祈りと強い信仰心は、不安、悩み、緊張、恐怖といったものを打ち消してくれます。あなたがもし宗教とは無縁でも、祈りにはあなたが想像する以上の効果があります。(4)

『正法入門』 高橋信次師講演集

園頭広周編      正法出版社   1994/7

<動物霊・地獄霊を論されたことについて>

・「インド仏教と現代仏教」と題して講演された時、地獄霊に憑依された人達がおり、先生はその地獄霊を、一つひとつ論し導かれました。

 先生は、霊現象について、霊の姿、あの世の姿が見えない私達に                                                                 

心のあり方の大切なことをお話して下さいました。

<憑依霊(動物霊、地獄霊による)>

・(先生)こうして話をしている時、その人は人間じゃないんです。こういうことを知らないで、多くの人は間違った信仰をしているのです。

 あのような話をしている時、口はどんどん尖ってきます。憑いているのは、真白な狐なんです。花園稲荷とか、伏見稲荷とか、稲荷信仰を一所懸命にやっている人達が、私達の前に出ると、みんなあのようになってしまいます。

 今まで「神だ」、「稲荷大明神だ」と威張っているけれども、その人に狐が憑依しているのですから。

 憑依されている人は、完全に頭脳を動物霊に占領されているから、その人本来の人間としての人格はまったくなくなって、その人は動物そのものの人格、人格というわけにゆかない“動物格”になってしまうのである。

 だから、憑依の状態から覚めると、その人は憑依されていた間のことは全く知らないのである。普通に生活している間も頻繁に憑依される状態になると、今まで普通の人間としての状態で話していたかと思うと、瞬間にして人相が変わり、顔が険悪になり、目の色が違い、言葉つきが違ってくるのである。そうかと思うと、憑依霊が離れると、この人が、

と思うほどまた普通の人間に返ったりする。

<仏、大仏、摩訶止観>

・(先生)皆さん“仏”というのは、インドでプターというので、それは“悟った人”ということです。“悟り”とはどういうことかといいますと、八正道ということを基準にして生活して、心と行ないが調和されること、そうすると心の曇りがなくなります。曇りがなくなりますから自然と、この物質(原子)肉体と光子体とが“色身不二”となってくる。するとそれがだんだん大きくなってくる。

 その大きくなったのを“宇宙即我”という。その“宇宙即我”を表現したのが奈良の大仏です。そうなるためには、生まれた時から現在までの心のあり方を反省して調和させることです。

<地縛霊の諭し方>

・地縛霊に対しては、

「私達には今見えないけれども、もしここに住んでいる人がいるなら、よく聞いて下さい。ここはあなた達の住む所ではありません。あなた達はあの世で生活しなければならない人達です。どうしてそんな暗い所に住んでいるのですか、それがわかりますか。暖かい、日の当たる、慈悲と愛の神の光に満たされた世界があるのです」

と、このように、こんこんと神理を利かせてやると、鬼門というものもなくなります。

 どんな悪魔であろうが、どんな阿修羅界の者であろうが、畜生界の動物霊であっても、愛というものに対しては、絶対に勝つことはできません。

 原子爆弾よりも、人間の心から出る愛というものは強いのです。そういうことがわかったならば、易、気学、姓名学などといったものに翻弄されてはなりません。心に神理を満たし、神理に適った生活をしていれば、憑いていた憑依霊も自ら離れてゆくのです。

<病気の原因>

・病気の原因に3つあります。

1. 肉体的、先天的に受け継がれた病気

2. 肉体の限界を心得ないために起こる病気

3. 心の不調和による病気、心の不調和によって憑依霊が憑いて病気になる場合

憑依霊が憑いた場合は絶対に医者にはわかりません。病気の場合は、この3つを見分けることが大事です。

<すべて神の子>

・一番怖いのは、神理を知らないで、憑依霊によってなっている病気です。その場合は憑いている霊に懇々と教えてやれば治りますよ。

 心が神に通じ、治してあげようという慈悲の心で手を当てると、手から神の光が出ます。手当てというのはそうすることです。

・日本は8世紀において、法然、親鸞、日蓮が出てきて、念仏や題目を唱えれば救われるとか、いつの間にか他力本願に代わってきております。そうして罰まで与える仏教になってしまいました。

 仏教というものは、そんな軽薄なものではありません。人間自身、心というものを知った生活行為、己自身の思う心と行う行為、偏りのない中道を通して、己れ自身を悟らなければならない。そういう道をはずれてしまって他力本願となり、先祖供養をすれば救われる、あるいは、どこどこの神様を拝めば救われる、弁財天を拝めば金が貯まる、と全く馬鹿げたことをいっております。

<高橋信次先生、古代マガダ語で話をされる。>

・すでにここに、心の窓の開かれた人達がおります。この人々の心にスイッチを入れてみましょう。ちょっとその当時の言葉で聞いてみましょう。

(高橋信次先生、古代マガダ語で話をされる。その後、日本語で解説をされる。)

 こちらの方は、258、90年前インドの地、パラナッシーという都のカパリー村に生まれていた方です。皆さんは阿閦(あしゅく)如来といわれる方を知っているでしょう。その当時の名はババリーといいました。その大バラモンの親戚の方です。

 ベルベーナーといわれる竹林精舎から北東にある、グリドラクター(霊鷲山)といわれる山があります。その山に、17人の人々とともに、ゴーダマ・シッタルダーの説く神理を聞きに来た一人です。ウバシバと呼んでおります。

 どうもありがとう。

 こちらの方は、エジプトという所で生まれ、続いてインドに生まれ、さらに中国に生まれ、輪廻転生を思い出したのです。林正さんです。

「私は、いまから4千年前に、エジプトで生まれ、クレオパローターといわれるファラオ(王)の下で神官をしておりました。私達は広大なエジプトの地で、多くの人々に、太陽のような心を持ち、偉大なる自然の恵みに感謝しよう、太陽はすべてにおいて、神の心の現れであり、人間は、あの丸く、温かい太陽のような心を持たなくてはならない、人はすべて平等である、ファラオの下で神を信じ、この地上界に平和な世界をつくらなくてはならない、と説いていました。その頃の大衆は、現代の人々より、はるかに心は調和されておりました。それは、日々の生活の中において、お互いにファラオを信じ、神を信じ、お互いに嘘をつくことなく、調和された世界をつくらなければならないということを知っておりました」

 この方は、ラワンといわれる神官でした。ラワンさんは、人々に道を説く指導者でした。クレオといわれるファラオは、人々は神の子であることを説き、平和なユートピアをつくっており、その神の子の道を大衆に説いたのは、このラワンといわれる方でした。

 どうもありがとう。

・今生では、人間は努力しなければなんにもできないようにつくられているのである。霊能力を得ようとしている人の中には、努力しないで幸運を掴もうとしている人が多い。そういう欲心をもって禅定瞑想をしていて、それで正しい霊能が開かれるわけがない。もし、そういう欲心を持っていてなんらかの霊能が開かれたとしたら、それは地獄霊か動物霊の仕業である。信仰が無気力な努力しない勇気のない怠け者を養成するというのであれば、そういう信仰は邪教である。

<参加者は、いろいろな宗教遍歴をされた人、それになんらかの憑依霊に取り憑かれている人ばかりでした>

・熊本の吉岡さんという方は稲荷信仰をしていて、さらに蛇を祀っていて、いろいろな憑依現象に悩まされていられたのですが、2日目の夜の高橋先生のご講和により、完全に憑依霊は離れてしまい、心がきれいになり、後光が出ているのを先生が見られまして、「吉岡さん、あなたに、私のインドの時の姿をお見せしましょう」といわれました。先生が光を出され、手をかざされますと、吉岡さんは「ああまぶしい」と、感激の涙で打ち伏せてしまわれました。

・つぎのような教祖を持つ教団は、皆地獄霊や動物霊に憑依され始められた教団である。

1. 地獄霊や動物霊に憑依された教祖は、金によって救われると説き、金集めが上手で金に汚くなる。

2. 地獄霊や動物霊に憑依された教祖は、性欲が強くなって女をこしらえる。

3. 地獄霊や動物霊に憑依された教祖は、権力欲が強くなり、傲慢になり、服装や生活が派手になる。

4. 地獄霊や動物霊に憑依された教祖は、内心、自分の力のないことを知っているので取巻きをいつも従えて歩く。

5. 地獄霊や動物霊に憑依された教祖は、いうことと、やることが違って冷酷になる。

これだけ知られれば、どの宗教団体が正しいか、一ぺんでわかられる筈である。

『主と呼ばれる方の名はエル・ランティー』

河上修二  大開製版   2001年8月

<人類創世紀>

・人類は緑に包まれた、しかも神の光に満たされた地球という環境に、今から3億6千5百年前、初めてベーター星という星より神より与えられた新しい緑に包まれたこの地球に人類は最初に印したのであります。

 その当時は、ベーター星は、調和され、私たちは、新しい新天地を求めてもっとも調和された、この地球という環境を選んだのであります。

 その当時、最初に反重力光子宇宙船という今で言うUFOです。それに乗りまして、地球上の人類は、神の光に満たされた天使であるところのエルランティ、このエルランティという方が、中心になられまして、エルランティは、直接神の光を受けているところの真のメシアであります。

・エルランティは神の光を直接百%受け、百%純粋にエルランティの身体、特におでこの部分から神の光を出す真のメシアです。

 エルランティの分霊にイエス、釈迦、モーゼがおられます。

・天上界=天国=実在界=あの世では、イエスはアガシャー、釈迦は、カンターレ、モーゼは、モーゼという名前です。

 主エルランティは、イエスが地球に生まれた時は、ヤハウェーと名乗り、彼らと神の法を指導した。マホメットが、生まれた時は、アラーと名乗り、指導されたわけです。

<太陽系霊団の系図、明かされた高次元世界の仕組み>

・高橋信次先生の霊的ご自覚によって高次元の仕組みがいっそう明らかにされました。

・太陽系霊団は、大宇宙大神霊の神の光が、エルランティという人格を持たれた方を中心として成り立っています。

・真のメシヤ(救世主)エルランティを中心として光の直系の方々によって高次元世界が成り立っています。

 光の直系は、力の直系ともいわれ、エルランティの下に七大天使が配置されています。

・その七大天使の長が、七色の翼を持つ大天使、ミカエルといわれる方です。

・そして、ミカエル天使長の下に、六人の大天使が配置され、如来界の大指導霊の役を果たしています。すなわち、六人の筆頭にガブリ・エルがあられます。ガブリ・エル大天使は、ミカエル天使長、イエス、ブッタ、モーゼのお三方に報告するための通信・伝達の業務を担当されています。

 次いで、ウリ・エル大天使は、政治、経済、自治を、サリ・エル大天使は、医学、薬学、ラグ・エル大天使は、律法、パヌ・エル大天使は、芸術、文学、歴史を担当されています。

・大天使の側面からの助力者として、ガブリ・エルの下に、セラ・ビム(水)(菩薩)、ケル・ビム(炎)(諸天善神)の光の天使が、それぞれ数百名ずつ配置されています。

・アラーを信奉したマホメットは、ガブリ・エルの直接指導をうけて、さまざまな奇跡を現わしますが、アラーはエルランティの当時の別名です。したがって、回教の神はエルランティであります。

・次にエルランティの光の分霊として、イエス、ブッタ、モーゼのお三方がおいでになります。イエス様は、エルランティを指して、エホバと呼び、アガシャー系を形作っています。ブッタは、ブラフマンと呼び、カンターレ系をつくっており、モーゼ様は、ヤハウェと呼びモーゼ系をつくっています。

地球人類は、この三つの系列のどれかに属し、イエス、ブッタ、モーゼを頂点にピラミッド型を示し、末広がりになっています。しかし、各人の霊子線は、すべて神の光に直結しているので、霊的にも七大天使を通してつながるわけです。

・現代文化の源流は、現証(モーゼ)、理証(イエス)、文証(ブッタ)による正法の確立にありました。しかし、このお三方の背後にはエルランティの光があって、これなくしてユダヤ教、キリスト教、仏教は実現し得なかったといえるでしょう。

・高橋信次先生の高次元の名を、エルランティと呼び、この名を知る者は、高次元の世界でもほんのわずかの人々であります。

<UFOについて>

・UFOは宇宙人の乗り物であり、光の速度を超えて、ワープする。つまり瞬間移動する乗り物です。

 ただ、宇宙人にも神のグループと悪魔のグループで生きている二つのタイプがある。

また、天国での霊界のUFOと地獄の悪魔のUFOとがある。

(2024/7/19)

『人は考えたとおりの人間になる』

ジェームズ・アレン   田畑書店  2019/1/24

・人の心はたとえてみれば庭園のようなものだ。よく手入れをして美しい庭にすることもできれば、荒れるにまかせてしまうこともできる。

<はじめに>

・「人は自分自身の創造主である」という真実。

・人の心は織物師のようなものだ。心は、キャラクター(性格)という下着だけでなく、その人の置かれている状況という上着さえも織り上げていく。

<人の思考と性格>

・「人は考えたとおりの人間になる」という格言をご存知だろうか。

・文字どおり、人間はその人の思考によって形づくられている。

・種子なくして植物が生まれないように人間も思考という種子がなければ生まれないし、成長もしない。

・行動が、人の思考の花であるならば、喜びや悲しみ、苦しみは、その果実である。

・思考という心の働きが人間を創る。いまある私は、自分自身の思考がつくり上げたものだ。

・人間の成長には必ず明確な因果関係がある。

・人間は自分を成長させることもできれば、逆に滅ぼすこともできる。

   

・つまり、人間は正しい選択をし、自分の思考をフルに生かしていくことによって、全能の神に近づくことがでできるのである。

・「人間は自らの思考や思想、性格だけでなく、自分をとりまく状況や環境、さらには人間の運命までも支配し決定する」

・そして自分の希望したとおりに、自らを変身させていく力を秘めているものだ。

・人は、たとえうちひしがれ、絶望のどん底にあるときでも、自分自身の支配者である。

・人は、自分の置かれている状況を熟慮し、自らをつくり上げている「法則」を根気よく探し出す努力をすることで、「賢い支配者」になれる。

・このような人間になるには、自分自身の中にある思考の法則を探し出せばいい。

・金やダイヤモンドを手に入れるためには、鉱脈を探し出し、地を掘らねばならない。

・その真実とは、性格は自らがつくり上げたものであり、人生も運命もすべて自分自身が決定するものだ、ということである。

・では、どうしたらこの真実を自ら発掘できるだろうか。それには、自分のものの考え方を見つめ、コントロールし、そして変化させればいい。

・このような過程をへてはじめて、「求めよ、さらば与えられん」、「叩けよ、さらば開かれん」という絶対の法則が意味を持つのである。

<人の思考が環境や状況におよぼす影響>

・人間の心は、たとえてみれば庭園のようなものだ。よく手入れをして美しい庭にすることもできれば、荒れるにまかせてしまうこともできる。

・人間は、庭師が草とりをして花や果物の木を育てるように、心という庭を育てることができる。

・また、同時に自分の中に「思考の因果関係」を見出すこともできる。

・人間の性格はその人のものの考え方と一体のものだ。

・人間の思考は、その人が置かれている状況や環境と深く関係している。

・人間が現在置かれている立場には、それなりの原因がある。つまり、自分自身の中で育んできたものの考え方が、現在の彼を位置づけているということである。

・進化し、発展する動物である人間は、自らの環境の中から必ず何かを学び、成長することができる。

・自分は環境に左右される生きものだと信じている限り、人は自らの状況や環境に打ち克つことはできない。

・というのも、修行するうちに、自分自身が変わっていくのと同じペースで、環境も変化することに気づいたはずだからだ。

・そして、どのような場合においても、人をとりまく環境はその魂が自らつくり出したものなのだ。

・良い考えは良い実を、悪い考えは、悪い実を結ぶ。

・つまり、人間は喜びの中からだけでなく、苦しみの中からも多くのことを学んでいるということだ。

・いずれにせよ、こうした欲求や情熱を追い続けるうちに必然的にその人をとりまく環境が作られていく。つまり、ここでも人の成長と環境との因果関係が生きているということである。

・つまり、人間は、自分自身のものの考え方の統治者であるだけでなく、自分自身の創造者であり、環境の設計者でもあるわけだ。

・人間をとりまく環境や状況は、本人が望んだから出てきたものではない。しかしすべて本人自身がどういう人間であるかの反映である。

・人間は、望んだり祈ったりすることで何かを得るわけではない。自らの努力に見合ったものだけを得るのである。希望や祈りというものは、その人のものの考え方や行動の裏付けがあって、はじめて叶えられるのだ。

・では、いったい「環境や状況に挑戦する」という言葉は何を意味しているのだろうか。人間は絶えず何かの「結果」と戦っているが、実は、その「結果」の「原因」はその人自身の中にあることに気づいていない。

・しかし、いずれにしても、人間の努力や行動を、執拗に妨害し弱めてしまう力であることは確かだ。だからこそ、どうしてもこれを治さなければならないわけだ。

・しかし、人間は状況や環境を改善することにはすぐ乗り気になるが、自分自身を改善することには、残念ながら臆病である。

・そのため、いつまでも自分自身に縛られ続けるのである。自分を犠牲にしてまでも何かをやり通す人は、必ず目的を達成するものだ。

・強く立派な人生を送りたい人ならば、払う犠牲もそれだけ多くなることは当然のことであろう。

<人の思考がからだや健康におよぼす影響>

・人間のからだは、その人の心やものの考え方に支配されている。

・心が不純な考えを抱くと、とたんにからだは病に侵され衰弱してしまう。

・恐怖や不安は、弾丸と同じように、確実に一瞬にして人を殺すことができるだけでなく、ゆっくりと人を死に追いやることもできる。

・人間のからだは心の動きにすばやく反応する。考え方の習慣や癖は、からだにすぐあらわれる。

・心や考えは、行動、生活、生き方の源泉である。それが清められれば、すべてが清められる。

・心を清めれば、自然と食生活も改められ、不純な食べものを求めなくなるものだ。

・清潔な心や考え方は、清潔な習慣を生む。

・からだを鍛えたいのなら、心を守ることだ。からだを若がえらせたいのなら、心を美しくすることだ。

・健康なからだと明るく清らかな表情を持ち続けるためには、喜びや善意、落ち着いた気持ちなどで心を満たす必要がある。

・正しく生きてきた人にとって老いるということは、太陽が沈んでいくように穏やかで静かな、円熟したものである。

<人の考え方と目的>

・病に侵されたからだを治療する場合、明るく楽しい考えを持つことはどんな名医にもまさるものである。

・反対に、人に対する思いやりを忘れずに持ち続け、明るい気持ちで人に接し、人の中に長所を見つけ出そうという善意を持ち続けていけば、天国の扉は必ず開かれる。

・考えというものは、何かしらの目的と結びつかない限り、実のある成果をあげられないものだ。

・災いや破滅をさけて航行しようとするならば、何らかの目的を持つことが必要だ。

・何の目標を持たずに生きている人は、ささいな不安、恐れ、悩みにわずらわされ、自己憐憫に陥ってしまうものだ。

・力で動いていくこの大宇宙では、弱いものは存在していけないからである。

・人間は誰でも、きちんとした目的や目標を心の中に描き、その成就、達成に努力すべきである。そしてこの目標を、すべての考えの中心に置くべきである。

・多くの場合、人は弱さから何度も失敗を繰り返してしまうが、失敗するたびに人間の性格は強化されていくものだ。そしてその性格の強化は、その人が真の成功に近づいたかどうかを計る尺度になるだけでなく、新たな力を生むための出発点となる。

・大きな目標に向かって生きるという重荷にまだ準備ができていない人は、どんなささいで無意味に見える仕事であっても、完璧にそれを成しとげることに考えを集中してみるといい。

・どんなに弱い心を持った人間であっても自分の弱さを認識し、「力は努力と鍛錬によってのみつちかわれる」ということを信じて努力に努力を、また忍耐に忍耐を重ね、力を着実につけるようにがんばり続けていけば、いつかは神のような強さを身につけることができる。

・からだの弱い人は、徐々に、そしてしんぼう強くからだを鍛えていく。心が弱い人も、同じように、徐々に正しいものの考え方をすることによって、精神的に強くなることができる。

・目的なしに弱々しく生きていくことをやめ、目標を持った生活をするということは、強い人間の仲間入りをすることである。強い人間とは、失敗を成功への一歩と見るだけでなく、あらゆる状況を自分の役に立ててしまう人々である。

・ある目的を設定したならば、その目的に向かってまっすぐな道を心に描き、わき目もふらずにその道を進んでいくことだ。

・疑惑や恐怖からは何も成果は得られないし、何も達成することはできない。疑惑や恐怖は人を必ず失敗へと導く。

・何かを実行しようという意志の力は、私たちに何ができるのか、ということの正しい認識から生まれるものである。疑惑と恐怖はこの認識の最大の敵である。

・疑惑や恐怖を克服した人は、同時に失敗をも克服したことになる。心は力と結びつき、どんな問題にも勇気を持って対処できるようになり、賢明に問題を解決できるようになるのである。

<目的の達成に思考が果たす役割>

・人の考えと目標が大胆に結びついたとき、考えは大きな創造力となる。

・人が手にする成果も失敗も、すべてその人のものの考え方いかんにかかわっている。バランスを失うことが、そのまま崩壊につながるという、明確な法則のもとにある大宇宙では、個々の役割、責任というものは絶対である。

・喜びも苦しみもすべて彼自身の中から出たものだ。人間は考えたとりの人間であり、考え続ければ、そのとおりの人間になっていく。

・努力して自分自身に打ち勝つ強さを身につけなければ、救いの手をさしのべてくれた人のように強くなれない。つまり、自分自身にしか自分の置かれた状況を変えることはできないのである。

・真の知識というものは、抑圧する側の力の乱用だけでなく、抑圧された側の弱さを見抜くことができる。真実の愛があるなら、抑圧する側とされる側両方の苦しみをくみとり、どちらも非難することはできない。

・弱さを克服した人間は、利己的な考えをすべて捨て去る。そして抑圧する側とされる側のどちらもつくことはない。

・人間は、自分の考えや心を高めることで、はじめて進歩し、発展し、目標を達成することができる。

・世俗的な目的であっても、何らかの成果を得るためには、奴隷や動物のような自己中心的なものの考え方から脱し、もっと崇高なものの考え方をしなければならない。

・自分の考えや心をコントロールできない人には、状況を判断することも、重大な責任を負うこともできない。

・何かをあきらめることなくして、進歩や成果を得ることはできない。

・考えや心を高めることによって、その人はますます堂々とし、正しく公平な人間になる。そして成功もよりいっそう大きいものとなる。

・宇宙は、たとえ表面的にはそう見えることがっても、けっして、欲張りな人間、不正直な人間、そして悪事を働く人間の肩を持つことはない。

・知的な進歩というものは、知識の探求のために全神経を集中し、人生や自然の中の美と真実を求め続けることによって得られるものである。

・精神的な進歩というものは、崇高なる志を吸収することによって得られる。それは、太陽が必ず天頂に達するように、また月が満ちるように確実にやってくることである。

・進歩とはどんなものでもあっても、努力に与えられる王冠であり、正しい考え方に与えられる王位である。

・正しい考えかたを持ち続けた成果というものは、絶えず注意をはらって、心がけないと維持できない。

・進歩は、たとえそれが仕事上のものであれ、知的あるいは精神的なものであれ、すべて明確に方向づけられた考えが生んだものである。

そして、進歩は同じ法則に支配され、同じ方法を持ってつくられたものである。

<夢と理想>

・少ししか成功しなかった人は、それだけ犠牲が少なかったのだ。大成功をおさめるためには、それなりに大きなものをあきらめなければならない。

・夢想家は、救世主のようなものだ。人間にとって、想像力豊かな人々や夢想家はなくてはならない。彼らが描き出す夢や理想が消えてしまっては困るのだ。なぜなら人間は夢なしには生きられないのだから。人間は、いつの日かその夢が現実のものになることを信じている。

・神がこの地を創造した後の世界を作り上げているのは、作曲家や彫刻家、画家、詩人、予言者、哲学者のような人々である。

・心の中に美しい未来像を描き、理想を追い求める人は、いつの日か必ずそれを実現する。

・ビジョンや理想を大切にすることだ。そして、その理想像を忠実に生きていけば、あなた自身の世界がつくられる。

・何かを求めるということはそれを得ること、何かに憧れるということはそれを手に入れるということだ。

・それは宇宙の法に反することだし、あり得ないことだ。「求めよ、さらば与えられん」という言葉もあるではないか。

・高い理想を抱き、崇高な夢を見ることだ。そうすれば、その高い理想にだんだん近づくことができる。

・どんなに偉大な進歩や、成功も、そのはじめは小さな夢だったのである。そして大きな夢がふくらみはじめ、目醒めの天使が訪れるのである。夢は現実の苗木なのだ。

・あなたは今、自分が置かれている境遇に不満を抱いているかもしれない。しかし何か大きな夢、理想をかかげ、その実現のために努力すれば、その状態から脱することはできる。

・夢の中を旅することはできないが、同時に夢なしでは生きてもいけない。

・彼は頭の中に豊かで理想的な生活を描き、のびのびと自由に生き、より大きな視野を身につけた自分を想像するうちに、そのとりこになってしまった。

・やがて、彼の新しい能力と見合ったチャンスがたくさん到来し、彼は二度とあの最初の仕事には戻ることはなくなった。

・年月がたち、若者はりっぱに成長して大人になった。いまや彼は強い精神力を備えた大人だ。世間に対して大きな影響を及ぼすことのできる立場にある。

・そして太陽のように彼は多くの人々の生活の中心となった。彼は若いころに描いた夢、描いた理想を現実のものにしたのだ。若かりしころの理想と、ひとつになることができたのである。

・なぜなら、あなたの心が描いたものをあなたは手に入れることができる。あなたが努力した分だけは、必ず戻ってくるのである。

・人の行為には必ず努力というものがあり、結果がある。そして、どれだけ努力するかが、結果を左右するのである。「運」はまったく関係しない。

・頭の中に描く理想や心に抱く夢でもって、人生を築いていくことだ。必ず、あなたはこの理想や夢が描く姿になることができる。

・「あなたはしがない事務員だ。ある日あなたは、それまでずっとあなたの理想を阻んできたと思ってきた扉から、一歩外へ踏み出す」

・思慮深くもなく無知で怠惰な人々は、目に見えることだけを信じ、本質を見ないために「運」とか「偶然」といったことばを口にする。

・人の行為には必ず努力というものがあり、結果がある。そして、どれだけ努力するかが、結果を左右するのである。

・頭の中に描く理想や心に抱く夢でもって、人生を築いていくことだ。必ず、あなたはこの理想や夢が描く姿になることができる。

<心の平穏>

・心の平穏とは、賢明さがもたらす、すばらしい宝である。自己コントロールを身につけるための、長い忍耐強い努力の賜物である。

・人間は、自分が思考によって生きている生物だと、理解し納得することによって心の落ち着きを得るのだ。そして、そう理解するためには自分だけでなく、他人も思考によって生きているのだと知ることが必要になってくる。

・穏やかな心を持った人は、自分自身をコントロールするすべを、そして周囲の人々とうまくつき合うすべを知っている。

・強く穏やかな人間は誰からも愛され、尊敬される。

・このような人々は、雨の日も晴れの日も、何が起ころうとも変わらずに優しく穏やかで落ちついている。

・魂の嵐や風を抑え、自分の思うがままにコントロールできるのは、自分の心の動きを制御し、より清らかにすることができる賢明な人間だけである。

・大嵐に揺れる魂は、どこにいてもどんな状況に置かれていても、次のことだけは知っている。人生という大海には、太陽がさんさんとふりそそぎ、幸福あふれる理想の島々があり、魂が来るのを待っているということを。

・魂という船には必ず船長がいる。ただ、いまは寝ているのだ。さあ、彼を起こそうではないか。

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