日銀は、消費者物価上昇率2%を目標として異次元金融緩和を開始したが、実現できなかった。それは、日銀が行った政策に、物価を上昇させる効果が元々なかったからだ。(1)

(2025/3/24)

『どうすれば日本経済は復活できるのか』

野口悠紀雄   SB新書  2023/11/7

<はじめに>

・本書は、日本経済の現状、過去、未来について論じている。

 日本経済は深刻な病に冒されている。世界各国が目覚ましく成長する中で、日本は停滞し、賃金は30年以上にわたって上昇していない。最近では、海外のインフレが輸入されて、日本の物価を著しく上昇されている。

・本書では、これらの問題を「付加価値」という概念を中心に説明していく。付加価値とは、経済活動によって生み出される価値のことで、一国の経済全体について合計したものを国内総生産(GDP)という。

・日本経済の不調の原因として、新しい技術に適応できなかったことが指摘される。これが「デジタル化の遅れ」である。これには、技術面だけの問題ではなく、日本の社会構造や組織構造が密接に関連している。

 日本経済は、今後さらに深刻な問題に直面すると考えられる。

・長期的には、高齢化が進行し、日本経済の成長にネガティブな影響を及ぼす。これに対処するため、外国人労働者の受け入れ拡大や、新しい技術の開発が求められる。

 直近の問題としては、スタグフレーションの恐れがある。海外からインフレが輸入されるが実質賃金は伸びないという「インフレと経済停滞の共存」だ。

・新しい技術への適応能力は、今後の経済活動に大きな影響を及ぼす。それは、個人や企業、さらには国全体の将来にも影響を与え、適応が不十分であれば、日本の遅れは決定的なものとなってしまう。

・為替レートとして購買力平価で評価すると、いまの日本の相対的な豊かさは、1970年代の水準にまで低下してしまった。

・日本経済停滞の基本的な原因は、中国が工業化に成功し、世界経済の中での地位を向上させたにもかかわらず、日本の産業構造を固定化してしまったことだ。円安政策のため付加価値が増えないので、賃金も上昇しない。製造業の比率が低下するにもかかわらず、それに代わる基幹産業が成長していない。

・大規模金融緩和は物価上昇率の引き上げを目的として行われたが、これは正しい目標ではなかった。仮に物価が上昇したとしても、それによって賃金が上昇するとは考えられないからだ。また、国債を購入するだけで物価が上がる保証もなかった。

・健康保険証を廃止しても、何もよい結果がもたらされているとは考えられない。マイナンバーカードの普及だけが目的となってしまっている。

<G7のトップから最下位へ>

<企業の新陳代謝で成長するアメリカ、それが進まず衰退する日本>

<ハイテク企業の時代は終わったのか?>

・アメリカの巨大IT企業で人員整理が続いていると報道されている。

<時価総額のトップは、依然として巨大IT企業>

・実際には、世界の時価総額ランキングのトップは、依然としてアメリカの巨大IT企業によって占められている。

<日本企業で100位以内は1社のみ>

・日本企業で世界の100位以内に入るのは、トヨタのみだ。

<日本の産業構造は古い>

・日本企業で時価総額の世界トップ100社に入るのが1社しかないというのは、由々しき問題だ。なぜこのような事態になるのか?

 その理由は、産業構造にある。古いタイプの製造業が産業全体で大きな比重を占めているからだ。

<注目すべきは医薬品産業>

・将来成長すると期待されるのが、医薬品産業だ。この分野では、全分野での上位100位に入る企業が、12社もある。

・そのため、現在の産業構造のままで日本が「新しい資本主義」を実現できないことは、明らかだ。日本が本当に「新しい資本主義」を実現したいなら、現在の産業構造を一変させなければならない。

<アメリカでは企業の新陳代謝が起きた>

・では、アメリカは、なぜ新しい資本主義を実現できたのか?

 それは、政府がハイテク産業に向けたビジョンを描き、企業を指導したり、補助金を出したりしたからではない。

 アップルは1970年代から存在していたが、当時は、小さなコンピューター製造会社にすぎなかった。

・アップルが成長したのは、iPhoneという製品を開発し、その生産において、ファブレス(工場なし)というビジネスモデルを採用したからだ。

<日本では企業の新陳代謝が起きていない>

・日本企業の大部分で、製造・サービスもビジネスモデルも、20年前と変わらない。いや、30年、40年にわたって、基本的には変化がない。そして、企業の新陳代謝が起きていない。そのため、経済全体が衰退している。

 2000年頃以降の円安政策は、古い企業の延命を助けることになった。製造業において、その傾向が顕著である。

・日本経済が停滞しているのは、企業が変わらないからだ。時価総額世界ランキングでの日本の地位の低下は、当然の結果だ。また、ここ数年の顕著な貿易赤字の拡大も、必然的な結果だ。日本企業の価値を高めない限り、日本の復活はない。復活には、新しい製品・サービスの創出と、ビジネスモデルの改革が不可欠だ。

<購買力平価で国際比較をすることの意味>

<中国はすでに世界一の経済大国?>

・GDPで見て、世界一の経済大国はアメリカであり、中国がそれに次ぎ、日本が第3位。これが一般的に考えられている世界像だろう。

・ところが、同じサイトには購買力平価によるデータもある。それによると、中国、アメリカ、インド、日本の順になる。

・日本の生産性は他国に比べて低いと、よく言われる。

<「購買力平価」とは何か?>

・国際比較を行う場合に最も分かりやすいのは、その時点における市場為替レートを用いることだ。ただ、多くの国際比較データで、これとは異なる為替レートが用いられている。それは「購買力平価」という概念だ。この概念を理解するのは、それほど簡単ではない。

<購買力平価は、為替レートのあるべき姿を示す>

・以下では、相対的購買力平価について述べよう。このようなレートが用いられる理由の一つは、GDPの将来予測などを行う場合に、将来の為替レートを予測できないからだ。

・なお、将来の実際の為替レートがその時点の購買力平価と一致するかどうかは、分からない。それを実現するような力がマーケットで働くと考えられるが、実際にそうなる保証はない。為替レートの決定メカニズムは極めて難しい問題なので、ここでは立ち入らないことにする。

<「実質為替レート」で見た豊かさは、70年代に逆戻り>

・仮に、ある時点を基準とする購買力平価が、1ドル=90円だったとする。このとき、現実の為替レートが1ドル=110円なら、購買力平価に比べて円安になっていることになる。つまり、基準年に比べて円の購買力は低下していることになる。

 これを表すのが、「実質為替レート」という指標だ。これは、現実の為替レートと購買力平価との比率だ。

・円の実質実効為替レート指数は、1970年代前半には100未満、後半には100~110台だった。

・ところが、その後の円安の進行で、2023年6月の実質実効レートは、74.18にまで低下してしまった。1970年1月が75.02なので、それより低い。95年5月には191.35だったので、それと比べるとあまりの低さに言葉も出ない。

<第1章のまとめ>

1、 2000年の沖縄サミットのときにG8で最も豊かな国であった日本は、現在ではG7で最も貧しい国だ。こうなったのは、日本企業が円安に安住して、技術開発や企業改革を怠ったからだ。

2、 日本病から脱却するためにまず必要なのは、なぜ日本病に陥ったのか、原因を明らかにすることだ。日本病の原因は人口高齢化なのか?そうであるのなら、なぜ金融緩和で物価を引き上げようとしたのか?

3、 世界競争力ランキングで、日本は世界の64カ国中、第35位だ。アジア太平洋14カ国中では第11位だ。1990年代の中頃に世界のトップであった日本がここまで凋落した原因は、経済政策の誤りにある。日本人の基礎的な能力は世界トップクラスなのだから、この状態を何とか変えなければならない。

4、 台湾、韓国の1人当たりのGDPは、日本とほとんど同じレベルになった。成長率が高いので、今後日本を抜くことはほぼ確実だ。中国をはじめとするアジア諸国と日本の1人当たりGDPの格差も縮小している。今後労働力不足が深刻化するにもかかわらず、日本は外国人労働力を得にくくなる。

5、 企業時価総額の世界ランキングで、上位がアメリカのハイテク企業によって占められる状況は変わっていない。100位以内の日本企業の数は、ヨーロッパに比べても見劣りがする。これは、アメリカで企業の新陳代謝が進んでいるのに対して、日本では進んでいないからだ。

6、 GDPや生産性、賃金などを国際比較する際に、購買力平価という指標が用いられることが多い。これには注意が必要だ。十分に理解しないで使うと、誤った結論を導いてしまうことがある。「実質為替レート」という指標もある。これで見ると、日本人の豊かさは70年代より低くなってしまった。

<なぜ日本経済は停滞したのか?>

<日本人の賃金は90年代以降上がっていない>

<90年代に生じた変化の本質>

・日本人の賃金は、1990年代の中頃までは順調に伸びた。

 財務省「法人企業統計調査」による従業員1人当たりの平均賃金(年収)を見ると、高度成長の期間に目覚ましく上昇した。しかし、1990年代の末に天井にぶつかり、それ以降はほとんど横ばいで現在に至っている。

 このこと自体はよく知られている。ただ、こうした現象がなぜ生じたかは、必ずしも明らかにされていない。

 しばしば言われるのは、バブルの崩壊が原因だ、という考えだ。

<「付加価値」の推移に着目>

・以下の分析で重要な役割を果たすのは、「付加価値」という概念だ。

 これは、売上高から原価をひいたもので、会計学では「粗利益」と呼ばれている。付加価値は、賃金・報酬と企業の利益などに分配される。

・したがって、「従業員1人当たりの付加価値が増えれば賃金が上昇し、増えなければ賃金は上昇しない」ということになる。

 従業員1人当たりの付加価値は、従業員1人当たりの売上高と、売上高に占める付加価値の比率の積として表すことができる。

<付加価値が基本的な指標>

・企業などが生産する付加価値を合計したものが、GDPだ。これは、国全体の経済活動を測定する最も基本的な指標だ。

・しかし、企業活動そのものを見るには、利益関連の指標よりも、その元となっている付加価値を見るほうが適切だ。

 特に、賃金・給与の動向を知るためには、付加価値を見ることが重要だ。

<製造業の就業者が減り、非製造業の従業者が増えた>

・状況は製造業と非製造業とでかなり違うので、これらを区別することが必要だ。

・1993~1994年頃には、「就職氷河期の始まり」と言われた時期である。日本企業はそれまで新規採用を増やし続けてきたのが、急激な新規採用の絞り込みを始めたのだ。

 これは、1990年代に、中国工業化によって日本の製造業が深刻な打撃を受けたことの影響だ。それに対処するため、バブル崩壊をきっかけとして、日本の製造業は「人減らし」政策に転換し始めたのである。

 

・その結果、1960年代では製造業より少なかった非製造業の従業員数は、2020年度には製造業の3.5倍となっている。

・非製造業が雇用を増やしたため、製造業の「人減らし」にもかかわらず、失業率の上昇を抑えることができた。ただし、増加した雇用のうち、かなりの割合が非正規だったと考えられる。

<古いタイプの重厚長大型製造業が維持された>

・製造業では、人減らしを行った結果、従業員1人当たりの売上高が2007年まで、ほぼ増大を続けた。

 ところが、売上高に対する付加価値の比率は、緩やかではあるが低下し続けてきた。これは、企業が新しいビジネスモデルや技術の開発を行わなかったことの結果だと考えられる。

 つまり、人減らしを行うことによってそれまでの製造業を維持しようとしただけであって、本来行われるべき技術開発やビジネスモデルの改革は行われなかったのだ。その結果、高度成長を支えた重厚長大型の製造業が、ほぼそのままの形で残ることになった。

・なお、経済政策においても、1990年代の後半以降、円安政策が取られた。2000年代になってからは、積極的な介入によって円安への誘導が行われた。これによって、重厚長大型の製造業が輸出を増やすことができた。

<非製造業では資本装備率が低下>

・対して非製造業においては、従業員が増加した反面、それに見合う投資が行われなかったため、資本装備率が低下した。

 非製造業における従業員1人当たりの売上高は、1980年代までは伸び続けてきたのだ、1990年度で急激に屈折し、その後も減少を続けた。

 これは、資本装備率が低下したためだと考えられる。

 他方で、非製造業は売上高に占める付加価値の比率が上昇を続けたことが注目される。

 これは、非製造業においてビジネスモデルの変革が行われたことを示している。

・こうした業種が雇用を増やすことによって、非製造業の雇用が増えたのだと考えられる。ただし、多くの従業員が非正規・パートタイムの形で雇用されることとなった。

<製造業の新しいビジネスモデルが必要>

・まず、1人当たりの売上高は、資本装備率と強く関連していると考えられること。

・製造業の場合には、「人減らし」を行ったので、1人当たり売上高は、結果的に上昇を続けた。しかし、新しいビジネスモデルや技術を開発しなかったために、売上高に対する付加価値の比率が低下し、その結果、賃金を上げることができなかった。

・反対に非製造業においては、対人サービスの分野でビジネスモデルの変革があったので、売上高に占める付加価値の比率を高めることができた。しかし、資本装備率が低下したため、1人当たりの売上高を増やすことができず、その結果として、賃金を上げることができなかった。

・一方、同時期に世界では、アメリカを中心としてファブレス(工場なし)という新しいビジネスモデルが開発され、製造業において売上高に占める付加価値の比率が急上昇した。しかし、日本の製造業は、こうした動向に対応することができなかったのだ。

<賃金が上がらないのは、付加価値が増加しないから>

<賃金は労使交渉で決まるのか?>

・2022年以降、物価が高騰したために、実質賃金が低下している。

・労働者と経営者の交渉が、現実の賃金決定に影響することは間違いない。しかし、そこで賃金がいかようにもなるというわけではない。交渉の場で決定されるのは、ごく限られた範囲のものだ。

 賃金の基本を決定するのは、労使間の交渉ではなく、以下に述べるような経済的・技術的な関係である。賃金の基本的な動向はその関係によって決まるのであり、自由に変えられるものではない。

 したがって賃金を上げたいと思うなら、その条件を変えなければならない。この点が一般に理解されていないように思われる。

<付加価値の配分はどう決まるのか?>

・企業は、売り上げから売上原価を差し引いた額(粗利益)を、賃金、利子、税などの支払いと、利潤に充てる。この額は「付加価値」とほぼ等しい。したがって、賃金の総額は付加価値によって制約される。

・問題は、付加価値の分配がどのように行われるかである。それは、労働者と経営者の交渉で決まるのだろうか? つまり、両者の力関係で決まるのか?

ここから、経済学の話が始まる。経済学は、そうではないと考えられている。結論をいえば、賃金は労働の限界生産力に等しいように決まるとされているのである。その意味で、賃金は労使が自由に決められるものではなく、経済的・技術的な関係によって決まるのだ。

<利潤を最大にするように、労働の投入量を決める>

・では、賃金はどのように決まるのか?企業は、労働Lと資本Kを用いて付加価値Yを生産する。その関係は、技術的に決まっている。

<賃金はいかなる要因で決まるか?>

・第3の要因は、技術進歩だ。技術水準Tが高いほど、所与の労働力と資本量に対応した資金が高くなる。例えば、デジタル化を進めることによって、資金が高くなるだろう。

 これらの条件が満たされない限り、賃金が恒常的に上がることはない。政府が春闘に介入したところで、賃金が上がるわけではないのである。

 例えばある企業が、賃金を最適値より高く設定したとしよう。短期的には賃金が上がるが、その企業の利潤は減り、長期的には淘汰されることになるだろう。

<産業別・規模別の賃金格差をもたらすのは、分配率でなく資本装備率の差>

<賃金決定のメカニズムを探る>

・ただし、賃金がどのようなメカニズムで決まっているのかを分析するのには、賃金だけでなく、付加価値や資本装備率などのデータが必要だ。

<1人当たりの給与賞与年額は370万円だが、企業規模で大きな差がある>

・1人当たりの給与は、企業規模によって大きな差がある。資本金10億円以上の企業では575万円なのに対して、5000万未満では300万円程度だ。このように2倍近い格差がある。

 従業員の分布を見ると、資本金10億円以上の企業には、全体の18.6%しかいない。それに対して、資本金5000万未満の企業には、全体の32.6%の従業員がいる。

・「日本の平均賃金が低いのは中小零細企業が多いからだ」と言われるが、表面的に見る限り、確かにそのとおりだ。

<問題は生産性の格差>

・では、企業規模によって賃金格差が生じるのは、なぜだろうか?まず、労働分配率を見ると、どの規模でも60%程度で、ほとんど違いがない。むしろ、大企業のほうが低い。分配率に大きな差がないにもかかわらず賃金の差が生じるのは、生産性(従業員1人当たりの付加価値)に差があるからだ。

・資本装備率は大企業が著しく高い。そして、資本装備率が高いほど1人当たりの付加価値が増大することが分かる。これは、経済理論の結論と一致する。しばしば、「零細企業の賃金が低くなるのは、非正規労働者が多いからだ」と言われる。確かに、表面的に見ればそうかもしれない。

しかしこれは、因果関係を逆に捉えたものだ。零細企業では、生産性が低いために、非正規労働者に頼らざるを得ないのである。そして、零細企業で生産性が低くなるのは、資本装備率が低いからである。

<正規・非正規の問題>

・法人企業統計調査では、正規・非正規の区別は分からない。

 非正規従業員の労働時間は正規従業員のそれより短いので、従業員1人当たりの資金が非正規で低くなるのは、ある意味では当然と言える。

 この点を調整するために、「フルタイム当量」という概念が用いられるべきだが、法人企業統計調査ではその調整は行われていない。

<産業別にも大きな賃金差がある>

・賃金は産業によって大きな差がある。電気業が最も高く720万円。最も低いのは宿泊業、飲食サービス業で206万円と、大きな開きがある。

・賃金構造基本統計調査では医療保険部門の賃金はかなり高くなっているのだが、法人企業統計調査では医療、福祉業の賃金は最低クラスに入っている。これは、法人形態の医療、福祉業には、病院よりも介護施設が多いためではないかと思われる。

<分配率は企業規模で差がないが、資本装備率で大きな差>

・労働分配率は多くの産業が50~60%程度で、ほとんど差がない。宿泊業、飲食サービス業が87%と非常に高い。

 では、資本装備率はどうか? 電気業が極端に高い。この産業の賃金が高いのは、参入制限があるからかもしれないが、資本装備率の高さも大きな原因だ。また、ガス・熱供給・水道業も高い。

・売上高に対する付加価値の比率は、むしろ、宿泊業、飲食サービス業や生活関連サービス業、娯楽業など、賃金が低い産業で高い。

 これらのことから、産業別に見ても、賃金格差は生産性の差によるとの結論が得られる。

<これまでの賃上げ政策が有効でなかった理由>

・小規模企業や対人サービス業の賃金が上がらないのは、生産性(1人当たりの付加価値)が低いからだ。そして、生産性が低いのは、資本装備率が低いからだ。

 もし労働分配率の違いが賃金格差の原因であれば、企業に賃上げを要請したり、税制によって賃上げを促したりする政策も効果があるかもしれない。しかし生産性の低さが原因であれば、こうした施策は意味がない。

これまで日本政府は、低賃金の原因を正しく認識していなかったため、有効的な政策を打ち出すことができなかったのである。

<日本はIT革命に対応できなかった>

<日本は90年頃まで成長を続けたが、その後停滞>

・このように、80年代には目覚ましい成長を遂げた日本が、90年代からほとんど成長しなくなった。

 その要因は、アメリカがIT革命を実現し、日本が対応できなかったからだ。

<急速な成長で日本を抜いた韓国>

・90年代末には、アジア通貨危機が発生した。1997年のタイ通貨バーツの暴落を引き金に、アジア諸国に投資されていた資本が一斉に米ドルに逃げ、各国の通貨が暴落したのだ。そして、アジア諸国は、対外債務の返済不能、金融システム危機、巨額の不良債権などの問題に襲われた。韓国も例外ではなく、通貨が暴落し、財閥が連続倒産した。国際通貨基金がタイ、インドネシア、韓国の支援に乗り出し、「IMF管理」と呼ばれる状態に陥った。

・韓国の成長率は今後も変わらず、1人当たりGDPで日本を追い越し、差が開いていく可能性が強い。

<日本はIT革命に対応できなかった>

・1990年代以降のアメリカの高い成長率の要因が、アメリカが先導したIT革命であったことは明らかだ。

・なお、この時期に起きたもう一つの重要な変化として、中国の工業化が挙げられる。

・これによって、日本の地位が低下したことは間違いない。それも、日本の1人当たりGDPが伸びなかった大きな原因だ。

<日本では情報通信産業の比率があまり大きくない>

・製造業の縮小は、日本だけではなく、先進国に共通の現象だ。

・ところが、日本の場合には、製造業の比率は低下したが、代わりに増えたのは生産性の低いサービス産業だった。

・日本の場合、情報通信業の付加価値生産額は、2020年度で27兆円しかない。これは、卸売小売業や不動産業の半分にもならない。日本は、新しい産業構造への移行で、著しく後れを取っている。

<パートタイマーの増加を考慮することが必要>

<指標によって結果が違う>

・日本と韓国の豊かさが接近している。OECDのデータによれば、2020年の平均賃金は、日本が3万8514ドル、韓国が4万1960ドルで、韓国のほうが高い。

 しかし、国民1人当たりのGDPでは、日本4万88ドル、韓国3万1638ドルで、日本のほうが高い。

<生産性が高く少数精鋭なら、1人当たりGDPは低い場合がある>

・この問題を検討する手がかりは、「生産性」の数字にある。これは、GDPを就業者数で割ったものだ。OECDの資料で生産性を見ると、韓国が日本より高くなっている。

<パートタイマーを考慮したモデルが必要>

・しかし、これだけで日本と韓国のケースが説明できるわけではない。2019年の労働力率を見ると、男性は日本が71.4%で韓国が73.6%と、韓国のほうが高い。男女計では、日本が62.1%で韓国が63.6%と、韓国のほうが高い。また、女性も、日本が53.3%で韓国が53.9%と、韓国がやや高い。

 そのため、前項で述べたモデルよりももう少し複雑なモデルが必要だ。それは、日本の場合にパートタイム労働が多いことを考慮したモデルである。

・賃金支払額は付加価値の半分であるとすれば、フルタイムが10で、パートは5だ。

<「フルタイム当量」という概念>

・次に、平均賃金の計算を行ってみよう。パートタイム労働者分を調整するために、OECDの統計では、「フルタイム当量」という概念を使っている。

 これは、例えば、フルタイムの就業者の半分しか働かないパートタイマーは、1人ではなく、0.5人とカウントしようというものだ。

・実際のデータを見ると、韓国ではパートタイム労働者の比率が著しく低い。右のモデルが現実の姿をそのとおり示しているというわけではないが、おおよそ妥当なものだと評価することができるだろう。

・「フルタイム当量」の考え方は、OECDだけでなく、アメリカなどの、さまざまな統計で用いられている。パートタイム労働者が増えてくると、経済の実態を把握するためにフルタイム当量の概念を用いることが必要になる。日本は世界の中でもパートタイム労働者が多いので、こうした概念の統計を作成する必要性が高い。それにもかかわらず、実際の統計ではこうした概念が用いられていない。

<日本と韓国のどちらが豊かなのか?>

・以上の検討によって、国民1人当たりのGDPと平均賃金、あるいは生産性のどれを見るかによって見え方が異なる場合がある理由が分かった。しかし、「では、どちらの国が豊かなのか?」という問題が依然として残っている。

・その意味では、平均賃金が高い国のほうが豊かだと言えよう。また、賃金が高ければ、一定の所得を得るための労働時間は少なくて済む。そして、働かない時間は、経済的な意味を持っている。それが多いという意味では、高賃金が豊かさの指標としてより適切だと言える。また、就業者1人当たりのGDPが高いということは、高度な技術を持っていることを示すとも言える。

 以上を考えると、1人当たりGDPより、賃金や生産性のほうが豊かさを適切に表している指標だと考えることができるだろう。

<社会体制と政策の固定化が、産業構造の改革を阻止した>

<高度成長を支えた製造業>

・日本の産業構造は、1950~60年代の高度成長を通じて大きく変わった。農業と軽工業を中心としたそれまでの産業構造から、重化学工業を中心とする産業構造に転換したのだ。そして、製造業が高度成長を支えた。

・1970年代のオイルショックで日本の回復が早かったのは、製造業が省エネを進めて原油価格高騰に対応し、また、賃金を抑えることによってインフレの亢進を回避したからだ。

<中国工業化の影響で製造業が打撃を受ける>

・しかし、1970年代後半になると、製造業と非製造業の成長率に差が生じてくる。これは、中国工業化の影響である。製造業は1980年代に停滞に陥り、90年代から2000年代の初めまでは、停滞どころか付加価値が減少する事態になった。さらに、2008年のリーマンショックによって、製造業の付加価値は大きく落ち込んだ。

・就業者数で見ると、1973年には、製造業1440万人に対して、卸売小売業と飲食店の合計が1077万人だった。この頃に比べれば、現在の製造業のウエイトは、大きく低下した。2021年における製造業の就業者数は1045万人であり、「卸売小売業」の1069万人とほぼ同じだ。

・1975年には両者はほぼ等しかったのだが、2021年には、製造業の付加価値が81.3兆円に対して、非製造業の付加価値が218.7兆円と、2.7倍になっている。いまや製造業は、日本のリーディングインダストリーとは言えない。

<政策体系がいまだに製造業中心>

・製造業の比率が低下したにもかかわらず、いまだに政策や社会構造に反映されていない。

・産業構造が変わったのだから、それに応じて社会の仕組みも変わるべきだ。そうならなかったことが、いまの日本経済の停滞をもたらしたと考えることができる。

<医療・福祉以外に成長産業がない>

・問題は、医療・福祉以外に就業者が顕著に増加している産業がないことだ。就業者が増えているのは、情報通信業だけだ。

・こうして、2000年以降、医療・福祉を除けば、日本の産業構造はほぼ固定化してしまった。つまり、日本では、この20年間、産業構造の転換が進んでいない。

 社会の構造や政策が、製造業中心の時代から変わっていないと述べた。このことが、新しい産業を生み出すための障害になっている可能性が高い。最初に就職した企業でいつまでも働くという仕組みや退職金が人々の企業間移動を阻害していることなどもその一例だ。

<アメリカでは大きな構造変化が起きた>

・アメリカでは、製造業のファブレス化が進んでおり、半導体の分野で顕著だ。

・こうして、アメリカの産業構造は、この20年間で一変した。

 しかし、日本では、それに対応した変化が起きていない。ファブレス化も、キーエンスなどごく一部の企業に限られている。

<日本では新しい産業への人材移動が起きていない>

・日本経済にとっての重要な課題は、人口高齢化による就業者総数減少下で、成長産業の労働力をどのように確保するかだ。

現状、うまくいっていないことを象徴するのが、雇用調整助成金だ。

・なお、人材不足が深刻なのは、医療・福祉だけではない。デジタル人材の不足も深刻だ。これに対応するには、リスキリングだけで十分でない。高等教育機関でのデジタル分野の拡充が必要だ。

・まとめれば、次のようになる。

1、1950~60年代の高度成長期と70年代のオイルショックへの対応において、製造業が中心的な役割を果たした。

2、しかし、1970年代後半から中国工業化の影響によって、製造業が頭打ちになった。それにもかかわらず、社会構造や企業の構造、経済政策の体系は、それまでと同じ製造業中心の仕組みで変わらなかった。

3、1990年頃から日本全体の経済成長が止まった。経済制度が古いままなので、新しい産業が生まれない。

<GDPの構造を無視する経済政策は有効でない>

<企業会計では「利益」を重視し、「付加価値」を軽視する>

・企業の経済活動を測定する基本的な指標は、「付加価値」だ。そして経済全体の活動規範を測定する指標は、付加価値の合計であるGDPだ。

・それにもかかわらず、これまで両者はバラバラに論じられることが多かった。

・このように企業の業績が付加価値ではなく利益によって評価されるのは、企業を投資の対象として見ているからだろう。

<生産活動、付加価値、GDP>

・売上高から売上原価を差し引いたものを「付加価値」という。

・一定の期間に国内で生産された付加価値の合計を「GDP」という。これが「生産面から見たGDP」だ。

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