私が生きてきた時代は、男女平等とはいいがたく、いまでいうセクハラもやりたい放題、言いたい放題でした。(2)
2023/7/29
『不食という生き方』
秋山佳胤 幻冬舎 2016/5/24
<食べなくてもいい>
◎2008年以降、一切の飲食が不要
◎食べる量を減らすと頭がさえる
◎空腹に慣れたとき、プラーナだけで生きられた
◎過食は心の飢えが原因だった
◎トイレは普通よりも少ないくらい
<食べなくてもいい>
<2008年以降、一切の飲食が不要>
・私は2008年3月以降、一切の飲食が不要になりました。いわゆる不食(ふしょく)です。
不食というのは、水も食べ物も摂取しない状態ですが、誤解のないように申し上げると、私は「無理に」それを実践しているわけではありません。
・今は、家族や友人との食事会などでたまにいただく程度です。お腹が減っているからではなく、場の雰囲気も大事にしたいからです。
不食を始める以前の私は、1日2食ですが、しっかり食事をしていました。
・私は弁護士です。弁護士になるまでに6年近くかかりました。要するに司法試験に落ち続けたからですが、その浪人時代の前半はすさまじい不摂生の日々でした。体を壊してしまった挙句にアパートの自室で栄養失調のために倒れ、友人に助けてもらったこともあります。
・そのとき、しみじみ感じました。まずは体をしっかり作ろうと、そのために生活スタイルを改善しました。そんなある日、書店で気功の本が目に留まりました。東洋医学の本を読みふけった私は初めて、気功のすごさを知りました。
面白いのは、私自身が科学の世界にどっぷり浸かった人間であるにもかかわらず、見えない世界の代表選手でもある「気の世界」を自分の生活に採り入れることで、見違えるように元気になったことです。
集中力が急激に上がり、短時間で法律書を頭に記憶できました。
・【不食を無理に実践しているわけではない。やりたいからやっているだけ。「食べないと死ぬ」は、本当なのか。固定観念を疑ってみる】
<ある不食者との運命的な出会い>
・とは言え、そこからいきなり不食生活が始まったわけではありません。
晴れて司法修習生になった私は、気功のおかげで体力があり余っていたこともあり、ある空手団体に入門しました。毎日、腹筋を1000回、拳立てを250回、野山を走り、稽古に励みました。
するとそれまで以上に、体作りに取り組むようになりました。
・そんなある日、私はホメオパシーという聞き慣れないものに出合いました。
ホメオパシーは同種療法と訳されます。人工的な薬物を使って症状を軽減する対症療法ではなく、私たちの体がもともと持っている免疫力(自然治癒力)を使って治す根本療法という視点に立つ治療法です。日本ではまだ認知度が低いですが、欧州各国では大学医学部の正式カリキュラムとなっています。
気功という存在で生活意識が劇的に変わった私は、ホメオパシーにも気の世界に通じるものがあることを発見し、すぐに願書を取り寄せ、2005年の春からホメオパシーの専門学校に通うようになりました。
・それが「不食者(ブレサリアン=呼吸主義者)」として世界中でワークショップを開催している、オーストラリア人のジャスムヒーンさんでした。
ジャスムヒーンさんという女性は、1996年以来、飲み物や食べ物の摂取をやめた人です。
「え、………じゃあ彼女は、どうやって生きているんだろう?」
私の中で沸々と湧き上がる好奇心への答えは、大気に無限に存在するエネルギー(プラーナと呼ばれます)を摂取して生きているというものでした。
もし司法浪人時代に気功に出合っていなければ、私はその説明に笑いを噛み殺しながらチラシを捨てたでしょう。ちなみにプラーナというのは日本的に説明すると「気」のことだそうです。これを毎日、大量に食べているから、とくに物質的な物を摂取する必要がない――。
食事をすることが当然だと思っていた私は衝撃を受けました。
・【食べないでどうやって生きているのか?気を食べて生きているという衝撃。もし気功に出会っていなければ不食をバカにしていたかもしれない】
<食べる量を減らすと頭がさえる>
・私はジャスムヒーンさんのワークショップに参加しました。
しかし参加したからと言って、すぐに不食生活ができるわけではありません。そこは他の参加者と同様に、私も心得ていましたので、まずはどんなものか様子を見ようと考えていました。
するとそこで、思いがけないことが起きました。
ワークショップ開始の前日、私はお腹を壊してしまい、ワークショップ期間中(計5日間)は水分こそとりましたが、まったくお腹が空かなかったのです。さらにその後、ずるずると食事をする機会を失ってしまい、気がつくと何も食べなくなって1週間が経っていました。
このとき私は「自分にも不食ができるかもしれない」と予感しました。
・しっかり食べなければ死んでしまうという固定観念がフッと消えたのです。
・知っていただきたいのは「食べる量を減らすと頭がさえる」ということ。経験のある方もいらっしゃるでしょう。
肉や乳製品や白砂糖の摂取をやめる、ジャンクフードを食べない、玄米菜食に切り替える、果物や野菜をより多く摂取する。
私はこの方法で、2年間で徐々に食事の量と質を見直しました。
・【食べる量を減らす時は、無理なく少しずつ減らす。まず、肉、乳製品、白砂糖、ジャンクフードからやめてみる】
<コツは食べない生活に体を慣らすこと>
・「最初から完全に食べないことを目標にするのではなく、毎食ちょっとずつ食べる量を減らした結果、いつの間にか食べなくてもいいようになった」
受け入れられるかどうかは、皆さんの自由です。
・そしてポイントは「(量を)食べない生活に体を慣らす」こと。
ちなみに「量を減らすと頭がさえる」と先述しましたが、私自身、実際にそれを体験しました。本当に頭がさえるし、回転率がグングン上がります。
少食から不食へと至る一連のプロセスを、私は「実験」と位置づけました。ここで、私が取り組んだ「実験のプロセス」を整理してみます。
① まず肉食をやめて乳製品を減らす(徐々にゼロへ)
② 次に主食を玄米菜食へと切り替える
③ それが軌道に乗ったら1日の摂取を野菜と果物だけにする
④ それが軌道に乗ったら果物だけの摂取へと移行する
⑤ 最終ラウンドは1日の摂取をフルーツジュースだけという生活に切り替える
これはジャスムヒーンさんが推奨するやり方ですが、あくまでも参考
としてください。
・大事なのは、ゆっくり減らすこと。無理な減食はとても危険です。
無理をしては続かないと考え、食べたいときには食べましたし、食べたいと思わなければ食べない。そんな感じでゆっくり2年かけて減らしました。
・【迷ったら頭で考えず自分の体に聞くこと。食べたいときは食べ、食べたくないときは食べない】
<空腹に慣れたとき、プラーナだけで生きられた>
・そんな調子で私の少食生活は、ゆるゆると進みました。
我慢をしない。食べたいときには食べる。期限を決めない。
こうした自分で勝手にこしらえたルールがあったせいか、私はいつしか減食生活に心地好さを感じ始め、2年が経つ頃には微食生活となっていました。
それはフルーツジュースだけで十分、満足に過ごしている状態です。
さらにしばらくすると、ジュースさえも不要に感じるようになりました。そして自分がもう数日間、水さえも飲んでいないのに、喉がまったく渇かないことに気づきました。ジュースをやめたその日から、私の不食生活が始まりました。
・私はジャスムヒーンさん同様、プラーナだけで生きられるようになっていたのです。私は、プラーナとともにあるという実感を得ました。空腹に慣れるのはプラーナの摂取が始まるからという言葉の裏付けも、自分の体で取れました。
これまでの食事の半分でいいと思えれば、体のプラーナ摂取率は50%という感じです。1日1食からさらに進み、フルーツジュースだけの微食生活ができるようになれば、プラーナ摂取率は70~90%という感じでしょう。
・ちなみに事務所にいらっしゃる方や、講演会でお会いする方の中に、少食や不食に挑戦するのだけれどもうまくいかないという方がいらっしゃいます。
そこには食習慣だけでなく、心の「くせ」が関係しています。
・裁く意識は緊張を生み出し、緊張は大気中に充満するプラーナを摂取する力を減少させます。実にもったいないことです。
食べるときには自分を責めるのではなく、その食材の「生命」に感謝し、いただきますという喜びとともに食せばいいのではないでしょうか。
・少食生活に挑戦するのなら、誰も責めず、気軽に「行きつ戻りつ」しながら、無理なく楽しんでください。断食でもなく、苦行でもないのですから、うまくいったり、うまくいかなかったりしながら、毎日を楽しめばいいのです。
・【行きつ戻りつしながら気軽に楽しむこと。減食、少食、微食、不食、ゆるゆるといつの間にか進んでいた】
<不食と断食は違う>
・不食の大先輩であるジャスムヒーンさんから教えられたこと。
それは「自分の欲求を大切にする」ということでした。
食べたいなら適度に食べる、食べたくないなら適度に食べない。食欲には私たちの本質が出ますので、それに素直に従うというわけです。
・私が推奨する「量を減らす・質を見直す」というのは断食とは違います。断食は無理に食欲を抑えつけるやり方です。
・人は緊張すればするほど、食べ物の摂取量が増えます。ストレスがたまるとあれこれ食べたくなりますが、過食はストレスを紛らわせるための代償行為です。でも食べすぎると消化不良を起こし、体に負担がかかります。
・先述しましたが、逆にリラックスして緊張しなくなると、食事の量を必要としなくなります。これはジャスムヒーンさんに言わせると、無意識のうちにプラーナの摂取量が増えるからだそうです。プラーナが補ってくれるのです。
・【食べるべき。減らすべき。いずれも強制的な思考。ノンストレスで、リラックスすれば、食べる量は減る】
<ダイエットは推奨しない>
・少食や空腹感が心地好くなると、食に関してある事実に気がつきました。
① 食べるとすぐに眠たくなる
② 食べると体が重くなる
③ 食べると意識が低下する
④ 食べると感覚(直感、想像力など)が鈍くなる
・さらに、食へと誘うさまざまな感情にも気づきました。
① 悲しい、寂しいと食べたくなる
② 暇になると食べたくなる
③ つまらないと食べたくなる
④ 悩みごとが増えると食べたくなる
・ちなみに私はダイエットや断食を推奨はしません。
そんな一時的な苦行ではなく、少食をずっと続けるほうが、よほど体には健康的です。
・精神面でリラックスできれば、徐々にプラーナ摂取率が上がります。その摂取率が上がった分だけ、物質的な食事量が減っても大丈夫になります。
・【悲しいと食べたくなる。つまらないと食べたくなる。悩みが増えると食べたくなる。失敗したと裁かない。ちょっとずつ進めばいい】
<必要な水分はプラーナから作り出す>
・インタビューなどを受けると、よく「不食の弁護士」と書かれます。
弁護士は正しいのですが、私はプラーナを食べて生きていますので、厳密に言えば不食ではありません。ただそれが今の科学では理解できないということもあり、普通の人が食べるものを食べていないから不食という説明です。
プラーナは気みたいなエネルギーだと先述しましたが、私はこれを毎日、たくさん摂取しています。他の不食者も同じスタイルです。
プラーナは大気に充満していますが、私はそれをいただくと同時に、自分からもプラーナを発しています。でも私だけではありません。プラーナは本書を読んでいるあなた自身も、無意識のうちに発しているエネルギーです。
私たちはプラーナを循環(リサイクル)させているのです。
・私たち人間はプラーナの「筒」みたいな存在です。エネルギーの通り道、パイプです。パイプですから、力むと道が滞ります。これが「気づまり」です。プラーナにも色々あります。きめが細かいものから、ちょっと荒っぽいものまで、実にさまざまです。それを整えるのが、波動(周波数)と呼ばれるものです。バイブレーションとか、振動などと呼ばれることもあります。実は私たちの体を構成する細胞のすべてが、この波動で整えられています。
人間だけでなく動植物、すべての物質に固有の波動があります。波動が調整されると、心身が正常化され、出し入れするプラーナの量も増えます。
・肉食をやめようと唱える方々が危惧するのが、この波動に関することです。
肉食という行為は、その動物の悲しみや恐怖という感情が乗った波動を自分の体内に取り込む行為であり、食べるほどにその波動が拡大するのです。
ちなみにプラーナですが、波動が向上する、つまり「リラックスすればするほど楽に摂取」できます。心がけ、気分次第です。
プラーナ接種率が10%なら現実の食べ物が10%減らせるし、プラーナ摂取率が50%なら現実の食べ物が半分に減らせます。
すると肉体維持という面で、とても楽になります。必要な水分もプラーナから作り出せますから、水も不要です。
・【体を構成する細胞は、波動で整えられる。よい波動で満ちると、心身が正常化する。この世のすべては巡っている】
<今が一番体力がある>
・私は熱帯雨林保護と学校支援というミッションのため、2011年と2012年にアマゾンの熱帯雨林に滞在しました。
・熱帯雨林は大自然のプラーナに満ちあふれています。そんな天国のような場所ですから、私にとっては都心にいるよりも快適だったのです。
・ご存じのようにパレスチナという地は乾燥地帯ですが、私は水分をとる必要もなく、お祭り感覚で走れました。これもプラーナのおかげです。
・私が食べることをやめると、家族は一様に驚きました。その次に生まれたのが死への恐怖(私が死ぬ恐怖)であり、最終的には怒りへ変わりました。
・私は8年間、空手をやっていました。その時期は「毎食、肉か魚を出すように」と、妻に厳命していました。
毎朝、山へ走りに行き、腹筋1000回、拳立て250回、10キログラムの鉄アレイを上げ下げする、まさに苦行・難行大好き人間でした。
苦行・難行をすれば強い人間になれると、本気で信じていたのです。
・【食べることをやめると、周囲から驚き、恐怖、怒りが順番にやって来る。人は食べるのがあたりまえか】
<少食で若返り、長寿が手に入る>
・以前、一緒に本(『食べない人たち』マキノ出版刊)を出した、森美智代さんという大阪で鍼灸院を運営されている方がいます。
脊髄小脳変性症という難病を患い、医療から見放され、余命が5~10年と宣告された森さんが最後にすがったのが、独特の手法で大勢の難病患者を救って来た甲田光雄先生でした。
・甲田先生は異端の医師と呼ばれます。現代医療をことごとく否定し、数々の難病を治してしまったからです。森さんの場合、生菜食にして食事量を減らし、次に1日1回の少食とし、さらにそれを超少食とし、最終的には1日1杯の青汁だけという食生活に変えました。1杯だと50キロカロリーくらいです。
おかげで暗黒状態だった体がウソのようによくなった森さんは、今のような生活スタイルになってから他人のオーラが見えるそうです。ヒーリング(癒し)力が開花し、運営されている鍼灸院も繁盛しているそうです。
・少食、つまり食べる量を少なくすると、主に三つのメリットがあります。
① 免疫力がアップする
② 若返る
③ 寿命が延びる
先端医療の研究者たちは、すでにこの事実に気づいています。
そもそも人間の体は、過食に耐えられるようにできていません。その
逆に、ある程度の飢餓には耐えられるようにできています。
・逆に、体が過食に弱いのも明白です。食べすぎると頭の働きが鈍くなります。判断力も想像力も低下します。
・【人間の体は飢餓に強く、過食には弱いと知る。食べすぎると頭の働きが鈍くなる】
<過食は心の飢えが原因だった>
・食べるという行為は「異物を自己物に転換する」行為です。異物を人体に同化する作業、それが食事です。人体細胞への転換をする作業というわけですが、その作業には膨大なエネルギーが必要とされます。
・格闘家、あるいはアスリートには、粗食や少食の方が少なからずいますが、肉体面・精神面で本当に強いのはそういう方です。
ではなぜ、過食になるのか?それは「感情面で飢えている」から。
・過食は感情で食べている状態、と言われますが、本当にお腹が空いたときにだけ適量を食べ、少しずつ食べる量を減らしてください。
・【自然界には過食の動物はいない。食べる量を減らすと地球に貢献できる。本当にお腹が空いたときだけ適量を食べる】
<蚊を殺すと、自分に痛みが走る>
・この感覚を獲得してから、私が実践し始めたことがあります。
それは相手に対して愛を送ること。
するとその人がだんだん元気になることも判明しました。ヒーリングの世界では昔から言われていることですが、私はすべての存在と自分とのつながりが見えてから、このエネルギー交換を知りました。
・【愛を送ると相手が元気になる。すべてつながっている。赤ちゃんの気持ちがお母さんに伝わるのに似ている】
<トイレは普通よりも少ないくらい>
・「食べていないのに、トイレには行くのだろうか?」そんな質問も受けます。
一般の方から見れば少ないですが、トイレには行きます。おしっこもうんちも量としては少ないですが出ます。
どうして出るのだと驚愕される方もいますが、考えてみてください。
私はプラーナを大量に食べており、そのプラーナで水を生成しています。そもそも人体の約50~60%は水分で構成されています。
おしっこの約98%は水分です。
<排泄が減るとエネルギー消費に余裕ができ、すこぶる健康になる。本来は誰もが持っているはずの機能>
<寝なくても平気になる>
・食べなくなってから、実は睡眠をとる必要もなくなりました。
・稲葉耶季(やすえ)さんという、元裁判官で不食の方との交流も始まりました。
彼女は2015年に『食べない、死なない、争わない』(マキノ出版刊)という本を出版しました。食べないから健康、死なないか幸福、争わないから平和というスローガンを打ち出す稲葉さんには、心から共感します。
2010年の時点でジャスムヒーンさんは、不食者が世界中で4万人くらいいると話していましたが、私の認識では、すでに世界中で10万人を超えているのではないかという感じです。
今後、食を減らす流れは止まらないでしょう。
・【食事をしないと圧倒的に時間が増える。健康になる。世界中で10万人の不食者がいる】
<否定しなくてもいい>
<裁かなければ、裁かれない>
・何かを肯定するとき、その人なりの理由があります。
それと同じく否定にも、否定するだけの理由があります。「認めたくない」という感情です。何かの理由で相手の意見や態度に対して、嫌だという感情を持つ。それが否定です。
実を言えば、肯定も否定も、その意見や相手を「裁く」という点で同じです。
・自分が自分に与える評価は「他人も自分も裁かない」という態度で一定に保つことができます。これが一番、快適な生き方です。
・【自分も他人も否定しない。他人の評価で悩まない。自分は常に正義だと考えると苦しい】
<短所が気になっても、まず長所に注目する>
・何かと否定したがる人は、相手の短所を探す傾向が強い人です。
・大学教員だった私の父は成績に厳しく、私立受験を控えていた小学生時代の私はいつも恐怖心を持っていました。もっとできるはずだと毎日のように怒鳴られました。
・短所が気になっても、まず長所に注目してください。
気になる点を注意したら、その後は何度も繰り返さず、相手に委ねてみてください。
・【責める口調の人には、誰かを責めたがる人が集まる。すべての人にはでこぼこがある。でこぼこが、その人らしさ】
<我欲を経験しないとわかり合えない>
・金銭欲、食欲、名誉欲、性欲、出世欲、物欲。身の回りにはさまざまな欲があります。欲は生きる上での牽引力になる一方、とらわれることで執着が生まれ、自らを破滅させる原因にもなります。欲には二面性があるのです。
・私にも欲の強い時代がありました。弁護士という職業ですから、やはり裁判で勝ちたい、できるだけ大きな勝利を収めたい、たくさんの実績を残したい、すごいと言われたい、もっと稼ぎたい、そんな「我欲」が自分の中で渦を巻いていました。
・欲が生まれたら、人に迷惑をかけることなく従ってみてください。ただし、欲にからめとられないよう、コントロールすること。
・【欲は良し悪しで判断せず、「友だち」として見る。金も異性も追い求めていい】
<悩みは「他人ごと」という姿勢で聞く>
・私の仕事の大半は、誰かの話を「聞くこと」です。
・相談者はそれぞれ抱える悩みを語りますが、これが私には実にありがたいのです。
・相談は他人ごと。感情移入をせず、ドラマを見ている感覚で聞くこと。コツはたったそれだけです。
それに他人ごとという姿勢だと、相手の現状や解決策がよく見えたりします。車間距離と同じで、近寄ると見なくなります。
・【相談には感情移入せず、ドラマを見ている感覚で聞くのがコツ。恐怖を植えつけて儲けようとする人がいる】
<我慢はエゴ、わがままはエコ>
・私のような引きこもり体質で変人の話を聞きに来てくれる方々は、本当にありがたい存在ですが、私は誰かのためではなく、「自己満足」で話しています。わがままに話すだけ。
・一瞬、思っただけで、意識のエネルギーは飛ぶのです。
あるいは「私はできる」と強く自分に念じる暗示(自己暗示)の効力は、アスリートや起業家の間では実証済みですが、気をつけたいのは、自分のどこかに自己否定的な感情があると、創造的な暗示力が生み出せないということです。自分を否定せず、肯定する。我慢という意識を消し、わがままという意識を持ってみてください。
・【わがままを否定すると個性が消えてしまい、生まれた理由が消える。好きだというエネルギーは、瞬間相手のもとへ飛ぶ】
<過去の自分を認めると楽になる>
・過去を否定したがる人も多いと思います。
・生まれてから現在までの自分を、すべて肯定してみてください。すると、フッと楽になります。
あんなバカな自分も、こんな悲しい自分も、全部「かわいい自分」なんだと初めてわかります。全部、ありのままでピュアな自分であり、そんな自分がいたからこそ、貴重な人生経験ができるのです。経験に損得はありません。
・【バカな自分も悲しい自分も全部「かわいい自分」。貴重な人生経験に損得はない】
<悠々自適とは自分の世界を楽しめること>
・何かと誤解されがちな「コモリスト(こもり系の人々)」は、自分がいる場所から離れない方々です。それは執着とも少し違うのですが、要するに「自分の領域を守る」というスタンスです。
・最近、性的少数者(LGBT)が世界中で注目を浴びています。
心と体の性の不一致を感じるなど、その苦しみは当事者にしかわかりませんが、コモリストと同様に、こうした「強い違和感を持つ人」が次の時代を作る原動力になるのではと、私は確信しています。
・【こもり系の人々は無理しない人であり、心の痛みを知っている人。強い違和感を持つ人が、次の時代を作る】
<争わなくてもいい>
<訴訟相手に「ありがとう」を送る>
・私は訴訟の相手に愛を送っています。
これを話すたびに「なぜ弁護士であるあなたがそんなことを?」と、怪訝な顔をされる方が大勢いますが、もちろん理由があります。
簡単に言えば、対立をそのまま対立として実行するよりも、対立相手に愛を送ることで調和を実現することができると知ったからです。
・【対立は低いエネルギーを調和は高いエネルギーをそれぞれ生み出す。勝つことこそ正義なのか】
<どんな存在であれ、つながっている>
・争うというのは「善悪のラベル貼り」です。自分は正しく、相手は間違っている。それをどんな方法を用いて明白にするか?
・世の中は「自他同然(自分も他人も一緒)」です。
・それは、私がお会いする人の多くが、以前の人生(過去生)のどこかでお会いしていた人たちだったということです。実に楽しい発見でした。
・人生は、常に誰かとの共同作業です。各人が課題を持ち寄り、その解決のためにおたがいに努力しますが、生きていられる時間が限られているから、何度も生まれているのかもしれません。
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