調査を行い、胎内記憶についての事例を集めています。
・さらに、「精子や卵子のときの記憶まである人」がけっこういるというから驚きます。「そういう人は共通して、『みんなと競争して勝った』と語ります。でも、まわりのみんなが死んだので、『自分が仲間の分まで生きなきゃいけない』とよくおっしゃいます」
<自分でお母さんの姿を見て選んで生まれてくる>
・胎内記憶を聞くなかで、「自然に中間生記憶を語る子供や大人との出会いがふえていった」という池川先生。中間生記憶の詳細は人それぞれですが、大きな共通点があるといいます。それは、「自分でお母さんを見て、選んで生まれてくる」ということ。雲の上や空にいて、直接見たという子もいますが、なんらかの「モニター」で見たという子が圧倒的に多いそうです。
・「中間生を『あの世』といい換えてもいいわけですが、子供たちの話から、いろいろなことがわかってきます」と池川先生。その一つは、「この世は間借りして一時期いるような世界で、あの世のほうが通常の世界だということ」だといいます。
・つまり「旅行先がこの世、本当の居場所があの世」というわけです。
・それほどすばらしいあの世なのに、あえて人がこの世に生まれてくるのは、「チャレンジしたいから」だそうです。楽しい経験、社会に役立つ経験に限らず、つらいことや悪いことも、すべて役立つ経験だといいます。
<リアルな前世記憶を持つ人も続々と現れた>
・やがて中間生に関する話の中で、過去生の記憶に踏み込んだ話も続々と出てきたそうです。
<魂は情報をつめた「薄皮まんじゅう」のようなもの>
・池川先生は「胎内記憶を研究していちばん大きかったのは、魂があると気がついたこと」だといいます。
・「あんことして何が入っているかと『情報』です。宇宙には、すべての情報が入っているスーパーコンピュータのようなものがあって、私たち一人ひとりは端末なんですね。そして、セレクトした情報を持ってこの世に来て、いろいろな『経験』によって中身を書き換えてあの世に持ち帰り、情報をシェアするというのが、どうやら人生かなと考えているんです」
<中国の奥地にある「生まれ変わりの村」の住人にじっくり話を聞いてわかったあの世の驚くべき実態 森田健 さん>
<それは「不思議現象求む」の広告から始まった>
・一大センセーションを巻き起こし、映画にもなった書籍『生まれ変わりの村』の著者で、不思議研究所所長の森田健さん。中国の奥地に、村人の大部分が前世の記憶を持つ「生まれ変わりの村」があると知り、2000年から何度も調査に訪れています。
生まれ変わり体験者たちに綿密なインタビューを行い、その報告とともにさまざまな考察を行う『生まれ変わりの村』は、シリーズ4冊めを数えます。
<魂は出産する寸前に体に飛び込む?>
・最初にインタビューしたのは、前世でオオカミに首を咬まれて死んだ男の子でした。ほどなくして同じ村に女の子として生まれ変わったその人は、前世のお姉さんに会いに行きます。お姉さんと遊んだ思い出などを話すうち、弟の生まれ変わりだと信じてもらえ、両家族の交流が始まったといいます。
<飲むと前世記憶を忘れてまうスープ>
・そして、いよいよ、私たちが最も聞きたかった「伝説のスープ」の話題に、書籍や映画でご存じの人も多いかもしれませんが、森田さんが生まれ変わりの村で集めた証言には、ほとんどの場合、このスープの話が出てきます。
もともとこの村には、あるいい伝えがあります。死後の世界に「奈何橋(なかはし)」という橋があり、そのたもとでおばあさんがコトコトとスープを煮ているというのです。飲むと前世の記憶を忘れてしまい、飲まなければ前世の記憶を持ったまま生まれ変われるという「忘却のスープ」です。
・「生まれ変わりの村には、このいい伝えがありますから、死んだあとに『あっ、あのスープだ』とすぐ気づきます。それで、ほとんどの人が飲まないので、前世記憶を持つ人が非常に多いと考えられます」
最近は近代化して、空港の手荷物チェックのような場所でスープを配っているとか。
・忘却のスープは、この村の人、あるいは中国人のあの世にだけあるのでしょうか。森田さんが日本人の調査も行ったところ、なんと似たような証言をする人が見つかりました。ただし、場所も飲むのも違い、神社のような場所で「お疲れさまです。聖なる水です」といって渡されたといいます。
スープより断りにくく、日本人なら飲んでしまいそうです。
<あの世はこの世とほぼ同じでお金も仕事もある>
・生まれ変わりの村の取材を通じて、わかってきた「あの世」とはどんなところなのか、改めて森田さんにうかがってみました。
「多くの人が持つあの世のイメージを、私も持っていました。雲の上にあって、漂っているような、フワフワした感じで、しかし、生まれ変わりの村で聞いたあの世の様子は、まったく違っていました。ひとことでいえば、この世とほぼ同じです」
証言者の話を総合すると、あの世にはお金もあり、それを稼ぐための仕事やアルバイトもあり、家もあって車も走っているそうです。飲食はできるけれど、しなくても死なないし、簡素な服は支給されるので、お金がなくても困りません。しかし、お金があればいろいろなものを入手できるのだとか。
しかも、そのお金を、この世からあの世に送れるというので、ビックリたまげました。
・「日本の生まれ変わり証言でもそうですが、一般的な生まれ変わりはグローバルです。前世は外国人というほうが普通ですね。ところが、生まれ変わりの村だけは、直径約20キロの村の中でだけ生まれ変わっています。私は、この村は透明のドームでおおわれた、神の実験場ではないかと考えています」
・「しかし、いま、生まれ変わりの村の情報が開示されたのは、人類が新しいフェーズに入ったからだと思います。『前世記憶を持ちながらも、無邪気に新しいことに取り組め』というミッションのように感じるのです」
<100回以上幽霊を見た霊告体質の達人が伝授する例とうまくつきあうコツはきらわずやさしく接すること 王虎応(ワンフーヤン)さん>
<「生まれ変わりの村」の出身者で驚くべき霊体質>
・元考古学者の王虎応さん、不思議研究所所長の森田健さんが日本に紹介した、中国奥地の「生まれ変わりの村」の出身者であり、案内人です。森田さんが王さんにつけたニックネームは「トラさん」。名前に「虎」の字があって寅年生まれで、日本映画『男はつらいよ』シリーズの主人公、フーテンの寅さんに雰囲気が似ていることからつけたそうです。
・「霊体が体に入った経験は何回かあります。毎回感じが違います。あるときは友達といっしょに考古学研究所の事務室で話していたとき、ふと二人で同時にドアのほうを見ました。ドアが開く気配がしたからです。実際にはドアを開いていませんでした。友達は霊を感じるだけで見ることはできませんが、私には入ってきた霊が見えました。身長180センチくらいの男性で、28歳です。年齢までわかるのは不思議と思うかもしれませんが、瞬間的にわかるのです」
<チベットでは豊満な美女の幽霊がベッドに入り込んで誘惑>
・仕事や不思議現象の研究のため、各地を訪れているトラさん。チベットに行ったときには、めずらしい霊体験をしたそうです。
・「ベッドで、最初は座ってテレビを見て、それから横になりました。横になると、突然、窓の外から髪の長い女性が飛んできたのです」
それは、豊満な美女の霊だったといいます。
<憑依されたお母さんは2年間も男性になっていた>
・生まれ変わりの村には、前世記憶を持つ人が多いだけでなく、さまざまな霊現象が見られやすく、霊に憑依される人も多いそうです。トラさんが7~8歳のとき、トラさんのお母様も憑依されたといいます。
「母は、突然、声やしぐさが男のようになり、父を見ても私を見てもわからなくなりました。隣の省で亡くなった男性の霊に憑依されたようです。それは霊が自己紹介したのでわかりました」
<あの世は私たちのまわりの別次元にあり、ふとした瞬間につながる>
・日常的に幽霊に接したり、幽体離脱をしたりしているトラさんから見た「あの世」は、どんなところなのでしょうか。
「私の考えでは、あの世はどこか遠くにあるのではなく、実は私たちのまわりのもう一つの次元に存在しています。ですから、何かの条件がそろったとき、ふとした瞬間に見えたり、つながったりするのではないでしょうか。その次元につながりやすい人は、私のように霊と接する機会が多くなるのだと思います」
トラさんは、頻繁に幽霊を見ていますが、意図的に「見たい」「見よう」と思っているわけではありません。突然、トラさんの意志とは関係なく見えるそうです。
「多分、特定の時間とか場所とかに関係しているのでしょう」とのこと。
・トラさんの話の中に、霊たちの話し声を聞いて、「行くところがないのか。かわいそうだなあ」と思ったとたんにおおぜいの霊が体に入ってきたというエピソードがありました。トラさんは、幽霊は忌むべきものではなく、いつもそんなふうに慈しんで見ているようです。お話から、そのことが伝わってきました。
「霊にとりつかれると、場合によっていいこともあれば悪いこともあります。一部の人は突然、霊能力が出てきます。一部の人は病気になることもあります。病気になるのは困るので、出ていってもらわないといけないのですが、忌みきらって『出ていけ』と怒るよりは、やさしくしてあげたほうが出ていきやすいように思います。私たちが目にするのは、困っている霊がほとんどですから」と、どこまでも淡々と語りつつ、心やさしいトラさんです。
<「私たちは生まれていないし、死にもしない。あの世はなくてすべては一つ」という守護霊から聞いた事実 雲黒斎(うんこくさい) 先生>
<生も死もなく、あの世もない ⁉>
・右の書籍(『あの世に聞いた、この世の仕組み』)では、守護霊様を「雲さん」と呼び、ご自分を「黒斎さん」と称していらっしゃいます。
・「普通に考えると、あの世は死後の世界ですよね。まあ、僕も自分の本のタイトルに『あの世に聞いた、この世の仕組み』とつけているんですけど、僕のいう『あの世』は死後の世界ではないんですよ。というか、『死後の世界』というもの自体がない、ということを話したくて、こういった活動をしているんです」
・黒斎「そもそも私たちは、生まれてないでしょう?」
寺井「生まれてないのでしょうか?」
黒斎「そうです。生まれてないものは死にようがない。だから、死後の世界はないということです」
<「無我」とは「私というものはない」という教え>
・ニュースで、「事故が起こって何人の命が失われました」などいうのも間違った表現だそうです。分割できないということは、みんな一つということでしょうか。
「そのとおりです。人は、私の思考、私の体、私の希望、私の感情、そして私の魂、といいますね。でも、それは、ないものをあると思っている錯覚、つまり幻想です」
<『君の名は。』方式で守護霊とやりとり>
・「もともと『私の思考』なんて本当はないんです。ただ、あらゆる人の記憶や思考やインスピレーションが、僕たちのいるこの空間にある。僕たちの脳はチューナーで、この空間から、合う周波数の思考などを受信します。テレビやラジオのチャンネルを合わせるのと同じ。それを『私の思考』と思っているんですね」
<命の構造は木に似ている>
・ホワイトボードに描かれた1本の木、たくさんの葉っぱがついています。
「この葉が枯れて落ち、別のところから新しい葉が出てくる。これが命の構造です。全体が命だからひとつながり。魂といい換えてもいいです。木全体を見ると、たくさんの葉が落ちて、土に還って、また養分としてとり入れられて循環しています。
僕たちは、この葉の1枚が『私』といっているんですね。もちろん、1枚の葉が出たら生まれた、落ちたら死んだ、といってもいいけど、1本の木としては『生まれた・死んだ』とはいえない。そういうことです」
13<数々の超常現象ブームをつくった「コックリさんの父」の実像を息子の目から見た裏話や実体験した不思議現象から紹介 岡本和明>
<馬賊になろうとして渡った中国で3度の臨死体験>
・中岡俊哉先生のご子息である、園芸研究家の岡本和明先生に、超常現象ブームの裏話や、中岡先生と「あの世」のつながりなどについてうかがいました。
・中岡先生は、まだ岡本俊雄(本名)という青年だった17歳のころ、満州で馬賊になることをめざして中国に渡ります。
・意識不明の状態が6日間続き、2度も心臓が停止し、軍医から臨終を宣告されました。ところが、その間、本人は不思議な臨死体験をしていました。
そこは暗い谷間で、頭上には白骨化した少年の亡骸をつかんだ鳥が不気味に鳴いていたとか、
<目の前で瞬間的にスプーンが曲がった衝撃>
・中国で日本人の看護婦と結婚した俊雄青年は、3人の子供の父となり、アナウンサーとして働きました。この時代に、中国でさまざまな超常現象や怪奇現象の資料を集めます。やがて、日本に帰国したのち、自分の臨死体験と、集めた資料をもとに、超常現象を紹介する子供向けの記事を書くライターになります。
<コックリさんはキツネの霊ではなく自動書記の一種>
・心霊写真ブームのときには、1日100~200通もの心霊写真が、封書で自宅に送られてきたといいます。
・「父は、『コックリさんの正体は、潜在意識とは別個の意識が手を動かして文字や絵を書く自動書記現象の一種』ととらえていました。僕自身はやったことがないのですが、本当にはやりましたね」
<地震で亡くなった人が霊として現れる率は東のほうが高い>
・中岡先生は、死後の世界に関する著作も多く書かれています。その多くは、臨死体験者からの聞き取りや、招霊や自動書記で語られるあの世の様子をまとめたものでした。
「父は、徹底した実証主義で、臨死体験なども伝聞ではダメで、本人から聞いたことだけを集めていました。その取材にもかけ回っていて、家にいる日はわずかだったのです」
・「あの世には安楽会と苦悩会が歴然と存在している。仏教でいうところの極楽と地獄のことである。私個人の実体験に加えて、50数件のデータを集め、検討した結果、安楽会や苦悩会の体験は必ずしも一様ではないことがわかった。(略)霊界は非常に個人的な世界なのである。」
・最近になって、著作でふれる関係から安政の大地震について調べていたところ、「地震で亡くなった人が霊として現れたというエピソードは、なぜか東北など東のほうに多い」ことに気づいたという岡本先生。
<あとがき>
・超リアルな臨死体験・死後体験あり、あの世との通信体験あり、生まれ変わりの体験談や研究結果あり、天使や守護霊や神様との遭遇体験あり、超常現象の裏事情あり………と、題名どおり、あの世の裏道を探索する内容になったと思いますが、いかがでしょうか。
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