アリカカイは長髪で猫の眼をもち、アミ族の人のたっぷり4倍の身長がある巨人であり、煙草を吸うのが好きだという。(2)
【老猴魅】
・台湾南部の村里に出る、長生きしたサルから変化した妖怪で、女性にいたずらをするのが好き。狡猾な性格で、逃げ足が速い。神さまの力を借りれば、本体をつかまえられるかもしれない。
【妖怪ファイル】
・1956年6月5日の台湾『中国日報』に、高雄の山中の奇妙な猿人(えんじん)に関する記事が載った。それは、黄文和という17歳の少年が、高雄郊外の大崗山(おおおかやま)の山裾で、猿人を見かけたというニュースだった。その猿人は身長およそ90センチ。全身を長い黄色の毛に覆われ、女性のような姿だったという。猿人は木々のあいだをうろうろしていたが、少年に気づくとにっこり笑い、すぐに山の上へ駆けのぼっていった。
<ハクビシンの精:妖艶な女妖怪>
・「狐狸精」と言えばキツネの精で、男の精気を吸う妖怪だ。だが、台湾にキツネはいないので、「虎姑婆」と同じく、外来種の妖怪だと思われる。
【ハクビシンの精】
・ハクビシンが恨みを残して死ぬと、天地の霊気を吸収して、妖怪になることがある。
【妖怪ファイル】
・作家である東燁(とうよう)氏によれば、彼は幼い頃、台湾の南投県埔里鎮(ほりちん)の村に住んでいて、祖母がよく「日が暮れたら、すぐに家に帰りなさい。目が光る、頭に白い毛のある猫の妖怪が来て、子どもたちを食べてしまうからね」と言っていたそうだ。東燁氏は、それはハクビシンのような動物だろうと考えている。
<魔神仔(モシナ):山に棲む妖怪>
・台湾でいちばん有名な妖怪といえば、なんといっても「魔神仔」である。伝説によれば、「魔神仔」は山の森に棲む妖怪で、人間をだまして道に迷わせ、泥だんごや牛の糞、ミミズなどの汚いものを食べさせる。だがそれを食べる人間には、それがごちそうに見え、味もおいしく感じるという。「魔神仔」の見た目については、いろいろな説があるが、だいたいは体が小さいサルのような姿で、青緑色や黒色の肌をしているとされる。
・日本統治時代の本や新聞には、魔神仔の記事がとても多い。当時、魔神仔は、頭のてっぺんが禿げて平らな子どもの妖怪だと考えられた。赤い帽子をかぶった姿で描かれることもあった。いたずら好きで、子どもを誘拐し、普段はアダンの林や竹やぶに隠れている。現代でも、誰かが山で失踪すると、魔神仔のせいだとされる。
【魔神仔】
・台湾で、よく知られている妖怪。山のなかに棲み、人をだまして道に迷わせる。人間に泥や牛糞などの汚いものを食べさせるが、食べている者は、それがごちそうだと信じ込んでしまう。体は青緑色で、サルのような姿をしているらしい。
【妖怪ファイル】
・魔神仔の出現スポットとしていちばん有名なのは、台湾北部の「青桐古道(せいとうこどう)」である。
<里の妖怪たち>
<人面牛:言葉を話す牛>
・台湾の民間信仰では、大災難の前にさまざまな予兆現象が起こると言われている。その一つが、牛が人間の言葉をしゃべり、危険を告げるというものだ。生まれたばかりの子牛に人間の顔がついていたら、その子牛は人間の言葉をしゃべり、未来を予知するという伝説もある。
【人面牛】
・人間の言葉をしゃべる牛の妖怪。人間の顔を持つなど、気味の悪い姿をしているらしい。伝説によれば、人間の言葉で未来を予言するという。
【妖怪ファイル】
・古代中国の怪奇小説集『捜神記(そうじんき)』には、こんな物語がある。西晋(せいしん)の恵帝の時代、張騁(ちょうてい)という男が牛車に乗ろうとすると、牛が突然「天下はじきに乱れるというのに、おぬしはどこへ行くつもりだ?」と言い、人間のように立って歩いた。
<牛頭(ごず)と馬頭(めず):冥界の番人>
・冥界の番人としていちばん有名なのは、なんといっても「牛頭」と「馬頭」のふたり組だろう。彼らは「牛爺」と「馬爺」、または、ふたり合わせて「牛馬将軍」と呼ばれることもある。名前から想像できるとおり、頭の部分が牛や馬で、体の部分が人間の姿をしている。
【牛頭と馬頭】
・牛頭と馬頭は、冥界の番人だ。死に瀕した人がいると、牛頭と馬頭がこの世に現れ、その人の魂を連れていく。地獄から逃げようとする魂があれば、牛頭と馬頭につかまえられる。
【妖怪ファイル】
・台湾の「外方紙」にも、「牛馬将軍」の図案が描かれたものがあり、牛頭と馬頭の怒りを鎮めたり、死者に代わって功徳を積んだりするために燃やされる。
<金魅(キンツォイ):人食いの魔物>
・その昔、「金綢(きんちょう)」という名前の女中がいた。金綢は女主人に虐待されて死に、その魂が「金魅」という魔物になった。この魔物は人間を食べるが、人間のために働く。
【金魅】
・死んだ女中がなった妖怪。人間を食べるという。
【妖怪ファイル】
・「瓜鬼」も、人のために働く妖怪だ。瓜鬼は体が小さく、動きがすばしっこい妖怪だという。
<黒狗(くろいぬ)の精:犬の骨の妖怪>
・台湾には、犬やネコの死骸が妖怪になるという民話や伝説が多い。そして、犬の骨から生まれた妖怪は、「黒狗の精」と呼ばれることが多い。
【黒狗の精】
・犬の骨が天地の霊気を吸収すると、恐ろしい黒狗の精になり、人間に災いをもたらす。日本統治時代、ある村に黒狗の精が現れて、「黒山大王」を名乗ったという。
【妖怪ファイル】
・漢民族には、犬のたたりの伝説が多い。一方、原住民族には、犬が人間に危害を加えるという伝説は少なく、新竹に住むタイヤル族の「人食い犬」の伝説が少ない例外として挙げられるくらいだ。
<白馬神:財宝の守り神>
・宜蘭県の伝説によると、蘇澳鎮の「隘丁嶺(あいていれい)」には財宝が隠されており、財宝のありかに一頭の白馬の精霊が現れるという。
【白馬神】
・台湾の民話によると、白馬の精霊が現れるところには、財宝が埋められているかもしれない。白馬は財宝の守護者であり、幸運な人だけが、その財宝を見つけることができるという。
【妖怪ファイル】
・だから、筆者はむしろ「台湾で忘れられた妖怪は?」という質問に答えたい。各地での調査を踏まえ、漢民族の「白馬伝説」がそれに当たると思う。昔は台湾各地に馬の精霊の伝説があったが、時代とともに忘れられていった。
<妖怪探訪記 財宝を守る白馬の伝説>
・伝説の財宝を手に入れ、一攫千金を狙う。多くの人が夢見ることだが、それほど簡単ではない。ときには、守護者に資格を認めてもらう必要もある。台湾の民話に登場する財宝の守護者といえば、まずは「白馬神」であろう。台湾の地図を開いて、財宝の伝説がある場所を調べると、その近くに必ず白馬の影がある。
<原住民に伝わる妖怪たち>
<煞魔仔(サモア):黒魔術の魔女 平埔族>
・煞魔仔とは、台湾中部の原住民族に広く知られる魔女である。「散毛仔(サンモア)」など別名もあり、現在では「番婆鬼(ばんばき)」と呼ばれることが多い。
【煞魔仔】
・夕方、空が暗くなり始める頃、空に鳥のような奇妙な生き物が見えたら、それは魔女が芭蕉の葉で空を飛んでいるところかもしれない。そんなとき、村人たちは急いで家に帰り、しっかりと戸締りをする。
【妖怪ファイル】
・また、住民の張さんによると、魔術師はござの上に座って宙に浮くことができ、目を閉じるだけで、隣の県の鹿港の町まで一瞬で移動できるという。
<妖怪探訪記 ツォウ族の伝説を訪ねて>
・「阿里山」とは、実は多くの山々を含む山岳地域の名称だが、その山々のなかでも「塔山」は特に神秘的で、ツォウ族のあいだでは死者の魂の行き先となる聖山とされている。ツォウ族の伝説によれば、人の死後、善良な魂は「大塔山」へ、邪悪な魂は「小塔山」へと帰っていく。そして、塔山の亡霊たちは火の玉となって、山のまわりをまわっているという。
<ダナマイ:洪水を起こす巨人 タロコ族>
・タロコ族には、「ダナマイ」という恐ろしい巨人の伝説がある。この巨人はひとまたぎで山々を超えるほど大きく、地面を激しく揺らしながら歩く。巨大な両耳をバタバタさせると大風が起き、怒って叫べば雷が鳴り、おしっこで大雨を降らせるとも言われている。人間を罰するために洪水を引き起こし、美男美女を捧げなければ洪水を止めないと脅したこともある。そのため、この巨人は水の神だという説もある。
<ダナマイ>
・タロコ族の伝説に登場する、奇妙な巨人。この巨人が叫ぶとき雷が起き、ひとまたぎで山々を超え、人間の村に悪さをする。水の神としての力もあり、怒らせると洪水を引き起こす。
【妖怪ファイル】
・タイヤル族、セデック族、タロコ族のあいだには、洪水の神話が広く伝わっている。
<タクラハ:日月潭(にちげつたん)の人魚 サオ族>
・南投県の日月潭は台湾最大の湖として有名だ。伝説によると、湖には「タクラハ」という人魚が棲んでいて、あたたかい日には、湖に浮かぶ石の上で長い髪をとかしているという。人魚の頭には、曲がった角がついていると言う人もいる。
【タクラハ】
・南投県のサオ族の伝説によると、日月潭の湖底には、長髪の人魚「タクラハ」が棲んでいるという。
【妖怪ファイル】
・伝説によれば、サオ族はもともと阿里山に住んでいて、その後、日月潭に移動してきた。
<風寇(フォンコウ):毛の長い妖怪 タオ族>
・伝説によれば、風寇はとても悪い妖怪で、人間にさまざまな災いをもたらし、魂を奪うこともある。背が高く、髪や口ひげ、手足の毛が長く、鋭い爪を持ち、顔などの皮膚が真っ赤で、目玉はヤシの実を割ったあとの殻のようだという。
【風寇】
・タオ族の伝説に登場する妖怪。背がとても高く、全身を長い毛に覆われ、鋭い爪を持ち、人間をじっとにらみつけるという。空を自由に飛ぶとも言われ、この妖怪を見た者には災いが訪れるという。
【妖怪ファイル】
・伝説によると、風寇は高山の洞窟や岸辺の岸壁の洞窟、小蘭嶼島に棲んでいる。
<カチニス:奇妙な妖怪 ブヌン族>
・李さんの話によると、カチニスの外見は変幻自在で、出会った人間や家族の知り合いに化け、見知らぬ土地に連れていくという。
【カチニス】
・山中に棲む妖怪、自由に姿を変えることができるので、人間の記憶のなかにある家族や友人の姿に化け、山中に誘い込んで道に迷わせるという。
この妖怪について山中をさまよっているときは、三日三晩歩きつづけても疲れを感じることがなく、たった数分の出来事であるように感じるらしい。
【妖怪ファイル】
・さらに、李さんが幼い頃、村に日本兵の亡霊が出て、大きな足音で歩いたらしい。
<妖怪探訪記 カチニスの伝説>
・南投県武界村には、妖怪「カチニス」が人間を惑わし、山中で道に迷わせるという伝説がある。
・カチニスの伝説は、武界村のあたりだけでなく、ブヌン族の住む村々に広く伝わっている。
・たとえば、阿浪さんはこの妖怪を「カナシリス」と呼ぶ。また、三本足で、人間の内臓を食べ、普段は山中の森にいて人間を惑わし、道に迷わせるという。だが、伝説で三本足と言われているのは、もしかすると動きがすばやく、誰にも追いつけないことのたとえかもしれない。
・日本統治時代のブヌン族の説明によれば、カチニスには背が高く、食べ物をよく盗み、人間を食べ、長い歯を持つなどの特徴があるとされた。
・筆者は、ブヌン族の村々でカチニスの伝説について調査していたとき、漢民族の妖怪「魔神仔」の習性に似ているとも感じたのだが、もちろん異なる部分もたとえば、魔神仔は子どものように小さな体形で、赤い服や赤い帽子を身につけているとイメージされることが多いが、カチニスのイメージはより変化に富んでいる。ブヌン族の人たちに話を聞くと、みんな決まって「カチナスが人間の知り合いに化ける」という点を強調する。また、この妖怪はある種の異空間を創り出し、そこに入り込んだ人間は、そのなかに閉じ込まれてしまうという。その間、異空間の外にいる人からは、なかにいる失踪者の姿が見えない。また、異空間のなかでは時間がとてもゆっくり流れるという。
<アリカカイ:邪悪な巨人 アミ族>
・「アリカカイ」とは、アミ族の南勢支族やサキザヤ族のあいだに伝わる伝説の巨人で、美崙山の西側にある洞窟に棲んでいると言われている。だが、アリカカイがいつどこからここへやってきたのかは、誰も知らない。人々が知っているのは、アリカカイが風のように速く走り、変身の術に長けていて、手に生えた毛を抜いて息を吹きかけると、心に思い描いた人間や、数千人の兵隊を一瞬で創りだせるということだ。この巨人はとても邪悪で、どんなに残忍で悪いこともやってのけ、村の女性に手を出すことも多かったので、村人たちからとても恐れられていた。
あるとき、巨人族のアリカカイが村に来て悪さをした。大きな足で民家の屋根を踏んで壊し、そこからタバコを差し入れて「火をつけろ」と命令した。だがこの家に住む老婆は巨人が来ることを予想して、家のなかに村の勇士たちを数十名ひそませていた。勇士たちは巨人の手を太い縄で縛りあげ、いっせいに引っ張り、手をへし折った。巨人はうろたえながら逃げていった。
【アリカカイ】
・花蓮県の美崙山に棲む恐ろしい巨人。体毛が濃く、体格が大きく、人間を食べ、不思議な法術でどんな姿にも化けることができると言われている。
【妖怪ファイル】
・人々がアリカカイに手を焼いていると、海神が長老の夢に現れ、マポログ(ヨシの葉を結んだもの)を用いれば巨人を倒せるとのお告げがあった。人々がそのとおりにしたところ、巨人を倒すことができた。
2018/11/23
『何かが後をついてくる 妖怪と身体感覚』
伊藤龍平 青弓社 2018/8/3
<台湾の妖怪「モシナ」の話>
<「お前さんモシナかい?>
・日本では、台湾の「モシナ(魔神仔)」の知名度はどれほどのものだろう。台湾人で「モシナ」を知らない人は少ないが、日本で知っている人のほうがまれではないだろうか。
モシナとは、主に夜、山中や草原に出る怪で、道行く人を迷わせて帰れなくしたり、夕方まで遊んでいる子どもをさらったりする。また、口のなかにイナゴを詰めたり、夜中に寝ている人を金縛りに遭わせたりもする。
・モシナの容姿については、赤い帽子と赤い服(もしくは、赤い髪、赤い体)の子どもの姿(猿に似ているとも)をしているといわれるが、一方では、人の目には見えない気配のようなものだともいう。
・この慣用句にはモシナの本質が凝縮されている。モシナとは、知らぬ間に自分の背後に忍び寄る存在だった。黄さんは、モシナを「影のような存在」とし、「幻のようなもの」とも呼んでいた。
・「急に、影みたいに現れて消えるとか、そういうものをモシナって、鬼はもっとはっきりした形があった場合は鬼よね。モシナというのは、何かしら薄いような影(の姿)をした鬼でしょうね。だから小鬼という。実際の鬼じゃなくて、いたずら鬼、いたずらをする鬼」
<モシナの事件簿>
・モシナとは何かという点については、世代による違いもある。中年以上の台湾人は、モシナと鬼とをはっきり区別していることが多い、人の死後の姿かどうかが一つの基準になるが、ほかにどのような違いがあるのだろうか。
黄さんは、モシナと比べて「もっとはっきりした形があった場合は鬼」と話していた。同じ意見を鄭埌耀さんからも聞いている。鄭さんによると、「鬼ははっきり見えるでしょう、モシナは見えないんだ」とのこと。民俗資料には、赤い服と赤い体という鮮烈なビジュアルなモシナが記録されているが、実際、台湾の人から話を聞くと、こうしたビジュアルがないモシナのほうが一般的である。
それでは、具体的にはモシナはどんなことをするのか。以下、鄭さんに聞いた話を要約する。
日本統治時代、台南にモシナが棲むという噂の空き家があった。あるとき、剛毅な男が、銀紙(冥銭。死者に捧げるお金)を奉納したうえで、その家を借りた。ところが、夜中、目が覚めると、男はいつのまにか土間に落ちている。どうやらモシナのしわざらしい。
そんなことが、夜ごと繰り返されたので、とうとう男も腹を立て、「俺は金を払ってんだ、文句あるか!」と怒鳴ると、それ以来、悪さをしなくなったという。
たわいもない話である。怒鳴られて退散するモシナも気が弱いが、鄭さんによると、「モシナはただ、いたずらをするだけ。これが鬼なら殺されてる」とのこと。蔡さんの「実際の鬼じゃなくて、いたずら鬼」という発言とも呼応し、台湾人のモシナ観が見て取れる。
・このモシナの話は、日本の「迷わし神型」妖狐譚とよく似ている。日本の場合、狐狸貉に化かされた人が団子だと偽った馬糞を食べさせられる話が多いが、台湾のモシナもイナゴではなく、牛糞を食べさせることがある。おそらくは日本の「馬の糞団子」の話のように、ごちそうに見せかけられたのだろう。化かされている最中に口にした食べ物が怪異体験の証拠になる点は共通している。
気になるのは、台湾の「モシナ」と日本の「ムジナ(貉)」の発音の近さである。
・妖怪のなかにも勢力関係があって、弱い妖怪は、強い妖怪に駆逐されていく傾向がある。例えば、「河童」という妖怪の知名度が上がると、水難事故などの水辺にまつわる怪異はすべて河童のせいにされてしまい、似た行動パターンの妖怪の名は忘れられていく。
・とはいえ、解釈装置としてのモシナは、現在も生きている。現代でも台湾のマスメディアでは、行方不明事件や不可解な死亡事故を報じる際に、紙面に「モシナ(魔神仔)」の文字が躍る。
・台湾中部の苗栗県大湖郷で、81歳の女性が朝から行方不明になり、捜索の結果、2日後、自宅の対岸の川辺で発見された。女性が発見されたのは急峻な崖下の川辺で、救助の際もロープで担架を下ろすなど、困難を極めたという。失踪当日は雨も降っていて水量も多かった。高齢な女性がどうやってここに来たのか、警察や消防の関係者も首をひねっていて、「モシナのしわざではないか」と話している。
<「鬼」化するモシナ>
・台湾人が幼少期によく聞いたのは、父母のしつけの言葉のなかに出てくるモシナである。「遅くまで遊んでいると、モシナに連れていかれるよ」「あんまり遠くまで行くと、モシナに連れていかれるよ」など。モシナの原義と推察される「模(モォ)」に「攫う」という意味があることについては先に述べたとおりである。
日本でいえば、カクレザトウ(隠れ座頭)、カクレババ(隠れ婆)、カマスショイ(叺背負い)、ヤドウカイ(夜道怪)、アブラトリ(油取り)……などの、夕暮れ時に現れて子どもを連れ去る妖怪の系譜に連なるモシナである。
・殷さんが、女友達とキャンパスに続く坂道を歩いていると、分かれ道になっているところにボロボロの服を着た女が立っていて、何か話しかけてくる。殷さんが返事をしようとすると、友人はそれを制止し、手を引いてその場を離れた。
実は友人には何も見えてしかったのだが、殷さんが「何か」を見てしまったのに気がついて、そう対処したのだと後で聞かされた。
友人は鬼のしわざだと思ったが、殷さんは、子どものころに聞いた母親の言葉を思い出し、即座に「モシナかもしれない」と思ったという。
・謎の女を、殷さんは「モシナ」だと思い、友人は「鬼」だと思っていて、見解が分かれている。先に「モシナと鬼は違う」とする説が台湾では一般的だと書いたが、それは中年以上の年齢層での話であって、若い世代は両者を混同していることが多いようだ。
台湾人の精神世界を探るのに有効だと思われるモシナだが、アカデミズム方面では、ようやく研究の緒についたばかりである。
・ここでいう「広義のモシナ」とは「鬼」のことである。中国語の「鬼」を日本語に訳すと、狭義の「妖怪」の意味にもなるが、ここでは「幽霊(死霊。人の死後の姿)」を指している。ただし、祀られている鬼ではない。祀られずに(供養されずに)世間を漂っている鬼であり、さらに単独で出るものとされている。
一方、「狭義のモシナ」は、本質的には「山精水怪」の一種で、さまざまなものに化けて、人にいたずらをする。林と李は396例にのぼる事例を整理し、その特徴を、①小さい体、②猿のような顔、③青黒い肌、④赤い色(帽子、目、髪、体)、⑤ふわふわと動く、⑥単独で行動する、としている。林と李は、こちらをモシナ本来の姿だとして考察の対象としている。
・最初に、モシナにはビジュアルがないとする説とあるとする説を述べたが、それは広義のモシナか狭義のモシナか、ということではないだろうか。狭義のモシナには鮮烈なビジュアルがある。例えていうなら「幽霊的モシナ」と「妖怪的モシナ」である。林と李が後者を研究対象としたのは、モシナ研究の端緒としてはまったく正しいが、今後は前者のモシナを、台湾の鬼の話(非常に多い)のなかで捉える視点も必要になる。
・今後の展望としては、林と李は「モシナの比較民俗学」を提唱している。ここで比較対象にあげているのは、中国大陸の「迷魂仔」「茫神仔」、日本の「河童」「神隠し」、欧米の「ブギーマン」「フェアリー」など。いずれも比較対象として魅力的だが、その前に、地理的に近い南西諸島との比較がなされるべきだろう。狭義のモシナの外見や行動からは、沖縄のキジムナーや奄美のケンムンの伝承が想起される。「金縛り」という行動面でも類似点が多い。また、これも先に述べたことだが、行動がそっくりな日本の狐狸貉の話との比較も有効だろう。ムジナ(貉)=モシナ説の是非はさておき、「迷わし神」型妖怪の比較研究はまだなされていないはずである。
・現代の台湾には鬼の話が多く、日本の幽霊話よりもリアリティーをもって話されている。しかし、日本の場合と同じく、妖怪の話は例が乏しい。そう考えると、「妖怪的モシナ」に比べて「幽霊的モシナ」のほうがリアリティを保てているのかもしれない。
<東アジアの小鬼たち>
<お人よしの水鬼>
・水鬼を「水難にて死せしものの魂魄」と説明しているが、これはいわゆる「地縛霊」のことだ。
・『現代台湾鬼譚』でもふれたが、「水鬼」という語は現在でもよく使われている。子どもに対する教育的配慮を含んだ警句のなかで、「川に入ったら、水鬼に連れていかれるよ」という具合に使用される。日本でも、河川や池沼への立ち入りを禁止する看板に、河童のイラストが描かれることはあるが、母親が子どもに「河童が出るよ」と言うケースはもう少ないのではないだろうか。台湾の水鬼には、日本の河童が失ったリアリティーがある。
新聞やテレビなどのニュースの見出しにも、しばしば「水鬼」という文字が躍る。
<『台湾風俗誌』の鬼神たちと、沖縄のキジムナー>
・「水鬼変城隍」は絵本や童話にもなっているが、問題になるのは、水鬼をどのようにビジュアル化するかという点である。日本の「河童」と違って、「水鬼」には固定したビジュアルイメージがない。
・さて、「水鬼」は溺死者の霊で、日本でいうなら「水辺の地縛霊」のことだが、「人を水中に引きずり込んで殺す」という行動に注目すると、日本の「河童」と比較することができる。さらにいえば、現代日本の実話怪談にもしばしば登場する「水辺の地縛霊」と「河童」との比較も可能になる。いまでは忘れられてしまった「河童」に対する恐怖心を「水辺の地縛霊」の怪談を通して見ることもできるのだ。
・現代の台湾では「妖怪」という語は定着しているが、それは日本の漫画やアニメ、ゲームなどの影響で、外来語としての意味合いが強い。人気を博している「渓頭妖怪村」というテーマパークはそれを示す好例で、そこで造形されているのは、例えば鼻高天狗の面のオブジェだったり赤い鳥居だったりと、台湾人にとっての異文化である「日本」を表象したものだ。
・モシナとキジムナーには、共通点が多い。キジムナーの特徴である「小児の姿」「赤い顔」「赤い髪」「赤い体」………は、モシナの特徴の一部(「小児の姿」「猿のよう」「赤い服」「赤い帽子」「赤い髪」……)とも通じるからである。山中を棲みかとして、人にいたずらをする点も似ている。
・ところで、日本と台湾の中間に位置する南西諸島にも、多種多様な「妖怪」たちがいる。沖縄のキジムナーやブナガヤー、アカカネジャー、ボージマヤー、セーマ、ヤンバサカー、そして奄美のケンムンなどの伝承である。
・ここでは、南西諸島の小鬼たちを「キジムナー」と総称したうえで、モシナと比較してみる。とはいえ、現時点ではモシナのデータは少なく、本格的な比較はできないが、大まかな見通しは立てられるだろう。以下、思いついたことを5点あげる。
・1点目は、人間との関わり方の問題。いたずらを仕掛けはするものの、キジムナーは必ずしも人間と敵対しているわけではなく、富をもたらすこともある。例は多くないものの、キジムナーを祀った祠もある。いたずら好きのモシナも極端な悪意をもって人間に近づくことはまれだが、富をもたらすようなことはなく、祀られることもない。
・2点目は、観光との関わり方の問題。現代のキジムナーは、沖縄を象徴する存在としてかわいらしくマスコット化され、観光資源として活用されている。イメージの統一化も進んでいて「赤髪半裸の男の子」という姿が典型的なキジムナー像となっている。こうした状況は、少なくとも現時点(2017年)の台湾でのモシナを取り巻く環境にはない。
・3点目は、出自の問題。ガジュマルの木に棲むといわれるキジムナーは、語源が「木の精」であることからもわかるように、出自がはっきりしている。この点は奄美のケンムンも同様である。それに比べると、モシナは出自がはっきりしない。
・4点目は、出現場所の問題。モシナの出現場所は山中や草原などが多く、「金縛り」の原因とされる例以外は街なかに出ることは少ない。キジムナーも同様だが、モシナと異なって海にも現れ、好んで魚を食べる。また、漁師の船に乗り込んできて一緒に魚を捕るという伝承もある。台湾も沿岸部では漁業が盛んだが、モシナにはついぞそういった話がない。
・5点目は、口承文芸のなかでの立ち位置の問題。キジムナーは世間話、伝説だけではなく、昔話としても伝承されているが、モシナが昔話として語られている例は見当らない。また、モシナが頻繁に出る場所があり、それが地名化した例はあるが、基本的には伝説としても伝承されていない。
<韓国人アイデンティティーとトケビ>
・ともかくも、現在、キジムナーは、沖縄を象徴する存在として可愛らしくマスコット化され、観光資源として活用されている。
例えば、沖縄テレビの「ゆ~たん」や、テーマパーク「琉球村」の「キム」は、いずれもキジムナーに想を得ている。また、また、沖縄市では例年「キジムナーフェスタ」という演劇祭を催しているが、そこでのマスコットもキジムナーである。先に述べたように、イメージの統一化も進んでいる。民間伝承を換骨奪胎して進められるキジムナーのキャラクター化・マスコット化の様相は、岩手県遠野市の河童。座敷童子などのそれを彷彿とさせる。
先にも述べたように、キジムナーのビジュアルイメージは鮮烈で、台湾のモシナ伝承の一部を思い起こさせる。しかし、これも繰り返しになるが、ビジュアルイメージがあることと「見える」ことは必ずしも同じではない。
・与論島の妖怪伝承を調査したマッザロ・ヴェロニカは、「見える/見えない」の問題について興味深い指摘をしている。ヴェロニカによると、与論島の妖怪は、「一般可視型(誰にでも見えるもの)」「特殊可視型(霊感の持ち主にだけ見えるもの)」「非可視型(誰にも見えないもの)」の三種に分類されるといい、また、非可視型妖怪の伝承については聴力が重要だとしている。
興味深いのは二番目の「特殊可視型」である。このケースの場合、妖怪が見えるのは「特殊」な人かもしれないが、そうした人を通して得られたビジュアルイメージは、見えない人の間にも広まると思われるからである。
・それでは、視覚イメージの点からトケビとモシナを考えるとどうなるだろうか。
漢字表記で「独脚鬼」と書くように、トケビは一本足の怪とされる。日本の「一本だたら」や中国の「山魈」のような類似の怪がいることから、これが広く東アジアに伝承圏を有する妖怪であることがわかる。雪の朝、トケビが歩いた丸い足跡が点々と残っているという伝承も、日本の一本足妖怪と酷似している。しかし、モシナが一本足だという伝承は調査の限りではない。
・例えば、道に迷ったときに用いられる慣用句「トケビに惑わされたのか」からは、トケビの「迷わし神」としての側面がうかがえる。「何事も後ろ盾が重要」という意味で用いられる慣用句「トケビも森があってこそ集まる」からは、トケビが山中を棲みかとすることがうかがえる(もっとも、海浜に出るトケビの伝承もあるが)。時と場をわきまえない人をたしなめるときに用いられる慣用句「昼に出るトケビのようだ」からは、本来、トケビは夜に出るものだという観念があることがうかがえる。以上にあげたトケビの特徴は、おおむねモシナについても当てはまり、そこから伝承の場を想像することもたやすい。
一方、急に金回りがよくなった人に対して用いられる「トケビの砧でも手に入れたのか」という慣用句は、トケビの財神としての性格をよく表しているが(この「砧」が日本の「打ち出の小槌」を連想させて興味深い)、前節のキジムナーとの比較の際にも述べたように、幸福をもたらす性質はモシナにはない。
・もっとも、現在のトケビのイメージは、人間の姿をしているものがほとんどである。それも「虎柄のパンツをはき、頭に角を生やし、長い棒をもった半裸の男」といういわゆる日本の「鬼」に類似したイメージが定着している。この点は植民地統治時代に日本の鬼のイメージが混入したという指摘があり、日本の影響を受ける前の韓国固有のトケビを復元あるいは創造すべきだという意見が強まっている。
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