リアルに人や組織を動かすための方法論や、目の前の生々しい安全保障と経済がどのような関係にあるのかという、「地政学」ならぬ「地経学」的な発想のことなどです。(3)

・それ以上にバブルになったのが、ジャンク債市場であり、規模が大幅に拡大した。スタートアップおよびユニコーンと呼ばれる上場前の新興企業市場は、価格付けが異常な水準になった。ベンチャーキャピタル市場バブルとなった。

 これらのバブルがコロナショックで崩壊した。10年間の短期のバブル循環が終わった。そして、これからアフターコロナバブルが始まるのである。

 今後、救済という名の下に大規模で混乱した、議論や理屈抜きの、節操のない世界大規模財政出動が行われる。いやすでに行われている。この結果、財政破綻が起きる。

 その結果、バブル崩壊を救うためのバブルをつくる手段がついに尽き果て、1990年の冷戦終了からの中期バブル循環が終焉を迎えるのである。

<「普通の」不況に過ぎない>

・コロナショック後、実体経済はどうなるのか。

 巷では、リーマンショックはもちろん、1929年からの大恐慌を超える、人類史上最大の恐慌が来ていると言っている人もいる。いやほとんどの人がそう言っていて、人々はそれでコロナ以上に恐怖を感じている。

 これは嘘だ。

 しかし、多くのまともなエコノミスト、学者、IMFなどの国際機関までもが、少なくともリーマンショックは確実に超える危機だと言っている。なぜ、そんな良識も見識もあるはずの人たちが嘘を言っているのか。

 厳密に言うと嘘でもないからである。

 どっちなんだ、と言われるであろうが、ある意味ではどちらも正しい。史上最大の危機と言えなくもないが、トータルで見れば、リーマンショックよりは小さな危機である。

・したがって、トータルで見ると大恐慌どころかリーマンショックにも及ばない「普通の」経済的な落ち込みなのである。

<ストックショックではなくフローショック>

・これは理屈で考えても明らかだ。

 理由は、第1に、ストックのショックではなく、フローのショックにとどまっていること。第2に、金融セクターが直接傷んでいないこと。これらにより、コロナさえ収束すれば、経済は、構造的にはすぐに元に戻る可能性が高い。

 リーマンショックでは何が起きたか。多くの金融機関、投資家の資産が紙くずになった。サブプライムローンという質の悪いローン債権にAAAというリスクが低い資産の価格が付いてバブルになっていたものに投資していた。バブルで資産を失ったから、それは取り戻せない。膨大な金融資産が失われた。

・金融ストック、ビジネスストックが失われたのである。

 さらに、金融危機においては、銀行の資本が激しく棄損し、金融システムが機能低下、機能不全に陥る。この結果、バブルや当初の危機と直接関係のなかったところにまでバブル崩壊の影響が広く及ぶ。

・一方、今回のコロナショックでは、とりあえず金融機関は直接は傷んでいない。傷むとすればこれからだ。中小企業への支援融資を公的金融機関も民間金融機関も全力で行っている。これは政府がリスクをほぼすべて請け負ってくれるから民間金融機関は傷まない。ただし、少し大きな企業、民間金融機関自身がリスクを負って支援するところ、それらが次々に行き詰まり、破綻したりすると、このコロナショックは金融危機に近づく。

 さらに大きな企業、百貨店やアパレルが破綻すると、金融危機の瀬戸際になり、さらに航空関連企業などが破綻してしまうと、日本全体の金融危機になってしまう。そうなると危機は深刻化し、リーマンショックを超える危機になる。

 しかし、そうはならないだろう。コロナによる自粛や経済封鎖が2021年になっても続いているようなら、そのシナリオは現実味を帯びるが、そうはならないはずだ。

 つまり、金融セクターが直接激しく傷んでいないという点で、リーマンショックよりもコロナショックによる経済危機はトータルでのインパクトは必ず小さくなる。

<供給ショックは存在しない>

・ストックのショックという意味では、日本では東日本大震災がある。これは物理的にインフラが破壊され、交通手段などの公共資本、農地、港湾などの産業資本、住宅などの生活資本、すべての面でのインフラ、資本が長期にわたって利用できなくなってしまった。

 これでは、回復にカネも時間も手間もエネルギーもかかり、絶望的になる。

 一方、コロナショックは、一旦収束すれば、すべてのインフラは物理的にもビジネス的にもすぐに元通り使える。

・詳しく述べる必要もなく、強烈な需要ショックなのである。需要の瞬間的な蒸発なのである。そして、それに尽きる。瞬間的だから、戻ってくるときもすぐに戻ってくる。一方、生産体制は大企業を中心に着々と再開へ向けて対策も取られており、一旦需要が回復すれば、何も心配することはない。あくまで需要がすべてだ。

<マスク問題は日本だけ>

・なぜ、マスクの供給が増えなかったのか。増えるのが遅れたか。それは、実は、日本国内特有の問題なのである。一般用のマスクが足りなかったのは日本国内だけだったのである。なぜか。

 もちろん、第1に、世界中の需要が突然高まったことがある。

・話がややそれたが、要は供給ショックはまったく起きなかった。コロナショックはあくまで需要だけのショックなのだ。マスクの話も需要サイドが混乱したことによる生産ストップであるから、あくまで需要ショックなのだ。

<ジャンク債バブルと金融危機>

・ジャンク債市場はバブルになっていた。リーマンショック後のFEDおよび世界の中央銀行の過剰な金融緩和、いわゆる量的緩和により、マネーが溢れ、債券利回りは急低下し、利回りを求める資金が国債から逃げ出し、少しでも利回りのある商品を求めた。欧州ではマイナス金利が常態化し、ドイツ国債などは10年物の利回りがマイナス0.6%といった、前代未聞どころか、理屈でそう考えても説明できない水準で定着してしまった。

<バブルが“また”“再び”やって来た>

・しかし、このバブル崩壊の危機は、新型コロナの「おかげ」で、なくなってしまった。

 なぜなら、新型コロナショックからの企業倒産危機を回避するという理由から、米国中央銀行FEDが社債を大量買い入れすることを決定したからであった。

<「アフターコロナ」の資本主義――原点回帰の「経済モデル」へ>

<米国は覇権放棄>

・まず、世界の地政学的な動きとしては、米国の覇権喪失、いや覇権放棄と言ったほうがよい。世界の覇権国であることを、名実とも降りた。トランプ大統領になって、それが誰の目にも明らかになったたが、これはトランプでもなくとも同じことで、世界の警察であることはとっくにやめており、さらに、国際秩序の維持に対してすら、無関心になったということだ。

<アジア、アフリカの伸張>

・アジア各国は、高度成長を達成し、新興国から成熟国へのギアチェンジをどううまく乗り切るかというステージにいたが、このような状況の下、アジア域内志向が加速する。理由は、ほかの選択肢がなくなったからだ。

<世界経済もすぐに回復する>

・株価はコロナ前の水準にほぼ戻っている。

なぜか、理由は3つ。

第1に、資産市場は世界中の中央銀行の大規模金融機関により、単純に再びバブルになった。

第2に、コロナショックは短期的であり、長期的に見ると大したショックではない。

第3に、それにもかかわらず、前代未聞の財政・金融政策が採られた。だから、実体経済においても資本市場と同様に、再び、財政金融政策によるコロナバブルが始まった。

では、今後はどうなるか。

 実体経済は、もちろん回復する。ただし、強弱入り交じった回復にはなるだろう。前述の通り、ショックは短期的であり、長期的には普通に戻る。資産は、金融資本も実物資本も傷んでいないから、回復し出せば早いはずだ。

 戻らない分野は2つ。人々の心理と国際的な移動だ。

<航空需要は激減>

・まずは、国際旅客サービス、すなわちエアライン産業だ。クルーズ産業もそうだが、産業の規模としてもっとも大きいのはエアライン産業だ。

 物流は減らないが、人の流れは確実に減る。それは個人の旅行客もそうだが、ビジネス客も大きく減少するだろう。

<観光は戻らない>

・一方、滞在型の旅行は増える。毎年訪れるリピーターの多い宿も生き残る。シェアリゾート、別荘などはむしろ人気が上がるだろう。

 しかし、このような滞在型、毎年同じ客が同じ時期に訪れる必須の滞在に耐えうる観光地、宿泊施設は、100分の1にも満たないだろう。選別がはかられる。そして、旅行客の総数は減ることになる。海外はもちろん激減だが、国内旅行も減少する。これが現実である。

<消費はほとんど不要不急>

・実は、これは観光業にとどまらない。

 経済全体が同じ状況に陥っているのだ。

 現在、我々が消費しているものは、ほとんどが不要不急のものだ。なしで過ごせ、と言われれば、いくらでも過ごせる。楽しくないかもしれない。

<現在の経済システムは謎>

・現在の経済システムは謎だ。

 アダムスミス以来、経済学が300年にわたって、効率的だと言ってきた市場経済は、危機に対して即応できないのだ。

 まず、資源配分を適切にできない。マスク、防護服の例で明らかだ。それさえあれば、医療機関、介護施設での死亡者数は半減しただろう。フランスでの死者の4割が介護施設およびそれに類する施設だった。

 これは需要の読み誤りからきている。市場経済は需要をきちんと予測できないのだ。

<人間モデルの設定の失敗>

・では、根本的な欠陥とは何か。

 第1に、人間は、論理的ではなく衝動的であり、長期よりも短期を優先する、という経済主体であるにもかかわらず、まったく逆の想定で経済理論をつくってしまったことだ。ただ、それだけならば、理論の欠陥、間違った学問ですんだのだが、それに基づき、市場経済をつくり、さらには社会もつくってしまったのが最大の罪だ。

<経済成長はどこから来るのか>

・経済学の致命的な誤りの第2は、経済成長の考え方そのものが誤っていることだ。経済成長はどこから来るのか。この問いに現在の経済学はきちんと答えていない。かつてシュンペーターは、経済発展は創造的破壊と新結合により生まれると言ったが、これは全体として正しくはないが、一面としては意味がある。しかし、その一面ですら、その後の経済学は受け継がなかった。

<自給自足に回帰せよ>

・今、われわれが目指すべきものは、自給自足、それの効率化、少しずつの拡大ではないのか。そして娯楽などを含むプラスアルファ、自給自足プラスアルファが、われわれが本当に欲しいものであり、暮らしたい社会ではないのか。

<コロナは収束する>

・これからどうなるのか。

コロナは収束する。

そして、バブルになる。金融、財政出動によるバブルになる。

 株式市場はすでに、最後の短期バブルが始まっている。コロナショックで崩壊したバブルを救済するためのバブルだ。救済のための金融緩和は、中央銀行の能力を超えており、これで最後のバブルになる。

 実体経済も大幅財政出動により、バブルとなる。この10年のバブルの崩壊処理を先送りする世界的大規模財政出動により、バブルになる。

そして、金融市場も実体経済もバブルは崩壊する。

 財政破綻により、維持不可能になり、崩壊する。

・感染症ではない危機でも同じで、人々が財政出動を要求し、そして破綻するだろう。

 この後が重要である。

 第1に、短期バブルは崩壊する。

 第2に、辻褄合わせの、バブル崩壊の後始末を先送りするためにつくられたバブルの生成、崩壊の連鎖は、ここで終わる。アフターバブルのバブルはつくれない。なぜなら、金融政策も財政政策も原資が枯渇するからである。

 第3に、アフターバブルのバブルがつくれないということは、中期循環のバブルも終わる。1990年の冷戦終了からの中期の実体経済のバブルが終わり、混乱を経て、停滞期そして安定期に入る。30年のバブル拡大局面が終わる。その前の停滞期はオイルショック前からだったから20年程度で、今回の停滞も10年単位で数十年に及ぶものになる可能性がある。

・したがって、中期の実体経済バブルの3要素がすべて失われており、中期バブルも終わる。リーマンショック後に終了していたのだが、世界的な大規模金融緩和、量的緩和という歴史的にも異常な政策により、無理やり延命に成功し、中期バブルの終了も遅れたが、ついに終わる。

 第4に、長期のバブルが終わるかどうか、ひとつの分岐点にいる。短期バブルと中期バブルの崩壊の痛みに耐えられず、短期バブルをつくり、それを通じて、中期バブルを延命しようとする可能性はある。つまり、完全な外部はもはや存在しないが、中国の部分的に外部として残っている部分を市場資本主義社会に完全に取り込むことによって、延命する可能性である。

・短期バブルは、世界中で財政破綻が起き、崩壊しかかっているところを、中国の財政、金融出動により、再度作成させることができるかもしれない。これは市場の投資家たちがその流れに乗り、それを拡大し、バブルをつくって逃げ切ろうとすればできる。一方、実体経済も中国経済に依存して延命を図る可能性はある。中国を市場経済に取り込んでいるように欧米社会は振る舞うだろうが、それは、取り込んだはずの中国に乗っ取られるか、あるいは、中国の経済市場システムに参加して、中国経済圏に一人ずつ取り込まれていき、彼らが多数派になるか、どちらかのプロセスで実現するだろう。

・そのときの経済社会は、どのような世界になっているか。

 バブルは終わっている。

 ただの量的な経済の拡大を経済成長と呼んだ時代も終わっている。

 質的な充実を図る経済が静かに営まれている。

 すなわち、自給自足、安定的な日々の営みを循環的に毎年繰り返す、安定した自給自足循環経済となっている。

 新しいぜいたく品を次々と人々に消費させて、経済の規模の拡大を図った経済、マーケットエコノミー、市場資本主義経済、別名バブル経済、これは終わっている。

 ぜいたく品の消費はなくなる。必需品が経済の中心、ほぼすべてとなる。現在、われわれが消費しているものの多くが選別されて、廃れていくだろう。

・さて、このような大きな変化が起こり得るときに、日本はどのような準備をするべきであろうか。

 心配なことは2つある。

 第1は、財政破綻である。日本は間違いなく財政破綻する。どの国よりも、財政出動が寛容で、大盤振る舞い、サービス満点だからである。そして八方美人だ。右も左も、格差も関係もない。みんないい顔をする政治、政府、人々、社会である。だから、愛想をばら撒き、カネをばら撒き、財政破綻する。

 問題は、財政破綻後、どのように復活するか。その準備が足りないことである。

 破綻シナリオを検討し、破綻後、何をするか決めておく必要がある。

・破綻してから決めるのでは、時間がない。破綻すれば、1日ごとに日本は、株も為替も暴落し、企業も個人も資産を流出し、経済の立て直しが難しくなる。したがって、破綻したらすぐにどういう措置をとるか、アクションプランを検討しておく必要がある。

・現実的には、増税半分、支出削減半分ということになろう。世界の様々な国の過去の財政破綻事例からいってもそうだ。

 ここでは詳細には検討できないから、支出削減について考え方を提起しておく。

 財政破綻後の世界は、世界経済も変わっていて、バブルの時代は終わっている。世界経済が、自給自足、安定循環経済、ぜいたく品から必需品へ、という流れになるというのと同様に、日本の政府支出もぜいたく品はすべて削除し、必需品に絞って供給することになろう。

・もう一つの心配は、日本社会の思考停止である。財政支出の優先順位というようなもっとも必要な議論を日頃から回避し、そして議論がもっとも必要な危機に直面した時ですら、議論を拒否するのではないか。思考停止が社会を停止させてしまうのではないか。

・日本は、金融市場でもバブルをつくるのが好きだが、社会も世論もバブルが大好きだ。勝手に情緒的に、衝動的な流れ、世論をつくり上げ、それに同調しない人々、言論を受け入れない。それどころか、パニッシュ、懲罰する。世論バブルで、流されやすい、判断ができない多くの人を思考停止に追い込み、議論を挑み、正論を戦わそうとする人々を抑圧し、抹殺する。

 日本は言論バブル社会である。

 バブルは、金融市場も経済も社会も破壊する。日本は議論も社会の安定性を破壊する、世論バブル社会になってしまっている。

 これが、危機に直面した場合に、もっとも危惧することで、財政危機に直面して、議論ができないばかりか、財政危機を加速し、まさに止めを刺すように、半ばやけくそ、思考停止のばら撒きで、財政破綻が起きてしまうのではないか。

『ポストコロナの経済学』

8つの構造変化のなかで日本人はどう生きるべきか?

熊谷享丸    日経BP  2020/7/2

<テレワークが当たり前になり通勤ラッシュ「教科書に載る日」が来る>

・人類の感染症との闘いは長期化することに加えて、ポストコロナの時代は、それ以前と全く異なる世の中に変わる。人間の既成概念とは、案外もろいものだ。1968年のメキシコオリンピックで、米国のディック・フォスベリー選手が最初に背面跳びを行った際、観客はその奇妙で非常識なフォームに驚いた、と伝えられている。筆者は、近い将来、テレワークや遠隔診療などが当たり前となり、かつて多くの会社員が、満員電車に揺られて職場に通勤していたことが、昭和・平成の日常の一コマとして教科書に載る日が来ると確信している。

<「ポストコロナの時代は、どんな世の中になっているのだろうか?」>

・「もう少し我慢して、新型コロナウイルス感染症が収束すれば、元の世界が戻ってくる」と、政治家は国民に呼びかける。だが、それは完全な幻想である。

 人類が撲滅できた感染症は天然痘だけだと言われている。歴史的にみると、感染症の拡大とグローバリゼーションはセットであり、近年の地球環境破壊の深刻さなどを勘案すると、今後も人類は様々な感染症に悩まされ続けることになるだろう。

 筆者は、人類の感染症との闘いは長期化することに加えて、ポストコロナの時代は、それ以前と全く異なる世の中に変わると考えている。それは、本書で提示する「8つのグローバルな構造変化」が現実化した「新常態(ニューノーマル)と呼ばれる新しい世界である。

・実際、わが国では失業率と自殺者数との間に一定の相関が存在する。景気が極端に悪くなると、大変不幸なことに自殺される方が増えるという傾向がある。

 したがって、われわれは基本的な考え方として、感染症の拡大抑制と、社会活動・経済活動の持続可能性(サスティナビリティ)とのバランスの回復を目指す必要がある。

・最終的な目標として、われわれは感染症に対するレジリエンスがある(耐性の高い)社会を構築することを目指すべきだ。いわば、感染症を「制圧」するのではなく、感染症と「共存」するという発想だ。

・各章の概要は、以下の通りである。

「第1章 新型コロナウイルスにどう立ち向かうか?」では、今回の新型コロナショックは、2008年前後に起きたリーマン・ショックと比べてはるかに悪性の不況であり、日本経済・世界経済に第ニ次世界大戦後で最悪の打撃を与えると見られることを指摘する。その上で、主として感染症が収束するまでの政策対応に重点を置いて、新型コロナショックに対する政策対応のポイントを考察する。

・「第2章、ポストコロナ時代の8つのグローバルな構造変化」では、ポストコロナ時代に予想される8つのグローバルな構造変化について検証する。

 ポストコロナの時代には、次の8つのグローバルな構造変化が起きると予想される。すなわち、「新常態(ニューノーマル)」と呼ばれる全く新しい世界が始まるのだ。

 第一に、資本主義の全体像という視点では、2000年代に入り加速した、株主の近視眼的な利益だけを過度に重視する「新自由主義・グローバル資本主義」は大きな転換点を迎え、より中長期的に持続可能性が高い、従業員や顧客、取引先、地域社会、地球環境、将来世代など様々な側面にバランスよく目配りをした「ステークホルダー(利害関係者)資本主義」が主流になるとみられる。そのなかで、SDGs(サステナブル・デベロップメント・ゴールズ=国連が掲げる持続可能な開発目標)の重要性が増していく。

・第二に、感染症にかかった場合、高所得者層は高度医療の恩恵を受けて生命をとりとめるケースが多い一方で、貧困層の生命は容赦なく奪われかねない。こうした「パンデミックの逆進性」などを背景に、社会の分断・不安定化が加速する。この結果、1929年の世界大恐慌の後に起きたような、反グローバリズム、自国中心主義、ナショナリズムの台頭が危惧される。

・第三に、米国と中国の対立は激しさを増す。これは、資本主義と共産主義との覇権争いであり、世界が2つの陣営に分断されるブロック経済化の進展が懸念される。政治面では、世界的に地政学リスクが増大する。

 第四に、グローバル・サプライチェーンの再構築が進む。ポストコロナの時代には、危機管理体制の強化やリスク分散の推進が求められるからだ。

 第五に、不良債権問題が深刻化し、潜在成長率が低下するリスクが高まる。現状、世界的に民間企業は借金漬けの状態であり、今後グローバルな過剰債務、過剰設備の調整が起きる可能性がある。最終的に金融機関に不良債権が積み上がり、リーマン・ショックのような金融システム危機が起きることが懸念される。

・第六に、「大きな政府」が指向され、財政赤字問題が軒並み深刻化する。景気悪化で税収が低迷する一方で、感染症への対応で歳出が増えるからである。この結果、世界的にマクロ経済政策は手詰まりの状態に陥る。そして、財政政策と金融政策の役割分担が希薄化し、選挙という民主的な手段で選ばれたわけではない。中央銀行が司る金融政策が、民間の資源配分にまで乗り出す異例な事態となるだろう。

 第七に、感染症を避けるために、リモート社会(非接触社会)が指向されるなど、産業構造の激変が起きる。「ソサエティ5.0」と言われるテクノロジーを中心とする社会をつくり上げるべく、テレワーク、オンライン診療、オンライン授業、インターネット投票などの実現・拡充を期待する声が高まる。とりわけわが国では、岩盤規制などと言われる、医療や教育などの分野での規制緩和を断行することが喫緊の課題である。

 

・第八に、長年人類が目指してきた、中央集権型の仕組みは、分散型ネットワークへと移行する。都市型の不動産価格は大きく下落し、わが国では地方創生の千載一遇のチャンスが生じるだろう。

・具体的に、本書では、日本政府、企業、個人が実行するべき、いわばトゥー・ドゥ・リストとして、①多様性や選択の自由を最大限尊重しつつも、有事の緊急事態法制の整備を急ぐ、②労働市場の機能不全を解消、労働生産性を向上、③「SDGs大国宣言」を行い、国際社会における立ち位置を明確化、④感染症へのレジリエンスのある社会を構築、⑤財政政策と金融政策の融合が進むなかで、財政規律を維持、⑥分散型ネットワークを構築し、地方創生に舵を切る、⑦企業は自らの存在意義を問い、抜本的な経営変革を行う、⑧個人はリベラルアーツや経済・金融を学ぶ、という8点を指摘している。

<新型コロナショックにどう立ち向かうか?>

・今回の新型コロナショックは、2008年前後に起きたリーマン・ショックと比べてはるかに悪性の不況であり、日本経済・世界経済に第ニ次世界大戦後で最悪の打撃を与えるとみられることを指摘する。

<新型コロナショックは世界大恐慌以来の戦後最悪の不況>

・新型コロナウイルス感染症の拡大は、日本経済にリーマン・ショック以上の打撃を与えるとみられる。

・この結果、大和総研では、2020年度のわが国の実質GDP成長率は、「短期収束シナリオ」で▲5.1%、「長期化シナリオ」では▲9.4%と予想している。

・IMFによれば、2020~2021年の2年間で失われるGDPは9兆ドル(990兆円)に達するという。これは、驚くべきことに、日本とドイツの1年分のGDPに匹敵する金額である。

<新型コロナショックとリーマン・ショックの比較>

・筆者は、新型コロナショックとリーマン・ショックを比較すると、今回のほうが質的にはるかに悪性の不況だと捉えている。

 まず、極めて単純化すると、いわゆる「ヒト・モノ・カネ」という経済の3要素のなかで、リーマン・ショックでは「カネ」が新型コロナショックでは「ヒト」と「モノ」が止まった。

 リーマン・ショックの際には世界中の金融機関が打撃を受け、海外の景気が悪化し、その影響が日本に遅れて来たため、わが国の中小企業や国民の所得に悪影響が及ぶまでにある程度の時間がかかった。一方、今回の新型コロナショックは非常にスピードが速く、とりわけ観光、運輸、外食、イベント、レジャーなど特定の業種が壊滅的な打撃を受けている。

・しかしながら、新型コロナショックのほうが、リーマン・ショックよりも悪い点が4つある。

第一に、今回のほうが政策対応余地は小さい点が挙げられる。

・第二に、サプライチェーンへの打撃から、局所的な「スタグフレーション(不況下の物価高)」のリスクが存在する。

・第三に、グローバルな企業の過剰債務問題が深刻である。

・第四に、言うまでもなく、新型コロナウイルス感染症の拡大にいつ歯止めがかかるかは、生命科学の領域に属する話なので、正確に予測することが困難である。

 結論として、新型コロナショックは、リーマン・ショックと比べて、質的にはるかに悪性の不況であり、日本経済に戦後最悪の打撃を与える可能性があるだろう。

<ポストコロナ時代の8つのグローバルな構造変化>

・新型コロナウイルス感染症が収束すれば、元の世界が戻ってくるというのは、完全な幻想である。

 人類が撲滅できた感染症は天然痘だけ、とも言われている。歴史的にみると、感染症の拡大とグローバリゼーションはセットであり、近年の地球環境破壊の深刻さなどを勘案すると、今後も人類は様々な感染症に悩まされ続けることになるだろう。

・人類と感染症との闘いの歴史は古く、紀元前のエジプトのミイラにも天然痘の痕跡が見られる。5世紀から8世紀にはシルクロードを通じて、天然痘がインドから広がった。わが国にも、仏教と同時期に天然痘が伝わり、735年頃に大流行し、聖武天皇が東大寺の大仏を建立した。

 ペストはモンゴル帝国が東西貿易を拡大したことで、14世紀頃、中央アジアからクリミア、イタリアなどを経て欧州全土に広まった。当時の欧州の総人口の約3分の1に相当する2500万人以上が死亡した結果、農奴開放が起きて封建制は終了する。また、ペストに対して無力だった教会の権威が失墜し、そこから主権国家を中心とする近代が成立し、ルネサンスへとつながっていく。

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