年をとって幸せになるには、また、充実した毎日を手にするためには、なによりこれまでの「考え方」を切り替えていくことが重要です。私はこれを「マインドリセット」と呼んでいます。(2)

・バターにしても、マーガリンにしても、健康にいいとはいえませんが、90歳にもなって、いまさら食べるのを控えようとは思いません。

【カップラーメンのお湯で野菜もゆでる】

<皮をむく果物は、めんどうなので食べない>

・女性は果物が好きだというイメージがあるようですが、私の場合は当てはまりません。正確にいうと、果物が嫌いなのではなく、皮をむいたりするのがめんどうだから食べないのです。リンゴや梨などは、めんどうくさい果物の代表です。

・料理するのは嫌いじゃないのに、リンゴや梨の皮をむくのが、めんどうくさいなんて不思議です。

【「おいしい」より「手軽」をとることも】

<結構使える、スーパーの安売りコーナー>

・最近はスーパーの安売りコーナーで、少し古くなった野菜なども買うようになりました。以前は目もくれなかったのですが、人間、変われば変わるものです。

【老後なんてない、常に現役】

<規則正しい生活なんて、したことない>

・若い頃から医者の仕事と芝居をかけ持ちでやっていましたから、年がら年中、睡眠不足だったかもしれません。規則正しい生活をしようと思ったことは、一度たりともありません。

・「転ばぬ先の杖」ということわざ通り、外を歩くときは、晴れている火でも傘を杖代わりにして歩きますが、雨が降れば、傘を差せるので便利です。

【傘は、急な雨にも使えて一石二鳥】

<たばことお酒は付き合い程度にたしなむ>

・医者の立場からすると、喫煙は勧められませんが、私は2カ月に1回ぐらい吸いたくなります。お酒は、20代の頃は少し飲んでいました。

・せっかく90過ぎまで生きてきたのに、アルコール中毒で亡くなったなんて、シャレになりません。

・喫煙が肺がんのリスクを高めるのは確かですが、たまに何の問題もなく歳を重ねていく人もいるのです。もし肺がんになる体質だったら、とっくの昔になっているでしょう。

・喫煙をしてストレスを感じるよりは、好きなだけたばこを吸って人生を謳歌するほうが、よほど健康的です。たしなむ程度の喫煙はストレスもなく、免疫力も上がるのだと私は信じています。

【信じる者は、救われる】

<身体の“異変”は「やめて」のサイン>

<時代に刃向かわず、ストレスを受け流す>

・私は子どもの頃は病弱で死にかけたりもしましたが、大人になってからは、大きな病気をしたことがありません。

・いわゆる内臓の深刻な病気はしたことがありませんが、便秘症やひょう疽など命に関わらないような病気はたくさんしています。

【「そのうち、見てろよ」の精神で生きる】

<両足の親指が巻き爪になり、もだえ苦しむ>

・歳を取ってから両足の親指が巻き爪になってしまい、何度もひょう疽になったことがあります。

・歳を重ねると、思いもよらぬ身体の変化で不便を被り、痛い思いをすることがあります。ですが、ここまで生きてこられたからこそ、痛みも経験できるのだ、と前向きに考えると、不思議と少し痛みがやわらぐ気がします。

【どんな痛みも、生きてこそ】

<98歳なのに、血液検査で「異常なし」>

・転んで頭にたんこぶができ、硬膜下血種の手術をして以来、手術とは縁がなかった私ですが、98歳になってから白内障の手術をしました。

・血液検査で「どこにも異常はありませんよ」といわれたときには、ちょっと恥ずかしくなりました。98歳にもなって何の異常もないなんて、おかしいんじゃないかと思ったくらいです。

・みなさん、ある程度の歳になったら、食べたいものを食べ、好きなことをしましょう。そのほうがストレスなく、長生きできるように思います。

【健康にこだわらないことに、こだわる】

<便秘とこむら返りは漢方で治す>

・私はよく便秘になります。一般的に処方される便秘薬に、「酸化マグネシウム」がありますが、私は漢方薬に頼っています。また、こむら返りになったときも漢方に頼ります。

【漢方と仲よく付き合う】

<急いで食べると胃痛が起きる>

・私は転んでケガをしたり、便秘になったり、ひょう疽になったりはしますが、なぜかインフルエンザにはかかったことがありません。

・早食いなどの行儀の悪い食べ方をすると、てきめんに胃が抵抗を示すのです。

【早食いは胃痛のもと】

<サプリメントは絶対に飲まない>

・雑誌や新聞などで健康に関する記事を見ない日はありません。テレビの健康番組もしかり。

・そんな私が、これだけは摂らないというものがあります。それは、サプリメントです。テレビでもサプリメントの宣伝が花盛り。

・私は「本当かな?」と疑ってしまいます。サプリメントなど飲まなくても、普段の食事で栄養を摂れば十分だと思うからです。

・高齢になれば、常用薬も多くなり、そうした薬との相互作用で予期せぬ事態になることも考えられます。

・サプリメントを飲まなくても、99歳まで生きている私のような人間もいるのですから、あまり効果を過信しないほうがいいと思います。

【サプリメントは信用しない】

<肌の保湿に手を抜くと、しっぺ返しをくらう>

・私は劇団を主宰する一方、舞台女優として舞台にも立っています。舞台女優だから肌のお手入れも万全なのだろう、と思われるかもしれませんが、50歳くらいまではあまりしていませんでした。

・それで、いまはクレンジングクリームでお化粧をぬぐった後、普通の石けんで洗顔し、化粧水をつけてからナイトクリームでマッサージをしています。

【いくつになっても、保湿は大事】

<誰とも会わなくても、お化粧は欠かさない>

・女優として舞台に立つときは、ドーランを塗り、ど派手な化粧をします。

・外出するときはもちろん、自宅にいるときでもバッチリお化粧をします。

【素顔を見せないことは、女の“たしなみ”】

<浴槽は、年寄りにとっての“死刑台”>

・歳を取ってからは、もっぱらシャワーだけにしています。それはヒートショックがこわいからです。

・ヒートショックとは、気温の変化で血圧が急降下し、心臓や血管の疾患が起こることをいいます。

・できるだけ浴室の内と外の温度差を小さくするために、洋服を脱ぐ前に、浴室の中をシャワーで温めておくのも重要です。

・いまは水洗トイレですから、水を流せないと困ります。浴槽に水を張っていると、それだけで安心感があります。「おばあちゃんの知恵」といったところです。

【ちょっとした油断が、命とりになる】

<99歳になっても人生は最高>

<結婚しなくても、幸せになれる>

・私は99歳になる現在まで、伴侶を持たず、ひとりで生きてきました。

・それでも結婚もせず、今日まで来たのは、両親の影響が少なからず、あるかもしれません。私の両親は事実婚でした。いまの時代なら珍しくもないでしょうが、大正時代に夫婦別姓というのは滅多にないことだと思います。

・そんなわけで、私も妹も戸籍上は「庶子」でした。

・「まずは自立しなくては」というので、母と同じ医師という職業を選んだわけです。

・医者の仕事は大変でしたが、生活できるくらいの収入はありました。そのおかげで、なんとか劇団を維持していくことができました。

・私は男性とは結婚しませんでしたが、医者と芝居という2つの仕事と結婚したようなものです。

【夢中になるもののために、生きる】

<好きな人がいなければ、生きる意味がない>

・私が生きた時代は「女は結婚して家庭を持って初めて一人前」だと思われていました。私の両親は事実婚をした変わり者だったせいもあり、私に「結婚しろ」とはいいませんでした。

・私の同級生は、ほとんどが結婚相手を探すために入学したようなもの。相手は外交官か、いい大学を卒業した男性です。いまでいう婚活パーティのようなものもありました。

・いまのように、女性から告白することなどできない時代ですから、「どうやったら、相手を振り向かせることができるか」と、あれこれ策を練ったりしていました。

【人を好きになることほど、すばらしいことはない】

<いくつになっても、正々堂々と生きる>

・このように、私はまったくの機械オンチなので、パソコンも自由には繰れず、付き人をしてくれている劇団員に原稿を打ち込んでもらっています。

・高齢者が機械オンチになるのは、世の常、何も恥ずかしいことではありません。「老い」を否定的にとらえず、「こういう世の中になったのか、すごいなあ」と感心すればいいのです。

【わからないことは、臆せずに尋ねる】

<炊飯器を一度も洗わなくたって、死なない>

・歳を取ると、人間ができてきて、生活も規則正しく、部屋の中も整然としていると思われるかもしれませんが、私はそうではありません。掃除をするのが苦手で、洋服が山のようになっていることもあります。

・そのため、誰からも「炊飯器のお釜は洗うものだ」と教えてもらったことがなかったのです。人間の思い込みとはおそろしいものです。

【小さいことは気にしない】

<探し物にくたびれ、「壁に留める」ことを思いつく>

・大切なものを透明なA4ファイルやビニールの袋に入れて、画鋲で壁に留めておくのです。

・「物忘れがひどくなった」と嘆く前に、やれることはあります。できないことに目を向けるのではなく、できることに意識を向け、工夫する。それがシニア世代の生きる知恵なのです。

【ビニール袋と画鋲は、探し物がなくなる魔法の道具】

<死後の手続きをすますと、生きる気力がみなぎる>

・私はいままで、自分の死んだ後のことを考えたことがありませんでした。つまり、世間でいう「終活」というものをやろうとしたことがなかったのです。

・私には子どもがいませんから、亡くなった後のことは自分で決めておかないといけません。そんなことを、99年間生きてきて、初めて意識したのです。

 たまたま私の元患者さんで、死んだ後の手続きをしてくれる会社の人がいたので、「善は急げ」とばかりに、マンションなどの財産処理や、死んだ後は樹木葬にしてほしいことなどを依頼し、お金も払いました。これで、ひと安心。あとは、やりたいことをやるだけです。

・むしろ、「これから第2の人生を楽しめるぞ」と思って、やりたいことに果敢にチャレンジするべきです。

【終わりよければ、すべてよし】

<孤独で死にそうだった友人が、別人のようになったワケ>

・行動することが大事なのは、若者も高齢者も同じです。身体を動かさないと筋肉がみるみる減っていく高齢者のほうが、より重要ともいえます。

 私も他人事ではなく、今日も老体に鞭打って、せっせと買い出しに出かける毎日です。

【年寄りこそ、行動を起こそう!】

<100歳で実現したい夢が目前に迫ってきた>

・99歳になるまでには、両親をはじめ、多くの友人・知人を見送ってきました。私もいずれは亡くなるだろうけれども、まったく死ぬ気配がありません。

・寝たきりになって周囲の人の世話になるのも、お断り。楽にぽっくり逝くのが理想でしょうか。よく役者が「舞台の上で死にたい」といいますが、実際にそうなったら、まわりの人に大迷惑をかけてしまうので、それも困ります。

・年齢からいうと、いつ死んでもおかしくないのですが、いまから死ぬことを考えてもしょうがないと思っています。不安が頭をよぎったときは、「次、何をしようか」と考えるようにしています。

【「次はアレしよう」と考えながら旅立ちたい】

<ストレスは「ええい!」でかわす>

<心の内を隠して、その場のやりすごす>

・私が生きてきた時代は、男女平等とはいいがたく、いまでいうセクハラもやりたい放題、言いたい放題でした。

・人間関係で悩むことが多いという人は、自分を役者だと思って、私のように演技をするのも、世の中をうまく渡っていく一つの方法かもしれません。

【ときに演技で、自分を守る】

<「あのやろう!」と叫んでストレス発散>

・私は劇団を主宰しているので、いろいろな人と関わりを持ちます。

・「ええい、あのやろう!」と叫びながらやれば、効果バツグン。すっきりすること、まちがいなしです。気持ちが落ち着いたら、割れた落雁をおいしくいただきます。

【大声で叫ぶと、気持ちがすっきりする】

<馬と猫で癒される>

・残念ながら、いま、猫は飼っていません。猫を飼いたくて、わざわざマンションを引っ越したのですが、引っ越した後に規約が変わり、ペット禁止になってしまったのです。

・本物の猫が見たくなったら、近所にあるペットショップに行き、かわいい子猫と対面します。見るだけならタダですから。

【定期的に猫に癒してもらう】

<嫌なことがあった日は、時代劇で溜飲を下げる>

・ふだんテレビはあまり見ないほうですが、時代劇はときどき見ます。ケーブルテレビに時代劇の専門チャンネルがあるので、いつスイッチを入れても時代劇が見られます。

・見終わると、心の中にたまっていた不満や恐怖心から解放され、気持ちが落ち着くのです。

・時代劇を見る時間は、私にとって非日常感を味わう、貴重なひとときなのです。

【家の中でも手軽に現実逃避ができる】

<好きな本やマンガで気分転換>

・私は舞台女優もやりますが、脚本家でもありますから、本はよく読みます。

・たとえば、池波正太郎の時代小説。これは気にいって何度も読んでいます。時代小説のほかに、頭の休息になるのがマンガです。

マンガは子どもの読むもの、と思っている人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。大人でも意外とハマります。

【マンガは超後期高齢者でも楽しめる】

<フラッとひとりで出かける小旅行が好き>

・旅行が大好きで、よくひとりで出かけていました。旅行といっても、遠くに行くわけではありません。関東平野がメインです。

・それに比べて、昔ながらの旅館で出される料理は、豪華ではありませんが、なんともいえない味わいがあります。

・当時、女性のひとり旅は自殺志願者じゃないかと疑われることが多かったので、無理もありません。

・旅行が好きなら、海外にもよく行ったんじゃないかと思われがちですが、私には絶対に行けない理由があります。極度の高所恐怖症で、飛行機に乗れないのです。なんと悲しいことでしょう。

やはり、私は地に足がついた鉄道で移動するほうが安心。魔女は魔女でも、空を飛べない魔女のようです。

【魔女にも、弱みはある】

<ただただ、好きなことをやっているだけ>

<医者と芝居の二足のわらじを履いたわけ>

・私が芝居に目覚めたのは6歳のときです。父が芝居好きで、よく私を連れて劇場に行っていたのです。

・それに、当時もいまも、役者になるということは、貧乏生活を余儀なくされることを意味します。

・98歳まで週5で働いていましたが、金食い虫の劇団を主宰しているので、生活はいつもぎりぎりの綱渡り状態。

 でも私は、人の一生は「どれだけ金銭的に豊かだったか」ではなく、「いかに好きなことに夢中になったか」で決まると思っているので、後悔は1ミリもしていません。だからといって、“毎日がバラ色”とまではいえず、七転び八起きの日々なのですが、それを含めて人生だと思って、楽しむようにしています。

【人間しょせん、好きなことしか続かない】

<診療の場でも役を演じる>

・クリニックにはいろいろな患者さんが来ます。私は役者をやっているので、患者さんに合わせて対応を変えることがあります。

・「うるせぇ! わがまま、いうんじゃねぇ!」そうしたら、いきなりシュンとなりました。内心、してやったり。根は気弱な青年なのでしょう。そういう輩には、思い切ってバシッといったほうがいいのです。それからはスムーズに診察ができました。

・こういう貴族みたいな話し方は、女学校で覚えました。私は平民の子として生まれましたが、住んでいたところが山の手で、入学したのがお嬢様学校だったのです。

・「郷に入っては郷に従え」の言葉どおり、学校では猫をかぶって過ごしました。なにしろ、「私」は「わたくし」、父親を「おもうさま」、母親を「おたあさま」と呼ぶような世界です。

【「演じること」を覚えると、苦難を乗り越えやすい】

<女の医者を嫌う患者もいる>

・患者さんとの対応で、腹が立ったことがあります。年配の患者さんに多いのですが、私の顔を見た瞬間、「女の先生はヘタだからダメだ、男の先生じゃないと」という人がいるのです。なんと失礼な言いぐさでしょう。

 しかも、男性の患者さんではなく、女性の患者さんに多いのです。無意識のうちに「男のほうが女よりも優秀だ」と思っているのでしょう。

・「医は仁術」という言葉があります。患者さんの症状だけでなく、家族関係などを把握することが、回り回って症状の改善につながることもあるのです。

【怒っても仕方のないことには、怒らない】

<お姑さんのご機嫌を取るのも医者の務め>

・「お姑さんが百草丸を飲ませてあげたから、膿もきれいに取れたんですよ」すると、納得したかのように「そうだったんですか。お世話になりました」といって電話を切りました。

「嘘も方便」といいますが、お嫁さんが責められないようにするのも、医者の務めです。バカ正直に対応するだけが能じゃないということですね。

【「嘘も方便」をフル活用】

<人生は“想定外の出来事”の連続>

・最近、病院に行くと「患者様」という呼称がやたらと目につきます。昔は医者のほうがいばっていて「患者は、医者のいうことを聞いていればいいんだ」と高飛車な態度を取っていました。

 いまでも、そういう医者はいるでしょうが、近年は病院経営がむずかしくなって、患者さんをお客様扱いしなくてはいけなくなったのでしょう。

・私は、患者さんとは友達か親戚のような付き合いをしてきました。

・そういってメスを入れたとたん、膿が勢いよくピュッと飛び、なんと、私の目の中に入ってしまったのです。「ひゃあ」と大声を上げて大騒ぎ。患者さんは口を開けたまま、呆然としています。

【ときに動揺するほうが、人間らしく見える】

<火災報知器に助けられる日々>

・私は料理をしているときでも、台所を離れてリビングのテーブルで仕事をすることがあります。原稿を書いたり、脚本を書いたり、いろいろやります。そうすると、ガス台にお湯をのせていることをすっかり忘れてしまうのです。

 いまのガス台は便利になっていて、鍋が焦げ付いてけむりが出ると、警報音がキャンキャンキャンと鳴って知らせてくれます。

・火災報知器のない時代だったら、火事になっていたところです。現代は安全装置が完備されていて、本当に助かります。

【うっかりミスはあっても、繰り返さないようにする】

<芝居のためなら、ダイエットもなんのその>

・私が50代の頃は、わりと太っていて、芝居の衣装が入らないことがよくありました。

・公演の日は決まっていますから、その日までには痩せる必要があります。世の中にはダイエットの仕方はごまんとありますが、私のダイエット方法はたった一つ。1カ月間、同じ果物だけ食べ続けるというもの。普通の食事は一切しません。たとえば、バナナを1日に1本だけ食べるのです。

・バナナのほかには、オレンジ・ダイエットもしました。これも1日に1個だけオレンジを食べるのです。1カ月もすると、5~6キロは痩せられます。

・手っ取り早く痩せるには食べる量を減らすに限るので、バナナ1本、オレンジ1個という果物ダイエットが最も適しているというわけです。

・人間、食べなければ、絶対に痩せます。ただ、私のような極端な食事制限はダメです。身体によくないし、いっとき痩せても、すぐに元に戻ります。決して、私のようなムチャなダイエットは真似しませんよう。

【99歳のいまも、ダイエットをすることも】

<戦争だけは、あの世にいっても反対する>

<戦争体験だけは忘れられない>

・それに伴い、日本でも軍備拡大が当たり前のように叫ばれています。

・日本で戦争が始まったのは、私が女学校の2、3年生ぐらいのときだったと思います。

・そのうち、食べるものが少なくなり、配給制になりました。配給といっても、たくさん配られるわけではありません。戦争が激化すると、最後にはサツマイモの葉っぱだけになりました。サツマイモはアルコールの材料になるというので、貴重品だったのです。

 私の両親は農家の出身だったので、庭にカボチャを植えて食べたりしました。やがて配給だけでは食べていけなくなっていたのです。

・疎開している間は、医学生としてやるべきことがありました。その頃、山梨県には日本住血吸虫という寄生虫による感染症が流行していたため、私たち予科の学生は、子どもたちの検便をして感染していないか調べていたのです。

 

・ところで、戦時中の有名な食べ物といえば、すいとんです。すいとんにサツマイモの葉っぱを入れて、煮て食べました。

・この状態がいつまでも続いてほしいと思いますが、世の中はどんどんキナ臭い方向に向かっています。戦争だけは早く終わってほしいと切に願います。

【戦争のことは、語り続けたい】

<戦争中に見た恐ろしい現実>

・1945年3月10日、米軍機が襲来し、東京の下町を中心に爆撃しました。世にいう東京大空襲です。

・「これじゃ、友人の家も、もうダメかもしれない」そう思いながら、浅草に駆けつけました。地下鉄の外に出たら、一面、焼け野原です。何もかもが焼けてしまっていました。友人の家は跡形もなくなっていたのです。

 友人を探し回っているとき、マネキンが何体も転がっていました。「この辺にマネキン工場があったっけ?」などと能天気なことを考えていたら、それは火の熱で亡くなった死体でした。それが道をふさぎ、またいで歩かなければならないほどだったのです。

 洋服も、髪の毛も眉毛も全部焼け、蒸し焼き状態になったからか皮膚の色も薄赤く変色しています。みな、お地蔵さんのようなツルッとした顔をしていました。こわいというより、「戦争って、こういうものなんだ」と、改めて戦争の悲惨さを痛感したのです。とても現実の世界とは思えませんでした。

・東京大空襲では、約10万人が亡くなったといわれています。戦争を始めるのは、政治家や軍人ですが、犠牲となるのは普通の庶民なのです。

【戦争の犠牲者は、庶民】

<戦争中は毎日「爆弾が落ちてこないように」と祈っていた>

・1945年8月15日。天皇の声がラジオから流れてきました。玉音放送です。なんだか意味がよくわかりませんでしたが、父が「戦争が終わった」とつぶやいたのを覚えています。

・黒い布をはずすと家の中が一気に明るくなり、本当に戦争が終わったのだと実感しました。と同時に、庭に掘った防空壕のなかで「ここに焼夷弾を落としませんように」と祈らなくてもいいんだと、ホッとしたのでした。

・当時、我が家には1匹の飼い猫がいました。名前を「クリ」といいます。真っ白な猫で、戦争中は黒い服を着せていました。身体が白いと、アメリカの戦闘機に見つかって機銃掃射されてしまうという理由で、白い犬や猫は飼ってはいけないといわれていたのです。

・人間も食べるのに困っていた戦争中に、動物を飼うなど、ぜいたくと思われていたのです。

・その日の夕食は、あいかわらず、サツマイモの葉っぱを入れたすいとんでしたが、明るい電灯の下で食べる食事は格別でした。

【戦争中は、誰もが限界を超えてガマンしている】

<演劇で原爆の悲惨さを表現する>

・コロナ禍が収まったら最初に上演しようと思っていたのが、『核、ゲンバクって?』という演目です。タイトルのとおり、原爆を取り上げた詩劇になります。

・私たちのような小さな劇団であっても、戦争反対の意思表示をしたい。そう思って公演を行ったのです。

【99歳でも「戦争反対」の声を上げ続ける】

<戦争は人間を狂わせる>

・けれども戦争では必ず、多くの人間が死にます。幼い子どもも巻き込まれます。生き残った家族も地獄のような苦しみを味わいます。

 私は生きているかぎり、戦争の悲惨さを演劇で伝えていきたいと思っています。

【最後まで自分の使命をまっとうする】

2023/7/29

『不食という生き方』

秋山佳胤  幻冬舎    2016/5/24

<食べなくてもいい>

◎2008年以降、一切の飲食が不要

◎食べる量を減らすと頭がさえる

◎空腹に慣れたとき、プラーナだけで生きられた

◎過食は心の飢えが原因だった

◎トイレは普通よりも少ないくらい

<食べなくてもいい>

<2008年以降、一切の飲食が不要>

・私は2008年3月以降、一切の飲食が不要になりました。いわゆる不食(ふしょく)です。

 不食というのは、水も食べ物も摂取しない状態ですが、誤解のないように申し上げると、私は「無理に」それを実践しているわけではありません。

・今は、家族や友人との食事会などでたまにいただく程度です。お腹が減っているからではなく、場の雰囲気も大事にしたいからです。

不食を始める以前の私は、1日2食ですが、しっかり食事をしていました。

・私は弁護士です。弁護士になるまでに6年近くかかりました。要するに司法試験に落ち続けたからですが、その浪人時代の前半はすさまじい不摂生の日々でした。体を壊してしまった挙句にアパートの自室で栄養失調のために倒れ、友人に助けてもらったこともあります。

・そのとき、しみじみ感じました。まずは体をしっかり作ろうと、そのために生活スタイルを改善しました。そんなある日、書店で気功の本が目に留まりました。東洋医学の本を読みふけった私は初めて、気功のすごさを知りました。

 面白いのは、私自身が科学の世界にどっぷり浸かった人間であるにもかかわらず、見えない世界の代表選手でもある「気の世界」を自分の生活に採り入れることで、見違えるように元気になったことです。

 集中力が急激に上がり、短時間で法律書を頭に記憶できました。

・【不食を無理に実践しているわけではない。やりたいからやっているだけ。「食べないと死ぬ」は、本当なのか。固定観念を疑ってみる】

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