人並みに勉強していれば、人並みに落ちる試験。それが司法試験だ。なるほど、そういうことなのかな。人並み以上に勉強しなければいけないということなんだね。(2)

<1971年10月2日(土)>

・夕方、ようやく彼女に電話することに踏み切った。本当はきのうは親よりも誰よりも真っ先に電話をかけて知らせたかった。

・ここで、あとで判明したことをふくめて司法試験の合格状況を明らかにしておこう。ぼくが合格したのは1971年(昭和46年)。5月の短答式試験にはじまった司法試験は10月1日に最終合格発表があった。合格者は東大が129人で、例年トップだった中央大学の116人を抜いて1位となった。続いて早稲田の47人、慶応の26人、明治の20人となっている。合格者のうち、ぼくのような在学生の人数をみると、東大は92人いるけれど、あとの大学はみな一桁でしかない。一橋大が6人、中央と早稲田が3人、慶応と明治は1人だ。東大は在学生92人に対して、卒業生のほうは37人と、在学生のほうが3倍近くも多い。これは、私立大学と違って国立大学は年間授業料が断然安いため、ぼくのように気楽に留年してしまうことを反映した数字でもある。私立大学だと、高い授業料を払うメリットもないため、とりあえず4年で卒業してしまう。ただし、東大で在学生の合格者がこれほど多かったのは、ぼくらの昭和46年のみで、この年だけが突出している。翌47年には在学生は40人と半減し、卒業生の68人を下回っている。これは、在学生の受験生が昭和46年には739人で、翌47年には243人と3分の1に減っていることの反映でもある。東大闘争を経験したぼくらは、当然のように大量に留年したし、勉強の遅れを取り戻そうと必死で勉強した。

・昭和46年の受験生は、全体で2万2250人。これに対して合格者は523人なので、その合格率は2.3%。受験生の総数は次第に増え、昭和51年には、ついに2万9000人をこえ、翌52年、さらに53年まで2万9000人だった。その後は少し減っていった。

 論文試験の合格者は623人であり、最終合格者は533人なので90人が口述式試験で落とされたことになる。

・ちなみに、論文試験に合格した女性35人のうち、最終合格した女性は28人なので、女性も7人が口述式試験で落とされている。

・ぼくは、寮の部屋に戻ると、机に向かい大学ノートに総括文を書きはじめた。昨年夏から司法試験の受験勉強を始めて1年で合格できたこと、その成績も、これはあとで司法試験管理委員会から知らされて分かったことだけど、辛うじて2桁という93位、決して悪くないものだった。その理由は何だったのか、第一に、今年位置された問題が基本的なことを問うものばかりだったことがあげられる。昨年と同じハイレベルの問題だったら絶対にダメだったと思う。在学生の合格者が92人と多かったのは、司法試験管理委員会の方針として在学生優先だったとしか思えない。

・第二に、司法試験に合格するコツを、ぼくが身につけ実践したということ。それは、一言でまとめると集中力。これに尽きる。

<司法試験合格の秘訣  1971年10月5日(火)>

・これからの当面の予定を大学ノートに書き出すことにした。まずはお礼状を出そう。受験勉強した期間にぼくに手紙をくれた元セツラー仲間や、お世話になった人へお礼の手紙を書く。

・次に、司法研修所への願書に顔写真を貼って、履歴書と一緒に送るのも忘れないようにする。そして、この1年間を、きちんと総括する。今までいろいろ書きなぐってきたものを、きちんとまとめる。まずは受験の技術編を早く完成させる。そして、受験の青春篇にも取りかかる。

<1971年10月11日(月)>

・しばらく九州の実家に帰って、心身を養生することにした。来年4月の司法研修所への入所まで、時間はたっぷりある。それまでに海外旅行へ出かける人もいるようだけど、ぼくにはそんなお金はないし、度胸もない。久しぶりに寝台特急「みずほ」に乗った。

・ぼくにとって司法試験は300メートル競走だった。マラソンではなく、100メートル競走でもない。

・勝因は集中力だ。一日一冊、分厚い法律書を読み飛ばすのではなく、じっくり読み切る力が求められる。

・郷里の駅に着いた。少し遠いけれど、駅からゆっくり歩いて実家に戻った。満面の笑みを浮かべた両親がぼくを出迎えてくれた。結婚している姉たちを集めて、自宅でささやかな祝宴となった。

・祝宴のあと、ぼくの部屋に入ると、机の中に東大受験の時の記録を見つけた。ぼくは田舎の県立高校で東大合格を目指して必死に勉強した。

・4年半も前の記録だけど、自分の書いたものを読むと面白いと思った。不思議なほど、今回の司法試験の受験生活と似ている。もちろん、高校生のときのほうが幼稚であり、なにより字が稚拙で、言葉遣いも洗練されていない。それでも、読めば読むほど多くの共通項がある。その最大のものは、どちらも要するに受験だということ。限られた短い時間の中で、本番において、それまでの勉強のすべてを発揮しうるよう、死力を尽くして生活していたということ。

・司法試験の受験勉強をはじめたときには、東大入試で合格するための勉強とは似ても似つかない、まったく違うものだと考えていた。ところが、法律の解説書と格闘し、また司法試験の合格体験記を読んでいくうちに、これは要するに受験勉強であり、決して学問しているわけではないことを身をもって知るに至った。この考えにたどり着いたぼくは、「受験新報」に掲載されている合格体験記や先輩のアドバイスを次々に読んで受験に合格するコツを授かった。そして、自分にあっていると思ったものは、即実行していった。

・合格するコツは、もちろんいくつもある。決して一つではない。そして、その最大のものは集中力だ。そのあらわれとして言えるのは、500頁もある団藤『刑法要綱』を一日のうちに隅から隅まで読み尽くす。そこまで至ったら良いということだ。

<1971年10月18日(月)>

・ぼくの自分への慰めの言葉は、たとえ司法試験に合格しなくても、法律の勉強をこれだけ熱心にしたのだから、それがぼくの人生にとって無駄になることはないだろうということだった。そして、もっと積極的な心の支えとしては、なんとかしてセツルメント活動をしていた地域に戻り、今度は弁護士として役に立つ活動が展開できないかということ、それをもとのセツラー仲間と一緒にやれたら、どんなにいいことだろうか、ということだ。

・受験勉強のやり方にも、2月、3月と進むにつれ熟達してきたし、法律というものの考え方が少しずつ身につき、その面白さも分かってきたことは、ぼくを励ました。

<1971年10月20日(水)>

・合格発表があってからというもの、虚脱状態が続いている。日常の動作はノロノロしていて、全身に力が入らない。なんとなく意欲が湧かない。虚脱感がお腹の調子も狂わせた。

・大学に入ったときには考えてもいないことだった。そもそも東大に入ったときのぼくは、漠然と高級官僚を志向していた。

・ところが、セツラーとして青年労働者とまじりあっているうちに、それは軽々しく口にはできないことだと悟った。目の前にいる若者たちは、集団就職で青森や岩手から出てきた中卒の工場労働者だ。

・2年あまりの駒場での教養学部生活では、将来の進路は考えることができなかった。東大闘争がはじまり、毎日が忙しかったので、その点について何も考えなくてもどんどん月日はたっていった。本郷へ進む前、周囲には司法試験を目指すというセツラーが何人もいた。

・ところが、トコロテン式に本郷に押し出されて、法学部の授業がはじまるようになると、否応なしに進路を決めなければいけない。もう、待ったなしだ。その点、就職組は気楽だ。東大法学部生にとって就職先に困ることはない。あちこちから引っぱりだこだ。法学部には銀行や大手メーカーから人気があった。就職組は早々に内定をもらって、あとは卒業できる程度に、つまり落第しないほどに勉強していれば足りる。

・「オール優」を目ざすのは、学者として大学に残ろうとする学生だけ。ぼくは自慢じゃないけれど、法学部の試験で優をもらったことがない。語学もできないし、大学に残るなんて考えもしなかったし、ありえない。すると、残るのは官庁か司法試験だ。そして、官僚がダメだというなら、もはや司法試験しか残っていない。企業や官庁に入って、機構の歯車の一つになる、上司にこき使われ、ヘイコラするというのは、ぼくの性分にあいそうもない。

・みんな真面目に法律の勉強に没頭しはじめた。いくつもの小さなグループができて、司法試験を目指した。ぼくは、駒場にいた2年あまりのあいだ法律学を専門的に勉強したことは一度もない。

・駒場では、ぼくが2年生だった6月から東大闘争が始まって授業がなくなった。授業が再開されたのは翌年3月のこと。それまで、ぼくは学内では集会やデモに参加して忙しかったし、学外ではセツルメント活動に打ち込み、さらに忙しかった。

・あとで、ぼくが売り込みにいった科目について売られているノートをみると、格段にすぐれていた。それは、大教室の最前列を占めているような成績優秀な学生たちの労作なので、レベルがちがう。学生自身によるコメントがあり、条文が引用されている。講義を再現しただけのぼくのノートを教材課が買ってくれるはずはなかった。

<1971年10月28日(木)>

・ぼくは郷里でたっぷり静養して寮に戻った。そして、用もないけれど、緑会委員会の部屋に顔を出した。

・室内は閑散としている。太田氏は、はじめのうちは最近の出来事を語っていたが、やがて本題を切り出した。それは、ぼくがわずか1年あまりの勉強で司法試験に受かったことは奇跡的だと思うと評価したあと、こんなに惚けてしまうようではダメじゃないかという厳しい叱責だった。ぼくには太田氏の追及が衝撃的だった。ぼくは、帰省していたから、ベトナム反戦デーの「10・21」の集会デモに、もちろん参加していない。そのことを指摘しながら太田氏は、ぼくに厳しい目を向けてきた。ああ、やっぱり受験勉強していない人には分かってもらえないんだな。ぼくは一瞬のうちに理解した。

<1971年10月29日(金)>

・ようやく全身に力がついてきた。虚脱感が抜け、なんとか行動できる感じになってきた。

・セツルメントを卒業した今、それに代わる同じような運動に関わろう。地域では公害をなくす運動に関与し、また司法修習生予定者として青法協活動を主体的に担う一人になろう。

・そのため、司法試験受験生活の総括を一刻も早く完成させ、決着をつけて頭をすっきりさせよう。そして本をどんどん読んで勉強しよう。焦点を日本の労働運動において、初歩的なものから始め、体系的に学んでいくことにする。

 夜、寮の部屋で机に向かって、例の大学ノートを取り出した。

・ところが、その活動は、振り返ってみると、みな中途半端だった。これは、ぼくにとって心の痛む反省として残っている。ぼくはセツルメントの代表者までつとめたけれど、理論活動と実践活動を統一することはできなかった。

・司法試験の受験勉強は、本当に苦しかった。

・今は弁護士しかない。そう思い込む以外に自分の救われる道はない。

<1971年10月30日(土)>

・ぼくは必死になって総括文を書きつづっていった。大学ノートだけでなく、カレンダーの書き込み、毎日の行動を数字で記録した棒グラフ表、そして毎日の出費を克明に記録した小さな家計当座帳のメモ、これら全部を拾い集めて起承転結のある文章にしていった。ぼくが書いていたメモは、物言わぬは腹ふくるる心地ぞするという気持ちから、その都度、思いの丈を吐き出して書きつけたもの。

<1971年10月31日(日)>

・体調はまだ本調子とは言えない。昼間、少し身体を動かすと疲れがひどい。1年間の運動不足がたたっている。何しろ、1年間、食事のときに少し散歩がてら歩いたくらいなので、すっかり身体がなまってしまった。

・ぼくは、なんとか総括文集を完成させると、法学部の緑会委員会室に持ち込み、コピーを2部つくった。

<あとがき>

・司法試験を受験する人が減っています。弁護士という職業に若い人があまり魅力を感じなくなっていることの反映でもあるようなので、大変残念に思います。

 25歳で弁護士になり、もうすぐ弁護士生活も45年を迎えようとしている私にとって、弁護士こそ天職です。苦しい司法試験受験生活を耐え抜いて、本当に良かったと考えています。

・この本は私の実体験にもとづいていますが、あくまでフィクションとしてお読み下さい。47年も前の古い受験体験記ですが、今でもきっと読んで役に立つところがあると私は確信しています。というのも、私は大正11年に発刊された『判検事弁護士試験奮闘記』を手に入れて読みましたが、大正時代の受験生に必要なことは私のときにも求められていたことを知って深い感銘を受けたからです。六法全書が3円というとき、その本は1円80銭でした。いくつか紹介します。

・条文を離れて法理論を語るのは砂上の楼閣に等しい。

・重要な判例・学説を知るにつとめよ。

・受験生同士でおおいに議論をたたかわせよ。

・及第するには、不断の努力をもって確実な勉強を続けて実力を養うこと。そのためには選んだ良書を精読して法律常識を養うこと。

・抜き読みの小細工勉強は禁物。

・過去問を繰り返し、傾向をつかむ。

・強い決心と勇気が必要。

・口述試験では、あくまで自分の考えとして答える。不確かなことを言わず、自分の正当と信じるところを述べ、それを裏づける一応の理屈を立てて通す。

 いかがでしょうか、司法試験の受験生の心得として、今も生きているものばかりだと思います。これは、私のころにはなかった司法試験予備校そして法科大学院ができてからも、少しばかり形は異なっているかもしれませんが、変わらないと確信しています。

・昔も今も、世の中には不条理なことがあまりにも多すぎます。多くの人が強い人に泣かされ、あきらめさせられている現実があります。しかし、そのとき私たち弁護士は、事実をもとにして論理的な組み立てでたたかう筋道を示し、ともに前を向いてすすんでいきましょうと呼びかけることができます。

( 2015/12/25)

『なぜ日本は若者に冷酷なのか』

そして下降移動社会が到来する

山田昌弘   東洋経済新報社   2013/11/22

・「超」階級化する日本。親依存できる社会が終わりを迎える時、アンダークラス化した若者が大量に出現する!!

<「三振」した人の引きこもり問題――司法試験不合格者をどう処遇するか>

<――結局、新司法試験の合格率は上がらない>

・合格、不合格を決める試験というと、嫌な思い出を持つ人が多いと思うが、世の中は多種多様な試験にあふれているのも事実である。教育社会学では、試験を2種類に区別している。一つは、通常の試験であり、エキザミネーションと呼ばれる。これは基準以上の成績を取れば合格とするもので、到達度を測るために行われる。学校の期末テストとか、英語や簿記など検定試験、運転免許試験などが挙げられる。

 もう一つは、選抜試験である。これはコンクールとかコンテストと呼ばれ、合格人数が決められており、いくら成績がよくても、一定の人数の中に入っていかなければ、不合格となる試験である。入学試験や入社試験が代表的なものである。

 

・両者は同じ「試験」という言葉で語られるが、試験を受ける人にとって持つ意味はまったく異なる。通常の試験なら、頑張れば受験者全員が合格することが可能である。しかし、選抜試験では、志願者が定員を上回っていれば、どんなに頑張っても合格できない人が出てくる。両者が混同されていることが、試験をめぐる議論を混乱させている。

 混乱が如実に現れているのが「新司法試験」である。通常の試験なのか選抜試験なのかその性格があいまいにされたまま、関係者が勝手なことをいい、法曹資格を目指す人や関係者を惑わせている。

 

・しかし、新司法試験(旧司法試験もだが)は、通常の試験のように見えながら、実は、入学試験と同じように選抜試験である。法科大学院卒業生全員に受験資格がある。通常の試験なら、法科大学院に入学した実務的知識を学んだら、医学部と同じように、その卒業生全員が合格可能な水準に達しているというのが建前のはずである。建前を貫くなら、司法試験は、一定の水準をクリアした人は全員合格させる、ということでなくてはならない。

・そして法科大学院の修了生は年6000人程度である。法務省の計画どおり合格者を3000人にしても、最終合格率が50%を切るのは小学生でも理解できる。このまま合格者が2000人水準で推移すれば、法科大学院を終了しても法曹資格を取れない人は年4000人に上り、それが毎年積み上がっていく。そして新司法試験は、法科大学院終了後5年間に3回しか受けることはできない。

<――「三振」した人はどうなるか>

・第1回の新司法試験が行なわれたのは2006年。3回不合格で受験資格を失った人も増えている。今後、年3000人以上積み上がるはずである。受験者の間では「三振」と呼んでいる。三振した人はどうなるのか。ある合格者に聞くと、三振した友人は合格者の前から姿を消し、連絡が取れなくなるという。情報を集めると、地方公務員試験に年齢制限ぎりぎりで受かった人もいたが、実家に帰ったまま放心状態で引きこもっている人(つまりパラサイト無職)もいると聞く。

 

・私が『希望格差社会』(筑摩書房、2004年)で予測したとおりのことが起きている。不合格者は努力だけでなく、私立の法科大学院で数百万円、国立でも100万円以上のおカネを払い、それが無駄になるという体験をするのだ。借金を背負った人も多い。受験資格を失うときは最短で27歳、社会人入学や他学部出身者の多くは30歳を超えており、有利な条件での再就職は難しいし、公務員試験も年齢制限に引っかかる。絶望し、引きこもる人が出てきてもおかしくない。まさに、努力が報われる合格者と不合格者の希望格差が甚だしいのが、法科大学院生の現実なのだ。

 低収入の弁護士が増えているから合格者を減らせという人は、不合格となり絶望に陥っている法科大学院修了者をどうすればよいと考えているのだろうか。

 

・今のままだと、法科大学院は受験テクニックを教える予備校に転じ、大学院生は不合格の不安におびえ、そして、「三振者」は絶望の淵に叩き込まれる。

 新司法試験を、定員を定めず、合格水準のガイドラインをつくり、医学部のように大学院修了者は原則全員合格できるような「資格試験」にするのも一つの手だろう。合格数を決める「選抜試験」を維持するなら、合格できなかった人が、その努力やおカネに見合う程度の現実的なキャリアプランを用意するべきだ。制度ができたとき、このような用意をしておかなかったのは大失策である。

(注)本稿初出の2010年以降、本制度の矛盾が認識されるようになり、法科大学院を充実しなくても、司法試験が受験可能な「予備試験」が導入され、合格率が高くなっている。廃止や合併した法科大学院も増えている。制度の混迷はますます深まっている。

『まっとう勝負!』

橋下徹   小学館    2006/12/1

<新司法制度の問題点、「弁護士には熱い心と非常識が必要なんだ!」>

・その司法制度改革の目玉は、なんといっても法曹人口の増員だろう。年間1300人程度だった司法試験合格者を3000人程度にする。そしてアメリカのように、ロースクール卒業生の中から約70%程度を2006年からスタートした新司法試験に合格させようってわけ。

・これまでの司法試験では、法学部の学生を中心に4万人ちょっとが受験して、約1300人、3%程度しか受からない。

・法律っていうのはね、人の紛争解決するための道具なわけ。道具を一生懸命研究しても、そりゃマニアがやるオタク趣味の域を出ない。

・ただでさえ、司法試験トライ組は組織になじまない、サラリーマンになったら3日でドロップアウトするような奴が多い。

・法曹人口を増やすことは是としても、ロースクールなんてくだらないことはせず、これまでの司法試験まんまで、単純に合格者を増やせばよかったんだよ。熱い心と非常識な思考回路の彼らは、排除されないんだから。

<司法試験と公務員試験は目的が違うだろ!>

・司法試験の場合、合格者の増加=弁護士の増加だから、合格者が増えると既存の弁護士が飯を食えなくなる。だから合格者数を先に決めちゃってるわけ。

・僕が受験生だった約15年前で合格者数は約700人。それから世間の「法曹人を増やせ、増やせ」という声に押されて、合格者が約1200人まで増えた。それでも合格率は約3%のまま。

・昨今の不況で弁護士にでもなろうという奴が増えたからだろうけど、ただ、この考えは大甘だよ。これからは弁護士業界も大競争時代に突入して勝ち組・負け組に二極化され、弁護士になれば、楽して暮らせる時代はもう終わりだからね。

・ちなみに、僕のころは、設備のない会場と公平を期すため、一律クーラーは禁止だった。そこで、試験に慣れているというか、なかなか受からないベテラン受験生のなかには北海道大学で受験するなんてのもいたんだけど、北海道に行くまでの時間で、もういっちょう最後の見直しができるっての!

・そんな前の司法試験の最大の利点は、いわゆる教養試験にあたる一次試験が、大学の一般教養課程さえ修了すれば免除されたってことだ。大学で教養が身に付くなんていうおかしな学生はいない、ということは司法試験には教養もクソも関係ない。

・つまり、これまでの司法試験は、高校まで優等生的にお勉強をしてこなかった者でも合格できたことだ。

・僕なんか、早稲田の受験科目が英語、国語、日本史のみだったでしょ。それしかやっていないから、因数分解は中学生レベルで、物理と言えばリンゴが木から落ちることしか知らない。それでも司法試験に受かっちゃったからね。

・ところがロースクールになるとそうはいかない、入学試験にあたる適性試験はもちろん必須で、そのうえ日本的教養試験そのものだから、どれだけ学校のお勉強を真面目にやってきたかがやたらに影響してくる。

・以前の司法試験のまま、合格者数を3000人まで引き上げればよかったんだよ。

<●●インターネット情報から●●>

[朝日新聞デジタル 2015/12/24]

<司法試験漏洩、明大元教授に有罪判決 東京地裁>

司法試験の問題を教え子だった女性に漏らしたとして、国家公務員法(守秘義務)違反の罪に問われた明治大法科大学院元教授・青柳幸一被告(67)に対し、東京地裁は24日、懲役1年執行猶予5年(求刑懲役1年)の判決を言い渡した。

 野沢晃一裁判官は「(問題作成にかかわる)司法試験考査委員の立場にありながら、交際していた女性を合格させるため自ら進んで犯行に及んでおり、強い非難に値する」と述べた。

 判決によると、元教授は元大学院生で交際相手だった女性が昨年の司法試験で不合格になったことをきっかけに、漏洩(ろうえい)を決意。今年2月上旬から5月上旬にかけ、女性を研究室に呼び出して繰り返し問題を解かせて指導し、自らが問題作成に関わった憲法分野の短答式(マークシート)試験と論文式試験の問題を教えた。

判決は、こうした経緯について「試験の公正が害される重要事項についての漏洩で、漏洩の範囲、程度も大きい」と強く批判。「相手は1人で、そこからさらに漏洩した形跡はみられず、採点過程で漏洩が発覚したが、その点を踏まえても重大な犯行だ」と述べた。

 他方で、元教授が事実を認めて反省していることや、失職などの社会的制裁を受けていることなどを考慮し、執行猶予が相当だと結論づけた。

 岩城光英法相は閣議後の会見で「判決で指摘された内容を踏まえ、再発防止に取り組む」と述べた。(高野遼)

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■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■

(2025/2/2)

・毎年ある大学の受験シーズンですが、ここ何十年も続く受験文化は大きな変化はないようです。大学受験も様々な変革があったようですが、私たち一般人は、詳しくは知りません。学生数が急減する時代になり、学校経営もうまくいっていないところも増えているようです。

この本をとり上げたのは、司法試験の受験勉強というよりも「当時の物価」「授業料」が気になったからです。消費者物価指数はエコノミストの最大の関心事の一つですが、50年前の物価や給料については、忘れてしまっています。

50年前の価格と比較すると、今のランチやラーメンの値段も上がっていますが、野菜の値段に鋭い主婦に比べて、男性はだいたいに鈍いようです。50年前の日記で当時の物価にまで記録がある日記は少ないのでしょう。私自身日記は書いていませんが、物価の記録は10年単位では価値があります。細かい出費も書いてあり貴重なものです。

ラーメンも50年前が100円ですと今は数倍から10倍に値段が上がったということでしょう。

「物価の優等生といわれるのは、卵とバナナだ」そうですが、昨今では消費者物価が大きな問題となっています。

私も本郷界隈を歩いていましたので、当時を懐かしく思い出しました。


・「高校無償化」「教育の無償化」「給食の無償化」等が政治の焦点となっています。「子ども食堂」の問題もありますが、私たち一般人は、社会の動きがよく分からないようです。教育界の問題もよく分かりませんが、社会問題の背景が、一般人では理解ができなくなりつつあるようです。

・「2024年の小中高生の自殺者数が527人(暫定値)で過去最多となったことを受け、政府は31日、関係省庁連絡会議を開き対応を協議した。小中高生の自殺者で自殺未遂をした経験のある子どもが多いことから、こども家庭庁は自殺未遂をした子どもや家庭を支えるための調査研究を新たに行う」と2025/1/31の朝日新聞デジタルは報道しています。

・東大の授業料も上がりました。ヤフーから引用しますと、

「東京大学の学士課程の授業料が、来年度4月入学者から次のとおり改定されることになりました。

・現行:53万5800円・改定後:64万2960円修士課程も現行は学士と同額ですが、2029年度から同じく上記額に改定予定となっています。 なお、博士課程は今のところ改定予定はありません。2024/11/16」とのこと。


東大の授業料もここ50年で約54倍になったようです。

 子どもの教育費も昔から大きな問題です。実態は、私たち一般人には、よく分かりません。アメリカの学生ローンの問題も深刻だそうですが、日本の教育ローンはどうでしょうか。

・昔は、「司法試験は4浪、5浪が普通だった」そうですが、司法浪人の問題が大きくなり、現在では法科大学院の制度が作られ、合格者数1500人、合格率も40%程度だといわれます。50年間で司法試験の内容も大きく変わったことでしょう。法科大学院の制度で親の教育費の負担も増えたようです。

 著者の年齢はベビーブーマーの最盛期の頃で、競争が一番激しい年齢だったようです。

昨今では、大学入学時から司法試験の予備校に通う学生もいるそうです。「先憂後楽」でしょうか。また「先んずれば人を制す」でしょうか。

・昔から、受験勉強は大変だったようです。「四当五落」という言葉もありました。

<グーグルAI による概要>

「「四当五落(よんとうごらく)」とは、4時間睡眠で勉強すれば合格でき、5時間睡眠すると不合格になるという受験界の言葉です。

「四当五落」は、1950年代から1980年代にかけて、旧制第一中学校と呼ばれる名門公立高校で受験指導の際に使われていました。

「四当五落」の背景には、次のような事情があります。

• ナポレオンが3時間しか睡眠時間をとらなかったという伝説が喧伝された

• 平日の授業時間が8時間で宿題が多く、睡眠時間は4時間以下が当たり前だった

• 入学してすぐに「君たちは4時間寝れば十分」と言われた生徒もいた

しかし、睡眠不足は記憶に影響を与えるため、4時間睡眠では学習の効率は悪いということがわかってきました」と記載されています。

・なお著者は、1948年福岡県生まれ、1972年東京大学法学部卒業、1974年横浜弁護士会登録、 現在 福岡県弁護士会所属とのこと。

ちなみに著者は、「福岡県弁護士会のホームページの「弁護士会の読書」コーナーに毎日1冊の書評を10年以上アップしている」とのことですが、興味深いものです。

 

・「“失われた30年”の中、先進国の中で唯一賃金が上がらなかった国であることが白日のもとにさらされた年月だった」と指摘されています。失われた30年で「30年間給料が上がらなかった」といいます。

「失われた30年」とかの今の経済的状況は三流の政治家達によって生み出されたといわれます。「三流政治家達のためか、女性の登用も先進国とはいえない(後進国だ)」そうです。

三流政治家達のためか、「先進国で豊かだとはいえなくなった」といわれます。「失われた20年」の前は「経済一流、政治二流」といわれていましたが、現在は「経済二流、政治三流」といわれます。それ以上の酷評もあるそうです。

「政治主導」といわれますが、「三流の政治家たちでは国をうまく指導できるだろうか?」と疑問視されます。そして三流政治家達が“反面教師”の役割を果たしているといいます。

「国民が政治を嘲笑している間は嘲笑に価する政治しか行われない」といわれます。そして「国の政治は、その国の国民の民度を出ない」といいます。

こんな危機の時代こそ、国家経営の実務に精通したベスト&ブライテストのテクノクラートの英知を結集した「国家改造計画」が求められているそうです。

(2015/12/25)

・司法試験の漏洩事件は、地裁の判決がでました。大変な教授がいたものだという印象です。背景は、専門家ですとより詳しく分析できるのでしょうが、私たち一般人は、学問の世界でのさまざまな「遅れ」について思いを巡らせます。ノーベル賞受賞者も、でるくらいですから、「学者の世界」もそんなに遅れているものではないと思います。が、「学問の世界」もさまざまな問題があり、改革が遅れているようです。今では当然の「産学協同」も、その導入は遅れていたようです。やはり、学問の世界もアメリカがリードしているようです。

・最近の新司法試験については私たち一般人は、詳しくは知りませんが、著者のようにいろいろと研究をしている学者も増えているようです。3回の受験制限を作ったのは、当然の改革だったようです。やはり昔から社会問題になっている「司法浪人崩れ」の問題のようです。女性受験者も浪人して頑張っている人も少なくないようです。あまりに長期間、司法試験に挑戦し続けて、ノイローゼや引きこもりのうつ病のような精神病になったりする者もいるそうです。やはり、若者は20代で社会に出て行くようにするべきなのでしょう。昔は、4浪、5浪も普通だったそうで、関係者も対策を議論していたそうです。法科大学院の時代になり、新しい学生の潮流や社会現象が出てきているようです。弁護士の需要と供給をめぐって、司法試験の明大元教授に有罪判決がでた漏洩事件も世間で注目されたようです。

・司法試験制度の改編や制度、ロースクールの詳しいことは、私たち一般人は、知りません。しかし、昔から「司法浪人」とか「司法浪人崩れ」に関しては、知られていたそうです。昔は長期間(4浪以上)司法浪人する人も多かったそうで、それが普通で社会問題にもなりました。在学中に合格する人は数人だけということで、恐ろしく難関の国家試験だったそうです。数年間の「司法浪人」が常識の時代だったようです。司法浪人が増えますと社会的にも損失ですから、ロースクール制度を作り合格者を増やそうとしたようです。司法浪人をやめて、方向転換をして国会議員になった人もいるようです。長期間、司法浪人することは無駄と思われます。それで、法曹界では受験の年齢制限の必要性が議論されてきたようです。法科大学院の制度は、司法試験の改革が狙いだったようです。

・司法浪人も長期間するとノイローゼ状態になるそうです。それでは親御さんや周りの人もやり切れません。数年間司法浪人するのが普通で、10年間も司法浪人をしたような剛の者もいたそうです。それで、「司法浪人崩れ」は可哀想なので社会問題にもなりました。どこに法曹界が魅力なのでしょうか。年を取ると活躍できませんし、合格するまで頑張るよりも早期に方向転換すべきでしょう。「歳月人を待たず」です。

・判例法主義の英米法と制定法主義の独仏の大陸法の法律制度があるそうです。日本は大陸法で制定法主義だそうですので、判例法主義の米国の何でも訴訟するといわれる訴訟大国の社会とは大きく違うそうです。私たち一般人は、法律実務には素人で、会社の訴訟も含めて日本の訴訟社会のことについては詳しくは知りません。なお日本の弁護士社会も大競争時代に入っているそうです。日本でも社会が複雑になり、将来、米国のように何でも訴訟する時代が来るのでしょうか。憲法の解釈を巡って、現在も国論が2分されています。

・弁護士数も日本が3万人弱、米国が100万人を超える訴訟社会の不法移民の国の米国とは大きく違います。訴訟風土が「お上(行政)は、市民が訴訟に巻き込まれないように、法律をたくさん作り、社会を管理する」ということだそうです。市民が頻繁に弁護士と相談したり、訴訟したりする米国、セクハラ訴訟とか特殊で巨額な損害賠償事件の頻繁な米国とは、弁護士需要も大きく違うそうです。また米国の弁護士は営業マン化しているそうです。しかし、国際化が急速に進んでいますので、トラブルが多く海外での訴訟に多くの日本企業が巻き込まれているようです。法律コストも莫大なもので、企業経営を左右するようです。自動車会社や医薬品会社等の訴訟になりますと、訴訟金額が巨額になるようです。この面からの渉外弁護士の需要は大きいようです。

・米国では弁護士が大手の会社に勤務しているそうです。市民としても、しょっちゅう弁護士と相談しないと権利が獲得できない社会は不便だと思います。昔から「官(行政)は弁護士需要が増大しないように法律をたくさん作って、市民が訴訟に巻き込まれないようにしてきた」そうです。が、グレーゾーン金利の問題もあって消費者の訴訟は増大しているようです。消費者が自分自身の訴訟で身を守らなければならない社会は良い社会なのでしょうか。時間とコストがとられます。日本の社会も米国のように訴訟社会化しているのでしょうか。

・橋下徹氏は時の人、時代の人です。アマゾンに「橋下徹」と入力すると361件の検索結果がでますが、私たち一般人は、時間的な余裕がないので詳しくは知りません。しかし、マスコミに連日でも名前が登場する人で、週刊誌にもよく載っています。ツィッターにも多くのフォロウアーがいるようです。同氏を日々、研究している人も多いそうです。また毀誉褒貶の激しい人のようですが、“ネットの寵児”ともいわれ、これから政治家以外の活躍が期待されているようです。

・著者は“在野精神”の早稲田大学卒です。早稲田大学は私学の雄としていろいろと新しい試みを積極的にしているそうです。卒業生も政治家として大成している人が多いようです。ちなみに「早稲田大学の怨念」というものがあるそうです。それは「早稲田大学の学徒出陣が多かった」ということだそうです。やはり戦争で多くの若者を失ったことは大きな損失です。私は、学徒出陣については、詳しい数字などを調べていませんが、インターネットでみると、その間の事情がわかるようです。

・読売オンラインによると「『ペンから剣へー学徒出陣70年―』展によせて。今年は、いわゆる学徒出陣から70年にあたる。太平洋戦争の敗色の様相を見せる1943年10月、学徒に認められていた徴兵猶予が停止された。これにより陸海軍へ入隊した学徒数は9万人、あるいは13万人と言われ、早稲田大学からは4500名を超す学徒が出陣した。すでに1941年から繰上げ卒業が実施されており、翌44年には徴兵年齢が下げられるとともに、第二陣の学徒が出陣していった。2013年3月現在、早稲田大学の戦没者は4736名を数える。うち学徒出陣以降の学徒の戦没者は500名を超えると推定される。そして全戦没者の7割近くが実に1944年以降に集中する」とのこと。これだけでは、詳細な学徒出陣の歴史的な事実は分かりませんが、「学徒出陣が早稲田大学関係者の往年の恨み」となっているそうです。

・アマゾンの本のカテゴリーに「学徒出陣」と入力すると234件の検索結果が出てきます。私たち一般人は、学徒出陣の本をすべて読む時間も関心もありません。が、学徒出陣の時代の学生に比べれば、現代の学生は何があれ、徴兵制度もない日本で非常に幸せな学生生活を送っているといえるようです。学徒出陣の時代は現代の若者にとり、記憶に残らないことのようです。

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・ブログ名称: UFOアガルタのシャンバラ

(日本は津波による大きな被害をうけるだろう)

・第2のブログ名称:UFOパラレル・ワールド

「神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・

「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の殖民星が、地球か?」、「ネガティブのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こるのだろうか?」

「金髪碧眼のノルディックが住んでいたアガルタのシャンバラ情報の集大成を目指す・・・・・・・・・・」「金星蛇人と火星霊人の戦争はその後どのように展開したのだろうか」

「日本民族の神話の原郷『高天原(たかまがはら)』は、『都市型の超巨大宇宙船』なのか!?」「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔なのか」

「小人族のグレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは、”悪魔の王””ルシファー”なのか?!」

「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」「神は最初のフリーメーソンなのか」

「UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか」

「全宇宙を創ったという“虹の神々”も地球に来ているのだろうか」

「イルミナティなどのフリーメーソン組織に入ると神に会えるのだろうか」「金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けたのだろうか」「フリーメーソン結社はこの大地が創出されるよりずっと前から、さまざまな太陽系をめぐって、存在していたのだろうか」「フリーメーソンとは、“現在、世界で信仰されているいずれの宗教より古い”教団となるのだろうか」

「国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」

「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」

「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」「セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」

「シリウス星人の故郷である天体イジュニュは、もっと高い周波数で共振する6次元の天体であり、地球の宇宙と同時に存在するパラレル・ユニバースに存在するのだろうか」

グーグルのブロガー(多言語翻訳:約250言語)にも書いています→UFOパラレル・ワールド

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