私が100歳を超えてぼけずにいるのは、普段からさまざまな工夫をする癖がついていたからではないかと思う。もちろん、物をよく噛む、というのも、脳の活性化に深く結びついた習慣だろうと思うが。(1)
(2025/4/11)
『106歳のスキップ』
私は96歳までひとのために生きてきた
曻地三郎 亜紀書房 2012/12/5
<つねに新しい自分を――はじめに>
・私は「人を驚かす」ことが好きである。人を驚かすには、そのための材料がなくてはならない。自分自身で材料を仕込まなければならない。
99歳で世界一周を始めたのも、何か新しいことをと思ったからで、行った先々で講演をする旅である。
・二人の知的障がい児と、妻、娘を失って、私は96歳で天涯孤独の身となった。これからは自分のために生きよう、と思い直し、先の世界行脚を始めたり、海外の大学などで記念講演を頼まれれば、その挨拶を現地語で覚えるなど、やはり新しい試みを続けている。
<充実して生きる>
<97歳からは自分のために生きる>
・私は教育者と学者の道を歩み、しかも障がい児のための施設を運営してきた。順番からいえば、まず教育者になり、広島の山奥の小さな小学校の子どもたちを教えたのが最初である。
<人に支えられるだけの老後ではいけない>
・先に97歳からは自分のために生きることにした、と書いたが、誤解がないように申し添えれば、今までのウェイトが家族や他人にかかっていたのを、自分を出発点にしよう、ということなのである。
<ただ長生きすればいいというものではない>
・長く生きただけで褒められるなんておかしくはないだろうか。
<老感を持つのはやめよ>
・106歳になって身体が弱ったとはいえ、まだまだ人と当意即妙の話ができる。饒舌は相変わらずである。
今回の世界一周旅行でも、9ヵ国12都市を回り、カナダはバンクーバーで講演を行い、その後、南アフリカ・ケープタウンで開かれた国際心理学会で被虐待児童の治療教育の研究論文を発表した。
昨年は、年に70回を超える講演を行い、年に2回も世界一周講演旅行をした。
<別のNPO>
・元気に生きて、すっと死ぬことを「ぴんぴんころり」でPPKという。これが高齢者の理想だという。
私もそれを真似て、NPOということをいっている。非営利事業団体のことかと思うかもしれないが、「長生きでぽっくり往生」のことである。
いずれにしろ、健康に生きて、それほど人の世話にならないうちに死んでいくのが、たいがいの人の理想である。しかし、誰しもがそういう生き方ができるわけではないから、理想なのである。たいていは子どもや施設のお世話になって生きることになる。
<世代の標語>
・自分の来し方を参考にしながら、50代以降の生き方の標語を作ったことがある。
50代……男の花道である。 60代……自分が持っているものを押し広げよう。 70代……これくらいで屈してはならない。 80代……ダメだと思ったらダメになる。 90代……今からでも遅くない。
私の場合は、これに「100代……中国で陣頭指揮を執る」というのが続く。これは、中国で障がい児教育普及のお助けをしたい、ということである。
<「おい」と呼ばない>
・私が健康なのは、昔から歩くのが苦にならず、機会があればすぐに歩くようにしていたからだと思う。
・いまは妻はいないが、生存中も「おい」などと呼んで、用を頼んだことはない。全部、自分のことは自分でやる主義である。こうして日頃から身体を動かす癖をつけておくと、特別な運動などしなくても、健康でいることができる。
・自分の健康のためにも、そして夫婦仲改善のためにも、「自分で動く」を主義にしたい。
<異なる人との交わりが大切>
・私は若いころからもの怖じしない性格だった。たとえ相手が外国人でも平気で声を掛ける。船上で、機上で、外国人に話しかけて英語の練習をした。同種との交わりも大事だが、異種との交わりこそ、自分で求めないかぎり、機会が限られているので大事だと思っている。
<努力に期限なし>
・エジソンは、天才とは1パーセントのひらめきお99パーセントの努力である、といったという。あの発明王にして努力がものをいうのか、とびっくりさせられる言葉である。
・天才とは並外れた努力をする人のことをいうのではないか、とも思う。どこまで努力できるかも才能である。
・私はつねに現状を脱却することを念頭に置いてきた。おかげで「努力は第二の天才なり」と思うようになった。
<「そのうちいいこともござっしょ」>
・長男ばかりか次男までも障がいを負っていると分かって、私は打ちのめされたような気持になった。できれば、苦しみのままに死んでいければ、とも思ったものだ。
しかし、一方で、心の中に葛藤があっても、それを乗り越えて生きよう、と考える自分がいる。いつもそっちの人格のほうが優勢になる。
・そのときに老婆がいった言葉が忘れられない。「先生、そのうちいいこともござっしょ」そうなのである。悪いことばかりではなくて、そのうち何かいいこともあるのである。
<流れに負けない>
・それよりも、ゆっくりと、大河の勢いで老いが身に及んでいる感じに近い。私が日々、心を砕いていることは、その流れに逆向きで棹差すことである。
・というのは、しいのみ学園で預かる子の80パーセントは脳性麻痺の子で、彼らは脳の一番中心がやられている。多くの子は小学校6年のころから、歩行が難しくなり、手も使えなくなっている。言葉にも障がいが出始める。そこを境に寝たきりになる子も多い。いわば集団で下流に流されていくイメージである。
・脳性小児麻痺の子が、逆境に立ち向かう姿勢を植え付けてくれたように思える。たとえ敵が圧倒的に優勢と分かっていても。
<人生は自分との戦いである>
・私は、頭も身体も全部、自分自身との戦いで鍛えてきた感が強い。もちろん障がいを持った子の親としても、結局は、自分との戦いだったのである。
<子どもで若返る>
・私は、高齢者がそばにいることで子どもにもいい影響があると思うが、逆に小さい子がいることで高齢者も元気づけられる。
<教養のある人は自由な人である>
・私には、教養というのは自由な状況のなかで獲得するものだ、という考えがある。
・教養とは自前で作り上げるもの、ともいえるだろうか。それだけに、効率や能率とは無縁なものである。
<人生に余りはない>
・「人生に余りはない」。100歳を超えてから、これは私の確信のようなものになった。
・人生に余りあり、とは絶対にいえない。後悔や諦念も含めて、人は精一杯生きているのである。
<いるだけでいい>
・子どものそばにいてこそ安心感のある先生でいることができる――と私などは思う。先生がいつもそばにいれば、いじめはもっと少なくなるだろうし、校内暴力だって起きにくくなるだろう。それが、いるだけでいい、の意味である。
<工夫して生きる>
<趣味は人をびっくりさせること>
・趣味はなんですか、と聞かれると、「人をびっくりさせること」と答えている。そう答える人は少ないだろうから、まずこの答えに人を「びっくりさせる」効果がある。
・みなさん、私に会うとなれば、関心は「どれだけ元気なのだろう」に尽きるだろう。
<韓国語は65歳から>
・他国の言葉を覚えるには、ある種の才能が必要だというが、私は“熱意”が最初になければダメだと思う。
・ほぼ毎日のように福岡市の大湊公園の周りにいる進駐軍のアメリカ兵に声を掛けて、英語の練習にいそしんだものである。
<人と自然を見つめる――短歌のすすめ>
・私は若いころから短歌づくりにいそしんできた。
・私は「真樹(しんじゅ)」という短歌会の同人で、それは中国新聞の記者だった山本康夫さんが始めた者で、会員は毎月10日の締め切りに10首を提出する決まりになっている。
<人生に欠かせないS(刺激)とR(反応)>
・私の研究課題のなかで、特に脳性麻痺の子にどういう刺激を与え、どういう反応が返ってくるか、というのは大事なテーマであった。
<自分を揺さぶる>
・子どもにものを教えるには、「揺さぶり」が大事である。停滞や緩みがあってもいいが、それをもう一度、元に戻したり、もう一段高いところに上げるのに「揺さぶり」が必要である。
しいのみ学園はほかの学校と違って、運動場で教えて教室で休憩する、というやり方である。
・だから、「揺さぶり」の技こそ、定年後に最も必要なものなのである。
<一日パジャマで過ごす人間にはなるな>
・私が元気なのは、ものをよく噛むなどの生活習慣に気を付けていることもあるが、一番は社会性を失っていないからだと思う。
・私が情けないと思うのは、やってくる人もいない、というので1日、パジャマで過ごす人がいることである。
・目的もなしに集まって、あれこれと雑談するのも楽しいが、同じ趣味の人間が集って切磋琢磨するほうが、もっといい。何歳になっても成長している感じが大事なのである。
<変化を喜ぶ人になる>
・私は教育に携わり、子どもたちを観察することで、障がい児教育の在り方を模索したが、ものごとを考える土台にその経験がきっちり組み込まれている。
・その観察からいえば、子どもは変化が大好きである。
<長生きなのは「工夫する人」>
・しいのみ学園は、教員や運転手までみんな子どものための道具作りを続けた。いろいろ開発して、それを子どもに使ってもらって、五感ばかりか脳の発達にも役立てたい一心だった。
・私が100歳を超えてぼけずにいるのは、普段からさまざまな工夫をする癖がついていたからではないかと思う。もちろん、物をよく噛む、というのも、脳の活性化に深く結びついた習慣だろうと思うが。
<ユーモアは身を助く>
・アメリカあたりだとパーティに出かける前にジョーク集などを開いて、一つ二つ仕込んでから出かけるのだそうだ。
・立派なジョークを言おうとする必要はない。
<格好から入る>
・師範学校に進んで、私は級長で、相変わらずの模範生だったが、急に心境の変化がやってきた。これじゃいけない、男らしいことをやらねば、と。
・なぜ小学校から大学まで長い期間が用意されているかといえば、変われるチャンスが都合16年あるということなのである。
<機を見るに敏なれ(1)>
・別項で、終戦後はきっと英語が必要になると思い、米兵のたむろする公園に出かけて声を掛けたことは触れた。私にはそういう機を見るに敏なところがある。
心理学を修めたことも、統計学を学んだことも、これから必要になる学問との読みがあって始めたことである。
<機を見るに敏なれ(2)>
・娘の邦子がアメリカの大学へ留学するときには、私は三つのものだけは忘れず持って行きなさい、とアドバイスをした。
・アメリカに行く――それでは向こうにない珍しいものを持って行こう、というふうに思うことが大事なのである。
<なぜ人の輪に入れないのか>
・見知らぬ人や、それほど馴染みのないグループに近づくときは、まずは笑顔。英語で講演するときは、Smile at first.と言っている。次は褒める。「誉めるものがない」といわずに、必ず何か見逃しているものがあるはずだから、それを見つけて褒める。
脳性麻痺の子どもに一体褒めるところがあるだろうか、それが、いくらでもあるのである。ごはんが昨日に比べてこぼさなければ、「偉いね」と褒める。すると、その子の情緒が安定して、余計にこぼさなくなる。
<許容度を上げる>
・しいのみ学園は、基本、子どもは何をしてもいい、ということになっている。
・子どもにレールの上を歩かせようとしない。かえってレールの幅を広くすると、蛇行しながら自分で学習を始める。
<遊びこそが大事>
・これは新聞で読んだことだが、落語家の三遊亭竜楽さんは7ヵ国語で落語をやるそうである。
・しいのみ学園をやっていて、勉強より遊びが先だ、などというと、白い目で見られたものである。
<すべてはタイミングである>
・子どもを観察していて分かったのは、3歳ごろに大きく伸びるということである。そこで伸びる子は、あとで普通学校にまで行ける可能性があるが、そうでない子は難しい。
<やりたいときはとことんやる>
・しいのみ学園の教育法で一番の特色は、興に乗ったらとことんやるところである。
子どもが電車ごっこに興味を持ちだしたら、それをずっと追いかけるのである。
<達成感を味わう>
・ものごとを成し遂げるというのは、なんと気持ちのいいことだろうか。それが、いつも中途半端で、いつまでも終わらない不全感があると、自分に自信をなくす原因になる。
<休憩は次の仕事なり>
・次の仕事に向かうために休むのが休憩で、次の仕事に影響が出るのが、“ぼんやり”である。いや、ぼんやりだって、ときに必要である。
<情があってこそ頭も働く>
・カール・ヤスパースという哲学者は、「智は情意をコントロールする力を持つ」と述べている。
・「知能は情意の力がなければ発達しない」私はこっちのほうが、実は大事ではないか、と思っている。
<反撃してもいい>
・昔はいじめはなかったという説もあるが、私自身がいじめに遭った経験者なので、それは嘘ということができる。
<「忍」は愛の別称なり>
・子どもたちは、教師がじっと耐えた分だけ、成長する。彼らの自発を待つのが教育であるから、どうしても「忍」が必要になる。
<鍛えて生きる>
<日記を書く>
・人間には二種類あって、日記を書く人間とそうでない人間である。私は明らかに前者で、それも韓国語で書き留めている。
・1日1行でもいいから必ず書く。それが長続きの秘訣である。
<口と手と足を鍛える>
・私は16歳で師範学校に入り、家を離れて寮生活を送った。学校は先輩後輩の上下関係が厳しく、2組の級長になっても、虚弱児で育った私は、ひ弱に見えたのか、先輩に生意気だと睨まれて、しまいに吃音になってしまった。休日に家に帰ったときはその癖が出ないので、完全に精神的なものだった。
・よく才のある人を「口八丁手八丁」というが、私はそこに「足」も加えて全部で24丁こそが必要だという説である。
<手や足は外にある大脳である>
・私は、「手や足は外にある大脳である」と唱えてきた。
・博士は「脳は筋肉に近い存在」だという。脳は刺激を与え続けることで鍛えられる、ということである。
・歳をとるほどに、手を使い、足を使わないと、せっかくの脳味噌が活発に動かなくなる。脳に刺激を与え続けること――これが大事なようである。
<人前で発表する>
・私は学者という仕事柄、人前でものを発表する機会が多かった。
・論文の発表にも似たところがあって、人の評価があって初めてその論文の価値が定まっていく。しかし、世間に出せるレベルかどうかは、まず本人が判断しなくてはならない。
<新聞に二つの顕著な効用あり>
・新聞を隅から隅まで読むと、1時間では足りないぐらいである。それを読書と考えれば、本でいえば結構なページ数を読んだことになる。
私は1紙を熟読し、あと4紙を見出しだけ拾うような読み方をしている。
<ポストに歩いていく>
・私はふと思いついた人にすぐ手紙を出す。長く書こうとすると億劫になるから、かなり重要な便りでも便箋1枚と決めている。
・私は来た手紙には、必ずその日に返事をだすようにしている。
<手間ひまをかける>
・手間ひまのかかったものこそ、もらって嬉しい。便箋を選び、それに文字をしたため、封筒に収めて、表書きを書き、切手を貼る。
<言葉を大事にする(1)>
・外国語をいくつかマスターしようとしている私は、かえって日本語の豊かさ、美しさに気づくことが多い。
<言葉を大事にする(2)>
・若い人たちのあいだでふるさとの言葉、つまり、“方言”が密かなブームだそうだ。あえて地元の言葉を使うことで親近感が深まる効果がある。
・あと、古典を読むことをお勧めする。
<前向きな優しい言葉を使う>
・「100歳になったら、世界一周をする」。こうやって言葉で宣言すれば、それが圧力となって、実現を目指すようになる。言葉にはそういう働きがある。
・アフリカで靴を売ったり、エスキモーに冷蔵庫を売る話があるが、私がしいのみ学園を作ったのも、それと同じこと。「誰もやっていないから止めよう」ではなく、「誰もやっていないからやる」と言葉にしたほうが勝ちである。ポジティブな姿勢はポジティブな言葉から、とつくづく思う。
<いくつかの通過点>
・私はとうとう106歳を超えて、いま「茶寿」に向かっている。
・次が先に触れた「茶寿」で108歳。私が当面目指す数字だが、「皇寿」が先に待っている。
<握手のすすめ>
・子どもが母親の愛情を一番感じるのは、抱っこされて、頬ずりなどのスキンシップをしてもらうときである。
ところが、成長するにつれ、体感経験はぐっと少なくなる。日本は、欧米人のようにハグしたり、軽くキスをしたりという文化がまったくない国である。としたら、せめて握手の文化ぐらいは欲しいところである。
<医者、行かず>
・私は基本的に「医者、行かず」でやってきた(この2年ほどは、ご厄介になることもある。なにせ106歳である)。
・焼き魚などの骨や皮などに湯を差して、塩や醤油で軽く味付けたものを“医者殺し”というところがある。それは地元の物で、おいしくて、かつ身体にいいので、そういわれるわけである。
<シンプル健康法(1)――30回噛みのすすめ>
・何がよかったのかと考えると、母から小さいころに躾られた“30回噛み”ではないかと思う。
・口にものを入れたら、必ず30回噛むようにする、すると、食べたものが確実に消化され、しかも自然と食べる量が少なくなってくる。
<シンプル健康法(2)――冷水摩擦>
・昔から冷水摩擦は身体にいいとされ、幼稚園などで実施しているところもある。
・30回噛みでも、この冷水摩擦、そして次の棒体操にしろ、ポイントは無理なく、毎日、日課としてやるということである。
<シンプル健康法(3)――全身を動かす>
・私は1日5分の「棒体操」を日課にしている。長さ30センチぐらいの棒を背に回したり、股の間をくぐらせたり、剣道のように振りかぶって前に振り下ろしたりする。
・棒体操で寝たきりの94歳の女性が、立って歩けるようになったという話もある。
<シンプル健康法(4)――寝具を選ぶ>
・ホテルに泊まるとき、枕を気にする人はいるが、ベッドの固さまでこだわる人は少ないかもしれない。
・ふだん家にいるときは愛用の固いマットに敷布を敷いて寝ている。
・上を向いて寝ることには、もう一つ大きな利点がある。それは、仰臥位で寝ると、たちまち肝臓を流れる血液が30パーセントも増加する。肝臓が働けば老廃物を分解し、栄養源が補給される。おのずと疲れが取れ、元気になるのである。
<総入れ歯の恩恵>
・私が総入れ歯になったのは75歳のときである。歯だけは自分のものだけでまかなうことはできなかったが、総義歯になってもすこぶる快調である。
<教え教えられて生きる>
<金を恐れない>
・しいのみ学園が認可取り消しとなり、国から措置費が下りなくなって、経済的に大変厳しくなったことがあった。そこで何をしたかというと、せっせと原稿書きにいそしんだのである。
<前例がないからやる(1)――25歳のベストセラー>
・私は、若くしてベストセラーを出したり、無許可で23年も障がい児のための学園を運営したり、99歳から世界一周講演行脚を始めたり、いろいろと果敢なことをやっている。常識破りこそ、人生の気概である、とも思っている。
・今までになかったものを作る――原点はそれである。
<前例がないからやる(2)――常識破りの教育>
・しいのみ学園を作ったのは、長男有道(ゆうどう)をどうにか中学までやったものの、2年のときに2階から突き落とされる事件があって、これはもうダメだと観念したのがきっかけである。
・しいのみは前例破りばかりでやってきた学校である。日本で初めての障がい児のための施設だから前例がないのは当然だが、教育を進めていくうちに、障がい児には独特なプロセスが必要だと分かって、どんどん常識破りの道に突き進んだわけである。
<前例がないからやる(3)――99歳からの世界講演行脚>
・99歳からほぼ毎年、世界一周の旅に出て、ひと月からふた月で15~20の都市で講演をして帰ってくる。
講演のテーマは障がい児教育や健康長寿の法、手作りおもちゃ親子愛情教室などが中心である。私は「趣味は講演」というぐらい、年間、多数の講演を行っている。
・話をして、棒体操を披露し、黒田節を踊って90分。
・私の棒体操の実践を見て、アメリカ人の男性が寝たきりの母親に棒体操をさせたところ元気になった、と報告してくれたことがある。
<親は子のことで迷うもの>
・長男の有道を学校にやろうと思い、訓練一点張りだったことがある。6歳になっても就学猶予で2年が過ぎる。来年こそはと川の土手を手を引いて歩き、途中で手を離し、自分で歩く訓練をさせる。
・転居前の広島ではカイロプラクティックを習った。子どもを治す何かの足しになればいいと思ったのである。催眠術を習ったこともある。
・山中の巫女さんに見てもらうために、何回も通ったりした。賽銭を上げて、祈禱をしてもらうのだが、一向によくならない。
・小児科の先生は、自分の子は診ないという。誤診の可能性が高いからである。
<運命の分かれ道>
・今度の東日本大震災で多くの方が亡くなったが、ちょっとしたことの違いで生死が分かれることを私も経験している。
<ものは言いようである>
・「ゆとり時間」が小学校に導入されて、ついでに教科書も薄くなって、非難ごうごうだった。親からすれば、学力が下がるのが一番の心配であった。
・やがて世界各国で比べる学力テストで、日本の順位が大幅に下がったこともあって、「ゆとり教育反対」の声はピークに達し、元に転換されつつある。
・工場などで用語の意味の統一を図って、仕事がスムーズにいく下地づくりをするところがあるが、それと同じことが教育にも必要なのである。
古くから「ものは言いよう」という言葉がある。まさにその通りで、せっかく高尚な中身も理解されないのであれば、絵に描いた餅、画餅である。
<サービス嫌い>
・福祉にもサービスの考え方が必要である、という意見がある。というか、それが優勢になってきているのではないだろうか。
・この論理を突き詰めると、重症な子は割に合わないから受け入れない、というところも出てくるだろう思う。経営側からすれば、なるべく手をかけないで成果を出したい、と考えるのは自然なことである。
しかし、知的障がいのある子どもと長く接してきた経験からいえば、そういう経済のプラス、マイナスの論理で教育はできない、というのは自明の理である。
・かつて流行性感冒が大流行したときに、徹夜で子どもたちを看病した妻がいった言葉が忘れられない。
「うちの子が死んでも、ほかの子は死なすわけにはいかない」
人さまの子を預かるということは、こういうことなのである。私自身、はっとさせられた言葉なので、事あるごとにそれを思い出す。
<雲待ちの教育>
・講演の依頼が来ると、いい演題はないものかと腐心する。どういう題が付くかで、聴衆の集まり具合が違うからである。
・しいのみ学園の草創期を記した本はベストセラーになり、それを元に映画も作られた。
・これと同じことが教育でできているだろうか。子どもにその気がないのに教育を押し付けても、勉強嫌いの子を増やすだけだ。いかに雲待ちをして、子どものやる気を見届けるか。
しばらく待ってダメなら、自分で工夫をして雲を起こさせる。映画と違って、教育でそれができる。そんな話をPTAを相手にしたのである。
<母の「言葉」が私を育てる>
・母との会話のいろいろな場面を思い出すが、いつもいわれた言葉が鮮明に思い出される。きっと母は、言葉が持つ力のようなものを、かなり意識していたのではなかったろうか。
<親の愛情の複雑さ>
・時経て、自分がその身にならないと分からないことがある。子が生まれれば、両親の苦労が分かるようになる。
<六つの外国語、四つの方言>
・私はちょっとかじったものを含めて外国語が6つ、それに方言4つを加えて10の言葉を使うことができる。
・外国に行って、日本のよさを再認識するというのがあるが、私は外国で方言の大切さを知った、という貴重な経験をしたことになる。
<予見の大事さ>
・教育の場面でも予見というのは大事な要素である。何でそんなものが、と思うかもしれないが、天気予報よりよほど切迫度が高い。
・高齢者は不測の事態に弱いが、その分、予見の力があるように思う。それを最大限使えば、ある程度のリスクは自分で回避できるのではないか。
<ちょっと先を見通す>
・心理学を専攻したおかげで、いろいろ食い扶持に困らなかった話を別項で少し触れた。
・アメリカ映画を見ると、ちょっと悩みがあるとすぐに心理カウンセラーにかかりに行くシーンが出てくるが、日本も徐々にああいうスタイルに移行していくかもしれない。
・心理学を専攻したおかげで、あちこちの学校から引く手あまたという感じだった。
<かつての校長のように>
・日本の企業が東南アジアに進出したり、アメリカやイギリスに工場を造ったときなどに、管理職が社員食堂で一緒になって食事をすることに、現地の人はみな驚いたという。
・私は教育においても、この分け隔てのなさは必要だと思っている。
<海外旅行、四つの心得>
・まず、「強心臓で行け」である。英語で記した名刺をすぐ差し出し、誰とでも話をしろ、と私はアドバイスしたい。次は、「茶目っ気を出せ」。ジョークがいえたら一番だが、別に難しいことではない。
・さらに「言葉は適当に」も大事なアドバイスである。もし文法が間違っていたら、先方が直してくれるくらいの気持ちでいたほうがいい。
最後が、「お金に気を付けろ」。これは盗まれないよう用心をしろ、という意味だが、散財に気を付けろという意味もある。
・旅はアクシデントの連続である。知らないこと、分からないことが突然、襲ってくる。それに対処して、失敗したり、成功したりするのが面白い。
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