なぜ唯一の被爆国であり、何万人もの人たちが原爆で命を失い、今もなお核の脅威にさらされている日本において核シェルターが作られないのか、と幾人もの外国人から尋ねられました。(1)

(2025/1/17)

『国難』

政治に幻想はいらない

石破茂  新潮社       2012/8/31

<はじめに 「国滅び教」教祖の予言> 

・「このままゆけば、間違いなく国は滅びる。我々のように、満喫とは言わないまでも国の繁栄を味わった世代はまだよいが、今の子供たちはあまりに可哀相というものだ」

・当時、「国が滅びる」などと言っている政治家は少数派でした。バブルはとっくに崩壊していましたが、それでも、これほど景気が落ち込むとは誰も思っていなかったのです。年金への不信もなく、原発事故もなく、国の借金もここまで深刻ではありませんでした。

そのため、原稿を発表した当時には、もっぱら「心配性の石破」という見方をされていました。「石破茂の国滅び教」などと揶揄する向きもあったほどです。

・そもそも、政治不信とは何でしょうか。政治家の言葉を国民が信用しないということです。

<政治は、なぜかわらなかったのか>

・「二大政党になれば国はよくなる」という幻想は、完全に消え去ってしまいました。統治能力が欠如している民主党政権を生み出す、という結果を招いてしまったのですから。

<政党の条件とは>

・民主党が基本的な理念すら共有していない集団であることに異論を挟む人は、もはや少数でしょう。民主党には、政党の憲法ともいうべき綱領が存在していないのです。

・第一の使命は「自主憲法の制定」です。

<日本国憲法に存在していないもの>

・国の独立が侵されようとしたときに、国の独立を守るために発せられるべき非常事態の条項と、国の独立を守る軍隊についての規定が日本国憲法にはない。

 いったい、なぜでしょうか。答えはとてもシンプルです。憲法が公布された1946年時点の日本は、主権国家、独立国家ではなかったからです。

<「国家主権」を知る意味>

・ともすればこうした議論は、税金や社会保障の話と比べると身近でない分、敬遠されがちです。「まあそんな話はさておいて生活第一ですからね」といったことを語る政治家も多いようです。しかしそんなことでは国は立ち行かないということを、民主党政権は皮肉にも示してくれました。

・国家主権の重要性が分かれば、自主憲法の制定は当たり前に取り組まなくてはならないものなのです。

綱領の残りの二つの柱については、簡単にご説明しておきます。

 自助、共助、公助という三つの「助」を基にした日本をつくる。これが自民党の第二の使命です。

・第三の使命は、財政再建と税制改革の一体的推進。このまま借金を増やしていって子孫にツケを回すような愚は許されません。

 あとでまた詳しく述べますが、現在の自民党の一番新しい綱領の柱はこの三つです。

<民主党は政党か>

・ところが、先ほどから述べているように、民主党には綱領がありません。そして作ろうとすらしていません。綱領が無い政党が政権を取ったのは、日本では大政翼賛会と今の民主党だけです。

<同じ考えの者が分かれる不思議>

・今から思えば、小選挙区制度で政治を変えようと突き詰めて考えた人間は、「改革派」の中でも少数だったような気がします。多くは、権力闘争もしくは人気取りの手段として「小選挙区制度賛成」を唱えていただけだったのかもしれません。

結局のところ、制度のメリットを享受したのは、民主党政権を誕生させることができた小沢一郎氏であり、郵政解散で圧勝した小泉純一郎元総理でした。皮肉なことに、小泉氏はかつて小選挙区制絶対反対論者でした。

<地方は自治を望んでいたのか>

・地方分権に正面から反対する政治家は滅多にいません。にもかかわらず、地方分権は進んでいるようには見えません。これを官僚のせいにする風潮があります。その流れに乗っかって、政治家も官僚を叩いて正義の味方の顔をするのは簡単なことでしょう。しかし、ここでも国会議員の責任が大きいのだということを忘れてはいけません。

<「みんなにいい顔」では通用しない>

・その意味で、「みんなにいい顔」のツケの総和が、今の日本の借金だとも言えます。このことは、私たち国民主権の意味を問うています。先ほど、国家主権について述べましたが、実は日本には国家主権はおろか、国民主権すら意識として浸透していないのではないか。かつて田中美知太郎先生は、そのように指摘しました。

・しかし、対策を十分に取ることが出来ぬまま、時間が過ぎていきました。いつの間にか夢の国は持続できなくなり、借金は増していきました。そして国家のサステナビリティーそのものが難しい、という状態にまで至ってしまったのです。

<有権者に責任を負わせるな>

・長年与党の座にあった自民党は、この責任を強く感じなければなりません。理屈をいえば、その自民党を選んだのは国民である、だから国民全員にこの見逃しの責任はあるだろう、という反論もできるでしょう。

・「この程度の国民にこの程度の政治家」という言い方があります。福澤諭吉先生の言を借りれば、「この人民ありてこの政治あるなり」という考えです。

 しかし、私はその立場には立ちません。国民はみんな忙しいのです。会社員は日々の仕事、ノルマに追われている。主婦も子育てや家事に忙しい。毎日の生活で精一杯です。国民みんなが、朝から晩まで国のことや政策のことを考えていられるはずがない。そのほうがむしろ不健全です。

・遅ればせながら、それでも自民党は少しずつ過去の検証を進め、反省もしていました。

・また、民主党政権下では地元への利益誘導がないかといえば、そんなこともまったくありません。

<マスコミ性悪説の誤り>

・補足しておけば、この種の議論においては「国民も悪い。政治家も悪い。しかし本当のことを伝えないマスコミも悪い」といった主張もよく目にします。しかし先ほどの「国民が悪い」という意見と同様、これにも私は賛同しません。

・ジャーナリズムといえども商業ベースで展開されている以上、その価値観は「売れるか売れないか」に尽きます。そこに過度な期待をしてはいけない。もちろん、書かれる立場からすれば腹の立つことはいくらでもあります。週刊誌を訴えたいと思ったことも何度もありました。

それでも私は、政治家がマスコミを告訴するといったことはできるだけ避けるべきだと考えています。

・マスコミが望む「部数を増やしたい」、「購読者の数を増やしたい」、「視聴率を上げたい」、「騒ぎを大きくしたい」といったことに貢献することなくして、彼らは絶対私たちの味方にはなりません。政治家にはその認識、覚悟が必要です。

・マスコミ対策といっても、小手先の技術は通用しないように思えます。どれだけ自分の言葉で語れるか、あらゆる追及に対して備える知識と論理を有しているかが、重要です。

<政治家が語るべきこと>

・総理大臣に対して、「説明が足りない」という批判をよく耳にします。

・そう言われる彼らからすれば、「何度も説明しているが聞いてもらえない」、「マスコミが伝えない」ということなのかもしれません。しかし、そのようなことを政治家は言ってはいけないのです。

・「このままでは国が滅びる」といったことはウケがよくありません。それよりは、「今度道路を作ります」、「財源はあります」、「日本の財政は心配ありません」ということのほうが、言うほうも楽でしょう。しかし、それをずっとやってきたから、こうなっているのです。

<日本を、どう守るのか>

・この国は、いまだ真の独立主権国家ではない。私はそう考えています。その理由は前述の通り、憲法に軍隊の規定がないからです。

・こうした議論に対する反発、アレルギーは痛いほどよく承知しています。様々な考えや事情から、そんな面倒なことを考えずにおこう、触れずにいよう、という人が多くいることもわかっています。だから「外交と防衛は票にならない」と言われてきたわけです。

<「守屋事件」の背景>

・防衛省・自衛隊にはいわゆる「お客様」がいない、という他の省庁にはない事情があります。

・防衛庁は長い間、他の省庁と異なり、法案を出すことが官僚の得点にならないという役所でした。

<防衛力の整備>

・統幕以外の三幕で行われている仕事で最大のマンパワーを占めているのが、予算編成関連の業務です。

・一歩前進というか、ようやく少しまともになったわけですが、「運用」以外のことについては、まだ「統合」とは言えぬマインドのまま、今に至っています。

<自衛隊は質か量か>

・自衛官が足らない。これは、防衛省だけでどんなに頑張っても駄目で、社会全体で考えてもらいたい問題です。

 まず考えるべきは、予備役の数がすごく少ないこと。

・私がこんな話をしても、みんな本気になって受けてくれません。でも、現場は大変なことになっています。特に海上自衛隊は絶対数が足らず、いまの規模を維持するには予備役が不可欠になってくるでしょう。

・この問題をスパッと解決するような妙案はないように思えます。世界的に、海軍の人員確保は難しい課題となっているようです。

・いずれにせよ、いかに抑止力を維持したまま、人員減に対応していくか。この方策は、社会全体で取り組むべき問題ではないかと思っています。

<議員も知らない集団的自衛権>

・19世紀のイギリスの首相パーマストンは、こう言っています。

「大英帝国には永遠の友も永遠の敵もない。存在するのは永遠の国益だけである」

 そして世界の国々は、いつもこのような考えのもとに行動しています。日本の本当の国益とは何か。我々は一度、きちんと考えてみる必要があります。

<日米同盟は永遠か>

・集団的自衛権を前提として「お互いに守り合う」同盟にすれば、我が国は「条約上の義務として」米軍に基地を提供する必要はなくなるのですから、その上で、我が国自身の選択として、どのような抑止力が必要かを改めて米側と相談し、置きたい能力があれば置いておけばいいでしょう。

<なぜあの戦争に負けたのか>

・一つは、猪瀬直樹氏の著書『日本人はなぜ戦争をしたか 昭和16年夏の敗戦』との出会い。昭和20年夏ではなく昭和16年夏の敗戦としているのは、当時、政府に命じられて研究所がだした緻密なシミュレーションでは、日本の敗戦が明々白々だったからです。そのような結果が出ているにもかかわらず、東条英機が「いくさは時のものだ、やってみなければ分からない」といって進めてしまった。その結果、二百数十万人の命が犠牲になりました。

<ダチョウの平和>

・2001年9月11日、アルカイダというテロ組織がアメリカ本土で同時多発テロを実行し、この日を境に、アメリカを始めとした有志連合はテロとの戦いに突入します。

・国と国との戦いでは、始まりと終わりがはっきりとしています。最後通牒が出され、聞き入れられない場合に開戦することが多いですし、どちらかが降伏して平和条約が結ばれれば終わります。

・この話をすると、じゃあお前の子供を自衛隊に入れろ、アフガニスタンに送れ、と言う人が必ずいます。実際、今までに何度も言われました。

・核シェルターにしても同様で、なぜ唯一の被爆国であり、何万人もの人たちが原爆で命を失い、今もなお核の脅威にさらされている日本において核シェルターが作られないのか、と幾人もの外国人から尋ねられました。

・いま日本にあるのはダチョウの平和だ。日本人はダチョウ症候群だ、などとよく言われます。ダチョウは、危険がせまると頭を下げて見ないようにするそうです。日本もそうして、イヤなものがやってくると見ないようにしてきた。その結果、過去の教訓や経験がまるで活かされていません。

 イヤなことは忘れよう。見なければ存在しないのと同じだ。そう考えるのは自由ですが、しかし実際は、いくら見ないようにしても、あるものはあるのです。

<北朝鮮という脅威>

・これは、非常に楽観的な見方です。安全保障とは「信じるものは救われる」という世界ではないのです。

 ミサイル防衛は絶対に欠かせない抑止力です。しかし、完璧ではありません。

・北朝鮮の問題も、即効性のある解決策は存在しません。テロとの戦いと同様、長い時間を覚悟しなくてはならないのです。

<拉致問題ですべきこと>

・北朝鮮のことを考える時に決して欠かすことのできない拉致問題ですが、ここでもう一度、これからの取り組み方について考えてみなくてはなりません。

 拉致は「国民の生命」という国家主権が侵害されている重大問題です。

・日本にとって拉致は重大な問題ですが、他のメンバー国にとっての優先順位は高くありません。

・日本国民として、拉致問題を引き起こした北朝鮮に対して怒りを持って臨むことは、極めて当然のことです。

・拉致問題の解決のためには、やはり北朝鮮の体制を根本的に変革することが必要なように私には思われます。

北朝鮮の崩壊を食い止めているのは、韓国と中国による経済支援です。

・考えなくてはならないことは山ほどありますし、日本が果たすべき役割もまた大きいのです。

<中国という国>

・民間のNPO法人「言論NPO」の世論調査によれば、互いの国にいい感情を持たない国民の比率は2011年、過去最高に達しました。

 私は、中国を治めることは、日本を治めることの何倍も難しいと思っています。

・中国の人民解放軍は他の民主主義国のような軍隊、すなわち国軍ではありません。あくまでも中国共産党の軍隊なのであり、党による支配の永続性を図るためなら、いかなる行動も辞さないのが特徴です。思想や言論も、中国共産党に敵対するものは徹底的に排除されます。

 しかし、政治は共産主義、経済は資本主義という中国の体制は、根本的な矛盾をはらんでいるように私には思われます。資本主義は「格差の拡大」と「権力と資本の癒着」という二つの欠点を持っていて、これを放置すればやがて瓦解してしまいます。それを防ぐために、税制や社会保障システムを整備し、所得の再分配と格差の是正を図るとともに、民主主義的で透明な、癒着防止のための監視システムを作ることが必要とされます。これが果たして、共産党一党独裁体制の中で可能なのでしょうか。

・このように述べると、親中的とか中国寄りとかの批判が寄せられますが、相手国の事情を深く知り、思考のバリエーションを多く用意しておくことを怠ってはなりません。

<いま、何かが起こったら>

・さまざまな政策を決定するのに必要な分析に関していえば、「インテリジェンス」という言葉が頻繁に使われるようになりました。

・情報本部の情報が、国防に関する重要事項を審議する安全保障会議にあげられ、議論をした上で国の方針が決められる。これが理想です。しかし、必ずしもそうなっていないのが現実です。

・こうなってしまう理由はひとえに、出席する閣僚があまりにも国会で忙しいからです。

・国会の会期中は朝7時くらいから答弁の打ち合わせを始めます。それに2、3時間かけて、本番が10時くらいから。終わるのは夕方です。失言などに過度に厳しい昨今の風潮があるので、打ち合わせは入念に行わなくてはなりません。その間、省内の仕事はほとんどできません。

しかも国会において議論されることは、かなりの部分が本質論ではありません。

・安全保障会議を定例会議にしてしまうというやり方もありえるでしょう。

<温めてきた法案>

・フランスやイギリスは、日本よりも地方分権が進んでいます。日本の国会で侃々諤々の議論をしている道路特定財源の問題や年金、後期高齢者医療制度のような話のかなりの部分は、地方議会で話し合われるトピックなのです。

・このようないびつな状態を解消するために、私は、現在あるPKO法や特措法に代わる、自衛隊の海外派遣のための一般法を作りたいと考えました。

・しかし、2009年に総選挙で惨敗し、自民党が野党となって、私は政務調査会長の任を預かることになりました。

・平和なうちはいいですが、何か危機が起きたときに、今までなぜそのことを話し合っていなかったのか、ということに必ずなります。文句を言うだけでなく、やれることからやっていくしかありません。

危機管理に関しては、みんな、どこかでやっているのだろう、と思っているのです。一般の国民ならともかく、危機管理に関係する省にいる人たちもそう思っているのだから恐ろしい。

<自民党は、なぜ下野したのか>

<自民党政治はこうして終わった>

<郵政解散選挙大勝の盲点>

・郵政解散選挙は自民党が転落するターニングポイントだった。

 このように書くと、「何を言っているんだ、おかしいんじゃないか」と思う方もおられることでしょう。しかし、これは私のまぎれもない実感です。

・郵政解散選挙において、確かに自民党は獲得議席を大幅に増やして圧勝しました。首都圏、中京圏、関西圏など、それまであまり議席の取れなかった地域で多くの議席を獲得したことによる圧勝でした。

ところが地方では、確かに議席は獲得したけれど、得票数、得票率ともにかなり落とした地域が多くありました。

・それは、なぜか。一つは、市町村合併が進み、町長や村長、町会議員や村会議員などがごっそりといなくなってしまったことです。町会議員や村会議員は、2百票前後で当選する選挙なので、誰が自分に入れてくれたか、だいたい全部知っています。

・二つ目は、それと似た話ですが、市町村と同じく農業共同組合も大合併したことです。

・三つ目は、公共事業が大きく減ったので、建設会社の力が以前ほどなくなってしまったことです。過去、建設会社は自民党の集票マシンのようにも言われていました。

・だからこそ都市部で小泉さんの人気がストレートに選挙結果に反映したのです。

・しかし、自民党は「大勝」の美酒の酔いから醒めようとしませんでした。やるべき細かなケアをしないまま、人気のとれる選挙向けの「顔」として総裁を据えることに熱心だった。これが大きな敗因です。

<首相会見の重要性>

・振り返れば、反省だらけです。

 小泉総理の後、自民党が支持を失っていった理由の一つに、国民とのコミュニケーション不全が挙げられます。伝えたい時に伝えるべきメッセージを伝えることができなかった。たとえば、重要度からいえばトップともいえる首相会見の活用が上手くいきませんでした。

<身内の論理より国民の論理>

・安倍内閣、福田内閣、麻生内閣とどれもわずか1年で倒れてしまったのは、政策が悪かったからではありません。政権のイメージが、国民の期待するものとは異なっていた、大きな隔たりがあった、ということが最大の原因ではなかったかと思います。

・私は福田、麻生内閣にいましたが、不祥事への対応がどのように報道され、国民の目にはどのように映るのか、世論はどのように反応するのかについて、総理の周辺がもっと細心の注意を払うべきだったのかもしれません。「身内の論理より国民の論理」を掲げて、潔さとスピード感を印象付ける工夫がもっとあるべきだった、と閣内にいた人間として反省しています。

<国民に説明する努力>

・自民党全体としても、政策を国民に何とか理解してもらおうと思いが欠けていました。国家国民にとってどんなに大切な政策でも、説明の仕方を間違えると、とんでもないことになってしまいます。

・要するに、政策が正しければそれでいい、というものではないのです。もちろん政策が正しいことは大前提です。しかし、さらに、「政府は本当に私たちのことを分かってくれている」と思ってもらえるように、丁寧な説明をすることが大切なのだと思います。自民党は、国民とのコミュニケーションの改善に力を注ぐ努力を怠ってきた。このやり方が間違いであることに、もっと早く気付くべきでした。

<過疎地の悲哀>

・もちろん、単なる発信能力の問題だけで支持率を落としたわけではありません。公共事業を切るのは仕方がなかったにしても、同時に代わりの産業を育てることを実現できなかったのも、地方都市で票が伸びなかった理由の一つです。地方交付税も大きくカットしたので、地方は痛みに耐えられなくなってしまいました。

・そうした中山間地域の過疎地に住む人々の気持ちが、自民党には十分に伝わっていなかった面があったように思います。都市型政党の民主党とは異なり、自民党の強い基盤は地方にこそあったのですが、この根本をいつしか疎かにするようになったことが、小沢一郎氏の戦略による民主党の躍進を許す一因となってしまったのです。

<派閥の論理は通用しない>

・政権のなすことが民意や国民の感覚とずれているということは、安倍総理以降、常に言われていました。 

 もちろん、総理も自民党の政治家も、みなそれぞれ民意を考えていました。しかし、そのことがどんどん伝わらなくなっていった。なぜもっとPRが出来なかったのでしょうか。その理由の一つに、「派閥の論理」みたいなものがあったと思います。

・しかし、小選挙区制が採用され、自民党と民主党という二大政党ができた。そうである以上、我々はこのような「身内の理屈」で総裁を選ぶのではなく、「何をやる人なのか」ということを国民にアピールしながら、「こういう素晴らしいことをやる人だから、この人が総裁であり、総理になるのだ」ということを実感をもって伝えるべきだったのではないでしょうか。

<派閥政治の変遷>

・派閥なんてなくなったのではないか。小泉さんがぶっ壊したのではないか。そう思う人もいるかもしれません。確かに以前と比べれば、派閥の力は格段に落ちました。

・私が事務所に入って最初にやれと言われたのは、壁に大きな紙を貼り、自民党の候補者の名前を書くことでした。

・事務所は常に臨戦態勢でした。選挙の3ヵ月前ですが、週末ですら気を抜くことなんて許されません。

・小選挙区制になってからは、選挙は党単位でおこなうようになりました。

・いま残っている派閥の役割と言えば、ポスト配分くらいではないでしょうか。

<官邸のあるべき姿>

・私はつくづく、総理官邸はチームで動かさなくてはならないと思うようになりました。官庁や所属政党、あるいは自分のブレーンの学者などから本当に信頼できる人たちでチームを編成して、官邸に一緒に乗り込むべきなのではないでしょうか。

・総理から一党員に至るまで、選挙になれば自民党が勝ちたい、と思っているに決まっています。しかしその現状認識がどんどん世間からずれていってしまうことは、実はそう少なくありません。

・なぜ、このようなずれが生じてしまうのでしょうか。

 難しいデータ解析は必要ありません。たとえば、支持率が20%を切ったと言われたら、世間一般では「かなり低くなった」と思われるでしょう。しかし、これも内側にいると、「数字の方が間違っている!」と思ってしまう仕組みがあるのです。

<解散のタイミングとは>

・2008年に麻生政権誕生後、すぐに解散して総選挙をするという見方もありました。実際にそうしておけば、その1年後にあそこまで負けはしなかったとも思います。

・自民党が最初に定額給付金を決めたとき、「バラマキ」だとか、高額所得者にまで配るのか、といったさまざまな批判がありました。

<野党からみた風景>

<政党の広報戦略>

・政権交代の熱が完全に冷めてしまったいまとなっては、「民主党に任せていたら経済は酷くなる一方だ。一体これからどうなってしまうのか」と多くの人が心配をしています。

・彼らのマニフェストが穴だらけの空論であることは、選挙前からわかっていましたし、選挙後もその状況はまったく変わりません。ですから、論理で戦えばこちらが負けるはずがないのです。

・党大会も変えてみました。それまでは新高輪プリンスホテルで1億円ほどかけた華やかなもので、出席者は総理をはじめ現職閣僚とツーショットを撮ったりしてにぎわっていました。

<邪悪な与党のプライド>

・予告なしの街頭演説を始めたのもそのころです。最初に行った新橋では、何の予告もしていなかったにもかかわらず、千人ほどの聴衆が集まりました。

<仲介役から御用聞きに>

・与党時代とはまったく違う状況に置かれたいま、まず自分の頭で考え、自分の筆で政策を書き、それを自分の言葉で語るという自民党に変わらなければいけない。そして、これまでともすれば、ただ要望を持って霞が関につなぐ、いわば仲介役だったけれども、むしろこちらからあちこちに出向いて要望を聞く、いわば御用聞きにならなくてはいけない。

0コメント

  • 1000 / 1000