UFOの母船には、半透明で大きさがまちまちの球体の都市が多数存在する。球体内には建物があり、小型のUFOで入ることが可能。(3)

<DSによるすり替え>

 マッドフラッド後のDSは、タルタリア文明の痕跡を徹底的に消し去りました。しかしタルタリアの建造物は頑丈で、マッドフラッド後も各地にそのまま残っていました。

 残っていたエーテルエネルギー発電所は、その機能を封印され、まったく別の用途の建造物として使われることとなりました。

 最終的にエーテル発電所は、DS支配下の宗教団体に占領され、各地の宗教の神殿や、教会として使用されることになったのです。

<文化によるエーテル発電所の形状の違い>

 エーテルから電流を取り出すフリーエネルギー文明は、世界全体に広まっていました。

 しかし世界は大きく3つの文化圏に分かれ、各文化圏によって、発電所、エネルギー中継基地、蓄電所、工場などの形態が異なっていたようです。

 3つの文化圏とは、以下の3つです。

1.タルタリア文化圏

2.ローマ文化圏

3.アジア文化圏

 

 のちの記事で詳しく述べますが、19世紀初頭のマッドフラッドは、DSに支配されたローマ文化圏と、光の勢力が統治していたタルタリア帝国との抗争の末に発生したと考えられます。

<マッドフラッド3 配電は水によって行われていた? 活きた水の持つ様々な効能とは!?>

<水による配電システム>

 前記事でタルタリア文明において、大聖堂がフリーエネルギー発電所の機能を果たしていたということを述べました。

 それでは、大聖堂で発電された電気は、どのようにして、各家庭や施設に配電されていたのでしょうか?

 もちろん無線による配電システムもあったようです。しかしそれは近距離及び小電力の場合です。家庭内における配電などに使われていたものと思われます。

 タルタリア文明において、大電力を各都市および農園や工場へと配電していたのはなんと「水」なのです。

<水の結晶構造の変化>

 タルタリア文明においては、このような水の性質が詳しく解明されており、特定の音色の音や音楽を奏でることで、水の結晶構造を変化させ、水に様々な特性を付加することに成功していました。

 このような、音楽によって結晶構造を整えられ、特性を付与された水は、「活きた水」と呼ばれていました。

<変電所として使われていたスターフォート >

 タルタリア帝国の版図は、あらゆる地域が川や湖、運河などの水路でつながれていました。これは水利や水運に加えて、あらゆる場所へと電力を供給するエネルギーネットワークでもあったのです。

 また、要所要所に建設されたスターフォート(星形城塞)は、電力の中継基地、今でいうところの変電所の役割を果たしていたようです。

 スターフォートの周りには、必ず水路があります。

<塔、オベリスク、赤煉瓦の建物は蓄電のためのコンデンサー>

 各地に立っている塔や赤レンガ倉庫は、電力を蓄積するコンデンサーの役割を果たしていたと思われます。

 こちらは必ずと言っていいほど、上部にアンテナが立っていますので、蓄電した電気を、無線によって周りの建造物に配電する役割を果たしていたものと思われます。

<活きた水の活用法>

 音波によって結晶構造を整えられた「活きた水」には、電力を伝える以外にも、様々な利用法がありました。これらうちのいくつかをご紹介したいと思います。

<植物の育成>

 活きた水を用いると、通常の水に比べて極めて効果的に植物を育成することができました。活きた水を用いた農場は、タルタリア国内の随所に設置されていました。

<活きた水を用いた病気やけがの治療>

 活きた水は、病気やけがの治療にも用いられていました。

この時代はマッドフラッドの後の時代なので、この水治療院は本来の能力をすべて発揮しているとはいいがたい状態のものです。

 

<フリーエネルギーで稼働する大工場>

 ヨーロッパ各国でお城として使われているものは、当時はフリーエネルギーで稼働する工場だったようです。

<DSによる旧文明の施設の封印>

 以上のような旧文明の優れた技術は、タルタリア文明を滅ぼしたDS(ディープステート)にとっては、何としてでも封印したい技術となっています。

 特にフリーエネルギーとその利用法、活きた水とその使用法については、トップシークレットとなっているようです。

 フリーエネルギー発電所は、エーテルエンジンを抜かれ、共振器をステンドグラスで埋められ、鐘を外されて、大聖堂として使用されていることは前記事でのべました。

 

<マッドフラッド4 タルタリア人は巨人と共存していた!? タルタリアの科学は現代科学を上回っていた?>

<巨人の痕跡>

 タルタリア文明の大きな特徴は、人間と巨人が共存共栄していたことです。5メートルはあろうかという巨人と、通常の人間が普通にお話ししていますね。こちらは3メートルぐらいの巨人と一緒に撮った写真の数々です。いっしょに仲良くくつろいでいるのがよくわかりますね。

 巨人の骨は世界中のあちこちで発掘されています。

 DSが、巨人の存在を隠そうとしているのがよくわかりますね。 

 巨人の痕跡は、タルタリア様式の建物にも残っています。

これらの巨人は、タルタリア文明滅亡後、表舞台から姿を消しました。といっても完全に滅びたわけではなく、地下世界、アガルタに引き上げ、今でもそこで平和に暮らしているようです。

<タルタリア科学は現代科学を凌駕していた?>

 次に、フリーエネルギーを駆使した、タルタリア文明の科学技術をご紹介しましょう。こちらはタルタリアの工場内部の写真です。きわめて発展した工業技術がうかがえます。現代の工場とはちょっと違う発想の原理で動いているようですね。

 交通機関は、現在のような鉄道やモノレール、航空機や船舶は普通にあったようです。自動車はすべて電気自動車でした。

 特筆すべきはタルタリアのオートバイ、及び自転車です。

乗ったまま水上や空中を移動するカプセルもあったようです。美しい景色が堪能できそうですね。

<飛行船>

 タルタリアには、プロヘラ機や、一人乗りの、頭にプロペラをつけて飛ぶ装置もあったようです。

 しかし、タルタリアの空中輸送の主力を担っていたのは、なんといっても飛行船です。

 

<地下鉄>

 タルタリアの都市の地下には地下鉄が走り、都市近郊の人員輸送に大きな役割を果たしていました。

 

<マッドフラッド5 ナポレオンは被爆していた? フランス革命とナポレオン戦争の真実とは!?>

<18世紀後半の国際情勢>

<世界における3大勢力>

 以前述べたように、17世紀以前の世界は3つの勢力に区分されていたと考えられます。タルタリア帝国、DSローマ、アジアです。

 どれもフリーエネルギー文明を擁していましたが、建物の様式が異なっていたのは以前述べたとおりです。

 本シリーズでは、1816年のマッドフラッドに焦点を当てていますが、気候変動の記録などから、そのさらに200年前の1601年にも同じような大変動があったと考えられています。

 この17世紀初頭、1601年の大変動によって、アジアは滅亡し、実質的な力を失ったようです。アジアの文化、文明はその後も残りましたが、国家としての力は失ってしまったということです。

 この1601年の大変動についてはここでは詳しく述べません。またの機会に詳しくお知らせしたいと思います。

 アジア滅亡後、DSローマは、旧アジア諸国を植民地とし、その地を支配していきました。

 こうして18世紀には、世界は大きく、タルタリア帝国、DSローマに2分されていたと思われます。旧アジア諸国は、その多くがDSローマの植民地となっていましたが、日本のように独立を守り続け、2つの勢力のどちらにも与しない国もあったようです。

<DSローマの侵攻>

 時間を元に戻しましょう。大変動直前の16世紀末の時点で、太平洋北部からシベリア、中央アジアを経由して、モスクワ、さらにはバルト海沿岸のペテルブルグまで、ユーラシア大陸北部はすべてタルタリア帝国の版図だったと思われます。

 これに加えて、タルタリア帝国は北アメリカ全土と、南アメリカの大半をも領土としていました。

 DSローマの内部はイギリス、フランス、ドイツ、オランダ、オーストリアなど、様々な小国家に分かれていました。

 光側のタルタリアは一つの帝国としてまとまっているのに対して、闇側のDSローマは、内部抗争を繰り返しているところが、いかにもそれらしいですね。

 1601年の大変動の直後、まずはDSローマがタルタリアの領土に対し、侵攻を開始しました。大変動の犯人はもちろんDSローマだったので、大変動が起こることがあらかじめわかっていたため、事前に準備して、速やかに侵攻を開始できたということです。

 DSローマ各国は、まずは崩壊したアジア諸国に上陸し、そこを占領して植民地化しました。

 さらに、タルタリアの統治下で平和に暮らしていたアメリカ大陸に侵攻し、北アメリカの東海岸一帯を占領、南アメリカにも侵攻してそこで暮らしていた人々を殲滅したと思われます。

 さらには東ヨーロッパからモスクワに侵攻し、そこにDSローマに所属するロシア帝国を建国し、バルト海沿岸まで進出して、ペテルブルグを占領しました。

 この事件がオフィシャル歴史では、ロシア帝国の建国とペテルブルグ建設として、描かれているというわけです。

 タルタリア帝国は、ペテルブルグ、モスクワを含む、ウラル山脈の西までDSローマに占領されてしまった状態です。

<光の勢力の反撃>

 しかし、大変動から復興し、国力を回復したタルタリア帝国は、18世紀後半からDSローマに対して反撃を行います。

 その第一弾が、アメリカ独立戦争です。これはおそらく史実とは微妙に異なり、タルタリア領に侵攻して東海岸の領土をかすめ取ったDSローマの主要国、イギリスに対し、現地のタルタリアの住民が反旗を翻し、これを追い出した戦いであると考えることができます。

 史実ではアメリカ合衆国初代大統領となっているワシントンは、おそらくタルタリア帝国の北アメリカ総督を務めていたのではないでしょうか。

<フランス革命の真実>

 そしてついに、DSローマ加盟国内の反乱が勃発しました。それが、1789年に起きた、フランス革命です。

 これはフランスの民衆が、フランス支配階層に巣くう闇に気づき、闇の勢力を一掃した革命であると思われます。

他のDSローマ諸国は、徹底的にフランス革命をつぶそうとし、集団でフランスに攻め込みました。革命は風前の灯火かと思われたその時、現れたのは、英雄ナポレオン・ボナパルトです。

 ヨーロッパのDSローマ諸国がほぼ一掃されていますね。

 ナポレオンのフランスは、もちろんタルタリア帝国と同盟を結んでいました。

 1804年、フランス皇帝の座に就いたナポレオンは、1812年、ついにヨーロッパ大陸に残った、最後のDSローマ加盟国であるロシア帝国に攻め込みます。

 この侵攻は、おそらく東から攻め込むタルタリア軍と共同で行われたと思われます。ナポレオン軍は破竹の勢いで進撃し、9月14日、ついにモスクワを制圧しました。そして悲劇はこの直後に起こったのです。

<モスクワを襲う核の炎>

 その夜、多くの兵士が、モスクワ上空に飛んできた巨大な火球を目撃しています。その火球はモスクワ上空に近づくとともに、まばゆい閃光を発し、それからすさまじい爆風と劫火がモスクワ市街を襲いました。

 DSは、モスクワに核ミサイルを撃ち込み、核爆発でモスクワを吹き飛ばしたのです。

<モスクワのフランス軍>

 DSローマとしては、ここでモスクワが陥落し、ペテルブルグまで占領されてしまえば、ヨーロッパ大陸がタルタリアとその同盟国のものとなり、イギリスだけが孤軍奮闘する状態になってしまいます。

 イギリスのロンドン、シティの奥深くに巣くうDS ロスチャイルドと、そのバックのレプティリアンたちは、この状況を恐れ、当時人々にまだ知られていなかった、禁断の果実、核兵器を使用したと思われます。

 モスクワを占領していたフランス軍の半分以上は最初の爆発で消滅し、その後の大火と放射線障害とみられる症状で、フランス軍兵士は次々と倒れていきました。

 さすがのナポレオンといえども、核ミサイルの直撃を食らって、無傷で済むことはできなかったようですね。

 

<マッドフラッド6 マッドフラッドによる文明のリセット!? 世界中に残るその痕跡とは?>

<米英戦争の真実>

 モスクワからナポレオン軍を撤退させた、DSローマは、再び北アメリカ大陸へ侵攻します。それが米英戦争(1812-15)です。

<1814年 ワシントン焼き討ち>

 ナポレオンのモスクワと同じように、大きな火球が襲来後、閃光と爆風が起こり、ワシントンは火の海となります。レンガや石造りの頑丈な建物も、吹き飛んでいます。

 これはDSローマの2度目の核兵器使用と思われます。

 しかし、その後もアメリカのタルタリア軍は戦い続け、わずか26日でイギリス軍をワシントンから追い出してしまいます。

 モスクワとワシントンを核ミサイルで吹き飛ばしても、タルタリア軍の勢いは止まらず、DSローマは風前の灯火、闇の駆逐までほんのあと一歩となったわけです。

 追い詰められたDS は、最後の手段を行使します。そして運命の日がやってきました。

<全面核戦争の開始!!>

 1816年2月某日、タルタリアの本拠地、ロシアの地に、大量の核ミサイルが降り注ぎました。

 大量の核兵器によってロシアは焼き払われ、タルタリア帝国は一夜にして消滅しました。

 

 ちなみにこのような現象は、1816年以前に、1601年や1453年にも起きており、だいたい200年おきに同じような文明のリセットが起きているようです。

 これは大規模核戦争に伴う「核の冬」の現象が起きたと考えられます。

 このときロシアを襲った大量の核兵器による爆発が、全地球的な急激な低温化を引き起こしたのです。

 1816年は夏にも雪が降り、平年の冬と同じような気候でした。冬になると寒さはより厳しさを増し、アメリカでは-32℃を記録した地域もあったようです。

<マッドフラッド襲来!!>

 全面核戦争の直後、全世界は大洪水に襲われました。

 洪水によって世界中の町が水没し、洪水がもたらした大量の泥が街を埋め尽くしました。

  町にいる人々は泥に埋まり、木造の建物は流され、タルタリア様式の頑丈な石造建物だけが残りました。

 洪水が引いた後そこに現れたのは、5~8メートルにわたって泥に埋まった、無人の町でした。

 これがマッドフラッド(泥の洪水)です。

 

 イギリスでは今でも一階を Ground froor 、2階を First floor と呼ぶ風習が残っていますね。これは建物の一階部分が地面(Ground)に埋まってしまい、2階に階段をつけて入り口としたことから、生じた風習であると考えることができます。

<マッドフラッド7 地球上にそもそも冬は存在しなかった? 地球温暖化の真実とは!?>

<地球は一年中温暖な星だった?>

 さてここで、あらためて1816年に起きた全面核戦争&マッドフラッドの影響について考察していきましょう。

まずは全面核戦争がもたらした、全地球的影響について考察してみたいと思います。

 核戦争&マッドフラッドのもたらした最大の影響は、もちろん洪水による大量死と文明のリセットです。それはまた全地球的な、気候の変動をもたらしました。

 結論から言うと、マッドフラッド以前にこの地球には、「冬」という季節が存在していなかったのです。

     

<彫刻、絵画に残された当時の気候>

 建物以外にも、冬が存在しなかった証拠は多数残されています。昔の彫刻や絵画を見てみましょう。

 ヨーロッパを中心に残されている彫刻は、ほとんどの人物が半裸体です。来ている服は一枚の布を体に巻き付けた様式になっており、肌の多くが露出しています。

こんな格好で、もしも冬が存在していたとしたら、寒くてしかたがなかったでしょう。

これらは当時、そもそも雪は降ることがなく、コートを必要とする気候は存在していなかった、すなわち冬がなかったことを物語っています。

<核の冬の始まり>

 この状況は、1816年以降、一変します。1816年はすでに述べたとおり、「夏のない年」と呼ばれています。真夏でも雪が降り、真冬は氷点下38度まで下がった年ですね。

 この年、1816年に、大量の核兵器の爆発によって太陽光が遮られ、史上初めて「冬」という季節が出現したのです。世界中に雪が降るようになったのです。

 この気候変動は、現在まで延々と続き、現在でも世界中で冬が到来し、雪が降るようになっているというわけです。

 これはいわゆる「核の冬」そのものです。

 専門家は、核戦争の後、核の冬が来る、なんて言っていますが、なぜそれがわかったのでしょうか。

 われわれは、黙示録以降の世界に住んでいるのです。200年前に起きた核戦争によって、人類は一度滅亡し、その後の核の冬が、現在でもなお、続いているというわけです。

<地球温暖化の真実>

  地球は本来温暖な気候であり、DSが行った核戦争による核の冬によって、200年にわたり、寒冷化してしまっていたにすぎません。

 しかし核の冬がついに終わり、地球は元の温暖な気候を取り戻そうとしているのです。

<DSの隠蔽工作にだまされるな>

 地球温暖化に警鐘を鳴らし、二酸化炭素の排出量を規制したり、SDGsを推進したりする勢力と、かつて核戦争を引き起こし、核の冬をもたらした勢力は、まったく同一の勢力です。

DSは自分たちがもたらした核の冬を隠蔽するために、全く関係のない原因をでっちあげ、我々の活動を阻害しようとしているのです。

 

 現在、気温上昇によって海面下に沈むとされている土地は、そもそも200年前までは海の下にあった土地なのです。

<マッドフラッド8 黙示録後の世界。過去の偉大な文明は、完全に隠蔽された!? ロシア編>

<核戦争後の世界>

 1816年の核戦争は、タルタリア帝国全域、特にタルタリアの本拠地であったロシア・シベリア地域に、壊滅的な打撃をもたらしました。

 その核爆発の威力は実に800メガトン、広島型原爆の4万発分です。

 この地域には、死体さえ残っていません。生きとし生けるものはすべて、核爆発によって燃え尽きたとみられています。

    

<シベリア再入植>

 この地域に再び人が住むようになったのは、30年以上たった、1850年代に入ってからです。

 実は、核爆発後の放射線よりも、原発事故の後の放射線のほうがはるかに長く残るのです。実際、広島や長崎は被爆後10年でもう復興してましたでしょ?

 メルトダウンが起きると、ほぼ数百万年、数千万年単位で、その地域が汚染されてしまうのに対して、核爆発の場合は、数十年で人が住めるレベルにまで放射線量が落ちていくのがお分かりかと思います。

   

<ロシア諸都市の運命>

 広大なロシアには、ところどころ大きな都市がありました。しかしマッドフラッドによる土砂の堆積で、一階部分がほぼ土砂に埋まった形で残っていたのです。

 

<大火による旧文明の破壊>

 これらのロシアの大都市は、マッドフラッドの後にヨーロッパや中央アジアから、多くの人々が入植し、再び都市としての復興を遂げていました。しかしこれらの都市は、タルタリアの文明そのものを亡き者にしようとする、DSローマの標的となります。

 マッドフラッドから18年後、1834年、トゥーラとその周辺の都市に、大規模な火災が起こります。これはトゥーラ大火と呼ばれています。

  どうやら、トゥーラとその周辺の都市は、核ミサイルによって焼き払われたようです。

 トゥーラは、1812年、ナポレオン戦争当時のモスクワと同様、DSローマによる核ミサイルによって焼き払われ、タルタリア様式の建造物の多くが破壊されてしまったのです。

 DSは、マッドフラッド後に世界各地に残された、タルタリア様式の建造物を、軒並み核ミサイルで破壊していったのです。

 マッドフラッド後の1820年から、世界中にコレラが蔓延しました。

 DSは、マッドフラッド後に各地に残るタルタリアの痕跡を核ミサイルで一掃し、その際に起きた放射線被ばくを、コレラという伝染病でカムフラージュしたものと思われます。

<タルタリア文明の痕跡の破壊>

 ロシアは、1816年の大規模核戦争のメインターゲットとなりました。シベリアは完全に焼き払われ、1850年まで人が住むことができませんでした。

 その後、都市への核攻撃によって、タルタリア文明の建造物の大半が焼き払われました。

 

<マッドフラッド9 黙示録後の世界。過去の偉大な文明は、完全に隠蔽された!? ヨーロッパ・アジア編>

<土砂に埋まった建物>

 それでは、ロシア以外の地はどうなったのでしょうか。核戦争後のマッドフラッド(泥の洪水)は、ほぼ世界全域を埋め尽くしました。

 ヨーロッパ、アジア、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリアも泥に埋まりました。もちろんDSローマの本拠地、イギリスも例外ではありません。

<人のいない町>

 マッドフラッドの直後には、5~7メートルの土砂によって、町がうまり、建物の一階部分が地下になった建物が大量に出現しました。

 町の人々は、マッドフラッドの土砂に埋もれて全滅してしまいました。

 19世紀半ばには、このようなゴーストタウンが世界中に存在していました。

 

<暗黒の中世とは>

  しかし、中世、近世に当たる時代は、実際にはタルタリア帝国全盛の時代であり、高度に文明化された時代でした。

 では、暗黒の中世とはなんなのでしょうか。わたしは、暗黒の中世というのは、マッドフラッド後の混乱した世界のことであると考えています。

 

<占領された町々>

 DSローマの人々によって占領された、マッドフラッド後の町はどのような感じだったのでしょうか。

 彼らはタルタリア文明の遺産となる町や建物を占領しましたが、それらの建物の本来の使い方を知らなかったため、とんでもない問題がいろいろ発生しました。

 フリーエネルギー発電所は、DSの崇拝するキリスト教の教会となり、工業プラントはDS貴族の住む宮殿となり、農業プラントは、DS貴族の庭園となりました。

 

<マッドフラッド10 アメリカは孤児たちが作った国だった? 黙示録後の世界。過去の偉大な文明は、完全に隠蔽された!? アメリカ編>

<アメリカ大陸の形状変化>

 マッドフラッド後の真の歴史についての考察を続けていきましょう。次はアメリカです。

 アメリカ大陸、特に北米大陸に関する最大の謎は、時がたつにつれて、その形状が大きく変化しているということです。

 これは1570年にオルテリウスが書いた世界地図です。アジアやヨーロッパ、アフリカに関しては今とあまり変わらないようですが、南北アメリカ大陸の形は今と大きく異なっていますね。

 ことに北米大陸は今よりずっと大きく、北部に大きく広がっているようです。

 どうやら、北アメリカ大陸は、もともと現在の2倍以上の面積があり、北部に大きく張り出していたようです。

 おそらくシベリアとは陸続きだったのではないでしょうか。ひょっとしたら、北極をも含む巨大な北極大陸であった可能性があります。

 

 考えられるストーリーは大体以下のようなものになるでしょう。

 北米大陸北部は、1816年に大規模核攻撃を受け、北部はマッドフラッドによってそのまま海中に没しました。

 攻撃のひどかったカナダ北西部は、50年ぐらい人が立ち入ることができず、地図上の空白地帯となりました。

<泥に埋まった無人の町>

 アメリカでは、核戦争後に発生したマッドフラッドに関しても、他地域と比べて激烈なものとなっています。

 おそらくアメリカ全土が、いったん海の底に沈んでしまうレベルの大洪水が襲ったのではないかと思われます。

 洪水が引いた時、アメリカ全土が完全に土砂に埋め尽くされ、そこに住んでいる住人は、ほぼ全員が死亡したのではないでしょうか。

 こう考えてみると、アメリカ大陸こそが、DSローマの主要攻撃目標であったことがよくわかります。

 おそらくタルタリア帝国の首都、または中心地は、シベリアではなく、今は水没している北アメリカ大陸の北部地域にあったのではないでしょうか。

<ヨーロッパの孤児政策>

 というわけで、マッドフラッドののち、北アメリカ大陸に住む住民たちはほぼ全員が死亡し、カナダの北部は海中に没してしまったと思われます。

   この状態の無人の大陸の東岸に、ヨーロッパから、DSローマの人々が上陸し、大規模な移民をしていきました。

   

<孤児たちが作ったアメリカ>

 これらの孤児たちが最終的に行き着いた場所は、無人のアメリカ大陸でした。

   

<子供たちの製造!?>

 さて、あらためて考えてみると、これらの大量の孤児たちと、未婚の母たちの数があいません。

 ヨーロッパ全土で毎年数100万人単位の孤児たちが発生していましたが、果たして未婚の母たちはこんなにいっぱいいたのでしょうか?

 

 これは当時の遊園地のアトラクションにあった、インファント・インキュベーターという施設です。

 

 彼らの成長後の姿です。なんと、全員同じ顔をしています。

 当時の兵士たちの集合写真です。まったく同じ顔の人物が何人もいるのがわかります。

 こちらは1737年に書かれたとされる、ペテルブルグの都市計画図の一部です。瓶に入った赤ちゃんが描かれています。

 どうやら、この当時存在していた大量の孤児たちのかなりの部分は、実の母親から生まれた子供ではないようです。

 

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