むしろ、私は、高齢になればなるほど、怖いのは認知症より老人性のうつ病だと思っています。だからまず、70代80代の時期に大切なのは意欲を失わないことになります。(1)

(2025/5/4)

『100歳の超え方』

未知なる「人生100年時代」のための新常識

和田秀樹  廣済堂新書  2023/11/4

<はじめに  これからの「100歳までの道のり」のために>

・私は35年間も高齢者専門の精神科医をやっていますが、たしかにそんなに多くの百寿者を診ているわけではありません。

<プロローグ 長生きするほど、楽しみが増えてくる>

<「長生きしてよかった」を素直に受け入れよう>

・とにかく昔から「長生きして損した」と不満を漏らした人はまずいません。

<100歳を見通せば、老い先がゆったりしてくる>

・この「ゆっくり構える」というのは、長い高齢期を健康に生き抜くためにも大切な気持ちになっていきます。でも、身体が動かなくなってもできることはたくさんあります。

<不自由になっていくのが自然の老い。それを嘆いても始まらない>

・要するに、老いて衰えていく中にも楽しみの種はいくつも転がっているし、むしろ70代80代にその楽しみの種をたくさん蒔いた人ほど、幸せな100歳を迎えられるということです。

<「死ぬまでポクポク生きていこう」でいい>

・急がない、あわてない、競争しない、無理しない、ノルマも目標もつくらないで、ただポクポクと歩いていく。

<100歳は周囲の高齢者に希望を与える>

・運のいい90代を迎えることができる人でなければ、100歳のゴールにはたどりつけません。

<幸せな時間が長く残されていると思えば>

・「いま」が幸せと思えるようになれば、意欲も生まれてきますし過去を悔やむこともなくなります。

<「気がつけば100歳」の人の共通点>

<「うっかり100歳になってしまった」>

・100歳近い人たちにお話を聞くと、「いつのまにかこんな歳になっていた」という言葉をよく聞きます。

<60歳からの40年間こそ、自分らしく生きるための大切な時間>

・60歳から100歳の40年間こそ、自分が自分であるために最適で最後の時間なのです。

<80代でアプリを開発した若宮正子さん>

・81歳でスマホアプリを開発したと話題の若宮正子さんのことは、みなさんもご存じだと思います。

<友達はいたほうがいい。でも、それは人間でなくてもいい>

・ひとり暮らしになり、友もいなくなった。そんなとき、助けになるのは人間だけだとは限りません。何かをつくる、自分のことを書いてみる。その先にインターネットでつながってみる。まだまだできそうなことはたくさんあります。

<断捨離なんて考えなくていい>

・自分の趣味で断捨離がお好きなら構わないと思いますが、人に強要するのはよくありません。

<「年下の友達」をつくろう>

・高齢になってもお元気な方の共通点は、何より年下の友達がいることです。

<100歳まで生きる人の最大の共通点「わがまま」であること>

・長生きの秘訣は、相手に合わせない、協調しないということです。

<柔軟性のあるわがままが長生きにつながる>

・自分の流儀は譲らなくても、新しい出来事も受け入れてみる。そういう柔軟性のあるわがままな高齢者が長生きすると感じています。

<老いは冒険。楽しんで生きる>

・100歳を生きる人に必要なのは、なんでも楽しんで生きるように工夫する気持ちです。

<幸せな長生きのために、いまあなたがたができること>

<老後に、いろいろな手を出すのは恥ずかしいことではない>

・ある俳句を楽しむ高齢の男性がいました。定年後から始めた俳句でしたが、才があったのでしょう。めきめき腕をあげていき、カルチャースクールから結社に入り、事務能力の高さをかわれ、事務局も手伝っています。

<心変わりや変節はどんどんしたほうがいい>

・私は心変わりや変節はむしろよいことだと思っています。

<高齢者がネットを利用するときの注意点とは?>

・高齢者もインターネットを利用して、もっと世界を広げてほしいと思っています。しかし問題もあります。

<歳をとったら、できるだけ言葉に出して気持ちを伝えよう>

・男性に多いのですが、老いると言葉数が少なくなる方がいます。高齢者の集まりでも女性がお喋りで盛り上がり、男性はむっつりしている。

<ぼんやりと機嫌よく過ごす。隠居生活のすすめ>

・人生100年を穏やかに行き切るなら、「目指せ、隠居道」の境地も必要かもしれません。ぼんやりとしている時間が増えてくるというのは少しも悪いことではないのです。

<できなかったことより、できたことをカウントする>

・まだまだ、あなたにはできることがあるはずです。それを喜んでいきましょう。

<「ひとりを楽しめる自分」をつくる>

・老齢期に入るときに必要なことはひとりでいる力をつける、ひとりでも楽しめる技を持つことだと思っています。

<自分の自由を守るために在宅での暮らしを大事にする>

・私は孤独死が不幸だとも限らないと思います。

<「60の手習い」、いまなら「80の手習い」>

<80歳でも、新しいことに挑戦できる>

・いまや「80の手習い」の時代なのかもしれません。

<「80の手習い」で人生のアーチストになる>

・100歳まで退屈せずに命を楽しむ秘訣はアーチスト気質になってみることだと思っています。

<「興味を持ったらやってしまえ」が長生きできる時間の使い方>

・やってみたかったけれど、やれなかったこと。あなたにはありませんか。高齢になったいまだからこそ時間をつくれます。そして現代では、インターネットという武器で、家を出なくても習うことも交流を広げていくこともできます。

<人間には、新しいテクノロジーに対する順応性がある>

・それでも、昭和生まれは、ついついスマホを難しいものだと考えてしまいます。

<高齢になってからのテクノロジーの上手な使い方>

・若者ではなく高齢になった私たちこそテクノロジーの恩恵をフルに利用して快適に暮らしていいと思います。

<「好奇心」が持って生まれたあなたの可能性を活かす>

・昭和世代は、日本が先進国だと思っている方も多いと思いますが、実は経済的にも文化的にもどんどん落ち込んでいるというのが事実です。

 国も高齢者も、元気でいるためには好奇心が必要だと思います。

<70歳を過ぎたら人の目を気にしない>

・ダンスは、認知症予防の効果があると言われています。私は、介護予防の中に体操だけでなく音楽に合わせて踊るダンスや盆踊りを取り入れてほしいと思います。

<達観するとは、日々の生活を楽しむこと>

・達観するというのは、よく食べ、よく寝て、機嫌よく過ごすことではないかと思いました。

<身体の老いなんか、気にしなくていい>

<畑仕事のおばあちゃんはなぜ、長寿なのか>

・80代90代になっても畑に立つような人たちは、日光を存分に浴びながらいろいろなことを考えて暮らしている。たったこれだけのことでも脳は大いに刺激され、しかも快活に暮らすことができます。

<「出かける用事がない」を「出かける用事ができる」に変える>

・日光を浴びるというのは、どんなに高齢になっても難しいことではありません。

<「高齢者のサロン化」している商店街のファストフード店>

・ファストフード店が高齢者のサロン化しているというのは、都会も大勢の100歳予備軍がいるということでしょう。

<ひとりで暮らしているという誇りと満足感は、とても大事>

・そう思えば、自分をほめたくなります。どんな年齢になってもひとりでちゃんと暮らしているというのは、それだけで誇りを持っていいはずです。

<来年、再来年のために種を蒔き続ける>

・つまり、作業に取り組むのは1年単位だとしても、つねに来年、再来年のことを考えます。

<とにかく種を蒔く。何が実るかは90過ぎてからわかる>

・でも私は、ある年齢を過ぎたらもう身体の衰えは受け入れるしかないと思っています。できないことが増えてくるのは当たり前、うまくいかない、時間がかかる、すぐに疲れてしまう、ぜんぶ当たり前です。

<80歳を過ぎても「いまがいちばん若い」と考える>

・だとしたら、やってみたいことや試してみたいことがあるなら、むしろ「いまならできる」という考え方があってもいいはずです。

<雑になることはたくましく生きるということ>

・10歳でも元気に動いている人には、そういう雑さが自然に備わってくるような気がします。それがたくましさというものでしょう。

<少しずつ「雑さ」に慣れていこう>

・「昔のようにはいかない」といっても、何もかもできなくなるわけではありません。時間はかかっても、完ぺきではなくても、できることはまだまだあるはずです。

<できることが少なくなっても大きな楽しみは育っていく>

・できることがどんなに少なくなっても、100歳まで生きる人はその中に楽しみを見つけ、自分で育てていくことができる人なのでしょう。

<すべての病は、老いの友>

<100歳過ぎたら、死因は「寿命」>

・でも、ある年齢を超えると、人間は病気ではそう簡単に死にません。それ以外の病気でも同じです。認知症だってゆっくりしか進みません。

 そう考えると、100歳はもう、病気と闘う年齢ではありません。病気を飼いながら一緒に生きていく年代です。

<100歳ともなれば医者はひれ伏すしかない>

・そうは言っても60代70代はまだ試練の時期です。健康診断で脅され、診察で脅されます。数値なんかどうであれ、医者は100歳の人に何も言えません。要するに、食べたいものを食べて長生きできれば、怖いものなしです。100歳になったら医者なんか見下していいのです。

<医学の常識くらいは当てにならないものはない>

・ただ、はっきり言えることは、健診の結果示されるさまざまな数値の異常には、放置すれば病気になるというエビデンス(根拠)がないケースがほとんどなのです。

<閉じこもってしょぼくれたら100歳にはなれない>

・長寿の人は意外に肉をたくさん食べて生きてきました。100歳まで生きる人は違います。80代90代の高齢期になってもよく笑うし、「やってみるか」と意欲的に暮らしています。

<「意欲の低下」こそ100歳への壁になる>

・100歳の壁を乗り越える人は、いくつになっても生きる意欲を失わなかった人なのです。

<日本人に適した健康法を実践しないと意味がない>

・私が「コレステロールなんか気にしなくていい」と主張するのは、高齢になったらダイエットなんかしなくていいと考えているからです。

・日本人の死因のトップはがんで、虚血性心疾患が死因となるのはがんのわずか「10分の1」未満です。つまり、日本の幸齢者はメタボを恐れたり予防する必要なんかないのです。少なくとも、アメリカ人ほど恐れる必要はありません。

<認知症でも感情のやり取りができれば人は集まってくる>

・ところが、たとえ認知症でも100歳まで生きる人は違います。感情豊かでよく笑い、泣いたりも怒ったりもします。認知症は90歳を過ぎた高齢者なら大部分の人が発症します。いわば老化の自然現象のひとつに過ぎません。

<立ちはだかるのは認知症より前頭葉の機能低下>

・むしろ、私は、高齢になればなるほど、怖いのは認知症より老人性のうつ病だと思っています。だからまず、70代80代の時期に大切なのは意欲を失わないことになります。

<60代70代こそ「やってみないとわからない」で生きよう>

・そこで、老いの自覚も薄い60代70代の頃から、意識して前頭葉を鍛えて意欲を高める必要があります。

<あなたと向き合おうとしない医者に治療意欲はあるのだろうか>

・まず、その医者に治療意欲があるのかどうか、ということです。

<心を励ましてくれるかかりつけ医を探そう>

・医者は病気を治すプロには違いありませんが、自分の身体をいちばん知っているのは患者本人です。

<介護から始まる人生がある>

<「生きててもしょうがない」は老いへの冒険>

・とにかく、ネガティブな言葉はまわりを疲れさせるのです。

<安楽死は幸せなのか?>

・高齢者のみなさんが「生きてても仕方ない」「人の迷惑になりたくない」とばかり唱えていると、へんな高齢者対策ができてしまうかもしれません。

<「私たちのことを私たち抜きで決めないで」>

・高齢者人口が増えたいまだからこそ、障害者にも高齢者にも優しい町づくりをすすめていってほしいと思います。

<高齢者こそ「勝手に決めるな」と声をあげていい>

・高齢者こそ「私たち抜きで決めないで」と声をあげてもいいときが来ているのかもしれません。

<介護されることを受け入れる>

・老いるということは誰かに頼るしかなくなるときが来るものです。そういうときは機嫌よく介護されてみる心持ちでいたいと思います。

<自分の介護プランを考えておく>

・介護されること、それは私たちにとって未知な領域です。新しい経験でもあります。しっかり準備して、介護される生活を味わってみましょう。

<「転ばぬ先の杖」と仲良くなる>

・まだ歩けるのなら、杖をつき、押し車を押して、散歩や買い物に出かけましょう。足腰と脳トレのためにも、よろよろ歩くのは恥ずかしいと思ってはいけません。

<「してほしい介護」「してほしくない介護」をはっきりと口にする>

・「2025年問題」という言葉をご存じだと思います。2025年以降、団塊の世代がすべて後期高齢者に突入します。変えていくためには、現役後期高齢者の意見が必要です。

<90歳になったら10年日記をつけ始めよう>

・100年の人生に向かって、10年日記を買ってみましょう。歳をとったからこそ見える世界があるかもしれません。

<エピローグ 手を取り合って100歳を目指そう>

<見渡せば、100歳を目指す仲間ばかり>

・いまよりもっと、100歳を目指す仲間同士としてつき合ってみてもいいような気がします。

<個人差が大きい高齢者同士。だからこそ励まし合おう>

・私は、老いの個人差がどんなに大きくても、声を掛け合って励まし合い、老いに負けそうな人を元気づけてあげるのはとても大事なことだと思っています。

<とぼとぼ歩くと、道のりは長くなる>

・そういう仲間が何人かいれば、全員で励まし合って100歳のゴールを目指すことも可能です。

(2025/4/18)

『101歳の習慣』

いつまでも健やかでいたいあなたに、覚えておいてほしいこと

高橋幸江  飛鳥新社  2018/2/16

<はじめに>

・2016年に著した『100歳の精神科医が見つけた こころの匙加減』は、おかげさまで全国の多くの方に読んでいただくことができました。

・この本には、101歳を迎えた私が長年続けてきたささやかな習慣や、普段から心がけていることをまとめました。

<「ほんのひと手間」の魔法>

<面倒なことも、あなたの人生の大切な断片です>

【どんなに恵まれた境遇の人でも、生きていくうえで、やっかいなことはつきまといます。「手間がかかること」に費やす時間を、無駄と見るのか。人生の大事な一瞬として、愛しむのか。決めるのは、あなた自身です。】

・よくよく考えると、100歳を超えてから、自由度がぐんと下がったような気がします。ちょっと出かけたいときも、ひとりで行くのはむずかしいので、誰かに同伴をお願いしなければいけない。歩くときは「転ばないこと」を常に心がけなければいけない。誰かと会うときは、補聴器をつけなければいけない。つまり、「面倒なこと」が増えたのです。

<手間がかかることなど、やりがいがある>

【面倒なことを、やり遂げられたとき。「今の私でも、できた!」そんな充実感を得ることができます。】

・私たちの病院では、患者さんたちの退院後の就労支援にも心を砕いてきました。

・「面倒なこと」を乗り越えて、大変なことをうまく軌道に乗せられたとき、その喜びは、とてつもなく大きいものになります。

<「煩わしさ」の先には、幸せが待っている>

【手間のかかることに取り組んだとき、ゴールの先に、予期せぬ幸せが待っていることがあります。】

・私がまだ60代だった30数年前、毎年恒例の行事として、入院患者さんたちと、日帰りのバス旅行によく出かけていました。

・「大きな喜びには、ほんの少しの手間がつきもの」そんなルールを、神様はおつくりになったのかもしれませんね。

<自分以外のことに手間をかける、という贅沢>

【年齢を重ねれば重ねるほど……。自分のことだけで、頭がいっぱいだったり、周りのことまで、手が回らなかったり。】

・美しい花は、私たちの生活に「あるとうれしい」存在です。

・園芸にまつわる知識は、どうやら時代と共に洗練されていくようです。ただ、花の美しさは、これからも普遍的な価値を保ち、私たちの心を慰め続けてくれるはずです。

<面倒に思える人ほど、本当はありがたい>

【好意的に話しかけてくれるだけではなく、批判や意見、冷やかしを投げかけてくる。そんな人ほど、あなたとの距離を縮めたいのです。】

・何歳になっても、ちょっと面倒なことのひとつに「人づき合い」があります。

・そして、相手の言葉を真に受けすぎず、話半分に聞いて、笑顔で接することを優先してみましょう。「人づき合いがいやだ」とすべてを遮断してしまうより、そのほうが楽しい人生になるはずです。

<ゆるやかな人間関係は、人生の宝物>

<人間関係は、もっとなめらかにできる>

【相手の悪いところではなく、よいところに目を向ける。そして、感謝の気持ちをはっきりと伝える。】

・人間関係を円滑にするコツについて、よく助言を求められます。そのたびにお伝えしているのが「相手を褒める」、そして「感謝の気持ちを伝える」ということです。この二点さえ忘れなければ、どんな人とでも仲良くやっていけるはずです。

<「ありがとう」を期待しない>

【相手に尽くすとき、「ありがとう」を求めてはいけません。】

・そして、あなたがもし元気であるならば。「ありがとう」という言葉を周りに向けて積極的に使っていきませんか。「ありがとう」という言葉を待ち望むより、そのほうがあなたも周囲も、幸せになれるはずです。

<区切りを意識する>

【けれども、自然の時の流れに身をまかせるだけではなく、ときには区切りをつけ、計画を立てる姿勢も重要です。】

・だからこそ、心の中で自発的に区切りを設けて、過去を振り返ったり、心を新たにしたり、時が流れていること、手持ちの時間は有限であると自覚することが大事なような気がします。

・私自身は、いつも年の瀬に「大きな区切り」を感じるようにしています。

・「大きな区切り」「小さな区切り」を体感できる有意義な計画を、楽しみながら立てていきましょう。

<与えることで、与えられる>

【「お役に立ちたい」「貢献したい」そんな気持ちは素敵なこと。ぜひ、尽力してみてください。】

・元号が平成になったころ。ささやかですが、ボランティアのお手伝いをしていました。自殺予防を目的とする、「いのちの電話」という無料の相談システムがあります。そのアドバイザーを志願する人たちの育成を、お手伝いするというボランティアでした。

・まだ心身が健やかで、自由になる時間があるという方には、「誰かのために献身する時間」を持つことをおすすめしたいと思います。

<話を聞くだけでも、相手のお役に立てる>

【さらに言うと「話しかけられること」より「話を聞いてもらうこと」を望んでいる人がほとんどです。】

・心の不調には、さまざまな名前がついています。どんな診断をするにせよ、私たち医師が「病気かそうでないか」を判断するひとつの大きな目安があります。それは「家事ができるかどうか」です。

・患者さんに限らず、どんな人も話を聞いてほしいのです。年齢を重ねた方なら、なおさらです。そんな原則を知り「聞く」ことに集中するように心がけていくと、人間関係が円滑に回り始めます。

<誠実さは、必ず届く>

【面倒がらずに、言葉を尽くす。行動を尽くす。その根底にある気持ちは、必ず相手に届くもの。】

・「認知症の人との対話は、面倒で疲れる」そう痛感している方は、多いのではないでしょうか。私も今まで、何千人もの高齢の認知症患者さんに接してきました。

・認知症の人にも、真摯に向き合えば、その気持ちや姿勢は絶対に伝わります。

<適当でもいい、周囲に寄り添っていく>

【からだが動くうちは、面倒でも外に出たり相手に合わせようと試みること。】

・とても寒い時期や、暑すぎる時期。なんだか体調が思わしくないとき。自分を守るために「じっとしていること」は、大事です。それが病気やけがを未然に防ぐことにつながるからです。

 けれども、まだ60代や70代で「気力も体力も、まだある」という方の場合。自分から積極的に外に出ていくこと。そして可能な範囲で周りに合わせていくことを、おすすめしたいと思います。

<あらゆる競争から、“卒業”していい>

【心を病むほど競ったり、人と自分を比べるなんて愚の骨頂です。】

・私は、テレビでスポーツを見るのが楽しくてなりません。

・現代は非情な競争社会です。私自身は、もうそんなステージから押し出されてしまった年代ですが、かつては医学部受験などで、“競争”の厳しさは十分に味わったものです。

・スポーツに限らず、自分の努力こそが一生の宝です。

<別れより、出会いに目を向ける>

【突然やってくる「別れ」。悲しみに慣れる必要はありませんが、とらわれすぎないようにしたいものです。】

・前を向いて生きていく限り、人との別離は必ずあります。

・そして、次の「出会い」を心待ちにする。それが苦しまず生きる、処方箋のような気がします。前を向いて生きていく限り、「別離」と同様に「出会い」も必ずありますから。

<周りの力はうまく借りる>

【人は、ある年齢を超えたところからひとつ一つ能力を手放していってよいのです。】

・101歳ともなると、それまでの生活習慣をがらりと変えざるを得なくなることもあります。たとえば、入浴時の洗髪です。自宅の風呂場で、自分の手で髪を洗うことは、最近になってやめました。

・懇意にしている美容院のシャンプー台で洗ってくださるというので、お願いすることにしました。

・ただ、お風呂は毎日、自宅で入るようにしています。「運動がてら、入浴する」ということを、自分に課しているのです。

・皆さんも、70代、80代になったら。できることとできないことの線引きを、ご自身できちんと判断する作業を、日々繰り返すようにしてください。

<笑顔に勝るお返しはない>

【誰かからやさしさをもらったとき。お返しをしたいという気持ちに駆られたら、にっこり笑顔を返しましょう。】

・年齢を重ねると「周りが気を遣ってくださるなぁ」と感じることが、飛躍的に増えます。外出すると、とくにそう痛感します。

・ともあれ、人様のご厚意や機転に感心するばかりではなく、私も周りの皆さんに、温かな気持ちをじんわりとでも届けていきたいと願っています。

<後悔のタネは、減らしておく>

【何歳になっても、親は親。死別をしても、親は親。心の中に、いつもいてくれることは間違いありません。】

・「親孝行をしたいときには親はなし 石に布団は着せられず」有名なこの言葉を。100歳を超えてもなお噛みしめることがあります。とくに、晩節の一時期を共に過ごした母については「あのとき、ああしておけばよかった」という後悔がいくつか残っています。

・もし、親御さんがすでにいないという場合。「身近にいる大事な人のささやかな願いを、ひとつでも多くかなえてあげる」そう決めて行動してみてください。

<年齢を重ねながらゆっくり考えたこと>

<年齢を重ねるほど、ユーモアを大切にする>

【誰かと共有すると、一瞬で楽しくなれる。ひとりで思い出しても、自然と笑みがこぼれる。それがユーモアの効用です。】

・長い人生を生きていくとき、ユーモアは欠かせないものだと痛感します。日々の中に笑いがあると、より楽しく過ごすことができます。

・また、頭のトレーニングにもなります。年を重ねるほど、心をユーモアで満たしていくことができれば素敵ですね。

<一日に何度か空を眺める>

【近くを見てばかりいるから、疲れを感じてしまうのです。】

・「面倒なことや嫌なことが多い」、そう感じられてならないとき。大空を眺めることを、おすすめしたいと思います。

・あなたもぜひ、1日に何度か空を眺めるようにしてください。

<時間の流れを意識する>

【自然と暮らすことで、時間を守ったり、時宜にかなおうとする姿勢を学べたら、素敵ですね。】

・植物と相対していると「世話をしてやっている」という気持ちになりがちですが、実はさまざまな自然の摂理を教えてくれます。そういった意味でも、植物との暮らしをおすすめします。

<人の持つ力を、信じる>

【コンピュータや人工知能など、最先端の力で何かが劇的に変わることを恐れすぎる必要なんてありません。それよりも、今あなたの目の前にいる人に丁寧に接することです。】

・けれども、その「手作業で磨く」という機械に置き換えられない部分は、医療の現場でもけっしてゼロにならない気がしています。

<敵の戦闘機が飛んできても、人はたくましく生きられる>

【どんな状況に追い込まれても、人はその条件で生き抜いていくことができるもの。楽天的かもしれませんが、私はそう信じています。だからこそ、先回りをして、若い人にお説教をすることは控えています。】

・戦時中の食べものの記憶についてお話ししておきたいと思います。

・毎晩のように避難命令が出るのです。どれだけ勉強に集中していても、サイレンが聞こえたら仲間たちと共に防空頭巾をかぶって、リュックを背負い、布団1枚をかついで近くの山に逃げなければなりません。

・私たちはそのとき、貴重品だった炒り大豆をポリポリと食べながら、よしなしごとを話し続けました。そのときです。Tさんと私の頭上を、当時最も恐れられていた戦闘機「B-29」がゴーゴーと飛んでいくのが見えました。それは大変な数でした。

・その大編隊の思い出は、私の頭の中でかなり薄らいできています。けれども、そのときTさんと食べていた、炒り大豆の香ばしい香りや、舌に残る味だけは、不思議に懐かしく感覚として残っているのです。そのことからも、当時はいかに食料が貴重でありがたいものであったか、察していただけることでしょう。

<死後のことくらい、自由に想像してもいいじゃない>

【人の生死にまつわることは、科学で解明できないことのひとつ。】

・「この世を去った命は、皆“天国”で楽しく過ごしている」そうとらえたいと思っています。

・非科学的に聞こえるかもしれませんね。でも、心の中にはそれくらいの自由があってもよいのではないでしょうか。

<お別れしたあなたへ。亡き父に宛てた手紙をしたためる>

【書く行為には、癒しの力があります。言葉を紡ぐことは、あなたの気持ちを楽にしてくれます。】

・自分の心を慰め、気持ちを立て直すために、ひとつ、よい方法があるのでご紹介します。それは「お別れした人に宛てて、手紙を書く」ということです。

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