世界の情勢を大いに左右した謎の人々の組織は確かにインドに存在していたと主張した。(2)

・アストラル・ライトはエリファス・レヴィが提唱した概念のひとつで、魔術師の意志と想像力の媒体である。メスメルの思想とロマン主義の思想が統合されたわけだ。レヴィ由来の思想としてはもうひとつ、暗い秘密と禁忌の知識が達人から見習いへと受け継がれて、脈々とつながったオカルト的継承の流れをなしているという考えがあった。ふたつの考えはブラヴァツキーに深い影響を与えた。また、フランス人ルイ・ジャコリオの影響もある。ジャコリオは『インドのオカルト学』で、世界の情勢を大いに左右した謎の人々の組織は確かにインドに存在していたと主張した。1920年代には、キャサリン・ティングリー率いるポイント・ロマの神智学協会に属していた小説家タルボット・マンディによる秘教的な小説に「知られざる九人」の伝説が登場する。

・しかしブラヴァツキーに最も強い影響を与えたオカルト作家は、ブルワ=リットンである。『ザノーニ』からブラヴァツキーは、数々のオカルト概念と並び、人類のほとんどから離れたところに立つ不老のオカルト達人たちの集団がいるという考えを取り入れた。また、古い秘密の言語があるという考えも借用し、それをセンザール語と呼んだ。『シークレット・ドクトリン』の基盤をなす教えが書かれている『ジャーンの書』の原語とされる言葉である。

そしてブルワ=リットンの初期のSF作品『来るべき種族』からは、いずれも人類の代わりとなる超人という新人種の概念を取り入れた。人類が新しい種類の存在へと進化しているという思想は、新世紀において様々な形で流行した――ニーチェ、ベルクソン、H・G・ウェルズ、バーナード・ショーの全員がそれぞれの方法で新人類を描いた。

しかしブルワ=リットンが一番早く、その次がブラヴァツキーである。想像できないほどの時間をかけて宇宙的進化が行われるというブラヴァツキーの考えは、H・P・ラヴクラフトの奇怪な幻想小説やオラフ・ステープルドンの壮大なSFにもつながっていったが、残念なことに、多くの人にとってはスピリチュアリズム的に正当化された人種差別の基盤となった。最も悪用された例は、ナチスの原型となるアーリア人至上主義者によるものだ。

・ニューヨークの後、ブラヴァツキーとオルコットはインドに移住し、アダイヤーに居を構えた。ふたりはそこから、心霊現象と東洋の教えを混ぜ合わせた魅力ある教義によってオカルト世界の征服を進めた。

・しかし、その少し後に災難が起きた。元従業員によってHPBがいかに超常現象を偽装していたか、特にマハトマとモリヤというふたりの師の出現とされた現象について暴露する記事が発表されたのだ。心霊現象研究協会による調査が続き、神智学の組織は揺らいだ。しかしこの二件は結局のところ活動範囲に大きな影響を及ぼすことなく、神智学はヨーロッパとアメリカで信奉者を集め続けた。

<H・G・ウェルズ>

・H・G・ウェルズはオカルティストではなかった。科学の支持者としてウェルズは仲間のフェビアン協会会員だったバーナード・ショーを非難したことがある。ベルクソンの「エラン・ヴィタール」をショーが信じていたからだった。ウェルズはその概念を「まじない」と呼び、近代の人間が理性的な世界秩序を作るために廃棄せねばならない迷信の山の上へと放り投げた。しかしウェルズ自身も彼なりに超人についての考えを持っており、ニーチェの突然の進化的飛躍というヴィジョンを、科学を通じた進化というヴィクトリア朝の信念としばしば結びつけた。

・ウェルズをオカルティストとは呼べないが、ポー、ブルワ=リットン、ジュール・ヴェルヌに続いて近代的なSFを創造しようとしていた駆け出しのころ、彼はオカルト思想に取り囲まれた場で書いていた。彼が特に惹かれたのは「4次元」だ。『タイム・マシン』をはじめ、ウェルズはこの世界と並行した別の空間があるというアイデアをたびたび利用した。

・『手術を受けて』では、語り手は手術中に投与された麻酔薬によって幽体離脱し、宇宙の圧倒的な空虚を抜ける旅をして、ついには創造主の変容するヴィジョンを目にする。『白壁の緑の扉』では、政治家が子供のころに魔法の扉を通り抜けて魔法の庭に行ったことを回想する。彼はその記憶に囚われ、生涯扉を探し続ける。

・『ダヴィドソンの眼の異様な体験』も4次元の話で、他のオカルト現象や超常現象も登場する。予知能力、バイロケーション、遠隔透視などだ。

不運なダヴィドソンは嵐に遭遇し、電磁石の極のあいだに囚われて圧倒的な衝撃を受ける。目覚めたとき、彼の意識ははるか彼方のポリネシアに移動しているのだが、身体はロンドンの研究室にある。

・ウェルズ自身が4次元についてどう考えていたかという点も意見が分かれるところだ。彼は元飛行家で時間理論家となったJ・W・ダンの良い友人だった。ダンには予知夢についての経験をつづって一時話題になった『時間の実験』という著作がある。ウェルズの作品の多くに登場する飛行士はダンをモデルとしており、『世界はこうなる』では、語り手に150年後の未来に書かれた歴史教科書を読ませるにあたり、ダンの夢や予知についての考えが使われている。しかし、ウェルズはあるとき友人の理論についての意見を変えたらしく、推薦しているという印象を防ぐためダンの著作についての好意的な書評を撤回している。

<ロード・ダンセイニ>

・1905年、風変わりな薄い書籍がロンドンの書店に並んだ。それは作家自身が出資してエルキン・マシューズ社が出版した『ペガーナの神々』という本であり、画家シドニー・H・シームによる美麗な挿画がついた物語は、読者をそれまで全く知られていなかった神殿へと導いた。

・しかしそこにはまた別のもの、厭世的で、悲観的とさえいえるメランコリーの感覚もあった。これらは、もう既に存在しない神々についての物語だった。この官能的で壮麗な、珠玉の散文詩は、超人よりもさらに美と偉大さを兼ね備えていたにもかかわらず、同じようについには終焉を迎えた存在の消滅について語っていた。

 

・なんらかの寓意があるとすれば、それはこの影の国では不死者さえも衰えなくてはいけないということだろう。人生、存在、宇宙そのものが単なる暇つぶしの遊び、退屈した無関心な神々の虚ろな心を埋めるために用意されたゲームであり、その神々もときたま駒をしまい、再び深い憂鬱で取り出す気になるまで放っておく。ショーペンハウエルもワーグナーも同じことを以前述べている。それは世紀末の終わりの洗練されたデカダンスには似合いのテーマであり、それが美しい薄い書物となって現れたのである。

 著者は、神秘主義の夢想家でも、凍てつく屋根裏部屋で執筆にいそしむ麻薬中毒のオカルティストでもなかった。1878年にアイルランドのミーズ州にある一族の領地で生まれたエドワード・ジョン・モアトン・ドラックス・プランケット――ロード・ダンセイニという名のほうが知られている――は第18代ダンセイニ男爵、イギリス諸島で最も古い男爵号のひとつの誇り高い継承者だった。彼は選挙で保守党の候補にもなり、1400エーカーもの土地を所有し、狩猟愛好家、スポーツマンで、旅行家でありボーア戦争の退役軍人でもあった。イートン校とサンドハースト王立陸軍士官学校で教育を受け、様々な意味でヴィリエ・ド・リラダンが夢見ることしかできなかった類の貴族的な生活を送った。

・『ペガーナの神々』を刊行した後、ダンセイニは政治活動をやめ、専業作家になった。もともと何かしなくてはいけないという気持ちから政治に関わっていただけだったのだ。しかし、物語や詩、戯曲、長篇、随筆、自伝を1950年代まで発表していた――あるときはブロードウェイでダンセイニの戯曲が5本も同時上演されていたほどだ――にもかかわらず、ダンセイニにとって創作は常にアマチュア活動だったようだ。

・しかし、評論家E・F・ブレイラーが言ったように、どういう題材でもだいたい売れる物語にできる怪しい才能があった。あるときテムズ川の泥についての物語を作れると言い、実際に書いたぐらいだ。しかしこの「書き飛ばす」――彼はあまり推敲せずにさっと書いた――コツを持っていることは、ジャーナリストにはよいだろうが、本気の作家にとっては致命的だ。 

・もちろん、彼の作品に美点がないわけではない。『ペガーナの神々』、『時と神々』、『夢見る人の物語』などの作品には、七宝細工のような美しさがある。菓子やキャヴィアのように少量で満足できるもので、さらに食べたいと思うともっと肉のあるものが欲しくなるのだが、ダンセイニの莫大な数の作品のうち今も読まれ続けているのはそれらの初期の幻想小説であり、そこに流れる空気は真似しがたく、後世の幻想文学作家に与えた影響は言い尽くせない。ラヴクラフト、トールキン、E・R・エディスンをはじめとする大人向け幻想小説の名作を生み出した作家たちは、ダンセイニがそもそもその分野を作らなければ、活躍する場がなかっただろう。

・ウェルズ同様、ダンセイニはオカルティストではなかった。短篇「ハシッシュの男」は、「アストラル・トラベル」のためにハシッシュ(ハシン)を摂取するという友人イェイツの行為をからかったものではないかと思える。ダンセイニの作品を評価する魔術師にはアレイスター・クロウリーがいる。

<P・D・ウスペンスキー>

・ピョートル・デミアノヴィッチ・ウスペンスキーは、ほとんどの読者にとっては、もし知っているとしても単にゲオルギィ・グルジェフの最も忠実な弟子としてだろうが、ウスペンスキー自身も優れた思索家だった。グルジェフという破格の人物と出会ったことは彼の人生における最たる不運だったかもしれない。

・しかし、1947年、過度の飲酒がもたらした死の数ヶ月前、ウスペンスキーは「ワーク」の歴史では伝説となった一連の講義を行った。「ワーク」とはグルジェフの「調和的発展」の独特のシステムに与えられた名前である。アメリカに疎開してロンドン空襲を避けた後、戦後のロンドンに戻ったウスペンスキーは、それまで25年以上献身的に広めてきたシステムを否定して聴衆に衝撃を与えた。「自己想起」、「眠り」、沢山の異なった「私」、人間はみな「機械」であるなどといった「ワーク」に付随する考えのすべてを、年老い病んだウスペンスキーは否定したのである。彼は生涯を捧げた教えを放棄して、聴衆に自分で考えるように促した。

・ウスペンスキーが根底から意見を覆すのは珍しいことではなかった。彼は秘教の著述家の中では間違いなく最も自己批判的で、悲痛なほど率直で、かつ読みやすい著者のひとりだった。

・永遠に同じ過ちを犯し続ける無限の自分自身という陰鬱なヴィジョンと、正反対の非常に楽観的な超人というヴィジョン――さらにいえばその超人はバックの宇宙意識を多く与えられてもいる――とのあいだを、ニーチェと同じく、ウスペンスキーの思考は揺れ動いた。彼が多少なりとも実際に宇宙意識を体感したことがあったのは、注目すべきエッセイ「実験的神秘主義」から明らかだ。

・ウスペンスキーがグルジェフに会ったとき、この「ずるい人間」の陰気な教義――人間は自由を得る可能性を少ししか持っていない機械である――が、世界に対する彼自身のロマン主義らしい拒否と結びつき、ストア派的な諦念の姿勢へと後押ししたと考えられる。いずれにせよ、彼はグルジェフと共に活動した後、執筆をあまりしていない。在命中に刊行された最後の著作『新しい宇宙像』は、グルジェフに会う以前に書いたエッセイを集め、古くなった箇所などを改稿したものだ。同書の章の多くは「タ―シャム・オルガヌム」と似たテーマを扱っている――4次元、超人、永劫回帰、そして新しい物理学に関する独自の論。しかし、そのすべての根底には秘教思想が流れている。

・若いころのウスペンスキーは詩人肌で、ロマン主義的で傷つきやすい側面を持っていた。それは初期の著作、たとえば短篇集『悪魔との対話』から読み取れる、また、最初期の一作、ロシアで1911年に刊行された『タロットの象徴主義』からも明らかだ。時間、意識、秘密の叡智についての思考を融合したこれらの誌的な散文は、後に改稿されて『新しい宇宙像』の章のひとつになった。

・1920年にンスタンティノープルに着いたウスペンスキーは、ロシアに二度と帰ることはなかった。外国で過ごした長い年月のあいだ、彼はボルシェビズムに対して苛烈で根強い憎悪を抱え続け、それが「罪の歴史」の中でも最も恥ずべき例であり、かろうじて残っている西欧文化さえも打ち捨てようとする非常に有害な野蛮さを有しているととらえていた。といっても、帝政を好んでいたわけでもない。1905年、彼の愛する妹は反体制派として逮捕されてモスクワのブティルスキー監獄に収監され、獄死した。モスクワの新聞社でジャーナリストとして働くウスペンスキーにオカルトの本を読ませ、ついには奇跡を求める長い旅に導いたのは、そういう陰鬱な現実だったのだ。

<アレイスター・クロウリー>

・20世紀で最も悪名高い魔術師は、1875年10月12日にウォリックシャーのレミントン・スパで、エドワード・アレクサンダー・クロウリーとして生まれた、彼は後に父と同じ名前を避けるため名前をアレイスターに変えた。波瀾に満ちた長い生涯における数多くの変身のひとつである。成人してから1947年に死を迎えるまで、クロウリーはたくさんの分身を持った。例えばペルデュラボー。「ボールスキンの領主」、チオ・カン王子、スヴァーレフ伯爵、アンク・アフ・ナ・コンス、そしてサイモン・イフもそうだ。「より高次な分身」を含めるなら、セックスや麻薬、魔術的儀式を通じて近づける別次元の超自然的存在、エイワスもいる。クロウリーが過去生だと主張した人物――例えばカリオストロ伯爵やエリファス・レヴィ――を加えるとさらに増える。

・クロウリーの生涯は何度も本になっている。1960年代後期にリバイバルが起きて、ヘヴィメタルのファンに取り上げられるようになり、彼は生前の汚名をはるかに上回る死後の悪名を得た。セレマ教のキャッチフレーズだった「汝の意志するすることを行え」はいまやティーンエイジャー御用達となっている。

・クロウリーは多種多様な経験をした。ヒマラヤに登り、中国を徒歩で横断し、数ヶ国語を学び、一財産を浪費し、複数のオカルト結社に所属した。驚くほどの量の麻薬を摂取し、男女両方といろんな場所とやり方で性的関係を持ち、チェスのチャンピオンとなり、第1次世界大戦中はドイツのプロパガンダを書き、設立した魔法の僧院をムッソリーニによって閉鎖されるという稀有な特別扱いを受けた。1920年代や30年代にはときどきタブロイド紙の紙面を飾り、「世界最悪の変人」というラベルを貼られた。

・その後の生涯をクロウリーは魔術の評判を回復させることに捧げた。まず、カバラや儀式魔術を中心とする様々なオカルトの技を学び習得することによって、次に、彼自身の宗教を宣伝することによって、当初は「クロウリー教」――明らかにキリスト教への当てこすりだ――と呼ばれていた「セレマ」は、1904年にクロウリーがカイロで『法の書』の啓示によって得た教えである。1900年に黄金の夜明け団を離れたクロウリーは、しばらく魔術を避け、仏教や瞑想に注意を向けた。かなりの額の遺産を相続した彼は、他の関心事である旅行と登山に没頭した。

・1904年、前に触れたように、クロウリーは、ブラヴァツキーにとっての隠れた師のクロウリー版ともいえる「秘密の首領」に接触された。一番目の妻ローズ――後にアルコール依存症により死去した――を霊媒として、クロウリーは『法の書』という聖典を受け取ったのだ。4月8日、カイロのホテルの彼の部屋で、虚空から声が聞こえ、新しいアイオンの言葉を啓示した。クロウリーは猛烈な勢いで書きつけ、残りの生涯喧伝して回ることになる教理を手中にとらえた。

<近代のオカルティスト>

<フェルナンド・ペソア>

・比較的最近までポルトガル人の詩人フェルナンド・ペソアの作品はあまり知られていなかったが、この数年で彼は複数の評論家によって再評価されている。

・ベンヤミンと同じく、ペソアの死後の名声は、作品ももちろんだが、彼自身がたどった生涯から生まれている。ベンヤミンの場合、その生涯はナチから逃げるユダヤ系知識人という神話を体現している。

・いくつかの文芸誌に文章や詩が掲載されたものの、英語詩集を除けば、ペソアの存命中に出版された著作はもう一冊だけ、死の前年の1934年に世に出た『啓示』だ。ポルトガル版アーサー王といえるセバスティアン1世王の帰還と、来る心霊の第五帝国におけるポルトガルの卓越を主張する長い秘教詩である。ペソアの独特な神秘愛国主義を示す同書は、全国コンクールで残念賞を受賞した。

・これから検討するペソアのオカルトへの関心がなかったとしても、彼がアルベルト・カエイロの登場について書いた文章には超常的なものを感じざるをえない。「忘我」、「出現」、「師」という言葉は全て、憑依、霊媒、マダム・ブラヴァツキーのスピリチュアルな導き手といったものを彷彿とさせる。ただ、ペソア自身は神智学に批判的で、あるとき自動筆記を行っていた際は「神智学の本を読むのはもうやめろ」とアドバイスされたという。

・自動書記に続き、ペソアは別のオカルト術も身に着けた。1916年6月、叔母のアニカに宛てた手紙で、霊媒になって、他の超常的能力も伸ばしたと書いている。そのうちのひとつはある種のテレパシーだった。

・「エーテル的ヴィジョン」が急に浮かぶことがあって、一部の人と特に自分の「磁気的オーラ」が、鏡に映ったり、暗いときに両手から輝きだしていたりするのを見ることができるんです。

・ジェラール・ド・ネルヴァルと同じく、ペソアはオカルト史に関心を持っており、秘密結社や秘密組織に魅了されていた。そして当時のサラザール政権がフリーメイソン禁止の提案をしたときは反論している。

・ペソアのオカルト的世界史において、フリーメイソンは古代グノーシス主義から始まった神秘主義的異端を現代で体現しているものだった。生涯にわたってキリスト教を敵視したペソアは、「グノーシス主義的異端」が歴史の様々な局面で現れると考えていた。12世紀スぺインのカバラ主義者、マルタ騎士団、テンプル騎士団、薔薇十字団、錬金術師たち、そして最近ではフリーメイソン。この秘教の大樹においてペソアが最も好んだ枝は、薔薇十字団だったようだ。

・グノーシス主義と薔薇十字団のあいだに明確なつながりはないが――時期も数世紀離れており――ペソアはデミウルゴスによって世界の堕落がもたらされたというグノーシス主義的思想と、17世紀のクリスチャン・ローゼンクロイツの信奉者たちを結びつけている。

・ペソアが実のところ何を信じていたのか、というのは難しい問いだ。異名の誕生を語る手紙で、彼は自分のオカルト思想についても詳しく述べている。「私たちの世界よりも高次にある世界の存在を、それらの世界に住む者たちの存在を信じています」と彼は書いている。そして、「私たちは、心霊的な同調の段階によっては、高次の存在と交流することができる」と信じている、と。

『宇宙からの大予言』

迫り来る今世紀最大の恐怖にそなえよ

松原照子   現代書林  1987年1/10

<予言者誕生の物語>

・私は、いつもいろいろなことを見ようとして暮らしているわけではありません。ただ人に質問されると、テレビのスイッチを入れたように、目の前に画像が映し出されます。テレビや映画のように映るのですから、私にとっては別段大変なことではありません。

・私自身、信じきれないところがありますが、私の不思議はまだまだ続きます。私が触ると病気が治るという人が増え、また不思議と良くなる方々が増え始めています。

・それに、眠る前にいろんな方が私を訪ねて来て、この世の不思議を教えて帰ります。そして、その人々が私に「今回のことは発表しなさい」と、ささやくのです。

<ささやく人々の訪問>

<ブルーグレーのおばあちゃん>

・「あなたはだれ?」

1982年春のことです。いつものように本を読み、眠ろうとした朝の4時ごろです。ベッドの横に、ロシア系の老婆が立っていました。「おばけ」とよく出会う私は、また「おばけ」かと気にもとめず、眠ろうとしたのですが、老婆はいつまでも私を凝視し続けています。ほほはたるみ老婆の顔ですが、グレーの中にブルーが光るその目は、若々しく燃え、けっして老いた人の目ではありません。

<黒い法衣の僧侶>

・ブルーグレーのおばあちゃんと黒い法衣の僧侶は、たびたび現れますが、いつも決まって5時の鐘音の前に姿を消します。私の5時消灯の習慣も、この二人の時間割に準じてのものなのです。

・いつもはやさしいブルーグレーのおばあちゃんが、怒り顔です。後ろの方々の中に、私は、初めて見る口ひげと顎ひげのある50歳ぐらいのやせた西洋人を見出し、その方に救いを求めました。

<出会い、不思議な世界>

・私は、ブルーグレーのおばあちゃんが率いる皆様に見せられたこと、聞かされたことを『恐怖の大予言』と称する小冊子にまとめ、自費出版しました。1985年10月のことです。

・私の会う“おばけ“の方々は、我々と同じように足もあり、ごく普通に歩きます。その姿は、50年ぐらい前までのファッションで江戸時代や戦国時代のいでたちではありません。

・夜、帰宅途中に"おばけ"に会うと、私は、つい、「こんばんは」と、話しかけてしまいます。

 すると、その方々は、私と一緒に歩き出し、我が家へ一緒に入ろうとするのですが、「南無阿弥陀仏」と合掌すると、私のことを気にしていないという素振りで帰っていきます。

<ささやく人々の正体>

・その方の話によると、ブルーグレーのおばあちゃんは、ブラヴァツキー夫人といって近世に神智学を復興した初代会長、ひげの西洋人はクート・フーミ大師だそうです。彼らは、数千年も古くから密かに伝えられてきた神智学に関係のある人たちでした。

・そして、“地球コントロールセンター”とは、彼らのいるシャンバラであって、ここに地球のそれこそすべてを支配している超人(アデプト)の方々がおられ、ブッダもキリストも、そこから来られたのだというのです。正体を知ったあとも、私は、あの方々に会い続けています。

『薔薇十字団』

クリストファー・マッキントッシュ 筑摩書房 2003/3

<文学に登場する薔薇十字団のアデプトたち>

・薔薇十字伝説の幻想にはさまざまな可能性が開かれているために、それは作家たちに豊かな素材を提供することになった。小説や詩で薔薇十字伝説を扱うことは、民衆が薔薇十字友愛団をどのように見ているかを示すとともに、彼らの見方そのものを形成することになる。同時にそれは、薔薇十字団の活動を持続させておこうとするさまざまな試みを補うものとなった。活動的な薔薇十字団の最近の様相に入る前に、文学においてアデプトと薔薇十字伝説の他の局面がどのように扱われてきたかを見ておこう。

 薔薇十字団のアデプトは華やかな印象を与え、ある時は悪人またある時は善人というように、幅広い役割をもって登場する。薔薇十字団のアデプトは最初『ガバリス伯爵』という不思議な作品に現れる。

・ゲーテは、黄金薔薇十字団との対立においてヴァイスハウプトに共感をもっていたが、薔薇十字思想それ自体を非難することはなく、その主題に興味を持ち続けた。1786年6月28日に、彼は親しい友人であったフォン・シュタイン夫人宛の手紙で次のように書いている。「私は『クリスティアン・ローゼンクロイツの【化学の】結婚』を通読しました。書き改めさえすれば、折をみてお話しするよい妖精物語があります。それは古い革袋に入れたままで正しく評価できないものです」。

「書き改め」られたのは、9年後のことであり、ゲーテは『ドイツの移民たちの会話』という物語集の一部として自分の妖精物語を出版した。『「緑の蛇と美しい百合」』。それはきわめて空想的な物語であり、象徴的な人物も多く登場する。その中には、川辺に住む渡し守、黄金を食べる蛇、二つの鬼火、アデプト的な人物として中心的な役割を果たすランプを持つ男がいる。物語において際立った4つの王の像が立っている。

 その主題と内容は『化学の結婚』とはほとんど関係ないが、2つの作品は明らかに同じジャンルに属している。錬金術や男性と女性の結合というような主題だけではなく、ある特殊な雰囲気を共有しているのである。ともに来るべき人類の変容に関する楽観的な展望を持っている。ゲーテの場合には、この変容は、神殿が大地から出現する場面や壮麗な橋が突然川にかかる場面によって象徴される。

・薔薇十字団のアデプトが邪悪な人間とされるもう一つの物語は、1852年に出版されたエドゥアルト・ブライアーの『ヴィーンの薔薇十字団員』

である。それは、ヴィーンにある薔薇十字団の支部の会員がいかに破壊的な活動に携わっているかを描いている。その一人であるゲオルク・フィリップ・ヴーヒェラーは、ヴィーンには淫売窟が必要であるというような主題について、彼の甥が書いた小冊子を印刷する。彼らは黒い眼帯をした人物の訪問を受けるが、その男はカリオストロと判明する。彼は、「いかにヴィーンが大きくても、私に分からないような秘密はありません。私は、知りたいと思うことのすべてを経験する、この地上では数少ない特権を持つ人間なのです」と告げる。ベルリンからはリーベンシュタイン男爵という老人が訪れる。彼は錬金術の器具を一杯詰めた箱を持ってヴィーンに着くが、後に薔薇十字団の支部のマスターであることが分かる。

・「薔薇十字団です!」と老紳士は繰り返し、今度はじっくりと書いた様子で私を見た。「薔薇十字団の神秘については薔薇十字団員以外に誰も語ることはできませんぞ!そしてじゃ、あらゆる秘密結社の中でも最も油断のないあの宗派の誰かが、世人から彼らの智恵の神イシスを隠すヴェールを自分で引き挙げるとでもお思いか」。

 しかし、彼らはしばらく会話を続けた後、老人は、もう一度会う機会があれば、「その知識に関する適切な資料にあなたの研究をお導きできるかも知れない」と言う。それから、4日後、外出中に青年はハイゲイト・ヒルの麓であの不思議な人物と出会う。彼は黒い仔馬に乗り、黒い犬を連れていた。青年は近くの老人の家に招かれる。それからというもの、彼は老人をしばしば訪問し、その偉大な学識に感化される。老人は自分が一冊の本を書きあげていると告げ、青年は暗号で書かれた原稿とともに暗号の鍵を受け取る。翻訳は困難をきわめ、数年の歳月を要した。その結果完成したのが『ザノーニ』の本文というわけである。

 物語において、ザノーニとその霊的な師匠メイナーは古代の薔薇十字団の最期の生き残りであり、ともに生命の錬金霊液を利用して生き続けてきた。ザノーニは恋に落ちて自分の不死性を失うが、最後には愛する人のために英雄的に自らを犠牲にする。

・ブルワー・リットンは明らかに薔薇十字団の文献に通じていた。彼は、『ザノーニ』で引用しているように、『ガバリス伯爵』を読んでいたし、後には、1870年にその初版が出た『薔薇十字団 その儀礼と神秘』の著者であるハーグレイヴ・ジェニングズと書簡で交流している。

・この手紙からリットンが、薔薇十字団は別の名称のもとではあるがその時もなお存在していたと肯定していることが理解され、興味をそそる。彼は薔薇十字団に関して沈黙を守る「幾つかの理由」があると述べているが、最初のパラグラフの調子は彼が個人的にそれに関与していたことを示唆している。おそらく、『ザノーニ』の序における説明の背景には、彼を参入させたかあるいはある知識を明らかにして、彼に沈黙を約束させた秘密の薔薇十字グループの一員との出会いが実際にあったのであろう。

・スーリャは、自分がいかなる秘密結社あるいは友愛団にも属していないことを強調する。彼は真理を探究するすべての人々に、秘密結社特に「知られざる導師」を持つものを避けるよう忠告している。彼は真の薔薇十字団がいまなお存在していると信じている。「しかし、どこで彼らを見つけることができるであろうか」と彼は問いかける。「もちろん名前だけの薔薇十字結社においてでないことだけは確かである。それは会員から毎年高い寄付を要求しておきながら、その代わりに新参入者に用意する知識といえば、どこの本屋でも安く手に入るものにすぎないのである」。従って、失望を味わいたくなければ、そうした結社を避けなくてはならない。

・スーリャの小説に登場するニコルソン博士は、良き薔薇十字団のアデプトの類型に従っている。悪しきアデプトの類型は、1930年に初版が出たテンプル・サーストンの物語集『薔薇十字団』に含まれる同名の物語「薔薇十字団」にふたたび現れる。物語は、サン・ジェルマン伯爵の有名な挿話に基づく事件で始まる。あるパーティで伯爵夫人に、50年前ヴィーンで夫人が知っていた男性の息子ではないかと尋ねられ、サン・ジェルマンは自分がまさにその男性であると答える。テンプル・サーストンの物語では、ヘイマーケットの時計屋の外で老人と青年が出会うところを語り手が目撃する。若い方の男性、あるいは単に若く見えるだけかもしれない男性は、長く黒い肩マントと、スペインあるいはメキシコ風の帽子をつけている。老人が次のように尋ねる。

「私の勘違いとしたらお許しいただきたいのですが、あなたはゴランツさんですか」

その男は振り向かなかった。このように突然話しかけられても、店の窓のところで自分の夢想から醒めることはなかった。それが彼の名前であったとしても、往来であまりにもなにげなく呼ばれたものだから、別に驚きもしなかったのである。

「私はゴランツですが」と彼は答えた。

「私は、オクスフォード大学であなたの父上と一緒だったんですよ。ともにコーパス・クオリティ学寮でね」若い男は微笑んだ……。

「それでは、あなたはクロウシェイ=マーティン」と彼は、この不意の出会いにもまったく混乱した様子も見せず、言った。

「いかにも。でも、どうしてお分かりですか」

「君のことは覚えているよ。私の父ではなかったんだ。コーパス・クオリティ学寮で君と一緒だったのはこの私なのだ」

日本は津波による大きな被害をうけるだろう UFOアガルタのシャンバラ

コンタクティとチャネラーの情報を集めています。 森羅万象も!UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象といわれます。

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