当選のバンザイをした瞬間から、次の選挙は始まって始まっているのだ。決して浮かれてはいけないし、勝ち誇ったような顔を見せてもいけない。 握った手の数、歩いた家の数しか票は出ないのだ。(1)

(2024/10/22)

『政策至上主義』

石破茂  新潮社  2018/7/13

この国には、解決策が必要だ。

<はじめに>

・そして私は、これから日本は、「自立精神旺盛で持続的な発展を続けられる国」を目指すべきだ、と考えています。そのためには新しい時代の要請に正面から応え、政治、行政、経済、社会全般にわたる仕組みを大幅に見直さなければなりません。

・突き詰めて言えば、国会議員がすべきことは一つ。国を導くビジョンを提示し、そのビジョンに従い、国政上の個別の課題解決のためのプラン、すなわち現実的で実効性のある政策を練り上げ、実行していくことしかありません。

 本書では、国会議員として30年以上活動してきた中で感じたこと、考えたことをまとめてみました。

・まだ私が国会議員になる前、渡辺美智雄先生が講演でおっしゃったことが、私の政治家としての原点となっています。「政治家の仕事は、勇気と真心をもって真実を語ることだ」

・渡辺先生はまた、「いい加減なヤツが百人いても、2百人いても世の中は変わらない。だが、政策を知っていて、選挙も強い確信犯的な議員が20人もいたら世の中は変わる」ともおっしゃっておられました。

<誠実さ、謙虚さ、正直さを忘れてはならない>

<もう政権に戻れないと思った頃>

・2012年の政権復帰以降、与党は選挙で勝利を続けてきました。

・あの時、自民党の議席は300議席から119議席にまで減りました。ほぼ3分の1になったのです。すでに世論調査などから敗北必至であることはわかっていましたし、実際に事前予想では120議席という数字も出ていました。

・あの時、多くの自民党幹部は、こんな風に思っていました。「ああ、これで10年間は政権に戻れない」

 小選挙区制を採っている国で政権交代が起こった場合、10年間はその政権が続く、というのは常識でした。英国やカナダもそうです。

<「自民党、感じ悪いよね」>

・では、「自民党だけは嫌だ」と思われた理由は、たとえばどのようなものだったのでしょうか。まずは、その時々の政権の失策や失言、不祥事などで、総理が次々に代わってしまったということが挙げられるでしょう。

<国民の共感を失う恐ろしさ>

・また、政策の内容というよりも、政策のネーミングなどで国民の反発を買ってしまったこともありました。75歳以上の方々を「後期高齢者」としたのがその代表例でしょう。もちろんその表現は以前からあるものでしたし、他意はありません。

<谷垣総裁の下で謙虚な建て直し>

・野党となった自民党の総裁に就任したのが谷垣禎一先生でした。

・その谷垣総裁の下、私は政調会長を務めました。党の政策を立案し、まとめる仕事です。特に力を入れたことの一つが、新しい党綱領の制定でした。

・私自身は現行の要件以外にも、綱領、意思決定や会計処理の手続きが適切に定められていることなどを要件とする「政党法」の制定が必要だと考えています。

<政策集団としての自民党>

・野党・自民党の政調会長としての大きな責務は、自民党を実力ある真の「政策集団」にすることである。私は当時、そう考えました。そのための具体的な方策の一つが、旧来型の年功序列類似の人事をやめることでした。

 従来、党内には、当選1回はヒラ、2回で政務官、3回で部会長、4回で常任委員長、5回で大臣という「相場」がありました。しかし、これからは当選1回であろうと実力とやる気のある議員には部会長などの責任がある仕事を任せようと考えたのです。

・こうしたことを積み重ねていくうちに、野党・自民党は政策集団としての力を蓄えることができていったと思います。

<論戦に強くなるために>

・当時は予算員会の筆頭理事も1年間つとめました。あの時ほど国会の質問に立ったことはありませんでした。その際も主眼としたのは、政策論争です。

・なかでも最も印象深かったのは「ディベートの最大の効用は万巻の書を読まざるを得ないということである。ディベートとは読書の戦いであると言ってもいい。大量の本を読まないと他のディベーターに徹底的に論破される」との教えでした。

「話の引き出し」を多く持っていることは攻守どちらにおいても必要なことですが、そのためには、時間を見つけては可能な限りの本や論説を読まねばなりません。

・「本ばかり読んでいないでもっとメシを食い、酒を飲み、付き合いの幅を拡げるべきだ」とのご指摘もしばしば頂くのですが、こればかりはスタイルなので致し方ありません。

・だからこそ野党時代の経験というのは、私にとっても、自民党にとっても忘れてはならないものであると思うのです。

<信じる政策を正面から問うことが求められている>

<「野党よりはマシ」だけではいけない>

・様々な失敗や東日本大震災・大津波・原発事故への対応のまずさで、民主党が政権の座を降りたのは2012年末のことでした。この間の経緯は私が改めて申し上げるまでもないでしょう。

 その年、秋に行なわれた自民党総裁選に出馬した私は、地方の党員の皆様のおかげで地方票では勝利したものの、国会議員票で逆転された結果、安倍先生が自民党総裁となり、総理大臣になったのもご承知の通りです。

・若い頃に、政治改革をめぐって内閣不信任案に賛成し、離党した過去がありますから、また極端なことをするのでは、という警戒感もあったのでしょう。

・安倍政権になってからの経済面での功績は、多くの認めるところでしょう。絶望感に満ちていた日本経済が飛躍的に回復しました。アベノミクスは全部まやかしだ、といった批判をする方もいますが、現実問題として民主党政権の頃と比べて雇用情勢は格段に良くなり、株価は倍以上に上がり、企業の業績も未曽有の回復を遂げています。円安によってメリットを享受している企業があるのも事実です。数字で見れば、民主党時代とは比べものになりません。

<平和安全法制の進め方への反省>

・幹事長を務めている間、この点にはかなりの気を遣いました。「驕っている」とか「強引だ」といった批判を受けることのないような運営を心掛けたつもりです。

・少し世間の反応が変わってきたのは、平和安全法制に関する議論が焦点となってからかもしれません。担当の中谷元防衛相はとても誠実に説明をしていました。

・総理も私も、憲法上集団的自衛権は行使できる、というところまでは同じです。

・私は、日本が独立国である以上、個別的であろうが集団的であろうが、国連憲章に定められている通り、他国と同様に自衛権を有しているのは当然だと考えています。つまり、日本だけが「憲法上ここまで」と定める類のものではないということです。

 ただし、だからといって無制限にその権利を行使して良いわけではありません。

・つまり、集団的であれ個別的であれ、国際法上(国連憲章上)認められた自衛権は、憲法上の制約としてではなく、立法上の政策的制約として整理すべきだ、ということです。

<国会議員を続ける理由>

・では、なぜ私は国会議員である必要があるのか。

 それは「自立精神旺盛で、持続的に発展する国づくり」を実現したいと思っているからです。そしてその究極の手段として憲法改正が必要だと思っているからです。

<離党の理由も憲法>

・一時期、自民党を離党したことも、この憲法改正に対する考え方と直結しています。

・自民党を離党してまで取り組もうとした政策がまたしても否定された。そのファクスを見てすぐに私は離党を決意します。結局、その時の選挙は無所属で出馬し、当選します。自民党に復党したのはその翌年のことでした。

<政策こそが行動の基準である>

・あの時、自民党を離党したことを理由に、私に対して厳しい見方をなさる方も少なからずおられるようです。自民党離党、新進党離党という事実に対するご批判は甘んじてお受けします。

・永田町においては、意外なほど人間関係を軸に行動を決めている人がいるように思えます。感情としては理解できますが、果たしてそれは有権者が望んでいる姿なのだろうかと疑問に思うこともあります。

<憲法改正は国会議員の最大の存在意義>

・だからこそ、憲法改正案を発議し、国民投票にかける。これは国会議員にしかできない仕事です。なんとか私が議席をいただいているうちに、私の思う憲法改正を実現したい、と今でも思っています。

<集団的自衛権を整理する>

・だから集団的自衛権行使は、憲法上の問題ではないと私は思っています。集団的自衛権は、理論的には現行憲法上も認められる。ただし、その行使にあたっては、法律で厳しく制約をかけるべきだ、ということです。

・しかし、残念なことに、その後、この国家安全保障基本法は議論の俎上に上ることはなくなっていきました。同様に、2012年自民党憲法改正草案も、「あれは野党時代のもの」として現実味がないかのように考える人がいいるのは、とても残念です。

<閣内不一致を避ける>

・しかし、私は2012年憲法改正草案や国家安全保障基本法の制定に深く関わってきており、私の答弁次第で閣内不一致と言われ、内閣、なかんずく総理にご迷惑をおかけする可能性がある以上は、担当大臣をお引き受けするわけにはいきませんでした。

<基地問題との関係>

・戦後日本は、集団的自衛権の問題、あるいは憲法の問題を突き詰めて考えてきませんでした。

<独立国として国を守る>

・米軍基地に反対される方々が常に問題視する「日米地位協定」は、日米安全保障条約と一体です。ですから当然、突き詰めていけば、地位協定の問題は集団的自衛権の問題、憲法の問題となるのです。

<リアリストとは何か>

・「まあ理屈では石破さんの言う通りかもしれない。でも、今は安倍さんのプランのほうが世間に通りやすいってことなんだよ。理想を言っても現実が動かないんじゃ仕方がないでしょう。もうちょっと現実に向き合いなよ」

 そしてこのようなアプローチをする人をリアリストと呼ぶ人がいるかもしれません。しかし、私はそこを問いたいのです。

<私たちが向き合うべき現実>

・北朝鮮は、過去に何度も約束を反故にしてきた国なのです。これも現実です。中国の軍拡も、今のところ留まるところを知りません。これもまた向き合うべき現実です。

・私たち日本国民はまず、先の戦争において地上戦が行われ、県民の4分の1もの死者を出したのは沖縄だけだ、という点をきちんと確認しなければならないと思います。

<スタンプ集めに意味はない>

・安全保障という国の根幹に関わる問題について本質的な議論とは、我が国にとっての脅威とは何か、それに対して抑止力をいかにして維持し強化するか、あるいは有事に至らない態様で領土主権が侵された場合にどう対応するか、という具体論のはずです。しかしこういった議論は、国会ではほとんど行なわれず、憲法の解釈をめぐる攻防ばかりが繰り返される。

<党内議論を軽視してはならない>

・憲法改正に限らず、最近、自民党内でのそれまでの議論を踏まえずに政府部内のみで決定される政策が多いように思われます。それが「政高党低」と言われる所以かもしれません。

 かつて党を二分し、離党者まで出した郵政民営化の議論であっても、党内のプロセスは踏んでいました。

・しかし最近の政策、例えば農協改革や消費税の使途変更、裁量労働制の拡大など、党内の議論と手続きを経ることなく、突如として政府の政策となって出されるものが目に付くようになりました。総選挙の直前に消費税の使途を子育て、教育に拡大するという方針について私が初めて耳にしたのは、カーラジオから流れるニュースでした。聞いてひっくり返るほど驚きました。

<強い論理こそが道を拓く>

・忘れてはならないのは、党内議論を経た政策のほうが、論理的説得力は強くなるという点です。

<丁寧に説明すれば国民は理解してくれる>

<三つの衝撃>

・私が政治家になったのは1986年。まだ冷戦のさなかでした。それから現在まで、信じられない思いでテレビを見た出来事が3回あります。1991年のソ連崩壊、2001年の9・11、2011年の3・11です。

 ソ連の崩壊を目の当たりにしたとき、私は「あれだけの強大国がこんなに脆く解体されるものか」と衝撃を受けました。

<何となくうまく回っていた時代>

・安全保障だけではありません。経済も高度成長期から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた絶頂期の余韻のままバブル期を迎えており、このまま成長が続く、好景気が続くとほとんど人が思っていました。今から思えば不思議な時代でした。

・冷戦が終わり、バブルがはじけるとそうはいかなくなりました。国政がその本旨に立ち返り、国を造りかえるための大きな方針を示さなければならない時代となったのです。

<地方創生担当大臣>

・結局、私は2014年から、政権が新しく進める政策となった「地方創生」を担当する大臣を務めることになりました。

・地方創生大臣を2年間務めた後、農林水産大臣というお話もありましたが、TPP交渉に関して、それまでまったく関わっておらず、その経緯もわからない私より、もっと事情に通じた適任者がいると申し上げました。

・こうして、2016年、私は閣外に出ることとなりました。

<天皇陛下について>

・その後、自由な立場から思うところを発信してきました。安倍総理には熱烈な支持者の方が多く、私が政府の方針に異を唱えると、それだけで反発を買うこともよくあります。

<二つの学園問題>

・まったくレベルの異なる話ではありますが、そうした心配が杞憂に終わらなかったのが、「森友」「加計」二つの学園問題であったように思います。

<丁寧に説明するしかない>

・話を戻せば、二つの「学園問題」について、政府の説明は丁寧さを欠いていたり、必ずしも国民の疑問に真正面から答えなかったりしたのだと思います。この点については私も含め、与党としても猛省する必要があります。

<論理的な説明は通じる>

・かつて有事法制の制定に携わったときのことです。私は防衛庁長官でした。有事の際に国民を守るために絶対に必要な法律でしたが、当初は「戦争準備法だ」といったレッテルを貼られていました。最近の平和安全法制のときとよく似た状況でした。

 私はこの時、なぜ有事法制が必要なのか、とにかく丁寧に説明を繰り返しました。

<消費税賛成で当選>

・しかし、結局、この選挙で私はトップ当選を果たします。選挙戦の最中から、「あなただけがなぜ消費税が必要なのかを正面から訴えている」という激励の声をいただいていました。

<マスコミのせいにしない>

・確かにマスコミが正確な情報を伝えてくれるとは限りません。私自身、腹立たしい思いをしたことは一度や二度ではありません。

・結局は、どれだけ政策や、その土台となっているビジョンについて自分の言葉で語れるかが重要になるのです。

<勇気と真心をもって真実を語る>

・「本当のことを勇気をもって国民に語るために、政治家はいるのだ。勇気と真心をもって真実を語るのが、その使命だ」

 この渡辺美智雄先生の言葉こそが、私の政治家としての原点です。

<本気で国民の命を守るための議論が求められている>

<Jアラートを向上させる>

・実は自民党本部でも、国会議員会館でも、ミサイルに備えた避難訓練はしたことがありません。それで国民に「避難して下さい」というのは、いかにも説得力がない話です。そうした姿勢は国民には見透かされるでしょう。

 真剣に考えなくてはいけないのは「いったいどうすればいいというのか」という不安に対する答えを用意することではないでしょうか。日本における核シェルター(避難所)の普及率は0.02%と言われています。スイス、イスラエルでは100%、ノルウェーでは98%で、アジアを見ても、シンガポールで54%、韓国でもソウルあたりは100%以上とされています。いかに日本が突出して低いかということです。

 今さら言うまでもありませんが、現在、世界で最もミサイルの脅威にさらされている国の一つが日本です。それなのにこのような状況でいいとは、とても思えません。

<防災省の必要性>

・このような確実性の高い避難体制などを、防衛の観点からは「拒否的抑止」といいます。「ミサイルに対してはミサイル」という体制によって、相手に攻撃を思いとどまらせることを「懲罰的抑止」といいますが、これに対して「攻撃しても意図したような被害は出ない」という体制をつくることで相手に攻撃を思いとどまらせるというものです。

 実は、このような拒否的抑止を構築するための方策と、防災の対策というのはかなりの部分が重なっています。

 我が国は有数の災害国であり、長きにわたって各種の天災に対応してきました。

・そのために「防災省」(仮称)を作り、我が国のみならず災害の多発しているアジア地域、ひいては世界中にそのノウハウやインフラを輸出し、災害国であることを強みに変えていきたい、と考えています。そういう省が、たとえばシェルターの設置についても自治体と相談しながら進めていく。もし公民館などにシェルターがあれば、「どうすればいいのか」とはならないはずです。

 地方創生担当大臣を務めていたときに、この「防災省」的な組織が日本に必要ではないか、との問題提起をさせていただいたこともありました。

・これでは「いかにしてミサイルから国民と国土を守るか」という本質的な議論を先延ばしにしているように思われても仕方ありません。

<核についても本質的な議論を>

・本来、日本として核兵器や核抑止にどう向き合うべきかというようなテーマは、平時に冷静な環境の下で論じられるべきなのです。

・毛主席の「たとえパンツをはかなくても核を保有する」という言葉はあまりにも有名です(正確には、当時の陳毅外相が「ズボンを質に入れてでも核を保有する」と述べたものが、毛沢東の言葉として伝えられているようですが)。

・日本核武装論は、ある意味さまざまな安全保障上の危機のたびに提起されます。私は危機に際して提起されること自体は自然なことだと思いますし、「いつか日本が核武装するかもしれない」と思われることで働いている抑止力も相当あると思います。

 しかし同時に、現時点で私は、我が国が核武装するメリットを見出せません。

<非核三原則とニュークリア・シェアリング>

・そして日本型の「ニュークリア・シェアリング」の可能性を検討すべきだ、と私はテレビ番組などで発言しました。

・多くの場合、安全保障に関する議論が、どこか現実と離れたものに終始しているのは、とても危険なことだと思います。

<現実的な対策が急務である>

・私が憲法改正を必要不可欠だと考えている、ということはすでに述べました。

・ところが、このような実務的な、具体的な話は、全然受けないのです。報道もされないし、国会でも質問されない。「まずは憲法9条を改正すべきだ」「憲法に自衛隊を書かないのは失礼だ」といった話ばかりが取り上げられます。

<国会で本質的な議論をするためには与党の努力が必要である>

<異論と「足を引っ張る」はまったく違う>

・よく、企業の方々とお話ししていると、「自民党」を一つの会社組織に例えられる方が結構おられますが、自民党に限らず、国会議員と所属政党とはそのような関係ではありません。むしろ「経団連」や「経済同友会」のような組織だと思っていただいた方が近いのではないかと思います。それだけ、個々の国会議員の独立性、自律性は高いのです。

・私たちは有権者の代表として選ばれた、独立した存在なのです。

<野党は与党が、与党は野党がつくる>

・国会における野党の質問は、どんなにそれが少数であったとしても、やはり国民有権者の一部の疑問を反映しているものです。

・立場は違いますが、総理という仕事がいかに重圧に耐えねばならないものか、本当に命を削るような仕事であることは、私も何度か閣内にいて総理を近くで見て、よくわかっておるつもりであります。

<与党はすきを見せてはいけない>

・そもそも野党の仕事は、突き詰めて言えば時の政権を倒すこと。内閣総辞職に追い込むか、衆議院を解散させることです。

 自民党は野党時代にそのように明確に目標を定めていたからこそ、不適格な大臣や非常識な政策、一つ一つを戦略的に狙い撃ちにして、閣僚を辞任に追い込んだり、法案を廃案に追い込んだりできたのです。

<「いい質問」とは>

・こうやって一旦論点をつぶしてしまえば、野党が感情論やひっかけで同じところをついてきても、もう怖くはありません。これが与党から内閣への強力なアシストともなるのです。せっかく質問時間を長くしてもらったのですから、わが党の若手議員にはもっと「いい質問」を考えてもらいたいと思います。

・自ら政策を考え、理論を構築し、それを聞かせるスピーチの能力もある。そういう人は概して選挙にも強い人です。やはり有権者はきちんと見ているのだ、と思います。ともあれ、質問の価値は単なる時間の長さではなく、内容によって決まるものです。

<大臣は多忙すぎる>

・2001年から政治改革の一環として国会における答弁はすべて大臣、副大臣、政務官、つまり政務三役が行うようになりました。

・私は、ことここに至っては、局長答弁は復活させた方がいいと思っています。そもそも国会質問のシステムも抜本的に変えるべきだと思います。

・さて、3時や4時にできた答弁資料ですが、私のように先に目を通したい場合は午前5時ごろに宿舎に届けてもらうことになります。

・ですから国会開会中は、大臣たちには全く時間的、心理的余裕がありません。そして当然ながら、この間、省庁での仕事はほとんどできません。しかも、ここまでの手間をかけても国会で建設的な議論が行なわれるとは限りません。

・現在の野党議員の中にも、与党として同様の経験をして、苦労をした方も多いことでしょう。このようなシステムは、誰にとってもプラスにならないのですから、変えていくことが国民の期待に応えることになるのではないでしょうか。

<不利益の分配を脱し自由な選択で幸せを実現する>

<果実の分配が政治の仕事だった>

・しかし、2章で紹介した重光外相のチャレンジに代表される外交・安全保障上の課題、特に日米同盟の特殊性の是正や見直しは、岸内閣以降いわば封印されました。岸総理は旧安保条約の不平等性を大きく改善しましたが、それは予想以上に大きな政治的コストを強いるものでした。ゆえにこれ以降日本は、独立国家としてどうすべきか、といったことを議論しなくなりました。意図的にそうしたことを避けてきました。だから憲法を正面から語ることもありませんでした。

<竹下総理の功績>

・一方で内政においては、「不都合な真実」を語って、短期的な利益より長期的な国益を優先した総理がいました。竹下登総理です。

 まだ現在ほど社会保障制度の維持が困難だとは危惧されていなかった時代に、明らかに選挙に不利な消費税の導入、「果実の分配」ではなく「不利益の分配」とも言える政策をあえて実行しました。

・これからの政治家は、こうした「不利益の分配」についても正面から語っていくことがますます求められるようになるということです。その意味では、政治家は昔以上に歓迎されない仕事になっていくのかもしれません。

<地方政治家の疲弊>

・萌芽はすでに地方でも見えています。地方政治は民主主義の学校だ――などという表現はよく耳にするところですが、それが本当だとすれば、地方において投票率の低下が深刻なことになっている点には、もっと注意すべきでしょう。

・いい加減な政務活動費の使い方をしている地方議員をニュースで見れば、「美味しい仕事に違いない」と思われることでしょう。しかし、ああいう人はごく一部であって、真面目に取り組むとかなりきつく、報われることも少ない仕事なのです。実際には地方の首長で、「辞めたい」という人に対して周りから「頼むからもう一期やってくれ」と説き伏せられてやむなく続けているケースも珍しくありません。

 やがてこの動きが国政に広がる可能性は十分あります。つまり国会議員も、このままだとどんどん成り手がいなくなるのではないか。そんな危惧を私は抱いています。

 法定された国会議員の年収は約2100万円です。金額だけを見ればまさに「高級取り」ですが、この額で平均10人程度のスタッフを雇うのはほとんど無理です。国で手当てされている秘書は3人だけ。正直に申し上げて、この支給された収入だけでは次回の当選はあきらめざるを得ないでしょう。

 しかも、世間の厳しい目にさらされながら、激務をこなさなければなりません(真面目に働けばやはりとても忙しいのです)。しかも落選すれば、とたんに無職です。

・そもそも「不利益の分配」などという話は、大向こう受けが期待できません。しかし、政治家はそれも語らなければならない仕事なのです。大向こう受けを狙い続けた結果が現在なのですから。

<アベノミクスの先を>

・安倍政権になってからの経済政策、いわゆる「アベノミクス」については様々な意見がありますが、それまで、特に民主党政権のもとで慢性化し長期化していたデフレを脱却することを目標に掲げ、実際にデフレ状況から各種指標を大幅に改善してきたことは、率直に評価されるべきものだと思っています。その最たるものが株価や為替であり、雇用情勢も劇的に改善しました。

・一方で、経済構造改革は進まず、潜在成長率が期待通りに伸びていないことも事実です。

<日本の根本的な問題>

・根本的な問題とは何か。端的に説明するために、私がよく用いている数字があります。1960年と2015年の日本の社会保障制度に関連したデータの比較です(ただし、前者はまだ本土復帰前なので沖縄は含まれていません)。

 まずGDPは16.7兆円から532.2兆円と32倍になりました。人口は9430万人から1億2709万人と1.35倍。このうち65歳以上の人口が540万人から3347万人と6.2倍になっています。全人口に占める割合は5.7%から26.3%にまでなっています。

 今では65歳で働いている人も珍しくありません。

・85歳以上人口は18.8万人が488.7万人と26倍に。また百歳以上は144人が61763人と428.9倍になっています。

 平均寿命は男性が15歳、女性が17歳伸びました。日本が世界に冠たる長寿国になったことは誇るべきことです。

 この間、国の予算は1.6兆円から96.3兆円、つまり約60倍になりました。一方で社会保障制度の支出は0.7兆円が114.9兆円になっています。164.1倍です。

 そして、現在のペースが仮にこのまま続けば、日本の人口は2100年に5200万人、200年後には1391万人、300年後には423万人になる、と予想されています。

 さて、これを見て皆さんはどう思いますか。

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