ほぼ確実に言えることがある。日本は間もなく、インドに追い越される。(1)

 『沸騰インド』 超大国をめざす巨象と日本 貫洞 欣寛  白水社  2018/5/26 <日本は間もなく、インドに追い越される。> ・ほぼ確実に言えることがある。日本は間もなく、インドに追い越される。 インドは今、急速な経済成長を続けている。現在の7パーセント台成長を維持すれば、10年ほどで日本の国内総生産(GDP)を総額で追い越し、米国、中国に次ぐ世界3位の経済大国になることが予測されている。 ・さらに国連の推計では、人口面でも2022年までに中国を抜き、世界最大の国となる。「一人っ子政策」のような人口抑制政策を行なってこなかったため、社会の高齢化がすでに問題となっている中国を尻目に、今後も労働人口の膨張と人口ボーナス効果が続き、成長の追い風となることが予想される。  中国が日本のGDPを追い抜いたのは2010年のことだ。 <インドの核戦略> ・「核ドクトリンを子細に検討しアップデートし、現状の課題に見合うように見直す」 BJP(インド人民党)がこんな選挙マニフェストを発表して世界に衝撃を与えたのは、インド総選挙の初日、2014年4月7日のことだった。 インドはこれまで、「生物・化学兵器による攻撃を受けた場合を除き、核兵器を先制攻撃には使わず、報復のための手段とする。非核兵器保有国にも核攻撃は行わない」とするドクトリンを公表していた。事前にBJPの優勢が伝えられていただけに、核兵器保有国インドでもモディ率いるBJPが政権を握って核ドクトリンを見直すことになれば、国際情勢に与える影響は大きい。 ・インドが核兵器の保有を宣言したことになる核実験は、パキスタンの核実験を誘発、南アジアで核軍拡競争の幕が開いた。日本などの事実上の経済制裁を受けたバジパイ政権は、制裁を緩和するねらいもあり、1999年に「核兵器は先制攻撃に用いず、周辺国の大量破壊兵器による攻撃を防ぐため、反撃の手段としてのみ保有する」とのドクトリンを打ち出していた。  インドは核兵器の所在地や保有量を一切明かしていないが、ストックホルム国際平和研究所は、インドが120~130の核弾頭を保有していると推計している。弾頭ミサイルなどに常時装着せず、非常時に政府の決定を受けてから組み立てることになっている模様だ。 ・インドは今も、民生用とは別のサイクルで、核兵器用の核物質の製造と管理を続けている。その実態は、闇に包まれている。これが、日本が原子力協定を結んだ相手の現実である。  インドは高度なミサイル技術も持っている。核を運ぶ手段であるインドの弾道ミサイル開発は、宇宙ロケット開発と密接に関係している。ロケットとミサイルの基本技術は同じであり、弾道ミサイルの場合、大気圏に再突入するときに帯びる熱に耐ええる技術を開発する必要があるという点が最大の違いだ。  インドは2014年、5000~5800キロの射程を持つ大陸間弾道ミサイル「アグニV」の発射に成功した。中国全土はおろか、ロシア東部や中東、中央アジア、発射位置によっては朝鮮半島と日本も射程に入る。現在の国際情勢でインドが日本に核ミサイルの照準を合わせることは考えられないが、その能力をすでに持っていることは間違いない。 ・インドはさらに、多弾頭を搭載し、射程は8000~1万キロとされるアグニVIの開発も進めている。欧州全土やアフリカ大陸、さらにオーストラリアや北米大陸の一部にも到達できることになる。 ・同時にインドは、安価なロケットの打ち上げで世界の宇宙ビジネス市場に参入を果たしており、キャノン電子など日本企業もインドに衛星の打ち上げを依頼している。  インドの強みは、「フルーガル・エンジニアリング」という考え方を導入していることだ。これは、新規プロジェクトごとにコストを度外視して最新技術を開発するのではなく、倹約して既存の技術を使い回し、コストを抑えるという考え方だ。 ・一方、インドでは当時、核戦略の見直しを歓迎する声も上がった。インド政策センターのシニアフェロー、バラト・カルナドもその一人だ。 ・――核ドクトリンの見直しは行うべきか。 (カルナド) 行うべきだ。そもそも、ドクトリンの内容を公開すべきでなかった。公開したことによって曖昧さが失われ、インドの核抑止力は低下した。核攻撃や大規模侵略に対し、こちらがどう対処するかわからないということが、抑止力を生むのだ。また、先制不使用ということは、インドは一度、核攻撃を甘受しなければならないということだ。国民の犠牲に目をつぶる国が、世界のどこにあるというのか。  もし核ドクトリンの見直しが行われるとしたら、今度は内容を公表すべきではない。 ・――各国との原子力協定への影響も起き得る。 (カルナド)構わない。正直言って、私は米国やフランス、そして日本との原子力協定そのものを不要だと判断しているし、マンモハン・シン政権が米国との協定を結ぶ際にも反対した。ドクトリンの見直しでこうした国々との協定が廃棄されても、インドは困らない。 ・インドの核戦略は、パキスタンを主眼に置いたものではない。パキスタンは小国にすぎない。主な対象は中国だ。中国はチベットに膨大な数の戦略拠点を設けており、軍事物資も集積している。30の部隊を28日間で動員できる能力がある。われわれには、こうした中国軍の侵略を止める通常戦力がない。核に頼る必要があるのだ。たとえば中国軍5万人が侵攻したら、われわれにできるのは山を吹っ飛ばして道をふさぐこと程度にすぎない。非常時の手段として戦術核兵器も必要だ。 ――本当にドクトリンを見直せば、米国などの経済制裁も考えられる。 (カルナド) なぜ米国が1998年の制裁を解除したかを考えてみればいい。失敗したのだ。米国がインド市場から去っている間に、韓国の自動車メーカーが市場を奪い、損をしたのは米国だった。もはや19世紀ではない。経済制裁は機能しない。インド市場に参入したい国はいくらでもあるのだ。 ・2010年に成立した原子力賠償法は、1984年にインド中部ボパールで、米ユニオンカーバイド社の農薬製造工場で起きたガス流出事故が、導入の理由の一つとされていきた。  この事故では、50万人以上が猛毒のガスで負傷。当初の公式発表では2200人余りが死亡したとされたが、実際の死者はさらに多いと見られている。ところが、事故を起こしたユニオンカーバイドは吸収合併を経てすでに存在しておらず、被害者への補償は十分行われていないままだ。刑事責任の追及もうやむやのうちに終わった。インドで事件への怒りは今も強く、原子力事故が起きた場合に外国企業の責任を厳しく追及する賠償法の成立は世論に歓迎された。 ・インドとの原子力協定締結について、日本で批判の声が強いのは被爆国としては当然だろう。だが、増えるエネルギー需要に対し、地球環境を考えた場合に、石油燃料の消費を抑えるための現実的な手段として原子力が存在することを忘れてはならない。原子力の安全性は高まっており、今やサウジアラビアまでも原子力発電を考える時代なのだ。 <インドのエネルギー戦略> ・膨大な電力需要に対し十分な供給・配電能力を持っていないインドは、さまざまな手段で発電能力を増強しようとしている。インドは総発電量を現在の300ギガワットから2040年には1100ギガワットまで増やす計画だ。うち、原発は32年までに40基増設し、さらに50年には電力供給の4分の1を原子力で賄う計画を立てている。  インドがもう一つ期待をかけるのが、太陽光発電である。 ・インドには、電気のない暮らしをしている国民が億単位でいる。モディ政権は、発電能力の向上と送電設備の改善などを通じ、こうした人びとが暮らす地域を電化しようとしている。 <教育――「英語・IT大国」の実像> <「英語・数学大国」の実像> ・インドといえば、「英語と数学の大国」と言われて久しい。日本ではインド人に対し、一般的には訛りがありながらも弾丸のように早口の英語をガンガンと議論する人びと、というイメージがある。  それでは、実際にインド人の何割が英語を話せるのだろうか。8割? 半分? それ以下?  インド政府によると2001年の国勢調査では、英語を「第一言語」と答えたのは当時の総人口10億の0.02パーセントに当たる約23万人、第二、第三言語として英語を話すと答えた人まで含め、人口の約12パーセントだった。 ・その後の国勢調査では言語状況が取り上げられておらず、全国規模の統計はない。一方でインド応用経済研究所(NCAER)の研究者らが2013年にまとめたインドの高等教育に関する調査報告などによると、今のインドで英語を流暢に話せるのは、4パーセントほどだという。「一定レベル話せて意思疎通できる」とまで定義を広げると、その数は20パーセントほどとみられる。  この「4パーセント」「20パーセント」という数字をどう考えるか。これが、インドに対する見方を大きく分けるのだ。  12億超というインドの総人口からいえば、「4パーセント」は5000万人を超え、スペインの総人口を上回る数だ。さらに20パーセントとなれば2億人を超える。 ・実際にインドでは、司法、立法、行政、そしてビジネス界で、英語が「エリートの言語」「共通語」として確固たる地位を得ている。その大きな理由としては、インドが多言語社会であることと、英国による植民統治の影響の2つが挙げられる。  インドでは、2001年の国勢調査で1600を超える言語が確認されており、各州の公用語だけで22もある。デリー(ヒンディー語)、ムンバイ(マラーティ語)、チェンナイ(タミル語)、コルカタ(ベンガル語)、ベンガルール(カンナダ語)と、インド5大都市の主要言語はすべて異なる。ルピー札も表面は英語とヒンディー語で額面が記され、裏面はアッサム語、ベンガル語、グジャラート語など15の各州公用語で表記されている。 ・エリートの世界の入り口となる大学での授業も、人文学や社会科学の一部を除き、おおむね英語で行われる。とくに理学、工学、医学はほぼ全面的に英語だ。各地から集まる学生の母語が異なるうえ、日本のように翻訳が盛んでないため、教育や研究に必要な専門書が欧米で出版された英語の原書のまま用いられていることも、その理由に挙げられる。 <「4パーセント」の世界> ・デリーにある教育計画行政大学の調査では、初等・中等教育のうち英語で教える学校に通う生徒数は2013年度までの5年で約2倍となり、約3000万人。デリー首都圏では約49パーセントが英語校に通う。その多くが私立だ。公立でも英語教育の学校はあるが、公務員の子どもたち向けの学校など都市部の「エリート校」などが中心だ。 <横行するカンニング> ・インド政府の調査では、2010年に小学校5年生までに学校からドロップアウトした児童は27.4パーセント、10年生までとなると49.2パーセントにのぼる。 ・インドで流暢に英語を話し、高度な学力を持つ人は年々、増えている。だが、そういう教育を受けられないまま、地方に暮らす多数の貧しい人びとの置かれた現実は、依然として厳しい。インド政府は独立以来、教育の普及を第一目標としてきた。こうした努力の結果として、インド政府の統計では識字率は1991年の52パーセントから、2011年には都市部で84パーセント、地方部で68パーセントまで上昇した。だが、まだ100パーセントには遠いうえ、産業化の進展に伴い、量だけでなくその「質」も大きく問われるようになってきた。 <日本の大学も、インドからの優秀な留学生を招こうとしている> ・文部科学省は2008年に、2020年までに優秀な留学生を各国から30万人集める「グローバル30」事業を始めた。日本社会の少子高齢化、さらに若者の「理系離れ」が進むなか、日本がこれまで優位を保ってきた科学技術の分野でさらなる発展をめざせるような人材を得て、日本の大学や企業の国際的競争力を高めようという戦略だ。 <インドで進む「太平洋ベルト」構築> ・製造業を振興して成長のエンジンとするため、インドでは日本の「太平洋ベルト地帯」をモデルとした産業地帯の建設が進んでいる。  デリー首都圏と西部の商都ムンバイ間約1500キロを貨物専用鉄道で結び、沿岸の両側150キロで産業開発地域を行い、工業用地や住宅地、商業用地、さらには港湾や空港まで建設する。「デリーームンバイ間産業大動脈(DMIC)」という名のプロジェクトだ。 <インドの窮地を救った日本> ・日印が接近するきっかけとなったのは、1991年に起きたインドの経済危機だ。  外貨準備高が底を突き、デフォルト(債務不履行)の直前にまで追い込まれたインドに手を差し伸べたのが、日本だった。3億ドルの緊急借款と、アジア開発銀行からの1.5億ドルの協調融資で、インドは危機をしのいだ。 ・1998年3月に政権に就いたBJPのバジパイ首相は経済開放をさらに進める路線をとったものの、同年5月にパキスタンとの軍拡競争に触発されるかたちで核実験を行い、パキスタンも核実験で対抗した。広島・長崎の被爆体験がある日本政府はインドに対して即座に強く抗議し、駐印大使を一時帰国させ、新規の円借款を中断、関係は冷え込んだ。  日印関係がふたたび雪解けしたのは、2000年の森喜朗首相訪印だった。 ・インドはすでにBRICSの一角として世界的な注目を集め、パキスタンとの経済力の差は大きくなっていた。さらに安倍が念頭に置いていたのは、台頭する中国とのカウンターバランスと、インドの南方を走る日本のシーレーン防衛だった。インドは1962年に国境をめぐり中国人民解放軍と戦火を交え、敗れており、中国への警戒感はきわめて強い。中国という「共通のライバル」を前に、日印が連携を強めるという安倍の戦略は、インドでも一定の歓迎を受けた。  安倍は日印関係に「戦略的」という言葉を加えて一段階格上げし、「戦略的グローバル・パートナーシップ」とした。さらにインド国会で「2つの海の交わり」と題した演説を行った。 <日印協力のモデル、デリーメトロ> ・デリーメトロはその後も路線の建設を段階的に続けており、2017年現在で7路線、総延長218キロとなり、路線の長さでは東京メトロ(195.1キロ)を超えた。 ・デリーメトロの成功を見たインドの各主要都市は、次々とメトロの建設に乗り出した。 日本への支援要請も相次ぎ、ムンバイ、コルカタ、チェンナイ、ベンガルール、アーメダバードのメトロ建設事業で、円借款が行われた。 <インドに新幹線が走る日> ・建設されるのはマハシュトラ州ムンバイとアーメダバード間約500キロ。東海道新幹線(東京―新大阪)とほぼ同じ距離を、最速2時間7分で結ぶ。設計最高速度は350キロだ。 <原発とのバーター取引> ・新幹線の売り込みはさらに、もう一つの外交課題と連動していた。原子力発電をめぐる協力である。 ・インドは総発電量を現在の300ギガワットから2040年には1100ギガワットまで増やす計画だ。国内の石炭資源に恵まれており、石炭による火力発電が全体の6割を占めている。インドは同時に中国、米国に次ぐ世界第3位の温室効果ガス排出国として、排出抑制も国際的に求められている。実際に気候変動による沿岸部での洪水や内陸部の旱魃、ヒマラヤの氷河の解け出しなどの環境リスクも抱えており、アジア開発銀行は2014年、このまま化石燃料を使い続ければ2100年までにインドは年率最大マイナス8.7パーセントの経済的影響を受けるとの報告書を出した。環境面でも石炭火力発電を増やし続けるわけにはいかなくなっている状況だ。 <多様性> ・インドを一言でくくるとすれば、「多様性」という言葉しか思い浮かばない。  13億近い人びとと22の公用語。そしてヒマラヤの氷河から砂漠、密林、珊瑚礁の島まで広がる広大な国土が織りなす多様性は、一冊の本で伝えきれるものではない。  それを前提としたうえで、「本格的な経済成長を遂げようとするインド」「外交・軍事面で広がろうとするインド」「英語とITの大国インド」という日本をはじめ各国で注目を浴びている面と、「世界最大級の格差とカースト差別を抱え、それがなかなか解消の方向には進まないインド」「物事が決して計画どおりには進まないインド」という国内の課題面に切り分けて取材した内容をまとめたものが、本書だ。 『最後の超大国 インド』  元大使が見た親日国のすべて 平林博    日経BP社    2017/6/22 <北京の地下壕見学> ・筆者は、1974年から76年までの文革末期に、北京の日本大使館に1等書記官として勤務していたので、反覇権主義については生き証人の1人だ。  当時の北京には、地下にめぐらしたトンネル網が網の目のように広がっていた。核攻撃に備えたシェルターの役割と同時に、ソ連の侵入に際し、ゲリラ戦の基地にしようとしたのである。毛沢東主席は、ソ連に侵略されても、結局はお得意の人海戦術のゲリラ戦により勝つと豪語していた。  信じられないかもしれないが、外交官である筆者なども、夫人同伴で、地下壕を見学させてもらった。当時の中国には娯楽などはなく、外国人が行けるレストランも1ダース以内であったから、地下壕見学の招待には、みな喜んで応じた。雑貨屋の入り口を入ると地下壕への入り口があり、下りていくと長いトンネルのところどころに食糧備蓄庫などがあった。 <2025年に中国を追い越す> ・インドの人口は、現在では12憶3000万人と推定されており世界第2位だが、2025年頃までには中国を追い越すと予想されている。 <カースト差別との戦い> <違憲・違法だが根強い> ・国内的にも国際的にも発展著しいインドだが、大きな弱点がある。カースト差別の慣行だ。  カースト制度は、インド独立当時に制定された憲法で違憲とされて以来、法的には違憲・違法だが、社会的慣習として広く深く残っている。特に、農村部など政府の目の届きにくいところで顕著である。  政府は、この差別をなくすために、下層カーストのための優遇措置などを講じてきた。一定の成果は上がっているが、まだ十分ではない。インド人は、相手の風貌や名前からある程度カースト階級を推測できるらしいが、我々外国人には難しい。難しいが、よく理解しておかないと、インドでの活動やインド人との付き合いで苦労することになる。 <カースト制度とは?> ・カースト差別は、紀元前1500年頃、アーリア民族がインド亜大陸の北西部から侵入を開始し、もともと在住していたドラヴィダ系の民族を征服していく過程で成立したと言われている。カーストとはポルトガル語のCasta(血統)を表す語からきている。インドではヴァルナ(Varna)と称される。4つのヴァルナとその下にあるアウト・カーストがある。  その名が示すように、カースト制度は、アーリア人がドラヴィダ人など原住民と区別し、自らを上位に置く制度であった。肌の色や血統による差別であるが、時代を経るにつれて制度化され、また職業によりヴァルナの中が細分化されていった。職業別の階層は、ジャーティないしサブ・カーストと呼ばれる。ジャーティの数は、数百とも数千ともいわれるが、厳密には数えきれない。 ・カースト制度は、厄介なことに、宗教と結びついている。アーリア人が持ち込んだ原始宗教は思想的に整備され洗練されて、バラモン教となった。バラモン教が形骸化すると、紀元前5世紀に仏教やジャイナ教といった改革宗教が起こった。主な動機の一つは、バラモン教の形骸化、特にカースト差別への反発であった。仏教は、その後、マウリア王朝のアショカ大王によってインド全土に広まった。支配階級や商工業界層には仏教に帰依するものが多かった。他方、バラモン教は民間信仰なども取り入れてヒンドゥー教へと変身した。  ヒンドゥー教は、カースト制度と密接に結びつき、支配階級や上層階層には極めて都合の良いものであったため生き残った。 ・4階層のヴァルナは、次のようなものである。  トップ界層は、ブラーミン。僧侶階層とされる。ヒンドゥー教を守り、宗教儀式を司り、経典の解釈を担当し、下の階層にヒンドゥー教を説く役割がある。ヒンドゥー教を守る聖なる役割を担当するので、ブラーミンを殺すことは特にご法度だ。もっとも、近代になると、ブラーミンといっても僧侶に限られることなく、政治家、官僚、企業経営者、学者など各界で活躍している。 ・次は、クシャトリア。王族、貴族、軍人などである。現在でいえば、政治家、官僚、軍人である。彼らの活躍の場も大きく広がっている。  第3は、ヴァイシャ。平民階層と称することもある。商工階層と上層部の農業階層が属する。今では、彼らの中からも政治家や官僚が輩出されている。 ・第4は、スードラまたはシュードラ。以前は、隷属民という訳もあった。農業従事者の中でも小作人、中小の商工業、下働きのサービスの従事者などである。彼らの中からも政治家などになるものも少なくない。 ・この4つの下にダリット階層がある。以前は、不可触民(アンタッチャブル)ないしアウト・カースト(文字通りカーストの外)と言っていた。 ダリットも、後述するように政治の世界に進出している。 ・カーストはヒンドゥー教と一体化しているので、ヒンドゥー教にはカーストが一生ついて回る。職業を変えることも難しい。インド人の中では、表だって言わなくても、常に「自分はなに階層」「あの人はなに階層」という意識が離れない。 ・階層としてのカーストは依然存続するが、職業は必ずしも昔のようにカースト別にはっきりと分けられるものでなくなった。 <カースト政治> ・ここ数十年来、インドの政党政治には、カースト慣行が強く影響するようになった。低カーストは、とかく軽視されがちな自分たちの利益を守るために、政党をつくり政権を担うようになった。俗に、カースト政治と称する。 <カーストをめぐる悲劇> ・カースト差別をめぐる悲劇は、今日のインドでも後を絶たない。  一番多いのは、結婚をめぐる悲惨な事件だ。カースト慣行によると、原則として結婚は同じカーストの間で行われるべきものとされる。ブラーミンの男子はブラーミンの女子と、ダリットの男子はダリットの女子と、といった具合だ。インドでは、原則として見合い結婚なので、親も仲人も同じカースト同士でアレンジする。  恋愛結婚によりカーストの上下にまたがる場合、男子が上位カーストの場合は順性婚、女子が上位カーストの場合は逆性婚と呼ばれる。前者は、白い目で見られるが、かろうじて許容される。しかし、後者は、許されない結婚である。周囲からは仲間外れにされる可能性が高い。場合により、二人ないしどちらかが、親や親戚などにより殺されるケースもある。そのような悲惨な事件は新聞に時々掲載されるが、これは氷山の一角であろう。田舎に行けば、偏見が強い分、多くの悲劇が起こっていると思われる。  インドの新聞の日曜版は、特に分厚い。結婚欄が、10ページぐらいある。カーストなどによって分類されて掲載されている。 ・最近では、村落にもテレビやパソコンが入り、個人がスマホを持つ時代になった。虐げられてきた下層カーストたちも、世の中の情勢を知るようになった。 <低カースト救済のための留保制度> <ダリットからの脱出> ・ダリットのための留保制度などはあるが、日常生活や職業における差別は根強い。特に耐え難いのは、「同じ人間」として扱われないことである。そのような現実から脱する手段を選ぶ人もいる。カースト慣行はヒンドゥー教と表裏一体であるので、一番手っ取り早いのは、ヒンドゥー教に「さよなら」を言うことである。仏教、キリスト教、イスラム教、シーク教にはカースト制度はない。 ・インド政界では、ダリット出身者が実力で出世し権力を持つことが少なくない。 <第4次印パ戦争の瀬戸際に立つ> ・筆者が駐インド大使であった頃にも印パ間で武力紛争があり、戦争の瀬戸際まで行ったことがある。 <インド人の日本観> <『スラムドック$ミリオネア』原作者の日本駐在談> ・東京は世界で一番レストランが多いが、1人当たりの自動販売機もそうだ。技術は生活の不可分の一体をなす。世界最古のブレット・トレイン(新幹線)、ウォシュレット、耐震・免振のビル、空港でのペーパーレス・チェックイン、ロボット式の駐車場、バーやレストランのタッチ・スクリーンのメニュー、ロボット式の電気掃除機、さらには真四角のスイカも!  日本の都市は最も組織化され、最もクリーンだ。公共交通も発達している。早くて便利で時間に正確だ。郵便と宅急便の配送システムは、驚異だ。 <インドは宗教の百貨店> ・2011年の国勢調査によると、ヒンドゥー教徒が79.8%、イスラム教徒が14.2%、キリスト教徒が2.3%、シーク教徒が1.7%、仏教徒が0.7%、ジャイナ教徒が0.4%、ゾロアスター教徒が6万人強となっている。 <カースト制度に要注意> ・特に理解しておかなければならないのは、カースト制度である。他国にはない独特の差別制度であり、かつ根が深いからだ。自分が交渉するインド人、パートナーとなるインド人、雇用するインド人がどのカーストに属するかは、理解しておく必要がある。もちろん、それによって扱いを変えるということではないが、知らないと困ることもある。  日本人は「みな平等」と考える教育を受けているし、日本社会はそうである。だからカーストの慣行には多くの日本人は戸惑う。どう扱ってよいか、慣れるまでは苦労するかもしれない。  日本の進出企業は、事務所内でも工場内でも、「ここは日本なのだからカーストはなし」との意向を徹底しているようだ。インド人従業員は表向きそれに従うが、彼ら同志ではカーストを常に意識している。日本人管理職がインド人社員の出身カーストを間違って対応すると、ややこしいことになる可能性がある。したがって、社員の人事については、よくわかったインド人に任せるのがよいことが多い。 <宗教について敏感であれ> ・ヒンドゥー教徒は、最寄りのヒンドゥー寺院にはお参りするが、仕事上の配慮は特に必要ない。キリスト教徒や仏教徒も、うるさいことは言わない。  しかし、イスラム教徒は、毎日5回、メッカに向かって(インドから見れば西に向かって)礼拝することが義務である。礼拝時間が来れば、それを許さなければならない。工場内には、モスクとはいかないが、どこかに礼拝場所をつくっておく必要がある。  インド人は政治論議が好きだが、宗教の話はしないほうがよい。 <菜食主義の奥にあるもの> ・食事に注意することも必要だ。衛生問題ではなく、菜食主義者(ベジェタリアン)かノン・ベジェかについての注意だ。  インド人にはベジェタリアンが多い。日本人のように、健康上の理由ではない。宗教上の理由だから、尊重する必要がある。 ・菜食主義者の中でも、程度がまちまちなので、さらにややこしい。卵はOKという柔軟な人もいれば、NOという人もいる。  極端なのは、ジャイナ教徒だ。ジャイナ教徒の中でも特に厳格な人は、野菜といっても、根菜類(ニンジン、大根、かぶ、ジャガイモ、サツマイモなど)はご法度だ。筆者によれば、理由は2つ。根菜つまり植物の根を食べてしまえば、その植物は死ぬからNO,葉っぱや果実を食べるのはOKというわけだ。第2の理由は、根菜類を採取する際に、地中の虫(例えばミミズ)を殺してしまう恐れがあることだ。ジャイナ教では殺生は厳禁なのである。   『幼児化する日本は内側から壊れる』 榊原英資   東洋経済新報社   2016/3/30 <人間の幼児化> ・物事を単純に白だ黒だと決めつけて、どちらかを一方的に攻撃する、他人は自分の思い通りに動くものだと思いこむ――そうした考えを持つのは、人間の幼児化です。クレーマーの増加はその表れでしょう。それに対する企業も、しばしば「謝りすぎ」ではないでしょうか。リーダーである政治家の言動にも幼児化が見受けられます。  人々の知的な退化が進み、日本が内側から壊れてしまうことを、いま私は危惧しています。 <為替・債券のプロの人生哲学> <「確実なものなどない」、「市場はわからない」> ・金融の世界でいえば、投資家のジョージ・ソロスも「解答は必ずしもない」ということを知っている人です。彼はカール・ポパーの弟子ですから、同じような考え方をするのは当然ですが、「人間は必ず過ちを犯す。それを意識することが非常に重要だ」と強調しています。 <一般の日本人に一神教の理解を迫るのは無理> ・いま、過激派組織ⅠSと欧米・ロシアの戦いが、世界に多大な影響を与えています。経済問題も絡んでいますが、イスラム教対キリスト教の宗教対立がやはり大きな背景となっています。さらに2016年初頭、イスラム教国であるサウジアラビアとイランが国交を断絶しました。原油安 に起因する経済問題が引き金となりましたが、それぞれの国の多数派がイスラム教の異なる宗派であることも亀裂を深くしました。  ただし、そうした報道に接してもいまひとつピンと来ないというのが、一般的な日本人の感想ではないでしょうか。 ・世界地図をみて気づくのは、インドから東はヒンズー教や仏教など、多神教あるいは複数の神がいる宗教の国が多く、中東から西はイスラム教やキリスト教など一神教の国が多いということです。いま、国際政治を揺るがせているのは後者の地域で、日本人には地理的にも宗教的にも遠い感じがするのは致し方ありません。 ・このように外来の宗教と対立せずにそれを受け入れる風土は、日本がもともと森羅万象に八百万の神がいると考える多神教の国であったことと関係が深いのです。多神教の国には、新しい宗教が伝来して神様が1人増えたところで大した違いはないという、大らかな感覚があるのではないでしょうか。 ・これほど違うのですから、現代に生きる私たちに今日、一神教世界で起こっている争いを完全に理解しろというほうが無理です。しかし、私たちは自分たちとはまったく違う思想や行動規範を持つ人々がこの世界に何十億人といるのだ、という事実は認めなくてはなりません。 <神様の数だけ正義があると考えるのが日本流> ・唯一の神を信仰する一神教では、異教徒は排除すべきであるので、神の名の下に異教徒を殺していいことになってしまいます。他方、多神教の場合にはそこまで絶対的な信仰を持っていませんから、相手を殺してまで貫くべき正義があるとは考えません。 <日本人のあいまいさは欧米人には受け入れられない> ・キリスト教ではこの世の終末にキリストが再臨し、この世に生きたあらゆる人を裁き、永遠の生命を与えられる者と地獄に堕ちる者とに分けるといわれています。すべての人が白か黒かはっきりと決められてしまうのです。  仏教はそうではありません。親鸞が開祖の浄土真宗には悪人正機という思想があります。「悪い奴もまた救われる」ということだと説明されたりしますが、仏からみればすべての人々が平々凡々たる「悪人」なのだから、それを自覚した者は、衆生(すべての生き物)を救いたいと思っている仏の救済対象になる、という考え方です。  この違いは、絶対主義と相対主義の違いともいえるでしょう。要するに、何かが絶対的に正しいということをいえば、当然そうでないものは滅ぼさなければいけないという理屈になってしまうのです。 <70年間、憲法改正をしなかった国民性> ・イエス・ノーをはっきりさせず、あいまいなままで受け入れるという日本人の性質は、2015年9月の安全保障関連法の成立の際にも表れました。  安倍内閣はそれに先立つ2014年7月、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更を閣議決定しました。関連法はそうした解釈を土台としたものです。日本的なあいまいさが放置されたのは、この点です。政府は憲法が集団的自衛権の行使を認めているかどうかについて議論を尽くさないまま、関連法案を国会に提出し、成立させてしまったのです。  関連法案はそうした経緯で作られたものですから、国会での審議で憲法学者から「違憲だ」という指摘が出ましたし、国民からも憲法解釈と日本の武力行使のあり方の両面から大きな反対の声が上がりました。  この問題は日本の武力行使に関する議論をし、そこで必要なら憲法改正するというプロセスで考えるべきだったのです。 ・今回のように憲法改正なしで安保法が成立したのは、自衛隊の活動範囲と憲法の規定の整合性があいまいなままでも気にしないという、日本人特有の感性があるためでしょう。また、憲法改正がまったく行われてこなかったために「憲法を変えること自体がおかしい」という意識がいつのまにか醸成されたことも背景にあるのではないかと思います。   

日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ

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