健康長寿を願うなら、からだを「適度に」動かすこと。これ以上の黄金則はありません。怠けすぎず、頑張りすぎず。そんな“塩梅”を見極める眼力こそ、大人に必須の力です。(1)

(2025/4/18)

『101歳の習慣』

いつまでも健やかでいたいあなたに、覚えておいてほしいこと

高橋幸江  飛鳥新社  2018/2/16

<はじめに>

・2016年に著した『100歳の精神科医が見つけた こころの匙加減』は、おかげさまで全国の多くの方に読んでいただくことができました。

・この本には、101歳を迎えた私が長年続けてきたささやかな習慣や、普段から心がけていることをまとめました。

<「ほんのひと手間」の魔法>

<面倒なことも、あなたの人生の大切な断片です>

【どんなに恵まれた境遇の人でも、生きていくうえで、やっかいなことはつきまといます。「手間がかかること」に費やす時間を、無駄と見るのか。人生の大事な一瞬として、愛しむのか。決めるのは、あなた自身です。】

・よくよく考えると、100歳を超えてから、自由度がぐんと下がったような気がします。ちょっと出かけたいときも、ひとりで行くのはむずかしいので、誰かに同伴をお願いしなければいけない。歩くときは「転ばないこと」を常に心がけなければいけない。誰かと会うときは、補聴器をつけなければいけない。つまり、「面倒なこと」が増えたのです。

<手間がかかることなど、やりがいがある>

【面倒なことを、やり遂げられたとき。「今の私でも、できた!」そんな充実感を得ることができます。】

・私たちの病院では、患者さんたちの退院後の就労支援にも心を砕いてきました。

・「面倒なこと」を乗り越えて、大変なことをうまく軌道に乗せられたとき、その喜びは、とてつもなく大きいものになります。

<「煩わしさ」の先には、幸せが待っている>

【手間のかかることに取り組んだとき、ゴールの先に、予期せぬ幸せが待っていることがあります。】

・私がまだ60代だった30数年前、毎年恒例の行事として、入院患者さんたちと、日帰りのバス旅行によく出かけていました。

・「大きな喜びには、ほんの少しの手間がつきもの」そんなルールを、神様はおつくりになったのかもしれませんね。

<自分以外のことに手間をかける、という贅沢>

【年齢を重ねれば重ねるほど……。自分のことだけで、頭がいっぱいだったり、周りのことまで、手が回らなかったり。】

・美しい花は、私たちの生活に「あるとうれしい」存在です。

・園芸にまつわる知識は、どうやら時代と共に洗練されていくようです。ただ、花の美しさは、これからも普遍的な価値を保ち、私たちの心を慰め続けてくれるはずです。

<面倒に思える人ほど、本当はありがたい>

【好意的に話しかけてくれるだけではなく、批判や意見、冷やかしを投げかけてくる。そんな人ほど、あなたとの距離を縮めたいのです。】

・何歳になっても、ちょっと面倒なことのひとつに「人づき合い」があります。

・そして、相手の言葉を真に受けすぎず、話半分に聞いて、笑顔で接することを優先してみましょう。「人づき合いがいやだ」とすべてを遮断してしまうより、そのほうが楽しい人生になるはずです。

<ゆるやかな人間関係は、人生の宝物>

<人間関係は、もっとなめらかにできる>

【相手の悪いところではなく、よいところに目を向ける。そして、感謝の気持ちをはっきりと伝える。】

・人間関係を円滑にするコツについて、よく助言を求められます。そのたびにお伝えしているのが「相手を褒める」、そして「感謝の気持ちを伝える」ということです。この二点さえ忘れなければ、どんな人とでも仲良くやっていけるはずです。

<「ありがとう」を期待しない>

【相手に尽くすとき、「ありがとう」を求めてはいけません。】

・そして、あなたがもし元気であるならば。「ありがとう」という言葉を周りに向けて積極的に使っていきませんか。「ありがとう」という言葉を待ち望むより、そのほうがあなたも周囲も、幸せになれるはずです。

<区切りを意識する>

【けれども、自然の時の流れに身をまかせるだけではなく、ときには区切りをつけ、計画を立てる姿勢も重要です。】

・だからこそ、心の中で自発的に区切りを設けて、過去を振り返ったり、心を新たにしたり、時が流れていること、手持ちの時間は有限であると自覚することが大事なような気がします。

・私自身は、いつも年の瀬に「大きな区切り」を感じるようにしています。

・「大きな区切り」「小さな区切り」を体感できる有意義な計画を、楽しみながら立てていきましょう。

<与えることで、与えられる>

【「お役に立ちたい」「貢献したい」そんな気持ちは素敵なこと。ぜひ、尽力してみてください。】

・元号が平成になったころ。ささやかですが、ボランティアのお手伝いをしていました。自殺予防を目的とする、「いのちの電話」という無料の相談システムがあります。そのアドバイザーを志願する人たちの育成を、お手伝いするというボランティアでした。

・まだ心身が健やかで、自由になる時間があるという方には、「誰かのために献身する時間」を持つことをおすすめしたいと思います。

<話を聞くだけでも、相手のお役に立てる>

【さらに言うと「話しかけられること」より「話を聞いてもらうこと」を望んでいる人がほとんどです。】

・心の不調には、さまざまな名前がついています。どんな診断をするにせよ、私たち医師が「病気かそうでないか」を判断するひとつの大きな目安があります。それは「家事ができるかどうか」です。

・患者さんに限らず、どんな人も話を聞いてほしいのです。年齢を重ねた方なら、なおさらです。そんな原則を知り「聞く」ことに集中するように心がけていくと、人間関係が円滑に回り始めます。

<誠実さは、必ず届く>

【面倒がらずに、言葉を尽くす。行動を尽くす。その根底にある気持ちは、必ず相手に届くもの。】

・「認知症の人との対話は、面倒で疲れる」そう痛感している方は、多いのではないでしょうか。私も今まで、何千人もの高齢の認知症患者さんに接してきました。

・認知症の人にも、真摯に向き合えば、その気持ちや姿勢は絶対に伝わります。

<適当でもいい、周囲に寄り添っていく>

【からだが動くうちは、面倒でも外に出たり相手に合わせようと試みること。】

・とても寒い時期や、暑すぎる時期。なんだか体調が思わしくないとき。自分を守るために「じっとしていること」は、大事です。それが病気やけがを未然に防ぐことにつながるからです。

 けれども、まだ60代や70代で「気力も体力も、まだある」という方の場合。自分から積極的に外に出ていくこと。そして可能な範囲で周りに合わせていくことを、おすすめしたいと思います。

<あらゆる競争から、“卒業”していい>

【心を病むほど競ったり、人と自分を比べるなんて愚の骨頂です。】

・私は、テレビでスポーツを見るのが楽しくてなりません。

・現代は非情な競争社会です。私自身は、もうそんなステージから押し出されてしまった年代ですが、かつては医学部受験などで、“競争”の厳しさは十分に味わったものです。

・スポーツに限らず、自分の努力こそが一生の宝です。

<別れより、出会いに目を向ける>

【突然やってくる「別れ」。悲しみに慣れる必要はありませんが、とらわれすぎないようにしたいものです。】

・前を向いて生きていく限り、人との別離は必ずあります。

・そして、次の「出会い」を心待ちにする。それが苦しまず生きる、処方箋のような気がします。前を向いて生きていく限り、「別離」と同様に「出会い」も必ずありますから。

<周りの力はうまく借りる>

【人は、ある年齢を超えたところからひとつ一つ能力を手放していってよいのです。】

・101歳ともなると、それまでの生活習慣をがらりと変えざるを得なくなることもあります。たとえば、入浴時の洗髪です。自宅の風呂場で、自分の手で髪を洗うことは、最近になってやめました。

・懇意にしている美容院のシャンプー台で洗ってくださるというので、お願いすることにしました。

・ただ、お風呂は毎日、自宅で入るようにしています。「運動がてら、入浴する」ということを、自分に課しているのです。

・皆さんも、70代、80代になったら。できることとできないことの線引きを、ご自身できちんと判断する作業を、日々繰り返すようにしてください。

<笑顔に勝るお返しはない>

【誰かからやさしさをもらったとき。お返しをしたいという気持ちに駆られたら、にっこり笑顔を返しましょう。】

・年齢を重ねると「周りが気を遣ってくださるなぁ」と感じることが、飛躍的に増えます。外出すると、とくにそう痛感します。

・ともあれ、人様のご厚意や機転に感心するばかりではなく、私も周りの皆さんに、温かな気持ちをじんわりとでも届けていきたいと願っています。

<後悔のタネは、減らしておく>

【何歳になっても、親は親。死別をしても、親は親。心の中に、いつもいてくれることは間違いありません。】

・「親孝行をしたいときには親はなし 石に布団は着せられず」有名なこの言葉を。100歳を超えてもなお噛みしめることがあります。とくに、晩節の一時期を共に過ごした母については「あのとき、ああしておけばよかった」という後悔がいくつか残っています。

・もし、親御さんがすでにいないという場合。「身近にいる大事な人のささやかな願いを、ひとつでも多くかなえてあげる」そう決めて行動してみてください。

<年齢を重ねながらゆっくり考えたこと>

<年齢を重ねるほど、ユーモアを大切にする>

【誰かと共有すると、一瞬で楽しくなれる。ひとりで思い出しても、自然と笑みがこぼれる。それがユーモアの効用です。】

・長い人生を生きていくとき、ユーモアは欠かせないものだと痛感します。日々の中に笑いがあると、より楽しく過ごすことができます。

・また、頭のトレーニングにもなります。年を重ねるほど、心をユーモアで満たしていくことができれば素敵ですね。

<一日に何度か空を眺める>

【近くを見てばかりいるから、疲れを感じてしまうのです。】

・「面倒なことや嫌なことが多い」、そう感じられてならないとき。大空を眺めることを、おすすめしたいと思います。

・あなたもぜひ、1日に何度か空を眺めるようにしてください。

<時間の流れを意識する>

【自然と暮らすことで、時間を守ったり、時宜にかなおうとする姿勢を学べたら、素敵ですね。】

・植物と相対していると「世話をしてやっている」という気持ちになりがちですが、実はさまざまな自然の摂理を教えてくれます。そういった意味でも、植物との暮らしをおすすめします。

<人の持つ力を、信じる>

【コンピュータや人工知能など、最先端の力で何かが劇的に変わることを恐れすぎる必要なんてありません。それよりも、今あなたの目の前にいる人に丁寧に接することです。】

・けれども、その「手作業で磨く」という機械に置き換えられない部分は、医療の現場でもけっしてゼロにならない気がしています。

<敵の戦闘機が飛んできても、人はたくましく生きられる>

【どんな状況に追い込まれても、人はその条件で生き抜いていくことができるもの。楽天的かもしれませんが、私はそう信じています。だからこそ、先回りをして、若い人にお説教をすることは控えています。】

・戦時中の食べものの記憶についてお話ししておきたいと思います。

・毎晩のように避難命令が出るのです。どれだけ勉強に集中していても、サイレンが聞こえたら仲間たちと共に防空頭巾をかぶって、リュックを背負い、布団1枚をかついで近くの山に逃げなければなりません。

・私たちはそのとき、貴重品だった炒り大豆をポリポリと食べながら、よしなしごとを話し続けました。そのときです。Tさんと私の頭上を、当時最も恐れられていた戦闘機「B-29」がゴーゴーと飛んでいくのが見えました。それは大変な数でした。

・その大編隊の思い出は、私の頭の中でかなり薄らいできています。けれども、そのときTさんと食べていた、炒り大豆の香ばしい香りや、舌に残る味だけは、不思議に懐かしく感覚として残っているのです。そのことからも、当時はいかに食料が貴重でありがたいものであったか、察していただけることでしょう。

<死後のことくらい、自由に想像してもいいじゃない>

【人の生死にまつわることは、科学で解明できないことのひとつ。】

・「この世を去った命は、皆“天国”で楽しく過ごしている」そうとらえたいと思っています。

・非科学的に聞こえるかもしれませんね。でも、心の中にはそれくらいの自由があってもよいのではないでしょうか。

<お別れしたあなたへ。亡き父に宛てた手紙をしたためる>

【書く行為には、癒しの力があります。言葉を紡ぐことは、あなたの気持ちを楽にしてくれます。】

・自分の心を慰め、気持ちを立て直すために、ひとつ、よい方法があるのでご紹介します。それは「お別れした人に宛てて、手紙を書く」ということです。

<生きる力をくれる、ささやかなもの>

<天気の悪い日ほど、微笑んでみる>

【心を整え、前向きに立て直していくには口角を上げ、微笑んでみることです。】

・年をとると、若いころより、よくも悪くも「感覚が鋭敏になった」と感じることがしばしばあります。100歳を超え、からだが言うことを聞かなくなってくると、なおさらです。

・血圧と同じで、精神面についても、急激な乱高下はよくありません。

・溜め息をつきたくなったときは、「恵みの雨」という言葉を思い出し、鏡を見て口角を上げ、笑顔をつくってみてください。

<明るい色から力をもらう>

【「カラーセラピー」という癒しの手段もあるくらい、色には大きな力があります。】

・年齢を重ねたら、今までより一層意識したいのが、洋服の「色」です。

・だから、あなた自身が好きな色を着ればよいのです。

・さらに言うと「黒っぽい洋服」は、あまりおすすめできません。

・とくに自分の視界に入りやすい上半身は、明るい色がよいでしょう。

<掃除とは、実益を兼ねた最高の“気晴らし”>

【掃除は、そんな「義務」の代表格ではないでしょうか。】

・100歳を超え、最近はからだもだんだんと言うことを聞かなくなり、以前のように勤勉な毎日を送るということはむずかしくなりました。

・けれども振り返ると、60代、70代のころはこまめに掃除をしていたものでした。

・もともと私は、掃除が大好き。ひとつの運動、レクリエーションととらえて、よく掃除をしていました。

・最近はメディアの方からの取材で「気持ちよく老いていくコツ」をよく聞かれるのですが、「たまには掃除を楽しんでみること」を挙げたいと思います。

<身近な花が、支えてくれる>

【花は、どんなときも無条件に、心を癒してくれます。】

・遠くの地にまで足を運び、旬の花を見に出かけることは、人生の大きな楽しみのひとつでしょう。けれども年齢を重ねるにつれ、だんだんとそれが億劫になることもあります。

・花の癒しの力を、あなたの暮らしにうまく取り入れてみてください。

<守るべき小さな命が、大きな慰めをくれる>

【金魚や虫など、手間のかからないペットを飼うことは、よいことです。】

・ひとり暮らしになってから。ペットなどの生きものと暮らすことは、とうとうなくなりました。

・それも、ある年代を超えると、あらゆる力が急激にガクンと低下します。

・もし、お世話さえきちんとできるのであれば、「ほかの命と共に暮らす人生は、暮らしに喜びや楽しみを与えてくれる」精神科医の立場から、そう申し上げたいと思います。

<布団から飛び出したくなる楽しみを用意する>

【「はじめよければ、すべてよし」お楽しみを、あえて朝に準備しておくことも、おすすめです。】

・そんな葛藤を経て、「布団から出る勇気」を出して、ようやく起き上がる。

・現役でバリバリと働いていた90代半ばまで、「とにかく身支度をして外に出れば、病院に出勤できる」。そんなサイクルが出来上がっていました。

・これからの私の課題は、わざわざ勇気を発動させなくても「布団から出たくなる」。そんな仕組みをつくることかもしれません。

<酔狂なことでも、書いてみる>

【けれども人に愚痴るばかりではなく、小説仕立てで書き出してみると、創作活動へと昇華します。】

・私はときどき、自分自身のことを「目まぐるしい情報についてゆけなくなった老女」だと痛感することがあります。あなたは、そうではありませんか。「パソコンがよくわからない」

・そんなとき、自分の心を立て直すため、私はよくSF小説を書いています。SF小説といっても、原稿用紙に何十枚も書けるわけではないのですが……。

・こんな調子で、近未来のことを空想してはノートに書き綴っています。オチは、ないことがほとんど。

・昔から多くの専門家が指摘してきた事実ですが、「書く」という作業は、大きな癒しをもたらしてくれます。心の中のモヤモヤがスッキリと晴れたり、まったく新しい見方やアイデアに恵まれることもあります。

・文章の巧拙は問いません。また、SF小説に限らず、詩歌や川柳、はたまた最近流行のブログやツイッターなどでもかまいません。「書く」ことで、心を立て直す。そんな人が増えたり、互いの文章を鑑賞し合うような関係が、あちこちに築かれていったとしたら、それはとても素晴らしいことではないでしょうか。

<からだと心の声にゆっくり耳を傾ける>

<からだと話をしていますか?>

【私が今まで大病をひとつせず生きてこられたのは、自分のからだとの対話を徹底して繰り返してきたから。】

・からだの声を聞いて従うことほど、生きていくうえで大切なことはありません。そのためにはまず「直感」を磨く必要があります。

・私たちの心の中では、このような欲求が無意識のうちに絶えず湧き起こっています。人間のからだはとてもよくできていますから、欲求を察知したからだがそれをかなえようと迅速に働いています。

・自分の欲求を押し殺すことが続くと、不調や病気が引き起こされると肝に銘じておいてください。

・元気で長生きをしたいなら。むずかしいことを考えたり、さまざまな情報収集に奔走することはありません。あなた自身のからだの声に、まず耳を傾けてください。何十年も生き抜いてきたからだには、優れたセンサーが備わっています。

<からだはこまめに使う>

【健康長寿を願うなら、からだを「適度に」動かすこと。これ以上の黄金則はありません。怠けすぎず、頑張りすぎず。そんな“塩梅”を見極める眼力こそ、大人に必須の力です。】

・「寝たきりにならず、病気ひとつせず、穏やかなままで長生きをしたい」それは多くの方に共通する思いでしょう。もちろん私自身、そう願いながら日々を過ごしています。ですから健康法についても、できる範囲でアンテナを張って、情報を集めて実践しています。以前のことですが、「貧乏ゆすりで血流を改善する」という健康法が、テレビ番組で紹介されていました。直感的に「これはよい方法だ!」と、ピンときました。

・このごろつくづく思いますが、年代によって、「したほうがよい運動」と「してはいけない運動」との境界線が目まぐるしく移り変わります。

・そして90代にさしかかるころから、「歩くこと」自体に注意を払う必要が出てきました。

・気分が若いままでいるのはよいことなのですが、うかつにからだを動かすことはけがのもとになりかねません。皆様にもお気をつけていただきたいと思います。

・ですから廃用性症候群を遠ざけるためには、たとえ入院中などであっても、からだを無理のない範囲で動かすことが大事だと、医療関係者たちが警鐘を鳴らしてくれています。

・まして、入院中の身ではないのなら、なるべくからだを「使う」という気持ちで、ご近所をゆっくり散歩したり、軽い体操を行ったり、積極的に階段を上り下りするようにしてみましょう。

 途中で「疲れた」と感じたら、無理せずに椅子に腰かけて休んでください。

<危険信号は早めに出す>

【いざ始めてみるとむずかしいことがあります。そんなときは、気負いすぎず周りに助けを求めること。】

・ですが、周囲に対して「厳しくなる」「高圧的になる」「悲観的になる」などマイナスの変化である場合。ちょっと注意が必要です。

 あなた自身もそうですが、あなたの周りにもそんな変化が見られる人がいたら。早目に、なんらかの対応をとったほうがよいでしょう。お近くの精神科の受診をおすすめします。

・職業柄、昔から私のところには、多くの方々からさまざまな種類の“危険信号”が集ってきたものでした。

・ただ私の心には「世の中には、お困りの方が数多くいる」という事実が、くっきり刻み込まれています。

・危険信号をうまく発信することも、老いを充実させていくひとつの技術です。

<長寿の秘訣は、挑戦、節制、適度な負荷>

【健康情報があふれ返る今、「どうすればからだによいか」は、皆さんだいたいご承知のはず。頭でわかってはいても、自制するのはむずかしいもの。】

・世の中は健康ブームで、さまざまな商品が出回っているようです。「からだによい」とされる健康食品を買ったり、サプリメントを常飲していたり。家の中での体操を補助するような健康器具も、さまざまな種類があるようです。

 でも考えてみると、私は特段「健康のため」「長生きのため」と思ってお金を使ったことは一度もありません。

・医療関係者の知り合いも多いのですが、彼らが「健康のために何かを常用したり、常飲している」などと耳にしたことは皆無です。

・私が心がけているのは、次の三大原則です。

① 「挑戦」の要素を大切にする(数字合わせのパズル「数独」や水彩画を趣味にするなど)

② ほんと少し節制する(食事や酒量の節制)

③ からだにとって、よい負荷になることを選ぶ(自宅の階段の上り下りなど)

・そんなときには「やる」か「やらないか」。10秒間立ち止まって、考えるようにしています。

・私の場合は「150ミリリットル」という1日の上限量を決めていて、いかなるときもそれを超えないように気持ちをコントロールしています。150ミリリットルというとおちょこで3杯程度です。

・こういった10秒間の問答を自分自身と積み重ねていくことも、心身を穏やかな方向へ導いてくれる大事な習慣のひとつです。

<自炊にしがみつかなくていい>

【今まできちんと台所に立ってきた人ほど、自炊ができなくなることに罪悪感を持たれるようです。】

・101歳ともなると、70代や80代の方とはからだの自由度がまったく違ってきます。

・大きな変化のひとつは「食事の買い出しに、頻繁に行かなくなった」ということでしょう。

・ではいったい、食糧をどのように調達するのかというと、周りの方々のご厚意に支えていただいています。

・病院の職員さんたちやご近所の皆さん、身内などが、ひっきりなしにわが家を訪れ、手作りの惣菜や、さまざまなおいしいものを差し入れてくださるのです。

・たとえば、一度でも骨折をした場合、入院に至ったり、歩行がむずかしくなるなど、生活に予想以上のダメージを受けます。また小さな骨折がきっかけで、寝たきりになってしまっては大変です。

・100歳という節目も無事に越せたわけですから、自然の流れにさからわず、できる範囲で、ゆるりゆるりと過ごしていきたいと願っています。

<食事は「おいしくいただける量」が適量>

【「たくさん食べることこそ、元気な証拠」そう思い込んでいる方が、なんと多いことでしょうか。あらゆる生命維持活動は、縮小していくものです。】

・人は年代で体重が増減します。あくまで一般論ですが、40代以降は「メタボ体型」という言葉に象徴されるように、「やせていく」より、「太り始める」人が増えます。

・そして、70代や80代以降ともなると、今度は「やせ始める」人が目立つようになります。それにともない、食事量も自ずと減少します。かくいう私の体重は、現在35~36キログラムの間を推移しています。30キロ台というと驚かれることもあるのですが、昔からやせているほうだったので、とくに問題があるわけではありません。ただ、食べる量は70代、80代のころよりも確実に減ったという実感があります。

・健康診断などで、なんの異常もなければ、少食気味になったことを心配しすぎることはありません。

・今では、お饅頭などの甘いものは、朝にいいただくようにしています。小さなお饅頭1個と、小さなヨーグルト1個と、お茶1杯。それで私の朝食は十分です。「おいしい」と思いながらいただける限界量です。

・「食べたくないときは、無理して食べる必要はない」「少食は、気にしなくてよい」「おいしく食べられる量こそ、その人の適量」こんな言葉を、皆さんに贈りたいと思います。

<寒い場所に、身を置かない>

【「寒い」と自分で気づいて、移動できる。調節を試みることができる。そんな姿勢を身につけておきましょう。】

・年齢を重ねると、気を遣うことのひとつに「寒さ対策」があります。

・100歳を超えた今ではとてもむずかしいのですが、60代のころは電車の窓を独力で開閉することができたものでした。

・体温は高めのほうが、あらゆる病気にかかりにくいという説があります。体温を下げないためには、周囲の気温を下げないことが、まず重要です。また、あなたのからだの自由がそろそろ利かなくなっているのであれば、周りの人にうまく声をかけて、快適な室温を保つことを習慣化していくことができれば、理想的です。

<両手を使えば、脳に刺激を与えられる>

【利き手でないほうの手も、お遊びでよいので、ときに活用してみましょう。認知症を遠ざけられるかもしれません。】

・実は私は、生まれつきの左利きです。皆さんご存じのように、昔は「左利き」というと大変な「悪」とされ、周りの大人たちに厳しく矯正されるというのが一般的な流れでした。

・利き手ではないほうの手も、積極的に使うことは、よい脳トレになるでしょう。今の私は「認知症が遠ざかりますように」という期待を込めて、両手を同様に使うようにしています。

<家の中でも運動はできる>

【自宅でもできる簡単な運動を、いくつか考えて習慣化しましょう。】

・健やかに長生きしたいと願うとき。欠かせない「運動」について、お話ししておきましょう。運動といっても、80代、90代を超えると外での活動はなかなかむずかしくなるものです。

・そんな方は、自宅の中で活動量を増やせるよう、工夫をしてほしいと思います。運動量を増やしたり、運動の強度を上げたり。日常生活を通してからだによい効果を及ぼすことは、意識次第で十分可能です。

・同じ姿勢でいることの弊害として、エコノミークラス症候群や糖尿病など、さまざまな病気の発症リスクが指摘されています。ですから私は、座ったままの姿勢でいても、ときどきからだを動かすように気をつけています。

・とはいえ、激しい動きではまったくありません。ラジオ体操よりもっと簡単な動きのもの。たとえば、椅子に腰かけたまま両手を上に気持ちよく伸ばす、といった程度のストレッチです。単なる背伸び、といってもいいかもしれません。でもその程度の運動でも、やるのと、やらないのとでは大違いなのです。

・「何も動かないよりは、動くほうがいい」心理的なハードルをそれくらいに下げて、楽しくからだを動かしてみましょう。100歳を超えた私でも、えっちらおっちらからだを動かせているわけですから、皆さんならもっと効率よく、運動量をかせげるはずです。

<がんとも一緒に仲良く生きる>

【ふたりにひとりが、がんになると言われる時代。たとえがんになったとしても、その病名に負けない心が大切です。治療の手を尽くしたあとは、がんを自分の分身ととらえてみましょう。】

・年齢を重ねると、心身に不調が生じることは珍しくありません。また、それにはっきりとした病名がつくことも多いものです。

・がんになったことがきっかけで、心の治療が必要なほど落ち込んだり、前を向く気力を奪われたりする方は珍しくありません。

・積極的な治療に挑戦するにせよ、経過を看察するにせよ、「がんとだって、共に生きていく」。そんな心の持ち方を、習慣にしてみてはいかがでしょうか。

<おわりに>

・この年齢になると、正直なところ、楽しみの選択肢は自動的に狭くなってしまいます。

・水彩画を趣味にしてから、「何を描こうか」と被写体を探す視点で周りを眺めるようになりました。

・たとえ、自由に動き回れる身ではなくても。「幸せの種」を増やすことを習慣にする。

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