日銀は、消費者物価上昇率2%を目標として異次元金融緩和を開始したが、実現できなかった。それは、日銀が行った政策に、物価を上昇させる効果が元々なかったからだ。(5)
<出戻り型の出世頭は二階氏>
・出戻り型のうち、抜群の知名度を誇るのは、先述した二階氏と石破氏だろう。いずれも幹事長を務め、派閥領袖にもなった。
<首相の座が遠いのは出戻り型の限界か>
・二階氏は自民党に復党したが、トップ、つまり首相をめざさなかった。一方、同じ出戻り組で首相の座を求め続け、届かないでいるのが石破氏である。
・「能力、経験がある人でも現行の中選挙区制では選挙区内に名前を広めるだけでも大変。しかし、2世、3世は3ばん(地盤、看板、かばん)のうち看板があり比較的でやすい」
・「二世はよく父の意志を継いで、というがこれは絶対に言うべきではない。父の遺志が何たるかを知っているのは父と一緒に苦労した県議や役人、県民です」
・「自分の主義主張はこの10年間、一度も変えていない。周りがものすごく振れるので、まっすぐなことを言っている方が振れているように見えてしまう」
・「議員は政策の実現が一番の仕事だが、無所属のままでは一方的に主張を述べるばかりだ」
・政治家が権力闘争を勝ち抜くためには、良かれあしかれ、理屈ではなく、大きな流れを読んで立ち回ることが必要な時もあるだろう。
・「面倒見の良さ」が政治家の美徳の一つとされる永田町にあって、石破氏の「面倒見の悪さ」はつとに有名で、それも首相に届かぬ理由の一つだろう」
<強者を引き込む「二階方式」>
・流入型、出戻り型の政治家の遍歴を見ると、強者を引き抜く自民党の体質が表れている。
・4人全員を無所属で立候補させ、それぞれの選挙区で当選した方を自民党が追加公認することで決着した。まさに「強者こそが自民党」という論理そのものだった。
<派閥は「強者の論理」の象徴>
・二階派は、二階氏が幹事長に就任した16年8月時点では36人だったが、幹事長を退任して迎えた21年秋の衆院解散時には47人まで拡張していた。
・そして、「強い者こそ自民党」「競い合いこそが全体を強くする」という、中選挙区時代以来の自民党が持つ思想の現れだろう。
・融通無碍に強者を取り込む吸引力、「いい加減さ」がゆえのおおらかさから生まれる魅力、「数こそ力」の論理――。
・とはいえ、やはり派閥は非公式な組織であり、党の公式文書に振り分けを記すことはできなかった。
<「自民党はふるさと」>
・自民党関係者はこう語った。「自民党にいたことがある人にとっては、最後は戻りたい。自民党はふるさとなんだろう」。
<自民公認で出馬する旧民主党議員たち>
・22年夏の参院選でも、かつて民主党議員だった複数の政治家が自民党公認を得た。野党議員だった政治家自らが自民党に接近し、自民党側も強者を求めるように吸い寄せていく。
・世論調査で優勢な方を自民候補に決める手法は、まさに「強者をのみ込むブラックホール」である自民党の「らしさ」がつまっていた。
<選挙で勝てるかどうかが最優先>
・県連幹部に茂木敏充幹事長が言ったのは「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕る猫がいい猫なんだ」。中国の鄧小平氏の言葉を使って、良い悪いよりも好き嫌いよりも、選挙で勝てるかどうかを最優先する考えを示した。「県連が擁立しようとしている県議で参院選に勝てるのか」という強い牽制だった。
・6年前に共産と組んだ政治家であろうと、次に勝てるとみれば、どんな理屈をつけてでものみ込んでいく。
<「無党派層は宝の山」――小泉首相の執念>
・小泉純一郎氏は2001年の自民党総裁選で「自民党をぶっ壊す」と訴え、橋本龍太郎元首相らを圧倒して初当選した。その小泉氏がことあるごとに語ったのが「無党派層は宝の山」という言葉である。
・真骨頂は06年の郵政選挙だろう。執念を燃やした郵政民営化に反対する自民党内の「抵抗勢力」と徹底的に戦うことで、無党派層の熱狂を得て圧勝した。
<企業団体回りの基本>
・しかし、そんな小泉流は党内では異端視されている。党本部で長く選挙対策に携わる党職員は「小泉さんの手法は、オーソドックスじゃない。基本的にはまず自民党支持層を固め、無党派層につなげる戦略を採ることが大事だ」と語る。
・09年衆院選で、麻生太郎首相率いる自民党は、民主党に大敗。この時の投票率は69.28%。小選挙区が導入された1996年以降行われた21年までの衆院選で、最も高い。小泉人気で自民党が動員した無党派層は、麻生自民党を見放し、民主党へ大きく流れたといえる。
・自民の支持を広げる小泉氏の「無党派層は宝の山だ」という戦略は、05年より後の衆院選において自民党は一度も実行されていない。党職員の言う「まず自らの党の支持層を固める」というオーソドックスな戦略に自民党は徹している。
<安倍氏の「秘蔵っ子」、落選運動に苦しむ>
・自民党は常に強者をのみ込んでいこうとする貪欲なブラックホールであり、その結果、全国各地の強者の集まりになること、その総本山である永田町でも強者同士による熾烈な競争が行われていることを記してきた。しかし、強者の集合体だからこそ、目が向けられず、切り捨てられる層がある。そのことに疑問を抱く政治家もいる。
<「野党に予算はつけられますか」>
・執拗な落選運動が行われたのは、「保守派のスター」である安倍氏が可愛がってきたはずの稲田氏が、保守系からみれば「変節」したからだ。
・弱者の立場に立って政策を訴えることを野党の専売特許にさせてはならないと考えている。
<男性の市区町村長が共感しない事業>
・自民党は、町内会・自治会や地方議員、国会議員、経済界といった主流派によって支えられ、安定した長期政権を築いてきた。しかし、主流派から取り残される人たちこそ、政治の力を必要としている。政権を担う「国民政党」ならば弱者に目を向ける責務もあるはずだが、うまく機能していないのが現状である。
<「自民党」という不思議な安心感>
・「田舎は自民党と農協さえあればいい。それだけで田舎の生活は回っていく」
・「村落共同体を担うのは農協の理事たちで、彼らが全体を支配していた。肥料を買うのは農協だし、貯金するのも、結婚式を挙げるのも、葬式を開くのも農協、農協に任せておけば、みんなが幸せだということだった。地元の農協の総会は、そのまま部落(町内会)の総会だった」。
特定郵便局の局長たちは町の名士で、普通の人にとっては農協が中心だったという。彼らにとっては、政治といえば自民党しかあり得なかった。
・自民党の強さを身をもって知る、この職員は言う。「保守層を切り崩すには、保守を使うしかない。地方の首長選をみれば、対立構図を作り出せるのは、保守分裂しかあり得ない」。
<2009年下野よりダメージ残った93年の分裂>
・自民党は1955年の結党後、政権から2回滑り落ちた。1度目は1993年、2度目は2009年だった。政治史あるいは民主主義という視点でいえば、09年の方の意味が大きい。93年は、衆院選が終わった後に、非自民の8党派が連立を組むことで自民党は下野に追い込まれたが、選挙そのものでは自民は第一党を維持していた。一方、09年は民主党が過半数を大きく上回る議席を得る、民意による政権交代であり、自民は結党後初めて第一党の座を滑り落ちた。
<野党は何をしているか>
<立憲・小川淳也が英国で知った言葉>
・その小川氏がたびたび紹介する言葉がある。「保守政権は天然物で、非保守政権は人工物だ」。
・「『資産を持っている』『土地を持っている』など守るべきものがある人、つまり、社長や富裕層、強者たちがメインとして作り上げるのが保守政権である。
・「持てる者」を代表する天然の権力と、「持たざる者」を代表する人工的な権力があって、その二つが均衡を保つことで、社会は健全に発展するとの解釈である。
「日本は自民党政権が半永久的に続いてきた。そのため、医師会や農業団体、建設業協会、それから自治会や婦人会、体育協会にいたる末端まで、天然権力が行き渡っている」。
・「都市部では比較的、緩いかもしれないが、郊外や島嶼部に行けば行くほど、行き渡った天然権力は強固だ。『自民党であらねば人にあらず』的なカルチャーが、自民党の半永久政権の中で、仕上がっている」
<自民を染み渡らせる地方選の仕組み>
・一方の英国。町内会・自治会を含めて隅々まで自民党が染み渡っている日本と違い、末端まで保守党一色ということはないという。小川氏は両国の違いの原因を二つ挙げる。
一つは自民党政権が長すぎることだ。
・もう一つの原因は、日本における地方議員の選挙制度である。衆院選は一つの選挙区から3~5人が当選する中選挙区を、英国と同じ1選挙区から1人しか当選しない小選挙区に変えたが、地方選の制度は改革されなかった。
・これまで見てきたように、自民党籍を持つ地方議員の多くは、自らの選挙では「自民党」の看板を隠して「無所属」として戦って融通無碍の支持を広げる一方、国政選挙となれば、その集票力を生かして自民党を必死に支援している。
・小川氏の認識によれば、「政権交代可能な二大政党」による政治体制をめざして衆院選に小選挙区を導入したが、地方選を改革しなかったために、自民党が末端まで根を張る政治状況を変えられず、現状の「自民1強」に至っているというわけだ。
・町内会長のような各地域の代表者は、そのほとんどが自民党とどこかでつながっていると感じる。「自民党議員の集会の案内や活動予定が、自治会の回覧板で回る風習が地域によっては残る」という。
<選挙に精通する自民党スタッフの分析>
・小川氏が衆院香川1区で対峙し続けてきた自民党の平井氏は、祖父と父が参院議員を務め、父は地元紙・四国新聞の社主でもあった。まさに「天然物の権力」の象徴であろう。
・そう考える理由は「自民党の力の源泉は地方にある」とみているからでもある。
<後援会作りを怠ったツケ>
・小川氏の言う通り、長く政権の座にある自民党は全国津々浦々まで、水が染み渡るように支持の網を広げてきた。
<宗教団体、PTA、その時々のつながりで>
・のちに取材したこの地方議員は、特定の民間労組をバックに持ち、組織を固めて当選を重ねられるのであれば、無駄に支持を増やす必要はない、と考えていた。この地方議員は「私には後援会はない。4年ごとの選挙のたびに、ある時は宗教団体だったり、PTAだったり、その時々のつながりで戦ってきた。後援会はメンテナンスが大変」。
<地方選での「ため書き」>
・足場を固め支持を広げようとしない旧民主党議員のエピソードは、自民系の議員を取材していれば事欠かない。
・「早く道路のでこぼこを直せ」「給食費を安くしろ」「息子の嫁を探してくれ」住民からの陳情は、身近な話題ばかり。
<下りエスカレーターを駆け上がり、自民幹部にあいさつ>
・NHKの政治記者だった安住氏が初めて衆院選に立ったのは、最後の中選挙区選挙だった1993年。旧宮城2区から無所属で立候補し、新党さきがけ、日本新党の推薦を受けたものの、落選した。
<なりふり構わぬ大型の名札>
・なぜか、選挙区にいる時は、辻立ちの際はもちろん、コンビニやスーパーに行く時でさえも、スーツの左腕に「野間たけし」と書いた名札をつけているからだ。名刺サイズどころではない。A4判を二つ折ぐらいにした大きさだ。
・浪人中は、祭り会場の中には入らなかった。主催者側に知人がいれば、来賓席を用意してくれることもあるが、名札姿で会場の出入り口に立ち、あいさつし、名刺を渡す。
<「自民党に入りたいなら3千万円は持っていかないと」>
・「それじゃダメだよ、君。自民党に入りたいんだろう。手土産を持って行くのは常識だ。3千万円ぐらいは持って行かないとダメだよ」と言われた。もちろん、表の政治資金の話ではないだろう。そもそも落選を重ねてきた野間氏は多額の借金こそあれ、3千万円もの大金は手元になかった。
<地権者300軒を自ら回る>
・道路の修繕を超える大型の事業に積極的に関わった事例もある。
<「どぶ板を徹底させないと、この党は強くならない」>
・「道路のメンテナンスの陳情なんて、自民党の県議や市議も大して引き受けていない。鹿児島市のような都市部の議員ならともかく、定数1の田舎を選挙区とする自民党の県議はいったん当選すると『自分は自民党だ』とあぐらをかいている」。
・野間氏が選挙に強いのは「日本一の御用聞き」を掲げ、どぶ板を徹底してきたことが理由の一つであることは確かだろう。
<役所OB、野党支持者の根っこを狙う>
・永田町でよく語られる法則に「9・6・3の法則」がある。野党候補が自民候補に勝つためには、野党支持層の9割、無党派層の6割、自民支持層の3割から得票する、という目安のようなものである。
・幅広い支持層から票を得るために、野間氏は各層へのアプローチを怠らない。労組OB、とりわけ役所勤めを終えた自治労OBは町内会・自治会の役員を務めることによって自民党支持に傾いていく事例を先に紹介したが、野間氏は、そんな元「野党支持層」のメンテナンスにも気を抜かない。
・野党議員は無所属の地方議員に「ため書き」を送らない事例が多いと先に記したが、野間氏は全く違う。
・こうした「雑食性」としての強さが、野党議員の必勝の法則である「9・6・3の法則」を実現させているのだろう。
<党勢拡大のジレンマ>
・選挙区で左胸につける大型の名札にも、名刺にも、地方選の候補に送るため書きにも、「立憲民主」の文字はない。松下政経塾を創設した松下幸之助の教えから「政治は人だ」と考え、「党の前に大事なのは人だ」と思うからだ。
・立憲民主党の看板にできるだけ頼らないようにしている野間氏にとって、難しいのが党勢拡大の運動である。
・自民党も所属国会議員に年間の党員獲得のノルマを課しているが、立憲の3倍の年間1千人。それも自民側は、年間の党費4千円の党員のみで、サポーターやパートナーズのような「割引」もない。
<「立憲民主党は末期的」>
・党の看板をできるだけ「隠す」ことで有権者にアプローチする野間氏のような手法がある一方、野間氏と同じくかつては民主党に所属しながら、21年衆院選では政党を「捨てる」ことで有権者の支持を広げた議員もいる。
<選挙区は「しらみつぶし」に回る>
・福島氏は選挙区回りを「サファリパーク」にたとえる。通産官僚時代にケニアに出張した際、草原地帯を車で移動している時の感覚に似ているからだという。「サバンナを車で移動しても、動物は見えない」
・しらみつぶしでなければ選挙区回りの効果が少ないどころか、逆効果になることに気づいたのは、03年、05年と衆院選で2回続けて落選した後のことだ。
<初当選と慢心と挫折>
・そもそも03年に初めて立候補する際は「10年間は当選できない」と思ったが、6年間で当選したことによって「慢心があった」ともいう。
14年衆院選は民主党から出馬し、小選挙区では敗れたが、比例で復活。17年は希望の党から出馬し、小選挙区、比例とも落選した。
<街宣車による「地盤のメンテナンス」>
・09年の初当選までの4年間で8万軒の有権者を訪問した福島氏は、17年の落選後は、バイクで3万5千軒以上を回った。これで1区内の15万軒のうち、12~13万軒を一軒一軒、訪ねたことになる。いまは残りの数万軒を回りつつ、一度回ったところは街宣車で走るようにしている。合併前の旧市町ごとに丸一日かけて、全ての路地に分け入り、連呼はしないが、「福島伸享」の名前をしのばせながら、国政について報告する。
<肩書ではなく「人」を見る>
・そもそも、かつてと違って、町内会、自治体そのものが崩壊しつつあり、町内会長のようなポストに就きたがる人は減った。「肩書でなく純粋に『人』を見ないといけない」と話す。
<自民党という「システム」が残った問題点>
・しかし、民主党は3年3カ月で下野。党は四分五裂し、自民党の「1強」状態は永続的に見える。「残念ながら自民党による利権システムが戻ってしまったというのが、この国にとっても大きな不幸だと思う」と語る。
<「夏祭りの振る舞い」で自民か野党か分かる>
・自民党議員は「相手との関係性」を重視するから、必ず、祭りの主催者に頭を下げて、関係者と雑談を繰り返していくが、旧民主党系の議員は「露出の数」で勝負しようと、白い目で見られながら、会場の外で法被を着てビラ配りをするという。
<地元に根差した知識>
・21年衆院選で、野党候補として勝ち上がってきた鹿児島3区の野間氏や茨城1区の福島氏は、政策論をつむぐよりも、人間関係を作り上げてきた。自民党と同じようなやり方で支持を広げたわけだが、こうした手法は、何も日本ばかりではなさそうだ。
<あとがき>
・自民党は「強者をのみ込むブラックホール」であると書いてきました。あらゆる強者を内部に取り込んでいくことで、いろいろな思想、いろいろな層の人が雑多に交じり合うという意味で、自民党は、遺伝子の異なる細胞をあわせもつキメラになります。首相ら党幹部への忠誠度が高い国会議員と、自民党同士の争いに価値を見いだす地方議員という全く体質が異なる政治家で構成されているという意味で、党の姿そのものもキメラと言えます。
・こうした動きと、自民党の「安倍チルドレン」がポストを競い合うことで生じるミシン目とが響き合って、自民党が分裂し、分裂した側が、新たな保守系勢力、あるいは維新と合同する――。そんなシナリオがありうると見ています。
『政治家は楽な商売じゃない』
平沢勝栄 集英社 2009/10/10
・「政治家は楽でいいな。政治資金の使い方もいい加減でいいんだから」「結構、儲かるんだろうな」などと思っている人もいるのではないだろうか。
・しかし、政治家という仕事は決して楽なものではない。11年前、地盤、看板、カバンもないまま衆院選に挑戦し、幸いにも当選させていただいて以来、私は、公務や選挙区での活動に全力で取り組んできた。1年365日、1日も休みなしの状況で今日まできた。
・また政治家は決して楽な仕事ではない、もちろん人によって違うだろうが、徒手空拳で政治家の路を選んだ私だからこそ、よくわかることだ。
<勝栄流、ドブ板選挙>
・私の場合、365日、それも毎日24時間を選挙活動に充てていると、いっても過言ではない。これは決してオーバーではない、家族サービスなど全くできないと言っていい。
・毎日の活動は漕ぐのを止めたら倒れてしまう自転車に似ている。体力勝負である。政治家と言う仕事はもちろん個人差はあるだろうが、決して楽な商売ではないのだ。
<日々是選挙なり>
・政治家にとっては「日々是選挙」だ。したがって、慢心はもちろん、一瞬の油断でさえ政治家には命取になる。
・「選挙に勝つための条件は三つある。一つは36歳以下であること、それから、5年から7年、地域を必死で回ること。最後に地元の2流、3流の高校の出身であること」。最後の条件は、一流高校と違いそうした高校の出身者は卒業後の結びつきが極めて強いから、選挙に有利と言う意味らしい。私は、どの条件にもあてはまらない。
<ドブ板選挙は体力が勝負>
・選挙区では1年中、なんらかの会合や催し物が開かれている。1月から3月までの新年会だ。私は毎年計5百か所ぐらい出席する。それが終わると卒業式に入学式のシーズンを迎える。
・政治家でも二世や三世なら祖父や父親からの地盤があるから私などと違って楽かもしれない。
・政治家は勉強も欠かせない。しかし、1日中、走り回っていると勉強する時間がない。
・私が基本にしていることは、徹底して「人に会う」ということだ。それが選挙の第一歩だと考えている。地元にいる限り、私の一日は「人と会う」ことから始まる。
<国会議員の本分>
・まずは国会議員の本分としての仕事がある。それを最優先でこなし、余った時間で選挙活動にも励んでいるのだ。
<個人の後援会>
・政治家にとって後援会と言うのは、膨大な時間と労力をかけて作り上げるもので、いわば政治家の命綱だ。二世、三世議員は祖父や父親の後援会をそのまま譲り受けることからきわめて楽な選挙となるが、私にはその基盤となる後援会が全くなかった。
・現在私の後援会員は約6万人を数える。この後援会が今日の私のドブ板選挙を支える基礎となっている。
<政治家とカネ>
・国会議員は普通に活動するとどうしてもカネがかかる。仕事をやればやるほどカネがかかるともいえる。
・普通に議員活動をしておれば、月にどうしても5、6百万円はかかる。先に述べた議員年収などでは、とてもまともな活動はできないのが現状だ。歳費と期末手当だけではとても政治活動費は賄えないし、政党からの助成金でもまったく足りない。支援者からの支援がなければ、政治家として十分な活動ができない現実がある。だから、パーティーは多くの議員にとって不可欠とも言える。
・夏はもちろん、盆踊りや花火大会などのシーズンである。このうち盆踊りや夏祭りは町会、自治会単位で開催され、約3百ヶ所に顔を出す。
・もちろん、こうした行事のほかにも冠婚葬祭や祝賀会、記念式典などが一年中、目白押しだ。
<拉致は防げた>
・拉致は防ぐことができた。私は、今でもそう思っているし、警察にいた者の一人として、この点については返す返すも残念でならない。実は私が警察に在職していたときから、北朝鮮による拉致事件が起こっているのではないか、と関係者は疑いを抱いていた。
・実際に実力行使で不審船をストップさせたのは2001年12月の奄美大島沖事件が初めてであった。
<拉致問題は時間との戦い>
・私の師でもある後藤田正晴さんは生前、政府の対北朝鮮外交の進め方に介入する関係者の言動に強い不快感を示しておられた。私は、リスクを覚悟しながら行動する政治家は、リスクを取らずして非難だけする人など何も恐れる必要はないと考えている。この言葉を後藤田さんが存命中に常に言っておられたことである。
・10人帰って来ると、あと10人はいるのではないか。その10人が帰国すれば、あと30人はいるのではないかとなるのは当然であり、自明の理だ。
・日本の警察に届けられている行方不明者や家出人の数は8万人から9万人に達する。この中に「もしかすれば、うちの子供も拉致されたのでは」と思う人が大勢出て来るだろうし、相手がいままで平気で嘘をついてきた北朝鮮だけに、先方の説明をそのまま信じることはできない。要するにこの話は今の金正日体制の下ではエンドレスに続く可能性がある。
・すると北朝鮮側は、「拉致事件は、日本と北朝鮮が戦争状態の時に起きたことだ。戦争時に末端の兵士が行った行為を罰するわけにはいかない」と答えた。だとすると拉致事件の最高責任者は誰かと言えば、間違いなく金正日だ。北朝鮮は、ならず者であれ何であれ、曲がりなりにも国家である。そのトップを引き渡すということは、武力行使か金体制の崩壊しかあり得ないのではないか。
<日朝交渉の行詰まり>
・小泉さんが訪朝時、食事どころか水にも手を付けなかったからだそうだ。アメリカのオルブライト国務長官は2000年の訪朝時に、北朝鮮の水などを口にしたそうだが、小泉さんは二度の訪朝のいずれもでも水さえ口にしなかった。
・私は、小泉さんは立派だと思う。北朝鮮の水に何が入っているかわからないし、そもそも水といえども飲む気にはなれなかったのだろう。しかし、北朝鮮にいわせると「自分の国に来て水一滴も飲まないで帰るとは失礼だ」ということになるようだ。だから私は、小泉さんの三度目の訪朝はないと思う。
『「政権交代」 この国を変える』
岡田克也 講談社 2008/6/18
<「座談会」と呼ぶ、私が最も大切にしている集いがある>
・週末ごとに地元・三重県で20人、30人規模で開催する対話集会のことだ。私は、この座談会を20年間にわたって繰り返してきた。2005年秋に民主党代表を辞任したのちも、1万人を超える方々と膝を突き合わせて対話してきた。
・政権交代ある政治、これこそ私が、いままでの政治生活の中で一貫して主張してきたことだ。
<政権交代とはどういうことなのか>
・同じ民主主義、市場経済を基本とする体制の中で、どちらの党の政策がよりよいか、具体的な政策を国民一人ひとりが選ぶこと。
・選挙運動を始めてから地盤が概ね固まる当選2回までの間に、通算すると5万軒、いや7万軒は訪ね歩いたのではないだろうか。すべての活動の基本は有権者との直接対話だという、私の考えは今も変わらない。
・代表辞任後のこの2年9ヶ月間、私は、地元で350回、延べ1万人を超える有権者との対話の場をもってきた。週末はよほどのことがない限り地元に帰って、公民館とか神社の社殿とか、ときには個人宅をお借りして、平均30人ぐらいの集会を開く。私は、これを「座談会」と呼んでいる。
<自由で公正な社会を実現する>
・市場にも限界がある。競争政策、市場メカニズムを活用すれば、そこからこぼれ落ちる人が必ず生じる。それは政治が救わなければならない。
<公正な社会を実現する>
・社会的公正とは何か。私は、中間所得者層の厚み、実質的な機会の平等、セーフネット、世代間の公平―以上の4点を挙げたいと思う。
(2023/6/3)
『自民党という絶望』
石破茂 &その他 宝島社新書 2023/1/27
<空気という妖怪に支配される防衛政策 石破茂>
・年間11兆円の防衛予算となれば800億ドル以上。インドの766億ドルを抜いて、米国、中国に次ぐ世界3位の軍事大国となる。
<GDP比2%がいつの間にか既定路線に>
・石破:GDP2%、NATO並み、という話は安倍晋三元総理が生前に言っておられたことです。
・ウクライナ侵攻が国民に大きな衝撃を与えたことは間違いありません。
・台湾の陸海空軍の防衛力について、日本としてどれだけ正確に分析評価できているかということも重要です。台湾には2018年まで徴兵制があり、さらに予備役の訓練にも力を入れています。陸海空軍合わせて166万人もの予備役がいる。
・「ウクライナの教訓は、自分の国は自分で守るという強い意志と能力を備えなければ、他の国は助けてくれない、ということだ」
・当たり前ですが、フリーランチなどありません。大切なものはタダでは手に入らないのです。自民党はよく「国防こそ最大の福祉である」というフレーズを使うのですから、そうであるならば、恒久的な財源が必要だというのはきわめて当然の議論でしょう。
<アメリカからの“買い物リスト”が増えるだけではいけない>
・今回の防衛費増額によって、日本の大企業も受注が増えていくことになるでしょうから、法人税増税という選択肢は合理的だと考えます。
・陸海空のオペレーションを統合するのですから、防衛力整備につても当然統合して考えるべきで、この点は以前から指摘していたことなのですが、今回は「統合運用に資する装備体系の検討を進める」という表現にとどまりました。
<「自衛隊がかわいそう」という空気は予算倍増の理由になるのか>
・しかし、実力組織として、自衛官には国の独立と平和を守るという任務があり、その遂行のために物理的破壊力を行使します。
・戦後日本に軍事法廷はありません。人権侵害をするかもしれないから、あるいは自衛隊は軍隊ではないからと、そもそも設置をしていない。しかし、そのために個々の自衛官の人権を守れないということが起きている。これこそ本末転倒です。
・その意味で、日本は怖い国です。かつてはアメリカを相手に戦争をしたのですから。日米開戦当時の昭和16年、アメリカのGDPは日本の約10倍、工業生産力も10倍ありました。まともに考えれば勝てるはずのない相手なのですが、それでも、この国は戦争に突き進みました。当時、これを批判したメディアはほとんどありませんでした。
<保守の間で「戦後」がうまく伝承されてこなかった悲劇>
<――なぜ、国家の安全保障政策について冷静な検証や議論が深まらないのでしょうか。>
石破:敗戦の検証が不完全だったからではないでしょうか。
・保守というのは本来、右翼の街宣車ではありません。本来の保守に必要なのは、柔軟性と寛容性です。
<国家として自主独立は居心地のよいものではない>
・その意味では、私は日本はまだ真の独立国家には達していないと思っています。日米安保の本質は、その非対称性にあります。
・自主独立は、まったく居心地のよいものではありません。どうやって抑止力を維持していくか、常に緊張を強いられることですし、自分たちで決めたことに対して自分たちで責任を負うしかない。しかし、それこそが独立国家のあるべき姿ではないでしょうか。
<実力組織は「情」ではなく「規律」で動く>
石破:むしろ、それだけの予算があるのであれば、予備役を増やすことを考えたほうがいいと思います。
・企業が予備役を雇用する際のメリットをもっと用意して、予備役をきちんと確保する環境を整えることが必要でしょう。
・命を懸けて任務を遂行する実力組織を持っているということは、国民全体でその責任と覚悟を負わねばならないということです。これもまた、民主主義の根幹だと私は思っています。
<反日カルトと自民党、銃弾が打ち抜いた半世紀の蜜月 鈴木エイト>
・この統一教会問題を長く取材し、『自民党の統一教会汚染 追跡3000日』(小学館)などの著書があるジャーナリストの鈴木エイト氏に、日本の宿痾とも言える「政治と宗教の癒着」について聞いた。
<成立した「被害者救済法案」の問題点>
鈴木:いわゆる「マインドコントロール」に関する規定が明記されていないという点です。
<「何が問題かわからない」という本音>
・日本において、自民党議員のカウンターパートとなってきたのは、統一教会と表裏一体の関係にある政治団体の「国際勝共連合」です。
・教団が議員たちに重宝された最大の理由は選挙協力です。
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