当時、歴史を学びながら気づいたのは、世界中で現在起きているほとんどの出来事は、過去にも起きていて、それが繰り返されているということだった。(4)

<「虎の尾」を踏んだ習近平>

・地政学の考え方で言えば、「敵の敵は味方」。現在の中国が手を組みやすい国は、日本と対立する韓国、インドと対立するパキスタン、ベトナムと敵対するカンボジアやラオス、あるいは遠く離れて直接の利害関係のないドイツ・イタリア、アフリカ諸国などです。

・2018年10月4日、トランプ政権のペンス副大統領は、米国のハドソン研究所で講演し、対中関係についてのトランプ政権の方針を明らかにしました。その内容に、世界は驚愕しました。

●中国を市場経済に誘導すれば民主化するだろうという、これまでの対中政策が誤っていた。

●中国は経済成長を軍拡に注ぎ込み、日本や東南アジア諸国にとって重大な脅威となっている。

●中国は、国内で人権抑圧を続け、特にウイグルのイスラム教徒に対する弾圧は目に余る。

●中国は、不当な関税、不公正な為替操作、知的財産権の侵害などで米国に不利益をもたらした。

●中国は米国の国内政治に介入し、企業や政治家、ジャーナリストを買収している。

●中国は別の大統領を望んでいるようだが、トランプ大統領の指導力は揺るぎない。

 このペンス演説は、「米中冷戦」の開幕を告げるものとして、歴史に刻まれるでしょう。

<「共産党帝国」崩壊のシナリオ>

・現在の中国を支配する中国共産党は、習近平体制の終身化によってまさに王朝化しつつあります。これには党内でも反発があるようですが、やはり歴代王朝と同じように崩壊すると予想します。米国も日本も、その他の多くの国々も、中国と戦争することはあまりにもコストが大きいので避けたいでしょう。国内から自壊してくれるのがベストなのです。

 自らを経済成長させてくれた米国中心のグローバリズムに反旗を翻した時点で――私はこれをIMFに対抗するAIIBの設立と考えますが

――中国の成長は大きく損なわれます。経済の不調は国内不安を招いて中央権力の統率力、求心力低下へと結びつきます。かつて旧ソ連を崩壊に導いたきっかけがバルト三国の独立だったように、ウイグルやチベットなどのコントロールが緩み始め、いずれ軍事的にも財政的にも背負いきれなくなります。

・そもそも中国は14億の人口を抱え、広大な国土で、文化も人種もさまざまで、独裁以外に統制が難しいのです。同じ漢民族でも、上海・天津などの沿海部の豊かな人々は、なぜわれわれの税金で内陸の貧しい人間を支えなければならないのか、という疑問を抱き始めます。

 こうして、地域対立はやがて国家の分割を招き、緩やかな連邦制、もしくは完全に別の国として歩んでいくという流れになるのではないでしょうか。これを武力で押さえ込めば天安門事件の再発、独立を認める方向に向かえばソ連解体と同じ道を歩むでしょう。

<そして、日本はどうすべきか――シーパワー同盟結成と憲法改正問題

<「国連による平和」は幻想である>

・「国連が世界平和を守ってきた」というのはフィクションです。国連は大国の上に立つ「超国家機関」ではなく、大国の談合組織にすぎないからです。紛争が起きたときに「X国は侵略国である」と認定して経済制裁や武力制裁を発動する組織が国連安保理事会です。

・これは深刻な問題です。日本の領土である北方四島を占領中のロシア、尖閣諸島の領有権を主張する中国は、いずれも安保理で拒否権を発動できます。北方四島に自衛隊が上陸する可能性は限りなくゼロですが、尖閣諸島に中国軍が上陸してくる可能性は否定できません。内閣総理大臣がこれを「有事」と認定すれば自衛隊が出動し、日中の軍事衝突が起きたとします。日本が国連安保理に訴えて、中国への制裁を求めるでしょう。すると中国は拒否権を発動し、安保理協議はストップします。

 国連は、何もしてくれないのです。

 さらに問題なのは、国連憲章の「旧敵国条項」です。国連総会で「無効化決議」がなされましたが、いまだに条文から削除されていません。これは、「敗戦国のドイツや日本が、第2次世界大戦後の国際秩序を否定するような行動に出た場合、国連加盟国は安保理決議なしに武力行使ができる」という規定です(国連憲章第53条)。

<「核シェアリング」か「あいまい戦略」を検討すべし>

・中国はすでに核を搭載できる中距離ミサイル「東風」を200発程度保有しています。当然、日本は仮想的の一つですから、日本の主要都市はすべて攻撃目標と考えられます。

 もちろん「統一朝鮮」の核ミサイルへの対処も必要ですが、彼らが「カネづる」と考えている日本に対し、核を使用することは考えにくいでしょう。むしろ日本にとって最大の脅威となっているのは、中国の核ミサイルです。

・これに対処するうえで、もっとも合理的な選択肢は、日本も核武装して抑止力を働かせることです。しかし、広島・長崎を経験した被曝国として、また福島第一原発事故を経験した国民には、強烈な核アレルギーがあります。核武装を公約する政党は政権を取れず、核武装に一歩を踏み出した内閣は倒れるでしょう。仮に将来、世論が変わったとしても、「NPTの優等生」という地位を自ら捨て、日米同盟を揺るがせることが国益にかなうとは思えません。トランプは大統領選挙中に、日本や韓国の核武装を認めてもいい、と発言しましたが、大統領当選後はこれを撤回しています。

・核武装宣言に代わる方策としては、「核シェアリング」と「あいまい戦略」が考えられます。「核シェアリング」は、米軍の核兵器を共同で使用するという方式です。自衛隊単独で使用の是非を判断することはできず、あくまで米国の許可が必要になります。独自の核実験も、開発や運用のノウハウ取得も不要ですからもっとも簡便で安上がりです。NATO加盟国では、ドイツをはじめ、オランダやベルギー、イタリアが米国と核シェアリングをしています。これが機能するには、日米安保条約の改定が必須でしょう。

・米国が今後「一国主義」へと回帰していくとしても、核による抑止力のネットワークを同盟各国の負担増という形で維持していくと考えられます。シーパワー諸国が世界中で米軍の核をシェアできれば、米国が「世界の警察官」をやめても平和は維持できます。

・核の「あいまい戦略」とは、核兵器を開発しているのかどうかをあいまいにしておき、周辺国を疑心暗鬼に陥らせ、事実上の抑止力として機能させることです。これを活用しているのはイスラエルです。イスラエルはNPT体制に加盟せず、アラブ諸国に対抗するため、核兵器を開発していると考えられています。しかし、イスラエル政府は核兵器の保有、製造について一切発言せず、「ノーコメント」を貫いてきました。アラブ諸国は核による報復を恐れて、イスラエル攻撃ができなくなっています。

 日本が「あいまい戦略」をとるには、「非核三原則」の撤廃を宣言すればいいのです。核を「つくらず・持たず・持ち込ませず」という三原則を撤廃するだけで、日本はすでに核を持っているかもしれないし、今後持つかもしれないという疑惑が生まれます。

 ただしこの場合も、米国の承認は絶対に必要です。米国に隠れて核を保有することは不可能です。日本が核武装する際には、この流れに乗るしかありません。

<日本はシーパワーを貫き、アジアの覇権確保>

・長期的な観点から日本の戦略を考えると、「日本はシーパワーを貫くことがもっとも国益を確保できる」ということを、すでに読者の皆さんはご理解いただいているでしょう。

 日本は典型的な海洋国家として、軍事、経済、そして独自の文化形成の面でも大きなメリットを受けてきました。朝鮮半島や中国大陸におけるランドパワーの争いに加わって得たものは、これまでのところ何もありません。大きな犠牲を払って背負わされた「負の遺産」に悩むばかりです。

 世界史を振り返れば、ロシアや中国、ドイツのようなランドパワー帝国がシーパワーになろうとして失敗した例が数多くあります。逆に元祖シーパワーの英国は、ランドパワー同盟のEUに参加した結果、国論を二分する大混乱を招いています。そうした状況を見ると、世代を超えて地政学の教訓を受け継ぐことの難しさを痛感します。

・地政学的に歴史を学べば、日本がシーパワーに徹すべきことは明白です。シーパワーの日本がランドパワーになろうとして失敗した典型例は、豊臣秀吉の朝鮮侵攻であり、昭和の帝国陸軍が主導した中国との戦争でした。軍事的にはもちろん、経済的にも大陸に深入りしてはならないと思います。

 シーパワーの日本が果たすべき役割は、東アジアから退いていく米国の穴を埋め、バランス・オブ・パワーを維持しつつ、自由と繁栄を志向する海洋アジア諸国の柱として、リーダーシップを発揮することです。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)を成功させ、将来のアジア大平洋版NATOに発展させることです。

<シーパワー英国と強固な同盟を組む>

・膨張する中国と対峙する日本が、EUから離脱する英国と頼むことには大きなメリットがあり、地政学的にも理想的な組み合わせです。

 かつて日英同盟が存在した時代、日本は列強の一員と認められ、第1次世界大戦の戦勝国、国際連盟の常任理事国にまでなりました。ところが1930年代の恐慌のなかで、英米のシーパワー的自由主義を敵視し、ソ連やドイツのランドパワー的全体主義を賛美する「革新勢力」が台頭した結果、日独伊三国同盟・日ソ中立条約を結び、英米との大東亜戦争を引き起こして国を滅ぼしたのです。

・英国もまた、大戦後の植民地独立、シーパワー帝国の崩壊という危機的状況に対処するため、欧州大陸との市場確保のため、EUのメンバーになりました。しかし英国の産業は復活せず、移民労働者ばかりが流入して社会的コストが増大していきました。英国民はようやく失敗に気づき、EU離脱を選択したのです。

 EUに代わるマーケットとして英国が注目したのが、環太平洋の自由貿易協定――TPPでした。豪州やニュージーランドはいまも英連邦の一員ですし、英国自体も太平洋にピトケアン諸島という海外領土を保有しているため、「太平洋国家」の一員なのです。

 安全保障面でも対中国を見据えた日英の協力が始まりました。

・シーパワーの英国は、合理性だけで動くドライな国です。ランドパワーのようにイデオロギーや感情を重視しません。利益を共有できる間は同盟関係を継続できますが、メリットがなくなれば途端に手を切ることもあり得ます。この発想も日本が見習うべきです。

<先進国並みの情報機関を設置し、スパイ防止法を制定する>

・インド・太平洋で多国間の枠組みの安全保障体制を整備する際に、どうしても必要になるのは情報機関です。日本には、敗戦時に情報官庁だった内務省を解体してしまい、内閣官房、外務省、警察、公安調査庁、自衛隊など各組織の調査機関がバラバラに情報を集めているのが現状です。これらの情報を統合し、分析する機関がないのです。

 安倍政権のもとで、公務員の秘密漏洩を罰する特定秘密保護法がようやく施行され、政府と自衛隊が情報を共有する国家安全保障会議(日本版NSC)も発足しました。ところがスパイ行為自体を取り締まり、処罰するスパイ防止法は、いまだに存在しないのです。外国人のスパイは、住居侵入などの別件逮捕に頼らざるを得ず、微罪で釈放されています。日本は「スパイ天国」なのです。

<改憲論議は国連憲章の活用で解決する>

・日本国憲法の第9条はもちろん改正すべきと考えます。しかし、憲法改正には国会の3分の2の賛成で発議し、国民投票で過半数が必要という、高いハードルがあります。

「改正する・改正しない」で国論を二分している間も、危機はどんどん進行します。最悪なのは、改憲にこだわるあまり安全保障の本質的な議論が進まず、「時間切れ」の事態を招くことです。自衛隊を憲法に明記しようと、名称が国軍になろうと、究極的には国家と国民の生命、財産を守らなければどうしようにもありません。現行憲法の解釈改憲を続けても仕方ないでしょう。英国にはそもそも明文化された憲法がなく、議会制定法や判例の蓄積が「憲法」と見なされています。

<未来予測の学問>

・歴史とは、未来予測の学問だと思います。

 それぞれの民族が数百年、数千年にわたって培ってきた性格、行動パターンというものがあり、形状記憶合金のように同じ行動を繰り返すからです。これを国民性と呼びます。

 国民性は、自然環境に大きく影響されます。

・国家の行動を地理的条件から説明する地政学も、だから国民性を理解するうえで有効なのです。

 なぜ隣国とわかり合えないのか?

 「地理的条件が違うから」です。

 それぞれの民族集団の行動パターンが読めれば、今後数十年の動きを予想することも可能です。本書では、21世紀の第一四半期くらいを視野に、東アジア諸国がどのように離合集散するのかを予想してみました。すると、朝鮮半島の統一、米朝接近、東アジア海洋国家連合の形成という図式が、おぼろげながら見えてきました。

(2020/12/28)

『防災福祉先進国・スイス』」

災害列島・日本の歩むべき道

川村匡由    旬報社   2020/6/29

<首都直下地震や南海トラフ巨大地震>

・この狭い日本で1993年以降、地震や津波、火山噴火、さらには史上初めての原子力災害まで発生し、改めて世界にまれにみる災害大国であることを痛感させられたが、じつは、首都直下地震や南海トラフ巨大地震などではこれら以上の大規模災害や「広域災害」の発生が懸念されている。それも今後、30年以内に70-80%の確率でマグニチュード(M)7-9クラス、震度6弱以上といわれているが、これに新型コロナウイルス・ショックが加われば日本の政治や経済、社会ともども危機的な状況となり、“日本崩壊”のおそれさえある。

・ところが、肝心の政府と国と地方の債務残高が2019年度末現在、約1120兆円にのぼり、世界最悪の借金大国となっているにもかかわらず、財政の再建による社会保障や災害対策の強化よりも日米軍事同盟の強化にともなう防衛費の増額や原発の再稼働、東京五輪の再度の開催、新幹線の延伸など土建型の公共事業を強行、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を三大原則とする日本国憲法に反した政権運営に邁進している。また、このような権力の横暴をチェックすべきメディアは政権の言論の自由への干渉に反発せず、むしろ忖度した報道に終始しており、国際社会から危ぶまれている有様である。

・このようななか、防災福祉先進国として注目されているのがスイス連邦(スイス)である。なぜなら、外国軍の武力攻撃や大規模なテロリズム(テロ)などの有事や災害時に備え、官公庁や駅、空港、学校、病院、社会福祉施設などの公共施設はもとより、民家やホテル、劇場、商店街、スーパーマーケット(スーパー)などに核シェルターを整備したり、食料・飲料水などを長期に備蓄したりして防災および減災に努める一方、「永世中立国」として専守防衛と人道援助による平和外交、また、諸外国の被災地への共助に努めているからである。

・そこで、このようなスイスにおける有事および災害時に備えた防災福祉の最新事情を紹介し、災害大国・日本における防災福祉コミュニティを形成すべく上梓したのが本書である。その意味で、本書がより多くの人たちに少しでも参考になり、日本がスイス並み、否、スイス以上の防災福祉コミュニティの形成、ひいては防災福祉国家を建設し、かつ国際貢献すべき方途となれば筆者としてこれにまさる喜びはない。

 なお、1スイスフランは110円で換算している。また、文中の写真は過去、約20年余りスイスや国内各地の被災地などで調査・研究した折、すべて筆者が撮影したものである。

<「エネルギー戦略2050」>

・そこで、連邦政府は2016年に決定した「エネルギー戦略2050」に従い、予定どおり、現在ある5基も段階的に廃炉するとともに、今後、原発の新設をいっさい認めず、再生可能エネルギーに転換することになった。

 具体的には、2050年に向け、アルプス山脈の豊富な水に恵まれている立地を生かし、ノルウェー、オーストリア、アイスランドに次いで盛んな水力をはじめ、風力や太陽光、グリーン・テクノロジーなどの再生可能エネルギーに転換し、環境の保全に取り組むことになった。このような官民一体となった取り組みは隣国・ドイツとともに国際社会から高く評価されている。

<国民生活>

<税金などの負担>

・ところで、スイスの国民はどのような生活を送っているのだろうか。

 前述のように、スイスは分権国家で、かつ連邦政府や州政府、基礎自治体がそれぞれ独自の税制にもとづく税率を設定している。また、物価が世界一高いため、さぞ税金などの負担も高いだろうと思いきや、一時40%だった平均税率は2018年1月、追加徴税措置の終了にともない、付加価値税(消費税のような間接税)が2018年1月、8%から7.7%に引き下げられた結果、11.5-17.85%となり、アイルランドに次ぐ世界第2位の低さとなった。

・また、所得税や住民税、資産税、事業所得税などからなる総合税率も30.1%とルクセンブルク、アイスランドに次いで3番目に低い。近年、相続税と贈与税は課せられるようになったが、税率は州によって異なる。夫婦間の相続や贈与には課税されない。

 一方、国民の約3割はパートタイム労働者のため、共働き世帯が大半だが、国民所得に対する国民全体の税金と社会保障の負担の合計額である国民負担率は税金が10.7%、社会保険料が6.2%の計16.9%と低い。

・もっとも、スイス人は持ち家にこだわらず、国民の約7割は賃貸住宅に住んでいるため、収入の4分の1から3分の1は家賃に消えている。

 いずれにしても、物価がスウェーデンやデンマーク、ノルウェーなどの北欧諸国、あるいはそれ以上のスイスとはいえ、世界一高い給与のほか、税率が意外と低く、かつ交通が至便で治安もよいとあって世界的な国際金融都市・チューリヒは世界の富裕層や資産家、医師、弁護士、研究者に交じり、最近、高額所得者の世界のトップ・アスリートの移住が急増している。

<消費生活>

・スイスは物価が世界一高いため、ドイツやフランス、イタリアなどの国境近くに在住している住民はパスポートを持参、物価の安い国境にあるドイツやフランスなどのスーパーへ越境し、買い物に出かけているものの、2018年1月、消費税が8.0%から7.7%に引き下げられ、かつ書籍・食品代は2.5%の軽減税率、消費者物価の上昇率は0.2%にとどまっている。また、IMFの2017年調査によると、スイスの国民1人当たりの名目GDPは8万591ドル(約886万円)で、10万5803ドル(同1163万円)のルクセンブルクに次いで世界第2位にランキングしている。

・これに関連し、スイスは州政府、基礎自治体ごとに税率が設定できるため、最低賃金制が導入されていない。このため、貧困や少子化対策、社会保障の縮減の代替策として、成人に毎月2500スイスフラン(約30万円)、子どもに同625スイスフラン(同7万5000円)を連邦政府が無条件に支給するベーシックインカム(最低所得保障)の導入の是非をめぐる国民投票が2016年に行われた。

 結果は反対多数で否決されたが、ベーシックインカムが導入した暁には公的年金と失業保険(雇用保険)を撤廃する代替措置まで議論されたほどだった。ちなみに、チューリヒ近郊の基礎自治体、ライナウ(人口1300人)に至っては2019年1-12月、住民全員に毎月2500スイスフラン(約27万5000円)を支給する社会試験を行うことになったが、スイスの給与の高さはそれほど世界一というわけである。

 

・参考まで、OECD(経済協力開発機構)の「世界貧困率ランキングマップ調査:2020年」結果をみると、総人口に対する貧困層の割合を示す貧困率は9.10%と世界162ヵ国中31位で、世界平均の11.0%である。このため、消費生活は比較的安定しているといえる。失業率も2.60%とまずまずである。

 余談だが、スイスは「ノーチップの国」のため、外国人がスイスで買い物や食事をした際、チップを渡す必要はない。タクシーを利用したときに料金の10%を支払う程度である。もっとも、そのタクシーも交通インフラが充実しているため、よほど急いでいるときぐらいしか利用することもない。それだけ生活しやすく、かつ治安もよいというわけである。

<ボランティア活動>

・たとえば、中世以来、キリスト教徒は今なお毎月、地元の協会に教会税を納め、その宗教倫理である「隣人愛」にもとづく住民どうしの見守りや安否確認、日曜礼拝後の歓談を通じ、互いにコミュニケーションを図っている。また、国民の4人に1人がボランティア団体に属し、無報酬の各種地域活動に参加している。

 なお、上述したように、スイスではベーシックインカムの導入の是非が国をあげて議論されるほど、いずれの職業でも高収入が保障されているため、大学に進学する人は国民全体の2-3割にとどまり、残りの8-7割は中学や高校、職業学校などを卒業し、社会人となっている。それというのも、日本のように大学に進学しなくても努力次第でサラリーマンになることができるほか、農林や観光などの自営業であれば大学卒でなくても安定した生活が保障されているからである。

・しかも、いずれも国立だけで公立や私立はなく、授業料は連邦政府が全額支給するため、無料である。このため、卒業後、政治家や官僚、一流企業の幹部になっても世話になった社会に還元しなければならないと考え、ボランティア活動に努める者がほとんどである。また、企業・事業所も社会貢献活動を社員に奨励している。まさにスイス古来の国民の自治と連帯による証左の一端がみてとれる。

<スイスの社会保障と有事対策>

<年金>

<公的年金>

・具体的には、年金は国民皆年金のもと、公的年金(基礎年金)、職場積立金(企業年金)、個人貯蓄(個人年金)の3階建てで、職業や居住地を問わず、すべての国民に適用される。

<企業年金と個人年金>

・これに対し、職場積立金(企業年金)は老齢・遺族基礎年金を上乗せし、定年退職後、これらの公的年金では足りない老後の生活費を補うもので、被用者は一定額を超える給与がある場合、その額に応じて掛金、企業・事務所はそれよりも少ない程度で資金を毎月、ともに企業基金に拠出する。

<医療>

<医療保険>

・スイスでも基本的に国民皆保険が導入されているため、すべての国民はもとより、スイスに在住する外国人も毎月、所定の医療保険の保険料を支払えば医療保険の対象になる。

<保健医療と救急医療>

・保健医療で受診する場合、まず州営保険会社が指定する地域の診療所のファミリードクター(主治医)に受診し、診察の結果、必要に応じて専門医が紹介される。

・また、スイスでは自殺幇助が合法化されている。なぜなら、本人の意思とは別に延命治療が施され、医療費の増大によって医療保険財政が圧迫されることを避けるとともに、何よりも本人が自分の死を選ぶ権利を選択する自由は保障されるべきだと考えているからである。このため、本人や家族の希望であれば病院やフレーゲハイム(特別養護老人ホーム)、アルタースハイム(養護老人ホーム)、有料老人ホームで主治医がその対応に当たる。この場合、主治医は点滴を開始後、臨終に至るまでの模様をビデオで撮影し、検視に訪れた警察官に殺人でない旨を証拠として提示する。安楽死とは別物と考える尊厳死を重視しているため、連邦政府は組織的な自殺幇助を法的に規制しようという意図を放棄し、現在に至っているのである。

・一方、スイスは国民皆兵性を敷いており、兵営を終えたのち、有事の際、

民兵として出動を要請するため、連邦政府は希望者には兵役後、使用したライフル銃や自動小銃を自宅に保管することを認めている。このため、このライフル銃や自動小銃を使って自殺したり、一家無理心中をしたりする者が年間約400人の自殺者のうち、半数にのぼっているが、20年前に比べれば3分の1に減少、また、WHOの2019年調査によれば「世界の自殺率ランキングで第10位にとどまっている。アメリカのように一般の国民や観光客、旅行者に乱射するような事件も起きていない。ちなみに日本の自殺率は第7位である。

 なお、公衆衛生に関していえば、下水道の普及率は都市部はもとより、山岳部も100%完備している。

 いずれにしても、スイスの医療保険は国民が州営保険会社と医療保険を自由に選べるが、近年、医療技術の高度化や国民の長寿化を受け、医療費はGDPの全体の1-2割近くを占め、ドイツやフランス並みに増えている。それでも、医療の技術や水準が世界トップクラスとあって国民の満足度は高い。

<介護>

<施設介護>

・高齢者や障害児者の介護は健康保険の介護給付として現物給付(介護給付)と現金給付(介護手当)に分かれており、介護施設には基礎自治体や地域の教会、NPOが運営する特別養護老人ホーム、養護老人ホームのほか、企業・事務所などが運営する有料老人ホームがある。

<在宅介護>

・在宅介護は訪問介護・看護事業所の訪問介護・看護、あるいは地域の特別養護老人ホーム、養護老人ホームへのデイサービス(通所介護)、あるいはショートステイ(短期入所生活療養・介護)である。

<子育てなど>

<子育て>

・子育ての施設は公営の幼稚園、または保育園が主だが、都市部、山間部を問わず、共働きの世帯が多い割にはいずれも不足しているため、十分整備されているとはいえない。また、前述したように、いまだに育児休業を保障する法律がないため、企業・事務所が1-2週間、給与を80%保証する独自の育児休業制度を導入して対応している。

<地域福祉>

・一方、スイス連邦統計局の2016年の「貧困の動学分析」によると、総人口の7.5%に当たる約61万5000人のうち、14万人は就業しているにもかかわらず、貧困である。その意味で、世界一高給与の国とはいえ、総人口の約1%は長期の貧困状態に陥っており、格差が広がりつつあることもたしかである。

<有事対策>

<専守防衛と人道援助>

・「蜂蜜は、いつも流れ出ているわけではない」――。スイスの有事での政策はズバリ、永世中立国としての専守防衛と人道援助による平和外交に徹している。

・具体的には、1914-1918年の第一次世界大戦までに、ドイツやイタリア、オーストリアとの国境や谷、断崖、峠などの山岳部に農家の作業小屋や穀物倉庫などに見立てたコンクリート製の要塞やトーチカ、兵舎、弾薬庫を建設、弾薬や爆撃個、兵器を格納、国境警備隊、さらに国際河川のライン川や湖に船舶部隊を常駐、警備に当たっている。

・その後、1962年、侵略者に対しては官民をあげ、焦土も辞さない覚悟で臨む「民間防衛」を連邦法で定め、有事に備えることにした。また、翌1963年、民間防衛関係法の一つとして避難所建設法を制定、官公庁や学校、駅、博物館など1000人以上の不特定者が自由に出入りする公共施設やホテル、レストラン、レジャー施設、さらに50人以上が入居可能なアパートやマンションなどの集合住宅、および民家の全世帯に鉄筋コンクリートの核シェルターを地下に整備することを義務づけた。

・核シェルターは厚さ20-30センチで、かつ避難ハッチ(非常脱出口)付きという堅牢なもので、全費用の75%を連邦政府が補助する。そして、官公庁や学校、駅、博物館などの公共施設やホテル、レストラン、レジャー施設は1年、アパートや全世帯は6ヶ月、スーパーは1年以上、小麦のほか、国民食のレシュティ(ロスティ)やチーズ、ソーセジ、パンなどの食料や飲料水は原則として2ヶ月以上、食器や調理器具、ガスコンロ、冷蔵庫とともに備蓄するほか、簡易シャワー・トイレやベッド、空気清浄器、自家発電機、卓球場、ジム、軍服、軍事車両も保管し、少なくとも半年間、避難生活を送ることができるように指示している。

・また、国民1人当たりの軍事費は世界159か国中、65位と少ない割には、その実力はかつてオーストリアのハプスブルグ軍と交戦して「スイス軍の不敗」を証明したほか、第ニ次世界大戦、ユダヤ人難民の受け入れを拒否し、ヒトラーにスイスへの侵攻を断念させたことからもわかるように、スイスの核シェルターの堅牢さ、およびスイス人の自治と連帯にもとづく結束はそれほど強いのである。

<民間防衛>

・一方、連邦政府国民保護庁は1962年に定めた「民間防衛」の具体化のため、1969年、『民間防衛』を260万部発行、全世帯に無償で配布し、基礎自治体の各教区、または地区ごとに攻撃、消防、救護、搬送、焼き出し、連絡、広報、道路の復旧、社会秩序の維持などの任務を平常時から国民が分担し、訓練を重ねておくように指示した。

・具体的には、固定式サイレンは4200ヶ所、移動式サイレンは3000台整備するなど世界一の普及率を誇っている。

・さらに、東西冷戦が終わった1989年以後、平和外交の一環として各地の扮装の仲裁役を買って出る半面、自国が有事の際、6時間以内に約4000人の連邦軍のほか、21万人の予備役、民兵も含め、計約50万人が武装、自宅に所持するライフル銃や自動小銃を持って出動し、敵国軍の侵略に反撃する体制を敷いている。

 これらの人材の確保のため、2003年まで20-52歳の男子は兵役に就くとともに、健康や身体的な理由なので兵役に就けない者、および早期除隊者が「民間防衛」に従事し、州政府指揮下の消防団は軍、または「民間防衛」に付加的に就業、以後、各自の自由意思で参集することを課したが、翌2004年以降、兵役は30歳まで、保護支援ユニットは40歳までに短縮した。その後、20-32未満の男子に最低1年の兵役および有事に備えることを義務づけ、現在に至っている。

・しかし、スイスは、第一次世界大戦はもとより、第ニ次世界大戦後、今日まで連邦軍や予備役、民兵などが外国の軍隊の戦火を交えることはなかった。また、1996年に北大西洋条約機構(NATO)に参加したものの、核兵器は持たず、先制攻撃のための武器は絶対に使用しないことを国是としていることは今も変わりはない。

 それだけではない。日本が1945年8月、第ニ次世界大戦での敗戦を認め、連合国軍に「ポツダム宣言」を受託する際、その仲介をしたのはじつはスイスだった。

<災害対策との連携>

・なお、1955年、従来の国民に対する「民間防衛」の義務に新たに防災のための目的を加え、翌1956年以降、兵役の代わりに防災訓練への参加を選択できる代替制度を発足した。そして、2004年、各州政府の指揮における消防、警察、医療、電気・ガス・水道などのテクニカル(ライフライン)、連邦政府の指揮における保護支援の5つのサービスに組織を再編、連邦政府と各州政府の指揮・命令系統を連携した「市民保護」とした。

・一方、多くの国民は2006年以降、自宅に限り任意とされた核シェルターをその後も自費で自宅の地下に設け、食料や飲料水、調理器具、空気清浄機などとともに兵役時代に使用したライフル銃や自動小銃を保管、有事に備えており、その普及率は約650万の全世帯に及ぶ。また、全国の病院などにも計約10万ベッド分がある。これらの建設基準はアメリカが広島、長崎両市に投下した原子爆弾クラスが平均約660m以内で投下されても爆死はもとより、重傷も負わない堅牢さとされ、1基当たり23万スイスフラン(2530万円)前後の代物で、東日本大震災および東京電力福島第一原発事故以来、日本の住宅機器メーカーが開発、販売している50万-840万円ほどの家庭用核シェルターとはその設計や設備、規模、強度などの点で雲泥の差がある。

・ちなみに、日本における普及率は政府の補助も認識もないとあって、2018年現在、わずか0.02%にすぎず、かつ内部の備蓄用品や機器、さらには地域における災害、また、有事への取り組みも行政や消防署、警察署、消防団、自衛隊、それに町内会や自治会、集合住宅の団地自治会や管理組合など一部の住民有志による組織で、かつセオリー的な防災訓練などの取り組みにとどまっていることを考えれば家庭用核シェルターがあるに越したことはないが、気休めにすぎないおそれもある。

・このため、国際社会では「将来、万一、核戦争になっても生き残ることができるのはアメリカ人とスイス人だけ」といわれている。だが、有事でも災害時でも自国の国土が維持され、市民保護さえ果たせられればよいと考えているわけではない。

<災害の危険度>

<自然災害>

・実際、過去約700年間、地震らしい地震が発生したのはフランスとの国境にあるバーゼルだけで、1356年、M6.5を記録、中世の古城や教会、塔などが倒壊した程度である。そのせいか、住宅などの建築の耐震基準が定められているのは全26の州のうち、このバーゼルとローヌ川沿いのワインの山地、ヴァレーの2州だけである。

0コメント

  • 1000 / 1000