UFO伝説やUFOを描いた文学の、宇宙人による地球人誘拐という要素は、人々が妖精にさらわれて丘の洞窟に連れていかれる物語と酷似している。いずれの誘拐においても、記憶喪失、タイムロス、正体不明の光(1)

『日本妖怪大事典』

画◎水木しげる  編者◎村上健司  角川書店 2005/7/20

<河童>

・全国各地でいう水の妖怪。河童という呼称は関東地方の方言カワッパが語源だといわれている。地方によりさまざまなよび名があり、大別すると、水神を思わせる名前の系列、子供の姿を強調した名前の系列、動物の名前に近い名前の系列、その他の計4つに分けられる。

 水神系には東北地方のメドチ、北海道のミンツチなどがあり、子供の姿系には、関東地方のカッパ、カワランベ、九州のガラッパなどが入る。動物系には、中国、四国地方のエンコウ(猿猴)、北陸地方のカブソ、カワッソーなどが挙げられる。

 その他、特定の信仰に関わるものとしてのヒョウスベ、祇園坊主、身体の特徴からのサンポン、テガワラなどと、上記の3つの系列に入らないものがある。

 姿形についても、地方によって相違があり、頭に皿がないものや、人間の赤ん坊のようなもの、亀やすっぽんのようなものと、実にさまざまに伝えられている。

 起源についても、草人形から河童になったとする説、水神が信仰の対象から外されて零落して河童になったとする説、アジア大陸から渡来して土着したとする説など諸説ある。

 人に憑く、物に変化する、人間の作業の手伝いをするなど、地方ごとに河童の特徴は異なるが、ほぼ共通していることは、大の相撲好きであることと、胡瓜などの夏の野菜や人間の肝、尻子玉が好物だということだろう。

・古の水に対する信仰と、近代までの民間信仰とが複雑に絡み合い、無数の枝葉に分かれているので、一口に河童はこうであるとはいえないのが現状であろう。

<天狗>

・山岳宗教の修験道では、天狗は山の精霊的なとらえかたをされており、修験道の寺院や修行者を守護するものとされた。

 これは日本古来の山に対する信仰と結びついたもので、漠然とした山の精霊、山の神だったものに、修験道が天狗という名で具体的な姿や性質を与えたものと考えられている。何々山の何々坊などとよばれる天狗は、ほとんどが修験系の天狗である。山の神という原始宗教的な背景があるためか、修験系の天狗は善悪の二面性を持ち合わせており、修行者の守護神とする一方で、山中で暴風雨を起こしたり、神隠しをするような恐ろしい性質が語られている。

 天狗が山伏姿をしているのは、修験道に端を発するもので、鼻高天狗や烏天狗は、修験道寺院の法会の際に先払いとして登場する治道面や迦楼羅面が影響しているといわれる。

 江戸時代になると、神田祭や山王祭で先導役として天狗が出てくるようになり、赤い顔をした鼻高天狗がよく知られるようになる。これは天孫降臨の際に道先案内をつとめた猿田彦の姿が根底にあるとされ、先の修験系天狗も影響しているようである。

 この頃になると、赤い鼻高天狗を首領として、鳥の姿をした天狗はその手下のように扱われるようになり、絵物語などによく登場するようになる。

 近代に入ってからの天狗は江戸の人々が考えていた天狗とそう変わりはなく、一般には赤ら顔の鼻高天狗と烏天狗の姿が想像される。

<天狗隠し>

・各地でいう怪異。神隠しの類で、天狗が若者や子供を攫っていき、しばらくしてから戻ってきて、天狗様に各地を案内してもらったなどという。

<キムジナー>

・沖縄県でいう妖怪。ガジュマルやアコウ、フクギ、栴檀といった古木の精で、赤い顔をした子供のような姿をしている。髪の毛が肩よりも長く、全身が毛で被われているともいう。土地によっては大きく真っ黒いものだとか、大きな睾丸の持ち主だとかも伝わっている。

 とにかくよく人を騙す、赤土を赤飯に見せかけて食べさせたり、普通なら入れないような狭い場所(木の洞など)に閉じ込めたり、眠っている人を押さえつけて苦しめたり、夜道の灯を奪ったりなどの悪戯をする。

 その一方で、友達になると漁や山仕事を手伝ってくれる。漁へ行くと、瞬く間に魚があふれるが、キムジナーが片目だけを食べてしまうので、捕れた魚は必ず片目であるという。

 キムジナーとの縁を切るには、キムジナーが嫌いなもの(タコ、屁、鶏、熱い鍋蓋)を投げつけるとか、宿っている老木を焼いたり、釘を打ちこんだりするといった方法がある。

 キムジナーは火と深く関わりがあるようで、魚や蟹を捕るときは盛んに火を灯して海上を行き来するとか、旧暦8月10日(妖怪日と称される)には、キムジナーの火が出るといった。さらに、原因不明の怪火もキジムナ火というそうで、それが家の屋根から上がることは死の予兆とされている。

『図説 妖精百科事典』

アンナ・フランクリン 著 

ポール・メイスン&ヘレン・フィールド画 東洋書林 2004/2

・わたしたちが妖精と呼んでいる生き物の多くは、本来、神や女神だったものが、後発の宗教によって、妖精や自然精霊に格下げされたものです。

・残念ながら、邪悪な妖精のほうが、親切な妖精よりもずっとありふれており、中にはたいそう恐ろしいものもいます。

・英国の妖精は、犠牲者の影を盗みとることで有名です。実は妖精界には泥棒がたくさんいて、動物や子どもを盗むのですが、そっくりまるごとではなく、中身や霊魂の部分だけを盗むので、よそ目にはそれとわかりません。牝牛がそれにやられたときには、なにかの病気にとりつかれたようになります。ふだんのように食べますが、ミルクを出さなくなり、死ぬと、体が木片に変わってしまいます。

・妖精はまた、自分たちだけの動物を飼っています。最初の豚は、妖精の家畜の中からあらわれたのです。豚のほかにも、牝牛、犬、猫、馬、アザラシ、鳥、蝶などの妖精版もあります。その中には善良なものもあれば、大いに危険なものもあります。

・妖精たちは音楽好きで、その曲は人間の作ったものよりはるかに美しいとされています。たとえば「乳しぼりのかわいいあの子」「ロンドンデリー」のようなアイルランドの歌は妖精の作品なので、妖精塚のそばで歌ったり、口笛で吹いたりしてはいけません。

<未確認飛行物体  UFOs>

・UFO伝説やUFOを描いた文学の、宇宙人による地球人誘拐という要素は、人々が妖精にさらわれて丘の洞窟に連れていかれる物語と酷似している。いずれの誘拐においても、記憶喪失、タイムロス、正体不明の光、誘惑のテーマが共通している。かつて悪魔や魔女や妖精たちに仮託されていたものが、現代では宇宙人やUFOのせいにされるようになったのは、時代の流れというものであろう。最も一般的に描かれる「グレイ」と呼ばれる宇宙人が、人間に好意もしくは悪意を抱いているとされる小さな存在と非常によく似ていることは、大変興味深い。

『日本人はなぜ狐を信仰するのか』

松村潔     講談社  2006/2/17

<日本中にいる稲荷狐>

・私は散歩がてらにカメラを持って、途上で見つけた稲荷神社の狐を撮影することが趣味だった時期がある。

・同じような稲荷狐愛好家はいるもので、ちゃんと『東京のおキツネさん』(出版芸術社)という写真集も出ている。

<子どもの頃見た狐の嫁入り>

・いつものように学校の休みの季節にこの叔父の家に遊びに行っていたある時、駅前の商店街へ散歩に出てみると、袴姿の行列が町を練り歩く光景に出くわした。その行列の先頭には、華やかな衣装に包まれた花嫁らしき女性が乗り物で運ばれていた。このような多人数の行列ははじめてであったが、それだけでなく先頭の花嫁は狐のお面を被っていたことにたいへん驚いた。

 子どもの頃に、こうした非日常的な光景を目撃すると、原体験として記憶に焼き付いてしまうのではあるまいか。以後、数十年の間、夢の中で頻繁に狐を見る体験が続くのだが、当の狐の嫁入りの風習は、40年たったいまでも廃れていないらしい。

 

・私の家族は山口県下松市に住んでいたのだが、叔父はその下松市から山のほうにちょっと移動したところにある花岡という小さな町に家を構えていた。花岡稲荷の名前で知られた花岡法静寺から、花岡駅まで人力車に乗った狐の面の新郎新婦を先頭にして行列が歩くという狐の嫁入りの風習は、毎年11月3日に行われる行事で、数万人の観客が集まるらしい。これには次のような言い伝えがある。

 

・18世紀前半のことだが、法静寺の称誉康順上人は法事の帰り道で数珠を紛失してしまった。その夜は心配でなかなか寝付けないでいると、半眠状態の枕元に、白狐の夫婦があらわれ、自分たちは久米大迫田の白牟ヶ森で死んでいる狐の夫婦だと名乗った。なくした数珠を届けるかわりに、自分たちを人間と同じ扱いで葬って欲しい、そうすれば神通力によって寺や里の人々を災いから守ってあげますと言われ、上人が驚いて起きてみると、枕元には紛失した数珠が置かれていた。さっそく白牟ヶ森に行くと、白狐夫婦が並んで仲良く死んでおり、上人は寺にこの白狐夫婦の墓を建て戒名までつけた。それからはこの白狐は火難盗難除けの守り神とみなされるようになった。

 花岡の稲穂祭では、刈り取った稲を神様に捧げる儀式のあとで、狐の嫁入りが行われる。この催しが始まったのは意外に新しく1950年(昭和25年)という話である。

<花郎>

・朝鮮の三国時代の新羅の花郎(ファラン)集団は、武士道の原型だといわれているが、具体的には定かではない。はじめは女性たちが集まって、お祭りを仕切る花娘だったものが次第に花郎に変化した。

・この花郎結社は、広隆寺の半跏思惟像(弥勒菩薩像)でもよく知られている弥勒信仰だった。金城郊外の神仙寺の岸壁には10メートルの高さの半跏思惟像が彫られているというが、釈迦の入滅後、56億7千万年の後に現れて衆生を救済するといわれる弥勒は、もとはイランに住んでいたアーリア人の信仰であるミトラから来ている。花郎は、この弥勒の化身と考えられ、最終的に弥勒仙花へと変身すると考えられていた。

 聖徳太子の七寺のうちの六つの寺で半跏思惟像は本尊とされているが、この半跏思惟像は六世紀後半から七世紀にかけて新羅にだけ見られるものである。これもシルクロードを通じてミトラ教を取り入れた、ローマ文化と親近性が高かったことからきているのだろう。

・仏教の中での弥勒信仰を考えると、やや意味がわかりにくくなってくるが、たとえばインドでは、ヴァルナは水の神、あるいは蛇の神と考えられているので、黄金の蛇を腹に巻きつけた少年神ミトラをミトラ・ヴァルナと呼ぶ。ヴァルナは雨を降らす神であり、自然界のすべての生産力の根源にあって世界創造をしてゆく神とみなされる。もちろん腹というのはフナ教で言う低自我であり、伏見稲荷の三社のうちの下社、そして水の巫女オオミヤノメの場所である。

 

・ヘレニズム時代には、ミトラ信仰はギリシャ化したので、現代では多くの人がミトラというと、ヨーロッパ的なミトラ信仰のことを思い出すはずだが、『ポイマンドレース』で説明したように、至高神は、世界を創造する造物主とわけられている。そしてミトラは至高神、ヴァルナは造物主とみなされている。ミトラは年嵩がいってもせいぜい17歳くらいまでのハイティーンの美少年として描かれ、これが花郎のイメージと結合したりするのだが、実際には両性具有で、そしてあまり重々しくない至高神である。オルフェウス教でも世界卵を生むヘラクレスは両性具有である。

『地底世界人は本当に存在した』 天国と地獄は地下にある

ティモシー・グリーン・ベックリー  徳間書店 2010/4/8

・アイルランドの民間伝承で、レプラコーンと呼ばれる存在は、周辺諸国では妖精やエルフとして知られている。1フィートから高くても3.5フィートをわずかに超える程度の身長しかない彼らは、地上の住人達が行っていることに興味深々で、時々まったく迷惑なことを行う。シューバーの支持者たちは、彼らは、洞窟に住む存在で(稀にだが)テレポート・メックによって地上に出現するという。

・アトランティス人の地下都市―それらは、多くはブラジルのサンタカタクーナ州、特にジョインビレ地域に存在している。発光する空飛ぶ円盤が「小人たちの地下都市」と「長身のアトランティス人たちの地下都市」のそれぞれから昇って行くのが目撃されている。

世界は空飛ぶ円盤が地下起源であることを知るだろう。

・アトランティス人が住んでいる地域がアフリカにもある。一人の大物猟師は、決して死ぬことのない「白い神々」が暮らしていると言われる辺境の高原について聞いたことがあるという。

・地球の表面化遥かに深くにある洞窟都市に地球人とは異なる生き物が暮らしていて、彼らは、地表に現れるときに、自分の姿を地球人には見えないようにする方法を知っている。彼らは、いつも地表をぶらつき、盗み取ったものを隠すために、地球人を恐怖の淵に沈めることを好んだのだ。

・空飛ぶ円盤は善意ある地底人たちの乗り物で、彼らは、核による大惨事から逃げてきた地上の住人が自分たちの土地にやって来ることを歓迎する古代アトランティス人の末裔であると信じた。

・地下世界が非物質という観点は、地球の中心部まで穴を掘っても、その存在を確認できないとする。

・空飛ぶ円盤が非物質的であることに注目し、「円盤非物質説」を研究したニード・レインは、第一人者である。それらは、不可視の文明―我々の周囲に存在するーによって、我々の領域に姿を現すものであると、彼は推論したのである。彼らが姿を現すことを選択すると、我々の規準系(3次元世界)において、それらは固形物質となる。そしてまた、意のままに不定形となって我々の世界から姿を消し、彼らの領域で再び現れるー。

・南極の開口部近くには「レインボー・シティ」と呼ばれる古代文明の中心地が存在した。現在のところ、そこは、250万年以前には熱帯だった。

・南極大陸を「世界の母なる土地」にした外宇宙から訪れた最初の移住者たちの(生まれ変わりの)子孫によって管理されている。

・レインボー・シティは、周りを囲む暖かい温泉で隔離、保護されているものの、完全に活動を停止させている他の六つの都市すべてと広大な地下トンネルで繋がっている。そして、その存在が発見されたり、部外者に不当に利用されるのを阻止するために1万フィートもの高さの氷の壁が都市の周りに作られ、その正確な所在がわかる人々だけが、アクセスできるようになっている。ここで圧倒的な高さを誇っている構造物は「レインボー神殿」で、古代種族たちのすべての知識が、そこにある大きな図書館と美術館に保存されている。

『世の中大転換に生きる50枚の重要カード』

中丸薫 船井幸雄     徳間書店 2011/3/12

<地球を支援してくれている惑星連邦のさらなる援助!>

・私たちの銀河系は12のセクション、あるいはセクターに分けられています。私たちの太陽系はセクター9に位置しており、このセクターには数百もの他の太陽系が含まれています。銀河司令部としても知られるアシュター・コマンドは、私たちの銀河内の数ある星系や次元からやってきた数百万もの宇宙船やボランティアたちから構成されています。銀河司令部は惑星連邦の一部で、銀河系のこのセクターを守っています。彼らの目的は、この惑星規模のアセンションの現サイクルを通じて地球を支配することにあります。

・アシュターは、私たちのセクターを担当する惑星連邦の司令官です。シルバー・フリート(銀艦隊)は私たちの太陽系を監視し、シャスタ山の内部にスペースポート(宇宙船基地)を持っています。シルバー・フリートは、主に地底都市から来た人々で構成され、テロス出身のアントンがその司令官です。

・アメリカ政府はテロスやその他の地底都市の存在を古くから知っており、特に1950年代以降、テロスやシルバー・フリートの情報にアクセスするため、内部に入り込もうと試みてきました。

『円盤に乗った青年のマジメな話』 

(昭和49年、北海道宇宙人事件の真相)

(平野威馬雄)(平安書房)

<ニコロでの記者会見>

田中:「小人の丈がだいたい1メートルくらい」

<タコのような宇宙人>

平野:「こんな感じ?・・・へえ、こんな、タコみたいなの?・・・そして、こんな、体中にブツブツのイボがあったの?」

田中:「ブツブツがいっぱい体中にあったのです」

藤原:「このブツブツは、ずーと体中、イボみたいになっていたんです」

平野:「ぼくもずいぶん宇宙人について書いたし、いろんな宇宙人の画も見たが、やっぱり、これと似ていたな」

<私の住む町に円盤か!?>

・よく『狐つき』に間違われたアブダクション(誘拐)・ケース

<藤原由浩君の独白><動き始めたマスコミ>

・藤原君を無理矢理、12チャンネルのテレビに出演させることになり、25日に数名のUFO関係者が集まった。四国までわざわざ介良村での怪小型円盤飛来の顛末を調べに行った林一男君、UFOの権威・荒井欣一氏、宇宙人らしいものをカラーで撮った浅野良雄君、日本大学教授・崎川範行氏、そして藤原君と小生が出た。『奥さん二時です』という川口浩司会の番組だったが、ほとんど時間がないので、何もいえずかえって誤解をまねくことになるのではないかと終って思った。

 が、とにかく出演後、放送局のロビーにNTVの矢追純一さんらがいてくれて、日本テレビか矢追さんの指揮のもとに、本格的な取り組みをして、適切な方法で取扱、放送ということに話が決まった。

・残念ながら、北海道をひんぴんとして飛ぶUFOリポートは、時日不足のため十分集めることができなかったが、いかに多くのUFOが、過去数十年間以来、北海道に現れたか・・・ということを記しておきたかっただけなので、その他、十勝上空や函館その他にも何百回となく出現している事実をもってしても如何に北限の地がUFOにとって楽しいコースであるか・・・が、わかってもらえると思う。

<北海道の新聞におけるUFO出現記事の多さ>

<北見の空はUFOの定期航路か><円盤と超能力とキツネツキ>

<由浩君円盤誘拐事件直後のインタビュー>

1メートルの小人の円盤にさらわれた!!

<北限の北見の僻村ニコロでのイベント>

<平野威馬雄さんと宇宙人のこと(横尾忠則)>

・平野氏の恐怖的電話の内容というのは、実は北海道に宇宙人が現れて、円盤の中に青年が連れ込まれたという事件が二日前に発生し、この事実をある放送局がスクープし、ニュースで放送すべきかどうかという相談がたった今、北海道の放送局からあり、その放送局は大混乱してなんとか平野氏に北海道まで来てくれないかと頼んでいるといった。ぼくにも一緒に北海道まで行きませんかというようなことだった。

『UFO遭遇と真実[日本版]』

(久保田八郎) (中央アート出版局) 1998/4

<旭川市郊外の夜空に展開した物凄い光景><目撃者;松村芳之>

<巨大な円形の物体、上富良野東方>

11時を少し過ぎた頃、突然I君が「あっ、あれは何ですか?」と指した。見ると遠方の見かけ上、低く見える山脈の山と山の間のすぐ上の空中に、まっ白い円のような物がポカリと浮かんでいる。だが、月にしては色が白すぎる。あんなところに月が出るはずはないのにと思いながら凝視していると、なんとその丸い物体がみるみるうちに膨らんで大きくなるではないか!しかもその輪郭はまるでコンパスに描いたように完全な円形なのだ。

その円形物体は膨らみながら次第に天頂の方へ移動してきた。そして、私達が、立っている場所を中心にして、ますます膨らみ続けた!唖然としている二人の上空を完全な円形の物は巨大な円となって、ほとんど全天を覆うばかりに拡大した。しかも驚いたことに、円形物の周囲の縁には太い白銀色の輪がはまったような状態になり、それが凄まじい輝度でもって正視できないほど強烈にギラギラと輝くのだ。「うわーっ、こりゃ一体何じゃ!」

『UFO・遭遇と真実[日本編]』

(久保田八郎)(中央アート出版)  1998/4

<UFOに乗ってエジプトまで飛んだ少年><目撃者;天中童(仮名)>

・ 四国・松山の5歳の少年が巨大な円盤に乗せられる。

<不思議なおじさんとの出会い>

・「坊や、出ていらっしゃい」。童坊やは起き上がると、そっと家の外へ出た。すると家のすぐそばに例の背の高い白い服を足元まで垂らしたおじさんが立っているではないか。「あ、また来た!」坊やは嬉しさのあまり笑顔で走り寄る。おじさんはとても優しくて温かい雰囲気を放っている。2メートルもある大男で頭は例のごとくオカッパ。顔は白人タイプで彫が深く、目は大きい。皮膚はツルツルして髭などはない。服装はアラブ人の着るガラベイヤという民族衣装に似たベルトのない足元まであるだぶだぶの服だ。髪も長く、靴も白くて、先がずんぐりした丸みのあるものを履いている。

<暗闇の中に巨大な円盤(直径40メートル位)が浮上>

<特殊な白い服を着ている男たち>

・どの男たちも、おじさんによく似た大男である。顔つきも白人タイプで、顔は金髪のオカッパ、服装も同じで白くて長いガウン。おじさんの服と違う点は、首と両腕の付け根の部分に丸い穴が開いており、そこから首と両腕を通して着るようになっていることだ。おじさんも船体の中に入ると長袖の服を脱いで、それに着替えた。

<金星人オーソンに酷似した人もいた!>

・ 男たちはみな若々しい青年ばかりで、五人だけは男だったが、一人だけ女のように見える人がいた。その人は、明るい茶色の上下続きの服を着ている。首の部分が丸く、腰には幅の広いベルトを締めている。下半身はズボン型で、裾の先は絞ってあって、長い袖の先も絞ってある。靴も茶色だ。この人だけは、他の人のオカッパと違って、金髪が異様に長く、両肩の後ろまで垂れていた。すごく綺麗な髪である。また、身長も他の人のように高くはなくて、160センチ、日本人の平均身長と同じくらいだった。

『妖精学大全』

井村君江    東京書籍  2008/7/28

<(デヴィル Devil)>

・3世紀にエジプトのユダヤ人が旧約聖書を翻訳するとき、diavoloをヘブライ語のサタンSatanに当てた。今日ではユダヤ教およびキリスト教神学の意をひいて、最高地位にある悪の精霊で人間の魂を誘惑して悪に陥れる人類の敵であり、神聖の敵。異教の神や偶像神をいう。へブライ語ではサテュロスsatyrsの意。悪質な幻獣類をもいう。

・ボルヘスはユダヤの悪魔についてこう言っている。「肉の世界と霊の世界の間に、ユダヤ人の迷信は天使と悪魔の数は算術の限界のとうてい及ばないものとなった。幾世紀にもわたってエジプトやバビロニアやペルシアがすべてのこの充満した中間の世界を豊かにしていったのだ」

・その姿に関する描写では『聖アントニウスの生涯』(360年)に次のようにあるのが最も古いものである。すなわちdevilはこの世に現れる際は人間や動物の身体を借りるが、なかにはさまざまな姿をとるものがあり、概して熊や猿のように大きく黒く、胴体は人間でも頭に山羊のような角をもち、足は馬や羊の蹄のようで尾もある。火・空気・土・水・地下・闇の中に棲むといわれる。また人間を7つの大罪に陥れるdevilは次のものである。

(1) ルシファー(高慢)(2)マモン(貪欲)(3)アスモデウス(淫乱)(4)サタン(怒り)(5)ベルゼバブ(大食)(6)リヴァイアサン(嫉妬)(7)ベルフェゴール(怠惰)

<(デーモン)>

・ギリシア神話において、神々と人間の中間の世界に存在する、神より劣った存在で、死んだ人間の魂をも含んでいる。中世では家に憑く守り神、家霊の意でも用いられていたが、17世紀ごろになると、evil spiritの意となり、devilと同じように悪い霊、悪魔の意味に用いられてくる。

・悪霊としての力をもつ超自然的存在のデーモンをアルフォンスス・ド・スペナは次の10項目に分類している。

(1) フェート(人の運命に携わるもの)

(2) ポルターガイスト(真夜中にものを壊し騒ぐもの)

(3) インキュバス、サッキュバス(男女を犯す夢魔)

(4) マーチング・ホスト(群れをなし騒ぎながら夜現れるもの)

(5) ファミリアー・デーモン(天使の姿をとって現れ、人間と飲み食いするもの)

(6) ナイトメア・デーモン(夢の中に現れて人間を苦しめるもの)

(7) デーモン・フォームド・フロム・シーメン(人間と交わって子をつくるもの)

(8) デセプティブ・デーモン(男または女の姿を借りて現れるもの)

(9) クリーン・デーモン(聖者のみに現れるもの)

(10) デーモン・フー・デシーヴズ・オールド・ウイメン(老女をだます悪魔)

<(天使)>

・ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神話の中で、善と悪を兼ねる存在の階級で神と人の中間のものである。「天使」という言葉はもともとギリシア語のアンゲロスAngelos(死者)に由来。

・天使学は古代ペルシアで発達し、ユダヤ教・キリスト教に入ってきた。イスラム教の神話の中にも天使は存在する。東洋神話には正確に天使に相当するものはない。しかし近いものとしては、仏教の「権化」や「菩薩」(悟りを開いた存在)と梵天(光り輝く者)である。人間と神々との間の仲介役で、人間や場所を守り、忠告を与えたりする。はじめ天使は、神によって創造され、神のメッセージを地上に運ぶ存在として描かれ、のちには神の指示によって行動する介添え者として描かれる。地上にいる間は人間として過ごすといわれ、ノアの洪水で全滅したといわれ、ネフイルム(脱落者)と呼ばれる巨人族をつくった。新約聖書では、神に挑戦し、天使の領域の3分の1とともに天国から落とされた天使のルシフェルについて語られ、これらの堕天使たちはサタンに率いられ、地獄の悪霊となった。カトリックの教義では、誰もがひとりの個人的な守護天使を生涯もっていると信じられている。

・キリスト教の天使の概念は旧約聖書が起源で、完全なヒエラルキー・システムになっている。まず固有の名詞を持つ7人の大天使――ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエル、シャムエル、ジョフイール、サドキエル。その統率のもとに49万6000人の天使が各階級に分かれている。第1集団は、熾天使、知天使(ケルビム)、座天使、第2集団は、主天使、力天使、能天使、第3集団は、権天使、大天使、天使、である。

・天使と会ったという経験は、現代世界においてもなお続いている。エマニュエル・スウェーデンボルグは、死者の魂を天使と呼び、神秘的な霊感の恍惚状態で天使とともに来世を訪れたという経験を語っている。天使はときには白い衣をつけた幻霊として現れ、ときには輝く白い光の玉のようになって現れる。

・現代の神智学では、天使は「自然の精霊」として妖精が経験と知恵を得て発展したものと考える。すなわち「エレメンタル」から「ノーム」へ、「エルフ」「フォーン」「ケルビン」「セラフイム」そして「天使」へと発展すると考えている。昔の民俗学者には妖精を堕天使と位置づけているものもいる。

<妖精の丘>

・アイルランドのダーナ神族は、後からやってきたミレー族と戦って敗れ、目に見えない種族となり海の彼方と地下に逃れ不老不死の楽園をつくった。ゲール語では妖精は「土の塚、丘」という意味のシーSidheという。英国、アイルランド各地に残る先史時代の遺跡ラース(円形土砦)、フォート(城砦)、バロー(土塚)、マウンド(土まんじゅう)、テュムラス(円丘)、ケアン(石塚)、ドルメン(石舞台)などは妖精の出没する場所といわれ、ボーナ谷にあるテュムラスなどは妖精への入口であると今でも信じられている。妖精丘はとくにシーヘンまたはノウと呼ばれ、スコットランドではノール、アイルランドではノックで、妖精丘の内部はブルーと呼ばれる。アーサー王やフィッツジェラルド伯といった英雄妖精は丘の内部で眠っており、聖ヨハネの日=ミッドサマー前夜の満月の夜にはお供を連れて丘を騎馬行列で巡るといわれる。

(妖精の国)

・名称――フェアリーランド、エルフランド、エルフハイム、異界・異郷、楽園、常若の国ティル・ナ・ノーグ

(位置・方向)

① 中世ロマンスの妖精国――森の中、山の頂、洞穴の中、地の下、湖・泉の下、海の中の島、海の彼方

② ケルト神話の他郷――海の彼方(常若の国)、波の下、海の中(至福の島)、丘の中(幸の原)、女護の島

この他、楽しき国、五彩の国、生命の国

(妖精の国の様子――)

・薄明かり、緑の草地、湧き出る泉、乳・蜜・香油・葡萄酒が流れる、リンゴ等の果実がなる、花が咲き良い匂いがする、小鳥が歌う、食べても減らぬ豚(アイルランド)、歌と踊りに明け暮れている、時間の経過が遅い(1日が10年、1か月が100年等)、不老不死、苦しみや悲しみがない、歌と踊り、城・宮殿・庭園、青銅・宝石・金・銀・水晶で飾られている

(妖精の国への生き方)

・「乗り物」――船、白馬。「道具」――敷物、杖、リンゴの枝。「案内人」――妖精の王、女王、妖精。「方法」――妖精に誘拐される、小鳥の不思議な声に誘われる、フェアリー・リングに入る、妖精の丘が開いて吸い込まれる、つむじ風に運ばれる。「途中」――曲がりくねる道、境の水を渡る、瞬時に行って帰る。

<(他郷思想(異界観)Other world)>

・この現実界(穢土、彼岸)では、しばしば妖精界(フェアリーランド)を指す。ケルト神話ではテイル・ナ・ノーグ(常若の国)といわれ、ダーナ神族がミレー族(現在のアイルランド人の祖先)に戦いで敗れて目に見えない国に逃れ、海の彼方につくった理想の国といわれる。この国は異界=アザーワールドOther world と平行して存在し、相互に交渉し合っている。接触できる特別な時は1日のうちでは真夜中、夜明け、夕暮れ時であり、1年では夏至祭(6月24日前後、ミッドサマーデイ)やサウイン祭(11月1日、ハロウィン)、ベルテイネ祭(5月1日、メイ・デイ)である。偶然にまどわしの草地に入ったり、妖精の輪に落ちたり、塚や洞穴から出入りすることも可能となる。この他、一瞬にして行くことも可能であり、船や動物(馬や亀など)によって導かれることもしばしばある。

・テイル・ナ・ノーグの国では年をとらず、花は咲き鳥は鳴き、歌と踊りと狩りに明け暮れる楽しいところとされる。竜宮や海の底の野原、テイル・ナ・ソルチャ(光の国)と同じともいわれている。このアザーワールドは妖精(丘の人)の領土とされるようになったが、あるときには黄泉の国と同じ世界とされる。

・総じてこの世にはない、若さと楽しみに満ちた美しい国とされるが、憧れの国であり、架空に創造された理想の国ユートピアにも繋がる。「桃源郷」、「極楽の国」や「エルドラード」、「シャングリラ」も同じように理想国である。ギリシアでは「アルカディア」(牧人の憧れの国)である。仏教界になるとこれが西方浄土と結びつけられ、黄泉の国の理想をともなってくる。また、現実界にない黄金を求めて「黄金郷」ともなり、たえず食物の出てくる「コカーニュ」の思想ともなる。総じてこの異郷思想は、この世で実現不可能な国を憧憬する極みに出現する、架空の理想の国の姿であろう。

『般若心経の宇宙論』

(コンノケンイチ)(学研) 2006/11

<出口王仁三郎(おにさぶろう)の大霊界を構成する10の法則>

1、すでに、私達は、霊界に生きているし、だれでも霊界と通じている。我々は、あの世の記憶を消去されているので、自分がどこから来て、どこに帰るのか分からないでいる。いつも、私達は、霊界から監視され、その影響下にあることを忘れてはならない。

2、霊界で起こることが、時をおいて現界に移写される。人間は、絶えず霊界と通じ合い、そこからの干渉を受けつつ生きている。したがって、この世に現象として現れる全ては、霊界からの投影だといえる。ただし、霊界での動きが主で、霊界で起こらないことは、地上でも起こらない。また霊界で起きた事がそっくり地上に移るのではない。

3、霊界とは個々人の意思と想念の生み出す世界である。霊界は波動の世界で、個々人の持っている想念がストレートに現象化する世界である(これが量子物理学の“波束の収縮”である)。

4、個人の想念(霊質)に応じて無数の霊域が存在する。何事も霊界に本源があって、そこでの思念がこの世の人間や物質に反映され、それがまだ、反射的に霊界にフィードバックされていく、というものである。

5、霊界では、似た者同士が相交わり、集団を形成している。同じ境域に住む者たちは、同じ質のバイブレーションを有していることになる。

6、この世で言う、時間・空間の概念は霊界にはない。霊界では、太陽は動かず、天の一点に留まっており、その明るさは、変化がなく、地上のような四季もなく周囲もあまり変化しない。

7、霊界には無限に近い階層があり、神(界)に近いかどうかで高低が決まる。高い霊界の境域は天国界(仏教で言う神界、仏界)で、中階層が精霊界、低い境域は地獄界(修羅、餓鬼、畜生界)で上に昇るほど神の領域に近づいていくが、それは宇宙そのものである。最高神、仏教で言う大日如来に象徴される。

8、神界が遠い霊界はまもなく消滅させられる。今までは、必要悪として許受されていたが、まもなく“神より遠く離れた霊界”すなわち地上界(現世)と隣接する幽界(バルドー)、その大本である地獄界は淘汰され消滅することになっているという。この世が如何に天国界の姿から、かけ離れて地獄界のそれに近いものになっているかは、現今の世相を見れば、簡単に理解できるだろう。

9、人類に降ろされる終末予言は全て霊界に端を発している。預言はすべてが近い将来、神から離れた人類の終わりを警告している。つまり終末とは、「神から離れた霊界」の淘汰を意味しているのだ。

10、この世はすべて神より遠く離れた地獄界からの干渉を強く受け入れるようになってきており、そのため、まもなく、幽界とともに淘汰されることになっているというのだ。ただし、人類全部ではなく、一部は神界に引き上げられると言う。

<出口王仁三郎は、次のように言う。>

・ 霊界とは執念の世界であって時間・空間を超越した絶対世界である。この世は全て神霊世界の移写であり、また縮図である霊界すなわち精神世界の事象を映し出したのが現界すなわち地上界で、ゆえに現世を称してウツシ世(写し世)という。

・ 人類終末の予言者たちは、その原型を霊界からのバイブレーションで垣間見て元型の霊界がこの世で顕在化されて現象として具現化されることを知っていたのである。

<私達は、現世で霊質を上げることが出来る。>

・ 霊界の天国には天人や天使が住み、最下層には地獄界の住人が住んでいる。そこでは皆が固有の同一バイブレーションの霊域にあるため、個々の霊質の変化は困難と言われている。しかし、現世ではだれでも全霊界と通じているので、自分の想念次第で霊質を上げることが十分に可能である。

<そうしたことを王仁三郎は、次のように述べている。>

・「全ての人は、死して後、天国浄土に昇りに行く。無限の歓喜に浴すべき、人間特有の資質なり。暗黒無明の生活を送るものほど悲しみの深きものこそ無かるべし。

第一、 死後の生活に対して無知識なることは、悲哀の中の悲哀なり。」

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