自分で管理できなくなる理由として多いのが「認知症」です。65歳以上の認知症の方は約600万人(2020年)と推計され2025年には約700万人と65歳以上の約5人に1人が認知症の推計。(3)
<「病気」にならない生き方とは>
<「嬉しい・楽しい・幸せ・愛している・大好き・ありがとう・ツイてる」と言い続けると、うつ状態が改善されるらしい>
・健康な人でも、「肯定的な言葉」を一切言わないで、「否定的な言葉」だけを使っていると、3ヵ月ほどで精神的に落ち込んでしまうことがあります。
ということは、見方を変えると、「嬉しい・楽しい・幸せ・愛している・大好き・ありがとう・ツイてる」という肯定的な言葉だけを言い続け、否定的な言葉に触れないでいると、3ヵ月ほどで元気になるのではないか、と考えました。
・「あれから、『嬉しい・楽しい・幸せ・愛している・大好き・ありがとう・ツイてる』を3000回言ってみました。すると、1週間で、うつ状態が治ったんです」
<肉体的、精神的に「あたたかい人」は、ガンになりにくいらしい>
・じつは、健康な人の体内にも、1日、数千個ほどのガン細胞が発生していて、ストレスが引き金となって増えるそうです。
そして、ガン細胞の増殖を防いでいるのが、「NK細胞」です。
NK細胞は、医療研究者によって「笑ったときに活性化される」ことが報告されています。
ということは、くだらないダジャレでも笑える「あたたかい人」は、ガン細胞が宿りにくいという構造になっていると推測できます。
<「人間のDNAは99.9%同じ」なので、ある感情を持つと、近くの人に影響を与える>
・ということは、楽しそうに笑っている人がいたら、その隣にいる人も、ものすごく元気になって楽しく幸せになるのではないでしょうか。
・私は「幸せ4万%」で生きています。
・その人をどうこうする必要はなくて、「自分がどう生きるかだけ」を考えればいい。家族は、DNAの構造が、さらに一致しているのですから、「私」が元気に楽しく幸せに明るく生きていれば、家族もどんどん元気になることでしょう。
<「人に何かをしてあげる」と、体の痛みは軽くなるらしい>
・不思議に思って、先生に「痛みがなくなった理由」を聞くと、「あなたは『体が痛い』からといって、人に何かをしてあげようとは思わなかったのでしょう。人に対して何もしてこなかったから、痛かったのですよ」と言われたそうなのです。
・自分がわがままを言って、言いたい放題、望みたい放題やっていると、体中がチクチクと痛むらしい。このしくみは、神様からのプレゼントかもしれません。
チクチクきた瞬間に、「あっ、そうか。私は、自分のことばかり考えて、ほかの人に喜ばれる存在になっていなかったかもしれない」と気づくと、どうやら、痛みは軽くなるらしいのです。
<「死の時期」は、生まれる前に決めてきているらしい>
・「死」を怖がっている人に、ひと言、お伝えしておきます。
生きている間は、「まだ死んでいない」のだから、死を恐れる必要はありません。死んだら、「もう死んでしまった」のだから、死を恐れる必要はありません。
私たちの魂は、「肉体」という「貸衣装」を着ているにすぎないという考え方があります。だとすると、神様は、「貸衣装」のレンタル会社の社長のような存在です。
・そして、きちんと修復して返せば、「この人は貸衣装を大事にしてくれるから、次は安心して、もっと上等な衣を貸してあげよう」と、神様はニッコリ笑ってくれるのではないでしょうか?
・人は、生まれる前から、「自分の寿命」を「自分が書いたシナリオ」で決めてきているらしいのです。
・人間は病気で死ぬこともないし、事故で死ぬこともないようです。人間が死ぬ理由はたったひとつ。「寿命」というものです。そして、自分の「寿命」は、生まれる前から決まっているようです。
・私は自分の死ぬときがわかっていますが、まったく怖くありません。予定通りに死んでいくだけと考えているからです。この世に生を受けた目的とは、「いかに選ばれる存在になるか」ということです。「いかに長生きをするか」ではなくて、「死ぬまでに何をするか」ということだけを考えていればよいようです。
<「涙を流す」か「汗を流す」か、大変さはどちらも一緒らしい>
・母親と父親の死を経験して、わかったことがあります。それは「流す涙の量と汗の量は同じみたいだ」ということです。
・では、どちらがつらく大変なのかというと、どちらも同じ。「精神的な大変さ」と、「肉体的な大変さ」を秤にかけると、どちらも大変さは同じみたいなのです。
・体内から出てくる「水」を、「涙」と呼ぶか「汗」と呼ぶか、呼び方が違うだけで、本質的には何の違いもないのかもしれません。
大変さはどちらも一緒。
<人生の前半は「手に入れていく時間」、人生の後半は「手放していく時間」>
・私たちの人生の前半生は、「求めて、手に入れていく時間」ですが、後半生は、「いかに手放していくか」の作業をする時間のようです。
・宇宙には、次のような法則があるようです。「手に持っているもの + 幸せ感=100」
<「子ども」が伸びる子育て>
<すべての子どもは「母親を励ますため」に生まれてくるらしい>
・子どもたちに「生まれる前の状況」を聞いてみたところ、「お母さんがさみしそうだから、話し相手になってあげようと思った」「お母さんが泣いていたので、かわいそうで味方をしてあげようと思った」「お母さんを元気づけるためにうまれた」と話してくれました。
・どうやら、子どもは、「母親の味方をしてあげたい」「母親を励ましたい」「母親の話し相手になってあげたい」と思って、生まれてくるようなのです。
<ありのままを褒められた子どもは、「天才性」を発揮する>
・そして、「母親を大好きな男の子」は、ものすごく勉強もするし、お手伝いもします。
・「あなたが私の思い通りになったら愛してあげるけれど、思い通りにならないあなたは嫌い」と条件をつけるのだとしたら、それは「愛していない」といいます。
<「子どもが夢中になっていること」を邪魔しなければ、無限に伸びていく>
・大切なことは、子どもが夢中になっていることを邪魔しないことです。
① 子どもを丸ごと受け入れて、決して否定しない
② 子どもが夢中になっていることを十分にやらせる
③ あなたには、すばらしい力があるということを、子どもに伝える
<人物をつくる4つの要素は、「貧乏」「読書」「感動」、そして「母親の感化」>
・約2500年前のインドに生きてきたといわれる、お釈迦さまは、弟子たちに「人物をつくる4つの要素」を伝え残しています。お釈迦さまの言う「人物」とは、「世の中に寄与し、まわりからその存在を喜ばれる人」だと私は解釈しています。その4つの要素とは、
① 貧乏、②読書、③感動、④母親の感化(母性)
・子どもを育てるときに、もっとも影響が大きいのは、やはり、「母親の存在」です。
<子どもは「感情をコントロールできない大人」を、大人と認めないらしい>
・宇宙には、「親のことを好きな子どもは、親の言うことを聞く、親のことを嫌いな子どもは、親の言うことを聞かない」という法則があるだけのようです。
・子どもは、「感情的な親」を嫌う傾向があります。子どもは、「自分の感情をコントロールできない大人を、大人とは認めない」のです。
<「育てない」ことこそが、最良の子育て>
・親が子どもと向き合って、関わり過ぎるほど、子どもの芽を積んでいくような気がします。
・つまり、「育てないことこそが、最良の子育て」だと私は思います。
<本当は、親が「子ども」に育てられている>
・つまり、私たちは、自分の意思やまわりの環境によって進む方向を決めていると思っていますが、そうではなく、どうも「生まれてくる前に自分が書いたシナリオ通り」らしいのです。
・「魂」の勉強をしていると、「親が子どもを育てる」のではなく、「親が子どもから育てていただいている」ことがわかります。
・子どもに対して声を荒げて、怒鳴って、怒って、当たり散らして、「親という強力な立場を使って子どもを変えていこうとする」と、子どもは親の真似をして、自分の子どもに怒鳴り散らす。
<人間は、生まれながらにして「優しさのかたまり」>
・人間は、もともと、生まれながらにして「優しさのかたまり」です。
・じつは、「相手の哀しみをわかってあげる」だけで、解決できる問題というのが、私たちのまわりに、たくさんあるのではないでしょうか。
<「喜ばれる存在」が人生の目的>
<村民の1500人以上が参加したお葬式。亡くなったおばあさんがやり続けたこと>
・自分が宇宙に対して「喜ばれること」を投げかけていないのなら、返ってくることはありません。
・楽しいことがたくさん降ってくる人生を送りたいのであれば、「自分のほうからたくさん投げかけること」です。「投げかけたものが返ってくる」のです。
・すべてのことは「思い通りにならない」ということがわかって、「思い通りにならなくてもいいんだ」と気づいた瞬間から、ものすごくラクになります。
「思い」を持たないで、「よき仲間からの頼まれごと」を「はい、わかりました」とやっていれば、結果として、ものすごく楽しい人生が味わえます。
人間の生きる目的とは、頑張ることでも、努力することでも、何かを成し遂げることでもなく、「いかに喜ばれる存在になるか」なのです。
<人間の機能は、「喜ばれた数」だけ存在する>
・私は、そのことをずっと宇宙に問いかけていました。そして、2年ほど経ってから、次のような答えが降ってきました。
「人間の機能は、喜ばれた数だけ存在する(つまり無限に存在する)」まったく想像をしていなかった答えに、私は衝撃を受けました。
・人間だけは、自分の意思によって、自分の機能をいくらでも増やせます。「私」がそのことに気がついて、「喜ばれること」を投げかけはじめると、人間である「私」の機能は、無限に増えていくことでしょう。
<自分の「命」を、誰かに「使」ってもらうことが「使命」>
・「経済的なことは考えずに好きなことをしてもいい」と言われても、今のままの生活を続けるでしょう。それが、一番楽しいからです。
私自身は、あくまでも「素材」であって、自分で自分の人生をどうにかしようとは思いません。自分の方向性や意思というものはありません。自分の「命」を誰かに「使」ってもらうことが「使命」であり、それがすなわち「喜ばれる」ということです。
・自分ひとりの力で生きるのではなくて、「ヒト」の「間」で生きるから、「人間」となるのです。「人間の価値は、人との関わりの中で生まれてくるもの」です。
<「自分には、何の取り柄もない」という状況は、じつは、恵まれている>
・たくさんのすばらしい才能を持っている人ほど本当は恵まれていなくて、「恵まれていない」と思う人ほど、「恵まれている」のかもしれません。
<人間が「一生の間でできる仕事の量」は、決まっている>
・世の中のしくみは、ものすごく簡単にできているようです。
・どうやら、「人間が一生の間でする仕事」は、決まっているのかもしれません。年齢ではないようです。
・人間は、食べる量が決まっていて、心臓の鼓動の数も決まっていて、それから、人間の一生の仕事量も決まっているのではないでしょうか。
社会のしくみ、世の中のしくみがそうなっているだけであって、「早くに亡くなるのか、長生きなのか」ということは何の意味もないのかもしれません。
・「よき仲間からの頼まれごとを、淡々とやっていく」
何か頼まれごとがあったら、疲労困憊しながら、ただ、淡々と、それをやっていくことだけなのかもしれません。
<大切なことは、「学ぶこと」ではなく「実践すること」>
・15年間修行をしても、「誰も幸せにしていないなら、何もしていないのと同じである」とお釈迦さまは考えたのでしょう。
仏法の戒律は、女性を近づけてはいけない。女性に触れてはいけない、とは必ずしも言っていないと思います。
・これは、お釈迦さまの「教えの深さ」がわかる話です。一番大切なことは、「学ぶこと」ではありません。「喜ばれる存在」になるために、「実践すること」なのです。
<「ありがとう」は奇跡の言葉>
<英語で「現在」は「Present」。つまり、普通の今があること自体がプレゼント>
・世間一般の人から見たら、「だから何? ということ」にも楽しみを感じられる感性が磨かれ、さらには、何もなくても、楽しみや幸せを感じられるようになると、「淡々と普通に過ぎていく日々が、もっとも幸せだった」ということに気がつきます。
・何か楽しいことが起きたら「ありがとう」ではなく、何事もなく、ただ無事に生かさていることに「ありがとう」を言うことができる。何も起きていない、この普通の瞬間瞬間が、じつは「神様からの最高のプレゼント」だと思います。
<「モノ」に「ありがとう」を言うと、奇跡が起きるらしい>
・「ありがとう」を言った数がある一定数を超えたとき、奇跡としか言いようのない現象となって、その人に降り注ぐことがあります。しかも、「ありがとう」を言うときに、「心は込めなくてもいい」というのが私の考えです。心を込めなくても大きな効果が得られるのが、「ありがとう」のすごいところだと思います。
・「ありがとう」を1000回ほど言っていたら、突然、お腹の底から熱いものがこみ上げてきたそうです。
・何かをしてもらったときに「ありがとう」を言うのではなくて、してあげたときにも「自分にさせていただいて、ありがとう」と言うようにすると、世の中は、よい方向に変わっていくのではないでしょうか?
<「ありがとう」を言い続けていると、守護霊が力を貸してくれるらしい>
・このように、私の本に携わっている人すべてに「感謝」をしていると、本が売れてくれるみたいなのです。
・努力をしなくても、頑張らなくても、必死にならなくても、「ありがとう」を言い続けているだけで、商品が売れていくのは、どうやら、「守護霊」が味方をしてくれるからのようなのです。
どうやら、私たちのいる3次元よりも、ひとつ格が上の4次元には、精霊、守護霊という方がいるらしいのです。そして、「私」のことを一番好きな精霊が、守護霊になってくれるみたいです。守護霊は、別の言い方では、「おかげさま(お陰さま)」と呼びます。
「守護霊」は「シナリオを書いて生まれてきた私」が、その自分のシナリオをまっとうできるように、あれこれ働いてくれているようです。
・しかし、そんな守護霊を呼び戻す言葉が、「ありがとう」みたいなのです。
守護霊は、なんと、人間の10の68乗(無量大数)人分の力を持っているようで、このことがわかってしまうと、必死になって人の何倍も努力するより、守護霊に「ありがとうございます」を言って、守護霊の力を借りたほうがいいと考えられそうです。
・守護霊は「ありがとう」を言われると、嬉しいらしい。
<物事がうまくいかないのは、「感謝」の気持ちが足りないから>
・私たちは未熟なので、「あれが足りない」「これが足りない」と言い続けていますが、「本当に必要なものは、すでに神様から与えられている」と考えることができます。
・今、こうして生きていられるのは、休まないで動き続けている細胞や臓器のおかげなのに、そのことに「感謝」をせず、「足りないものばかり」に目を向けています。
・「物事が思うようにいかない」と感じるとしたら、それはあなたの「感謝が足りないから」かもしれません。
<自分で言う「ありがとう」のほうが、「2倍」以上のパワーがあるらしい>
・「この人の『ひとり言』を聞いていると、体が元気になって活性化するので、この人のそばにいたい、この人のためにいろいろなことをしてあげたい」と思い、味方になってくれるようです。
・したがって、自分を元気にするためにも、「愛しています」「ありがとう」の言葉をなるべくたくさん言ったほうがいいと思います。
・ということは、夜、寝ている夫の耳元で悪態をついていると、夫の体は弱っていきますが、その2倍以上の早さで、自分の体も弱っていくみたいです。
<病気をしない、事故に遭わない、何も起きないで、日々を普通に過ごせることは、じつは「奇跡の連続」である>
・「お父さん、家族はね、分かち合うためにあるんだよ」
・「それは、楽しいことも、おもしろいことも起きるわけでもなく、普通に、淡々と日々が過ぎていくことが、『これ以上ないほど、最高な幸せである』ということ」だそうです。
<不平不満・悪口・文句を言わない>
<立場の強い人が、権力を行使しないことを「優しさ」と呼ぶ>
・「営業部員の人たちに、『ちゃんとやれ』とか、『頑張れ』と叱責するかわりに、『1日中歩き回ったのに1軒も契約が取れなかったなんて、本当に大変だったね、ありがとう。ごくろうさま』と言ってあげることもできますよね。
・「あれから叱咤激励をやめ、成績がよくても悪くても、営業部員に、ただ『ありがとう』と『感謝』を伝えていたら、なんの苦労もなく、売上が上がったんです」
・「権力や立場の強さを持っている人」が、自分より弱い立場の者に対して、権力を行使しないことを「優しさ」といいます。
<私たちは「投げかけた言葉」そのものに囲まれる人生を歩む>
・自分が向き合っている現象に対して、「自分の思い通りにできないこと」が、多くの人の「悩み」になっています。でも、じつは、「幸も不幸も、そう思う心があるだけ」です。自分の「思い」をなくせば、「悩み」は消えてなくなります。
・私たちは、「ゼロ(中立)」の現象を、自分の感覚で感想を言い、評価論評しながら、「気に入らない」と言っているだけなのです。
・相手を変えようとか、自分の目の前の現象を変えようと思っているうちは、問題は解決しません。宇宙には、もともと「問題などがない」からです。
・宇宙には、「投げかけたものが返ってくる。投げかけないものは返らない」という法則があるので、「辞める、辞めない」よりも、「不平不満を言うか言わないか?」のほうが重要な意味を持ちます。
たとえば、家族に対して、穏やかで、にこやかな投げかけをずっと続けてきた人は、自分自身も、穏やかで、なごやかな空気に囲まれます。
<「大変なこと」を笑顔で受け止められるかが、人生のテーマ>
・「すべての人が大変な問題を抱えています。けれど、その大変な問題を、いちいち口にしていないだけです」
・「あなた」だけが、大変な思いをしているのではありません。みんな大変な思いをしています。だから、そのような問題を「大変だ。大変だ」と言わないこと。いちいち評価・論評したり、感想を言わないこと、それを笑顔で受け止めながら(感謝しながら)、生きていけるかどうかが、「人生のテーマ」なのです。
<「許せる」範囲が広がれば、この世から争いはなくなる>
・人間が怒ったり、腹を立てたりするのは、「正義感」や「使命感」から生じていることが多いようです。
・「裁く者は裁かれる、裁かぬ者は裁かれない。許す者は許される、許さぬ者は許されない」とキリストは言ったと、テレビで放映しているのを見ました。
・私のように「人間はそもそも、たいしたものではない」と認識している人は、他人を糾弾しないし、憎んだり恨んだりしません。一方で、正しいことを行っている人は、「正しい」ということをベースにものを考えたときに、人を裁きたくなります。
<宇宙は「この人に特別な幸せを与えよう」と思うと、一般的に「苦労・不幸・挫折」と呼ばれるものを与えるらしい>
・会社の倒産、リストラ、病気、交通事故などに見舞われて、「自分は運が悪い」と思ったことが、誰にでもあるかもしれません。しかし、それは狭い考え方です。
どうやら宇宙は、「この人は、すごくおもしろい人だから『特別な幸せ』を与えよう」と思って、一般的に「苦労・不幸・挫折」と呼ばれているものを与えているようです。
・「つらい」「悲しい」と不平ばかり言っている人には、宇宙は支援してくれません。愚痴や泣き言を言っているから、そういう現象が起こるのが、「宇宙の構造」のようです。
・臨死体験の経験がある人たちの話によると、肉体が死んであの世に行くとき、私たちは神様から、「あなたはどれだけ人生を楽しんできたか?」を問われるのだそうです。
<「努力をしたから、望みがかなう」という因果関係は、宇宙にはないらしい>
・30歳で結婚して、なかなか子どもができなかったときも、文句を言わなかった。やっと生まれた子どもが知的障害を抱えていたときも、愚痴や泣き言を言わなかった。
100人のうち、99人が愚痴や泣き言を言うような状況に置かれたことが何度かありますが、私は、一度も愚痴や泣き言を言わなかったのです。
・努力をして、自分の望みがかなったという人もいる。努力をしても、かなわなかったという人もいます。けれど、「努力をしたから、望みがかなう」という因果関係はないようです。
<現象が「ゼロ」なら、「プラス」にとらえた方が、人生は楽しい>
・「天気によいも悪いもなく、そう思う心があるだけ」というのが、客観的事実です。
・現象が「ゼロ」なら、「プラス」にとらえた方が、人生は楽しいと思います。
<「なぜ、なぜ?」と問いかけた瞬間に、その現象を「否定」していることになる>
・聖書の中に「汝、なぜかなぜかと問いかけることなかれ」という言葉があります。
私に相談や質問をされる方の多くは、「なぜ、なぜ?」とおっしゃいますが、問いかけた瞬間に、問いや相談の形をとってはいますが、「その現象を否定」しています。
・「自分の好き嫌いで仕事を選んでいるうちは、宇宙も、神様も、仏様も、味方をしないような気がします」
宇宙や神様は、目の前に、「いつも楽しい人生」を提示してくれます。
しかし、それを個人の好き嫌いで選り分けると、神様は、「もう、教えてあげるのはやめよう」と、提示を止めてしまうみたいです。
<「ツイてる」と言っているだけで、神様が味方をしてくれるらしい>
・自分が「いかにツイていない」か、自分が「いかに神様から見込まれていない」か、という話をして歩いているのですから、「味方」ができないのも、無理はありません。
・「不機嫌になっているから、うまくいかないし、誰も味方になってくれない」のです。
<「人間は、たいしたものではない」と知れば、「争いごと」は起こらない>
・あるとき、親鸞は、檀家さんから、「親鸞上人さんは、もちろんすばらしいお方ですが、お弟子さんたちも、みなさん、すばらしい人格を持った方々ばかりですね」と言われ、こう答えたそうです。
「私には、弟子はいません。この人たちはみな、私の師匠です」
・もし地球上が、「自分は間違っているかもしれない」「罪を犯しているかもしれない」「たいしたものではない」と思っている人間ばかりになったとしたら、地球上から「争いごと」はなくなるのではないでしょうか?私はそう思います。
<「受け入れる」>
<「すべてを受け入れる」ことで、悩み・苦しみはなくなっていく>
・ですが、「夫が脳梗塞で、2~3年で死ぬかもしれない」という事実と、「それに対して自分が悲しくつらいと思っている」という感情は別のこと、つまり「2つの現象」です。
・「あなたにできることは、ご主人が『君に会えてよかった。君を妻にしてよかった。君のおかげで本当に幸せな人生だった』と言いながら死んでいけるように、ご主人のために尽くしてあげることではありませんか?」
<「自分が、今、どれほど恵まれているか」に気がつくことこそが、本当の幸せ>
・しかし、私たちは、ずっと目が見えているにもかかわらず、目が見えることに感謝をするどころか、「あれをよこせ」「これをよこせ」「あれがほしい」「これがほしい」と言い続けているのです。
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