古事記神話に第一番目に登場する神を、天之御中主神(アメノミナカヌシ神)と設定したことによって、アメノミナカヌシはここに天地初発の神となり、天地創造の神となった。(3)
<日本列島を大陸から分離させた理由>
・(アルファ) 地球系霊団の至高神であるエル・カンターレの本体意識の一つ。3億3千万年前、文明実験の過程で、他の惑星から飛来した宇宙種の人類と地球系の人類との間で対立が起きたため、両者を一つの教えの下にまとめるべく地上に降臨し、「地球的真理」を説いた。
・(エローヒム) 地球系霊団の至高神であるエル・カンターレの本体意識の一つ。1億5千万年前、地獄界のもととなる低位霊界ができ始めていたころ、今の中東に近い地域に下生す、「光と闇の違い」「善悪の違い」を中心に、智慧を示す教えを説いた。
<ほかの星にも「メシア」という存在はいる>
<宇宙の時間には「終わり」もなければ「始まり」もない>
・約3万年前に、アンドロメダ銀河から約20万人の大船団を組んで富士山のすそ野に着陸したと語る天御祖神。
いずれ、もっともっと具体的なことが詳しく判ってくるとは思うが、神武東征の2万7千数百年前に、日本の大神が実在したとする本書は、始原の神アルファが3億3千万年前に出現したとする「エル・カンターレの法」からみれば驚くには値しないだろう。
『面白いほどよくわかる 日本の神さま』
古事記を彩る神々の物語を楽しむ
田中治郎 山折哲雄 日本文芸社 2007/11
<『神世七代の第一神 国之常立神(クニノトコタチノカミ)』>
<大地を永遠に屹立させる神>
<宇宙の根源神として>
・『古事記』では別天神の次に六番目としての登場した神となっているが、『日本書紀』ではクニノトコタチノカミ(国之常立神)こそが最初に現れた神と記されている。
『日本書紀』の「一書」(第四)では、クニノトコタチノカミとは別に「高天原においでになる神の名を天御中主命」とあるから、クニノトコタチノカミは高天原ではない虚空に存在し、大地形成を指導していたというニュアンスが感じられる。
・アメノミナカヌシは、「高天原に成りし神」(『古事記』)だから、高天原成立後その地に誕生した神であり、もしかするとクニノトコタチノカミはそれ以前から存在する始原神なのかもしれない。
「国」、すなわち大地は私たちの存在基盤だから、クニノトコタチノカミはアメノミナカヌシにも劣らない根源的な神さまである。
・鎌倉時代以来、神道を理論化し、一つの体系的な信仰形態を樹立しようとする動きが生じたが、その中の吉田神道や伊勢神道では、クニノトコタチノカミを宇宙の根源神としている。
(2019/12/3)
『面白いほどよくわかる神道のすべて』
日常の暮らしに生きる神道の教えと行事
菅田正昭 日本文芸社 2004/6/1
<日本の神の二大系統――天神(あまつかみ)と地神(くにつかみ)>
<天つ神と国つ神の違い>
<「天神地祇」の分類と定義>
・神社神道では神のとらえ方を大きく二つに分け、「天神地祇」といっている。その天神地祇を「あまつかみ・くにつかみ」とも訓む。そこから「天津神(天つ神)・国津神(国つ神)」とも書く。
<大国主神も当初は「天神」>
・すなわち、律令期においてすでに分類と定義との間には微妙な矛盾が存在していることになる。
ふつう、出雲系と言うと、私たちは、出雲国造が斎(いつ)く神であるところの、大国主神を国つ神のチャンピオンのように考えがちだが、当初は「天神」と分類されていたわけである。そして、出雲国造それ自体が「天孫」系であり、その先祖は皇孫ニニギに先行して高天原から降臨した天穂日命であったという神話的事実を考えると、ますますその違いがわからなくなる。
<天神・地神の一般的定義>
・『広辞苑』は「あまつかみ(天つ神)」を「天にいる神。高天原の神。また、高天原から降臨した神。またその子孫」ととらえ、「くにつかみ(国つ神・地祇)」を「①国土を守護する神、地神。②天孫降臨以前からこの国土に土着し、一地方を治めた神。国神」と定義し、一般的には、この定義が通用している。
●征服――被征服図式の考え方
これをさらに拡大解釈して、天つ神を新しく渡来した征服系の民族の神、それに対し国つ神系を先住系の被征服民族が祀っていた土着の神としてとらえ、天つ神と国つ神を対立抗争の概念でとらえる傾向もある。
<天つ神と国つ神の違いには、制服―被征服の構造的図式では解明できない問題が山積みされている。>
<天つ神と国つ神を一身に体現するスサノヲ>
<天神から地神へのスサノヲ>
・『古事記』のスサノヲ(素戔嗚尊)も「系譜」によれば、大国主神はスサノヲと奇稲田(くしなだ)姫命との間の五世の孫である。また、『日本書紀』の本文によれば、須佐之男命と櫛名田比売(くしなだひめ)との間の御子神としている。
・もちろん、スサノヲはアマテラスの弟神として、本来はレッキとした天つ神である。しかし、高天原を追放されたことから「国つ神」的な面貌をしだいにもつようになったということはできる。
だが、その出自は由緒ある天つ神であり、しかも<三貴子>の中の一柱である。にもかかわらず、その子孫の大国主神は国つ神とされているのである。
<天・地系の相互交代ビジョン>
・ちなみに、大元教の聖師の出口王仁三郎は、天系と地系の神々が相互に交代するという霊的ビジョンを提示しているが、そうしたイメージも『日本書紀』の「一書」の中に萌芽的に現われている。垂直思想と水平思想が入り交じった地平線=水平線から見なければ、天神地祇(天つ神・国つ神)の本義はつかめないのだ。
<天つ神の「シロシメス」とは?>
・天つ神の統治は、「ここは私の土地である」と知らせるだけで、本来は実効支配が伴わない。
<国つ神の「ウシハク」とは?>
・「他者の土地を計測して無理矢理に身に付ける」という意味。
・国つ神の統治は、実効支配がないと、その領有が認められない、と思われていたのかもしれない。
<地に堕ちて埋没神へ>
・この千葉神社の例をみてもわかるように、星を祀った神社は非常に少なく、あったとしても、同社と同じく、そのほとんどが妙見系なのである。
天に輝く星神は地に堕ちて埋没神となるか、あるいは、陰陽道の神々と習合して、たとえば艮や坤の金神(もとは金星の精)のように民間信仰のなかで生きるしかなかったのだ。
<もう一つの天つ神>
・菅原道真が配流先の大宰府で生涯を閉じると、道真の追放に関係した貴人たちが相次いで不慮の死を遂げた。朝野はその威霊を怖れ、朝廷は勅して道真に「火雷天神」の号を贈り、その御霊を鎮めようとした。
<天津罪と国津罪――神道の戒律>
<天津神の八種類の罪事>
・神道では、人類が犯すかもしれない罪として、「天津罪」と「国津罪」の二通りを考えている。このうち、天津罪はスサノヲが天上で犯した罪である。
その結果、アマテラスは天ノ岩戸に隠れてしまわれ、岩戸開きのあとスサノヲは鬚と手足の爪を抜かれて高天原を「神逐ひ」(追放の義)にされてしまった。
・ここで、スサノヲが犯したという、これら八種類の罪事の一つひとつを簡単にみておこう。
1. 畔放(あはなち):田んぼの畔のことをアといい、それをハナツ(壊す)の義。つまり、畔を破壊すると田んぼの境目がわからなくなり、結果的に他人の田を侵すことになる。
2. 溝埋(みぞうめ):溝を埋めると、水の通りが悪くなって湿田化し、時に稲が根腐れ状態になる。
3. 桶放(ひはなち):田んぼに水を引くための木製の桶を壊すと、水が入らなくなるから稲が枯れてしまう。
4. 頻蒔(しきまき):他人が種子を蒔いたあと、重ねて蒔くこと。その結果として、他人の田を盗むことになる。
5. 串刺(くしざし):他人の田んぼに棒(串)を立てること。この棒はたんなる棒切れではなく、ある種の御幣である。つまり、他者の土地に、おのれの祭る神が領有したことを知らせる行為であり、当然、田んぼの横領となる。
6. 生剥(いきはぎ):生きたまま馬の皮を剥ぐこと。
7. 逆剥(さかはぎ):動物の皮を足や尾のほうから逆さに剥いで、それを引っ繰り返して、肉を入れる剥ぎ方。
8. 屎戸(くそへ):屎をへちり散らすこと。すなわち、撒き散らすこと。
<十三の国津罪とはどういうものか>
<罪の多くは姦淫に関する>
・これに対し、国津罪は、『大祓詞』によれば、「生膚断・死膚断・白人・胡久美(こくみ)・己が母犯せる罪・己が子犯せる罪・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・畜犯せる罪。昆虫の災・高津神の災・高津鳥の災・畜仆し蟲物せる罪」で、その多くは姦淫の罪である。ここで、これら十三種類の国津罪の罪事をみておこう。
1. 生膚断:生きている人の皮膚を傷つけて、出血させることによって、その生命力を弱めること。
2. 死膚断:死者の皮膚を切ること。
3. 白人:広義の遺伝性の病気か。
4. 胡久美(こくみ):いぼやこぶのような贅肉。一説では、ハンセン病の可能性もあるという。伝染病の病気を意味しているらしい。
5. ~⑨:母子相姦・父子相姦・いわゆる近親相姦のヴァリエーションや、獣姦管などの罪である。
1. 昆虫の災:字義どおりだと、昆虫の発生による被害を指すが、ここでは「這ふ虫」の義で、おそらくマムシ(真虫)に噛まれる被害であろう。
2. 高津神の災:高い所に居ると考えられた神。災害を加えるもの、雷などをさすという。
3. 高津鳥の災:高い空を飛ぶ鳥。「神道で天狗のことを『高津鳥』という。
4. 畜仆し蟲物せる罪:獣を倒して殺し、その骨を焼いて占いをする罪。
じつは、中臣氏から別れたと伝承する卜部氏は、もともとは亀や鹿の骨を焼き、そのヒビ割れ方で吉兆を占う職掌があった。大中臣氏としては、民間の宗教者がそのようなことをしてはならないということであろう。
<もとは区別がなかった二つの罪>
・これらの天津罪と国津罪との間には本来、区別がなかったらしく、中臣氏が便宜的に分けたものと考えられている。
また、いずれも神道における一種の戒律として機能しているが、とくに国津罪の内容に若干、差別的な要素が含まれているため、現在では『大祓詞』から八種類の天津罪と十三種類の国津罪の具体的な名称を外して奏上することが多い。
<造化三神と天御中主神の存在>
<造化三神と謎の始源神・天御中主神>
<『紀』の冒頭のみの存在>
・天御中主神(あめのみなかぬし)・高御産巣日神(たかみむすびのかみ)・神産巣日神(かみむすびのかみ)の三神を総称して、造化三神という。
<明治に妙見と習合し、甦る>
・滋賀県の琵琶湖周辺には“近江高天原”伝説があり、記紀神話に登場する地名や神名はみんなそろっているといわれているが、近江八幡市之庄町に鎮座する天御中主命神社も、じつはもと妙見系である。また、鹿児島県には、十カ所の天(之)御中主神社があるが、いずれも妙見(北辰)系のようである。
いうならば、天御中主神はある種の埋没神であり、明治になって妙見と習合することで突然、甦ってきた神なのである。
<平田篤胤の三位一体説>
・こうした事情から、天御中主神という神名にもうかがえるように、道教思想の影響を受けて成立した、いうならば、哲学的概念に基づいた神である、と考えられている。実際、中世の伊勢神道や吉田神道説では、この神を宇宙の統一神・根源神として尊崇してきたのである。
<始源神にも氏族があった>
・いずれにせよ、アメ(アマ)のミナカヌシを祖神として伝承する氏族は、たしかに存在したのである。
したがって、アメノミナカヌシは始源神であるから、それを祖神とする氏族は存在しない、という俗説も否定されたことになる。
そして、この神を祖神とする有力氏族の一つが、伊勢の度会(わたらい)氏だったという事実は非常に大きな意味をもっている。
<タカミムスヒの役割>
・「天つ神」の中の「天つ神」としての神話の主要な場面で登場し、指導的な役割を果たした。まさに、創造・発展・完成の霊的エネルギーを発揮した神。
<カミムスヒの役割>
・国つ神の後見人的役割を受け持ち、より生産的な事柄に従事した神。
<「天の父」と「地の母」という概念>
・タカミムスヒは天上界で、カミムスヒは地上界での産霊を担当しているが、世界と同様、弧状列島の住民には、男女の観念のほうが理解しやすく、タカミムスヒを「天の父」、カミムスヒを「地の母」と捉えた人たちもいたようだ。
<もう一つの始源神・国常立尊(くにのとこたちのみこと)の謎>
<もう一つの始源神=国常立尊>
<『日本書紀』の天地開闢の初め>
・ひと口に記紀神話というが、『古事記』と『日本書紀』では大違い。まず、冒頭が違う。天地開闢の始源神が『記』では天御中主神になっているのに対し、『紀』では国常立尊になっている。
<『古事記』では造化三神ののち>
・これに対し、『古事記』では、クニトコタチ(国常立神)は六番目に登場してくる。
<天地の対立がない古代日本>
・これを見てわかることは、『紀』のクニノトコタチは、『記』のウマシアシカビヒコヂの貌をもち、さらに天と地(国)との違いはあるものの、神名が似ている天常立神の神格も合わせ持っているように思える。
<『日本書紀』でのクニノトコタチの変容>
<クニトコタチというのは、国土の永遠性を予視しての神名である>
<“超男性”に記された神>
・天地の開闢の初めは陽気だけが単独で出現し、開闢三神はその陽気だけで生まれた神で、陰気(女性性)をまったく受けない純粋の男性(超男性)の神だったというのだ。
<クニノトコタチの変容>
・その意味では、伊勢朝臣の度会(わたらい)氏を、クニノトコタチの子孫でもあると考えることができる。すなわち、伊勢の外宮の神が天御中主神=国常立尊であるとする伊勢神道説の、この事実は一つの傍証となる。
いずれにせよ、度会氏が『記』と『紀』の両書の始源神の末裔だった、という伝承上の可能性が出てきたわけである。
<埋没神の蘇りとその展開>
<記紀に出自不明の「埋没神」の登場>
・実際、前期の“ブーム”下に「新しき古」を求めるなかで「埋没神」も出てきた。
埋没神という語は、故・金井南龍師が『神々の黙示録』中で、『日本書紀』巻第一「神代上・第五段」の第十の一書(あるふみ)の中に登場する菊理姫神(くくりひめのかみ)をその典型として取り上げたことから注目され始め、やがて埋没神という言葉自体が独り歩きしてしまった。
たしかに、菊理姫神は出自不明の神であり、『古事記』はもちろん『日本書紀』でも本文には登場してこない神である。
その点では埋没しているといえるが、この菊理姫を祭神とする白山比咩(しらやまひめ)神社・白山神社は全国に二千七百ヵ所以上も鎮座しており、そこをみれば決して“埋没”しているとはいえない。
<金光教と大本の「艮(うしとら)の金神」>
・そうしたなかで、金光教と大本(教)を生み出したウシトラノコンジン(艮(うしとら)の金神)は、より埋没神の貌を持っていたといえるだろう。
この金神は、その名が示すように古代中国では金星(太白)の精であった。その出自が星神であったことから、一年を単位に季節・日によって遊行する神となった。
わが国では平安時代以降、陰陽道系の方位神・暦神として恐れられた。
・その金神の祟りの恐怖が契機となって立教したのが金光教で、教祖の金光大神(1814~83)はその迷信の桎梏を打破し、人類救済のための慈悲深い天地の絶対の神としての天地金乃神へと名乗りを変えた。
・さらに、その同じウシトラノコンジンが出口ナオに憑って立教したのが大本(教)である。
しかし、大本においては、艮(うしとら)の金神は万物創造神としての国常立尊として現われてしまう。すなわち、伊勢神道→吉田神道における大元神(国常立尊)と集合してしまうのであった。
<艮の金神は国常立尊か?>
・つまり、出口ナオのお筆先『大本神諭』によれば、ウシトラノコンジンは「この世を治めた神なれど、余り我が強うて丑寅へ三千年と五十年押し込められ」て、しかも便所の内に落とされていたのに、出口ナオに掘り起こされ、出口王仁三郎に肉付けされると、メジャーな神へと転化してしまう。
・ちなみに「艮の金神、国常立尊とあらわれた」大本の場合、国常立尊はクニトコタチと「ノ」がない。このため、記紀の国常立とは神名が似ていても、まったく違う神だと主張する人もいる。
しかし、それが本当なら、ウシトラノコンジンのままで国常立尊として現われる必要はなかったといえよう。
大本でいう「親神・国祖」という性格は、まさに『日本書紀』における国常立尊の神格である。その重要な開闢神が、大本が立教されるまで埋没させられていた、という認識のほうが重要なのである
<新しい貌をもった「天理王命」と「伊豆能賣(売)(いづのめ)>
<記紀神話と習合した埋没神>
・天理教の天理王命は、ふつう、冥途の十王の一人である転輪王に由来する、といわれている。
すなわち、天理教の教祖の中山みきに親神天理王命が憑ってきたとき、「我は元の神・実の神である。この屋敷に因縁あり、このたび、世界一列を助けるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい」
と名乗ったといわれているが、本当は<天理王命>でも、仏教系の<転輪王>でも<元の神・実の神>でもなく、じつは<天の大将軍>であったという話もあるようだ。
もちろん、この天の大将軍は道教系の神である。しかし、当時は徳川家の天下の大将軍に遠慮して、明治に入るとその道教っぽい臭いが気になって、天理王命になったという話もある。
いずれにせよ、天理教の神が埋没神であったからこそ、それらの名前を名乗ったのである。
そして、この天理王命も国常立尊を含めた十柱の神々の総称と解釈され、ここでも埋没神は記紀神話の神々と習合してしまうのである。
<伊豆能賣(売)を追求した王仁三郎>
・その点では、『古事記』のイザナギの身禊(みそぎ)の段の一ヵ所だけに登場する伊豆能賣(いづのめ)(売)(神も命の号も付いていない唯一の例。ただし、天岩戸の段の鍛人天津麻羅(かぬちあまつまら)にもない)のほうがあらゆる面で埋没的といえる。
実際、このイヅノメは、カムナホビとオホナホビと共に出現しているが、イザナギの身禊(みそぎ)の場面で生まれた他の十柱の神々は『日本書紀』にも登場してくるのに、イヅノメだけが仲間外れにされているのである。
しかも、このカミを祀ったと思われる「伊豆之売(いずのめ)神社」が、延喜式神名帳の出雲国出雲郡の中に登場してくるにもかかわらず、すぐ行方不明になってしまうのである。すなわち、イヅノメを祀った神社はどこにも存在しなくなるのだ。
<天理教の天理王命>
・天理教の天理王命は、ふつう、冥途の十王の一人である転輪王に由来するといわれているが、いずれにせよ、埋没神であったからこそ、その名前を名乗ったのである。
<神道は未来を生きるための指針>
<神道の可能性はさらに広がっていく>
・「神道を信じています」などと言うと、すぐ天皇制だとか右翼思想だとかを思い浮かべて、おもわず顔をしかめる人もいる。神道に対するこうした種々の誤解をできるだけ解きほぐしていきたい、ということが本書の主題の一つとなっている。
・ところで、今日の神道における現代的画期は、昭和43年~48年ではないかと私は考えている。
43年は「イタイイタイ病」や「水俣病」などの公害病が初めて認定され、また全国各地で公害問題が露出し始めた年である。
・すなわち、資源枯渇、人口爆発、自然破壊、環境汚染、天候異変、飽食と飢餓、核の危機……等々。いずれもグローバルな視点が要求される問題である。
・そうしたことから、欧米で古神道が注目されてきたことはすでに述べたが、先の<アプローチ>は、神道の可能性は自然そのものを超えて、人々の精神にもかかわってくるものであることを示唆する。
たとえば今日の幼児・児童虐待、子殺し等々や非行の問題、そして障害をもって生まれてきた子供たち……といった現代が抱えた深刻な悩みにも神道は光を与えてくれるのである。
<背景としての『古事記』の古捨て・子殺し譚>
・じつは、古代人たちも同じような悩みを抱えていた。『古事記』神代巻をひもとくと、悲惨物語とか残酷物語と名づけてもよいほどの、一見して目を覆いたくなるような出来事がしばしば登場する。一例にイザナギとイザナミの間に最初に生まれたヒルコと淡島が、子として認められず、ヒルコの場合では生まれて早々に小船に入れられ海へ流し棄てられてしまう。
・おそらくは水頭症と思われる子供の人形が福神として人気を集めた。衣料メーカーの“福助”もこの系統の“伊勢路福助”から発しているが、一般には厄介者視されやすい障害児を、福子もしくは宝子として地域社会で見守っていく、という伝統がそこにはあったのである。
その淵源をたどると、記紀神話のヒルコに行き着くのだ。障害児・障碍者を温かく見守っていく地域は、繁盛するのである。エビス神(ヒルコ)が商売繁盛の神になるのは、そのためであった。
ヒルコはいま、地球という子宮の内の、万生の産みの母なる海の産腹を、未来の太陽神を夢見ながら、採り籠のような天鳥船(『紀』の一書では葦船ではなく天鳥船となっている)に乗って、天翔け=海駆けているのである。そして、カグツチのほうは、地球の鼓動を伝えながら、生態系の乱れを警告しながら、それを結び直そうとしているのである。
いかがだろうか? 神道、そして古神道の蘇りとは、以上のように、たんなる宗教的復権といったものを超えて、日々を生きる私たちに“未来”を指し示しているものなのではないだろうか?
<●●インターネット情報から●●>
ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)から引用。
{ヒルコ}
ヒルコ(水蛭子、蛭子神、蛭子命)は、日本神話に登場する神。蛭児とも。
始祖となった男女二柱の神の最初の子が生み損ないになるという神話は世界各地に見られる。特に東南アジアを中心とする洪水型兄妹始祖神話との関連が考えられている。
(伝承・信仰)
流された蛭子神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っている。『源平盛衰記』では、摂津国に流れ着いて海を領する神となって夷三郎殿として西宮に現れた(西宮大明神)、と記している。日本沿岸の地域では、漂着物をえびす神として信仰するところが多い。ヒルコとえびす(恵比寿・戎)を同一視する説は室町時代からおこった新しい説であり、それ以前に遡るような古伝承ではないが、古今集注解や芸能などを通じ広く浸透しており、蛭子と書いて「えびす」と読むこともある。現在、ヒルコ(蛭子神、蛭子命)を祭神とする神社は多く、和田神社(神戸市)、西宮神社(兵庫県西宮市)などで祀られているが、恵比寿を祭神とする神社には恵比寿=事代主とするところも多い。
平安期の歌人大江朝綱は、「伊井諾尊」という題で、「たらちねはいかにあはれと思ふらん三年に成りぬ足たたずして」と詠み、神話では触れていない不具の子に対する親神の感情を付加し、この憐憫の情は、王権を脅かす穢れとして流された不具の子を憐れみ、異形が神の子の印(聖痕)とするのちの伝説や伝承に引き継がれた。海のかなたから流れ着いた子が神であり、いずれ福をもたらすという蛭子の福神伝承が異相の釣魚翁であるエビス(夷/恵比寿など)と結びつき、ヒルコとエビスの混同につながったとされる。また、ヒルコは日る子(太陽の子)であり、尊い「日の御子」であるがゆえに流された、とする貴種流離譚に基づく解釈もあり、こちらでは日の御子を守り仕えたのがエビスであるとする。
不具の子にまつわる類似の神話は世界各地に見られるとされるが、神話において一度葬った死神を後世に蘇生させて伝説や信仰の対象になった例は珍しいという。
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