太古より、知念間切の久高島には「異種の民」がいた。彼らは皆、ヒザからくるぶしにかけてとても細く、かかとがない。足の甲は短くて足の指は長く、そのかたちは手のひらのようになって、地に立つ。(1)

(2024/10/15)

決定版『目からウロコの琉球・沖縄史』

上里隆史 ボーダーインク  2024/6/26

<久高島の「異種の民」>

・沖縄県南部の知念半島の先に浮かぶ久高島。近年では「神の島」として広く知られるようになりました。スピリチュアル・ブームに乗って、多数の観光客がこの島を訪れています。

 この島には沖縄のほとんどで消えかけた古来の祭祀組織が温存されていて、島の女性は一定の年齢になると神女組織へと編入されます。12年に1度行われる就任式にあたるイザイホーの儀式は過疎化により現在途切れていますが、それでも1年のうち約30回もの祭祀があります。

 島には琉球の創生神話で神が降臨したという聖地のフボウ御嶽があり、沖縄のなかでも特別に格式の高い聖地です。

 神秘的な雰囲気ただようこの島には、ある不可思議な事実が存在します。琉球王国の正史『球陽』には、次のように記されています。

 久高島、代々「異種」の人を生ず

 太古より、知念間切の久高島には「異種の民」がいた。うまれつき性格は素直で、普通の人 より賢く、よく仕事をした。暮らしむきはとても裕福で、現在、その種族は7、8名いる。

 彼らは皆、ヒザからくるぶしにかけてとても細く、かかとがない。足の甲は短くて足の指は長く、そのかたちは手のひらのようになって、地に立つ。

 驚くべき内容です。久高島に「異種の民」が存在したというのです。この「異種の民」は、目や肌の色が違うなど民族や人種が違うということではありません。身体的特徴そのものが、通常の人間ときわめて異なっているということです。膝より下は通常の人間よりも細く、かかとがなく、足はまるで手のひらのようで、指が異様に長かったといいます。彼らはいったい何者なのでしょうか。

 考えられるのは、「異種の民」が突然変異で生まれた人々であった可能性です。しかし、個人個人でまったく同じ特徴を持つ突然変異が集団として維持され、何世代も変わらずに続いていくものなのでしょうか。実際に世界のなかでこうした突然変異の事例はあるようですが、久高島も同じようなケースなのでしょうか。

 注目すべきは、これが伝承や噂のレベルではなく、王国の正史に記載される「事実」であったことです。しかも見間違いの報告などの事実誤認や伝聞でもなく、王府は1743年の時点で「異種の民」を実際に確認しており、その数7、8名と数えているのです。つまり、この事実は否定しようもない真実であったことになります。

 彼らは他の島民とひとまず「異種」として区別されているものの、同じ島でともに暮らしています。とくに神聖視されてたり恐れられている様子もなく、むしろ働き者として肯定的に評価されているのが興味深い点です。

 僕がもう1つ気になるのは、久高島が神聖な「神の島」とされていた事実です。創世神話によると、創世神アマミキヨが天上より降臨し、最初に沖縄に作った7つの御嶽のひとつが、この久高島にあるのです。さらに久高島は神女組織の頂点に立つ聞得大君や国王が定期的に久高島に訪れ、麦の切穂儀礼をおこなう特別な場所でした。

 「神が降りた島」と「異種の民」との間にはどのような関連があったのか不明ですが、「なぜ久高島が神聖視されるのか」の1つの要因として、もしかしたら「異種の民」が存在したことがあったのかもしれません。

 彼ら「異種の民」はその後どうなったのでしょうか。18世紀の時点で7、8名ときわめて少数だったので、おそらく途絶えてしまったことでしょう。『球陽』以外には彼らのことを記録した書物は一切ありません。現在残る久高島の祭祀や伝承のなかにおいて、彼らのことを記憶しているものはあるかどうか、僕の知るかぎりでは確認できていません。

 つまり、信じるも信じないもあなた次第ということです……。

<死後の世界はあった?>

・琉球王国の正史『球陽』には、奇妙で怖い事件がしばしば記されています。次の記事は1731年に起こった事件です。

 与那城間切宮城村に、喜也宇大翁(きやうおおおきな)なる者あり。70歳にして死す。臨終の時、子孫に謂(い)いて曰く、我が神歌を唄うるは、汝らの共に知るところなり、もし陰間(いんかん)、生前に異ならざれば、すなわち死後3日、必ずこれを唱え、もって汝らに聴かせんと、期にいたり、ともに往きてこれを聴くに、果たして歌声あり。

与那城間切(現うるま市)の宮城村に、喜也宇オジイという者がおり、70歳で死んだ。臨終の時、子や孫に対して言うには、「私が神歌を歌っていたのは、お前たちも知っていることだ。もしあの世が生前と同じであれば、私は死後3日、この神歌を必ず歌い、お前たちに聞かせよう」と。その時がいたって(死ぬこと)、家族がともに墓に行って聞くと、彼の歌声が聞こえてきた。

喜也宇オジイは自分が死んだ後、あの世がどうなっているのか子や孫たちに伝えようとしたのです。オジイの歌声が聞こえてきたということは……死後の世界は生きている世界とは変わらない、ということなのでしょうか ⁉

 ちなみに当時の琉球の葬り方は風葬で、遺体を一定期間、放置して白骨化させる方法をとっていました。なのでオジイの遺体はそのまま墓室(もしくは風化させるための施設)に安置されていたわけで、家族たちはその場所に行ったということです。

 さて、みなさんはこの奇妙な事件をどう考えますか。ただ1つ、確かなことは、この事件が王国の正史に記されているという事実です……。

<異形の弁財天>

・弁財天といえば七福神の1人で、美しい女性の神様です。琉球でも弁財天は仏教とともに伝わり、多くの人々に信仰されました。首里城の近くには弁財天堂も建てられ、とくに琉球の神女組織の頂点に立つ「聞得大君(きこえおおぎみ)」の祭神となっていました。

 しかし琉球の弁財天は、われわれが想像するような柔和で美しい神様ではありませんでした。その姿は手が6本、顔が3つあり、手には太陽と月、ヘビと宝珠を持っている、まさに異形の神。コワイのは見た目だけではありません。琉球の弁財天は悪い心を抱く者を罰するという、福の神どころか非常にコワイ神様だったのです。

 この異形の弁財天は、中世日本の宇賀弁財天の系譜につらなるもので、人々を罰するのは荒神(こうじん)の性格も持ち合わせていたからでした。ただ手に太陽と月を持つというのは琉球独特のもので、日本では見られない姿であったようです。

 17世紀のはじめに琉球にやってきた日本の浄土僧・袋中(たいちゅう)は、この弁財天と習合した荒神について述べています。それによると、この神は12年に1度、27日間降臨し、誹謗する者がいればその口を裂き、悪い心を持つ者がいればその胸を斬り、毒ヘビで責めるといいます。ただし信じる者にはその姿は見えず、危害も加えられないということです。

 さらに袋中は当時起きたある事件も紹介しています。ある日、王や役人たちを誹謗中傷した落書きが見つかりますが、犯人がわかりません。そこで役人一同が首里の弁が嶽(べんがだけ)に行き27日間参詣したところ、ついに犯人が自首。犯人とその一族は島流しにされたという事件です。弁が嶽は弁財天をはじめとした外来の神々が降臨する地でもあり、27日間という期間は弁財天の降臨する日数とされていましたから、この参詣は弁財天に祈っていたものとわかります。

 役人一同は「さすが! 犯人が見つかったのは弁財天のおかげ!」と信じていたかもしれませんが、おそらく犯人は27日間もみんからプレッシャーをかけられ続け、精神的にまいって自首してしまったのではないでしょうか?

<UFO、那覇に現る!>

・地球外生命体や幽霊などの不可思議な怪奇現象は、未知なるものに好奇心を持つ多くの人々の興味をひいています。

 沖縄でも那覇市内の上空に青白い光線が現れ、UFOでは ⁉ との問い合わせが気象台などに多数よせられ、「那覇市内でUFO騒ぎ/正体は気象観測光線」とニュースになったことがあります(1997年11月24日)また2014年には那覇市西方上空でオレンジ色の光約10個が目撃されましたが、米軍の照明弾だったようです。(2014年1月25、29日)。

実はこのような騒ぎと同様に、大正元年(1912年)8月には那覇に未確認発光体が出現して大騒動になった事件がありました。その模様は当時の「琉球新報」紙上で連日報道されています。

 事件の場所は那覇の泉崎(現在の県庁一帯)で、第一発見者は仲毛(なかのもう)(現在の那覇バスターミナルあたり)の比嘉さん一家、7月30日の晩、夕涼みに2階から外を眺めていると、砂糖樽検査所の戸から丸い発光体が出現したというのです。

 発光体は分かれたり合体したりして戸を出入りし、大きな発光体が小さな発光体を連れて出てきて、次の瞬間バラバラになり上空へ消えていったといいます。比嘉さんは驚き、近所の人に告げて次の晩も出現場所を観察していると、同時刻にまたもや発光体が出現。

 当初は比嘉さんの話を疑っていた近所の人々ですが、さらに3日目の同時刻に発光体が出現するのを目撃するにおよび「これはホンモノだ!」と確信し、ウワサがウワサを呼んで大騒動になってしまいます。

 比嘉さん宅のある仲毛海岸はヤジウマが殺到し、夜10時頃まで怪光を見ようとする人々で連日大混雑となります。

 しかし発光体はいつまで待っても一向に現れません。ついには警官も出動して騒ぎの沈静化をはかりますが、騒動は静まるどころかさらに広まり、今度は泉崎橋に発光体が出るらしいというデマも流れて人々は泉崎橋にも集まり、発光体が現れるのを今か今かと待ちかまえる始末。

 出現場所付近の住民は奇怪な事件に身の吉凶を案じて各所の易者(おそらくユタやサンジンソウ)に相談する者が続出し、火の玉は亡霊のしわざとして祈禱が行われます。

騒ぎは出現場所の地中から人骨が発見されるにいたって頂点に達します。この人骨は小児の骨で、付近で材木商を営む平良某が埋葬したものらしいと当時の記事にあります。

 このオカルト騒ぎに影響を受けたのでしょうか、琉球新報は事件の翌日から「怪談奇聞」と題する心霊体験談を連載します。このコーナーは読者から怪奇体験を募集するものでした。新報は「実体験でも伝聞でもよいから本社の怪談奇聞係宛てに投稿をお願いします」と東スポばりの連載を開始してしまうのです。

 さらにビックリするのは、この怪奇体験コーナーに寄せられたのが、何とあの伊波普猷(いはふゆう)の話。

「伊波文学士の実話」として祖父の心霊体験が述べられています。

 王国時代、祖父の友人が航海の途中で暴風にあって溺死し、彼の幽霊が別の知人の母に憑依して伊波の祖父の前に現れたという話です。

 おそらく伊波普猷も発光体騒ぎを見聞して、興奮さめやらぬなか知人に自身の怪奇談を熱っぽく語ったものが投稿されたのでしょう。本人が投稿していたら面白いですが……いずれにせよ、当時の沖縄で超常現象に対する熱狂ぶりが伝わってくる話です。

(2024/2/12)

『日本怪異妖怪事典 九州・沖縄』

朝里樹  闇の中のジェイ 笠間書院  2023/9/30

<牛鬼(うしおに)>

・福岡県浮羽(うきは)郡田主丸町(現・久留米市田主丸町)の辺りに出たという怪物。

 頭や手足は牛、体は鬼の姿をしており、夜な夜な牛馬を盗み、女子どもを攫(さら)った。

<大狒狒(おおひひ)>

・福岡県北九州市伊川村(現・北九州市門司区)の異類婚姻譚。平山釈迦堂の由来譚。

 忠兵衛という者が大狒狒退治に行ったが、逆に大狒狒に襲われてしまう。命乞いに娘を嫁にやると忠兵衛は言ってしまう。一人娘は嫁入りを承知し、重い品物を入れた焼き物の壺を狒狒に背負わせて池の側の道を通った。娘はわざと簪(かんざし)を池に落とし、狒狒に簪を取りに行かせた。狒狒が背負っている壺に水が入って重くなり、とうとう力尽きて狒狒は沈んでしまった。狒狒の冥福を祈るために建てられたのが、平山釈迦堂だという。

<おさん狐>

・福岡県北九州市十三塚に出る狐。

 たびたび里人や山越えの人たちをたぶらかす。旅人が十三塚を超えていると、おさんと名乗る美しい娘が出てきて、道案内をしようと言う。話し相手に良いと連れだって歩いているといつの間にか雑木林の中に迷い込んでしまっているという。

<一ツ目小僧>

・福岡県早良(さわら)郡早良町は原田の昔話に登場する山の神の使い。

 猟師の目の前で、一匹のミミズが蛙に食べられ、その蛙は蛇に呑まれ、そこへ狸が出てきた。猟師はその狸を撃とうとしたが腕が萎えて引き金が引けなかった。不思議に思い、出てきた狸をよくよく見るとまな板を担いでいた。不吉な予感がし、「この狸を撃てば私は何者かに命を取られるだろう」と観念して帰ろうとした。すると一ツ目小僧が現れて猟師をニッと睨み、「良い了見が付いたぞ。お前がわしを撃てば、このまな板の上でお前を料理するところだった」と言って消え去ったという。

 

<カワソウ>

・佐賀県小城市、佐賀市でいう水怪。

 堀に入るとカワソウから足を引かれる、尻穴から手を入れられてジゴ(内臓)を抜き取られるという。

<ガワタロー>

・佐賀県伊万里市南波多の谷口、古里、重橋、水留、古川でいう水怪。

 谷口ではガワタローは人を引き込むとされるが、ガワタローを見た者はいない。

 重橋では、体が焼けるように暑い夏の日に、ある人が水を被るために川へ行ったが、死んでしまった。尻の穴が抜けていたため、ガワタローのせいだろうとされている。

<カワッソ>

・佐賀県武雄市橘町瀬見側一帯に棲んでいたという水怪。

 嘉禎三年(1237)に橘公幸が伊予国(愛媛県)から当地に移り、潮見神社の背後の山頂に潮見城を築いた。橘氏の眷属のカワッソたちも潮見川に移り住み、この川の流域で人畜に害をなすようになった。そこで橘氏の後裔の渋江氏がカワッソを戒め、川の上流にある浮橋から下流の潮見神社一の鳥居東側の茶畑の中にある平石の辺りまでいっさい害を与えないようにとカワッソに約束させた。この茶畑の中にある長さ2メートル余りの平石はカワッソの誓文石と呼ばれており、この石に花が咲くまでは人に害を与えないと約束したという。

<かわっそう>

・佐賀県西松浦郡有田町でいう水怪。河童の意。

 水死した人の肛門が開いているのは、かわっそうに尻子(尻子玉。尻付近の内臓)を抜かれたからだと解釈し、「かわっそうのしっご(尻子のことか)とる」という言葉がある。

<狐の嫁入り>

・佐賀県伊万里市大川内町、鳥栖市立石町・本町・養父町・河内町でいう光物、怪火の類。鳥栖市山浦町では狐のご膳迎えと呼ぶ。

 大川内町では夜中に通る提灯の行列を狐の嫁入りと呼んでいる。

 鳥栖市では有明海の不知火のような光の行列を狐の嫁入りと呼んでいる。狐の涎(よだれ)がそういう火に見えるとされている。

<蜘蛛の精>

・佐賀県伊万里市でいう異類婚姻譚。食わず女房の類。

 蜘蛛が飯を食わない嫁として女房になるが、正体がバレて竹の籠に男を入れて家に持って帰ろうとする。男は逃げるが、蜘蛛は捕まえるために再び男の家を訪れる。そして囲炉裏の鉤(かぎ)を伝って降りてくるが、火箸で焼き殺されてしまう。

<食わず女房>

・佐賀県でいう異類婚姻譚。飯食わず女房の類。

 伊万里市南波田町では、女に化けた蜘蛛が嫁になり、握り飯を自分の背中に放り込んでいた。正体がバレたことに気が付いた嫁はすんなり男と別れた。満腹になるまで握り飯を食べたから蜘蛛の腹は大きいという。

 杵島(きしま)郡白石町福田秀津(ひでつ)では山伏に見破られた化け物が家族を食おうとしたが、山伏が持っていた菖蒲を恐れて逃げ去っている。

<一つ目の大男>

・佐賀県東松浦郡玄海町平尾地区の小山ン坂にある馬乗り石坂という所に出た化け物。

 昭和の初め頃、夜中に一人の若者が若者宿(若者が集まる集会所兼宿)へと向かっていたところ、この坂で一つ目玉の大男と遭遇し、金縛りにあった。その大男は4本足で、背丈が7、8尺(約2.1~2.4メートル)もあった。どちらも前に進むことができずにいたが、いつの間にか大男は消えていた。その後もこの大男と遭遇した人は何人かいたという。

<兵主部(ひょうすべ)>

・佐賀県でいう水怪。杵島(きしま)郡橘村(現・武雄市)の潮見神社は河童の主である渋江氏を祀っている。その祖先に兵部大輔島田丸という人がおり、工匠の奉行を務めていた。春日社の大工事の際に使った人形を川に捨てたところ、人形は河童となって害をなした。これを島田丸が鎮めたため、以後、河童を兵主部と呼ぶようになったという。

<貧乏神>

・佐賀県でいう俗言。三養基(みやき)郡北茂安町(現・みやき町)では茶碗を叩くと、貧乏神が寄ってくる。箸がなくなるのは、貧乏神が杖にして屋外に出るためであるという。

 佐賀市川副町大詫間(かわぞえまちおおたくま)では晩に口笛を吹くと貧乏神が寄ってくるという。

<船幽霊(ふなゆうれい)>

・佐賀県東松浦郡玄海町仮屋でいうあやかしの類。

 風もないのにスッスッと近づいてくる船は船幽霊だという。この船をよく見ると、帆を巻く車が帆柱に付いていないことがわかる。船幽霊は魚を焼く臭いを嫌がるとされ、松明(たいまつ)に魚をくべると、船幽霊はすぐ消えてしまうという。

<みそ五郎>

・佐賀県でいう巨人。伊万里市を中心にした自然伝説、地名由来譚。

 雲仙岳(長崎県)や背振山(せぶりさん)(福岡県・佐賀県)に腰を掛けて、有明海で顔を洗うほどの大男だとされる。

<磯女(いそおんな)>

・長崎県でいう海に現れる女性姿の妖怪。五島宇久島沖の湊では磯女は乳から上が人の形で、下は幽霊のように流れている(ぼやけている)とされる。いつも磯におり、船を襲うという。また、前から見れば別嬪(べっぴん)だが、後ろ姿を見た人はいないともいう。

・五島列島では磯女は磯幽霊の一種だとされる。美女の姿で海中から現れ、漁夫や釣りに出ている人を海中に誘い込んで溺死させる。

<件(くだん)>

・長崎県に出現した怪物。

 鷹島中通ではどこかで件が予言するとされる。牛が人間のように口をきき、流行病(はやりやまい)の襲来や戦などの不幸を予言する。来るべき不幸に備える方法を伝授した件は4~7日くらいで死んでしまうという。

<獣人>

・熊本県天草郡天草町(現・天草市)でいう足跡の怪。

 日本の野鳥を研究するために来日していたカナダ人男性が天草町お万が池の近くで長さ40センチ、幅20センチの足跡を発見した。地元では獣人がいるのではないかと噂になり、地元の新聞には記事と足跡の写真が掲載されたという。

<山女(やまおんな)>

・熊本県。山にいる女性姿の妖怪。

・菊池郡虎口村(現・菊池市龍門虎口)に嫁ぎに来た女が三年を経って急に行方不明になった。消えた日を命日とし、三年忌をしていたところへ急に例の女が現れた。「今までどうしていたのか」と問うと、「深葉山から矢筈嶽(やはずだけ)の辺りに棲み、人を食って生きている。山にいるときはこういう姿をしている」と女は言い、身の丈一丈(約3メートル)ばかり、頭に角がある山女の本性を見せたという。

<ヤマワロ>

・熊本県。赤ん坊、もしくは子どもくらいの大きさで、全身に毛が生えている。頭は扁平で、口には蝮(まむし)のような歯がある。指は五本で一本爪、足も長いが、手も非常に長い上、魚や山桃をとる時にはゴムのように伸びる、二倍に伸びるともいう。

<犬神>

・大分県でいう憑き物。インガミ、インガメとも呼ぶ。犬神が憑いているとされる家は犬神持ち、犬神使い、インガミ使い等と呼ばれる。中国、四国、九州に犬神についての俗信は分布しているが、九州では特に大分県が甚だしく多いという。

 犬神は一般の人には見えず、犬神使いにしか見えないとされる。そのためか、容姿についてさまざまに語られている。

<子取り>

・大分県宇佐郡(現・宇佐市)でいう子攫いの怪。

・大きな袋を背中に担いだ大男であるという。子どもの泣き声を聞きつけるとどこからともなくやって来ては、泣く子どもを背中の袋に放り込み、どこかへ連れて行ってしまうとされる。

<座敷童(ざしきわらし)>

・大分県玖珠(くす)郡九重町、別府市でいう屋内に現れる子ども姿の妖怪。

 九重町では2、3歳くらいから5、6歳くらいの子どもの姿をしているという。座敷に現れる子どもの魂とされ、座敷童が一人で来て、スーッと出ていくと不幸になるといわれている。

<魅鬼(さっき)>

・大分県臼杵市(うすきし)野津でいう覚り(さとり)、おもいの類。

 魅鬼は鬼の一種で、人間が思っていることは何でもすぐにわかるとされる。高さは2メートルほどで、全身に灰色の毛を生やした痩せた体をしており、口は耳まで裂けて、眼は大きくランランと光っており、頭には一本の太い角が生えた大男だという。

 西神野地区の山奥に竹山があり、そこである男が手箕(てみ)を作るために太い竹を火に炙りながら曲げていた。そこへ魅鬼が現れ、男が思っていることを次々と大声で言った。驚いた男は思わず曲げていた竹の片方を放してしまい、竹は魅鬼の体を強くはじいた。驚いた魅鬼は「お前は思わんことをする。大抵の人間は考えながら仕事をするが、お前は変わった人間じゃ。お前のようなわからん奴は食っても美味くなかろう」と言って、逃げて行ったという。

<サルガミ>

・大分県大分市でいう憑き物。

 サルガミに憑かれると、猩々のように踊り舞い、巫女に祈禱してもらうと素直に落ちる。サルガミは家を守る神で金持ちになるというが、犬神のように他家の長持ちに隠れているというようなことはなかったとされる。坂ノ市にサルガミを祀っていた家があり、この家でサルという言葉を忌んでエンコウと言った。エンコウサマはときどき水中に入っては何日も帰ってこないことがあるという。

<白殿(しろどの)>

・大分県臼杵市(うすきし)でいう化け狐。

 昔、臼杵城に稲荷が祀ってあり、その眷属として数千の一族を持つ白狐がいたとも、臼杵坂に三匹の白狐が飼われていたとも伝わる。白狐は殿様にたいそう馴れついており、参観の際には船にもついてきた。護衛も務め、参勤交代の際は必ず五匹の狐が武士に化けて行列に加わり、他の狐たちは行商人や旅人に化けて物見の役を務めたとされる。

<城守狐(しろもりきつね)>

・大分県速見郡日出町(ひじまち)暘谷(ようこく)城の守り神。

 慶安年間(1648~52)、木下俊治は由比正雪に口説かれ、謀反陰謀加担の血判を押すが、計画が露見してしまう。この時、暘谷城の抜け穴に棲んでいた狐が謀反発覚について通報したため、城ではこれに応じて対策を練った。藩安泰の祈禱を城下の蓮華寺で七日間修したところ、血判状から木下俊治の名前が消えた。その事件から後、狐は城の守り神として祀られ、今の本丸跡の西側、石垣の下にある赤い鳥居の稲荷神社に祀られているのがその狐であるという。

<棟椿木(とうしゅんぼく)>

・大分県豊後高田市でいう古寺の化け物。椿の怪。

 とある秋の晩、山の中の集落を一人の旅僧が訪れた。廃寺に泊まると、夜中に「ドーン、ガラガラ。ドーン、ガラガラ」と大きな家鳴りがし、生臭い風が吹き込んできたため、旅僧は仏間へ行き念仏を唱え震えていた。すると外から戸を叩く音がして「トウシュンボクはお宿でござるか」という声がする。「そうおっしゃるはどなたでござるか」という声が囲炉裏の辺りからしたかと思うと「ホクガンのロウエン」「まぁ、おより」と会話し、頭から足先まで毛が生え、眼は鏡のように光っている猩々(しょうじょう)が寺の中へと上がってきた。その後も頭の毛をうち被り、鼻が高く、口は大きく尖り、舌をベラベラさせた「サンチのリョウ」や「サイチクリンのケイ」と名乗る化け物が囲炉裏の側へと上がってきた。しばらく四方山話をしていると、トウシュンボクが仏壇の下に六部(巡礼の僧)がいるから取って食おうと言いだす。それを聞いた旅僧が震えながら一生懸命念仏を唱えていると、一番鶏が鳴いたため、化け物たちは「祭りは明晩にしよう」と言って消え失せた。

・「ホクガンのロウエン」は「北岩の老猿」であるため、北のほうの切り立った岩の下の穴に棲む年老いた猿であるとわかった。

<トウベ>

・大分県でいう憑き物。筋系統の蛇神。

 大分県では海岸部にトウベ持ちがいいたという。トウベは甕の中で飼われ、憑かれた人にしか見ないとされる。トウベ持ちは金持ちになるが、縁組は忌避された。嫁入りした女が実家に帰ろうとすると戸口にトウベが下がり邪魔したという話もある。

<ドーメキドン>

・大分県臼杵市野津町西神野でいう風神、高神、天狗。

 赤い顔で鼻は高く、大きな体をしている。風神森に訪れることがあり、通る際には音がする。

<山童(やまわろ)>

・高崎山(大分県大分市、別府市、由布市)や乙原(おとばる)の深山に現れたという怪物。

 永正年間(1504~21)に高崎山の麓から赤松谷にあった大森林の皆伐を手伝ったとされる。

・見た目は10歳くらいの子どもに似て、毛は柿色、手は長く、ものも言わずに杣人(そまびと)や炭焼きが伐り倒した大木を軽々とひっかたげて積み場へ運ぶ。

<ガラッパ>

・宮崎県宮崎郡田野町(現・宮崎市田野町)、北諸県郡高崎町(現・都城市高崎町)、えびの市でいう水怪。

・えびの市ではガラッパに引き込まれると、引き込まれた者はなかなか見つからず、いなくなった場所から遠くない川底に端座させられているとされる。ガラッパに引き込まれる前には、その者に雑魚がたくさんたかるという。

<カリコボウズ>

・宮崎県児湯郡西米良村(にしめらそん)でいう山の怪。狩子坊主、カリコボーズとも表記。

 5、6歳くらいの子どものような姿をしているというが、主に音や声についての話が多く語られる。10月から11月頃になると、カリコボウズは川から上がって山に入る。西米良村では冬になると、「ホーイ、ホーイ、ホーイ」という声が聞こえてくることがあるが、これは山の尾根伝いに山頂へ上がっていくカリコボウズの声であるという。

<ガワッパ>

・宮崎県西臼杵(にしうすき)郡高千穂町や宮崎郡清武町(現・宮崎市清武町)でいう水怪。

 

・ガワッパはケツゴを抜くという。また、ガワッパの頭には皿があり、この皿に水があると千万力を発揮するとされている。

<川の坊主>

・宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町でいう水怪。

 山奥の村に炭焼きをする山師がいた。ある日、村で宴会があり、薄暗い中を山のほうへ帰っていると、川に差し掛かった道の真ん中に坊主頭の男の子が立っている。男の子は「山師どん、相撲を取ろうや」と言うと、いきなり山師の脚に飛びついた。山師は飛びついてくる男の子を取っては投げ、取っては投げしているうちに、男の子の数は15、6人に増えていた。さらに、男の子の腕を取るとするりと腕が伸びるため相撲が取りにくい。山師は一晩中相撲を取り、夜明けになると男の子は姿を消していた。

<狐の太郎座衛門>

・宮崎県延岡市愛宕(あたご)山麓の柚子ガ谷に棲む化け狐。村人たちから太郎左、もしくは太郎左狐と呼ばれる。

 太郎左が頭に芋蔓(いもづる)を2、3回降りかけて琵琶法師に化けた。それを目撃していた若者が琵琶法師の後を追うと、農民の家へと琵琶法師は入って行った。戸の節穴から覗いていた若者であったが、ふいに「危ないじゃないか」と声を掛けられた。戸の節穴だと思っていたものは馬の尻の穴であった。

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