世界の情勢を大いに左右した謎の人々の組織は確かにインドに存在していたと主張した。(4)

『私はアセンションした惑星から来た』

(金星人オムネク・オネクのメッセージ)

(オムネク・オネク) (徳間書店)  2008/3

<金星人、火星人、土星人、木星人の特徴>

・現在、アーリア人という呼び名で多くの人々が知っている白色人種は、金星から来ました。私たちはしばしば背の高い“天使のような存在”として、あなた方の世界のUFOコンタクティたちに語られています。私たちの身長は通常2メートル15センチから2メートル40センチほどで、長いブロンドの髪と、青また緑色の瞳をしていることでよく知られています。

・黄色人種は火星から来ました。彼らは、細身で背が低く、髪は金色または濃い茶色をしていて、肌はオリーブ色から黄色がかった感じの人たちです。目は大きく、つりあがっていて、瞳の色は灰色から濃い茶色の間で人それぞれです。火星人は秘密主義の傾向があり、SFのイラストに描かれるような、幾重にも重なった精巧な未来都市を築いていることで知られています(火星人の生命波動も地球人の物理的な密度のものではありません)。火星人は東洋や太古のスペイン民族の歴史と関係しています。

・地球を訪れた赤色人種は土星系の人たちでした。彼らは、最初は水星で進化を遂げていました。ところが水星の軌道が変わり、太陽により近くなってしまったために生存環境が厳しいものになり、彼らは、土星へ移住したのです。土星人の髪は赤色から茶色で、肌は赤らんでいて、瞳は黄色から緑色をしていることで知られています。体格は背が高く、がっしりとしていて、太陽系内では、筋骨たくましい人たちとして知られています。アトランティス人やネイティブアメリカンはそれぞれ土星人を祖先にもつ民族のひとつです。中でもエジプト人とアステカ族は、とりわけ土星人の影響を強く受けています。

・黒色人種は木星系で進化を遂げた人たちです。彼らは、背が高く、堂々たる風貌をしていて、顔のサイズは大きく、角張った顎をしています。髪の色はつややかな深い黒で、瞳は茶色から青紫です。木星人はその声の美しさと、隠し事をしない開放的な性格でも知られています。彼らの子孫はアフリカやその他の地域に分布しています。

『ガンディード』(他5編) 

 (ボルテール)(岩波文庫)2005/2/16

“ミクロメガス”(哲学的物語) ボルテール(1694-1778)の代表作

<シリウス星団の一住民、土星と言う名の惑星を旅する>

<シリウス星の住人と土星の住人との間に交わされた会話>

・ミクロメガスは、この種の質問をいくつもした後、土星には本質的に異なる実体がいくつあるのかを尋ね、その数はおよそ30しかないことを知った。それは、たとえば、神、空間、物質、感覚で感じる広がりのある存在感、感じかつ思考する広がりのある存在、広がりを持たない思考する存在などなどだった。シリウス星の天体には300の実体があり、しかも彼は旅行中に他の3000もの実体を発見していたのだ。これには、土星の哲学者も肝をつぶした。

<シリウス星人と土星人が二人で試みた旅行。地球と言う天体で彼らに持ち上がったこと>

(2020/4/5)

『日本のオカルト150年史』

日本人はどんな超常世界を目撃してきたのか

秋山眞人  布施泰和  河出書房新社  2020/2/22

<空飛ぶ円盤 アメリカで報告され、米軍が研究機関を設立>

・そのようなときに、海外から飛び込んできたのが、UFOの目撃ニュースである。これを契機にして、オカルトは宇宙を舞台に発展していく。

・この飛行物体は、アーノルドの試算で時速約2700キロの高速で移動していた。当時のジェット機ではあり得ないスピ―ドであった。しかもその9個の物体は、鎖のようにつながって飛び、その編隊を崩すことなく、数秒の間隔を置いて急降下と急上昇を繰り返し、ジグザグに飛行したのだ。

・こうしたUFO目撃事件が相次いだため、この不思議な現象の正体を突き止めようとする動きも強まった。1947年には米空軍技術情報本部に、UFO問題を専門に研究するグループ「プロジェクト・サイン」を発足させた。有名な米雑誌『トゥルー』も、海兵隊空軍の退役将校ドナルド・E・キーホー少佐に調査を依頼、半年間の調査の結果、「空飛ぶ円盤は実在する」という記事を掲載した。キーホー少佐はそのなかで、空飛ぶ円盤が地球外の天体から飛来している他の知的生物が乗った宇宙艇に間違いないと主張した。

<UFO アメリカの目撃談は多くの日本人に衝撃を与えた>

・実は、こうした空飛ぶ光体の目撃例は、アメリカでUFOが目撃される以前からあった。有名なのは、太平洋戦争中にしばしば日本やドイツの上空で目撃され「フーファイター」と呼ばれた謎の戦闘機だ。

 それ以前にも、「空飛ぶ謎の物体」などは日本では当たり前のように目撃されていた。「人魂」とか「火の玉」などと呼んで、みんなで空に向かって呼び掛けたら、不思議なものが飛んできたというような話は無数にあった。今日のUFOを思わせる物体が着陸したというケースもあった。徳川家康は、宇宙人を連想させるような「河童」と出会ったという話も伝わっている。

 つまり、日本では「UFO」が飛んでいるのは当たり前であったのだ。

<日本のUFO報告  三島由紀夫や石原慎太郎も研究会に参加>

・国内におけるUFO目撃例を記録した本も出ている。1958年に朝日新聞が発刊した『バンビ・ブック 空飛ぶ円盤なんでも号』だ。そのなかで「日本空飛ぶ円盤研究会」の荒井欣一代表は、信頼できる目撃例を報告しているので、主なものを列挙しておこう。この内容は、いま見ると改めて驚異的である。

<1947年7月9日>鹿児島県で警察官がT字型飛行物体を目撃。日本で最初に新聞で取り上げられたケース。

<1948年2月1日>新潟管区気象台長土佐林忠夫氏が月の半分くらいの大きさの物体が飛んでいるのを目撃。

<1948年8月2日午前5時すぎ>函館で国鉄機関区助役の鈴木満次氏ほか4名が、円盤状の飛行物体を目撃。

<1952年3月29日午前11時20分ごろ>在日アメリカ空軍パイロットのデヴィド・C・ブリンガム中尉がジェット機に乗って北日本の上空を飛行中、円盤状の光る物体が突進してきて衝突直前にほぼ直角に曲がり、ジェット機の前を横切り、垂直に上昇して視界から消えるのを目撃した。

<1952年12月29日午後8時ごろ>米軍の戦闘機隊指揮官ドナルド・J・ブレークスリー大佐がF-84で飛行中、青森県淋代の東方海上約8キロの上空で、赤、白、緑の光を放って飛ぶ物体を発見。

<1953年1月9日>F-84戦闘機に乗っていた米軍パイロットのメルヴィン・E・コナイン中尉が、変光して飛行する物体を目撃。

<1956年5月18日夜>東京・高尾山の見晴らし台でキャンプ中の店員2人が、オレンジ色に光る、お椀を伏せたような物体1機と、その後ろにその半分の大きさの球状の物体2機が編隊を組んで、自分たちの方に向かってくるのを目撃。

<1956年7月27日午後3時ごろ>福島県の会津農林高等学校の物理学の教師・佐藤健壮氏が天文班の学生数名と太陽黒点の観測をしていたところ、太陽の周りを扁平楕円形の白く光る物体が飛び回っているのを目撃。

<1956年8月11日午後11時ごろ>広島県福山市の親子が自宅の庭から異様な光体群がV字型やU字型の編隊で空を飛び交っているのを30分以上にわたり目撃した。

<1957年11月7日夜> 岡山市の就実高考の屋上で、同校の地学教師・畑野房子氏が生徒10数名と月食の観測をしていたところ、ボーッと光る白い球状の物体が数度にわたって飛び交うのを目撃した。岡山市ではその後も同様の目撃が相次ぎ、目撃記録は翌58年8月までの9か月間で100件を超えた。

・これらの大きな流れのなかで、1955年7月1日には、前出の荒井欣一氏が「日本空飛ぶ円盤研究会」を発足させた。同会には、作家の三島由紀夫や北村小松、石原慎太郎といった名士も多く参加しており、本格的なUFOブームが到来したのである。

<海外流出した日本のオカルト 戦勝国の米ソは何に注目し、本国に持ち帰ったか?>

・そうした目に見える流行とは別に、戦後の10年間は日本のオカルト文化や技術が、静かにそして密かに海外に流出した時期でもあった。

・その研究対象のなかには、旧日本軍が研究していた電磁波兵器もあったことは想像に難くない。そして電磁波と超能力を結びつけ、ロシアは電磁波兵器の研究を推進させてゆく。おそらく、旧日本軍の初期の電磁波兵器の研究内容を参考にしたのではないかといわれている。

<電磁波兵器 日本軍のオカルト的秘密研究は海外に流出した‼ >

・たとえば、旧日本軍の特殊な鉄をつくる現場で働いていたとされる楢崎皐月は戦後、「イヤシロ地」と「穢れ地」という概念を提唱して、製鉄所の立地によって同じ原料の鉄でも、より硬い金属ができる場所とできない場所があることを発見したという。楢崎はまた、兵庫県の山中で「カタカムナ文字」という成立期不明の謎の文字を宮司から伝授されたと主張していることでも知られている。そうした啓示を受けて、それを農業に応用したのが電子農法であった。

・その楢崎が軍で研究していたということは、軍も電磁場のことに少なからぬ興味をもち、研究していたということになる。実際に戦時中は、「勢号作戦」という電磁力兵器を使った作戦が水面下で進行していた。その兵器は勢号兵器、Z兵器とも呼ばれた。戦争中、国威発揚のために子供の科学雑誌の付録として付けられていた絵葉書には、「三点交差」と思しき光線が、コイル状の装置から発射される写真が印刷されているものもあった。

・1990年に私が初めてロシアにいったとき、そういった装置を開発する研究は依然として続けられており、実際に装置も見せてもらった。スイッチをオンにすると、「ビーン」という音が聞こえ、周りの人たちが一斉に気持ち悪くなった。頭蓋骨の平均的な横幅に共鳴する特殊な電磁波であると話していた。その研究の被験者になった人たちを専門に収容する精神病院をつくっているという話も聞いている。

 ところが、ソ連崩壊後の1993年に再びロシアを訪れたときには、実験室はすでに蛻の殻で、アメリカの軍事産業企業が、それらのシステムから人間まで全部買いとった後であった。その後、いきなりアメリカの「HARP(ハープ)計画」が明らかになった。表向きはオーロラを研究するため高周波を照射して電離層に熱を発生させるなどして電離層の現象をコントロールする実験とされているが、電磁パルス攻撃、気象兵器、マインド・コントロールなどにも応用できると考えられている。

 電磁波研究の現場で光線兵器の研究にかかわっていたといわれているが、「日本超科学学会」を設立した橋本健であった。彼が戦後はオカルト研究に深くかかわっていくのは偶然ではない。

 旧日本軍が超能力と電磁場の研究を進めていたのはまず間違いなく、当時の日本はオカルト研究の先進国であったように思われる。

<竹内文書  『記紀』とは異なる超古代文明の痕跡をGHQが調査した ⁉>

・戦前、旧日本軍が、当時の国体における正史を守るため、正史以外の歴史にかかわるような、全国の謎の巨石建造物や古い神社を多数、爆破したり破壊したりして歩いたという話を聞いたことがあるからだ。

・旧日本軍はなぜそのような行動に出たのか。その答えはおそらく、電磁場の研究からイヤシロ地のような場所があることに気づき、そこへいくと謎の神が祀られた神社があることに気づいたからではないだろうか。つまり、どうも自分たちよりも古い民がいて、しかも彼らが渡来系であったことがわかってしまった可能性が高い。

 それは、万世一系の天皇を掲げる軍部からすると、消し去りたい事実であったに相違あるまい。

 旧日本軍が破壊した遺跡のなかでもっとも有名なのは、現地の人たちが語りたがらないが、富士山の南側にある愛鷹山山中の神社と巨石群だ。愛鷹山には、五色人を祀っている神社があったらしいが、いまは跡形もなくなっている。

 巨石文化の名残りはあるが、旧日本軍が村人を銃殺したとの話も残っており、巨石文化の調査はほとんどおこなわれていない。

 静岡周辺には、そのような話がいくつかあり、巨石を使った「謎の文明」の痕跡が多い。おそらく、戦前において、そうした歴史が隠されてオカルト化されたのだと思われる。

<科学とオカルト>

・奥行きのいちばん奥にいる神と、いちばん手前にある好奇心との間に「科学」や「物質主義」という番長が立ちはだかって、通行料を取るようになったという感じがしなくもない。そのようなイメージを私はもっている。

<聖母マリアの出現問題>

・中世から近世にかけての欧米で破竹の勢いで急伸したキリスト教世界においても、困ったオカルト問題が出てきた。

 19世紀半ばごろから始まった、「ファティマの予言」に代表される一連の「聖母出現」である。のちにカトリック世界で「マリアの時代」と称されるきっかけとなった聖母出現問題をめぐって、キリスト教の権威者は、大いに頭を抱え込んだに違いない。

・最初期の現象は、1830年11月27日 に発生した。フランスのパリ7区バック街の「愛徳姉妹会」のカトリーヌ・ラブレという修道女の前に聖母が現れ、お守りとしてのメダル鋳造のメッセージを託し、メダルの表と裏に彫るべき図柄のメッセージを視覚化して伝えたというのである。2年後に、パリ大司教が許可したそのメダルが頒布されると、あちらこちらで奇跡や回心が起きたと大評判になったのである。

 その後、聖母出現はヨーロッパで、1846年のラ・サレット、1858年のルルド、1865~67年のイラカ、1866年のフィリップスドルフ、1871年のポンマン、1879年のノック(以上、フランス)、1917年のファティマ(ポルトガル)、1932~33年のボーレン(ベルギー)、1933年のバヌー(ベルギー)と20世紀にかけて相次いで発生した。1830年から1967年までの137年間に各地司教区調査委員会の検討に委ねられた件数だけでも187件に達し、うち11件が教会の許可を得て、マリア巡礼地の資格を獲得しているという。

 そのなかでもとくに有名なのは、ルルドの聖母出現事件だ。

<四次元と超能力>

・霊を信じる人たちからすると、私が交信している人は、4次元どころか6次元だとか8次元だとかを主張する人すら出てきた。次元が上にいけばすごいのではなくて、「次元」はあくまでも物理学の用語にすぎない。精神世界の人たちはサービス精神旺盛で、科学にすり寄ったり、科学の用語を使おうとしたりすることが多くなり、より混乱が生じたように思われる。現象をエネルギーで説明しようとするいまの科学で、オカルト的現象を測定できると考えたことも、混乱に拍車をかけた。

<高度成長期  オカルトが物質文明に反旗を翻す>

<「リンゴ送れ、C事件」 広い支持を集めながらオカルト化したUFO団体の悲願>

・オカルト運動が顕著になるにつれ、社会問題化する事件も発生するようになった。

・事の発端は、CBAの松村雄亮らが、1962年ごろまでに地軸が傾くことによって地球規模の大災害が発生すると信じ込んだことから始まった。その「来るべき日」がきたら会員には事前に知らせるので、宇宙船に救出されるために集まる合流地点Cに、いざとなったら集合する取り決めをしたのだ。

 その事前に知らせる合図の電報の文言が「リンゴ送れ、C」であったので、後日、事件名として有名になったが、問題となったのは、この取り決めがメディアにリークされ、産経新聞などの媒体に「終末論を語るカルト」の団体のように書き立てられたからである。周知の通り、「来るべき日」が1962年までにくることはなかった。

<「宇宙友好協会」の功績 のちのUFO研究の発展と普及に大きく貢献>

・そうした負の面もあったが、同時に、UFOをテレパシーで呼ぶという、当時多くのコンタクティーが主張した現象や宇宙語を紹介したのも彼らである。たとえば、宇宙語の「ベントラ」は宇宙人の宇宙機を表す言葉で、地球のことを「サラス」と呼ぶと主張した。

 これらの言葉は、私が知っている宇宙語とも矛盾しない。サンスクリット語にも「デベントラ」という、宇宙を表す、似たような言葉があることがわかっているし、古代インド語では「サラス」は水と音の女神であった。いわゆる芸能の神様で、日本の弁財天は「サラスバティ」と呼ばれている。非常に共通点があって面白い。その「サラス」から「ベントラ」と繰り返し唱えて呼び掛けるとUFOが現れるという現象を、CBAを通じて、多くの人が体験したといわれている。

<オカルト批判とカルト  「リンゴ送れ、C事件」が残した教訓は>

・なにかネガティブな事件があると、はじめは肯定的な人も、みるみる立場を変えて“批判派”に転じていくことは多い。「リンゴ送れ、C事件」は、確かに批判されても仕方ない要素はあったが、だからといって宇宙友好協会のそれまでの活動や功績のすべてを否定してよいかといえば、それはまったく違う。

・「国際銀行家」とウィリアムソンが呼ぶ人たちが世界的にUFO情報を隠しているのだということをずっと以前から指摘していたのも、彼であった。彼はそのことを『UFO・コンフィデンシャル』という本のなかで書いている。

<秋山眞人のコンタクティー体験>

▼(別の惑星への訪問と帰郷)

・その惑星は本当にすばらしい桃源郷のようなところであった。だが、滞在3日目になると、急に地球が恋しくなったのだ。それを彼らに告げると、私の使命は地球にあることを気づかせるために彼らの惑星に呼んだのだというような趣旨のことを話して、私を再び地球に戻してくれた。現地での滞在は丸2日間(約48時間)であったが、地球に帰ると2、3時間しか経過していなかった。

 その後も彼らとの交流は続き、現在に至っているのである。

<1970年代  超能力・UFO・大予言……1億総オカルト化>

<ネッシー、ツチノコ 学者や文化人もこぞってロマンを追いかけた>

・1970年7月20日には、戦前のオカルティスト・酒井勝軍が「太古日本のピラミッドである」と称した「葦嶽山」に近い広島県比婆郡西城町(現在の庄原市西城町)で、獣人型UMA(未確認動物)「ヒバゴン」の最初の目撃報告があった。その後4年間、目撃情報が相次ぎ、メディアを巻き込んだ騒動となった。

<1980年代  精神世界と自己啓発が密接に結びつく>

<精神世界とビジネス 自己向上を目指す人々がセミナーに通う現代>

・そういった人たちの欲求にうまくはまったのが、アメリカからやってきたダリル・アンカ氏のチャネリングと、そのチャネリング相手の宇宙存在バシャールであった。なにしろ宇宙が相手になるのだから、段階も無限にある。

 では、バシャールが何者かというと、三角形のUFOに乗り、物理的には不可視の惑星エササニからきた宇宙存在ということである。

・バシャールとのチャネリングで説かれるメッセージは、基本的にはアメリカで当時流行っていた自己啓発セミナーの延長線上にあり、キャッチフレーズは「宇宙はワクワクすることを望んでいる」であった。ワクワクすることをやれば、宇宙的な拡大を感じることができる、と説いた。

<超能力者とUFO、幽霊の関係>

・ユリ・ゲラー氏はスプーン曲げなどの超能力では有名だが、コンタクティーであることはあまり知られていない。ユリ自身が催眠状態で語ったところによると、ユリは幼いころ、「ゆっくりと音もなく流れ落ちる、巨大な球形の物体」を見ている。その球体の前に、長いマント姿の大きな「人間の影のような物体」が現れ、その頭の部分から目が眩むような光線が発射されて、ユリに当たった。それ以来、超能力が開花したという。

 またユリは、地球から5306兆9000億光年離れた「スペクトラ」という宇宙船にいる「ザ・ナイン」という宇宙人グループとテレパシー交信を続けているとも話している。

<オカルト真贋論争 目撃者・証言者に振りかかる厳しいバッシング>

・オカルト事件が起きると、非常に厳しいプレッシャーが当事者に加わることが常であった。

 たとえば、1986年11月17日に発生した日航機機長によるアラスカ上空での巨大UFO遭遇事件である。この事件は、パリ発ケプラヴィーク、アンカレッジ経由成田行の日航機の貨物便が、アラスカ上空で、自機の3~4倍もある巨大なUFOに1時間近くにわたってつきまとわれたという。 それを報告したがために地上勤務への配置転換を余儀なくされた、当時47歳だった寺内謙寿機長には相当の圧力が加えられたことが知られている。

<1990年代 カルト教団の凶行がオカルトの転機に>

<奇跡のリンゴと超常体験>

・木村秋則氏は1949年11月8日、青森県岩木町(現・弘前市)のリンゴ農家に生まれた。機械いじりが好きな青年に育ち、ごく普通の生活をしていたが、高校生のとき不思議な体験をした。

 自転車にのって家に帰る途中、向かい側を歩く男性が突如動作の途中で動かなくなるという体験をした。そのとき、松の木の下に巨大なワニのような動物を見た。自転車を停めてよく見ると、それはヒゲだけでも自分の太ももくらいの大きさがある巨大な龍であった。龍は松の木の上に出て尻尾一本だけで立ち上がると、しばらくしてからそのまま飛び去ったという。

 龍が飛び去ると、不思議なことに、それまで停止していた男性が動き出し、すべてが元に戻ったのだという。私も経験したことがあるが、3日間別の世界で過ごしたのに戻ってきたら3時間しか経っていなかったということは、オカルトの世界ではよく起こるのだ。私はそれを「逆浦島現象」と呼んでいる。

・その3年後の1988年、木村氏はついに無農薬・無肥料のリンゴの自然栽培に成功した。その成功物語は2013年には『奇跡のリンゴ』として映画化され、大きな反響を呼んだ。実験田は、国連食糧農業機関(FAO)の世界重要農業資産システムに認定されている。

・実はこの成功ストーリーの背景には、数々の不思議な事件が起こっていた。

・バイクで帰宅途中、道をふさぐように二つの人影を見たことがあった。バイクを停めて目を凝らすと、130センチくらいの黒っぽい二つの人影と、猫の目のような形をした四つの目が見えた。とても人間とは思えず、足は宙に浮いていた。そのとき「危害を加える気はないから安心しなさい」という言葉のようなものが伝わってきたという。おそらく宇宙人がテレパシーで木村氏に伝えたのだろう。そのときはそれで終わった。

 リンゴの自然栽培に成功した数年後には、もっと強烈な体験をする。自宅2階の寝室で寝ていた木村氏がフッと目が覚めて窓の外を見ると、以前帰宅途中に見た「宇宙人に違いない二人」が宙に浮きながら、目をギョロッと光らせてこちらを見ていたのだ。木村氏は金縛りにあっても動けず、声も出せなかった。

 二人の宇宙人は、カギのかかっていたサッシをいとも簡単に外側から開けて、窓からなかに入ってきた。そして動けずにいる木村氏の両脇を二人で抱えて、拉致した。木村氏の記憶はここで一旦途切れる。

<宇宙人によるアブダクト  夢や幻ではなかった確実な証拠とは>

・次に目覚めたとき、木村氏は大きな建造物のような空間にあるベンチに座っていた。静かで音はまったくしていなかった。そのベンチには他に二人の人が座っていた。

・一人になった木村氏はベンチの上に上がり窓から外を見た。そこには「竪穴式住居がいっぱい並んでいるように、光がずらっと見えた」という。そのとき、例の二人がやってきて、今度は木村氏を両側から抱えて、建物の奥へと連れていった。

 途中、いくつかの部屋があって、最初の部屋には先ほど連れていかれた「海兵隊員」が、次の部屋には金髪の女性が、どちらも裸にされたうえに、ベルトのようなものでベッドに固定され寝かされていた。その周りにはたくさんの宇宙人がいて、二人を観察していた。

 自分も裸にされて調べられるのかと思ったが、連れていかれたのは操縦室と思われるスペースだった。真ん中には丸いレバーがあって、ピカピカ光っていたという。

・そのとき、テレパシーのように言葉が頭のなかに飛び込んできたと木村氏はいう。その内容は「われわれは、256のすべての物質を知っている。地球人が知っているのは120くらいで、そのうち使っているのは20とか30くらいだ」「われわれはケーという物質を使って時間を移動している」というものだった。

 宇宙人は、その「ケー」という物質を見せてくれた。それはB4サイズくらいの大きさの三角形で非常に重かったが、彼らは軽々ともっていたという。

・その後、木村氏は宇宙人から透明な丸い玉をもらった。海兵隊員と金髪女性もそれぞれ円錐形のものと四角いサイコロ状のものをもらったのを木村氏は見ている。

 そこから記憶が希薄になり、気がつくと両脇を二人の宇宙人に抱えられて自宅の窓の外にいた。そして彼らと一緒に部屋に入ったかと思うと、彼らの姿は忽然と消え、木村氏もそのまま眠ってしまったという。

 翌朝目覚めても、拉致された記憶は鮮明に残っていた。だが、もらったはずの丸い玉はどこを探しても見つからなかった。あれは夢だったのだろうか、と木村氏は一瞬訝ったが、夢にしてはあまりにもリアルだった。

<宇宙人からの啓蒙>

・木村氏の場合は、宇宙人がリンゴの自然栽培の方法を直接教えたわけではなかったが、いろいろ示唆を与えながら、なんらかの影響を及ぼしたと考えられる。

 木村氏のように宇宙人から示唆を受けたり情報を得たりして農業で活躍した人は、他にもいる。メキシコでも、宇宙人から導かれた地底人に教えられた巨大野菜の栽培に成功したオスカー・アレドンドとカルメン・ガルシアである。それは宇宙にある未知の力を味方につけ、種子に宿らせる方法なのだという。

・そのようななか、私はUFOとのコンタクトの記録を公表するような宇宙人側から促されたこともあり、1997年に『私は宇宙人と出会った』という本を出版した。

・オウム事件に端を発したオカルト批判が渦巻くなか、新たに宇宙人とのコンタクトを始めても声を大にできない「第二世代の子供たち」にとって、私の本が勇気づけるきっかけとなった可能性はあるのではないかと思っている。

 その証拠に、『私は宇宙人と出会った』という本は口コミだけでよく売れたと記憶している。それだけ宇宙人とのコンタクト情報に興味をもった人たちがいたということだ。

<大企業による超能力研究>

・80~90年代に企業が超能力を積極的に活用しようとした流れについても、もう少し詳しく説明しておこう。

 本田技研工業の創設者・本田宗一郎は1989年、人づてに私を本田技研の朝霞研究所に呼び、私に講演をする機会をくれたことがある。そのさい私は、超能力の特別チームを研究所内につくるように依頼を受けた。

<21世紀 猛烈な批判を浴びたオカルトの復権が始まった>

<相次いだカルト事件>

・そして21世紀に入った2000年5月9日、「法の華三法行」の教祖・福永法源が詐欺容疑で逮捕される事件も起きた。

 自己啓発セミナーから出発し、宗教法人となったあと、霊感商法をおこなっていた。これもオカルトの事件に挙げられるが、われわれからすれば、法の華三法行は、オウム真理教同様、当初から問題があるカルトであった。オカルティストのほうが、カルトに対する問題意識が強く、オカルトに詳しくない一般の人ほどカルトにだまされるという現象が起きているように思う。

<X-ファイル>

・90年代当時、精神世界に影響を与えた米国ドラマシリーズが二本生まれた。一つはクリス・カーターが監督したサイコ・サスペンス『ミレニアム』、もう一つはSFドラマ『X-ファイル』だ。

 この二つのドラマには、当時ささやかれていた陰謀論からあらゆるオカルト現象までが全部、盛り込まれていた。

<アメリカ発オカルト・ブーム>

・かつて一部の“研究家”によって誤認説のレッテルを張られた日本のUFO目撃情報に、米政府関係者が「本物であった」という太鼓判を押す出来事もあった。

 9・11テロがあったその約4か月前の2001年5月9日。アメリカの首都ワシントンDCのプレスクラブでは、アメリカの政府や軍関係者ら約20人が集まって、UFO情報が一部の権力者によって隠蔽されていると暴露会見をおこなった。

 その会見では、日航貨物機を操縦していた寺内機長がアラスカ上空で目撃した事件について、当時の米航空局幹部が、寺内機長が見たUFOはレーダーにも捕捉されていたと証言。当時の航空評論家や一部メディアが主張した「機長の惑星誤認説」など陳腐な見誤り説を一蹴した。

<陰謀論に興味を持つ女性たち  男性と女性の対立が超えるべき課題>

・『ムー』の女性購読者数が上がってきたのも、そのころだと聞いている。聞くところによると、いま『ムー』購読者数の4割が女性であるという。以前は、ほぼ9割が男性購読者だった『ムー』が、この変わり様である。

 2011年に開設されたオカルト情報発信サイト『TOCANA(トカナ)』も女性が編集長を務めているのは、女性がオカルトに興味をもつようになったことを象徴する現象といえる。

<情報の渦に惑わされないオカルト的生き方のススメ>

・智の地平線を広げるためにも、まだまだ、われわれは勉強しなければならない。精神世界はそのためにある。モノの見方を狭めるのではなく、広げるために精神世界やオカルトはある。愛と智を広げる原動力そのものが、精神世界でありオカルトなのだ。オカルトの歴史は、人類が無限の地平線に向かって歩を進める限り、永遠に続くのである。

<精神世界は社会の鎖>

・その結果としてわかったのは、精神世界、オカルト、スピリチュアルと呼ばれる世界は、社会の不安や、一般大衆が無意識のなかで引っかかっていることが、現実の社会現象や物質世界より先んじて現れているということである。つまり、オカルト的な世界には、ある種の予言性があるのである。

 ノストラダムスの予言がどうだとか、これから出てくる予言者の予言がどうだとかいった話とは別に、オカルト界そのものが予言性や予知性をもっている。そのため、オカルト界で起きる現象をつぶさに見ていけば、意外にも未来の傾向がわかるのである。

 社会の裏面史や抑圧されたもの、大衆の不安、悲しみ、恐れといったものが、やはり抑えきれなくなると、最初にそれが現象として噴出してくるのが、オカルトの世界なのだと私は思う。オカルトは未来を読み解くバロメーターといえるのではないか。

日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ

コンタクティとチャネラーの情報を集めています。 森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

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