「英単語は1語1万円もたらすそうだ。君たちも1日に10万円儲けるつもりで単語を10ずつ覚えろ」と諭した(それは30年前だから今では英単語1語の価値はもっとずっと上がっているはずである)。(3)

『なぜマッキンゼーの人は年俸1億円でも辞めるのか?』

田中裕輔   東洋経済新報社   2012/6/15

<限られた時間の中でMBA合格を勝ち取れるか>

・さぁ、大変なのはここからである。MBAに留学するのならば翌年の1月上旬、つまりあと9カ月後には出願を終えなければならない。もちろん、その次の年に持ち越すのも可能だが、性格上、1年9カ月後の出願のために地道に頑張れる気が全くしなかった。

<やるからにはMBAもマネジャーも実現させようと心に強く刻んだのである>

・どの学校も学生の国籍に偏りが出ないよう「留学生枠」や「日本人枠」を持っていて、良い学生がいればどんどん合格通知を出していく。そのため枠が埋まる前に合格を勝ち取らなければならないのである。

・MBAの出願にあたって提出しなければならない主なものは、以下の通りである。①TOFEL(トップ10スクールと呼ばれる学校ならば、CBTで267点以上が望ましい。最低でも260点台)②GMAT(同じく、700点以上が望ましい。最低でも600点台後半)③各学校の課題作文(志望理由など)④上司などからの推薦文(各校につき2、3人)⑤英語の履歴書⑥大学の成績表(できればGPA換算値で3以上)

・大きな障壁は①、②のいわゆるテスト。そして何気に時間を取られるのが③の課題作文の提出である。テストに関してはTOFEL・GMATともに、日本では最も一般的なTOEICと比べても遥かに難しい。特にGMATは、アメリカ人を含めて英語ネイティブの人も一緒に受ける試験なので僕にとっては頭痛の種だった。

 時は既に4月。「独学している余裕なんて無い・・・」、そう思うや否やプリンストン・レビューというMBA試験対策で有名な塾に申し込みをした。

・仕事も最高潮に忙しくなった。山梨さんには怒鳴られるわ、クライアントから怒鳴られるわ、チームメンバーから不満は噴出するわで、毎日が「前門の虎、後門の狼」状態。

 そんな中、9月には初めてGMATも受験したものの、予想通り、これまた散々な結果だった。800点満点中580点台。目標まで100点以上もビハインドしていた。

・シャドウイングとはその名の通り「影」になることである。まずは英語のスクリプトを記憶する。そして片耳でそのスピーチを英語で聞きながら、全く同じスピードで「影」のようについていきながらスピーキングするのである。

・アメリカのトップ10スクールに絞って、スタンフォード、ペンシルヴァニア(ウォートン)、MIT、コロンビア、シカゴ、ダートマス、バークレーと合計7校に出願した。

・いよいよ余裕も無くなってきた2月、突然「ノイローゼ」が再燃する。原因不明の体調不良が続き、鼻水が止まらないし頭も冴えない。大学受験の時の1回目、就活の時の2回目に続き、人生3回目のノイローゼだった。俺は本当に繊細な人間だな・・・・この時は何だかおかしくもあった。

・僕は考えた。何が差別化になるのか。マッキンゼーという経歴はMBAでは強い。毎年、ハーバードMBA卒業生の希望進路が公表されるが、マッキンゼーは常に1位か2位。そのためのアドバンテージがあることは間違いない。しかしそれだけでは十分な差別化にならない。ここで僕は芽生え初めていた起業の想いをぶつけることにした。「今はマッキンゼーにいるが近いうちに起業する。今、考えているのはベビーシッターや家政婦の派遣業。ベビーシッターや家政婦に対するニーズは強い」

・マッキンゼーの研修の参加者の多くはヨーロッパかアメリカのオフィスから来ていたため、僕は英語についていくので精一杯。「MBAに行ったらこんな日が毎日続くのか・・・」、若干、憂鬱になったが、まだ受かっていない。杞憂にならないよう受かってから悩むことにした。

<経営コンサルタントにとってのMBAの価値>

・では真面目に「MBAに行く価値はあるのか?」と問われれば、僕の答えはNOだ。その理由はやはり費用対効果の低さにある。

・それではMBAに行ったことを後悔しているかと言えば、これも答えはNOである。僕はMBAに留学して本当に良かったと思っている。

・しかし、この費用に見合うクオリティの授業はほぼ皆無だった。本を読めば書いてあることばかりで、少なくとも僕は尊敬するような先生には出会わなかった。卒業後1年経った時に色々な授業を思い返したが、本当に役に立っているのは「ネゴシエーション(交渉)」の授業のみ、他は正直、全く役に立っていない。これはUCバークレーに限らず、他のトップスクールでも同様ではないだろうか。

 ではなぜ、皆がMBAに行きたがるのか。それは単純に「履歴書に書けるから」である。

・また海外の学生、特にアジアや南米からの留学生の場合、MBAを卒業したら1年間は誰でも「OPTビザ」でアメリカで働けるし、そこで成果が認められれば「H1ビザ」で、アメリカの一流企業で長年働くこともできる。このリターンがあるため、授業の質が低かろうと皆こぞってMBAに留学するのである。

『2050 老人大国の現実』 

超高齢化・人口減少社会での社会システムデザインを考える

小笠原泰 渡辺智之    東洋経済新報社   2012/10

<実質GDPは現在より4割落ち込み、国税収入のほとんどを貧しい高齢者の生活保護で使い切る>

・2025年には団塊の世代が後期高齢期に入り終える。2050年には団塊ジュニアの世代が後期高齢期に入り終える。このままでは、その時、実質GDPは現在より4割落ち込み、国税収入のほとんどを貧しい高齢者の生活保護で使い切る。

・国家の役割を限定し、国が提供するサービス、国家と個人の関係を見直さなければ、社会保障制度の破たんは避けられない。そのような大改革を、国民は英断しなければならない。

・それは、「社会保障制度の維持には、国民が分配するパイの拡大が必要であり、人口が減少する高齢化社会を迎えても、具体的方法は分からないが、日本経済をなんとか持続的経済成長軌道に回帰させ、それが低成長であれば、それに応じて現行の社会保障制度の見直し(最低限の給付削減)をはかることで、現行の問題が、運がよければ結果的に発展的解消していくことを期待して、それを目指す」というものではないでしょうか。

・2050年に向って確実に進行する中長期的危機に、これまでの延長線上の発想で対応しようとしても、まったく歯が立たないということです。

・本書が読者として念頭に置いているのは、2050年における日本の状況を、自分自身の問題として、受け止められる、あるいは、受け止めていかざるをえない、という意味で当事者である若い世代の方々です。

・そもそも、平均寿命が80歳を超え、90歳の声を聞こうかという超高齢化社会では、人間の人生設計(いくつまで働くのか)そのものが、これまでとは大きく異なることを、高齢者も含めて社会が強く認識すべきであるのです。

<次なる波動の団塊ジュニア世代の現実とは>

・団塊世代に続く人口波動である団塊ジュニア世代(1970~1974年生まれ)ですが、確かにその数的インパクトは、団塊世代に比して、団塊ジュニア世代の状況は厳しいものがあります。事実、団塊ジュニア世代は、就職氷河期を通り、非正規雇用率が前の世代に比べて高く(年代別非正規雇用率(男性))、かつ、今後の経済成長が期待できないなかで、年功序列型の昇給制度は終焉を迎えています。

<2012年現在で、先頭が40歳を過ぎた団塊ジュニア世代の老後はかなり貧しい>

・このような大きな人口波動である団塊ジュニア世代が、後期高齢期を迎えるのが、2045年から2049年に当たります。

 加えて、団塊世代が後期高齢期を迎え終えた2025年と団塊ジュニアが後期高齢期を迎え終えた2050年の高齢者の比率を比較すると、75歳以上が18.1%から24.6%(65歳以上は30.3%から38.8%)に上昇します。この高齢者比率の上昇に加えて、2050年に75歳以上を迎えている団塊ジュニア世代は、蓄えも乏しく、団塊世代のように豊かでないわけですから、社会保障制度への負荷は、人口規模によるインパクト以上に大きいと考えてよいといえます。

<見据える視圏は2050年>

・上記のように、経済成長の問題、人口ピラミッドと高齢者/現役比率の問題、団塊ジュニア世代の経済状況の問題など、多面的に見てみると、新たな社会システム設計のための日本のビジョンを構築するうえでの視圏としては、人口波動第一波の団塊世代のインパクトに着目する2025年よりも、総合的な負のインパクトがより大きいと想定される第二波の団塊ジュニア世代に着目する2050年がより妥当ではないかと思います。

・高齢者/現役比率が高止まりする2080年代は、ある意味で、日本社会の終着点ではあると思いますが、将来ビジョンの構築において着目するには先すぎるでしょうし、2050年の団塊ジュニアの波動をしのげなければ、そこまで、日本と言う国家は生き延びていないのではないかと思います。

・逆に言うと、団塊の世代に対して、思い切った施策を講じることができなければ、社会保障制度の抜本的改革などなにもできないということです。

<2050年の様相――2025年の後に控える悲惨な将来図>

・人類史上、これまで経験したことのない未曽有の超高齢化・人口減少社会を、先進国のなかで先頭を切って急速に迎えつつある日本が、本当の大きな社会的危機を迎えるのは、2025年に団塊世代が後期高齢期(75歳以上)を迎え終えるときではなく、団塊ジュニアが後期高齢期を迎え終える2050年ではないかと述べました。ここで、この将来を見据えることなく、社会制度も含めて、あらゆる問題の解決を万能薬の如く、持続的経済成長に頼る姿勢をとる一方で、既存の社会保障制度を、運用や小手先の、その場しのぎの部分修正で切り抜けようとする結果がどうなるかを、シュミュレーションしてみたいと思います。

<相変異を起こす高齢化した団塊ジュニア>

・2050年に至るまでには、以下のような道筋が想定されます。2025年に団塊世代が75歳以上を迎え、社会保障サービスのコストが急増しますが、その後も、団塊ジュニアが75歳以上となる2050年まで、継続的にコストは増加を続けると考えられます。現行の政治システムでは、高齢者への需給を抜本的に削減することは、高齢化比率の高い地域を選挙地盤とし、政治を家業とする国会議員にはできない相談なので、賃金上昇を期待し得ない現役世代の負担及び将来の世代へ先送りする負担は増加し、世代間格差は、いっそう拡大するでしょう。すなわち、高齢化社会の社会コストは、その財源の裏打ちに乏しいまま、上昇し続けることが想定されます。

・一方、高度成長の恩恵を受けた団塊世代とそれ以前の世代は、いつまで生きるのかという長寿化の不安を抱えることになります。つまり、マスコミを通じて、年金、介護、医療などの社会保障サービスレベルの低下(給付減と負担増)の問題が、繰り返し流されるなかで、社会保障制度へのぼんやりとした不安を抱え、測ることのできない余命に備えて、つまり、測れない医療コストや介護コストに備えて、必要以上の金融資産を蓄えることになります。

<現実的には、社会保障のサービスレベルは、徐々に低下していくことは避けられない>

・他方、これを支える税収を見てみましょう。2010年度の国税収入は、約38兆円です。前述したように、2050年の実質GDPは、約6割の規模になると試算されるので、税収も、その6割とすると約23兆円です。上記の単純計算によると、貧困高齢者への生活保護費は20兆円を上回り、国税収入のほとんどすべてを貧しい高齢者の生活保護で使い切ることになります。

・ここで挙げた2050年の日本社会のシュミュレーションが、もし、現実のものとなったならば、日本は間違いなく国家存亡の危機を迎えると心しなければならないと思います。

<求められる英断>

・特に、問題提起の端緒として、2050年ごろに大量の貧困高齢者が生まれる可能性が非常に高いことを共通認識とすることが重要です。

・いずれにせよ、今、我々は100年に一度の歴史的転換を迎えていると認識すべきでしょう。無責任な政治家と官僚に任せていては、日本は、貧しい高齢者の専制というポピュリズムの終着点に向かい、安楽死していくことになるのではないでしょうか。

『情報化社会の近未来像』 生活・組織・生命

野村恒夫  明石書店  2013/6/30

・「情報化革命」が始まって40年。我々はまだ、情報化社会の「とば口」にいるにすぎない。30年後には自由で豊かな社会に基づく「驚愕の生活」が実現すると説く、大胆な展望の書。

<食べ物と衣類>

<サラダ>

・作家でもあり、料理評論家でもある玉村豊男氏の著書によると、料理は基本的には3種類しかないという。焼き物、煮物、そしてサラダ(なまもの)である。

・そしてサラダとは「生食」の総称である。通常の野菜のサラダはもとより、刺身も漬物もアイスクリームでもみんなサラダの範疇と呼ぶ。さて、近未来人の食性、嗜好はどのような方向に向かうのであろうか。

・近い将来は、医学の発達とともに、長寿社会となってゆくことは間違いない。70代になっても、80代を超えても、恋をし、世界の各地を旅行し、スポーツに興じ、そして自己実現でもある仕事に没頭する。このような生き方が人々の価値観、人生観となっていく。今日でもその胎動ははじまっているが、そのために食事は健康志向となってゆく。そして、健康食とは、「サラダ」であるという規範が広まってゆくものと推測している。

・魚肉や卵やチーズやヨーグルトを少々摂取し、豆類や根菜類や緑黄野菜を十分に摂ると健康は増進することをみんなが理解してゆき21世紀社会の食事は野菜主体の食事、つまりサラダが主食となってゆくものと私は、独断と偏見で推測している。

<チョッキとスニーカー>

・服装の自由化とともに思想、思考も自由化され、旧来の規則や慣行や内部規範などに拘束されない自由な人間となり、鎖から解放されたイヌがその能力を十分に発揮できるのと同様、規約という拘束が解かれれば人間もその能力を発揮できるようになるのである。この思考の延長線上には個人の自由を表現する多様なファッションがあるだろうが、ここでは自由な服装の代表選手としてチョッキとスニーカー靴を掲げておきたい。

・もう一つ、世界に流行るファッションを挙げておこう。もうすでにその広範化は始まっているのだが、Tシャツや短パン、それにサンダルである。これはコストが安いことによって、だれもが気軽に身につけることのできる標準的ファッションになってゆくだろう。

<知象化の具現>

<ネット学習>

・「情報化は規約を緩和」するから、文部科学省―教育委員会―校長という規約によって構築されている序列ラインは、いずれは衰退するだろうと推測している。すでに教育は社会の情報化を背景にして、多様化自由化に走り出している。

・団体が衰退すれば、当然個人の時代、天才の時代となろう。そう、これからは個人の個々の資産を伸張する時代となり、個人が団結して生成する団体のパワーは減衰してゆき光り輝く個人がネットで織り接がれ、連携して社会の発展に寄与してゆくことになる。

・はやくも、中高一貫教育なども各地で開始され始めているが、小学校、中学校の9年間の一般教程の教育を8年間もしくは7年間で修了してしまい、個人の知的レベルをさらに向上させようとするものである。

・この「高卒認定」によって、16歳、17歳で大学へ入学する秀才たちも増えて来る。諸外国のように秀才を選定して特進させれば、秀才の資質はますます磨きがかけられ、このような秀才、天才たちによって日本の科学技術や商品開発やその他の分野で世界をリードする国家となれるはずである。

<このような学習の変化は、いずれは「ネット学習」に収れんしてゆくだろう>

・ネット学習は、まったくの個人指導であり、個人のレベルや能力や気力にも合わせて学習を進めてゆく。

<生涯学習>

・社会常識の規範、定義、慣行も緩和され、「少年だ」とか「老人だ」とかの差別もなくなってみんな平等になり、したがって、教育は青少年たちの特権ではなくなる。老人も年金制度が破綻すれば、呑気に隠居などしていられなくなって老いてなおスペシャリストとしての学習もはじまり、働いて自立の生活を強いられることになる。少年たちもバイトで生活費を稼ぐようになって自立の生活が始まり、これが「年齢と言う規範」が緩和されたインデペンデントな平等社会である。

・テクノロジーの進歩によって豊かな社会が創設されてゆくと「生きる事」が容易になってゆき、旧来の価値観であった金儲けや蓄財すらもが人々の支持を失ってゆく。

・今までと違って「生きる事」が安易になり「余暇時間」が増えると、定年退職をした人たちは、税理士、建築士、弁護士、医師などの資格を取得するために受験生顔負けの猛勉強をはじめ、英会話を学び、ダンスや料理などの学校に通い、スポーツ・クラブで汗を流す毎日となる。

・法科大学院が全国でいっせいに開校されたが、高い授業料にもかかわらず多くの中年サラリーマンが入学し未来の弁護士を目指して猛勉強をはじめている。

<バーチャル学習>

・ネット学習の長所はバーチャル・リアリティだろう。バーチャル・リアリティは現在我々の目前にあり、そのリアリティは年月の経過するほどに高度化し、我々の意識を非現実的な世界、仮想現実へと導いてくれるはずである。

<英会話>

・情報は国際化しつつあり、日本社会は英語に席巻されつつある。

・近未来においては、英語が日本の公用語になり(実際には、日本語と英語の2ヶ国語の併用公用語となろう)、やがて、いずれは、日本語は秋田弁や鹿児島弁などを包含する一方言になってしまうことも考えられないことはない。

・すでに楽天、ファーストリテイリング、日産自動車、日本板硝子などの企業で英語は社内公用語と規定され、会議も社内文書も社内会話すらも英語になりはじめている。

・インターネットでも英会話の個人指導が始まり、一人の教師が数人もの生徒の個人指導を同時にやってのける時代に到達している。

・そして、英会話の次にはいよいよ日本語そのものが英語にシフトしていく。

・そして、ある時期から若者たちが主語と述語とをひっくり返す文体にしはじめ、やがてそれは新・日本語となってゆき、それはもう英文そのものであり、やがてさらなる年月をかけて洗練されてゆき、日本語は英語の一地方語となって定着してゆく。

・30年経ち、そして50年が経過すると、国内でも若者たちが英語で日常会話をするようになり、日本語は少しずつ忘却されはじめ、そしていつしか日本語は古語となってゆく。若い人たちから日本語を忘却してゆき、大学で古語を選択した者は夏目漱石や芥川龍之介などの古文を、辞書を引きながら悪戦苦闘して翻訳している姿が目に浮かぶ。もしウソだと思うなら、あと50年以上生きることだ。

<組織のネット化>

<携帯民主主義>

・近い将来には、携帯電話による「直接民主主義」の時代の幕が切って落とされるだろう。

・「議員は、もう要らない」という時代がくるかもしれない。住民が携帯電話で政策を提案し、それをみんなでネットで議論する。そして、大多数の合意、もしくは、その政策を是認する理由が得られれば、政策は実行され、ここに人類史上はじめての直接民主主義が生まれる。

(2022/3/2)

『令和日本の大問題』

現実を見よ! 危機感を持て!

丹羽宇一郎   東洋経済新報社  2020/4/17

まもなく日本は大きな選択を迫られる。10年前の道がいまもあるとは限らない。いますぐ昭和・平成の成功体験を捨て去れ!そして、若者に席を譲りなさい!

 戦争をしてはいけない。近づいてもいけない。グローバリゼーションから逃げてもいけない。迫る地震・災害を他人事にしてはいけない。不条理を許してはいけない。不合理を信じてはいけない。長寿を社会悪にしてはいけない。老人は若者の邪魔をしてはいけない。

<30年が一世代なのである>

・「世」という漢字には、30年という意味がある。30年が一世代なのである。本書は、これからの30年を我々日本人がどう生きるかをテーマとしている。

・新型は人類にとって未知の病原体であるが、その感染経路もワクチンの開発も遠からずはっきりするだろう。しかし、長期的に人間が頭に入れておかねばならないのは、新型細菌・ウィルスは、これからも現れ続け人類の脅威となることだ。したがって我々が将来にわたり目指すべきは、ウィルスの撲滅より「共生」である。共生のためにはウィルスを弱毒性へ導くことだ。

 生物であるウィルスにとって宿主である人が死ねば、ウィルス自身も生きられない。容易に次の宿主が見つからない環境にあっては、強毒性のウィルスは生き残れなくなる。したがって、人から人への感染を防ぐことはウィルスを弱毒化し、人とウィルスが「共生」するための有効な対策である。

 もうひとつは人類の免疫力を上げることだ。

・1941年8月、近衛文麿内閣は当時のエリートが結集した「総力戦研究所」の提出した、日本必敗のシミュレーションを「戦争はやってみなければわからない」と握りつぶし、イチかバチか賭けに出た。その結果が、あの悲惨な敗戦である。

 我々は、日本の抱える問題からけっして目を背けてはならない

・「今度のアメリカ訪問で一番印象に残ったのは、老人がたくさんいて、それが皆矍鑠(かくしゃく)として、元気で働いていることであった。<中略>人間が健康で長生きしていることが、一番美しいことであった」

 人は長寿社会を理想としてきた。そして、いまや100年の長寿を得ようとしている。長寿が問題なのではない。我々の知恵と、我々の社会が、いまだ医学的発展に追いついていないことが問題なのである。

 こうした問題に取り組む姿勢と問題を乗り越える道を求めて、私は本書を執筆した。

<避けれない危機の上に日々暮らしていることを忘れるな!>

<大地震が必ず起きることを想定しろ!>

・1923年の関東大震災以来、関東ではそれほど大きな地震は起きていない。

・「過去100年に5回起きたということは、将来の100年で5回くらい起きる可能性はある」ということだ。だが平田教授は、いつ、どこで、どのくらいの地震が起きるかを予測することは不可能とも言っている。

 世上、「首都直下地震」が起きる確率は30年間で70%と言われているが、それは首都圏のどこか、あるいは南関東のどこかでマグニチュード7程度の地震が起きる確率が示されているのだ。その根拠は「100年に5回ですから、30年に換算すると0.7回、つまり70%となる」ということだそうだ。

 大地震は100年に5回起きているといっても、20年おきに起きているわけではない。100年に5回は事実でも地震が起きるのは不規則、だから、いつ「首都直下地震」が起きるかという予知は不可能なのである。

 だが今後30年間で、マグニチュード7前後の地震が起きるというのは、統計からいって間違いない。日本が地球上最大の地震発生地帯にある以上、地震は避けられないのだ。

<最悪のケースで死者2万人、経済的被害額95兆円>

・では、被害はどの程度になると想定されているのか。内閣府が2013年に発表した「首都直下地震」の被害想定がある。首都直下といっても震源は一ヵ所ではない。考えられる震源は19ヵ所想定された。被害はマグニチュード7.3のケースで最大死者2万3000人、経済的被害額が約95兆円、建物の倒壊、焼失は合わせて最大61万棟とされている。

 被害額は、日本の年間GDPの2割に近い。マグニチュード7.3でも、首都機能は完全に失われるだろう。我々は、そういう危機の上で日々暮らしているのだ。

 内閣府は、マグニチュード8クラス(関東大震災級)の地震が起きたケースでも被害想定を出している。それによると、最悪のケースで死者7万人、経済的被害額160兆円、建物の倒壊、焼失133万棟となっている。

 マグニチュード7クラスと8クラスで、経済的被害額に比べ人的被害や建物の被害が大きく跳ね上がるのは、現行の建物の耐震基準が、7クラスの地震にはある程度は耐えられても、8クラスとなるとそのエネルギーに耐えられないからだ。建物の倒壊が増えれば火災のリスクも高まる。

<日本は地震によってつくられた国>

・言うまでもなく日本は地震多発国である。世界で起きている地震の1割、マグニチュード6以上の地震では約2割が日本周辺で起きているといわれる。

 日本で地震が多い理由は、国土の成り立ちに起因する。

・関東で起きると言われている「首都直下地震」は、マグニチュード7以上を想定しているが、その被害が甚大なものになることは疑いがない。

<南海トラフ巨大地震は津波の被害も想定しろ!>

・首都直下地震と共に甚大な被害を懸念されているのが「南海トラフ巨大地震」である。

・研究によって、南海トラフを震源とする地震は、100年から150年の周期で起きていることがわかっている。前回の大地震(1946年の昭和南海地震)から、すでに73年が経つ。危機は迫っていると見るべきだろう。

 南海トラフの地震では、過去マグニチュード8クラスの大規模地震が連続して発生している。安政東海地震(1854年)では、その32時間後に安政南海地震が発生した。昭和東南海地震(1944年)のときには、2年後に昭和南海地震が発生している。

 大地震が心配されている「東海地震」は、この南海トラフを震源とする一連の地震のひとつである。

 東海地震は、駿河湾から静岡県の内陸部を震源とし、マグニチュード8クラスが想定されている。この震源域では、1854年の安政東海地震から現在まで160年以上にわたり大規模地震が起きていない。

・南海トラフは、ひとたび地震が発生すれば、広い範囲で連続して大規模地震が発生する可能性の高い「地震危険地帯」なのだ。

<想定される南海トラフ巨大地震の被害>

・南海トラフ巨大地震は、静岡県から宮崎県にかけて最大で震度7、隣接する地域でも震度6強から6弱の揺れに襲われると想定している。

 南海トラフ巨大地震で、もうひとつ心配されるのが津波だ。南海トラフ巨大地震で起きる津波は、最大で10メートルを超え、関東地方から九州地方にかけて太平洋側の広い地域が大津波に襲われる。

・2019年の試算では、地震と津波による被害が最悪の場合、死者・行方不明者は約23万3000人、建物の全壊・全焼棟数も約209万4000棟としている。

<10秒あれば被害者を10分の1にできる防災対策を考えよ!>

・実際、関東地方で見ても、マグニチュード4クラスの地震は毎月1回くらいの頻度で起きているし、身体に揺れを感じないマグニチュード3クラスでは、数日に1回程度は起きている。それほど日常的な自然現象である地震が、震災となるのは100年に5回ということである。

<行政は地震に弱い地域の防災対策を急げ!>

・現在、日本全国の建物の耐震化率は80%、東京都は耐震化率90%である。全国では残る20%が、東京では10%の建物が、何らかの事情で耐震化がなされていない。

<企業も防災の公的責任を担え!>

・各地域の企業には、社員の安全確保の次に、近くにいる震災遭遇者も一時的に収容するという公的な役割についても準備をしてほしいものだ。

<一度起きたことは続けて起きると考えよ!>

・温暖化による影響か、2000年代以降「50年に一度の大雨」と称される豪雨が、毎年のように日本を襲っている。

・日本では毎年のように、通常ではあり得ないような「記録的短時間大雨」が降っている。

・毎年起きている大雨、洪水被害を見ると、これが地震の引き金とならないか。杞憂と言われようとも大半の国民の五感、六感が落ち着かない。

<海水温上昇が生むスーパー台風>

・地震も豪雨も、構造的な「天変地異」の結果である。事実、九州北部は2009年、2012年、2017年と連続して豪雨に襲われている。

 一度起きたことは、続けて起きると考え備えることが必要だ。

・これも温暖化の影響と見るべきだろう。

 そして温暖化の続く限り、日本をスーパー台風が襲う確率は高まることとなる。

<水害は地形によって被害レベルがわかる>

・日本は、水害対策に長い年月をかけて取り組んできた。だが、もはや過去の対策があてにならないことがわかった。

 そして「50年に一度」レベルの大雨は、毎年襲ってくる。

<平均気温が2度上がると食料確保が難しくなる>

・最悪のシナリオをたどった場合、世界の平均気温が2050年には2度、2100年には4度高くなると発表している。

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