コレステロール値が「やや高めの群」が最も生存率が高いという結果が出ています。(2)
<ギャンブルは考えもの。歯止めがきかなくなる危険あり>
・高齢者は「ギャンブル依存」になる人が多いことです。お金をかけないゲームに留めておく、のが賢明だと思います。
<高齢ドライバーはむしろ安全。できることは放棄しなくていい>
・クルマの運転に関しては、私は続けたほうがいいと思っています。
・そもそも24歳未満の人のほうが事故を起こす確率が高いのに、高齢者だけに「危険」というレッテルを貼るのは、やはりおかしいと思います。
・返納すると、6年後の要介護リスクは2.2倍にもなります。
<運動はほどほどに。一番いいのは散歩です>
・80歳を超えていこうとする幸齢者には、ウォーキングくらいがちょうどいいでしょう。要はお散歩です。1日30分くらい歩くのが理想的です。
・体をこまめに動かすことが大事です。「ああ面倒くさい」と思ったら、逆に動いてみる。残った能力をキープするには、日常生活の中で体を動かすことが一番です。
<高齢者に多いうつ症状。心と体を動かすことが予防になる>
・実際に、認知症とうつ病は、見分けがつきにくいところがあります。
・やはり「心と体が動かなくなること」はうつ病の大きな引き金になります。その意味でも自分がしたいことをするのは大事なのです。
<生きがいは求めない。楽しんでいるうちに見つかるもの>
・そうやって日々気楽に一日一日を過ごしていくことが、80歳の壁の乗り越え方なのかもしれません。
<終(しま)い支度をどうするか。最後まで安心して暮らすために>
・そもそも、親は子どもが社会に出るまで20年間ほどは面倒を見たのです。親が動けなくなった数年間は、子どもに面倒を見てもらって当然だと思うのですが、私の考えは間違っているのでしょうか。もちろん、それは在宅介護を強いるということではなく一緒に施設を探すことも含まれます。
<心を安定させるためには悪いことより、良いことを考える>
・こんなときの対処としては、忘れようとするのではなく「ほかのことに目を向ける」というのが正しい方法です。つまり、記憶を消そうとするではなく、新しいことを上書きするのです。
<昔との引き算で考えない。差を考えると不幸になる>
・なくなったことではなく、増えたことに目を向ける、というのが私の提案です。
<孤独は気楽でいい。誰にも気兼ねせず楽しめる>
・高齢になると、配偶者の死、友人の死などに直面することになります。
<考え方を変えるのではなく、選択肢を増やしていく>
・そもそも、幸齢者は人生経験が豊かなので、たくさんの選択肢を持っています。
<ボケ・認知症の壁を越えていく>
< 認知症への誤解。思い込みがみんなを不幸にする>
・私の専門は老年精神医学です。さまざまな症状の患者さんを診ていますが、なかでも多いのがうつ病と認知症です。
・認知症は多くの場合、「もの忘れ」から始まります。その次に起こるのが「失見当識」です。
・認知症には、このような段階があるのに、一口に「認知症です」と断じてしまうのは、とても乱暴な話だと、私は思っているのです。
<知らない不幸。生きる知恵は残っている>
・知恵絡みのことに関しては、認知症の症状が出てからでも優秀な人が結構な割合でいます。
<認知症は600万人。幅のある障害だと知りましょう>
・何度も言いますが、認知症は基本的に老化現象です。専門的な用語を使うと、認知症は「スぺクトラム障害」と考えられるもので、軽度から重度まで、幅のある障害なのです。
<記憶は苦手だが判断はできる。だから詐欺にあいやすい>
・ただし、注意してほしいこともあります。それは、勘違いが増えることにより、詐欺などにもあいやすくなることです。
<頭がシャキッとしているうちに大事なことは決めておくべきか>
・認知症と診断された途端に、仕事をやめたり、免許を返納したりする人がいますが、軽度から重度まで幅があるわけですから、できるうちは続けたほうがいい。
・そういう現実の中で、たとえば、遺言などの大事な意思決定は、どのタイミングでしたらよいのか?これは正直、結構ややこしい問題だと言えます。なぜなら、老年精神医学の専門家の立場では、認知症の中間くらいまでは「意思能力は有効」と診ても、一般的な捉え方は違っており、裁判になるようなケースもあるからです。
<認知症を遅らせる方法。薬より頭を使うほうが有効です>
・一般に、認知症は早期発見が大事だと言われます。でも、いまの医学の現状では「少し効くかもしれない」というレベルの薬しかありません。つまり、早期発見しても、医療の力では「どうすることもできない」わけです。
・認知症の進行を遅らせる最良の方法は、頭を使ったり、体を動かしたりし続けることだと私は考えています。
<ボケてからも死は怖い。意外に事故が少ない理由>
・私は認知症の人を6000人くらいは診ていますが、これまでクルマに撥ね殺されたどころか、事故に遭って大ケガした人もいない。
<いよいよ最期の瞬間。意識はなく、永遠に眠った状態か>
・要するに、寝ていて起きてこない状態なのです。だから「死」そのものは、過剰に恐れる必要はないと、私は考えています。
・これを逆に捉えれば、生まれた瞬間から死に向かって進んでいるのだと言えます。80歳を過ぎた幸齢者は、まさにその最終段階。
<前頭葉が縮み意欲がなくなる。ならば脳を使って刺激すればいい>
・認知症は脳の老化によって起こります。記憶を司る海馬も縮みます。感情や行動の司令塔である前頭葉も委縮します。するとやはり、意欲がなくなるのです。
・認知症の進行を遅らせるには、やはり体と頭をどんどん動かすことが効果的なのです。
<認知症が進むとニコニコ笑顔。神様が最後にくれたチャンス>
・ところが、高齢になると、過去のレッテルは意味のないものになります。
<認知症は終わりじゃない。生きる知恵と力は残っている>
・認知症になったら何もできない、なんて決めてかかる必要はありません。最期まで生きる力、生き抜く知恵が備わっている。人間はとても強いのです。
<高い壁を低くするヒント 50音カルタ>
<長生きが大事なのか。残りの人生が大事なのか>
・答えは人それぞれでしょうが、老年医学の専門医である私は、こう考えます。長生きが大事なのか、残りの人生が大事なのか――。
・ある日「脳梗塞になりました」「認知症になりました」ということが起こり、突然寝たきりになるリスクが飛躍的に高まる年代なのです。
<寝たきりは終わりではない。だからこそできることもある>
・私の知り合いでALSという病気になった学者がいます。筋肉が徐々にやせていき、体を思うように動かせなくなる重い病気です。
・「動けなくなったらどうしよう」と考えて生きれば、寂しくなります。そういう日はやがてくると腹をくくり、それまでは、生きている日を大事にする。
<老いや衰えを受け入れる。まだある機能で勝負する>
・衰えを受け入れつつ、残存機能で勝負する――。なんとなく家に引きこもっているうちに動けなくなってしまう人も結構多いのです。できることを自ら放棄し、何もできない体になってしまう。これって本当にもったいないことだと思いませんか?
<あ 歩き続けよう。歩かないと歩けなくなる>
・80代に一番お勧めの運動は「歩く」です。歩くことは足の老化予防だけでなく、心臓のポンプ機能も強化してくれます。すると、脳や体の隅々の細胞にも十分な量の血液を送ることができます。
また、歩くために外出して日を浴びることで「幸せホルモン」と呼ばれる脳内伝達物質が分泌されます。1日30分歩くのが理想的です。朝昼晩に10分ずつでもかまいません。杖や歩行器を使うのもよいと思います。
<い イライラしたら深呼吸。水や美味しいものも効果的>
・深呼吸のほかに、水を飲んだり、好きなものを食べたりするのも有効です。消化器系が働くと、交感神経の興奮を抑えることができるからです。
<う 運動は体がきつくない程度に>
・過度に運動すれば、必要以上に活性酵素が増えて、体は大きなダメージを負います。また、無理な運動は、筋肉や関節、骨を痛めることになります。
<え エアコンをつけて水を飲み、猛暑から命を守れ>
・毎年、熱中症で1000人くらいが亡くなり、その8割を65歳以上が占めています。夏はエアコンと共にこまめに水分補給を徹底しましょう。
<お おむつを恥じるな。行動を広げる味方です>
・排泄の問題に悩む人もいるでしょう。でもこれは「仕方がない」と割り切るしかないと思います。
<か 噛めば噛むほどに、体と脳はイキイキする>
・高齢になると、胃腸の働きは弱り、消火吸収の能力が衰えます。これを補ってくれるのが「嚙む」という行為です。
<き 記憶力は年齢ではなく、使わないから落ちる>
・一般に、高齢になると記憶力は低下すると言われます。それは否定できませんが、「年を取ると記憶力が落ちる」と決めつけるのは早計です。
・体の筋肉は、使わなければ衰えます。脳もこれと同じです。使い続けることが大切なのです。
<く 薬を見直そう。我慢して飲む必要はない>
・「クスリはリスク」。単なるダジャレではなく、じつは医師の多くが気づいている真実です。たしかに、薬は症状を改善してくれますが、薬を飲んだほうが長生きできるのかはわかりません。
<け 血圧、血糖値は下げなくていい>
・血圧、血糖値、コレステロール値を下げる薬は、動脈硬化を防いだり、心筋梗塞や脳梗塞、脳卒中のリスクを下げたりする効果はあります。
しかし、80歳を過ぎた幸齢者の場合、体がだるくなったり、頭がぼーっとしたりして、活力が失われることがあります。
・私の答えは「元気に長生きしたいなら血圧、血糖値、コレステロール値は薬で正常値まで下げないほうがいい」です。
<こ 孤独は寂しいことではない。気楽な時間を楽しもう>
・年を取ると、身近な人の訃報が増えていきます。
<さ サボることは恥ではない。我慢して続けなくていい>
・「休みたいな」と思うなら休めばいいのです。我慢せずに、心がどんどん軽くなる生き方を心がけましょう。
<し 自動車の運転免許は返納しなくていい>
・(平成30年)最も事故を起こしているのは16~19歳の1489件、次いで20~24歳の876件となっています。一方の高齢者は、80~84歳は604件、85歳以上は645件、70代は500件前後となっています。つまり高齢者だけが危険というわけではありません。
・ちなみに、ある調査によると80代の多くが「自分の運転に自信がある」と答えています。この過信は事故の元になります。運転の際は気を引きしめましょう。
<す 好きなことをする。嫌なことはしない>
・好きなことをする。嫌なことはしない。これは幸齢者の生き方の基本です。
<せ 性的な欲もあって当然。恥ずかしがらなくていい>
・それはともかく、高齢者の性欲に関しては、女性も男性も「ある人もいれば、ない人もいる」。つまり、個人差があるわけです。
<そ 外に出よう。引きこもると脳は暗くなる>
・80歳を過ぎた幸齢者にとって、最適な運動は「歩く」ことです。
・その原因の一つと考えられるのが、セロトニンという神経伝達物質の分泌量が減ったことです。
<た 食べたいものは食べてよし。小太りくらいでちょうどいい>
・くり返しますが、世界中のありとあらゆるデータで、「やや肥満な人が一番長生きする」という結果が出ています。
<ち 「ちょっとずつ」こまめにやるのがちょうどいい>
・80代になると増えるものがあります。それは自由な時間です。一方で、筋力や内臓の働きは落ちていきます。この二つを相殺するのが「ちょっとずつ」です。
<つ つき合いを見直す。嫌な人とはつき合うな>
・80代になると、自然と嫌な付き合いから解放されます。とにかく、無理な人づき合いをやめること、肩の凝らない関係なら続けること、これが一番です。
<て テレビを捨てよ、町に出よう>
・「テレビを見続けるとバカになる」というのが私の持論の一つです。ところが、テレビを1日中つけっぱなしにして、なんとなく見続けている人が多くいます。テレビのスイッチを切って町に出ませんか?
<と 闘病より共病。「在宅看取り」の選択もあり>
・「在宅看取り」はガンのように死期がわかっている場合、残された時間を自宅で過ごし、好きなことをしたり好きなものを食べたりしながら、最期を看取るというものです。つまり、闘病ではなく「共病」です。
・ただし、いつまで続くかわからない「在宅介護」では、くれぐれも無理をしないで下さい。
<な 「なんとかなるさ」は幸齢者の魔法の言葉>
・そこで、マイナス思考に囚われそうになったときにつぶやきたい言葉が「なんとかなるさ」。たったこれだけのことですが、脳内にはドーパミンという「やる気ホルモン」が出て、思考力や意欲が高まるのです。
<に 肉を食べよう。しかも安い赤身がいい>
・90歳、100歳を超えても元気な人には、肉好きの人が多くいます。牛肉や豚肉には、セロトニンの材料となる物質が含まれており、これが元気の素になるというわけです。もちろん、お肉のタンパク質は、筋肉や骨、血管などの材料にもなるため、健康な体づくりには欠かせません。お肉を食べないとタンパク質が不足し、筋肉量や骨密度が減り、転倒や骨折をしやすくなってしまうのです。
<ぬ ぬるめの湯、浸かる時間は10分以内>
・高齢者の浴槽内での事故死は、交通事故死の2倍と言われます。とくに冬場は多いのですが、これは急激に温度が変化するため。
<ね 眠れなかったら寝なくていい>
・高齢になればなるほど、深い睡眠が減り、熟眠できなくなります。高齢者には睡眠導入剤を服用している人が多数います。
<の 脳トレよりも、楽しいことが脳にはいい>
・脳トレは、じつは効果が限定的なことが近年わかってきました。「ボケ防止に」と無理やり何かをしても、楽しいと思うものでなければ、効果は薄いのです。
<は 話したいことは遠慮せず。話せば気分も晴れてくる>
・精神科医という職業柄、これまで多数の高齢者の話を聞いてきましたが、そこにはさまざまな「物語」があり、それが私の人間観や人生観につながっています。
<ひ 病院は「かかりつけ医」を決めておく>
・80代にとって病院は、遠ざけられない場所です。できるなら、かかりつけ医(主治医)を決めておきましょう。自宅に近い内科医がお勧めです。
<ふ 不良高年でいい。いい人を演じると健康不良になる>
・ところが高齢者になると、無理や我慢は体と心を疲弊させ、健康を損ねることになります。
<へ 変節を恐れるな。朝令暮改は大いに結構>
・たとえば認知症の患者さんにも、それまで「延命措置は嫌だ」と言っていたのに延命を求めてくる人がいます。
<ほ ボケるのは、悪いことばかりじゃない>
・私が診てきた認知症の高齢者には、不幸な人はほとんどいませんでした。
<ま 学びをやめたら年老いる。行動は学びの先生だ>
・20歳であろうが80歳であろうが、学ぶことをやめてしまった人は年老いる。学び続ける人はいつまでも若い――。
<み 見栄を張らない。あるもので生きる>
・いまある能力を大事にする。いまあるもので生きる――。この生き方をするときに大事なのが、見栄を張らないことです。
<む 無邪気になれるのは老いの特権>
・高齢者は行動を起こすことに対し、とかく逃げ腰になりがちです。
<め 面倒なことほど、じつは面白い>
・嫌なことは我慢してやらなくていい、と話してきました。
<も もっと光を。脳は光でご機嫌になる>
・「幸せホルモン」のセロトニンを手っ取り早く増やすには、日の光を浴びるのがいちばんです。セロトニンが減ると、「うつ症状がでる」。散歩などで外出するのが理想。
<や 役に立つことをする。自分の経験を生かせばよい>
・この本では、自分の好きに生きたほうがいいと話しています。
<ゆ ゆっくりと今日を生きる。終わりは決めない>
・気の向くままに生きていいのが幸齢者。
<よ 欲望は長生きの源。枯れて生きるなんて百年早い>
・何らかの欲望があるなら「まだまだ私も枯れていないな」と喜べばいいと思います。
<ら 楽天主義は幸齢者にこそ必要>
・私は高齢の人にこそ「楽天主義」で生きてほしいと考えています。
<り 「リラックスの呼吸」で老い退治>
・やり方は簡単です。深い呼吸をくり返すだけです。
<る ルールは自分で決めていい>
・お勧めのルールは次の二つです。①自分でできることはする②嫌なことは我慢しない。したいことをする
<れ 「レットイットビー」で生きる>
・その意味は「あるがままに」とか「なすがままに」。
<ろ 老化より朗化。これが愛される理由>
・医療現場で長年、高齢者を見続けていると、二つのタイプの人がいます。「ボケても愛される人」と「ボケて疎んじられる人」です。
<わ 笑う門には福来る>
・楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ――。
<エピローグ 人生100年の壁も越えていく>
<おかしな現実がいっぱい。幸齢者は怒っていい>
・80歳になったら、我慢しないでしたいことをする――。この本ではくり返しそう言い、その理由についても話してきました。
・日本はいま1000兆円の借金があり、福祉のせいで財政が厳しくなったなんて言われ方をしていることにも怒っていい。借金は高齢者が使ったからではありません。政治家が必要以上に地方の公共事業にばらまくからです。
・それなのに特別養護老人ホームの入所待ちが40万人いるわけです。「シルバー民主主義」なんて言われているのも全然ウソです。
<年寄りに不寛容なこの国。幸齢者が自由に生きれば活性化する>
・日本は高齢者大国になりました。65歳以上の高齢者が3640万人もいて、全体のおよそ3割を占めています。つまり、年を取れば取るほど、個人差が大きくなるわけです、
<Withを生きる。使えるものは何でも使う>
・アルツハイマーがあるのなら、それを受け入れて、いまできることをする。80歳の壁を越えていくには、このように現状を受け入れながら、方策を立てていくことが大事です。
<人生とは何か。幸せとは何か>
・楽しんでこその「人生100年」です。80歳の壁を越え、あと20年、新たに挑戦する日々を楽しみましょう。
(2025/4/11)
『106歳のスキップ』
私は96歳までひとのために生きてきた
曻地三郎 亜紀書房 2012/12/5
<つねに新しい自分を――はじめに>
・私は「人を驚かす」ことが好きである。人を驚かすには、そのための材料がなくてはならない。自分自身で材料を仕込まなければならない。
99歳で世界一周を始めたのも、何か新しいことをと思ったからで、行った先々で講演をする旅である。
・二人の知的障がい児と、妻、娘を失って、私は96歳で天涯孤独の身となった。これからは自分のために生きよう、と思い直し、先の世界行脚を始めたり、海外の大学などで記念講演を頼まれれば、その挨拶を現地語で覚えるなど、やはり新しい試みを続けている。
<充実して生きる>
<97歳からは自分のために生きる>
・私は教育者と学者の道を歩み、しかも障がい児のための施設を運営してきた。順番からいえば、まず教育者になり、広島の山奥の小さな小学校の子どもたちを教えたのが最初である。
<人に支えられるだけの老後ではいけない>
・先に97歳からは自分のために生きることにした、と書いたが、誤解がないように申し添えれば、今までのウェイトが家族や他人にかかっていたのを、自分を出発点にしよう、ということなのである。
<ただ長生きすればいいというものではない>
・長く生きただけで褒められるなんておかしくはないだろうか。
<老感を持つのはやめよ>
・106歳になって身体が弱ったとはいえ、まだまだ人と当意即妙の話ができる。饒舌は相変わらずである。
今回の世界一周旅行でも、9ヵ国12都市を回り、カナダはバンクーバーで講演を行い、その後、南アフリカ・ケープタウンで開かれた国際心理学会で被虐待児童の治療教育の研究論文を発表した。
昨年は、年に70回を超える講演を行い、年に2回も世界一周講演旅行をした。
<別のNPO>
・元気に生きて、すっと死ぬことを「ぴんぴんころり」でPPKという。これが高齢者の理想だという。
私もそれを真似て、NPOということをいっている。非営利事業団体のことかと思うかもしれないが、「長生きでぽっくり往生」のことである。
いずれにしろ、健康に生きて、それほど人の世話にならないうちに死んでいくのが、たいがいの人の理想である。しかし、誰しもがそういう生き方ができるわけではないから、理想なのである。たいていは子どもや施設のお世話になって生きることになる。
<世代の標語>
・自分の来し方を参考にしながら、50代以降の生き方の標語を作ったことがある。
50代……男の花道である。 60代……自分が持っているものを押し広げよう。 70代……これくらいで屈してはならない。 80代……ダメだと思ったらダメになる。 90代……今からでも遅くない。
私の場合は、これに「100代……中国で陣頭指揮を執る」というのが続く。これは、中国で障がい児教育普及のお助けをしたい、ということである。
<「おい」と呼ばない>
・私が健康なのは、昔から歩くのが苦にならず、機会があればすぐに歩くようにしていたからだと思う。
・いまは妻はいないが、生存中も「おい」などと呼んで、用を頼んだことはない。全部、自分のことは自分でやる主義である。こうして日頃から身体を動かす癖をつけておくと、特別な運動などしなくても、健康でいることができる。
・自分の健康のためにも、そして夫婦仲改善のためにも、「自分で動く」を主義にしたい。
<異なる人との交わりが大切>
・私は若いころからもの怖じしない性格だった。たとえ相手が外国人でも平気で声を掛ける。船上で、機上で、外国人に話しかけて英語の練習をした。同種との交わりも大事だが、異種との交わりこそ、自分で求めないかぎり、機会が限られているので大事だと思っている。
<努力に期限なし>
・エジソンは、天才とは1パーセントのひらめきお99パーセントの努力である、といったという。あの発明王にして努力がものをいうのか、とびっくりさせられる言葉である。
・天才とは並外れた努力をする人のことをいうのではないか、とも思う。どこまで努力できるかも才能である。
・私はつねに現状を脱却することを念頭に置いてきた。おかげで「努力は第二の天才なり」と思うようになった。
<「そのうちいいこともござっしょ」>
・長男ばかりか次男までも障がいを負っていると分かって、私は打ちのめされたような気持になった。できれば、苦しみのままに死んでいければ、とも思ったものだ。
しかし、一方で、心の中に葛藤があっても、それを乗り越えて生きよう、と考える自分がいる。いつもそっちの人格のほうが優勢になる。
・そのときに老婆がいった言葉が忘れられない。「先生、そのうちいいこともござっしょ」そうなのである。悪いことばかりではなくて、そのうち何かいいこともあるのである。
<流れに負けない>
・それよりも、ゆっくりと、大河の勢いで老いが身に及んでいる感じに近い。私が日々、心を砕いていることは、その流れに逆向きで棹差すことである。
・というのは、しいのみ学園で預かる子の80パーセントは脳性麻痺の子で、彼らは脳の一番中心がやられている。多くの子は小学校6年のころから、歩行が難しくなり、手も使えなくなっている。言葉にも障がいが出始める。そこを境に寝たきりになる子も多い。いわば集団で下流に流されていくイメージである。
・脳性小児麻痺の子が、逆境に立ち向かう姿勢を植え付けてくれたように思える。たとえ敵が圧倒的に優勢と分かっていても。
<人生は自分との戦いである>
・私は、頭も身体も全部、自分自身との戦いで鍛えてきた感が強い。もちろん障がいを持った子の親としても、結局は、自分との戦いだったのである。
<子どもで若返る>
・私は、高齢者がそばにいることで子どもにもいい影響があると思うが、逆に小さい子がいることで高齢者も元気づけられる。
<教養のある人は自由な人である>
・私には、教養というのは自由な状況のなかで獲得するものだ、という考えがある。
・教養とは自前で作り上げるもの、ともいえるだろうか。それだけに、効率や能率とは無縁なものである。
<人生に余りはない>
・「人生に余りはない」。100歳を超えてから、これは私の確信のようなものになった。
・人生に余りあり、とは絶対にいえない。後悔や諦念も含めて、人は精一杯生きているのである。
<いるだけでいい>
・子どものそばにいてこそ安心感のある先生でいることができる――と私などは思う。先生がいつもそばにいれば、いじめはもっと少なくなるだろうし、校内暴力だって起きにくくなるだろう。それが、いるだけでいい、の意味である。
<工夫して生きる>
<趣味は人をびっくりさせること>
・趣味はなんですか、と聞かれると、「人をびっくりさせること」と答えている。そう答える人は少ないだろうから、まずこの答えに人を「びっくりさせる」効果がある。
・みなさん、私に会うとなれば、関心は「どれだけ元気なのだろう」に尽きるだろう。
<韓国語は65歳から>
・他国の言葉を覚えるには、ある種の才能が必要だというが、私は“熱意”が最初になければダメだと思う。
・ほぼ毎日のように福岡市の大湊公園の周りにいる進駐軍のアメリカ兵に声を掛けて、英語の練習にいそしんだものである。
<人と自然を見つめる――短歌のすすめ>
・私は若いころから短歌づくりにいそしんできた。
・私は「真樹(しんじゅ)」という短歌会の同人で、それは中国新聞の記者だった山本康夫さんが始めた者で、会員は毎月10日の締め切りに10首を提出する決まりになっている。
<人生に欠かせないS(刺激)とR(反応)>
・私の研究課題のなかで、特に脳性麻痺の子にどういう刺激を与え、どういう反応が返ってくるか、というのは大事なテーマであった。
<自分を揺さぶる>
・子どもにものを教えるには、「揺さぶり」が大事である。停滞や緩みがあってもいいが、それをもう一度、元に戻したり、もう一段高いところに上げるのに「揺さぶり」が必要である。
しいのみ学園はほかの学校と違って、運動場で教えて教室で休憩する、というやり方である。
・だから、「揺さぶり」の技こそ、定年後に最も必要なものなのである。
<一日パジャマで過ごす人間にはなるな>
・私が元気なのは、ものをよく噛むなどの生活習慣に気を付けていることもあるが、一番は社会性を失っていないからだと思う。
・私が情けないと思うのは、やってくる人もいない、というので1日、パジャマで過ごす人がいることである。
・目的もなしに集まって、あれこれと雑談するのも楽しいが、同じ趣味の人間が集って切磋琢磨するほうが、もっといい。何歳になっても成長している感じが大事なのである。
<変化を喜ぶ人になる>
・私は教育に携わり、子どもたちを観察することで、障がい児教育の在り方を模索したが、ものごとを考える土台にその経験がきっちり組み込まれている。
・その観察からいえば、子どもは変化が大好きである。
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