女性の守護神として名高い淡島明神も、海に流された神の一人だ。天照大神の娘の彼女は、住吉明神に嫁入りしたが、下の病(性病)にかかって虚ろ舟に乗せられ、堺の浜から流された。(3)
『FBI超能力捜査官マクモニーグル』
「遠隔透視」部隊の現実
(並木伸一郎・宇佐和通) (学研) 2007/2
<幽霊のハンス>
・幽霊もよく見る。亡くなった妻の母も会いにきた。陸軍時代、ドイツでも幽霊を見た。長旅を終えて新しい宿舎に着いた夜のことだ。洗濯をしようと地下に行ったが、どの部屋が洗濯室なのか分からずうろうろしていると、年老いたドイツの男性と出くわした。ドイツ人だと分かったのは、民族衣装を着ていたからだ。
・彼に『洗濯室はどこです』かと尋ねると『ああ、こっちだよ。ついて来なさい』といわれ、『ここだよ』と、部屋まで案内してもらった。私は、礼を言って洗濯を始めたが、目をあげると、彼の姿はもうなかった。
・私は、ドアと彼の間に立っていたから、彼が出て行くのに気付かないはずはない。不思議に思って、あちこち探したが見当たらなかった。
・同僚たちの部屋に向かう途中で、ふと当り前のことを思い出した。そこは情報関係の建物で、ドイツ人が出入りできるわけがないのだ。部屋に入って、『あのドイツ人は誰だ?』と聞くと『ああ、それは幽霊のハンスだよ』と、あっさりいわれた。部隊では有名な幽霊だったようだ。悪さをしないが、頻繁に姿を見せるという。
・現れたり消えたりしながら、アメリカ兵とのコミュニケーションを楽しむらしいのだ。その建物に取り付いているのだろう。ドアを開け閉めすることや、あるいは皆がいる部屋に入ってきたり、ポーカーをしているテーブルの脇でじっとしていることもあった。兵士の一人が怒って灰皿を投げつけたら、灰皿はハンスの体を通り抜けて壁に当たった。
太田千寿が解き明かす『霊界と天上界の大真実』
人類はサタンに騙されている 「消された記憶を取り戻せ!」
徳間書店 1996/8
<三島由紀夫氏が私のところに来た理由>
・亡くなった三島由紀夫氏が私のところに来たての状況は以前に詳しく書きました。しかし、三島氏がどういう理由で、地上に交信をしてくるようになったのか。さらには、どうして三島氏が地球を救うようになったのかはあまり触れていませんでした。私が知らされていたのは、次の三点です。
1、死んだ直後、指導霊に連れられて富士の裾野に行ったということ。
2、そこには生前「盾の会」のメンバーと何度も体験入隊した自衛隊がある場所だということ。
3、三島氏が生まれる前に、18回転生しているが、彼らは、いずれも富士山の裾野にいたということです。
・――私三島由紀夫は、死んで間もなく富士のホールにいた。巨大なホールであった。あたりは――面真っ暗闇、私の前に『私』と名乗る男女が18人現れたのである。(『空間を超えて道を行く神』)
・では、いったいなぜ三島氏が地球を救うのでしょうか。6年ほど前、三島氏から霊界に行くようになった背景が送られてきて、はっきりしました。なんと、驚くべきことに、そのメッセージによると、三島氏は死の直後、宇宙船に乗せられたというのです。そして、とんでもない出来事に遭遇したのでした。
<地獄からの生還>
・――UFOの中はすべてがガラス張りであった。鏡に映った自分の姿を見て、私は唖然と立ち尽くしていた。あれほど望んでいた背高のっぽになっていたのである。自分でもほれぼれするほどの男前、ギリシャ的な風貌。神が私の望んだとおりにしてくれた。何という奇跡だ。夢にまで見たこの姿。
・赤いボタンがいくつもある映像システムが何カ所も設置されている。『L』と記されているボタンを人差し指で押して見た。すると映像システムが一斉に動き出して、生前の私がはっきりと画像に映しだされている。
・そのとき、神々しき声がした。
『そなたは、この宇宙船で4年間、孤独に耐えるのだ。地獄に落ちたそなたの影は、20年かかって、地獄を制するであろう。もうすぐそなたの同胞が下界からやって来る。引田天功と田宮次郎だ。彼らがやって来たら三人で力を合わせて、この宇宙安寧のために働くがよい。そなたの心は私が全て見てきた。死に急ぎをしたな。しかし、そなたの死が無駄にならない日が必ず訪れる。それを信じて突き進むのだ。この宇宙船は、そなたのためにシリウスで作成したものである。天功と田宮が来たら、三人よく話し合いをして、月の空洞にある宇宙基地に移動するのだ。基地内には歴史上の人物がリーダーを求めて右往左往している。そなたはこの4年間で彼らのトップリーダーになれるよう、一時も無駄にしてはならない。時にはこうしてそなたに交信する。さらばだ』
神の声はこうして消えて行った。
・三島氏が自刃したのは昭和45(1970)年11月25日のことです。私がこのメッセージを受け取ったのは、平成2(1990)年ですから、ちょうど20年目のことです。
まさに清算期間の20年が終わった直後のことです。
<二つに引き裂かれた三島由紀夫氏>
・なんということだ。私が、『生前の私』と『宇宙人としての私』として分離されてしまったのだ。一人は記憶を持ったままの私であり、もうひとりは記憶を失ってしまった私なのである。記憶のある生前の私は、地獄の20年を過ごすことになり、そしてもう一人の私は、宇宙船に乗って旅立ったのである。
<白髭白髪の老人の出現>
・ところで皆様もすでにお気づきのことと思いますが、ここに出て来た「白髭白髪の老人」こそ、サタンのことです。「人間の記憶」を消すために奔走するサタンだったのです。
『アジアの星物語』 東アジア・太平洋地域の星と宇宙の神話・伝説
「アジアの星」国際編集委員会 万葉舎 2014/2
<古代ヒンドゥー天文学の太陽、月、惑星、北極星>
<太陽>
・『リグ・ヴェーダ』では、神々の中でも最も尊い神である太陽は、宇宙を旅する鷲、まだらの牡牛、又は暁の女神ドーンによって育てられた光り輝く白馬(ドーンは白馬の妻)ともいわれる、また馬車で天を駆け巡る神として述べられています。太陽は天空の宝石であり、ディアウス(天空または天国)の息子の役割を務めます。
<月>
・月は、当初から重要な神でした。月を中心とした太陰暦は、古代インドでは最も重要な暦でした。このためインドの神話では、黄道の星座帯は、12宮ではなく27の月宿に分けられます。つまり、地球から見ると恒星に対して27日で1回公転する月は、夜毎に宿りの星座を変えます。各宿りには、互いに姉妹である27人の妻がいるのです。月宿の順序はプレアデスが先に来ますが。お気に入りの妻はアルデバラン(ロヒーニー)です。月がアルデバランを寵愛するあまり、他の妻たちは幸せではありません。そこで、そろって父親に不平を言いました。
<水星>
・太陽のすぐそばを離れずに行ったり来たりする水星は、並はずれた能力を持ち、他の惑星の上に君臨する最高神と考えられました。色は緑です。最も知的な惑星で、水星を崇拝する人々のすべての障害を取り除き、不吉な事象を引き起こすこともありません。
<金星>
・西洋では美の女神として知られる純白の金星は、インドでは死人を生き返らせる方法を知る男性神であり、神々の敵であるアスラ(阿修羅)の師です。中ぐらい大きさで、肉付きがよく、顔立ちも整っていて、男らしく、知的で、官能的です。
<火星>
・火星はその赤い色から中国でも西洋でも戦に結び付けられますが、インドでも非常に残酷で、刃物のように鋭い神です。この神は、傲慢な気持ちで自分を崇拝する人は許容せず、そのような人の家庭を壊し、繁栄を許しません。けれども、儀礼を守って、謙虚な気持ちでいつも変わらなく礼拝する人々に対しては、冨や無病息災などの恵みを与えます。この神を礼拝するときは、赤い服を着て赤い花を供え、赤い色の食べ物を1日1回だけ食べます
<木星>
・サンスクリット語でグル(指導者)と呼ばれる木星は、惑星の中の王で、神々を指導する役目を担っています。色は黄色で、大きな腹と広い胸を持ち、すべての美徳の持ち主です。木星はその変わらない明るさと暖かな色、ゆったりとした天球上の動きから、古代中国でも古代ギリシャでも、天空の貴族、神々の王とされました。
<土星>
・土星は、非常に恐ろしい神です。怒っているときは人を震え上がらせ、喜んでいるときは人に慈悲深くなります。しかし、土星を有名にしているのは、その驚嘆すべき破壊力です。
<北極星>
・北極星は、ヒンドゥー神話ではドゥルーヴァと呼ばれます。ドゥルーヴァはウッタナバーダ王とその王妃サニチの息子で、父王の膝から追われることのないように天空に座りたいと願い、不動の北極星になりました。
『シュメールの天皇家』 陰陽歴史論より
鷲見紹陽 明窓出版 2007/8/1
<高天原はスバルである>
<太古、神人はスバル、北極星、オリオンからやってきた>
・本書の「陰陽歴史論」とは、高天原の昴(スバル)系の氏族とアースガルトやアガルタの地底系氏族という“陰と陽”の二系統の血脈の関わり、抗争の中で歴史は動いてきたのであり、それが歴史の真相であったことからつけたものである。
・さらにこの“陰陽”の二系列は地底信仰の氏族のシャンバラ(セム)系とアガルタ(ハム、ヤペテ)系の二つにも見られ、後者はさらに親高天原と反高天原に分かれた。
<スバル、北極星、オリオンの三位一体>
・これまでわが国の天皇家の天之御中主神(あめのみなかぬし)やキリスト教の“天の父なる神”がスバル(プレアデス)信仰にあたり、セム系氏族が北極星、北斗七星信仰、ハム系氏族がオリオン、シリウス信仰であることを明らかにしてきた。
・なおヤペテ系氏族はスバルと同じ牡牛座のアルデバラン(ヒアデス星団の赤星)信仰と考えられる。
・この地底世界の実体は不明だが、一部にはプラズマ亜空間説が出されている。空間が歪曲して異空間へとつながっているという説明もあり地底世界というより、別次元の世界と考えられる。
・厳密にはアガルタとシャンバラを区別しなければならないようである。つまり、ヤペテ系やハム系の神域がアガルタで、シャンバラは、セム系の神域ということである。
・藤原氏の北極星、北斗七星信仰はシャンバラ信仰、物部氏のオリオン信仰はアガルタ信仰となる。
・このヤペテ、ハム対セムの対立は天界で天の父なる神に反抗した堕天使に対してヤハウェ(またはミカエル)が天使の三分の二を率いて天の父なる神の側につき、堕天使とそれに従った三分の一の天使を地底世界に落とした事に遡る。セム系対ハム系、ヤペテ系の対立で、後者がヤハウェ側と天使側の半分ずつに分かれたことで、三分の二対三分の一となる。
・セム系民族はエンキの北極星、北斗七星信仰、ハム系民族はエンリルのオリオン信仰であった。
・我が国の神社の大半がスサノオやニギハヤヒ、つまりバールやミトラを祭祀し、その系列神を祭神とした物部氏の神社で、オリオン信仰であり、ハム系の神々を祀ったものであった。
・イザナギの黄泉の国訪問譚はギリシア神話のオルペウスの話がモデルで、途中で約束を破って振り返って見たため永久に妻を失ったエピソードなど同一のものである。なお、イザナミのいた黄泉の国は地底世界でアガルタ(シャンバラ)である。
・大伴氏と物部氏は天皇家をはさんで、セム系とハム系の陰陽の関係にあり、東日本を大伴氏、西日本を物部氏が支配したが、本来は対立関係にあった。
・ハムもセムもノアの子としてアースガルト、アガルタ、シャンバラという地底に起源をもつが、北欧神話などを読むとセム系とハム系の住む領域も異なり(シャンバラはセム系の世界)、元々は対立していたのが、セム系がハム系に服属して和解したことになっている。
・シャンバラとアースガルト(アガルタ)は対立関係にあった。セム系は北極星、北斗七星信仰で、ハム系はオリオン、シリウス信仰で別系統のものが系図で兄弟とされている。
・セム系は“文”の性格が強く、ハム系、ヤペテ系は“武”の血脈である。ハム系の中でもカナン人は、ノアによって呪われ、“カナンの呪い”という言葉が残っているが、聖書の中でもキリストが忌々しきものマムシの末裔として非難している。
・この我が国におけるセム系とハム系、高御産巣日神系(たかみむすび)と神高巣日神系(かみむすび)が、天皇家を間において対立・抗争してきたのが日本の歴史で、しかもそれは国民の一割前後の民族の抗争であったとするのが本書である。
<天孫降臨の地は飛騨である>
・スワティカ(卍)は、もともと宇宙エネルギー発動の神聖な表現である。
・北欧神話のアースガルトがインド神話のアガルタという地底世界への信仰を有するトゥーレ協会という一種の秘密結社で、ヒトラー自身が、その地底世界を求め探検隊をチベットに送ったり、そこで知りえたものと思われる。
・ナチスとアガルタの結びつきについては多くの人が論じている。有名なスウィフトの『ガリバー旅行記』もケルトによる地下世界探検譚を集めて書かれたものである。
『宇宙からの黙示録』 オイカイワタチとは何か
目覚めよ、日本のワンダラーたち!
渡辺大起 徳間書店 1982/1
<この糸は円盤、宇宙人に始まり彼らとのコンタクト、続いて宇宙の偉大な方々からの学びへと進んでいった>
・(本書原本の刊行当時は、1982年。)
・その日、その時、地球を覆うほどに膨大な数の“宇宙船”と“空飛ぶ円盤”が訪れる。地球の人類同胞は、決して慌てたり恐れたりする必要はない。
彼ら宇宙船と宇宙人は、地球を攻撃に来たのではない!
限りなき愛と真理の援助の手を差し延べに来たのである。
・我々仲間が宇宙に心と目を向け始めたのは1960年前後のことである。我々は、宇宙と存在する膨大なことがらの中から特に一筋の糸を運命という手によって手繰り寄せたのである。
この糸は円盤、宇宙人に始まり彼らとのコンタクト、続いて宇宙の偉大な方々からの学びへと進んでいった。それは地球への驚くべき警告と、太陽系の一遊星=地球の運命を左右する重要な問題へと続く大切な糸であった。
また、日本に住む我々には、オイカイワタチという特別な役割が天より与えられていることも知った。
<金星に住む宇宙人サナンダ(AZ)は警告するールシファーと地球のカルマについて>
・ルシファーに与しなかった私達は、光のより高度な段階におけるエーテル状の非物質世界に解脱した神の子として入りました。
一方、ルシファー達(王子ルシファーとそれに与した人々)は、悲しみの暗黒世界に、重厚な物質の中の意識の夢遊状態に堕ちたのです。
・ただ、オリオンやルシファーの力は、イエス(金星の大長老サナンダ)を地球から除き得る(磔のこと)ほどに強いのだということを、お知らせしておかなければならないでしょう。
・我々は、今日に至るまで数えきれぬほど円盤を目撃してきた。多い者は、千回以上にもなろうか。また、直接コンタクトから始まって、より高度なテレパシーコンタクト、サイキック(魂による)コンタクトに至るまで、さまざまな種類のコンタクトを体験してきた。
<オリオンは地球を狙っている!>
<太陽系には惑星が12ある>
・どの遊星にも霊界があり、金星人は霊界と自由に往来して話をしている。
・宇宙人は金星から地球まで10分間(地球の時間)で来ることができる!
・地球には衛星(月)が二つあるのだが、一つは地球のエーテルがないので見えないのである。見えない月の大きさは、見える月の1.3倍くらいである。
・宇宙人によると宇宙に存在する原子は159種で全部天然の原子である。一番大きな原子量を持つ原子はロルムと呼ばれ陽性で個体として存在している。また、水素より小さな原子もあり、クイルと呼ばれている。
<宇宙の奉仕者ワンダラー>
・宇宙のワンダラーは宇宙船に乗って地球にやって来たのではない。彼らは、地球に生まれ変わったのである。即ち、地球人となって使命を果たすのである。
・ワンダラーの中には、地球人の肉体を着けないで、宇宙人の姿のままで働く者もいる。
『21世紀の民俗学』
畑中章宏 角川書店 2017/7/28
<UFO学のメランコリー>
<人は地球外に魅せられる>
・2016年は、「宇宙」にまつわる展覧会、映画等を目にする機会が多かったような気がする。
・「Soleil Noir」店の紹介映像でグラッソは、「パラドックス(反語的)」な表現が自らの作品のキーワードであり、それはタイトルにも反映されていると述べる。「未来の記憶」や「未来の考古学」、さらには現代の神話・伝説を意味する「ancient alien(古い異邦人)」という言葉を口にし、そのうえで、「UFO学」という魅力的な概念を提示するのである。
・美術館にある過去の作品の中に、UFOや奇妙な現象、あるいは異星人といったモチーフをだれかが読み取ったり、妄想を膨らませていたかもしれない。いわば、“UFO学”とでもいうべき可能性を考えてみたかったのです……。
<200年前に漂着したUFO>
・ローラン・グロッソには、1803年(享和3年)に現在の茨城県の太平洋岸に出現した「うつろ舟」を素材にした作品がある。タイトルは「1803、虚舟、常陸国で発見された未確認物体」で、「1803」の文字が光るネオンサイン、舟の形をしたテレコッタ、浜辺に漂着した謎の舟と謎の女と取り囲む人々を描いた油彩画からなる。「宇宙と芸術展」では、この作品を制作した際、グラッソが参照したであろう、江戸時代の奇譚集や瓦版の挿絵も展示され、その不可思議が耳目を引きつける。
当時の記事や図譜から素描すると、うつろ舟は鉄製で、蓋付きの浅い丼鉢のようなかたちをし、小さな窓があり、箱を持った女性が乗っていた。また船内には、解読不能の文字らしきものが書かれていた。海から漂着した謎の舟を人々は恐れて、再び海に流してしまったという。
うつろ舟の正体については、未確認飛行物体(UFO)説、潜水物体説、ヨーロッパからの来訪説、謎の神説、噂や伝聞、創作説などがある。民俗学では「かがみの舟」とも呼ばれ、柳田国男は、荒ぶる常世浪をかきわけて本土に到着したと伝わっていることから、「潜水艇」のようなものだったのではないかと想像している。
・茨城県の北部地域で開催された「茨城県北芸術祭」(9月17日~11月20日)でも、インドネシアのアーティスト、ヴェンザ・クリストが、日立市川尻町の小貝ヶ浜に「虚舟ミニミュージアム」を開館していた。クリストの展示は、開催地周辺に伝承されるうつろ舟の資料を分析するとともに、茨城県在住でUFOを目撃したという人々へのインタビューなどから構成される。
・このミニミュージアムが建つ小貝ヶ浜緑地の南端の高台には、「蚕養神社」が鎮座する。社号が示すとおり、豊蚕祈願に信仰されてきた神社で、「小貝ヶ浜」は「蚕養ヶ浜」でもあったことがわかる。この神社は「日本三大蚕神社」のひとつで、ほかの二つはつくば市の「蚕影山神社」と神栖市の「蚕霊神社」で、三社とも茨城県にあり、しかも「金色姫」の物語が伝承されている。
その昔、常陸国の豊浦に、繭のかたちを丸木舟が流れ着いた。この舟に乗っていた金色姫は天竺国の王女で、継母のいじめから逃れて、日本にやって来た。地元の夫婦が大切に育てたが、ある日、別れを告げるとともに、養蚕の技術を授けて天に昇った……。まさにうつろ舟伝説を思わせる話である。しかしそもそも、うつろ舟が動力をもち、また「空を飛んできた」と証言する資料は存在していない。
<河童の妙薬>
・日本列島の各地には、「河童の妙薬」といって、骨接ぎ、打ち身、熱傷に効く、河童が人間に伝えた薬がある。日本人には、西洋医学や反西洋医学のお世話にならなくても、山伏や坊主、河童がよく効く薬を与えてくれたのだ。
柳田国男の少年時代の愛読書だった赤松宗旦の『利根川図志』(1858年)には、河童が貧しい百姓に温湿布のつくり方を教えたという伝承が記されている。利根川河口に貧しい百姓の親子が住んでいた。あるとき、父親が足をくじいてしまうが、貧しい親子には薬を買うお金がなかった。利根川の河童の女親分である禰々子(ねねこ)は、彼らに薬草を渡し、湿布薬のつくり方を教えた。禰々子(ねねこ)に言われたとおり、親子が湿布を十三枚貼り替えると足は完治した。その百姓の村は「十三枚」と呼ばれるようになったという。
また新潟市の猫山宮尾病院に伝わる「河童の妙薬」もよく知られる。昔々、京ヶ瀬村の「猫山」というところに悪戯好きの河童が住んでいた。河童は馬をいじめたり、作物を盗んでは喜んでいた。それを見かねた宮尾家の先祖が、河童の腕を切り落とし、証拠として持ちかえった。それから7日目の晩、河童は「家伝の薬で腕が元に戻るが、7日を過ぎると薬が効かなくなる。もう悪戯をしないので、腕を返してほしい」と懇願した。河童が腕に塗り体にあてるとみるみる腕がくっついていった。河童はたいへん喜び、お礼に家伝の薬を教え、川へと戻っていった。
深緑色の粉末を水で溶き、耳たぶくらいの硬さになるまで練ってから和紙にのばして患部に張る湿布薬「猫山アイス」は、1989年(平成元年)に製造中止になるまで、打ち身やくじきの良薬として用いられてきた。
・ワイオミング州ジャクソンホールにある民族医療研究所のエグゼクティヴディレクターを務めるポール・アラン・コックスが、ポリネシアの薬草医は土地固有の病気についての膨大な用語をもつと同時に、ヨーロッパ人から伝えられたものについてはまた別の異なる用語をもっていることをサモアで発見し、論文にしているという。
また絶滅危惧言語においては、植物相と動物相に関して、西洋科学で知られているより何百種類も多い分類がされていることがよくあり、フィリピンのミンドロ島に住む焼畑農業をするハヌノオ族は、土の種類について40の表現をもつ。東南アジアの森にすむヒーラーは650種類もの薬効成分を特定しているという。コックスらによれば、キニーネ、アスピリンなどは、先住民族に案内され、情報提供された民族植物学者のおかげで一般的な治療薬となったというのだ。
日本の修験山伏や浄土真宗の門徒も、もしかすると河童も、偉大な科学者だったといえるだろう。宗教や民間信仰は、決して非合理なものではなく、植物学的な知識に基づき病に対処する知性と野性を併せもっていたのである。
<河童に選挙権を!>
<異形の「正義」>
・わたしのかねてからの主張に、「妖怪は実在する」、あるいは「妖怪は実在した」というものがある。そもそも柳田国男の『遠野物語』に登場する河童や天狗、ザシキワラシ、雪女、山男や山女はその目撃談、経験談から、実在したものであることは疑いえない。
しかし、列島上の妖怪の代表格とみなされる、「河童」と「天狗」とでは、その実在のありようが大きく異なる。
・天狗にかんしては、先住民族や山林生活者とおぼしき「異人」「山人」を常民の尺度からみた生命体であり、また山岳宗教者である修験山伏の性格や能力を反映した存在であるという解釈が唱えられてきた。そうした従来の天狗イメージに対して、天狗の実在を疑う人にわたしがよく話して聞かせるのは、柳田国男の『幽冥談』(1905年)のなかの挿話である。
池原香雅という歌人があるとき、播州にある宇野の野道を歩いていると、ひとりの旅の僧と出会った。道連れになり、いろいろ話をしながら歩いていたが、「あなたはどこへお出でになるのですか」と聞いたところ、「私はあすこの穢れた村を焼きに行くのだ」と言う。
・それがために今までは普通の旅僧と思って話をしておったが、非常に驚いて物も言えなくなってしまった。かの旅僧は、あれを御覧なさい。あすこに燈火が二つ点いている、右の方の光りは非常に清らかだが、左の方の光りは穢れていると言うから見たけれども分らない。それであの村を焼いてしまわなければならぬというて、ちょいと指したところがたちまち村は焼けた。
・柳田は驚くべきこの天狗の仕業に対し、「これらは事実であろうと思う」とコメントする。さらに池原香雅は、1877年まで生きていたので、天狗と出会ったのもその4、50年前だから、そんなに古い時代の出来事ではないと言う。そうして柳田は、「その時分にもそういう不思議なことを、我々が目撃することがあったのである」と納得している。
池原が出会った天狗の行動は、山人・異人や修験山伏よりもかなり強烈で衝動的だ。
<「忘れようとしても思い出せない」>
・6年前の3月11日。午後2時46分ごろ、わたしは東京都文京区のファミレスで、これまで体験したことのない強い揺れを、2回感じた。関西出身で地震に免疫がないうえ、阪神・淡路大地震を経験していないわたしは、2度目の揺れで、テーブルの下に潜り込んだ。しかし、周りの客は意外と冷静で、スマホを見て震源や被害を調べているし、店員も「このビルは安全ですから」と触れ回っていた。
それからしばらくして、靖国通りに出ると、サラリーマンやOLが、ビルから溢れ出ていた。しかしほとんどの電車が止まっているらしく、大勢の人が大通りを歩き出していた。神保町のスポーツ用品店では、店頭でスニーカーの安売りを始めていた。隅田川べりの部屋にたどり着くと部屋中に本が散らばり、その間に猫が怯えたようにうずくまっていた。そうして3日後の月曜日には、まだ余震があるにもかかわらず、ほとんどのOLがハイヒールを履いていた。
・わたしたちはいったい、あの日に何を失い、何を得たのだろうか。非・当事者であるわたしは、何を心に刻みこんできたのだろうか。記憶の風化がとりざたされ、「忘れてはいけない」「思い出すべきである」と、人々は口ぐちに言う。またいっぽうで、「震災のことは早くに忘れて、前に進め」と促す人々もいる。6年前の記憶が薄らいだだけではない。あれから、広島市で土砂災害があり、御嶽山が噴火し、鬼怒川が氾濫し、熊本では地震が起こった。
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