日銀は、消費者物価上昇率2%を目標として異次元金融緩和を開始したが、実現できなかった。それは、日銀が行った政策に、物価を上昇させる効果が元々なかったからだ。(8)
<中川一郎 熱血漢を襲った悲劇>
・俺の初選挙では、福田派の幹部である安倍晋太郎先生にも応援をお願いしたが、ダメだった。そんななか、俺の志を意気に感じてくれたのが、当時国民的にも大変人気のあった中川一郎先生だ。選挙期間中、広島県庄原市の山奥まで駆けつけてくれて、翌年のハプニング解散後の選挙戦でも「俺が行くぞ」といって、どんどん選挙応援をやってくれた。
中川先生は北海道開拓民の家族の出で、子だくさんの家に育ち、とても苦労された方だ。その熱血漢ぶりに俺は魅了され、短い間だったが非常に濃密な関係を結んだ。
・年の瀬、事務所のあった永田町の十全ビルで、こう声を掛けたのが最期になってしまった。「中川先生、がっかりしないでください。年が明けたら、私と狩野明男と三塚博の3人が先生のところに移籍します。いま福田先生から了解を得たのですから、元気を出してください」
年明けの1月9日、先生は自死された。「北海道のヒグマ」と呼ばれるほど豪快な人だったが、同時に繊細で気が弱いところがあったんだろう。総裁選で負け、孤独になったことで一気に弱ってしまった。まだまだいくらでもチャンスがあったのに、残念でならない。
<平成を駆けた31人>
<後藤田正晴 俺を政治の道に進ませた「圧力」>
・後藤田さんは役人時代から、田中角栄さんの懐刀として重宝されていた。あるとき、俺が公職選挙違反で衆院選の自民党候補を逮捕しようとした。すると、刑事局から逮捕にストップがかかった。角栄さんの命を受けた後藤田さんからの指令であることは明らかだった。
普通なら、逮捕を泣く泣く諦めて終わりだ。ところが、俺にそんな圧力は通用しない。「それはまかりなりません」とばかり、逮捕してやった。後藤田さんからすれば面子丸つぶれだ。それをきっかけに、後藤田さんは「亀井の野郎」と疎ましく思っていたようだった。
その後しばらくすると、埼玉県警捜査2課長だった俺のもとに人事の内示があった。警視庁本富士署の署長で、警察キャリアにとって出世の王道コースのひとつだ。しかし、それを知った後藤田さんが「亀井は警視庁なんかに入れちゃいかん。何をやるかわからん」と言って、人事をひっくり返した。そして、「極左をやっつけるならいくらやってもいいから、極左担当にしろ」ということで、俺は‘71年、警備局の極左事件に関する初代統括責任者になった。
・その後、‘76年の衆院選で先に後藤田さんが政治家に転身し、3年後に俺も政治家となった。同じ警察官僚出身とはいえ、派閥は違ったし、後藤田さんからしたら俺は憎き男だ。官房長官時代も、一切カネをくれることもなかったし、俺に目をかけてくれることもなかった。また、俺もそれを望んでいなかった。だから酒席を共にしたこともない。
・なだめたりすかしたりといった芸のきくような、可愛げのある人ではなかったのだ。その辺りが「カミソリ」と呼ばれる所以だが、自分でも総裁のポジションには不向きだと自覚していたのだろう。俺とは政治スタンスが全く異なり、どこまでも「官僚」だったが、私利私欲のない一本独鈷な政治家であった。
<梶山静六 総理になれなかった悲運の政治家>
・政治家に必要なのは、強い信念に基づいた覚悟と、人を魅了する力だ。だが、それだけでは天下はとれない。運が必要なのだ。安倍晋三だって運がなければ、父親が得られなかった総理の座を、2度にわたって獲得することはできなかったはずだ。
そういう意味で、悲運だった政治家の筆頭といえば梶山静六さんだろう。
<橋本龍太郎 俺が作った橋龍内閣を、壊した理由>
・橋本内閣が誕生し、俺も組織広報本部長という新設された四役に就いた。ともにお国のために頑張ろうと意気込んだのだが、現実は違った。あいつは総理になった途端に変わってしまったのだ。大蔵省の虜になり、緊縮財政を主導し、政策的に縮小路線に舵を切る。官僚にのせられ、消費税を3%から5%に引き上げてしまった。公共事業もなんでも切ってしまえと、無茶なことをやりだした。
翌年から長期デフレに陥り、失われた20年を深刻化させた。俺のおかげで総理になれたのに、言うことはまったく聞かない。結果、俺は梶山静六さんと手を結び、橋龍おろしを画策した。自分が担いで作った内閣を、自分で壊すというのは皮肉なものだ。政治の世界では、昨日の味方は今日の敵。今日の敵は明日の味方。それ以降、橋龍とは会うこともなくなってしまった。大蔵省の虜になってしまった変節だけは、残念でならない。
<野中広務 偉大な裏方に「許さない」と言った日>
・老獪な一面もあったが、抵抗勢力と呼ばれて、時々の政権に批判もしてきた。野中は目線を低くして生きているからだ。保守色が強い自民党にとって、彼のような平和主義を追求する姿勢は必要不可欠だった。偉大な裏方を、日本は失ってしまった。
<中川昭一 親父さん譲りの「情」が忘れられない>
・弟のように可愛がっていた中川昭一が亡くなり、早12年が過ぎた。
はにかみ屋のところもあったが、いつも屈託のない笑顔で、俺を兄のように慕ってくれた。
・‘09年2月、昭一は財務・金融担当大臣としてローマで開かれたG7に出席した。その後、酩酊したような朦朧状態で記者会見に出て猛批判を浴び、責任をとって大臣を辞任。半年後の総選挙で謝罪行脚をしたが、民主党候補に敗れ、比例復活もならずに落選した。1ヵ月後、自宅の寝室で倒れているのを発見された。
その日、俺は自分の事務所にいたが、一報を聞いて慶應病院へ急行した。だが昭一は、すでに息を引きとっていた。今でも病や発作によるものだったのか、それ以外の理由があったのか、はっきり分かっていない。いずれにしても、昭一ほどの男を失ったのは残念と言うほかない。
<与謝野薫 頼まれたら断れない働き者の生涯>
・永田町の「仕事人」としての皆の記憶に残っているのが、与謝野馨だ。俺は彼を「最強のテクノクラート」と評していた。それほど頭の切れる男だった。
与謝野がライフワークとしていたのが「財政健全化」だ。彼は徹底した財政緊縮論者だった。
・思うに、与謝野馨は頼まれると断れない人間だったのだ。だから、中曽根さんが師匠のはずなのに、自分を重用する梶山さんについて行き、仇だったはずの民主党にも請われれば入閣した。敵味方に囚われず活躍の場を探し続ける姿は、まさに稀代の「仕事人」だった。
<小林興起 「上から目線」をやめて、戻ってこい>
・小林興起は、通産省の官僚出身だ。農林大臣だった中川一郎さんと出会って政治家を志した。福田派に所属しながら中川派の会合に出ていた俺は、たまたま、自分とどこか風貌が似ている男がいるな、と思って小林を認識した。
・お膳立てをしてやれば、あとは親分の中川さんがなんとかするだろうと見ていたが、中川さんは‘82年の総裁選出馬の後、悲運の自死を遂げる。なんとか小林を国会議員にするため、俺は応援に動きまわった。しかし、当時の小林は泡沫候補扱いで勝ち目もない。
・苦戦は続き、‘83年、’86年と総選挙に連続で落選。
・一度は当選して政界に復帰したが、その後は落選続きだ。理由はなんとなくわかる。優秀で能力は抜群だが、自分が一番優秀で偉いと思いこんでいるのだ。「上から目線」の唯我独尊では、選挙民が反発して票が集まらない。政界復帰のため、小林は今も頑張っていることを知っている。まずは、謙虚になることだ。
<自民党と対峙する21人>
<玉木雄一郎 総理大臣候補になるためには………>
・国民民主党代表の玉木雄一郎は、まだまだ若いが、間違いなく将来の日本を担っていく政治家だと思う。今はキラキラする経歴が邪魔している。
・玉木に言いたいのは、机上の勉強じゃダメだということだ。政局で揉まれ、修羅場をくぐる。批判され、めちゃくちゃにマスコミに書かれないとダメだ。
そのためにも、政局を仕掛けていかないといけない。
<志位和夫 本気になれば、日本を変えられる>
・志位和夫とは、実に柔軟な男だ。良いものは良いとし、悪いものは悪いという是々非々の姿勢を持っている。
・だが原理原則がなく柔軟で、何でもありとなると、そういう男は怖い。悪魔とさえ手を握ることもできるからだ。俺はこれまで志位とは何度も会い、天皇制や日米安保、北東アジア問題、野党共闘、内政と、幅広いテーマで議論をしてきた。天皇観を巡っては真逆の考えの持ち主だが、他の部分では共通する部分も多い。一部の人たちが富を独占する新自由主義は駄目であるとか、増税反対の考えにも俺は共鳴している。
・志位は、権力を握らないといけないと考えているのだから、本気で野党共闘に臨んでもらいたい。共産党だけでなく、野党トータルとしての共闘を実現してほしい。彼にそれだけの器と力量が備わっている。
<大塚耕平 四面楚歌の俺を支えてくれた>
・総選挙で民主党が圧勝し、俺の率いる国民新党、そして社民党を含めた3党連立の鳩山由紀夫政権が誕生した直後、郵政改革・金融担当大臣に就任した俺は、世間が飛び上がる政策をぶち上げた。モラトリアム法案(中小企業金融円滑化法案)だ。中小零細企業や住宅ローン利用者の借金の返済猶予を銀行に促す法案を作るよう提唱したのだ。
・モラトリアム法案は無事完成し、‘09年11月には可決成立、翌月に施行された。年末で会社の資金繰りの厳しい時期に施行できたことは大きかった。俺の信条を理解し、片腕となって多大な尽力をしてくれた大塚には今でも感謝している。彼なくしては法案成立までこぎつけなかった。俺の部下として来てくれたのは、まさに天の配剤だった。これからも大塚には弱者に寄り添った政策を作ってもらい、日本の政界を引っ張っていってほしい。
<菅直人 緊急事態下の総理といえば、この男だった>
・俺は、副総理の話を断り、代わりに首相補佐官に就任した。菅は総理まで務めたが、決して大物政治家とはいえない。そうはいっても、自民党の世襲議員ばかりが出世するのが常の昨今の永田町で、市民運動家から首相にまで上り詰めたのは、大したものだと思う。
<鳩山由紀夫 「宇宙人」は、すべて任せてくれた>
・そんな鳩山とも、一度だけ衝突したことがある。永住外国人の参政権の問題だ。「永住外国人に参政権がないのは、日本が住みにくいことを物語っている。永住外国人に地方参政権を与えるべきじゃないですか?」鳩山はこう言ったが、俺は、そんなことをするのなら連立を出て行くと答えた。鳩山も根負けしてこの法案は見送られた。
衝突はそのときだけだ。俺と鳩山は、対米従属からの脱却を本気で考えていたのだ。国益を守るため、自主独立をしなければいけないという点は同じ考えだった。
・今の政権はアメリカに追従するばかりだ。鳩山のような本気の政治家がいないのだ。世間離れした考えから、鳩山は「宇宙人」だと揶揄されていた。その宇宙人が、地球の下世話な部分を、地球人の俺に任せてくれたのだ。鳩山には感謝している。
<福島瑞穂 野辺の花として散る覚悟はあるか>
・福島は当然左翼だが、俺は自民党時代から右っぽいところも左っぽいところも併せ持っていたから、福島とは意外と考えが一致するところが多い。
ある日、福島と食事をしていたら「私と亀井さんは『郵政民営化反対』『死刑廃止』『義理人情』、この3つしか共通事項がないですよね」と言ってきた。俺は「3つも同じなら上出来じゃないか」と返した。ひょっとすると保守の政治家より気が合うのかもしれない。
<前原誠司 意見は違うが、驚くほどに義理堅い>
・俺と前原は、政策が近いわけではない。俺が必死で主張してきた郵政民営化反対や死刑制度廃止には、彼は反対している。TPPの時も、前原は賛成で、俺は反対の先頭に立っていた。だが、前原が他の民主党出身の政治家と違うのは、抜群に気遣いができることだ。
<山田正彦 「ブレない男」と新党を作ったときのこと>
・TPPは日本にとって自殺行為である。日本の農業を確実に滅ぼす。野田佳彦政権になるとTPP推進の動きはさらに加速した。野田は「TPPに賛同しない議員は選挙で公認しない」とまで発言し、翌年の11月に解散をしてしまう。TPP反対の急先鋒である山田さんはやむなく離党を決断し、そこで、無所属になっていた俺と2人で政党を作ることになった。
<岡田克也 「地蔵さん」だが、それも悪くない>
・宮澤喜一政権の頃、自民党でひときわ生きのいい若手議員が、岡田克也だった。堅物で知られる岡田は、金権体質はびこる自民党政治に嫌悪感を抱いていたのだろう。カネのかかる中選挙区をやめ、小選挙区制を導入するのに特に熱心だった。
・だから、俺は岡田に「石の地蔵さん」というあだ名をつけた。本人と会っても直接「おう、地蔵さん」と呼んでやった。
ただ、石頭で融通がきかないのは決して悪いことばかりでもない。それは、あいつなりの信念を持って行動していることの証だ。
・岡田は野党議員の中でも選挙がとてつもなく強いし、経験も豊富だ。日本の政治をマトモに戻すためには、野党が強くなることが欠かせない。そのために「地蔵さん」の力が必要とされる局面が、近い将来やってくるだろう。
<因縁と愛憎の21人>
<橋下徹 国政進出は失敗だったが、チャンスはある>
・橋下徹は天才だ。大阪で府知事になり、大阪維新の会を作ると、「反東京」でまとめ上げて「大阪中心」で一つの勢力を作った。大阪都構想は、大阪独立運動みたいな話である。要するに、東京の風下にはつかないということ。なかなかできる発想じゃない。まったく革命児だと思う。
・やっぱり政治は自分でやらなければしょうがない。橋下はまだ若いのだからもう一度勝負してほしいと思う。会って再認識したが、やっぱり光がある。天才児だ。コツコツやるのではなく、パッとやってパッと花を咲かせるタイプだ。必要とされる出番はやってくるだろうから、そのときはぜひ政界に殴りこんでほしい。
<綿貫民輔 国民新党を共に立ち上げた「大人物」>
・俺と綿貫さんでは、郵便局との距離感はまったく異なるものだった。綿貫さんは郵政族で作る郵政事業懇話会の会長を務め、まさに「郵政族のドン」そのものだ。一方の俺にとっては、特定郵便局は選挙での強力な敵だった。旧広島3区で、同じ自民党で戦っていた佐藤守良さんの強力な支持団体だったからだ。だから、自民党を離党した俺が、無所属ではなく、綿貫さんを旗頭とした新党で「郵政民営化反対」を明確にする考えを示したとき、後援会からは「気が狂ったのか」と猛反対された。
だが、「郵政民営化なんてやらせたら、この地域を含めて日本中の地方が滅茶苦茶になる。だから選挙とは関係なく俺は反対する。それが嫌なら応援してくれなくて構わない」と俺は宣言した。
<武村正義 官僚時代の「裸の付き合い」>
・俺が埼玉県警捜査二課長に就任した‘69年、着任直後、埼玉県地方課長に異動してきた役人がいた。自治省から埼玉県庁に出向中だった武村正義である。
この武村の異動は、俺の「篭絡」が目的だった。どういうことかというと、当時の俺は捜査二課長としてあらゆる事件を手がけ、検挙数も多かったので、埼玉県庁が震え上がっていたのだ。警察庁長官の後藤田正晴さんの命令すら無視し、田中角栄の「刎頚の友」といった大物も逮捕に踏み切っていた。警視庁も含め他県警の捜査二課は実績がなかったから、俺は県外にも出て容疑者を逮捕した。管轄外でも、工夫して関連づけさえすれば逮捕できる。警察庁長官賞は埼玉県警捜査二課が独占だった。
そこで武村を、俺の「宣憮要員」として寄越したわけだ。事実、武村からは接待漬けだった。しょっちゅう俺を群馬の温泉地へ連れ出し、泊まりがけで、2人して女遊びだ。ただ、俺は奴の魂胆を分かっていたから、接待を受けても、あまり手加減はしなかった。
今だから言えるが、当時俺は県庁から裏金をもらっていた。捜査二課のカネがなくなると県の総務部員に電話をして、「カネがないんだ。ちょっと出してくれや」と言った。すると部長は何千万円単位のカネを寄越した。恐喝みたいなものだ。俺はそれを自分のポケットに入れるわけではない。捜査は5人一組の班単位でやっていたから、成績を上げた班には休暇を与えたうえ、その裏金を使って海外旅行に行かせた。するとみんな張り切り、休日返上で内偵をし、容疑者を見つけては捕まえる。検挙実績も上がっていった。
武村は‘71年、八日市市長選挙に出るといって自治省を辞めた。俺はみんなを集めて送別会をしてやった。俺と女遊びばっかりしていたやつが「改革派」と称して市長選に出るんだから、笑ってしまった。とはいえ、もともと自治省に入るくらい優秀な男だし、何よりも野心家だった。その後、国政に転身したのは当然の成り行きだろう。
・宮澤内閣が不信任決議されると自民党を飛び出して「新党さきがけ」を結成し、その代表に就いた。この時、俺とは長い付き合いにもかかわらず、武村からは一言の相談もなかった。一緒に離脱した園田博之たちとはいつも一緒に麻雀をやっていたにもかかわらず、彼からも一言の相談もなかった。全くもって仁義なき野郎どもである。
・武村は、俺が社会党と組んで政権を奪還した時には、ちゃっかり付いてきて大蔵大臣に就任した。「自社さ」連立政権とはいうものの、本当のところ、さきがけなど刺身のつまに過ぎなかったのだが、間隙を突いてきた。こうした世渡りの上手さでは、武村の右に出る者はいない。それができたのは、周りに敵を作らなかったからだろう。ムーミンパパと呼ばれるほど穏やかな外見ながら、野心家で血の気も多い。なかなかの人物なのだ。
<小沢一郎 3度目の政権交代を見るまでは>
・長い政治生活の中で、俺にとって最も因縁深い政治家が小沢一郎だ。小沢とは「手を結んで、喧嘩して」の繰り返しだった。
・2度も自民党政権をひっくり返し、55年体制をぶっ壊すなんて大それたことは、小沢一郎という政治家だからこそ為し得たことだ。もう小沢も80近いが、3度目の政権交代を見るまでは引退しないつもりだろう。その姿を、俺は傘張り浪人として静かに見守りたい。
(2017/7/26)
『亀井静香、天下御免!』
岸川真 河出書房新社 2017/6/12
<「政治に関心のないひとはいるが、政治に関係のないひとはいない」>
・小沢氏がベトナム戦争で指揮を執ったボ・グエン・ザップ将軍を敬愛するのに対し、亀井がエルネスト・チェ・ゲバラを尊敬しているのは好一対だと思う。
<大統領選挙>
(亀井)オバマは16%しか黒人がいない中で大統領に当選したでしょう。米国の人種差別はものすごいものですよ。地域によっては、有色人種を人間だと思っていない。その低いパーセンテージの中からオバマは、大統領に就任した。格差社会の米国では2、3%の人が富を独占している。オバマが当選したのは、低層の人々がオバマなら数々の利益を守ってくれると思ったから。しかし、そのオバマ大統領も議会の壁に阻まれたまま任期を終えようとしている。サンダース候補が代表に選ばれなければヒラリー・クリントンでなくて、トランプが勝つ。なぜなら富裕層とインテリがヒラリーを支持しているが、サンダースとトランプは貧困層やウォール街、インテリ政治に飽き飽きしている大衆が支持してる。サンダースが抜ければザーッとトランプに票が集中するのは自明です。勝つのはトランプよ。
<小池都知事人気について>
・(亀井)都議会議員も同じ穴のむじなですよ。自分達が決めておきながら、元知事が悪いという。韓国では前大統領を弾劾して追い落とし、それで自己の正当性を高めるような政治風土があるけどね、日本でもそうした悪しき風潮が出始めてますよ。何よりメディアがだめです。国をどうするのかといった視点がないばかりか、ただ面白可笑しく、ただの漫才中継にしてしまってね。東京は大阪の比じゃない、小池新党という実体のない幽霊にとらわれてしまう。それで自民も民進党もなくなるリスクは高い。次の総選挙で自民党は220から230議席まで落ちます。500%落ちる。小選挙区制というのは、そういう制度だよ、2年以内にそうなります。
・これを傘寿80歳、無所属にして最高齢の衆院議員が言うのか?動くか?というものだ。
・(亀井)毎度言うけどね、政治に関心のないひと、これは日本、世界でも大勢いるが、政治に関係ないひとはいないんですよ。
<原子爆弾>
・あの時、戦争末期だったから食糧難で校庭が全部芋畑だ。そこで野良仕事の作業が終わっても芋畑に残ってたら、西の方角がカッとまばゆい光が輝いた後にドロドロっという地響きだ。それで山の向こうから妙な色したキノコ雲がブワーッと昇った。新型爆弾というのは、逃げてくる避難民から知ったんだ。長姉の知恵子は女学生でしたからね。すぐに救援活動をしたせいで二次被爆したんです。二次被爆というのは認定をなかなか受けられなくてね、大変苦労したようでした。クリスチャンだった姉に連れられて教会や日曜学校に連れて行かれたものですよ。生粋の文学少女で、戦後は大阪の聖心女学院で先生をしながら句作に励んでいました。句集に「白血球測る晩夏の渇きかな」というのを遺しています。
アメリカの原爆投下に関しては、明らかに戦争犯罪だと思う。16年にオバマが広島へ来たが、謝りもしない。来ないほうが良いと思ったので、私は抗議した。訪問を喜ぶ国民がほとんどだが、冗談じゃない。それでは原爆投下で戦争が早期に終わったと信じるアメリカ国民と五十歩百歩ですよ。あれはやってはいけなかったのだと、犠牲者を悼まねばいけない。日本が戦争を起こしたことをアジア諸国に反省せねばならないのと同じく、戦勝国であっても歴史に責任を負うのが、死んでいった者への義務だと思うんだ。
<死刑制度廃止>
・これもやらねばならない。凶悪犯罪が取り上げられると死刑死刑と騒がれる。これに反対すると投票が減るというんで議員連も減ったよ。ここは前にも語ったけど重ねて言います。
日本人は仇討礼賛、忠臣蔵礼賛が根深いんだろう。目には目を歯には歯をという、そういう風潮をよしとする。これを覆していくのは至難の業だ。しかし日本にとって、今から絶対に乗り越えにゃいかんことだよ。
<地方自治>
・山村の集落が高齢化で消えていっている。私は根っこの会という超党派でドクターヘリを出させることに決めた。お医者さんを運んで、僻地を診察して回る。地方自治体が一文も金を出さずやれるようにしたんだけど、手を付けない。
なぜか。地方自治体はそんなことをせんでも、爺ちゃん、婆ちゃんは十分に面倒見ている。だから、そんなことはいらんことだという感覚なんです。ドクターヘリなんか余計な仕事で面倒だ。市町村自体が嫌ってるわけですね。
・心ある自治体関係者や地元企業の方は多い。まあ大方の地方にいる親方日の丸は働かないから、金が回らなくて困っている地元企業に金をどんと生ませる仕組みを作ってやるべきだ。そこから始めないといかんと思って、私の会社も脱原発事業、太陽光発電やバイオマス発電に参画させることにしましたよ。
<政党ではまとまらない議会>
・今や政党で括るのは無理ですね。個ですから。個の行動といいますかね、そういうことにザーッと拡散して行っています。だから政党で括るとして何で括る?政策言うても政党の垣根じゃ括れんでしょう。
<定年制と機会均等、小選挙区制>
・いま最高齢の衆議院議員になってしまいました。自民党内で定年制を設けたがあれは必要はないと思う。小僧だろうが、老いぼれだろうが有能なら議員でいるべき。若ければ気力、老いては知恵を示せればいい。同じように女性の機会均等と称して数字を出して、その数に合わせて人材を出せという。これほど女性を蔑視したやり方はないよ。
かつては派閥の領袖の年齢が高かったわけです。その上で徒弟制度じゃないけれども、政治のいろはを年寄りから習うというような環境はあった。この知恵の継承は大事なんだな。政治には技術がいるからね。
あとは選挙制度だな。議員議会レベルを落としているのは小選挙区制が原因です。お互いに競争して出てこなくなった。競争すればね、力のあるやつが出てきます。競争をなしにしちゃったらね、ひ弱なやつでも条件さえあれば、バッジを付けちゃう。そういう調子でチャチな人材が議員になるから嘆かわしいよね。でもソレ、選挙民にそのまま返ってくることも知ってほしいな。チャチな政策を押し付けられるのは、ちゃんと選ばなかったせいだ。
<政局の行方>
・もうリーダーがいないからね、どう転んでも政治の冬が来てしまうよ。晋三総理もこのままずっとというわけにもいかない。かといって野党共闘から現れる状況ではない。
・理想を言えば、まあいっぺん、民進党も自民党もどこもかしこも、全部チャラにしてしまったほうがいいよ。国民感情としてもそうでしょう。政党じゃないと金が入らない仕組みがあるからピーピー言っているだけだ。政治改革は全部自殺行為だった。小選挙区制で党の多様性を殺し、政治資金規正法でもそうです。政党法で信念があって脱党したくても容易に抜けられなくなった。
まあ、次の選挙では自民党は大敗するよ。黙ってても議席は減る。公明党の集票力も低下した。だからどこも目減りする。数合わせが大変です。安倍政権が停滞してるせいで、与野党はモヤモヤしているよ。そこで暴れるやつが出るか出ないかで大きく変わる。いまの自民党執行部も喋ることはずっと同じで新味はない。民進党だって原発廃止も足踏みしてあやふやになるくらい定まらない。電力労連の30万票を当て込んで日本のエネルギー政策を誤るなど笑止千万だよな。バーカ、と言ってやる。
<労働組合は堕落した>
・連合の言いなりで政権奪取の気がない民進党に未来はないよ。連合が泡食うような政策出してみろと言いたいね。奴らは労働組合だ。自民党には行かないよ。共産党にも行かない。ぜったい離れっこない。だったら遠慮なく攻めればいい。
いまや組合なんて労働貴族もいいところです。だらしなく私利私欲に走るようじゃブルジョア的堕落だよ。
この間、自主・平和・民主のための広範な国民連合の集会に招かれて出かけたんだ。そこで挨拶したんですよ。
「皆さん一生懸命、労働運動や政治活動をおやりですね。だけど、現在、非正規雇用者を含めて働く人間から眺めると、あなた方は組織に守られたセレブですよ。それは自覚なさって行動されたほうがいい」
露骨に嫌な顔をする者もいたね(笑)。どこかの委員長が「先生にズキンとくる言葉をもらいました」と述べに来たけどさ。まあ、労働貴族の趣味みたいになっているわな、いまの運動は。政治家も市民活動家も命のやり取りをするんだという気概がない限りは理想の実現に一歩も二歩も進めんよ。
<人生、ただただ進めの巻>
・(亀井)まあハチャメチャな生き方をしてしまっているからな。そこは笑って読んで貰えたら有り難いね。国会議員も13期連続当選で、39年国会議員もしている。会社のオーナーで無所属議員。人生糞面白くもないと思っている人たちへの応援になればいい。途中でドロップ・アウトしてもまたやり直しできるよっていうな。断崖絶壁から落ちた状況であっても、ジジィになってもさ、逆境をバネにして元よりも飛び上がれるんだからね。
<健康>
――亀井さんは摂生ってしています?
(亀井)してますよ。プールを歩く。全身運動をしながら。これ1時間半連続してやる。だからプールに通っている人はビックリしているよ。80の爺さんが熱心にやってるから。2キロのダンベルを100回3セット、スクワットを70回。毎日寝る前にやっているよ。そういうことをやっても足が弱る、残念ながら。2ヵ月に1回くらい血液検査をやる。数値が全部良くなったよ。医者がビックリしていた。段々若返っているんです。これでまだまだ働けるよ。
<油絵>
――亀井さんはこうして事務所でも油絵を描いてますね。絵を描こうと思ったのはいつ頃からですか?
(亀井)これは銀座で画廊を出していた福本邦雄さんがいる。共産党の福本イズムの提唱者、福本和夫さんのご子息です。邦雄さんは共産党を離れてから竹下登さんの傍におったんです。私を可愛がってくれましてね。邦雄さんが画廊をやっておられたんで、「絵というのは面白いよ、亀井君」と誘われてね。それで描く気になった。
<会社オーナーとして>
――この事務所は亀井さんの会社の中にあるということでいいのかな?
(亀井)設立者で、オーナーという役割です。この警備会社JSS、警察庁から頼まれて創立したんです。警察庁に世界のテロ情報、色んな治安情報を集める力が無いから作ったの。きっかけは日本航空と警察庁が主でしたね。まさかここまで空港警備などで成長するとは思いもよらなかった。最初は5人とかですよ。それが今じゃ2千名。設立して30年だけど、オーナーですが株式配当を1回も貰ってない。貰おうと思えば相当に受け取れるんじゃないかえ。給料べースアップか福利厚生に使えばいい。毎月開く役員会で、社員は皆、家に帰れば1国の主なんだから大事にしろと言ってます。
<政治家は全てのひとに迷惑をかけている>
――政治家という仕事、長い事件を経て、これを亀井さんはどうお考えですか。
(亀井)まず、なりたいという者が来たら、ただバッジつけても仕方ない。やめときなさいと言いたい仕事だね。なりたいとして何をどうやりたいか。コレが大事で、そうでなければなっちゃ駄目だ。やる以上は死ぬ気でやれ、です。
・この仕事は家族、そして親しい人に迷惑をかける。人間というものは、生きている限り人を傷つける生き物だという認識があります。多大な犠牲を払いますから、本人以外にね。親しい政治家の息子さんである二世議員が「家族に迷惑をかけたくない」とか言うのでバカタレと叱った。政治家である以上は既に迷惑をかけている。そんなことに気がついてないなら阿呆だ。いまの政治家は応援しているひとへの贖罪や感謝の気持ちがねえんだ。自分の力でなったもんだと過信している。だから止めとけと言うんだ。
<この世の底から睨む目が>
(亀井)だからこうやってね、栄耀栄華で暮らしていて、エラそうにあなたに話していてさ。後ろめたさなんてねえと断言しながら、俺は偽善者だなと思うわけだよ。善人ぶってるなとね。どっかこの社会の隅からじーっと下からね、底に住んでいてね、底の底からじーっと俺を上目遣いで見ててね、ふーん何を言っているんだアイツは、そういう眼が、俺をじっと睨んでいるじゃないかと感じられてならないんだ。
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