その高橋信次さんが3時間ほどずっとお話をされて終わりの頃に、実は自分は、釈迦が日本で5回生まれ変わっている、その5人目だっていうんですよ。(3)
(2024/7/19)
『人は考えたとおりの人間になる』
ジェームズ・アレン 田畑書店 2019/1/24
・人の心はたとえてみれば庭園のようなものだ。よく手入れをして美しい庭にすることもできれば、荒れるにまかせてしまうこともできる。
<はじめに>
・「人は自分自身の創造主である」という真実。
・人の心は織物師のようなものだ。心は、キャラクター(性格)という下着だけでなく、その人の置かれている状況という上着さえも織り上げていく。
<人の思考と性格>
・「人は考えたとおりの人間になる」という格言をご存知だろうか。
・文字どおり、人間はその人の思考によって形づくられている。
・種子なくして植物が生まれないように人間も思考という種子がなければ生まれないし、成長もしない。
・行動が、人の思考の花であるならば、喜びや悲しみ、苦しみは、その果実である。
・思考という心の働きが人間を創る。いまある私は、自分自身の思考がつくり上げたものだ。
・人間の成長には必ず明確な因果関係がある。
・人間は自分を成長させることもできれば、逆に滅ぼすこともできる。
・つまり、人間は正しい選択をし、自分の思考をフルに生かしていくことによって、全能の神に近づくことがでできるのである。
・「人間は自らの思考や思想、性格だけでなく、自分をとりまく状況や環境、さらには人間の運命までも支配し決定する」
・そして自分の希望したとおりに、自らを変身させていく力を秘めているものだ。
・人は、たとえうちひしがれ、絶望のどん底にあるときでも、自分自身の支配者である。
・人は、自分の置かれている状況を熟慮し、自らをつくり上げている「法則」を根気よく探し出す努力をすることで、「賢い支配者」になれる。
・このような人間になるには、自分自身の中にある思考の法則を探し出せばいい。
・金やダイヤモンドを手に入れるためには、鉱脈を探し出し、地を掘らねばならない。
・その真実とは、性格は自らがつくり上げたものであり、人生も運命もすべて自分自身が決定するものだ、ということである。
・では、どうしたらこの真実を自ら発掘できるだろうか。それには、自分のものの考え方を見つめ、コントロールし、そして変化させればいい。
・このような過程をへてはじめて、「求めよ、さらば与えられん」、「叩けよ、さらば開かれん」という絶対の法則が意味を持つのである。
<人の思考が環境や状況におよぼす影響>
・人間の心は、たとえてみれば庭園のようなものだ。よく手入れをして美しい庭にすることもできれば、荒れるにまかせてしまうこともできる。
・人間は、庭師が草とりをして花や果物の木を育てるように、心という庭を育てることができる。
・また、同時に自分の中に「思考の因果関係」を見出すこともできる。
・人間の性格はその人のものの考え方と一体のものだ。
・人間の思考は、その人が置かれている状況や環境と深く関係している。
・人間が現在置かれている立場には、それなりの原因がある。つまり、自分自身の中で育んできたものの考え方が、現在の彼を位置づけているということである。
・進化し、発展する動物である人間は、自らの環境の中から必ず何かを学び、成長することができる。
・自分は環境に左右される生きものだと信じている限り、人は自らの状況や環境に打ち克つことはできない。
・というのも、修行するうちに、自分自身が変わっていくのと同じペースで、環境も変化することに気づいたはずだからだ。
・そして、どのような場合においても、人をとりまく環境はその魂が自らつくり出したものなのだ。
・良い考えは良い実を、悪い考えは、悪い実を結ぶ。
・つまり、人間は喜びの中からだけでなく、苦しみの中からも多くのことを学んでいるということだ。
・いずれにせよ、こうした欲求や情熱を追い続けるうちに必然的にその人をとりまく環境が作られていく。つまり、ここでも人の成長と環境との因果関係が生きているということである。
・つまり、人間は、自分自身のものの考え方の統治者であるだけでなく、自分自身の創造者であり、環境の設計者でもあるわけだ。
・人間をとりまく環境や状況は、本人が望んだから出てきたものではない。しかしすべて本人自身がどういう人間であるかの反映である。
・人間は、望んだり祈ったりすることで何かを得るわけではない。自らの努力に見合ったものだけを得るのである。希望や祈りというものは、その人のものの考え方や行動の裏付けがあって、はじめて叶えられるのだ。
・では、いったい「環境や状況に挑戦する」という言葉は何を意味しているのだろうか。人間は絶えず何かの「結果」と戦っているが、実は、その「結果」の「原因」はその人自身の中にあることに気づいていない。
・しかし、いずれにしても、人間の努力や行動を、執拗に妨害し弱めてしまう力であることは確かだ。だからこそ、どうしてもこれを治さなければならないわけだ。
・しかし、人間は状況や環境を改善することにはすぐ乗り気になるが、自分自身を改善することには、残念ながら臆病である。
・そのため、いつまでも自分自身に縛られ続けるのである。自分を犠牲にしてまでも何かをやり通す人は、必ず目的を達成するものだ。
・強く立派な人生を送りたい人ならば、払う犠牲もそれだけ多くなることは当然のことであろう。
<人の思考がからだや健康におよぼす影響>
・人間のからだは、その人の心やものの考え方に支配されている。
・心が不純な考えを抱くと、とたんにからだは病に侵され衰弱してしまう。
・恐怖や不安は、弾丸と同じように、確実に一瞬にして人を殺すことができるだけでなく、ゆっくりと人を死に追いやることもできる。
・人間のからだは心の動きにすばやく反応する。考え方の習慣や癖は、からだにすぐあらわれる。
・心や考えは、行動、生活、生き方の源泉である。それが清められれば、すべてが清められる。
・心を清めれば、自然と食生活も改められ、不純な食べものを求めなくなるものだ。
・清潔な心や考え方は、清潔な習慣を生む。
・からだを鍛えたいのなら、心を守ることだ。からだを若がえらせたいのなら、心を美しくすることだ。
・健康なからだと明るく清らかな表情を持ち続けるためには、喜びや善意、落ち着いた気持ちなどで心を満たす必要がある。
・正しく生きてきた人にとって老いるということは、太陽が沈んでいくように穏やかで静かな、円熟したものである。
<人の考え方と目的>
・病に侵されたからだを治療する場合、明るく楽しい考えを持つことはどんな名医にもまさるものである。
・反対に、人に対する思いやりを忘れずに持ち続け、明るい気持ちで人に接し、人の中に長所を見つけ出そうという善意を持ち続けていけば、天国の扉は必ず開かれる。
・考えというものは、何かしらの目的と結びつかない限り、実のある成果をあげられないものだ。
・災いや破滅をさけて航行しようとするならば、何らかの目的を持つことが必要だ。
・何の目標を持たずに生きている人は、ささいな不安、恐れ、悩みにわずらわされ、自己憐憫に陥ってしまうものだ。
・力で動いていくこの大宇宙では、弱いものは存在していけないからである。
・人間は誰でも、きちんとした目的や目標を心の中に描き、その成就、達成に努力すべきである。そしてこの目標を、すべての考えの中心に置くべきである。
・多くの場合、人は弱さから何度も失敗を繰り返してしまうが、失敗するたびに人間の性格は強化されていくものだ。そしてその性格の強化は、その人が真の成功に近づいたかどうかを計る尺度になるだけでなく、新たな力を生むための出発点となる。
・大きな目標に向かって生きるという重荷にまだ準備ができていない人は、どんなささいで無意味に見える仕事であっても、完璧にそれを成しとげることに考えを集中してみるといい。
・どんなに弱い心を持った人間であっても自分の弱さを認識し、「力は努力と鍛錬によってのみつちかわれる」ということを信じて努力に努力を、また忍耐に忍耐を重ね、力を着実につけるようにがんばり続けていけば、いつかは神のような強さを身につけることができる。
・からだの弱い人は、徐々に、そしてしんぼう強くからだを鍛えていく。心が弱い人も、同じように、徐々に正しいものの考え方をすることによって、精神的に強くなることができる。
・目的なしに弱々しく生きていくことをやめ、目標を持った生活をするということは、強い人間の仲間入りをすることである。強い人間とは、失敗を成功への一歩と見るだけでなく、あらゆる状況を自分の役に立ててしまう人々である。
・ある目的を設定したならば、その目的に向かってまっすぐな道を心に描き、わき目もふらずにその道を進んでいくことだ。
・疑惑や恐怖からは何も成果は得られないし、何も達成することはできない。疑惑や恐怖は人を必ず失敗へと導く。
・何かを実行しようという意志の力は、私たちに何ができるのか、ということの正しい認識から生まれるものである。疑惑と恐怖はこの認識の最大の敵である。
・疑惑や恐怖を克服した人は、同時に失敗をも克服したことになる。心は力と結びつき、どんな問題にも勇気を持って対処できるようになり、賢明に問題を解決できるようになるのである。
<目的の達成に思考が果たす役割>
・人の考えと目標が大胆に結びついたとき、考えは大きな創造力となる。
・人が手にする成果も失敗も、すべてその人のものの考え方いかんにかかわっている。バランスを失うことが、そのまま崩壊につながるという、明確な法則のもとにある大宇宙では、個々の役割、責任というものは絶対である。
・喜びも苦しみもすべて彼自身の中から出たものだ。人間は考えたとりの人間であり、考え続ければ、そのとおりの人間になっていく。
・努力して自分自身に打ち勝つ強さを身につけなければ、救いの手をさしのべてくれた人のように強くなれない。つまり、自分自身にしか自分の置かれた状況を変えることはできないのである。
・真の知識というものは、抑圧する側の力の乱用だけでなく、抑圧された側の弱さを見抜くことができる。真実の愛があるなら、抑圧する側とされる側両方の苦しみをくみとり、どちらも非難することはできない。
・弱さを克服した人間は、利己的な考えをすべて捨て去る。そして抑圧する側とされる側のどちらもつくことはない。
・人間は、自分の考えや心を高めることで、はじめて進歩し、発展し、目標を達成することができる。
・世俗的な目的であっても、何らかの成果を得るためには、奴隷や動物のような自己中心的なものの考え方から脱し、もっと崇高なものの考え方をしなければならない。
・自分の考えや心をコントロールできない人には、状況を判断することも、重大な責任を負うこともできない。
・何かをあきらめることなくして、進歩や成果を得ることはできない。
・考えや心を高めることによって、その人はますます堂々とし、正しく公平な人間になる。そして成功もよりいっそう大きいものとなる。
・宇宙は、たとえ表面的にはそう見えることがっても、けっして、欲張りな人間、不正直な人間、そして悪事を働く人間の肩を持つことはない。
・知的な進歩というものは、知識の探求のために全神経を集中し、人生や自然の中の美と真実を求め続けることによって得られるものである。
・精神的な進歩というものは、崇高なる志を吸収することによって得られる。それは、太陽が必ず天頂に達するように、また月が満ちるように確実にやってくることである。
・進歩とはどんなものでもあっても、努力に与えられる王冠であり、正しい考え方に与えられる王位である。
・正しい考えかたを持ち続けた成果というものは、絶えず注意をはらって、心がけないと維持できない。
・進歩は、たとえそれが仕事上のものであれ、知的あるいは精神的なものであれ、すべて明確に方向づけられた考えが生んだものである。
そして、進歩は同じ法則に支配され、同じ方法を持ってつくられたものである。
<夢と理想>
・少ししか成功しなかった人は、それだけ犠牲が少なかったのだ。大成功をおさめるためには、それなりに大きなものをあきらめなければならない。
・夢想家は、救世主のようなものだ。人間にとって、想像力豊かな人々や夢想家はなくてはならない。彼らが描き出す夢や理想が消えてしまっては困るのだ。なぜなら人間は夢なしには生きられないのだから。人間は、いつの日かその夢が現実のものになることを信じている。
・神がこの地を創造した後の世界を作り上げているのは、作曲家や彫刻家、画家、詩人、予言者、哲学者のような人々である。
・心の中に美しい未来像を描き、理想を追い求める人は、いつの日か必ずそれを実現する。
・ビジョンや理想を大切にすることだ。そして、その理想像を忠実に生きていけば、あなた自身の世界がつくられる。
・何かを求めるということはそれを得ること、何かに憧れるということはそれを手に入れるということだ。
・それは宇宙の法に反することだし、あり得ないことだ。「求めよ、さらば与えられん」という言葉もあるではないか。
・高い理想を抱き、崇高な夢を見ることだ。そうすれば、その高い理想にだんだん近づくことができる。
・どんなに偉大な進歩や、成功も、そのはじめは小さな夢だったのである。そして大きな夢がふくらみはじめ、目醒めの天使が訪れるのである。夢は現実の苗木なのだ。
・あなたは今、自分が置かれている境遇に不満を抱いているかもしれない。しかし何か大きな夢、理想をかかげ、その実現のために努力すれば、その状態から脱することはできる。
・夢の中を旅することはできないが、同時に夢なしでは生きてもいけない。
・彼は頭の中に豊かで理想的な生活を描き、のびのびと自由に生き、より大きな視野を身につけた自分を想像するうちに、そのとりこになってしまった。
・やがて、彼の新しい能力と見合ったチャンスがたくさん到来し、彼は二度とあの最初の仕事には戻ることはなくなった。
・年月がたち、若者はりっぱに成長して大人になった。いまや彼は強い精神力を備えた大人だ。世間に対して大きな影響を及ぼすことのできる立場にある。
・そして太陽のように彼は多くの人々の生活の中心となった。彼は若いころに描いた夢、描いた理想を現実のものにしたのだ。若かりしころの理想と、ひとつになることができたのである。
・なぜなら、あなたの心が描いたものをあなたは手に入れることができる。あなたが努力した分だけは、必ず戻ってくるのである。
・人の行為には必ず努力というものがあり、結果がある。そして、どれだけ努力するかが、結果を左右するのである。「運」はまったく関係しない。
・頭の中に描く理想や心に抱く夢でもって、人生を築いていくことだ。必ず、あなたはこの理想や夢が描く姿になることができる。
・「あなたはしがない事務員だ。ある日あなたは、それまでずっとあなたの理想を阻んできたと思ってきた扉から、一歩外へ踏み出す」
・思慮深くもなく無知で怠惰な人々は、目に見えることだけを信じ、本質を見ないために「運」とか「偶然」といったことばを口にする。
・人の行為には必ず努力というものがあり、結果がある。そして、どれだけ努力するかが、結果を左右するのである。
・頭の中に描く理想や心に抱く夢でもって、人生を築いていくことだ。必ず、あなたはこの理想や夢が描く姿になることができる。
<心の平穏>
・心の平穏とは、賢明さがもたらす、すばらしい宝である。自己コントロールを身につけるための、長い忍耐強い努力の賜物である。
・人間は、自分が思考によって生きている生物だと、理解し納得することによって心の落ち着きを得るのだ。そして、そう理解するためには自分だけでなく、他人も思考によって生きているのだと知ることが必要になってくる。
・穏やかな心を持った人は、自分自身をコントロールするすべを、そして周囲の人々とうまくつき合うすべを知っている。
・強く穏やかな人間は誰からも愛され、尊敬される。
・このような人々は、雨の日も晴れの日も、何が起ころうとも変わらずに優しく穏やかで落ちついている。
・魂の嵐や風を抑え、自分の思うがままにコントロールできるのは、自分の心の動きを制御し、より清らかにすることができる賢明な人間だけである。
・大嵐に揺れる魂は、どこにいてもどんな状況に置かれていても、次のことだけは知っている。人生という大海には、太陽がさんさんとふりそそぎ、幸福あふれる理想の島々があり、魂が来るのを待っているということを。
・魂という船には必ず船長がいる。ただ、いまは寝ているのだ。さあ、彼を起こそうではないか。
<訳者解説 柳平彬>
・「人は考えたとおりの人間になる」。この言葉は、実は4千年ほど前、ヒンズーの神秘主義者がサンスクリット語でパピルスに書き残したとも言われています。
・「われわれの人生は、われわれの考え方が作るものである」
・すなわち人間の成功も失敗も、人生のすべては私たちの考えのなかで起こる。つまり、心で信じることが現実に訪れる可能性が高まるのです。
・人は、その人が思うとおりの人間になる。自分の考えが自分を作る。
・人は自分の考えたとおりの人間になる。「考え」こそが、ひとりひとりの人生と運命を形づくる。
・ジェームズ・アレンの哲学を、もっとも良く、かつもっとも現実に適した形で誰にでも実践できるメソッドとして確立したのが、コンクリンのAIAのプログラムです。
・この20年、いや30年といっても構いませんが、日本の企業は活力を失い、かつては世界のなかで占めていた位置を、大きく下げてしましました。その要因はいくつか考えられますが、その中の大きなもののひとつとして、次のようなことがあると思います。すなわち、サラリーマン化した経営者が、短期利益のみを求める株主のために、短期決算にじかに反映されるような即効性のある経営方針しか掲げなくなったということです。
<ジェームズ・アレンについて>
・15歳のジェームズは母親と二人の弟を養うため、1日15時間ものあいだ靴下編み工場で働いていたが、大好きな読書は決してやめなかった。
・ジェームズは25歳頃に故郷のレスターからロンドンに移り、個人付き秘書として9時から18時まで働いていた。仕事以外の時間は残らず執筆にあてていたが、1902年、雑誌「the light of Reason」を立ち上げ、その編集にあたったのを機に、すべての時間を執筆に充てようと決意する。
・ジェームズは病にたおれて間もなく、1912年1月24日に48年の生涯を閉じた。
(2020/1/6)
『富と宇宙と心の法則』
ディーパック・チョプラ サンマーク出版 2007/1/1
<宇宙と一体になれば、どんなものでも創り出すことができます>
・富の意識とは、心の状態のことです。自分に必要なものが手に入るよう祈っているだけではいけません。手に入る前にすでに自分のものになることを肌で感じ取らなくてはならないのです。
・師はこの質問にこう答えました。「どのような人間の心のなかにも、ふたりの女神がすんでいる。そして、誰もがこの女神たちを深く愛している。しかし、お前には知っておかねばならない秘密がある。それを教えよう」
「お前はどちらの女神も愛しているが、惚れるのはひとりにしなくてはならない。それはサラスバティーという知識の女神のほうだ。この女神だけを追い求め、愛し、かまってやりなさい。もうひとりのラクシュミーは富の女神だ。お前がサラスバティーのほうばかりかまっておれば、ラクシュミーは激しい嫉妬心をいだき、お前に関心を払うようになる。知識の女神を好きになればなるほど、富の女神はお前を追いかけてくるようになるのだ。お前の行くところならどこにでもついてきて、けっして離れようとはしない。これが、望んでいる富を永遠に手に入れる秘訣だ」
知識、願望、そしてスピリット(魂)にはパワーが秘められています。そして、内面に存在するこのパワーこそ、豊かさを創り出すための鍵なのです。
<何に関心をいだくかで、あなたの人生は決まる>
・ほんとうの富や豊かさを手に入れるとは、お金も含め、人生のあらゆることにまったく不安がなくなることです。そして、ほんとうの富の意識を理解するには、万物を生み出す源の性質を知らなくてはなりません。
それには自らの意識や知覚を純粋な状態にする必要があります。しかし、頭で考えているかぎり、この状態に達することはできません。それには、日常の意識を超越しなくてはいけないのです。その状態に達すれば、そこがほんとうの自分がいるべき場所であることに気づき、理解できるようになります。
日常の意識を超越した瞬間は、言葉を使わなくても気づきます。集中力を奪ってしまう話し言葉を介入させずに、じかに知識を手に入れるのです。瞑想の価値は、日常では見えなくなっているほんとうの自己をわたしたちに実感させてくれることにあります。ほんとうの自己を味わうことで、純粋な幸福と純粋な喜びが湧いてきます。瞑想と活動を交互に行うことで純粋な自己、純粋な知覚、純粋な意識の場により深く入っていけるようになり、わたしたちの活動にもプラスの影響が出てきます。ほんとうの自己、純粋な意識に本来備わっている性質(無限性、無際限、豊穣、豊かさ、普遍性)が、日常生活の活動のなかにも現れてくるからです。
無限の可能性の場にたどりつくための最善の方法は瞑想ですが、この場のもつ性質を知識として覚え、その性質に関心をもつことも有効な手段です。なぜなら結局、自分が日ごろいだいている関心は、やがて現実となって現れてくるからです。
<量子場>
・物理学者が、原子を構成し、現実のすべてを構成している素粒子(クォーク、ボソン、レプトンなど)を調査し理解しようとしても、あまりに小さすぎるため、現在、測定できる装置はありません。今後も発明されることはないでしょう。
さらに、このような素粒子に関するもうひとつの面白い事実は、誰も素粒子を見たことがないということです。では、観察したり、見ることができないなら、どうして素粒子が存在していることを知っているのでしょう? その答えは、加速器に残された素粒子の痕跡です。素粒子理論に関する調査をしているところでは、このような素粒子が残す痕跡を見ることができますし、写真に撮ることもできます。痕跡を調べることで、実際に存在していることがわかるのです。しかし、素粒子にはもうひとつ、「観察された瞬間しか、存在しない」という非常に興味深い面があります。
・量子場を見ていると、素粒子(の痕跡)がちらりと姿を現します。しかし、目をそらすたびに、素粒子は空虚のなかに消えていきます。素粒子は暗室のなかの小さな光のように、ついたり消えたりしているのです。暗室を無限で境界のない空間だと想像してみると、素粒子はそこで明滅する光であり、わたしたちが関心を払っているときだけ姿を現しているのです。その場から関心をそらすと、あらゆる可能性の場のなかのどこかに消えていきます。素粒子がどの場所にあるかは、確率的にしか予測することはできません。
すべての素粒子は波の性質ももっています。観察される瞬間まで、素粒子は波なのです。波は広がっていくものなので、空間や時間のどこか一か所に限定されてはいません。
波として広がっているものを、測定可能な物質に変えるには関心を払わなくてはならないのです。関心をいだく(観察する)ことで、波であるものが物質(粒子)に変わります。文字どおり、素粒子はあなたやわたしが観察することで創り出されるのです。観察されなければ、素粒子は空間を漂っている波にすぎないのです。
・関心を払う(観察する)ことで起こる奇跡
<観察前>
波
空間や時間を超えて広がっている
非物質的、非局所的(場所と無関係)
心の領域にある
<観察時>
• 粒子
時空間で起こっている出来事
局所的
物質の領域にある
これはなんと不思議な現象でしょう!無限の、あらゆる可能性の場のなかの波を目に見える物質に変えているのは、わたしたちの関心なのです。それどころか、自分が何に関心を払っているかで、何が創造されるのかが決まるのです。あなたの関心の質がまさに人生を決めているのです。関心が薄ければ、わたしたちは何も創造できません。しかし、関心を集中すれば、わたしたちは素晴らしいものを創り出せるのです。
『ヴェーダ』の賢者はこういっています。「存在しているものに関心を払い、あらゆる瞬間に、そのものの完全な姿を眺めなさい。神はいたるところに存在している。関心を払いさえすれば、神が現れてくる」
<知識、願望、魂の力>
・宇宙のなかのあらゆる豊かさの源である統一場(森羅万象の創造の源)の特徴を調べてみましょう。ほんとうの豊かさを身につけるためには、結局、この創造の源である統一場のもつ特徴をしっかり理解する必要があります。
次に紹介するのは、統一場(物質が生み出される究極の場)のもつ25の特徴です。
・結局のところ、統一場の持つ特徴は、インドの古典的聖典『ヴェーダ』のなかに説明された、創造の源であるブラフマン(宇宙の源である神聖な知性)の特徴とも一致していました。(あらゆるものを創造できる神の領域である)統一場のもつ特徴を、あなたも身につけてください。
アインシュタインはかつてこういいました。「わたしが知りたいのは神の考えだ。それ以外はすべて些細なことでしかない」
統一場がもつ特徴を検討してみましょう。それは次のようになります。
1あらゆる自然法則を生み出す基盤
あらゆるものを創り出す自然法則のすべては、この統一場のなかに見つけ出すことができます。
現在、科学者は自然のなかには4つの基本的な力が存在すると教えています。その力とは、地球を回転させ、惑星が飛び去らずに軌道上を動けるようにしている「万有引力」、そして、光、熱、電気など、わたしたちが日常生活で利用するエネルギーを創り出す電磁力、原子の核を構成する「強い力」、そして、元素や放射能の変換(崩壊)を引き起こす「弱い力」です。物質が創り出されるときは、かならずこの4つの力が働いています。しかし、これらはたんなる力ではなく、知性の場でもあるのです。なぜならこの4つの力すべてを創り出す母体である統一場は、あらゆる自然法則を生み出す力をもっているからです。
2無限の組織化能力
統一場は、あらゆるものを組織化しています。銀河系や星の動き、地球の自転、季節の循環、ヒトの生体リズム、適切な季節につねに同じ場所に移動する島、卵を産みに故郷の川に戻ってくる魚、植物や動物にみられる自然の生体リズムなど、創造されたものはすべて、オーケストラのように全体と調和しているのです。
文字どおり、この場には無限の組織化する力があり、同時に無数のことを実行しながら、この無数のことを互いに密接に関連させています。
・統一場には、このような無限の組織化能力が本質的に備わっています。統一場も深く知り、この場が自分の本姓であることを実感してもらうことで、あなたにも、無限の組織化能力が自然と養われていくようになります。
3内側はしっかり目覚めている
統一場は純粋な気づきの場です。この場はまったく眠ることなく、いつも活発に働き、表面は静かでも、内側はしっかり目覚めています。純粋な気づきの場にきちんと注意を払っていれば、あらゆることが可能になります。
4無限の相互関連性
くり返し述べますが、統一場ではどのひとつも、ほかのすべてのものと関連をもっています。
5完璧な秩序
統一場は秩序の場でもあります。要するに、表面がいかに混乱しているように見えても、つねに秩序は保たれているのです。最近、いわゆるカオス理論について数多くの情報が提供されています。それは表面がいかに混沌としているように見えても、その表層の奥深くには秩序が存在しているということにほかなりません。
・統一場にもこれと同じ秩序が存在しています。なぜなら、ここでは同時に無数のことが組織化されているからです。表面はひどく無秩序に見え、一見、脈絡のない活動や考え方に導かれているように思えるかもしれません。しかし、この混乱の背後には、隠された秩序が存在しているのです。
6無限の活力
統一場はつねに変化し発展していく場です。静寂であっても、この場にはあらゆる可能性を創り出してくれる無限の活力が秘められています。この場には、柔軟性も秘められています。
7無限の創造力
結局、宇宙の全貌を具体的な姿で現すことほど、創造的なことはありません。宇宙の姿を明らかにすることは、「無限の可能性の場」のレベルから生まれた思考を実現することにほかなりません。
8純粋な知識
純粋な知識とは、これとかあれとかいった、限られた知識のことではありません。それは物質を創造する際に働いているあらゆるものに関する知識です。この知識は過去、現在、未来に存在するあらゆるもののもつ無限の可能性なのです。
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