ダルシーの近くの渓谷に差しかかったとき、二人はともに全長1マイル(1600メートル)ほどの巨大なUAPを目撃した。(4)

『世界のUFO現象FILE』

衝撃UFO写真とエイリアンの極秘ファイルのすべて

「宇宙からの来訪者たち」の真相に迫る!

並木伸一郎   Gakken   2011/3

<NO153 サラマンカの宇宙飛行士>

<中世に飛来した異星人の姿か?聖堂の外壁に見える謎のレリーフ>

・実はこの浮き彫りは、11世紀ごろの作品とされ、スぺインの西部、ポルトガルとの国境沿いにあるローマ時代からの都市サラマンカの大聖堂にある。

 サラマンカ大聖堂は、11世紀から18世紀にかけて増築され、新旧のカテドラルが入り組んでいる。その入り口付近には、牛や馬などの動物がモチーフとして表現されているのだが、そのひとつにこの宇宙飛行士が刻まれているのだ。

 すでに当地では有名なようだが、本来は何を表現したものなのかまったくわかっていない。もちろんNASAの宇宙飛行士が登場するはるか以前に制作されたことだけは間違いない。中世ヨーロッパに宇宙飛行士が現れた!そう思えるのだ。

<NO154 ロンドンの空飛ぶ人間>

<明け方に謎の発光体を追いかけていた!>

・1710年5月11日の午前2時ごろのことだ。イギリスのロンドンでふたりの夜警が夜空に彗星らしからぬ奇妙な物体を目撃しました。

 よく見ると、巨大な黒雲に引きつけられるようにして「手に剣を持った人間らしきもの」がその後を追っていったという。その人間らしき生き物は、「炎の塊」とともに動き、黒雲を追うようにして、フランス方面へ消えていったという。

 写真の絵は当時の様子を表した木版画(出典『不思議の時代』)で、事態を理解できないふたりの夜警は15分ほど固唾を飲みながら見守った。どれほどの規模の大きさなのか、残念ながら記載されていない。

<NO149 ニュルンベルクの空飛ぶ槍>

<16世紀の空を飛んだステルス戦闘機か?>

・1561年4月14日、ドイツのニュルンベルクで、明け方の空に垂直に滞空する「2つの円筒形の物体」が現れた。しばらくすると、なんとそこから赤、青、黒といったさまざまな色の槍や円盤が飛び出してきたというのだ。

 驚くべきことに、それらはまるで空中戦をしているかのようにぶつかり合い、空を激しく飛び交ったという。

 当時の様子を伝える上の挿画を見ると、右下の丘の上から噴煙があがっている。したがって、槍や円盤はここに墜落したことを示しているのかもしれない。

 記録によれば、この戦いはおよそ1時間ほど続いたという。やがて、お互いに消耗してくると、まるで燃え尽きたかのように煙を出しながら落下しはじめたとされている。といっても、残念ながらその具体的な場所が記録されているわけではないようだ。

<NO150 バーゼルで起きた空中戦>

<激しくぶつかり合った黒い球体たち>

・1566年8月7日、スイスのバーゼル上空で、空を覆うほどの数の「黒い球体」が発光したり、分裂したりしながら“どうも戦い合ってるらしい”という不思議な事件が起こった。

 明け方、空に巨大な黒い球体が見えたかと思うと、高速で太陽に向かって飛んでいったり、今度は向きを変えて球体同士がまるで戦い合っているかのように衝突しはじめたというのだ。

 多くの球体は、発光したり燃え盛るように赤く変色していたが、同士討ち(?)の破壊が進むとすべてが跡形もなく消え去ったという。

・やはり、当時の言葉では認識できない宇宙船のような未知の存在が空を飛びながら、空中戦をしていたのだろうか?

 ちなみに、バーセルでは翌年4月7日にも黒い球体が出現し、今度は太陽を覆うほどの数が現れて、一日中、空に滞空していたとされている。

<NO156 徳川家康と「肉人」>

<駿府城へ面会に来た宇宙人か?>

・日本にも古くから宇宙人上陸の記録が存在する。それも江戸時代、なんとあの徳川幕府を開いた徳川家康に宇宙人が会見を求めてきたとおぼしき事件を記した古文献だ。

 文献は、江戸時代後期の随筆集『一宵話』と呼ばれる「異人」の項で、筆者は尾張の秦鼎。慶長14年(1609年)4月4日、駿府の城にどこからともなく珍無類の「変化のモノ」が現れたというのだ。

 その形は「小児のごとくにして、肉人ともいうべく、手はありながら、指はなく、指なき手をもて、上をさして立」っていた。警戒厳重なこの城内にどうやって入り込んだのだろうか、武士たちが「くせもの!」といって追い回すと、どこへやら姿をくらましてしまったという。

<肉人が会見を求めてきた徳川家康>

・肉人というからには、全身毛のないつるりとした容姿をしている。ここから「宇宙服をまとっていたので裸に見えたのではないか」ともいわれる。身長はおそらく1メートルほどであるからグレイ・エイリアンのような存在だったのかもしれない。

 この奇妙奇天烈な肉人が姿を消したあと、天守閣の方角から大きな火の玉が上がったというから、この宇宙人を乗せたUFOが飛び去っていったのかもしれない。

<NO157 虚舟>

<江戸時代の海岸に漂着したのは宇宙人か?>

・江戸時代のUFO飛来事件とおぼしき出来事を伝える記録がある。

時は享和3年(1803年)2月24日午後。旗本の小笠原越中守の知行所、常陸国の領内であるはらやどり浜の沖合に奇妙な船が漂着した。土地の漁民たちは小舟を漕ぎだしてその船を浜辺まで引いてきた。

<虚舟事件を伝える瓦版>

・船は直径5.4メートル。上部はガラス張りで鉄板を張り合わせた頑強な造り。船内には異様な風体の女がいた。髪は赤く、言葉は通じない。女は60センチ四方の箱を大事そうに抱えていた――。

これは1825年に滝沢馬琴がまとめた『兎園小説』で「虚船の蛮女」として紹介された話だ。事件の現場は茨城県鹿島灘沿岸のどこかと思われるが「はらやどり浜」という地名が存在せず、郷土史研究家たちの間では、事件そのものは架空のものではないかといわれつづけてきた。だが、事件について報じる記録は他にもあり、『梅の塵』、『鶯宿雑記』、瓦版が見つかっている。その瓦版では、虚船の窓がスピーカーのように描かれているのが特徴だが、いずれもその女性と異船がどうなったかは明らかにされていない。

興味深いのは船内に書かれていたという謎の蛮字だ。UFOコンタクティらが証言する宇宙文字に酷似しているのだ。

<NO159 黒又山と環状列石>

・日本最大のストーンサークルは秋田県鹿角市十和田大湯にある環状列石群だ。直径40メートルの野中堂遺跡と直径46メートルの万座遺跡からなる。

 このすぐ近くには黒又山(通称クロマンタ)がある。以前からピラミッドだと目されてきた山だ。日本のピラミッドとしては唯一、本格的な学術調査が入った場所でもある。1992年の調査では、山頂で縄文後期から続縄文期にわたる祭祀用土器が多数発掘され、山岳祭祀の遺跡であることが判明した。

<鳥谷幡山が描いた黒又山の発光体>

・ここでは、以前から謎の発光現象が発生しており、かつて地磁気を利用した未知のエネルギー装置として機能していたのではないかという説もあるほどだ。

 さらにストーンサークルとクロマンタを結ぶ線上で、頻繁にUFOが目撃されているのも興味深い。実際、1993年の総合調査では、調査団によって山頂部に青白い炎のようなものが目撃されているのだ。

 未知の山クロマンタとストーンサークルは、古代よりUFO現象と関係があったのかもしれない。

『UFOs』

世界の軍・政府関係者たちの証言録

レスリー・キーン  二見書房   2022/8/12   

・「UFO」の代わりに{UAP(Unidentified Aerial Phenomenon/Phenomena:未確認空中現象)}を使用することを選択したのだ。

・UFO現象に関心を寄せる一人として、私は常に、事実とフィクションの違いを明確に区別してきたつもりです。

<UFO現象に関心を寄せる一人>

・この取り組みをとおして、私は本書の著者であるジャーナリストのレスリー・キーンと彼女の組織が、情報公開法に基づいてUFO関連文書を入手するために2001年に発足させた「情報の自由のための連合(CFI)」(訳注:現在休止中)の活動を支援してきました。キーンは、綿密な調査に基づいて、情報公開法の下で、一つの重要な案件について連邦裁判所に差し止め請求をすることに成功しました。

・キーンは、政府内における嘲笑と冷たい視線に直面しながらも、不屈の調査ジャーナリストとして、この厄介な問題に10年間、熱心に取り組んできました。

<私とUFO問題との出会い>

・その驚くべき結論のなかで、COMETA(詳細調査委員会)の委員たちは「信頼できる目撃者によって観察された多数の現象は、地球外起源の物体による可能性がある」と述べている。実際、彼らは、これらの目撃の最も合理的な説明は「地球外仮説」であるとしている。

<UFO問題というタブー>

・UFO問題はひどい汚名を背負っていたので、公職に就いている人々にとっては職業上のリスクとなるのだ。

<UFO記事発表後の大きな変化>

・結局のところ、フランスからのその一方的な報告は、当時私が想像もしなかった方法で、私のジャーナリストとしてのキャリアを根本的に変えた。

・記事は、フランスの退役将校が述べたとおりに「何らかの知性によって操縦されている、並外れた性能を備えた、まったく未知の飛行物体」として、その日の別の記事と同じように、はっきりと印刷された。

<本書執筆におけるジャーナリストとしての姿勢>

・ほかのジャーナリストと同様、私は公式の情報源や情報公開法を通じて開示された文書、裏づけられた事例報告、物理的証拠、そして世界中の軍や航空関係者による目撃や、政府の調査官へのインタビューに頼っている。

<UFO問題とアメリカ政府>

・アメリカ国民の多くは、証拠が時間とともに増大するにつれて、UFOに関する政府の否定的態度にますます不満を募らせている。

<定義不可能な物の定義:UFOとは何か?>

・本書では、UFOとUAPという用語は本質的に同じ意味で使用されているが、一部の寄稿者はどちらか一方の使用に固執する傾向がある。

<UFO問題への不可知論的アプローチ>

・ところで、よく尋ねられる質問に、「あなたはUFOを信じますか?」というものがある。よく訊かれるが、実際には曖昧な問いで、際限のない議論を引き起こす。

<強力なスポットライトを備えた巨大な飛行物体>

・ベルギーのド・ブロウワーは、「何百もの人々により、約36メートルの翼長と強力なビーム・スポットライトを備えた巨大な三角形の物体が、音を立てることなく極めてゆっくりと飛行し、場合によっては、非常に高速に加速するのが目撃されました」と数年前のUFOウェーブの最初の夜に公式に述べていた。

<ベルギーにおけるUAPウェーブ>

<ウィルフリード・ド・ブロウワー退役少将の証言>

・1989年11月29日、私がベルギー空軍航空幕僚の作戦責任者を務めていたとき、ベルギーのリエージュの東30キロ、ドイツ国境の西11キロのウーペン周辺の地域で、合計143件のUAP目撃例が報告されました。報告されたUAPの一部は複数の人によって目撃されていました。少なくとも250人が異常なUAP活動を目撃し、ほとんどの報告が日没後の目撃によるものでした。

・プティ・ルシェンの写真に示されているように、目撃者の大部分が、物体底部に3個のスポットライトと一個の点滅する灯火を備えた三角形の飛行物体について説明していましたが、多くの目撃者は非常に特殊な形状と特性を証言していました。1990年4月22日に、三角形に飛行物体に関する7件の報告とブリュッセル南西部のバエークルの二人の労働者による、さらに珍しい報告が提出されました。この二人は、真夜中の少し前に工場の中庭にいたところ、突然2個の巨大な明るいスポットライトが、中庭を照らしたと述べました。巨大な台形の飛行物体がとてもゆっくりと静かに煙突の少し上を移動し、ある時点で中庭(99×60メートル)全体を覆い尽くしました。二人は物体が6個の灯火をもち、灰色を帯びていたと語りました。彼らは、飛行物体の下部に「空母が逆さまになっている」ように見える構造物を目撃したといいます。

 1991年3月15日、ブリュッセル近郊のオーデルゲムで、バエークルの工場の一件と非常によく似た別の目撃が報告されました。ある電子技術者が夜中に目を覚ますと、かろうじて聞こえる高周波の口笛のような音を聞きました。彼は窓の外に、非常に低い高度で飛行する、底部に不規則な構造物のある大きな長方形の飛行物体を目撃しました。

・現在、ベルギーの「UFOウェーブ」として知られている目撃事例が、集団ヒステリーによって引き起こされたものではないと断言できます。

・ベルギーのUFOウェーブで報告された約2000件の事例のうち、650件が調査され、そのうち500件以上が原因不明のままです。

・ほとんどの目撃者は、飛行物体が三角形をしていたと報告しましたが、菱形や葉巻型、卵型などの他の形状に言及した報告も多く、いくつかの注目すべき事例では、空母が逆さまになったような形とするものもありました。

<2007年の英仏海峡上空の巨大UFO>

・オヘア空港事件から5か月後の2007年4月23日、パイロットと航空スタッフが関与する別の目撃事例が発生した。フランスのノルマンディー沖にある英仏海峡でのことだった。民間航空パイロットのレイ・ボウヤーは、飛行の安全性に直接的な影響はなかったものの、彼と乗客たちが目撃した2個の巨大なUFOを躊躇なく報告した。

<レイ・ボウヤー機長の証言>

・この時点で、その巨大なサイズが明らかになり、最大1.6キロの長さであると推定しました。

 ・あの日、僕たちが目撃したもの、そして世界中の多くのパイロットが日常的に目撃しているものは、この地球上に存在しないものとして関係当局に知られており、それはかなり以前から知られていたのだと思います。

 しかし、もし世界の人々がこのことを知らされたらどうなるでしょう。政府、宗教、権威への逆恨み、大規模な内乱、地球にとって有益かどうかわからない新世界秩序、その他の複雑で予測不可能なシナリオが無数に発生する可能性があります。だから当局は、パンドラの箱に蓋をすることを検討したほうがいいのかもしれません。

<空軍の標的になったUFO>

・民間旅客機は、軍用機とはまったく独立して運用されており、リチャード・ヘインズが説明したように、UFOへの対応については当然のことながら選択肢が限られている。少なくともアメリカでは、そのような出来事を報告することで、事件がメディアに漏れて報道された場合、民間パイロットの間で嘲笑され、不利益を被る危険性が大きいのである。事件の目撃者は多数いたにもかかわらず、また多くの目撃者によって表明された航空安全に関する懸念にもかかわらず、記録上、2006年のオヘア空港事件の目撃者は一人もいなかったのだ。しかし、完全装備の軍用機のパイロットがUFOに遭遇した場合は、どうなるのだろうか。あるいは、飛行機のコクピットで起きたように、UFOからの電磁放射が軍事基地の極めて機密性の高い機器を無効にした場合、それは国家安全保障上の問題になるのではなかろうか。

<テヘラン上空における空中戦>

<バルヴィーズ・ジャファリ退役将軍(イラン空軍)の証言>

・1976年9月18日午後11時頃、イランの首都テヘランの市民は、上空の低高度で未知の物体が旋回しているのを見て恐怖を感じていました。それは星に似ていましたが、それよりも大きくて、輝いていました。

・その瞬間、発射するチャンスだと思いました。しかし、物体に近づいたとき、どういうわけか私の兵器は不調をきたし、無線通信も途絶えてしまいました。私たちは12時の方角へ40キロのところまで近づきました。突然、その物体は一瞬で43キロほど遠ざかりました。それが何であるか不思議でした。私はまだ、色のついた脈動する灯火を備えた、巨大で鮮やかなダイアモンド形の物体を見ていました。

 すると、驚いたことにそのダイアモンド形の物体が飛び出し、それがまるでミサイルのように高速で直進しはじめました。明るく照らされた月が地平線から出てくるような眺めでした。 

<アメリカにおけるUFO懐疑論の起源>

・私たちの誰もが、長い間、UFO現象を嘲笑し、自動的に否定する雰囲気にさらされてきたので、これまでに示された情報は、一部の読者にとって極めて驚くべきものであり、衝撃的でさえあったのではないかと思われる。UFOの実在の証拠を理解するのは誰にとっても容易ではないが、そのような証拠を手に負えないからと言ってみだりに否定することはできない。ド・ブロウワー将軍の綿密な調査、オヘア空港への上空に浮かぶ円盤、また、テヘランの夜空を点滅しながら飛翔する巨大物体について知ると、二つの根本的に矛盾するパラダイムを調整することを余儀なくされる。

・それ以来、科学者はコンドン報告書の結論を引用することによって、UFOを無視することを正当化できるようになった。政府は、UFO事例への無関心を正当化するために、調査を終了したという空軍の決定を利用することができたのだ。メディアはUFOを揶揄したり、SF小説に任せたりしながら、弄んでいた。いまやロバートソン・パネルの使命を果たすために、直接行動を起こす必要はない。なぜなら、種はすべて蒔かれ、その勢いは今後何十年にもわたって自生していくからだ。公式調査、議会公聴会、記者会見、独立した科学的研究、強力な市民グループ、ベストセラーの書籍、雑誌の表紙を飾るUFO物語の「黄金時代」は終わりを告げた。

 その後の数十年間に、多くの熱心な研究者は、片想いしている人のように、事件を克明に記録し、現象に関する知識を増やすことに人生を捧げていた。彼らの有能で広範な仕事は、私たちを前進させる上で非常に有益であった。しかし、かつては国家的舞台で懸念に値する問題であったUFOは、今や余白へ押しやられた。UFOに対するタブーは、40年後の現在、UFOを真摯に受け止めることへの禁令として、効率的に転移した癌のように、私たちの社会に完全に組み込まれてしまったのだ。

<現象を真摯に受け止める>

・アメリカ政府の行動を評価し、それを正しく把握するためには、他国の政府の活動や軍事および航空分野のUFO遭遇への対処を検証することから多くを学ぶことができる。

 アメリカは、プロジェクト・ブルーブックの終了以降、公式のUFO調査に関しては国際的に孤立した存在になっている。

・イギリスのUFO研究は、1950年に国防省(MoD)内で始まり、世界で最も続いている公式プログラムの一つになった。

・南米では、チリとペルーがそれぞれ1997年と2001年にUFO事件の調査を任務とする新しい政府機関を設立した。ブラジル軍は1940年代後半からUFO調査を実施している。

 ロシアの宇宙飛行士、科学者、および軍の高官は、同国におけるUFO事件について公に語っている。そして、メキシコ国防省は、2004年に初めて、空軍の未解決のUFO目撃事例に関するデータを民間の研究者に提供した。これは、その国の政府の公開性を高める重要な第一歩である。フランス政府は、世界で最も生産的、科学的、体系的なUFO調査を30年以上中断することなく継続している。

<COMETAの誕生>

・デニス・レティ少将は、COMETA(詳細調査委員会)を組織するに至った経緯とCOMETA報告書の内容について個人的な見解を私たちに示し、フランスにおけるUFO問題への寛容な対応について詳しく説明してくれた。先に述べたように、私がUFO問題を初めて知ったのは、フランスの退役将軍などのグループにより作成されたこの報告書がきっかけだった。

<デニス・レティ退役少佐(フランス空軍)の証言>

・私は1965年にメッツの戦略空軍(FATAC)の第3幕僚本部の大尉として、第1空域の国家警察から提出されたすべての報告を受け取ったとき、UFOの存在に初めて気づきました。その中には不穏なものもありました。脅威は感じなかったので、単にそれらをファイルに収めていました。最初は少し驚きましたが、その後、知り合いの有能なパイロットたちが、これらの現象に直面したことを徐々に認めはじめました。

<フランスにおけるUFO問題>

・ジャン=ジャック・ヴェラスコはフランス政府のUFO機関で20年間以上にわたって勤務していた。彼は、アメリカでのプロジェクト・ブルーブック終了後にフランスで調査を開始したが、J・アレン・ハイネックがアメリカ空軍で働いていたのとほぼ同じ期間、一貫してフランス政府のために働いていた。

<ジャン=ジャック・ヴェラスコの証言>

・1983年から2004年までの21年間、私は未確認空中現象(UAP)を調査するフランスのプログラムの責任者でした。

・UFOは「知性により制御された物体」のようであり、その物理的特性は、検出システム、特にレーダーによって検知できます。

・UFOに関する私の唯一の推測は、それらが製造された探査機である場合、地球上のものではありえず、つまり、それらは地球外から来ているということになります。地球外文明が存在し、人類が核分裂に基づく技術を獲得したため、私たちの行動によって引き起こされる憂慮すべき事態を防ぐために彼らは地球を監視しているのかもしれません。

<UFOと国家安全保障問題>

・1967年3月24日の朝、ミサイル発射士官である空軍第一中尉ロバート・サラスは、モンタナ州のマルストローム空軍基地のオスカー飛行発射制御センターの真上に浮かんでいる、赤く光る楕円形の物体を怯えながら報告する警備兵からの電話を受けた。「最高機密」以上のクリアランス(機密取扱い資格)をもつサラスは、このミサイル施設を担当し、戦争の際に核弾頭ミサイルを配備する責任あるチームの一員として、そこに駐留していた。サラスは直ちに、休憩時間に仮眠していた司令官フレッド・メイワルド中尉を起した。その後、電話から1分以内に、ミサイルが1基ずつ次々にシャットダウンしはじめた。

「UFOが頭上にある間、それらは、機能不全になりました」とサラスは語った。そして、「ミサイルの発射が無効にされており、起動できないことを意味します」と付け加えた。

<何もしないという強い願望>

・ほとんどのアメリカ人は、それほど昔のことではないが、アメリカ政府が海外の事件について密かに報告を収集している間に、劇的なUFOウェーブがアメリカ本土に広がっていたことに気づいていなかった。この「彼」はベルギーのそれと同じくらい劇的であり、低空飛行する大きな物体はいくつかの点でベルギーのものと似ていた。ペルーでの1980年の事件に関する情報がアメリカ政府機関に届いてからわずか3年後、「ハドソン・バレーの波」はニューヨーク州北部とコネチカット州の一部で始まった。それは数年間続き、すべてが終わったあと、アメリカ政府は1990年のベルギーの波について別の機密文書を入手した。しかし、これら二つの海外で報告された出来事の間にアメリカで起った「ハドソン・バレーの波」については、何千ものアメリカ市民によってUFOが目撃されているのに、調査した当局者がいなかった。少なくとも私たちが知る限り、ハドソン・バレーの事例に関する公式文書は作成されていない。

・たくさんの人が、UFOをもっとよく見るために高速道路に沿って、あるいは曲がりくねった田舎道を運転した。また、犬の散歩中に、貯水池や湖に沿ってジョギングしていたときに、その物体を目撃した。目撃者は、これらの構造物がサッカー場と同じくらい巨大で、静止した位置から信じられないほどの速度で発進したと語った。それは、典型的なUFOのように沈黙するか、あるいは低いハミング音を発していた。

・ハドソン・バレーの住民は主に三角形またはV字型の物体を報告し、ベルギーでは三角形の物体が多くみられたが、両方の出来事の多くの目撃者の報告書を読むと、物体の行動の特徴は同じであった。

・多くの要因が、この説明を納得できないものにした。最も明白なのは、その物体が、飛行機よりもゆっくり飛行し、空中で停止してホバリングすることがあり、多くの場合、非常に低い高度で、通常は無音であったことである。ホバリングするヘリコプターや編隊飛行する飛行機集団は、騒々しい音を立てる。また、近くの空港で確認されたように、飛行機や飛行船が上空にないときにUFOが何度も見られていた。目撃者は、しばしば灯火の周りにある巨大で頑丈な構造物が背後の空を遮っていて、従来の航空機と簡単に区別できるものを見ていた。たとえば、1984年に、インディアン・ポイント原子力発電所の6人の警備員が、発電所の制限空域の上空90メートルに浮かんでいるUFOを目撃した際には、2人の警備員が、それはサッカー場よりも大きな固体であると調査員に語っていた。

・毎年繰り返されるハドソン・バレーの目撃のような重大な案件が、どうしてアメリカ政府によって無視され、隠蔽されているのであろうか。

・アメリカ政府は、フランス、ベルギー、またはイギリスと比較して、広大な領土と領空を管轄しているが、UFO問題には目をつぶるという極端な行動に出ているように思える。

<本当のX-ファイル>

・イギリスでは、アメガがプロジェクト・ブルーブックを開始したのとほぼ同時期の、1950年代にUFOは、情報に関する国防情報部門を設け、調査を開始した。ニック・ポープは、1991年から1994年までの、3年半の間、その情報部門とは別の空軍によるUFO調査に関与していた。この現象に対する彼の見方は、UFOに関する調査と政府の「内部告発者」情報にアクセスしていた間に根本的に変化した。本書の他の寄稿者のように、彼はアメリカの政府役人と情報機関による協力を望んでいる。

<ニック・ポープの証言>

・私は1985年から21年間MoD(英国国防省)に在職していました。当時は、組織の再編または昇進のいずれかで2、3年ごとに人事異動があり、政策や運用、人事、財務などのさまざまな仕事について幅広い経験を積むことが方針とされていました。

・MoDは、1950年代初頭からUFOの現象を調べており、これまでに1万2000件を超える目撃報告を受けています。

◎コスフォード事件

・1993年3月30日と31日、イギリスでは100人以上の目撃者が関与する一連のUFO事例があり、目撃者の多くは警察官と軍人でした。UFOは2か所の空軍基地の上空を飛行していました。以下は、コスフォード事件と呼ばれる驚くべきものです。

・最も興味深い報告の一つは、スタッフォードシャー州ルージリーの民間人からのものでした。彼は、直径200メートルと推定したUFOを報告しました。

◎レンデルシャムの森事件:迷宮事件の再調査

・イギリスにおける最も壮大なUFO事例は、1980年のクリスマスの夜遅く、ボクシング・デーの早い時間に発生し、イプスウィッチ近くのレンデルシャムの森で奇妙な光が目撃されたというものでした。多くの目撃者は主に、サフォークにあるアメリカ空軍とNATOの合同基地であるRAFベントウォーターズ基地とRAFウッドブリッジ基地に拠点を置くアメリカ空軍(USAF)スタッフでした。この出来事はイギリスで発生しましたが、これらの基地は当時のアメリカ空軍の施設でした。レンデルシャムの森は二つの基地の間にあり、連戦中だったので、アメリカで最機密軍事施設におけるUFO目撃は、とても興味をそそられました。UFO調査チームは、この事件に関するMoDの大規模なファイルにアクセスできましたが、当時は一般に公開されていませんでした。この事件に関する最も基本的な情報でさえ並外れたものだったので、私は迷宮事件調査とでも呼ぶものを立ち上げることにしました。これは本質的に、この事件に関するMoDのファイルの分析であり、私たちが知っていることを評価し、さらに重要なことは、調査員が見逃したものを確認することでした。

◎プロジェクト・クンダイン

・2006年5月15日、アメリカの情報公開法(FOIA)とほぼ同様のイギリスの情報公開法に基づいて、国防省は、従来機密扱いしてきたUFOに関する文書を開示しました。UFOに関する多くの情報は、国立公文書館と国防省のウェブサイトの両方ですでに公開されていましたが、この新たに公開された文書はそれらとは異なり、まったく前例のないものでした。そのUFO調査報告書は「機密:関係者限定」として機密分類され、コピーは11部しか作成されていません。それは460ページを超え、プロジェクト・クンダインというコード名が付けられていました。調査は1996年に開始され、最終報告書は2000年12月まで公開されませんでした。

◎情報公開/非公開

・私が1985年にイギリス国防省(MoD)に就職した当時、MoDは一般大衆およびメディアとの限られたインターフェイスしかもたない、閉ざされた組織でした。21年間の公務員生活を経て2006年に退職した私には、20年以上前には考えられなかったことですが、2005年にイギリスでは情報公開法(FOIA)が完全に施行されたのです。私が働いていた部門は、FOIAの要求を処理するのに忙しくなり、以前の業務よりも優先されるようになりました。調査に意味があったUFO目撃情報はほとんどなく、大半は定型的な文字の羅列にすぎなくなりました。目撃者が民間パイロットや軍の将校であった場合、少なくとも調査はされましたが、以前ほどではありません。

<ブラジルに出現したUFO>

・北米のほとんどの人は、ブラジルが世界で5番目に大きい国であり、南米大陸の東部の大部分を占めていることを知らない。ブラジルは、何十年にもわたって多くの熱心なUFO研究者と在野の調査員を生み出し、奇妙なUFO事例の「温床」であるという怪しげな評判のある国だ。また、空軍によるUFO報告とUFOへの公式な関与といった豊富な歴史をもっている。ブラジル軍は、政府文書に示されているように、長年にわたってUFOを調査してきた。

◎ホセ・カルロス・ペレイラ退役少将(ブラジル空軍)の証言

・1986年5月19日の夜、ブラジル南東部で一連のUFOが目撃され、防衛システム全体が警戒体制に入りました。空軍は、最も経験豊富なパイロットをF-5タイガーⅡ戦闘機およびF-103ミラージュⅢ戦闘機によりスクランブルして、これらの物体を迎撃しました。ブラジルの石油会社の現社長であるオジレス・シルバ大佐と彼のパイロットであったアルシル・ペイレラ・デ・シルバ司令官は、ポソス・デ・カルダスの近くでシングー・ジェット機を飛ばし、サン・ホセ・ド・カンポスに向いました。サンパウロからリオデジャネイロに至る空域のさまざまな場所のレーダーが21個のUFOの存在を示していました。シルバ大佐と彼のパイロットはそのうち1個を目撃し、30分間それを追跡しました。それは、点から点へとジャンプしているように見える、動きの速い、明るい赤橙色の発光体でした。彼らは追いつくことができず、結局追跡を断念しなければなりませんでした。

<アメリカに求められる新しいUFO調査機関>

・ほとんどのアメリカ人には知られていないが、カーター大統領でさえ、公的資金で運営されているNASAにUFOの証拠を調べさせ、調査機関を設置することが正当化されるかどうかを判断させることができなかった。

 カーターは、ジョージア州知事になる前の1969年に自らUFOを目撃していた。1973年、知事であったとき、民間のUFO研究団体からの要請に応えて、2ページの報告書を作成した。それによると、10月初旬の夕方にジョージア州リアリーで開かれた会議で、ちょうど演説をするところだった。彼とジョージア州リアリーのライオンズクラブの会員10人が、月と同じくらいの大きさの、明るく発光する物体を目撃した。それは、10分以上の間、色を変えながら、「近づいては離れ、離れては近づき」、そしてそれ以外のときにはじっとしていたが、やがて「姿を消した」という。

・2006年に、FAAはパイロットや他の目撃者に対し、オヘア空港の上空をホバリングしている円盤について、実際には気象現象であると伝えていたことを覚えておく必要がある。

<FAAが調査する「起こらなかった」UFO事件>

<ジョン・J・キャラハンの証言>

・あなたがこれから読むのは、まったく起こらなかった出来事です。

 私は、1981年から1988年までワシントンDCにある連邦航空局(FAA)の事故調査部門の課長でした。この間に、私は異常な出来事の調査に関与しましたが、それについては口外しないように言われました。

1987年1月初旬、FAAのアラスカ地域支局の航空交通管制課から電話があり、殺到している報道陣にどのように対応すべきかについての方針を尋ねられました。報道陣は、1986年11月7日にアラスカ上空を横切って約30分間、日本のボーイング747ジャンボ機に付きまとったUFOに関する情報を求めていました。どういうわけか、その話が漏れていたのです。

・パイロットや副操縦士、航空機関士を乗せた貨物ジェット機の日本航空1628便は、アンカレッジの北にあり、午後5時過ぎのことでした、寺内謙寿機長は、ボーイング747ジャンボ機よりもはるかに大きく、空母ほどある巨大な丸い物体が、色とりどりの光を点滅させて飛び回っているいるのを見たと証言しています。乗組員の為藤隆憲と佃喜雄もそれを見ていました。

 ある時点で、2個の物体が747ジャンボ機の真正面で停止しているように見え、機長はそれらが「光を放ち」コクピットを照らし、顔に感じるほどの熱を放出していたと言いました。

 その後、物体は747機と同じ高度で飛行しました。機長はUFOを回避するために方向転換しましたが、UFOはジェット機と一定の距離を保ちながら並行しました。寺内機長は、この巨大な「宇宙機」と呼ぶものの大きさを、搭載されているレーダーのレンジマークから、少なくとも空母の大きさがあると見積もりました。彼は目撃したすべてをFAA当局に報告しました。

・そして、最終報告書は、あたかもこの出来事が実際には起こらなかったかのように、3人による目撃情報の詳細と図面を完全に無視していました。

<政府の隠蔽工作:政策か神話か?>

・連邦航空局(FAA)元職員ジョン・キャラハンの報告のように「この出来事は決して起こらなかった」というCIAの指令は、アメリカ軍のUFO目撃者の証言を読んだことのある人なら、よくご存知のことだろう。多くの兵士が上官から多かれ少なかれ、「君が経験した事件について誰にも話すな」と同じことを言われている。彼らは守秘義務の誓いに縛られているので、いまだに公に話すことができないという人もいる。

そしてそのような誓いを破ることを恐れて、経験したUFO事例への関与をほのめかしさえしない人がたくさんいることは間違いない。しかし、何年も経ってから、命令や宣誓にもかかわらず、勇気ある多くの男女が、影響を受けることなく発言している。

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