泉さんが、いわば「正規軍」をつくろうとしているのに対して、私がいまやっているのは「ゲリラ戦」だ。ゲリラ戦に取り組む理由の一つは、私が終末期のがんであることも影響している。(2)
<付加価値の配分はどう決まるのか?>
・企業は、売り上げから売上原価を差し引いた額(粗利益)を、賃金、利子、税などの支払いと、利潤に充てる。この額は「付加価値」とほぼ等しい。したがって、賃金の総額は付加価値によって制約される。
・問題は、付加価値の分配がどのように行われるかである。それは、労働者と経営者の交渉で決まるのだろうか? つまり、両者の力関係で決まるのか?
ここから、経済学の話が始まる。経済学は、そうではないと考えられている。結論をいえば、賃金は労働の限界生産力に等しいように決まるとされているのである。その意味で、賃金は労使が自由に決められるものではなく、経済的・技術的な関係によって決まるのだ。
<利潤を最大にするように、労働の投入量を決める>
・では、賃金はどのように決まるのか?企業は、労働Lと資本Kを用いて付加価値Yを生産する。その関係は、技術的に決まっている。
<賃金はいかなる要因で決まるか?>
・第3の要因は、技術進歩だ。技術水準Tが高いほど、所与の労働力と資本量に対応した資金が高くなる。例えば、デジタル化を進めることによって、資金が高くなるだろう。
これらの条件が満たされない限り、賃金が恒常的に上がることはない。政府が春闘に介入したところで、賃金が上がるわけではないのである。
例えばある企業が、賃金を最適値より高く設定したとしよう。短期的には賃金が上がるが、その企業の利潤は減り、長期的には淘汰されることになるだろう。
<産業別・規模別の賃金格差をもたらすのは、分配率でなく資本装備率の差>
<賃金決定のメカニズムを探る>
・ただし、賃金がどのようなメカニズムで決まっているのかを分析するのには、賃金だけでなく、付加価値や資本装備率などのデータが必要だ。
<1人当たりの給与賞与年額は370万円だが、企業規模で大きな差がある>
・1人当たりの給与は、企業規模によって大きな差がある。資本金10億円以上の企業では575万円なのに対して、5000万未満では300万円程度だ。このように2倍近い格差がある。
従業員の分布を見ると、資本金10億円以上の企業には、全体の18.6%しかいない。それに対して、資本金5000万未満の企業には、全体の32.6%の従業員がいる。
・「日本の平均賃金が低いのは中小零細企業が多いからだ」と言われるが、表面的に見る限り、確かにそのとおりだ。
<問題は生産性の格差>
・では、企業規模によって賃金格差が生じるのは、なぜだろうか?まず、労働分配率を見ると、どの規模でも60%程度で、ほとんど違いがない。むしろ、大企業のほうが低い。分配率に大きな差がないにもかかわらず賃金の差が生じるのは、生産性(従業員1人当たりの付加価値)に差があるからだ。
・資本装備率は大企業が著しく高い。そして、資本装備率が高いほど1人当たりの付加価値が増大することが分かる。これは、経済理論の結論と一致する。しばしば、「零細企業の賃金が低くなるのは、非正規労働者が多いからだ」と言われる。確かに、表面的に見ればそうかもしれない。
しかしこれは、因果関係を逆に捉えたものだ。零細企業では、生産性が低いために、非正規労働者に頼らざるを得ないのである。そして、零細企業で生産性が低くなるのは、資本装備率が低いからである。
<正規・非正規の問題>
・法人企業統計調査では、正規・非正規の区別は分からない。
非正規従業員の労働時間は正規従業員のそれより短いので、従業員1人当たりの資金が非正規で低くなるのは、ある意味では当然と言える。
この点を調整するために、「フルタイム当量」という概念が用いられるべきだが、法人企業統計調査ではその調整は行われていない。
<産業別にも大きな賃金差がある>
・賃金は産業によって大きな差がある。電気業が最も高く720万円。最も低いのは宿泊業、飲食サービス業で206万円と、大きな開きがある。
・賃金構造基本統計調査では医療保険部門の賃金はかなり高くなっているのだが、法人企業統計調査では医療、福祉業の賃金は最低クラスに入っている。これは、法人形態の医療、福祉業には、病院よりも介護施設が多いためではないかと思われる。
<分配率は企業規模で差がないが、資本装備率で大きな差>
・労働分配率は多くの産業が50~60%程度で、ほとんど差がない。宿泊業、飲食サービス業が87%と非常に高い。
では、資本装備率はどうか? 電気業が極端に高い。この産業の賃金が高いのは、参入制限があるからかもしれないが、資本装備率の高さも大きな原因だ。また、ガス・熱供給・水道業も高い。
・売上高に対する付加価値の比率は、むしろ、宿泊業、飲食サービス業や生活関連サービス業、娯楽業など、賃金が低い産業で高い。
これらのことから、産業別に見ても、賃金格差は生産性の差によるとの結論が得られる。
<これまでの賃上げ政策が有効でなかった理由>
・小規模企業や対人サービス業の賃金が上がらないのは、生産性(1人当たりの付加価値)が低いからだ。そして、生産性が低いのは、資本装備率が低いからだ。
もし労働分配率の違いが賃金格差の原因であれば、企業に賃上げを要請したり、税制によって賃上げを促したりする政策も効果があるかもしれない。しかし生産性の低さが原因であれば、こうした施策は意味がない。
これまで日本政府は、低賃金の原因を正しく認識していなかったため、有効的な政策を打ち出すことができなかったのである。
<日本はIT革命に対応できなかった>
<日本は90年頃まで成長を続けたが、その後停滞>
・このように、80年代には目覚ましい成長を遂げた日本が、90年代からほとんど成長しなくなった。
その要因は、アメリカがIT革命を実現し、日本が対応できなかったからだ。
<急速な成長で日本を抜いた韓国>
・90年代末には、アジア通貨危機が発生した。1997年のタイ通貨バーツの暴落を引き金に、アジア諸国に投資されていた資本が一斉に米ドルに逃げ、各国の通貨が暴落したのだ。そして、アジア諸国は、対外債務の返済不能、金融システム危機、巨額の不良債権などの問題に襲われた。韓国も例外ではなく、通貨が暴落し、財閥が連続倒産した。国際通貨基金がタイ、インドネシア、韓国の支援に乗り出し、「IMF管理」と呼ばれる状態に陥った。
・韓国の成長率は今後も変わらず、1人当たりGDPで日本を追い越し、差が開いていく可能性が強い。
<日本はIT革命に対応できなかった>
・1990年代以降のアメリカの高い成長率の要因が、アメリカが先導したIT革命であったことは明らかだ。
・なお、この時期に起きたもう一つの重要な変化として、中国の工業化が挙げられる。
・これによって、日本の地位が低下したことは間違いない。それも、日本の1人当たりGDPが伸びなかった大きな原因だ。
<日本では情報通信産業の比率があまり大きくない>
・製造業の縮小は、日本だけではなく、先進国に共通の現象だ。
・ところが、日本の場合には、製造業の比率は低下したが、代わりに増えたのは生産性の低いサービス産業だった。
・日本の場合、情報通信業の付加価値生産額は、2020年度で27兆円しかない。これは、卸売小売業や不動産業の半分にもならない。日本は、新しい産業構造への移行で、著しく後れを取っている。
<パートタイマーの増加を考慮することが必要>
<指標によって結果が違う>
・日本と韓国の豊かさが接近している。OECDのデータによれば、2020年の平均賃金は、日本が3万8514ドル、韓国が4万1960ドルで、韓国のほうが高い。
しかし、国民1人当たりのGDPでは、日本4万88ドル、韓国3万1638ドルで、日本のほうが高い。
<生産性が高く少数精鋭なら、1人当たりGDPは低い場合がある>
・この問題を検討する手がかりは、「生産性」の数字にある。これは、GDPを就業者数で割ったものだ。OECDの資料で生産性を見ると、韓国が日本より高くなっている。
<パートタイマーを考慮したモデルが必要>
・しかし、これだけで日本と韓国のケースが説明できるわけではない。2019年の労働力率を見ると、男性は日本が71.4%で韓国が73.6%と、韓国のほうが高い。男女計では、日本が62.1%で韓国が63.6%と、韓国のほうが高い。また、女性も、日本が53.3%で韓国が53.9%と、韓国がやや高い。
そのため、前項で述べたモデルよりももう少し複雑なモデルが必要だ。それは、日本の場合にパートタイム労働が多いことを考慮したモデルである。
・賃金支払額は付加価値の半分であるとすれば、フルタイムが10で、パートは5だ。
<「フルタイム当量」という概念>
・次に、平均賃金の計算を行ってみよう。パートタイム労働者分を調整するために、OECDの統計では、「フルタイム当量」という概念を使っている。
これは、例えば、フルタイムの就業者の半分しか働かないパートタイマーは、1人ではなく、0.5人とカウントしようというものだ。
・実際のデータを見ると、韓国ではパートタイム労働者の比率が著しく低い。右のモデルが現実の姿をそのとおり示しているというわけではないが、おおよそ妥当なものだと評価することができるだろう。
・「フルタイム当量」の考え方は、OECDだけでなく、アメリカなどの、さまざまな統計で用いられている。パートタイム労働者が増えてくると、経済の実態を把握するためにフルタイム当量の概念を用いることが必要になる。日本は世界の中でもパートタイム労働者が多いので、こうした概念の統計を作成する必要性が高い。それにもかかわらず、実際の統計ではこうした概念が用いられていない。
<日本と韓国のどちらが豊かなのか?>
・以上の検討によって、国民1人当たりのGDPと平均賃金、あるいは生産性のどれを見るかによって見え方が異なる場合がある理由が分かった。しかし、「では、どちらの国が豊かなのか?」という問題が依然として残っている。
・その意味では、平均賃金が高い国のほうが豊かだと言えよう。また、賃金が高ければ、一定の所得を得るための労働時間は少なくて済む。そして、働かない時間は、経済的な意味を持っている。それが多いという意味では、高賃金が豊かさの指標としてより適切だと言える。また、就業者1人当たりのGDPが高いということは、高度な技術を持っていることを示すとも言える。
以上を考えると、1人当たりGDPより、賃金や生産性のほうが豊かさを適切に表している指標だと考えることができるだろう。
<社会体制と政策の固定化が、産業構造の改革を阻止した>
<高度成長を支えた製造業>
・日本の産業構造は、1950~60年代の高度成長を通じて大きく変わった。農業と軽工業を中心としたそれまでの産業構造から、重化学工業を中心とする産業構造に転換したのだ。そして、製造業が高度成長を支えた。
・1970年代のオイルショックで日本の回復が早かったのは、製造業が省エネを進めて原油価格高騰に対応し、また、賃金を抑えることによってインフレの亢進を回避したからだ。
<中国工業化の影響で製造業が打撃を受ける>
・しかし、1970年代後半になると、製造業と非製造業の成長率に差が生じてくる。これは、中国工業化の影響である。製造業は1980年代に停滞に陥り、90年代から2000年代の初めまでは、停滞どころか付加価値が減少する事態になった。さらに、2008年のリーマンショックによって、製造業の付加価値は大きく落ち込んだ。
・就業者数で見ると、1973年には、製造業1440万人に対して、卸売小売業と飲食店の合計が1077万人だった。この頃に比べれば、現在の製造業のウエイトは、大きく低下した。2021年における製造業の就業者数は1045万人であり、「卸売小売業」の1069万人とほぼ同じだ。
・1975年には両者はほぼ等しかったのだが、2021年には、製造業の付加価値が81.3兆円に対して、非製造業の付加価値が218.7兆円と、2.7倍になっている。いまや製造業は、日本のリーディングインダストリーとは言えない。
<政策体系がいまだに製造業中心>
・製造業の比率が低下したにもかかわらず、いまだに政策や社会構造に反映されていない。
・産業構造が変わったのだから、それに応じて社会の仕組みも変わるべきだ。そうならなかったことが、いまの日本経済の停滞をもたらしたと考えることができる。
<医療・福祉以外に成長産業がない>
・問題は、医療・福祉以外に就業者が顕著に増加している産業がないことだ。就業者が増えているのは、情報通信業だけだ。
・こうして、2000年以降、医療・福祉を除けば、日本の産業構造はほぼ固定化してしまった。つまり、日本では、この20年間、産業構造の転換が進んでいない。
社会の構造や政策が、製造業中心の時代から変わっていないと述べた。このことが、新しい産業を生み出すための障害になっている可能性が高い。最初に就職した企業でいつまでも働くという仕組みや退職金が人々の企業間移動を阻害していることなどもその一例だ。
<アメリカでは大きな構造変化が起きた>
・アメリカでは、製造業のファブレス化が進んでおり、半導体の分野で顕著だ。
・こうして、アメリカの産業構造は、この20年間で一変した。
しかし、日本では、それに対応した変化が起きていない。ファブレス化も、キーエンスなどごく一部の企業に限られている。
<日本では新しい産業への人材移動が起きていない>
・日本経済にとっての重要な課題は、人口高齢化による就業者総数減少下で、成長産業の労働力をどのように確保するかだ。
現状、うまくいっていないことを象徴するのが、雇用調整助成金だ。
・なお、人材不足が深刻なのは、医療・福祉だけではない。デジタル人材の不足も深刻だ。これに対応するには、リスキリングだけで十分でない。高等教育機関でのデジタル分野の拡充が必要だ。
・まとめれば、次のようになる。
1、1950~60年代の高度成長期と70年代のオイルショックへの対応において、製造業が中心的な役割を果たした。
2、しかし、1970年代後半から中国工業化の影響によって、製造業が頭打ちになった。それにもかかわらず、社会構造や企業の構造、経済政策の体系は、それまでと同じ製造業中心の仕組みで変わらなかった。
3、1990年頃から日本全体の経済成長が止まった。経済制度が古いままなので、新しい産業が生まれない。
<GDPの構造を無視する経済政策は有効でない>
<企業会計では「利益」を重視し、「付加価値」を軽視する>
・企業の経済活動を測定する基本的な指標は、「付加価値」だ。そして経済全体の活動規範を測定する指標は、付加価値の合計であるGDPだ。
・それにもかかわらず、これまで両者はバラバラに論じられることが多かった。
・このように企業の業績が付加価値ではなく利益によって評価されるのは、企業を投資の対象として見ているからだろう。
<生産活動、付加価値、GDP>
・売上高から売上原価を差し引いたものを「付加価値」という。
・一定の期間に国内で生産された付加価値の合計を「GDP」という。これが「生産面から見たGDP」だ。
<支出面から見たGDP>
・生産されたもののうち、それ以上加工が加えられないものを「最終財・サービス」という。これには、家計消費、住宅投資、設備投資、政府消費、政府投資がある。公務員のサービスは、政府消費に含まれる。
・この点を調整するために、GDP統計では、「在庫投資」が最終需要の一項目として設けられている。在庫投資まで含めて考えれば、最終需要の合計は、生産面から見たGDPに等しくなることが分かる。そこで、以上で述べたものを「支出面から見たGDP」という。
<分配面から見たGDP>
・企業の生産活動によって生み出された付加価値は、さまざまな生産要素に分配される。それらを経済全体で合計し、雇用者報酬、財産所得、企業所得に分類する。これに固定資本減耗を加えたものが、分配面から見たGDPだ。
・ところで、一企業におけるこれらの合計額が付加価値であり、経済全体の付加価値が「生産面から見たGDP」だ。そのため、分配面から見たGDPは、生産面から見たGDPに等しいことが分かる。そして、すでに述べたことにより、支出面から見たGDPとも等しい。これを「三面等価の原則」という。
<政府も付加価値を生産する>
・「生産面からのGDP」の説明では、付加価値の生産主体として、民間企業を想定した。しかし、付加価値の生産主体としては、国や地方公共団体などの公共部門も含まれる。そして、公務員が「公共サービス」を生産していると考えている。
<固定資本減耗は巨額>
・GDPの計算でこれに対応するのが、「固定資本減耗」だ。分配GDPの一項目として計上されているが、誰の所得にもならない。
<なぜ三面等価の原則は重要なのか?>
・例えば賃金を増加させたいとしよう。もし他の分配項目を減少させたいのであれば、分配面のGDPが増加する。したがって、三面等価の原則から、生産面で付加価値の合計も増加しなければならない。
・デジタル化もそうだ。デジタル化を進めるとは、付加価値生産の構造を改革することだが、分配面や支出面の変化を伴わなければ実現できない。これまでの賃上げ政策やデジタル化政策に有効性がなかったのは、このような観点を欠いているからだ。
<第2章のまとめ>
1、 1990年代の始めに、製造業が人減らしを始めた。これは、中国工業化の影響だ。それによって従業員1人当たりの売り上げは増えたが、ビジネスモデルの改革が行われなかったため、賃金は上昇しなかった。非製造業では、人員を増やしたため資本装備率が低下し、賃金を上げることができなかった。
2、 賃金は労使交渉によって決まるものだと考えている人が多い。しかし、その考えは間違っている。賃金の水準を決めるのは付加価値であり、それを決める資本装備率と技術水準だ。これらが改善されない限り、長期的に賃金水準が上がることはない。
3、 賃金は、企業規模や産業によってかなり大きな差がある。しかし、これは賃金への分配率の違いによってもたらされるものではない。分配率は、むしろ賃金の低い部門で高い。賃金の差は、資本装備率の差によってもたらされる。
4、 90年代に起きたIT革命に対応できなかったため、日本はアメリカに抜かれた。一方、韓国は成長を続けている。
5、 韓国は、平均賃金水準で日本を抜いた。しかし、1人当たりGDPで見ると、日本のほうが高い。では、どちらが豊かな国なのだろうか? この問題を考えるにあたって、パートタイム労働者の比率が、重要な意味を持つ。「フルタイム当量」で測る必要がある。
6、 製造業は高度成長期の日本の中心産業であったが、70年代後半以降、中国工業化の影響で比重を落とした。それにもかかわらず、社会体制も政策も変わらなかったので、新しい産業が成長できなかった。アメリカで大きな構造変化が起きたのと対照的だ。
7、 GDPは、生産面、支出面、分配面のどれから見ても同額になる。そのため、ある面で変化が生じれば、他の面にも影響が及ぶ。これまでの経済政策は、この点を無視しているので、有効打になり得なかった。
<今後の日本経済はどうなる?>
<第3章のまとめ>
1、 日本の成長率が低い理由として、出生率の低下という人口要因が強調されることが多い。確かにこれは重要な要因だ。一般に、人口高齢化が進むと、経済成長率が下がる傾向がある。しかしこれは、さまざまな施策によって克服できないものではない。とりわけ重要なのは、女性の労働力率の向上、移民の受け入れ、高等教育の充実だ。
2、 少子高齢化によって、日本の労働力は将来減少する。高齢者や女性の労働力率を引き上げる必要があるが、それで生産性が高まるかどうかは疑問だ。一方、日本の経済的地位の低下により、外国人労働者に見放される可能性もある。労働力不足に対処するための強力な施策は、デジタル化の推進だ。ChatGPTなどのAI技術は、救世主として大きな役割を果たすことができるだろうか?
3、 2022年に貿易赤字が拡大したのは、資源価格の高騰と円安によるものだ。しかし、それだけでなく、長期にわたって継続している構造的要因の影響もある。特に問題なのは、電気機械輸出の減少だ。日本の経常収支が赤字になり、対外資産の取り崩しを余儀なくされる事態は、杞憂とは言えない。
4、 日本の経常収支はこれまで黒字を続けていたが、最近時点で急速に悪化している。これは、何らかの構造変化の結果だろうか? ただ、経常収支の赤字化は、絶対に阻止すべきものであるかは、疑問だ。こうした視点だけでなく、国際分業の利益を重視する必要がある。
<日本が直面するスタグフレーションの恐れ>
<第4章のまとめ>
1、 輸入物価の上昇が止まったにもかかわらず、消費者物価の上昇が止まらない。これは、飲食業での賃金上昇によるホームメイド・インフレと解釈することができる。
2、 宿泊・飲食サービス業では、賃金が大幅に上昇し、食料品価格や宿泊料を上昇させている。他方、経済全体では実質賃金が下落しているので、購買力は増加せず、物価上昇は買い控えをもたらす。このままでは、経済がスタグフレーションに陥る危険がある。
3、 コロナ対策として各国とも財政拡大と金融緩和を行った。アメリカでは、それによってインフレが生じたが、日本では生じなかった。
4、 日本はいま、さまざまな財政需要の増加に直面している。そのための税制改革が喫緊の課題だ。特に重要なのは、法人税と消費税の増税である。しかし、そうした議論は、まったく行われていない。
<金融政策の誤り>
<失敗に終わった大規模金融緩和政策>
<異次元金融緩和は物価上昇を目標にしたが……>
・2013年4月、日本銀行は大規模な金融緩和政策を開始し、消費者物価の対前年上昇率を2%にすることを目指した。これは、「異次元金融緩和政策」と呼ばれた。
<マネーストックは増えず>
・2010年からのマネタリーベースの推移を見ると、日銀当座預金は2013年から急増し、2022年6月末には548.9兆円に達した。これは、日銀が国債を購入したためだ。
・「マネーストック」は、日銀券と銀行預金の合計であるが、異次元金融緩和によって顕著な増加は見られなかった。
・金融政策が経済に影響を与えるのは、マネーストックの変化による。しかし、実際には、日銀当座預金が増加してマネタリーベースが増えただけで、マネーストックの大きな増加はなかった。このため、異次元金融緩和政策は効果を持たなかったのだ。
<金融緩和は株価を引き上げた>
・実は、大規模金融緩和の真の目的は、市場金利を下げ、為替レートを円安にし、企業の利益を増大させて株価を上昇させることだったと考えられる。
実際、金融緩和は、企業の利益を増大させ、株価を上昇させる効果があった。
・企業の利益増加が最終的に労働者にも利益をもたらすとされたが、実際には、そうした効果(トリクルダウン効果)は生じなかった。
<イールドカーブコントロールに転換>
・2016年に、日銀は量的緩和政策の転換を行った。大量の国債購入で、さまざまな問題が生じたからだ。
「総括的検証」を実施し、金利操作への転換を決定。マイナス0.1%の政策金利を導入し、さらに「イールドカーブコントロール政策(YCC)」を開始した。
<イールドカーブはなぜ右上がりか?>
・「イールドカーブ」とは、異なる期間の金利を、期間に応じて示したもので、通常は長期金利が短期金利より高く、右上がりの形状をしている。
<2022年になぜ急激な円安が進んだのか?>
<アメリカの金利引き下げと引き上げ>
・2020年、新型コロナウイルスの感染拡大による経済の減速を受け、アメリカのFRBは、大規模な金融緩和策を実施。
・しかし、2021年秋に景気が回復し、インフレ率の上昇が顕著となったため、緩和政策の脱却を決定。
<日銀が金利上昇を認めないため円安が進行>
・FRBに追随して、各国の中央銀行も競って利上げを行った。
ところが日本銀行は、2022年3月18日の政策決定会議で金融緩和を継続すると決定した。
・FRBの利上げにより日米の金利差が拡大し、円安が進行したからだ。これが原因で、日本の物価が急上昇した。
<円キャリー取引で円安が進む>
・円安が進む原因は、極めて明白だ。円で資金を調達してドル資産で運用する「円キャリー取引」が活発になったからだ。
・ところが、主要国の中で日本だけが金融緩和を維持してきた。そして、大規模緩和を継続すると明言している。このため、投機家は安心して円キャリー取引を行うことができる。
<9月に介入するも再び円安になり、1ドル=150円を超える>
・日本が介入に踏み切ったことで、円安の動きはいったんは収まった。
<2022年12月に長期金利上限を引き上げ>
・日銀は2022年12月19~20日に開いた金融政策決定会合で、大規模緩和を修正した。
<2023年の異常な円安はなぜ止まらないのか?>
<再び介入か?>
・2023年3月にアメリカで金融不安が発生し、アメリカの長期金利が低下したために、円高への動きが生じた。
しかし、それも収まって、再び円キャリー投機が復活した。
<円安は構造的な原因によるものか?>
・日本円は、長期的なトレンドで見ても、減価を続けている。
・ところが、2022年に急激に円安が進んだ後、元に戻る気配がない。何か異常なことが起きているとしか考えられない。
・円安が輸出を増加させていないことは事実だ。しかし、これはいまに始まったことではない。
・円安で輸出が増えるというのは、円ベースの輸出額のことである。
<円安への安易な依存が企業の活力を奪い、円安政策から脱却できなくなった>
・日本経済が円安から脱却できないのは、日本が円安に安易に依存するようになったからだ。
<円安の弊害は明白だが、政策は動かない>
・円安が続けば、日本人は海外の製品をより高い価格で買うことを余儀なくされる。したがって、日本人の生活は貧しくなる。
・このように円安の弊害は明白にもかかわらず、円安が国益であるかのごとき錯覚にとらわれていた。
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